森鴎外
前は文語にすごい苦戦したけど時間経って読むと結構スラスラ読めるようになった >>630
権力や家庭に飲み込まれないように、必死に抵抗していた結果という意見があるね。 ★book:文学[重要削除]
http://macaron.2ch.s c/test/read.cgi/saku2/1406585876/28- あなたは40代ロサンゼルス府警新聞作りですか?ドーハの悲劇「横浜衝撃イヤフォン」「横浜悪夢イヤフォン」ですか?
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擬古漢文調がリズムがよく歯触りがよかったなあ。名文。美文。
森鴎外まで来ると帝大もなかなか。 >>651
当時はまだ東京大学という名称だった。
鴎外は、卒業時点では東京大学卒の医学士。
ただし、まだ19歳だった。
知ってて書いてるとは思うけど、他の方の参考までに。 脚気のことも書いてあったような。フォロー or スルー
ありがと。 ウィタセクスアリス読んでみたんだけど
これって森鴎外自身がモデルなの? 晩年の鷗外の作品ってめちゃくちゃつまんねーな
退屈な史実ばかりを書いてるだけ
ネタ尽きたんなら潔く引退すればよかったのに 鴎外の文章を読むことは、昨夜から何も食べておらず、水もあまり飲めず腹ペコでクタクタの時に
米からコトコト煮た白粥の程良く冷めたのに、岩塩をはらはら振り掛けて食うような。
白粥か蕎麦か握り飯かは人によるでしょうが、一言で言うと滋味。 分からなくとも、面倒くさくとも、あの漢語調の整った文章に参ってしまうんだよなあ。もちろん最後まで読めないけど。 鴎外の好物はご飯の上に四つに割った饅頭を載せ湯をかけたもの
奇異に思うが食べてみるとインスタントのおしるこで
甘過ぎず美味しい
鴎外の文章も似ている
雁などは読みやすく完成度も高い 『諸国物語』に収められている「フロルスと賊と」って、これはいったいどういう小説なのですか!!!! >>655
> ウィタセクスアリス読んでみたんだけど
> これって森鴎外自身がモデルなの?
他に誰がいると? スレチでスマンが
東大の前進が開成所って言ったんだな
最近はじめて知った
開成高校とかそれにちなんでたのかな? >>669
リアルにケツ穴狙われてたからこその説得力があるよな
美少年より男らしいほうが狙われるんだな ここで聞くのが正しいのかわからないんだが、最後の一句にでてくる「マルチリウム」がいまいちわからん。
ググると殉教者とか殉教者の墓とかでてくるんだが本文中でどういう意味で使われてるのかいまいち理解できない。 ☆ 日本人の婚姻数と出生数を増やしましょう。そのためには、公的年金と
生活保護を段階的に廃止して、満18歳以上の日本人に、ベーシックインカムの
導入は必須です。月額約60000円位ならば、廃止すれば財源的には可能です。
ベーシックインカム、でぜひググってみてください。お願い致します。☆☆ 大塩平八郎を読んだ
内容はともかく、なぜ鴎外は彼を題材にした作品を書いたのだろうかと疑問に思った かのようにを読む
私の感想を簡潔にいえば
外界との衝突を避けるため、ひたすら読書に、思索にふけることに逃避する青年の話
なかなか考えさせられる作品だった >>675
「かのように」というのを知らなかったので、はじめて読んだ。
理念小説といってもいいんじゃないだろうか?
鴎外自身の、明治維新の否定と新政府での自身の立場の葛藤を、理念として表現しているようにも思う。
よく発禁にならなかったな、というのがもう一つの感想。 六草の仕事は素晴らしいとは思うが、
鴎外とエリーゼの恋を至純のものとして持ち上げたいという思いが強すぎて、
喜美子や良精にしわ寄せが行ってる可能性もあるのではと思っていたら、
案の定遺族から抗議が来たらしい。 >>672
元文ごろの徳川家の役人は、
もとより「マルチリウム」という洋語も知らず、
また当時の辞書には献身という訳語もなかったので、
人間の精神に、老若男女の別なく、罪人太郎兵衛の娘に現われたような作用があることを、
知らなかったのは無理もない。
しかし献身のうちに潜む反抗の鋒は、いちとことばを交えた佐佐のみではなく、書院にいた役人一同の胸をも刺した。
この文章を読めば、martyriumを知らなくても類推できるんじゃないの?
