島尾敏雄
「記夢志」は判型が変形の函入装丁のやつですね。結構高そうだなあ。 まほちゃんの「奄美のマンマーの家で」(新潮2010.2)を昨日読んだ。面白かった。
子どものような純粋な観察眼を持っていて、うらやましい。
「まほちゃんの家」からだいぶ進化したね。 で、記夢志ってなんて読むんですか? きむし?
本自体は、ずいぶん前に読んだはずだけど、いまだにタイトルの読み方は知らない。
>>103
『島尾敏雄事典』によれば「記夢志(きむし)」ですな 島尾敏雄は、つげを熱愛していた。どこかに「つげさんの作品は私の孤独な魂を慰めてくれる」みたいなこと書いていた。 有名なねじ式とかより夢の散歩とか夏の思い出が好きだったみたいですね 「島尾敏雄事典」欲しい…
つげ義春とはやっぱり波長が合ったんだね。 こういう作家って作品以上にエッセイ・雑文が重要だったりするよねえ エッセイが小説みたいですよね...
さいきん「夢のかげを求めて」を読みなおして、唸った。 エッセイといえば、それまでの自分の小説がだめだだめだってぐちぐち云ってて、
そんで結びが「もっと犠牲が必要だ」っていうのがあったはずなんだけど。
それが奥さんが狂うちょっと前に発表した文章だってわかったときはゾッとした。。 >>114
読みたいな。何に収録されてるのか分かる人いる? >>117
「跳び越えなければ!」というタイトルでした。
全集・非小説集成ではそれぞれ文学篇の一冊目。
単行本では「非超現実主義的な超現実主義の覚書き」に入ってるみたい。
自分は戦後文学エッセイ選の島尾敏雄の巻で読んだけども。
エッセイって文庫に入ってないから薦めづらいですね。 藤枝静男みたいに文芸文庫でエッセイ選集(随筆集)が出るといいなあ。 >>118
すごーく島尾敏雄なタイトルだね。
「跳び越えなければ!」 圧迫感。焦燥。 戦後文学エッセイ選、影書房ですか。こんなの出てるの知らなかった(すみません無知で)。
欲しいにゃー。埴谷、花田、泰淳と面白そうなの並んでるね。 >>84
すごく遅くてあれだけど、、、 まほちゃん「読んでません読んでません」といってるけど、
絶対に読んでいると思う。だけど、やはり読まなきゃ良かった、、と思ってるんじゃないかな。 毎日少量ずつヒ素飲ませて
その悪化の具合を小説に書いて
原稿料と虚栄心の満足得ていた人 >>125
ヒ素はたとえ病状悪化するようにしむけて
それをネタに小説でっちあげは三島由紀夫も指摘するところ 馬鹿な事やって人生の真相ここにありは自然主義以来の伝統だけれど
それはあくまでも自分、周囲に迷惑はかけても。
最も身近な人間を長い時間かけて追い詰めてそれ小説にするってキチガイだろ
人非人
それでもミホは本望だったんじゃねえの?
ずっと喪服着てたんだろ 伊東静雄さんが中心となってた『光耀』という同人誌で
三島由紀夫と島尾敏雄は親交あるぞ。あと庄野潤三も。 島尾悪人説はまだ根強いのかなぁ
奥さんはグルだからつって,相手の女擁護の立場からその態度を批判することが最近の主流で,
>>124なんかすごくレトロなタイプの批判に思えるけど。
帰巣者の憂鬱とか読むと資質からして家庭向きの性格じゃなかっただけのような気もする。
ともかく後年のミホの自己演出と島尾隊長の神格化(?までは行ってないが)は再検討の余地があるよね。
一番大事なS27.1〜29.8の日記が早く読めるようになればいいんだけど。 >>85
昭和26年の日記に「フォークナーのサンクチュアリに一寸いかれている。」
って文があるぞ。かなり亀だが。 シンゾーさんが、敏雄はヨブのようだって言ってたな。。。 >>130
S27.1〜29.8って残ってるの?
残存してないんじゃないの? それはまだ金さえ出せば手に入るからいいじゃん
文藝誌「海」に連載してて廃刊で中絶した長篇のやつが読んでみたいんだけど。
4,5回分は載ってたらしいけど古い雑誌って集める労力がなぁ。。。 いやあ、未刊行の雑誌掲載作品まで手を伸ばすのは玄人の域だね。
そういえば>>94にあった「国敗れて」もまだ読んでなかったな。 >>138
絵は興味がないけど、まほちゃんの文章がすごく素直でかわいい。
それから、シンゾーさんが撮ったちっちゃいころの写真がむちゃくちゃかわいい。 じゃんじゃん文庫化するといいのにね。
岩波文庫とかにははいらないのかしら。 魚雷艇学生が市内の新古書店の棚に100円で置かれてるがいまのとこスルーしてる スルーし続けていて、
ある日、「そうだ、こんどこそ買おう!」と決意して行った瞬間になくなってるよ。
本というものはそうしたもんじゃ。早く買いなさい! 島尾文学は後期の作に向かうにしたがって、徐々に翻訳しにくい文体へと移っているような気がする。
1960〜78年までの「死の棘」でさえサイデンステッカーが訳を諦めたほどなのだから、それ以降の作品となると尚更そうなのでないか。
中期の大江健三郎や古井由吉のような捉えどころのない、しかし主語のはっきりしない文章というわけでもなく、
むしろ端正な部類であるようなのに、修飾過多というのとも違って、いくつもの文節を全体としてのそのリズムを崩さぬように意識しながら、
いや意識していたのかなどわかりようもないが、それでも幾らかの崩れを組み込みながらこわごわとそれらの句や節を組立てて行くような
独特の文体の諧調にわたしのようなものなどはいつしか引き込まれていくようなのだ。
「魚雷艇学生」は一般にそう捉えられるような小説というよりむしろ回想文で、会話がほとんどないうえに、
多くのその種の文章にそうした例が見られるように、頻繁に話が前後して語り手と語られるかつての彼そのものが40年近い歳月の流れのその果てに、
ほとんど別種の視点や意識からかつての事象を眺めるに至ってい、しかしそれほどの隔たりを思わせないほどの細密な描写や説明に、
それを読まされる我々は何か空恐ろしくもなっている。
そのうえそこに描かれる規律や出来事の中の仕組みとでも言えそうなものが、今現在に生きる私たちから見れば、
実に不条理そのものとしか思えないのに、その地続きなはずの一昔前の語りつつある作者自身が、それらの出来事について実に当たり前のように
淡々と筆を進めているそのことさえもどんなにか凄味があるかさえ捉えようもない。 出発は遂に訪れずの頃のがいちばん変な文章だよ
魚雷艇学生とか夢屑の頃はむしろ読みやすいことの方が多いよ
夢のかげを求めてもイカレてた感じだったけど
たぶんそれと並行して日の移ろいみたいな細切れの日記で簡易な文章の書き方のリハビリしたんだと思うよ
今になってみれば 海外でどう翻訳され評価されているのか
ちょっと気になるところだね。 サイデンスティッカーはわざわざ翻訳の許可を貰うために奄美まで来たのに挫折したっていうね。。
ほんとに途中までの訳稿が現存するなら鹿児島県立文学館に探し出してほしい。
島尾敏雄の文体ってほんとうにきれいだよね...
