島尾敏雄
>>138
絵は興味がないけど、まほちゃんの文章がすごく素直でかわいい。
それから、シンゾーさんが撮ったちっちゃいころの写真がむちゃくちゃかわいい。 じゃんじゃん文庫化するといいのにね。
岩波文庫とかにははいらないのかしら。 魚雷艇学生が市内の新古書店の棚に100円で置かれてるがいまのとこスルーしてる スルーし続けていて、
ある日、「そうだ、こんどこそ買おう!」と決意して行った瞬間になくなってるよ。
本というものはそうしたもんじゃ。早く買いなさい! 島尾文学は後期の作に向かうにしたがって、徐々に翻訳しにくい文体へと移っているような気がする。
1960〜78年までの「死の棘」でさえサイデンステッカーが訳を諦めたほどなのだから、それ以降の作品となると尚更そうなのでないか。
中期の大江健三郎や古井由吉のような捉えどころのない、しかし主語のはっきりしない文章というわけでもなく、
むしろ端正な部類であるようなのに、修飾過多というのとも違って、いくつもの文節を全体としてのそのリズムを崩さぬように意識しながら、
いや意識していたのかなどわかりようもないが、それでも幾らかの崩れを組み込みながらこわごわとそれらの句や節を組立てて行くような
独特の文体の諧調にわたしのようなものなどはいつしか引き込まれていくようなのだ。
「魚雷艇学生」は一般にそう捉えられるような小説というよりむしろ回想文で、会話がほとんどないうえに、
多くのその種の文章にそうした例が見られるように、頻繁に話が前後して語り手と語られるかつての彼そのものが40年近い歳月の流れのその果てに、
ほとんど別種の視点や意識からかつての事象を眺めるに至ってい、しかしそれほどの隔たりを思わせないほどの細密な描写や説明に、
それを読まされる我々は何か空恐ろしくもなっている。
そのうえそこに描かれる規律や出来事の中の仕組みとでも言えそうなものが、今現在に生きる私たちから見れば、
実に不条理そのものとしか思えないのに、その地続きなはずの一昔前の語りつつある作者自身が、それらの出来事について実に当たり前のように
淡々と筆を進めているそのことさえもどんなにか凄味があるかさえ捉えようもない。 出発は遂に訪れずの頃のがいちばん変な文章だよ
魚雷艇学生とか夢屑の頃はむしろ読みやすいことの方が多いよ
夢のかげを求めてもイカレてた感じだったけど
たぶんそれと並行して日の移ろいみたいな細切れの日記で簡易な文章の書き方のリハビリしたんだと思うよ
今になってみれば 海外でどう翻訳され評価されているのか
ちょっと気になるところだね。 サイデンスティッカーはわざわざ翻訳の許可を貰うために奄美まで来たのに挫折したっていうね。。
ほんとに途中までの訳稿が現存するなら鹿児島県立文学館に探し出してほしい。
島尾敏雄の文体ってほんとうにきれいだよね...