ってか、丁寧なマルチリウムの説明の文章だろう。 六草の仕事って、結局「薄情な人間」が「弱い人間」に代わっただけで
鴎外がダメな人間であることには何の変わりもないんだよなあ。 >>678
本文中で言えば「献身」解釈すれば「自己犠牲」ということについて「マルチリウム」と言っているんだろうことはわかったが、
いざ調べてみると「martyrium」には殉教者などという意味しかないので結局これは森鴎外の生きていた頃は「献身」と訳されていたのだと解釈すればいいの?
どうにも現代の「martyrium」と当時の「martyrium」では大きな違いがある様に思えるんだが。 >>681
http://eow.alc.co.jp/sp/search.html?q=martyrium&pg=1
http://ejje.weblio.jp/content/martyrium
もちろん「殉教」を「他者へ命を捧げること」と訳すことは可能だが、現代の「martyrium」は「建物」としての意味合いが強い様に思える。
「献身」と訳してしまうのはあまりにも意訳すぎると思うんだが。 >>682
基本的に、鴎外はドイツ語に堪能だったと思うんだが(笑 >>684
お前さん、その言語感覚のレベルで鴎外が書いたものの間違いをうたがってんの?(爆 >>685
間違いってのは言い過ぎた。
ただ現代と当時、というか俺の言語感覚のレベルと森鴎外とでは「martyrium」の認識に差異があると思ったって話。
https://www.wadoku.de/search/%E7%8C%AE%E8%BA%AB
http://ejje.weblio.jp/content/%E7%8C%AE%E8%BA%AB
献身と訳すものなら他にもあるのに、わざわざ宗教的な意味合いが強い「martyrium」を意訳して用いたのには意味があるのだと思うが、その意味が最初の書き込みをした時はわからなかった。
今は宗教的な意味を持つことが重要だと解釈すれば良いとなんとなくわかった気になっているが、この認識で合っているのだろうか。 根源に宗教があるかどうかはわからんが、
親孝行な娘の行為としては、日本人なら、心情的には現代でもうなづけるところはあるんじゃないか?
ただし、この場合は、逆縁となっても、信ずる正義を貫こうってところがあるわけだから、
裁きが主張どおりに行われたら、むしろ宗教としては困る状況だろうな。
ただ、その意味では無欲な献身ではないわけで、違和感があるのはわからなくはないが。
いずれにしても、鴎外は喜ぶかも知れないが、考えすぎって気がする。 >>687
度々丁寧な回答サンクス
鴎外の作品で言えば「ニルアドミラリ」などもそうだが、鴎外に限らず文豪の選ぶ外国語にはきっと想像し難い思惑が内包されているのだろうと勘ぐってしまう。
でも案外単純な理由であることが多いのかね。 >>687
>親孝行な娘の行為としては、日本人なら、心情的には現代でもうなづけるところ
さすがに現代でうなずく人はいないだろう。
よほど政治的に偏ってるならともかくだが。
現代というか、昔も今も、親は子供の身代わりになることはあっても、子供を親の身代わりにはしたいと思わない。
昔は、娘を身売りしたりするのは珍しくはなかったようだし、もちろん間引きもあった。
とはいえ、身売りや間引きをしなければ、親子ともに飢え死にするという状況と比べるのは無理がある。
この作品の出来がいいとは思えないけど、鴎外の権力に対する隠れた反感がよくあらわれてるとはいえそうだ。 露伴の文語は格調高く、難解な漢語多出、閉口。
鴎外のそれは格調同じく高く、難解な漢語無し。
時代の差か?