「サンファンアンティグォにて」あたりがかなり読みづらい部類にはいるのかな。
でも美しいけど。。。
島尾敏雄がちゃんとした翻訳で海外で出版されれば、絶対に高く評価されると思う。世界文学だ島尾は。 死の棘は英語にも仏語にも訳されてるね。
シマオトシオ論を書いてる人もいたし、
日本の戦争文学アンソロジーには短篇も入ってるみたいだけど
種村が編んだような幻想的作品を集めて海外で翻訳してもらいたいな。 島尾敏雄、本腰いれて読んでみるか。どうも世襲的な側面があってそれが気になるのだが。
このスレでも親族の話が大半だ。基本島尾文学とは関係ないと思うが。 >>152 いやいや、シンゾーさんは凄いひとです。かけがえのない人格です。
まほちゃんは、シンゾーさんが好きだったら、きっとまほちゃんも好きになると思います。
シンゾーさんの文章は、島尾敏雄直系だよ。いつもなげやりなんだけど、
きらっと光る描写があったりして、ほんとうにさすが!ってところがある。
週刊読書人のシンゾーさんインタビューからの引用です。
http://canpan.info/open/news/0000003274/news_detail.html
脇地 文章の感想を申し上げますと、お父さんの文章に響き合うところがあるような気がしました。例えば
「日暮里を遠ざかるなり信号機の無い踏切ばかりで、それらが暗がりの後方へ逃げて行く様子は、まるで
奈落の底へ突き落されていくざんばら頭の侍、井戸の中へ落ちて行く着物姿の女性のような、溺れて行く
人の哀れな目つきが忘れられなくなるような、何とも寂しいものでした。」という比喩の使い方、的確さ、
また重い主題にもかかわらず「軽さ」を意識したような筆致などがそれです。島尾さんの『夢の中での日常
』など、比較的初期の作品の文体につながるものがあると感じます。
うーんとね、葉篇では「草珊瑚」「笛の音」「きみょちゃんの事」のどれか 「笛の音」は凄いよねえ。恐い。
一応、言っておくと、>>157のあげた作品はすべて、
「硝子障子のシルエット」という一冊の第2部に収録されてます。
司修の装幀がきれいです。 「硝子障子のシルエット」は全体にやや薄味な感じもしたけれど、
まだ一読しかしてないから、再読してみようかな。 4月号すばる
http://subaru.shueisha.co.jp/
買いませう。
特集 トシオの断片(かけら) 今ふりかえる島尾敏雄
過ぎゆくものをとどめたい人々 (しまおまほ)
トシオとミホの思い出をつれづれなるままに・・・ (伸三ちゃん・やさしくて賢い登久子さん・まほちゃん)
「南島通信」を読む 中沢けい
うん買う。
吉本隆明がおなくなりになられました。
吉本の「島尾敏雄」はよい本でした 島尾敏雄「回顧」 から
ひとつの熱い映像が私のまぶたに焼きつけられている。
それは十六年前の秋の日の午後であったか。私と妻は白龍丸のデッキに立ち、
埠頭にはまばらな見送人が倉庫のまえに並んでいた。精神病院からまっすぐ
横浜港に来なければならなかった事情もあって、わたしたちは一等切符を求め
ていたが、船客はほかにたった二人しかいなかった。(中略)
私たちを見送ってくれる人たちの笑っている顔が(笑っていない顔もあったが)
下に見えていた。(中略)庄野と阿川と安岡、奥野と武井、そして吉本隆明が居た。
つづく
つづき
(中略)この人たちが奄美に移り住む私を送ってくれる!と思っていたけれど、
なぜか冥途からこの世を名残り見る思いになっていた。私の目には光も熱も感じら
れず、ネガのフィルムの中で友の笑っている顔が見えていた。テープがいくつか投
げられたのだったか。でもいっこうにうまくつかめない。
と吉本が丸窓に足をかけ、船腹をつたって私たちの居る甲板によじのぼろうとした。
ほんとうにどうやってのぼってきたろう。繋ぎ綱がさがっていてそれにつかまり、
船腹に足をかけてあがってきたのか。出港合図の汽笛も鳴っていて、危ない!
と声を出そうとしたとき、彼は手すり越に私にテープのいくつかを手渡していた。
まぢかに彼のあつい皮膚の顔を見た。私は胸のあたりがたちさわぐのを覚えた。
彼はすぐにのぼって来たようにおりて行ったけれど。
しんぞちゃん、神戸の同人誌に文章発表しまくってたんだな。
けっこう書くの嫌いがってた気がしたが、そうゆうポーズなだけ? >>166 神戸の同人誌? へえ、知らなかった。もうちょっと詳しくお願いします。
ポーズというよりか、、、文章の限界を知ってしまっているんじゃないかな...
しんぞちゃんの文章、丹念に読むと、むっちゃくちゃ表現がうまい。あんな文章、ぜったい書けない。 遅ればせながら「夢屑」読んでるんだが、、、凄すぎ。いま「水郷へ」を読み終わって、ぼんやりしているところ。
ずっとずっと読んでいたい感じだな。まず「マホを辿って」から読み始めたんだけど、読みながらうるっときた。 >>167
神戸外大時代の敏雄の教え子さんたちがやってるタクラマカンって同人誌
同人一覧に島尾伸三の名があったのさ
で、けっこう寄稿しているかんじだった ブログ。
大震災と大津波がもたらした犠牲者たちを追悼するための式典やテレビとラジオの特別番組は、
結局のところ、情緒一辺倒に終始してしまい、悲しみと優しさと癒しと、
励ましと誓いに塗り込められ、そのなかにどっぷりと埋没し、どこか自己満足に似て、
けっしてそれ以上のものになり得なかったのは残念至極です。
じゃあ、マルちゃん自身が主催者だったら、どうしたかったんだ?