「サンファンアンティグォにて」あたりがかなり読みづらい部類にはいるのかな。
でも美しいけど。。。
島尾敏雄がちゃんとした翻訳で海外で出版されれば、絶対に高く評価されると思う。世界文学だ島尾は。 死の棘は英語にも仏語にも訳されてるね。
シマオトシオ論を書いてる人もいたし、
日本の戦争文学アンソロジーには短篇も入ってるみたいだけど
種村が編んだような幻想的作品を集めて海外で翻訳してもらいたいな。 島尾敏雄、本腰いれて読んでみるか。どうも世襲的な側面があってそれが気になるのだが。
このスレでも親族の話が大半だ。基本島尾文学とは関係ないと思うが。 >>152 いやいや、シンゾーさんは凄いひとです。かけがえのない人格です。
まほちゃんは、シンゾーさんが好きだったら、きっとまほちゃんも好きになると思います。
シンゾーさんの文章は、島尾敏雄直系だよ。いつもなげやりなんだけど、
きらっと光る描写があったりして、ほんとうにさすが!ってところがある。
週刊読書人のシンゾーさんインタビューからの引用です。
http://canpan.info/open/news/0000003274/news_detail.html
脇地 文章の感想を申し上げますと、お父さんの文章に響き合うところがあるような気がしました。例えば
「日暮里を遠ざかるなり信号機の無い踏切ばかりで、それらが暗がりの後方へ逃げて行く様子は、まるで
奈落の底へ突き落されていくざんばら頭の侍、井戸の中へ落ちて行く着物姿の女性のような、溺れて行く
人の哀れな目つきが忘れられなくなるような、何とも寂しいものでした。」という比喩の使い方、的確さ、
また重い主題にもかかわらず「軽さ」を意識したような筆致などがそれです。島尾さんの『夢の中での日常
』など、比較的初期の作品の文体につながるものがあると感じます。
うーんとね、葉篇では「草珊瑚」「笛の音」「きみょちゃんの事」のどれか 「笛の音」は凄いよねえ。恐い。
一応、言っておくと、>>157のあげた作品はすべて、
「硝子障子のシルエット」という一冊の第2部に収録されてます。
司修の装幀がきれいです。 「硝子障子のシルエット」は全体にやや薄味な感じもしたけれど、
まだ一読しかしてないから、再読してみようかな。 4月号すばる
http://subaru.shueisha.co.jp/
買いませう。
特集 トシオの断片(かけら) 今ふりかえる島尾敏雄
過ぎゆくものをとどめたい人々 (しまおまほ)
トシオとミホの思い出をつれづれなるままに・・・ (伸三ちゃん・やさしくて賢い登久子さん・まほちゃん)
「南島通信」を読む 中沢けい
うん買う。
吉本隆明がおなくなりになられました。
吉本の「島尾敏雄」はよい本でした 島尾敏雄「回顧」 から
ひとつの熱い映像が私のまぶたに焼きつけられている。
それは十六年前の秋の日の午後であったか。私と妻は白龍丸のデッキに立ち、
埠頭にはまばらな見送人が倉庫のまえに並んでいた。精神病院からまっすぐ
横浜港に来なければならなかった事情もあって、わたしたちは一等切符を求め
ていたが、船客はほかにたった二人しかいなかった。(中略)
私たちを見送ってくれる人たちの笑っている顔が(笑っていない顔もあったが)
下に見えていた。(中略)庄野と阿川と安岡、奥野と武井、そして吉本隆明が居た。
つづく
つづき
(中略)この人たちが奄美に移り住む私を送ってくれる!と思っていたけれど、
なぜか冥途からこの世を名残り見る思いになっていた。私の目には光も熱も感じら
れず、ネガのフィルムの中で友の笑っている顔が見えていた。テープがいくつか投
げられたのだったか。でもいっこうにうまくつかめない。
と吉本が丸窓に足をかけ、船腹をつたって私たちの居る甲板によじのぼろうとした。
ほんとうにどうやってのぼってきたろう。繋ぎ綱がさがっていてそれにつかまり、
船腹に足をかけてあがってきたのか。出港合図の汽笛も鳴っていて、危ない!
と声を出そうとしたとき、彼は手すり越に私にテープのいくつかを手渡していた。
まぢかに彼のあつい皮膚の顔を見た。私は胸のあたりがたちさわぐのを覚えた。
彼はすぐにのぼって来たようにおりて行ったけれど。
しんぞちゃん、神戸の同人誌に文章発表しまくってたんだな。
けっこう書くの嫌いがってた気がしたが、そうゆうポーズなだけ? >>166 神戸の同人誌? へえ、知らなかった。もうちょっと詳しくお願いします。
ポーズというよりか、、、文章の限界を知ってしまっているんじゃないかな...
しんぞちゃんの文章、丹念に読むと、むっちゃくちゃ表現がうまい。あんな文章、ぜったい書けない。 遅ればせながら「夢屑」読んでるんだが、、、凄すぎ。いま「水郷へ」を読み終わって、ぼんやりしているところ。
ずっとずっと読んでいたい感じだな。まず「マホを辿って」から読み始めたんだけど、読みながらうるっときた。 >>167
神戸外大時代の敏雄の教え子さんたちがやってるタクラマカンって同人誌
同人一覧に島尾伸三の名があったのさ
で、けっこう寄稿しているかんじだった ブログ。
大震災と大津波がもたらした犠牲者たちを追悼するための式典やテレビとラジオの特別番組は、
結局のところ、情緒一辺倒に終始してしまい、悲しみと優しさと癒しと、
励ましと誓いに塗り込められ、そのなかにどっぷりと埋没し、どこか自己満足に似て、
けっしてそれ以上のものになり得なかったのは残念至極です。
じゃあ、マルちゃん自身が主催者だったら、どうしたかったんだ?