それにしても 五重塔は日本文学の五指に入る傑作。 時代物結構多いよな
仇討ちだったり堺事件とか
読むのしんどいけど結構楽しい
境事件で切腹した箕浦の、自身のハラワタをつかんだ上での口上とかしびれる 堺に切腹した土佐人の墓を訪ねた。すぐ傍に幼稚園。
砂岩の粗末な石塔。字は判読できた。はかないなあ!
生きて人生、死んでも、人生。 南が丘文庫
http://www.minamigaoka.info/BOOKS/
Official Homepage
横浜市立南が丘中学校の母体である、平成研究会、通称、経世会とは、自由党吉田茂派を起源に持ち、周山会(佐藤栄作派)・木曜クラブ(田中角栄派)の流れを汲む、鉄の軍団と呼ばれた保守本流集団である。
横浜市立南が丘中学校OB会 >>398
幕末の有名な遣米使節の新美某の娘は芸者になった
それが柳原伯爵に身請けされ、生まれたのがあの柳原白蓮 >>398
※後半について
それは当然でしょう
昔は実質一夫多妻制みたいなもの
庶民に倹約質素を奨励した水野忠邦だって、若い妾を5人くらい抱えて、それぞれに屋敷を与えていた
庶民だって金さえあればそうことは可能
また公娼制度もあり、私娼も多数
男は性的にはかなり自由だった >>429
> 東京では彼は妾をおいていたようだが。
それは鴎外の実母が探してあてがったお妾さんだね 最初の妻と離婚したあと、実母が鴎外の生理的な面を心配して、知り合いの未亡人か何かを、妾とした
かなり美人だよ
キリッとして垢抜けた雰囲気
ただ昔の下町の女性だから学があったわけではない 正妻にはなれないタイプ
実際それからしばらくして、別の良い家柄の女性を後妻として迎えている >>696
他の国の一夫多妻は知らないが、日本の武家の多妻は勢力の維持拡大のため。
武家は本家を軸とする親族会議が実権を握っていて、家を構成する子供が多いほど発言力を強めることができた。
男子でも女子でも、家を構えさせたり嫁がせたりすることで勢力の拡大を図れた。
次男は長男の予備軍として部屋住みにさせ、三男以降は他家に養子に出した。
養子に出した男子は無関係だが、女子の場合は、嫁ぎ先とは互いに親族となった。
日本では男女とも性的な制約が少なかったのは確かだが、家の存続や共同体の維持に性が埋没していたことも忘れてはいけない。 鴎外の作品を読んでいて、一昔前の時代はある一面では家族構成が柔軟だなと感じた。
子に恵まれなければ前途有望よさそうな子を養子にしたりね。
まあ親しいところから迎えるケースが多いようだけど。
とにかく”家”の存続というのが重要だったのだね。
ゆえに家名に泥を塗るような真似はすまい、家名に恥じぬ生き方をしようとの矜持が発達したのだろうか?
※もちろんそのような家は一部の特権階級に限られるのかもしれないが
利己主義が跋扈している現代ではそのような精神的支柱は得られまい。
得られたといても、それは肥大化した個我による似て非なるものだろう。
皆が皆それによって行動すれば、きっと人はホッブズのいう自然状態に行き着くだろう。
とはいえ、そうあれる者はある意味では幸せかもしれない・・・。
そう考えると家や国、または宗教などに基づく共同意識を築くというのは重要なのだ、と今更ながらに気づかされた。 >>699
家も国も宗教も排他的だけどね。
排他であることが重要とは、とても思えないな。
個人を殺し、他の集合を支配する。
鴎外自身、家からも国家からも、最後は逃げてしまったわけだから。 集団への帰属を欲するのは安楽を得んがためか?
それじゃあ畜群と罵られそうだね。
そんなら超人を目指そうか?
綱渡りの日々に魂は耐えられるだろうか?