これ以外に、どのような方法があったんだ?
具体的なヴィジョンを示してくれ。 ↑丸山健二スレに投稿したつもりが、間違えた。
島尾さん、すみません.. 島尾ミホ朗読 奄美の民話『鬼と四人の子ら』
http://www.youtube.com/watch?v=DS-pqHdiIb4
>島尾敏雄『東北と奄美の昔ばなし』創樹社刊(1973年) 付録レコードより録音
>◎朗読:島尾ミホ ◎採話:島尾敏雄 ◎本文カット:島尾伸三
>古本屋でみつけた宝物です。ミホさんの声、やさしいですね。和みます...
途中、本文にない子守唄もうたっています。すばらしい。 2:15 ˜
>※本文対訳を掲載しました。どうぞ全画面表示でご覧ください。
>(読み取れない箇所などございましたら、コメント欄にてお答えいたします)。 わーこれ聴きたいけど再生機器がなかってん!ほんにあんがとー >>172 up主です。さっそく貼ってくださってありがとう。
自分で貼るのもなあ、と思ってたところです。
神田の玉英堂で買いました。
>>174
島尾敏雄さんでYouTube検索したら思わぬ宝物を発見できて思わず貼ってしまいました。
YouTubeにも島尾敏雄さん関連の動画があまりなくて寂しいですよね。
素晴らしいデータのアップロード本当にありがとうございました。 >>175 これからも丹念に探せば、まだまだ貴重な宝物が発掘されるのでしょうね...
余談ですが、先日、NHK-FMで内田百閧フインタビュー番組が放送されたのには驚きました。
喜び勇んで、録音してYou Tubeにアップしましたので、ご興味がおありでしたらご覧ください。
ところで、ミホさんの朗読、レコードの回転数は正しいのでしょうか?
若干、声が高すぎるような気もしないでもない.. 33+1/3回転なので、合ってるはずなのですが...
祖母の家で四十年ちかく埃をかぶっていたレコード機械を取り出して再生してみたので、
いまいち自信がありません、すみません。 NHKでやった(らしい)島尾敏雄と小島信夫の作文談義なんかも聴いてみたい。
ちゃんとジュシンリョウ払ってるんだから公開してぽよ。 沖縄にロシアはない
奄美にはロシアがある
この違いは奄美と沖縄の輝きの違い うーん、ドルチェ見たいんだけど、DVDが5040円なんだよね...
島尾敏雄全集も欲しいと思ってるところだし、お小遣いためなくっちゃ。 >>178 小島信夫の作文談義?
聴きたい! 再放送してぽよ。 『夢屑』所収「幼女」の卵やきの下りが大好きなんだが...
小学2年生のミユカとのやりとりがかわいすぎる。
これ↓
でもまだ小学二年生の彼女が、ひたいと目もとそして唇のへんや頬のあたりに
いたずらっぽい微笑をただよわせ、廊下のガラス戸にその顔のなにもかもべっ
たり押しつけて、「おじちゃーん」と甘えながらあらわれると、私は抗いよう
なく彼女を迎え入れてしまうのだった。廊下に腰かけ、だっこしながらおしゃ
べりをきいてやったり、毬をつくのをながめたり、また気ままに遊ぶままにさ
せておいたり、四、五メートル先から走ってとびついてくるのをしっかり受け
とめてやるとびつきっこの遊び。時には御馳走をつくって食べさせもした。卵
焼きとパパイヤが好物であった。「卵焼きをつくろうか」と言うと、目をかが
やかせて喜んだ。「うん」「卵を二つもいれようか」「うんうん」「ええいっ、
三つにしちゃおう」「うんうんうん」。私は彼女をうすぐらいくりやにつれて
行く。「そこに坐っておいで」。彼女はまるくて思いのほかに太いひざ小僧を
二つならべて待つ。私が石油焜炉に火をつけ、フライパンに卵を三つもかき割
って大きな卵焼きをつくるのを、はずむような喜びをからだいっぱいにあらわ
しながら待っている。そしてときどき目をあげて私に笑いかけながら大きな卵
焼きをすっかりたいらげるミユカを、見ている私も言いようのない喜びに満た
されてきたのだった。食べ終われば肩車をして家の中を歩きまわると、はしゃ
いで私の頭をしっかりかかえこむ。しなやかな、しかしよごれた幼い手が時に
わたしの目を覆ってしまい、にわかめくらになった私があらぬ方に歩いて行っ
たりしたのだった。彼女には物おじがなく、遊びの中でもかえって私を誘うよ
うな気配も見せ、ミユカの来ない日は寂しい思いをした。 「卵焼きをつくろうか」「うん」
「卵を二つもいれようか」「うんうん」
「ええいっ、三つにしちゃおう」「うんうんうん」
wwwww >>176 後期の短篇「痣」に、
(妻は)人より一廻りも高い、耳をくすぐるような声でなお何か言いながら、たがて階段を上がってくる足音が聞こえてきた。
ってある。「耳をくすぐるような声」、そのとおりじゃのう。
映画のビデオの最初の「マヤー」って声が、なんか透き通るようで神秘的。 「ドルチェ」「昔ばなし」のほか、以下で、ミホさんの声が聴けるそうです。
カセット文庫「母を語る」〜ラジオ深夜便より〜(NHK)
ふるべゆらゆら/柴田南雄作品集(フォンテック,CD)
柴田南雄のほうは簡単に入手できそうですが、カセット文庫はなかなか手強い。 カセットかあw
島尾敏雄の声も聞いてみたいもんだなあ 「ボクは今日お父さんとお散歩に行きましたマル」
と小学生が書いたら綴り方。
「私は今日息子と散歩に行った。楽しかった・・・」
と大人が書いたら私小説。
>日本文学といえば島尾
冗談じゃねえよ、阿呆。(嗤) >>191 島尾敏雄はそういう部類の私小説じゃないです。
目指すところがぜんぜんちがう。 フランスで思い出したが仏海外県マルティニークって奄美くらいの大きさだよね。
砂糖島であった歴史も近い。 >>182-183
ミユカってカイエの1978年12月号の島尾敏雄撮影「図書館の日曜日」に出てくる子かな
かわいい外人の女の子って感じ
てか短いから読んでみたが際どすぎるね
いつミホ様がキレ出すか心配しながら読んだのによ >>194 せっかくだから、「夢屑」全編読んでみて。
「マホを辿って」泣けるよ。 どんな作家でも私小説的な、単なる身辺雑記のようなものではなくて、過去の一時期を切り取ったような作品をものしているとは思うけれども
私小説の題材にすることを許されている一瞬というか一時期というかね、そういうものが誰にでも一つや二つはあるのだろうと思うのだけれども
島尾敏雄は特に私小説とすることを許されているそうした過去を数多く持っていると思うね
まあ病妻ものが続いた時期は、読者評者もさすがに辟易とすることもあったであろうが、しかし劇的な人生だと言えるだろうね
非常に俗世間的な欲望というのもその内にあるようにも思えるのだけれども、そのことを恥ずかしいと思うような感受自体も備わっているようなところが
やはりいいんだね
自分の非常に尊敬する、ある分野での大家のような人がこんなことを、だいぶうろ覚えだが言っていたんだが
つまり夏目漱石が明治を体現した明治の作家であるとすれば、昭和のそれは島尾敏雄であるというようなことをね
まあ個人的には明治の漱石に対応する昭和の作家は三島由紀夫か小島信夫だろうとも思うのだけれども
しかし漱石の「則天去私」の境地は、島尾の言うなれば「則妻去私」に似ていなくもないなどとも思うよ
島尾の場合、晩年は尚そこから逃れ出ようという苦闘の後さえうかがわれるのが、ちょっとおもしろいんだね
三島由紀夫と島尾敏雄を同時に愛せるひとなんているのかな。
まったく両極だとおもうけど。 島尾敏雄は男脳には響くよね
女性でもファンを自称するのは女脳じゃなく男脳じゃないかな >>196
>夏目漱石が明治を体現した明治の作家であるとすれば、昭和のそれは島尾敏雄である
それって吉本りゅうめいじゃない? 昭和って元年から63年まである。
途中に戦争と敗戦革命があってインフラ革命があって情報革命がある。
体現している作家なんているわけないだろ。
バカ。 初期大江にとっての戦争は朝鮮戦争だもんな
実業親分たちがアメリカナイジングの道をあるってたじだい インテリ系の人々にとっちゃ逆にマルッススしゅぎが力があった時代か(
こっちは良く知らないのだった >>203
うむ。戦前/戦中/戦後の総ての相に適応不全起こしてたうちの一人というのがしっくりくる。 遺骨調査:君よ、いずこに 太平洋戦争で撃墜の米兵の遺骨調査−−加計呂麻島 /鹿児島
毎日新聞 4月18日(水)15時2分配信
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20120418-00000176-mailo-l46 >>208 ここで、天界の島尾敏雄が新版『死者の軍隊の将軍』を書き始める....
島尾敏雄は東欧が好きだし、カダレとは案外気があうかもしれない。 >>208
>MIAによると、ウイットレッジ少尉は45年4月5日、加計呂麻島上空で戦闘中、搭乗機が撃墜され、死亡したという。
>当時、同島呑之浦に駐屯していた日本軍の隊長で作家の故島尾敏雄さんが、「敵兵といえども死ねば同じ神の子」と、遺体を呑之浦集落共同墓地に埋葬したらしい。
「私がヤストミさんのあと、部落長になってからのことですが……」そう前置きして、
この島にも進駐してきたアメリカ人たちが、粗末な埋葬に言いがかりをつけたあと、
埋葬場所の土をたんねんにふるいにかけて、遺骨をあまさず収容して持ち去ったことを話した。
(「廃址」昭和三十四年十月) >>210
それ、原本持ってるならコピーでも取って教えてあげたら?
今ならメールですぐ送ることもできるんだし >>211
MIA(未帰還兵)ハンターズ来館
戦場で行方不明となった未帰還兵(MIA)の遺骨や遺品を調査探索する米国の民間団体「MIAハンターズ」が来館されました。
奄美図書館での調査の目的は,「戦時中の米軍政府の記録を検証する」というものでした。
残念ながら,奄美図書館に所蔵している米国公文書館の資料では,遺骨・遺品の調査に関係する文書は見つかりませんでした。
しかし,「死亡した米軍海兵隊航空兵ノーマン・ウィットレッジ少尉を共同墓地に埋葬した」ことや,
後日「進駐してきたアメリカ人が埋葬場所の土を丹念にふるいにかけて骨片をあまさず収容して持ち去った」ことなどが,
島尾の戦争小説集『出孤島記』の「夜の匂い」と「廃址」に書かれていることなどについて,情報提供することが出来ました。
ハンターズの方々も,島尾敏雄の小説にそのように具体的に記述されていることはご存じなかったようで,大変喜んでお帰りになりました。
せっかくの調査ですので,何等かの収穫が得られることをお祈りしながら,見送ることでした。
今回の調査隊受入をとおして,記録すること,それを保存することの大切さを改めて実感しました。 ていうか「夜の匂い」に「Noman Witledge」って固有名出てきてたな
ニュース見るまでは普通にフィクションだろーと思ってたが ちゃんとした全集出ないのかしら
やっぱり新潮社になるのでしょうね >>215
でも他の某作家は没後30年にも生誕100周年にもなんも無かったんだぜ?