それに耐えうる意思はどのように培えばいいんだろうか? >>701
集団に帰属したがるのは、自分が個人として確立してないからだな。
つまり、未開社会の精神の名残り。
市民社会が発展していくと、普通は利害の相反から、個人としてその社会に参加していくようになる。
日本では現代でも市民社会が成熟せず、専制王制のような集団への帰属意識による集団社会とでもいうべき、いびつな構造になっている。
明治維新そのものが、王政復古としての維新、という歴史としては矛盾した方向を標榜しても、誰も疑問を持たない奇妙な精神構造の産物だ。
鴎外は、その精神をばかげたものとして切り捨て、漱石はその愚かな社会に翻弄されて精神を病んだ。 一葉はんが長生きしあはったら鴎外せんせをしのいだかわからしまへん 「安井夫人」を読んだが、あの作品は安井息軒が主人公で、
夫人はほとんど描かれていないような気がするのだが。
なぜ題名を安井夫人としたのだろうか。 鴎外っていうと「麦飯に反対して大勢の軍人を脚気で死なせた人」のイメージが強くて、
花袋の「一兵卒」で主人公が脚気になってるのを読んだときも、
鴎外のせいじゃん!って思った 脚気の件についてはよく調べたらなるほどなと思った、当時は庶民に全国的に白米食が広まったばかりで当時は何よりのご馳走でこれを容易に切り替えるのは兵士の士気に関わったかもしれない。
効果は認められたとはいえまだ医学的根拠のないやり方に頼るより当時の最高のご馳走を食べさせて兵士を戦場に送り出すことを優先した結果なのかもしれない。 海軍ははなっから英国式を採用したのでパン食だっただけ、
しかし、りっぱな日本食の「カリーライス」がある。
江川担庵はパン食を兵糧に採用したかったようだが。
文学を論じる場で、軍隊の食事を持ち出して、けなすのは
いただけないね。 >日本では現代でも市民社会が成熟せず、専制王制のような集団への帰属意識による集団社会とでもいうべき、いびつな構造になっている
今時こんなカビが生えたサヨクみたいなこというやつがいるとは・・ >>713
カビが生えたサヨクがそう言ってるんなら、カビが生えたサヨクは正しいってことだね。 >>698
随分長い演説お疲れ様。 でもその程度のことは知ってますからご心配なく。 >>715
随分遅いレスだけど、わずか数行の文章が長いって、現代の国語教育はどうなってるんだろう? 史伝を書き始めてから一遍に面白さを失った。
史伝は不眠症の処方のひとつ、読めば眠くなる。
そうそう、漱石の明暗なども。 酷評すれば史伝には芸術性皆無。
ドキュメンタリー映画ベルリンオリンピック、東京オリンピック
は芸術作品です。ありのまま記述すりゃよいってーもんじゃない。 >>718
ドキュメンタリー映画ベルリンオリンピックを礼賛するのは、金正恩ぐらいかもw 「女流作家レニ・リーフェンシュタール この元女優の手になる「オリンピア」は、どうしようもない傑作である」
(『絶対の宣伝 ナチス・プロパガンダ4 文化の利用』草森紳一著、文遊社刊より)
市川崑総監督が語る名作「東京オリンピック」
−戦前のベルリンオリンピック(1936年)でレニ・リーフェンシュタール(ドイツ)がつくった
『民族の祭典』『美の祭典』はご覧になっていらっしゃいますか?