あの本の復刊や完全全集の企画もなーんも、無し。
文芸文庫の増刷や文芸誌での軽い特集があったくらいか。
と、思って調べてみたら同じ年生まれの批評家なんかは新装版著作集が出てたりしてるね。
思いつくかぎりだと決定版全集や作品集成は節目あたりで出るのが多いしそうなのかも。
でも、そうじゃないかも。 @ 1911年以前生まれで1981年以前に逝去されている作家で
A 講談社文芸文庫に入ってる
B かつ、完全版全集が未だ無く
C 同じく1911年以前に生まれた批評家には新装版著作集が出ている
本多秋五に新装版著作集があれば藤枝静男かと思ったが、1993年没なんだよな
Cが小林秀雄とすれば他をすべて満たすのは上林暁か? 関係ないけどことし檀一雄の生誕100周年で、福岡でいろいろ催されてたみたいよ
昨日も花逢忌だったらしいし かなり遅ればせながら「すばる」読んだけど、良かった。
特に三人の対談ね。ああいう家庭にそだったシンゾーさんが
「優しい登久子さん」と作り上げた家庭のあたたかさが、しみじみと伝わてきて。
まほちゃんは幸せだね。 図書館に行ったら貸出されてたんだよなあ
読みたいのだけど 買った。
桐野夏生の講演録が掲載されてる新潮も買おうと思ったがプレミアついてて高かった。
文芸誌系は気付いたらすぐ買っておかないとだなあ
こんな高いのは太宰っぽい芸人さんと由吉っつぁんが対談してるせいだー
かれもアマミーって噂を聞いた。加計呂麻じゃなかったかな。 死の棘の映画がどのビデオレンタルにもないし、買おうとしたらDVDは11万円もするし、VHSは機器が無いしで諦めていたら最近は 桐野夏生の講演が載ってる新潮がようやく読めたんだけど、
敏雄の日記、人の背丈ぐらいまで積み上げた大学ノートが3・4柱分もあったらしいね。
アミエルの日記が1839年-1881年、42年間で17,000ページ
ヴァレリーのカイエは1894年-1945年で51年間で26,000ページ
島尾の日記は小学校高学年から死ぬまでだからまぁ60年近くかな。
発掘されたら出版されるかもと期待してたが、さすがにこの量は無理っぽいかなあ。
>>230
人の背ほどの大学ノートが3、4束となると、厚みがJIS規格の81.4g/uと仮定し、「背丈ほど」というのを低めの150cmと見積もって
1束でおよそ24000ページ、少なめに3束としても総計72000ページはくだらないわけで。
さらに「島尾敏雄日記」の表紙カバー写真より判別できる1枚から類推して、1ページあたり24行×30~40字なのがわかる。
ページの6割を字で埋めるとして、そこから出た数字を400字で単純に割ると、原稿用紙にして約91000枚。
これを出版するとしたらどんなもんだろうねえ。
旧全集で発表済みの作品は粗計算して原稿用紙14000枚に届かないんだぜ。作品集と同じ版組だと全130巻以上になっちまう。
>>232 わあ、壮大な計画! 誰かあ、資金のある人やってくれー。
新潮社は島尾敏雄日記で購買層を量りにきたんじゃないかね >>234 そっか。。。 それは言えてるかもね・・。
で、結果はどうなんだろうなあ。
まあ、ダメでしょうなあ・・・。 >>232 全130巻!!
揃えたいですねえ。
電子媒体、打ち込みが大変だったら、
そのままスキャンしてPDF、とかでも無理かしら。
そっちのほうがより雰囲気もあることですし。 ミホさんの飼ってた鸚鵡だかインコだかが、
ひたすら、シマオタイチョー、シマオタイチョー、
って鳴いてた話を思い出した。あれはなんだっけな。
伸三ちゃんのエッセイだったかな。 >>230
断腸亭日乗も1917年-1959年、42年間で岩波から全7巻
>>236
さすがに130巻は誇張かと
島尾の日記も三段組1000ページとかにしたら10巻以内で刊行できるのでは >>239 いよいよ現実的になって参りましたな。
でも、三段組は辛い。せめて2段組500頁くらいで何とか・・・・
新潮社がんばってくれ。 http://www.choeisha.com/sinkan.html
新刊情報|鳥影社
島尾敏雄
岩谷征捷
島尾敏雄自身が「刺激的な励ましの書」と評した著書の『島尾敏雄論』から三十年、研究の集大成として著した渾身の島尾文学論。作家とその妻への深いまなざしが、読む者に静かな感動を呼ぶ一冊。 ここにきて続々出てきてるね。
田中眞人って方の本も去年出てたし。
上原生男氏の「全仕事」は詩業以外も収録されてるのかはわからんけど、島尾論もやってたはずだし。
>>242
さっそく届いた。一篇めの最後の方に「ミホさんの生前、『島尾敏雄日記全集』の計画があったことは確かですが、」とある。
日記全集ももちろん楽しみだが、全集の補巻もどうにかしてほしい。
夢屑、魚雷艇学生は手に入りやすいけど。 >>241
>>242
情報サンクス。注文します。 今月刊行された「コレクション戦争x文学」(9巻)に隊長とミホさんが並んでる
http://www.shueisha.co.jp/war-lite/list/index.html
島尾敏雄 『その夏の今は』『(復員)国破れて』
島尾ミホ 『御跡慕いて』
島尾文学は、地味に根強いファン多いよな。
死後これだけ経過して、まだコンスタントに特集だったり研究書でたりしてるのは凄い。 私にとって、
特攻隊の時期にミホと会って熱愛がどうたら、
その後ミホがぼけてどうたら、とか
そういうイメージしかない作家
これは間違いでしょうね、きっと。
新潮の島尾ミホ伝、連載か〜
分載ならまだ揃える気も起きるが。。。 え、これって手前においてる冊子みたいなやつ、全部閲覧できるの?
もしや、全部直筆? やばいやばい、奄美行きたいよ。いや行かなくちゃ。
文体のリズムで楽しくなってくるよねえ
おれなんか「キチガイを装うこと」もよくやるよ
狂人の真似とて大路を走らば、即ち狂人なりだよぉ 俺は中学生、高校生の頃は狂人に憧れてた。
思ってると身体と精神状態がそうなってくるもんで精神病院に通うことになった。
30年ほど前で、心療内科に通うメンヘラのプチ狂人が流行る前
狂人しかいない精神病院にいると気持ちが落ち着く10代だったよ >>259
>狂人しかいない精神病院にいると気持ちが落ち着く
それまんま「われ深きふちより」だよぉ 地獄の黙示録やシン・レッド・ラインを見ると大戦中の加計呂麻島のイメージがふくらむ 十月くらいから、ミホさんの評伝が新潮で連載中。
知らなかった。買えなかった。単行本化を待つかな。 ミホの沖縄のなんかの朗読を聞いたことがあるんだけど、なんだっけ? 伸三さんの写真ももっと評価されていいと思うよ
吸い込まれそうもの悲しさのある視線は、さすが奄美の血を引いてる感じ
次は、敏雄と伸三の父と子の視線で写真集作ってほしい >>269 いいよね。
主要なエッセイと「中華幻紀」は買った。
文章にも、父の遺伝が確実に感じられる。 シンゾさんと御母堂様の書誌データだれかまとめてくれんかのう
本人のは >>267
おもしろかった。
欲を言えば、写真1葉で1ページ使うぐらいの大きさにして欲しい。
関係者を含めた詳細な年譜がつけてあれば、各本文との対比ができる。
その方が、価格が高くても魅力があるし、売れるんじゃないだろうか? >>272 うちも届いた。写真ちょっと小さすぎるよねー
畑の中で写ってる写真が、すごく家庭的でいい感じ。
めちゃめちゃ死の棘な写真もあるけど。 >>275
ありがとう。
こういう視点も大切だね。 島尾敏雄が、図書館の棚整理をしてたり、貸出作業してたりする姿を想像すると、
ちょっと萌える。まあ、実際の作業は、やってなかったのかな? 日の移ろいを読むと書棚の整理くらいはやっていたかもという感じ 「死の棘」っていうタイトルの本は二冊あるけど
内容はどう違うんでしょう?
初期の方は途中までしか入っていなくて、
後期の方は前冊のぶんも含めた完全版っていうことですか? http://edogawa.schoolweb.ne.jp/weblog/data/1310075/1/v/87665.pdf
島尾敏雄(作家)
『死の棘』で知られる島尾さんは、1954年(昭和29年)から小岩町4丁目に移り住
み、都立高校の非常勤講師としても働いていました。
『「死の棘」日記』には、泉湯やラジウム湯に行ったとか、新中川放水路工事現場まで散歩という記述があります。
小岩図書館が登場する作品もあるそうです。 >>282
いつもそういう催し物行ってみたいと思うんだけど、
なんせ遠いしねえ。さすがに... >>284 言葉が悪くてごめん。
でもそれを言うなら、「日帰り墓参ツアー」の「ツアー」っていう言葉もアレだよね。
文芸文庫の「著者にかわって読者へ」のミホさんの文章は凄い名文ですね。
さきほど読み返してまた感動しました。 国会図書館の近代デジタルライブラリーの公開資料に長崎高等商業学校研究館による1937年刊の
「第3回生徒生計調査報告」というのがあり、それによればその年度の生徒総数は三学年で731名。
島尾の学年では245名で、そのいずれについてみても中学出身者がほぼ八割方を占め、商業学校の
卒業者は残りの二割程度である。この調査報告には自家の所在地という項目があり、兵庫県に自家
を持つものは全学年でわずかに5名。そのうち4名は中学出身者であることから、その残り1人の商業
学校出身者が島尾であるとみて間違いないでせふ。 『南島へ南島から』の序言にミホさんが、島尾敏雄さんが亡くなる一週間前に、
「十年の間、構想を重ねてきた小説が漸く纏まって、書き始めようと思うので、正月になったらミホと一緒に沖縄に行き、ホテルに長期滞在して書きましょう」
「それはこれ迄に世界の何処にも無い、誰も書いたことの無い、全く新しいスタイルの作品です。私のこれ迄の文学はなべて未だし、と思い続けてきましたが、
然し今度の作品が完成出来たら、世界に嘗て無かった、誰も思い及ばぬスタイルの作品になるでしょう、今度は自分でも満足できると思うから、頑張りますよ」
と言っていたと書かれていました。この文章に初めて接した際には、実現しなかったことが惜しい、と思い、しかしすぐに、ミホさんが大袈裟に言っているだけでは?と思い直し、
その後、そんな話も忘れて数年経ちました。そして「狭い体験、静かな風景」という日本読書新聞(S45年3月2日)に掲載されていたインタビューをたまたま読んだところ、
どうやらその構想というのはこれのことでは?という部分を見つけたので引用しておきます。
「それからこれはどうなるのか見当がつきませんが、南の島の小さな部落をひとつ想定して、その中に住むいろいろなひとのことをそれぞれの短編にして書いてみたいなどと思うことがあります。
その場合その部落は近代文明の波がまだほとんど届いていない状況の中に置きたいのです。そこで自分の心の根っこに巣食う人間の属性をあらわしてみたいなどと考えることがありますが、
いつのことになるやら見当もつきません。今のところ「東欧紀行」を書いて、「死の棘」を終えて、とそこまで考えています。」
>>287
もうあと十年生きてくれれば・・ っていう作家の代表格だよね。
ぜひ読んでみたかったです。 >>287
安達征一郎の「小さな島の小さな物語」みたいだね
もっとも安達は自分の出会った人を私小説風に綴ってるわけだけど 『贋学生』読了。 なかなか面白かった。
しかし謎が色々残るね。何より、木乃はいったい何をしたかったんだろう?
妹の事も嘘・・・だよな? >>291
「偽学生」は読んでる間は、出来の良くない散漫な小説だなあ、って感じだけど、
読み終わるといろいろ、どうも自分まで罠にひっかけられたようで、いろいろと疑いたくなるね。
かわった魅力のある作品。 贋学生は、心理描写の面あたり含め文学テクストの研究材料としても面白い作品の
ひとつかもしれない。研究論文も若干あるようだし、文学部の学生さんの卒論テーマにお勧め、みたいなww >>135でお話しした、ミホさん渾身の長篇「海嘯」の連載されていた「海」(1983年1月〜1984年5月)を手に入れました!!
小川国夫×島尾ミホとの対談や、新潮の矢野編集長とも上記作品の「完結」を約束したらしいけれど結局果たせなかったようです。。
嬉しくてカキコ 今週の本棚・この3冊:島尾敏雄=梯久美子・選
毎日新聞 2013年08月11日 東京朝刊
<1>出孤島記(講談社文芸文庫『その夏の今は・夢の中での日常』所収/998円)
<2>死の棘(新潮文庫/882円)
<3>日の移ろい(中公文庫/品切れ)
出孤島記ってその夏の今はまで含むんかな 敏雄さん死後のミホさんの生活ぶりが知りたい。
日の移ろいでは畑仕事してたみたいけど 「死の棘」日記、読み終わって...