市川: 勿論見ました。ミュンヘンオリンピック(1972年)の時、リーフェンシュタールさんに偶然会って、
いろいろな話しをしました。とにかく『民族の祭典』は名作だと思います。
あらゆる政治的なことは一切抜きに、映画として素晴らしい。
【解説:淀川長治】
『民族の祭典』これは本当に今考えてもぞっとするぐらい立派でしたね。
そのオリンピック、ベルリンオリンピックの実写ですけど実写、それと言えないね。
これが本当のニュースと言えないぐらいに劇的なんですね。凄いんですね。
大和屋が影響を受けた・好きな映画
戦艦ポチョムキン、十月、ストライキ、アンダルシアの犬、不良少年
次郎長三国志シリーズ、野獣の青春、群盗荒野を裂く(何故殺すのか)西部魂、民族の祭典・美の祭典(オリンピア)
大塚英志インタビュー 工学知と人文知
少し年上だけど三島由紀夫がいる。彼はレニー・リーフェンシュタールの『オリンピア』
(『民族の祭典』『美の祭典』の二部作を指す)というナチスドイツの映画を観てこれが機械芸術なんだっていうね、
直接的な言い方ではないけど機械芸術論を知っていないとわからないような作文を学習院時代に書いている。
お勧め(オススメ)映画(映画批評の映画研究塾)
1938「サブマリン爆撃隊」「赤ちゃん教育」「我が家の楽園」「汚れた顔の天使」「黒蘭の女」
「牧童と貴婦人」「獣人」「ラ・マルセイエーズ」「霧の波止場」「北ホテル」
「民族の祭典」「美の祭典」「バルカン超特急」「アレクサンドル・ネフスキー」「鶴八鶴次郎」
「按摩と女」「争闘阿修羅街」
手塚治虫は「アドルフに告ぐ」の冒頭をベルリン五輪で開始し、
西田修平と大江季雄の陸上棒高跳びの場面など、当作を意識した描写になっている。 >>720
全体主義、国家主義が好きな人には高く評価されるよね。 スーザン・ソンタグ
「レニ・リーフェンシュタールの『意思の勝利』と『オリンピアード(原文ママ)』を傑作と評することは、
ナチのプロパガンダを芸術性に免じて見逃すことではない。
ナチのプロパガンダはそこにある。だが、それ以外の何かがあることも確かだ。
それを無視することは、われわれにとって損失である」
溝口健二著作集刊行記念:佐相勉インタヴュー
例えば小津安二郎なんかにしても『民族の祭典』(38)をその年のベストテン一位におしてるんですよ。
だからそれは溝口だけじゃなくて、日本の映画界全体で当時のナチスの映画に対する評価は高かったんじゃないかな。
黒澤は山本嘉次郎監督『馬』(1941)の助監督をつとめているとき、高峰秀子とともに『民族の祭典』を見にいった。
帰り道、黒澤は高峰いわく「私の存在など気にもとめてくれず」足元を見ながら黙々と歩いていたそうです。
映画『ニワトリはハダシだ』 インタビュー2
対談者 ................ 森崎東、 榎戸耕史
もう一つ、入って直ぐの所にカメラの移動車を押しているレニ・リーフェンシュタール、
『民族の祭典』(38)のファーストシーンが再現されているんですよ。この映画の公開当時、
小学校の低学年だった僕は教師、クラスメイト達と一緒に見たんです。
僕の前にはおかっぱの女の子達が並んでいまして、円盤投げの全裸の青年の写ったタイ トルバックで、
移動車が彼の背中の方から回り込んでいくわけですが、そのおかっぱ頭が移動車が回り込んでいくのにつられて、
一斉に回り込むわけです(笑)。その瞬間を非常にビビッドに思い出しました。
古川薫「花も嵐も 女優・田中絹代の生涯」(平成 14 年 2 月 15 日 文芸春秋)では、
昭和 15 年にレニー・リーヘンシュタールの「民族の祭典」を見て、女性監督の仕事に感銘を
受けたことが記されている。
広くて深い、ドキュメンタリー映画の世界/原一男
ニューヨークでは、週一度、MoMA(ニューヨーク近代美術館)の映画部門に頼み込んで収蔵作品を見せてもらった。
ルイ・リュミエール「工場の出口」、ロバート・フラハーティ「ナヌーク」、ジガ・ヴェルトフ「カメラを持つ男」、
リーフェンシュタール「オリンピア=民族の祭典」、ヨリス・イヴェンス「雨」etc、みんな、ここで見たものだ。 >>722
日本人は全体主義や国家主義が好きだけど、ソンタグという人は美を勘違いしてるんだろうね。
勘違いというのは、整列乗車を美しいと感じるような美的感覚のことだけど。 1998
◆プレミエラ誌選:史上最高の映画ベスト100ランキング
民族の祭典 美の祭典
2005
◆タイムTIME誌選:歴代映画ベスト100リスト
民族の祭典 美の祭典
2013
◆米エンターテインメント・ウイークリー誌選:オールタイム映画ベスト100ランキング
84 美の祭典 民族の祭典Olympia (1938, Ger.)