久しぶりに「死の棘」再読し始めた。
何年ぶりかな、しんどいけど読まねばならんなw 島尾ミホ伝はまだ単行本にならんのかねえ。
あそこで書かれてるような事が事実とすれば
島尾敏雄はとんでも無い人でなしなんだがな。
ま、小説家なんざ人非人でOKではあるが。
「死の棘」の読まれ方も変わるはずだな。
期待しとるよ、単行本化を。 >>306
305だが。
情報サンクス。
楽しみだ。 305だが。
梯久美子の「狂うひと 死の棘の妻・島尾ミホ」
を買って読み始めた。
素晴らしいね。
女性らしい容赦のなさ、残酷さ、で
吉本隆明や奥野健男のロマンティックで観念的な
島尾夫妻のイメージを斬って捨ててる。
とても論理的で、遺された日記、作品、発言を
丁寧に検証した上での記述だから説得力が違う。
先入観で語られ論じられる島尾敏雄、ミホとは
かなり違う。
島尾敏雄の研究は、新しい次元に入ったね、これで。
吉本隆明、奥野健男の論考で思考停止させられてた
世界が変わらざるを得ない、な。 305だがね。
読んでいて、自分が書いた言葉を意識的に
女性に読ませてその反応を探りまた書いて
ある種の共犯関係に縺れ込ませる……って方法論、
誰かに似てる、と気になってる。
太宰治かなぁ…
島尾が異様なほど記録に拘り、数種の日記を
欠かさず毎日書き、それがかなり事実のまま
手を変え品を変え、小説化されていく。
書いたものは、メモですら廃棄せず
ぜんぶ残してある。
自らが「業が足りない」「小説化してを描く必然的な立場が無い」「もっと犠牲が必要だ」
という島尾の発言はゾッとする怖さがある。
もともと不安定なミホを狂気に追いやるのは簡単だ、
と。それは、小説のネタになる。
ミホも無意識的に島尾と「言葉」によって関係性を保ち、
無意識に求められる女性像を演じて共犯関係に
なってる。
確かに「死の棘」でも、実生活でもやたらと
ミホは島尾に誓約書を書かせる。書かれた「言葉」に
異常に固執しているな。
とにかく、かなり変わった夫婦というか、
ある種の共同作業みたいに見える。
実に面白い本だよ。 たしか相手女性は自殺したと思うが
小倉千加子・上野千鶴子・富岡多恵子は
「男流文学論」で「死の棘」中の島尾の苦悩はポーズに過ぎない
と断言しているが、じっさいのところそうだろう
芥川なら「老獪な偽善者」となじるのかも知れない
この人の女性観はたとえば短篇の「春の日のかげり」でも明らかなように
自分の屈折した心理の対象でしかない、つまり「像」であり「作品」ね
だから倫理的な対象とはなり得ない
ようするに「自分」のプライドが大切なの
で、妻であるミホも海軍大尉島尾敏雄として神格化された「像」をあがめているだけ
そういう悪辣な部分だけが文学として読み応えのあるところかな
まあ、そこら辺の勤め人はそんな事では悩まないし
それを自尊心の根拠とはしない
非常に幼稚だからね >>308
私もその本を読み始めた。
死の棘は火宅の人に似てるなって思ってたら、
島尾さんの愛人は檀一雄が文学を志してる女性が居てるからって
島尾に紹介したらしい。檀一雄も罪な奴だな。
島尾は嫁さんにばれてすぐ別れたけど嫁さん気がふれてしまって、
檀一雄や吉行淳之介の嫁さんは毅然としてるよね。
精神病棟の木の格子から外を見てる島尾と妻の写真が凄みが有って怖いと思った。 吉行淳之介・島尾敏雄・開高健の三人は
親密で仲が良かった。
実はこの三人には共通点がある。
戦争末期/終戦直後の混乱期に
知り合った女と結婚して終生悩まされた点だ。
吉行は遊び上手のイメージがあるが、
結局、死ぬまでの40年間、最初の妻は
離婚に応じなかった。実は不器用な人なんだよ。
開高も一人で杉並の自宅を飛び出して
湘南に別宅を建てたが、妻と娘が追いかけて来て、
風呂トイレ台所付きの書斎を増築して引きこもった。
その妻の悪妻ぶりは有名だが。
島尾敏雄の怖さは、逃げずに妻に向った事だが、
梯久美子の本を読めば、それが島尾の創作と
結び付いてる事が良く分かる。
酷い言い方だが、小説を書くために不倫をし、
妻を狂気に追いやり、ずっと暮らした、とも言える。 吉行淳之介はそれが分かってるから、
島尾について書いたエッセイで
それとなく言及してるね。
「島尾は昔から、奇妙なものにひかれて
近づく傾向があった」云々。
小説を書くためなら、虚構のストーリーを書くのではなくて、むしろ現実を虚構化してネタを生み出す。
太宰治のやり口に近いと思う。
いくら小説の為とは言え、ワザと自分の不倫日記を
精神的に不安定な妻に読ませる、それをネタにする、
ってのはな…
まさしく、小説家だよ、島尾は。 >>315
戦前の私小説作家じゃないんだからw
太宰についてだって、作品のために私生活を云々なんて、いまどき誰も言わないよ。 島尾ミホには離婚する自由があったが、それを行使するには、島尾敏雄の妻という名誉は余りにも?大きかった。
文学かぶれの虚栄心の強い女と、ブサメン作家は似合いの?カップルだからしょうがない。 島尾敏雄は軍人として沖縄に赴任して植民地の女と図らずも結婚した戦後被占領国日本の作家という観点から見なければ。
武田泰淳は埴谷雄高と吉本隆明をinstigateして花田清輝をおとしいれた陰険な男。 武田と花田の敵対関係は割と底深いとおもうんだよな。
昔、新日本文学の座談会でほんの些細な武田の軽いからかいに花田が怒ったことがあったが。 孫のマホの文章もなかなか味があると思う
小説を書ける能力を持ったタイプではないとは思うけど
やっぱいい感性してる 信田さよ子
トークイベント島尾伸三✖梯久美子「『死の棘』の家で起こっていたことー息子の目・作家の目」@ラカグに滑り込みセーフ。
期待通りの内容は両親が生きていたら殴り殺してやりたい読むと腹が立つの
で島尾敏雄・ミホの書いたものは読まない、芸術もいいけど周囲の者の迷惑は計りしれないと。
どな Sunshine(プロトタイプ)
新潮社出版部中瀬部長も10年に一冊出るか…と推していました。
高山正樹
「もし殺人が罪でないなら、あのふたり(両親)をなぶり殺しにしたかった。その気持ちは今も変わりません」
語りたいことはいくらでもあるが、残念ながら時間がない。
ただ島尾伸三という人は、ああ言えばこう言う人。「僕、蝙蝠人間」と、顔の四分の一で笑う伸三さんを思い出した。
ひとつ言い忘れた。
つまりさ、熱心な島尾敏雄ファンを前にして、最も彼らに喜んでもらえる役回りを、伸三さんは演じ切ったのではないか、