大アンケートによる洋画ベスト150 (文春文庫―ビジュアル版)
出版社: 文藝春秋 (1988/07)
73 民族の祭典/美の祭典
キネマ旬報「オールタイムベスト・ベスト100」世界映画編 1995
78 オリンピア(民族の祭典/美の祭典)
またまた鈴木則文監督来場。『トラック野郎 度胸一番星』 『聖獣学園』
本の中でも『ドカベン』を褒めていた中原昌也、今日も『民族の祭典』に並ぶスポーツ映画の傑作だ、と言っておりました。
---- レニ・リーフェンシュタールとナチ美学の危険な関係 ----
渋谷哲也
すなわち、彼女のナチ加担という政治的罪は、彼女の美的な功績とは別の次元で考えられるべき問題だということである。
そしてそれとは別の問題として、彼女の作品に「ファシズム的美学」が見られるとするなら、
まさしくそこでの「ファシズム的」とは何なのかを多面的に問いかけてゆかねばならないだろう。 森鴎外はベルリンで「女の顔がどうだ」ばかり記録してんのなw
勉強したことと言えば、「論語」「春秋」「孟子」などを蘭語で読んだことくらい。
んでユダヤ娘をからかったら、日本までついてきてしまった。 >>725
鴎外は極端な美人好き。
非美人の最初の奥さんからは3日で逃げ出したが、美人の出戻りと再婚したら悪妻?でも添い遂げた。
ほんとうは西欧の美人、ドイツ娘と結婚したかった。
ところで、その娘がユダヤ人であるという根拠はなにかあるの? 郷土史というのがある。むかし太郎作がどうした治郎兵衛が盗みをした、
庄屋の伝衛門が良い奴だった、などを、文献によって「研究」する。
globalに見ればなんの意味もない。たとえばモルダウの歴史を日本人が
読んでもほとんどなんの感興もわかない。宮崎に住む人が、八王子の
郷土史に興味をもつかよ。
まして、一個人の一生をああだこうだと調べて書いても唯それだけよ。
鴎外が史伝にのめり込んだのは日本文学にとって大損害。
ま、鴎外先生も時代の潮流に乗れず、変な方向に「活路」を見出した
訳だ。 史伝は新聞にも載った。これを読み続けた読者はどれだけ
居たのだろうか。 >>727
社会の中での人の心を表現するには、歴史ものが一番簡単だからだろ?
現在を扱うといろいろ不都合があるし。 >>727
郷土史を馬鹿にしてるってことは、歴史に関心ない人かな?
いろんな郷土の集大成が日本の歴史なんだけどね >>731
歴史というのは、書いた人間の共同体での立場の表明だね。 今でもいろんな地方の旧家の蔵から、新たに古文書が発見されたりしてニュースになってるよね >>734
旧家にある古文書には、当主の日記などを除くと偽物が多いんだってね。
系図なんかも山伏などが売り歩いていたそうだ。
古文書の真偽は骨董の真偽と同じようなものなんだって。 悲しいことに記録即真実ではない、脚色されたものが多い。
問題はどの程度にその真実を認めるかだ。
所詮郷土史などどうでもよい「研究」だ。山中伸弥先生の
御研究のほうがはるかに人類のために意味がある。
文系は悲しいものだ、小説家がちょっと齧って邪馬台国
がどうのこうのw 文系という牝系もあるけど、悲劇か喜劇かぐらいに面白いものもあるよ。
眼鏡じゃねー。文は。