そんな気がするのだ。
島尾伸三嫌いを相手にしたら、全く違う話をしたのではないか。だからといってウソではない。真実とは、そんな単純なものではない。
7 Dec 2016 満島ひかり「私自身の本性を自らあばいてやろうと」4年ぶり映画単独主演
スポーツ報知 1/29(日) 5:04
女優の満島ひかり(31)が、映画「海辺の生と死」(越川道夫監督、7月公開)で4年ぶりに単独主演することが28日、分かった。
豊かな表現力を武器に、これまでもさまざまな役を演じてきた満島が、人生観を揺るがすほどの大役にめぐり会った。撮影はすでにクランクアップ。
満島は「この脚本とともに、私自身の本性を自らあばいてやろうと思いました。なんにせよ、一生抱えていかなきゃいけない作品になったと思います」と語る。
満島が演じたのは、戦後文学の一翼を担った島尾敏雄(86年死去、享年69)の妻で、鹿児島・奄美出身の作家・島尾ミホ(07年死去、享年87)。敏雄の私小説「死の棘」では、浮気した夫への情念を狂おしいほどに燃やしていく妻として描かれているが、今作は「死―」
の前日譚(たん)的なストーリー。終戦直前の奄美で出会った2人が恋に落ち、激しい思いをぶつけていくさまが描かれる。「海辺の生と死」というタイトルはミホの随筆から名付けた 最近聖地巡礼というのが流行ってるらしいな
「死の棘」で小岩が詳しく出てきてるから江戸川区も巡礼マップとか作って宣伝すればいいのに
江戸川区が舞台の小説ってそんなにないだろ? ロケ地なんかの聖地巡礼やってるのって
パワースポット巡りやってたスイーツと同じレベルだから 2017年に生誕100年を迎えた作家・島尾敏雄と彼の妻・島尾ミホによる小説をもとにした映画「海辺の生と死」で主演を務めた満島。巻頭を飾る詩のタイトルは「いちばんだけのしりとり」で、
映画の世界観を表現した文章が紡がれている。なお満島が文芸誌に登場するのは今回が初めて。 第39回講談社ノンフィクション賞は20日、梯(かけはし)久美子さんの「狂うひと――『死の棘(とげ)』の妻・島尾ミホ」(新潮社)と、中村計さんの「勝ち過ぎた監督 駒大苫小牧 幻の三連覇」(集英社)に決まった。
第33回講談社エッセイ賞は小泉今日子さんの「黄色いマンション 黒い猫」(スイッチ・パブリッシング)と穂村弘さんの「鳥肌が」(PHP研究所)、
第33回講談社科学出版賞は中川毅さんの「人類と気候の10万年史 過去に何が起きたのか、これから何が起こるのか」(講談社)が選ばれた。副賞は各100万円 新幹線の小島容疑者の本棚に島尾敏雄・井上光晴集があった ネットで島尾敏雄に言及してる人を継続観察していても人間的な面白みや才能がありそうな人はホントいないね WOWOWから録画しておいた映画「海辺の生と死」をやっと観た。
越川さん一流の至誠の抑制や島のリアリティ、満島のすぐれて憑依型の芝居は楽しんだが
トシオとミホを知らない今の若い客は、予備知識なく観た場合、満足できる映画作品になっていたか疑問。
どこまでも緻密に、純粋に、愚直に誠実に撮られ、編集された映画なので越川さん思惑通りの産物かもしれないが、
河瀬直美がストーリー映画を撮ったときのような下手さも感じてしまった。
文学作品の映画化について、越川さんは「映画作家から作品へのラブレター」だと常日頃語っていたが
その子孫たちとも親しい彼に皮膜のような軛がなかったと言えようか。 島尾ミホの『海辺の生と死』を読んだ。たいへん良い読書になった。
それとは関係ないのだが、これまでなぜか読むことのなかった『はまべのうた』が密林から届けば
それも疾く読み上げるつもりだ。
その後に、ここに幾つかのことを書き記していきたい。 戦記物に較べて、「死の棘」がどうにもかったるくて、文体に美点も感ぜず、まだ第二章を終えたところだが
島尾敏雄は軍記物か夢ものだけ書いてたほうが当たりだったのでは?
死の棘のどこが妙なのか、価値なのか、文章の魅力など、読んだ人の感想が聞きたい もうすぐミホさん生誕100年ですね
彼女の作品はもっと読みたかった >>340
細密描写とミホのお説教が恐ろしいながらも滑稽なところだな、ぼくは 「ちっぽけなアヴァンチュール」は実話を元にしてるんだろうか… >>344
最初は「魚雷艇学生」が引き締まってて読みやすく、次に読むものを導いてくれるよ 彼に先導をあずけた私は探険者の不安を背負わなければならない。川の流れ
の浮流物が突然渦巻の中にまきこまれるように道が急に下の方に分れて行く
ところにやって来、私は自分が奇妙な行為の当事者になろうとしていることに
気がつくと、軽い戦慄に襲われた。すると、外部の世界では絶対に弁解のつ
かないあの内部の論理との境界での戦いから生ずるためらいが、醗酵して私を
酔わせはじめるのだ。
島尾敏雄『出孤島記』
戦後世代はその声を、どのように聴くであろうか。以上に見てきたものとは
傾向を異にして、戦争とはある距離を保ち、その中にまきこまれまいと努力
した青年学徒の事例も、もとより少なくないが、その実態はいくつかの行き方
に分けることができるように思う。第一は、あたえられた現実を達観しよう
とする態度である。
吉田満『戦中派の死生観』
重なり過ぎた日は、一つの目的のために準備され、生きてもどることの考えら
れない突入が、その最後の目的として与えられていた。それがまぬかれぬ運
命と思い、その状態に合わせて行くための試みが日々を支えていたにはちがい
ないが、でも心の奥では、その遂行の日が、割けた海の壁のように目の前に
黒々と立ちふさがり、近い日にその海の底に必ずのみこまれ、おそろしい虚無
の中にまきこまれてしまうのだと思わぬ日とてなかった。でも今私を取りま
くすべてのものの運行は、はたとその動きを止めてしまったように見える。
島尾敏雄『出発は遂に訪れず』 でも参謀たちはこの島の無価値なことにはっと気がついたのではないか。だ
からその後の敵状の提供にそっけなくなってしまったにちがいない。真夜中
近くなってやっと連絡があったが、それは特攻戦とは少しも関係のない内容の
ものだ。
島尾敏雄『出発は遂に訪れず』
浴場の方から、にぎやかな笑い声がきこえて来たように思えたからだ。女中
たちが昼間の仕事から解放されてのびのびと湯につかっているのだろうか。
風はぴたりと止んで、鼓膜がへんになるような静けさがあった。
島尾敏雄『出孤島記』