これ以外に、どのような方法があったんだ?
具体的なヴィジョンを示してくれ。 ↑丸山健二スレに投稿したつもりが、間違えた。
島尾さん、すみません.. 島尾ミホ朗読 奄美の民話『鬼と四人の子ら』
http://www.youtube.com/watch?v=DS-pqHdiIb4
>島尾敏雄『東北と奄美の昔ばなし』創樹社刊(1973年) 付録レコードより録音
>◎朗読:島尾ミホ ◎採話:島尾敏雄 ◎本文カット:島尾伸三
>古本屋でみつけた宝物です。ミホさんの声、やさしいですね。和みます...
途中、本文にない子守唄もうたっています。すばらしい。 2:15 ˜
>※本文対訳を掲載しました。どうぞ全画面表示でご覧ください。
>(読み取れない箇所などございましたら、コメント欄にてお答えいたします)。 わーこれ聴きたいけど再生機器がなかってん!ほんにあんがとー >>172 up主です。さっそく貼ってくださってありがとう。
自分で貼るのもなあ、と思ってたところです。
神田の玉英堂で買いました。
>>174
島尾敏雄さんでYouTube検索したら思わぬ宝物を発見できて思わず貼ってしまいました。
YouTubeにも島尾敏雄さん関連の動画があまりなくて寂しいですよね。
素晴らしいデータのアップロード本当にありがとうございました。 >>175 これからも丹念に探せば、まだまだ貴重な宝物が発掘されるのでしょうね...
余談ですが、先日、NHK-FMで内田百閧フインタビュー番組が放送されたのには驚きました。
喜び勇んで、録音してYou Tubeにアップしましたので、ご興味がおありでしたらご覧ください。
ところで、ミホさんの朗読、レコードの回転数は正しいのでしょうか?
若干、声が高すぎるような気もしないでもない.. 33+1/3回転なので、合ってるはずなのですが...
祖母の家で四十年ちかく埃をかぶっていたレコード機械を取り出して再生してみたので、
いまいち自信がありません、すみません。 NHKでやった(らしい)島尾敏雄と小島信夫の作文談義なんかも聴いてみたい。
ちゃんとジュシンリョウ払ってるんだから公開してぽよ。 沖縄にロシアはない
奄美にはロシアがある
この違いは奄美と沖縄の輝きの違い うーん、ドルチェ見たいんだけど、DVDが5040円なんだよね...
島尾敏雄全集も欲しいと思ってるところだし、お小遣いためなくっちゃ。 >>178 小島信夫の作文談義?
聴きたい! 再放送してぽよ。 『夢屑』所収「幼女」の卵やきの下りが大好きなんだが...
小学2年生のミユカとのやりとりがかわいすぎる。
これ↓
でもまだ小学二年生の彼女が、ひたいと目もとそして唇のへんや頬のあたりに
いたずらっぽい微笑をただよわせ、廊下のガラス戸にその顔のなにもかもべっ
たり押しつけて、「おじちゃーん」と甘えながらあらわれると、私は抗いよう
なく彼女を迎え入れてしまうのだった。廊下に腰かけ、だっこしながらおしゃ
べりをきいてやったり、毬をつくのをながめたり、また気ままに遊ぶままにさ
せておいたり、四、五メートル先から走ってとびついてくるのをしっかり受け
とめてやるとびつきっこの遊び。時には御馳走をつくって食べさせもした。卵
焼きとパパイヤが好物であった。「卵焼きをつくろうか」と言うと、目をかが
やかせて喜んだ。「うん」「卵を二つもいれようか」「うんうん」「ええいっ、
三つにしちゃおう」「うんうんうん」。私は彼女をうすぐらいくりやにつれて
行く。「そこに坐っておいで」。彼女はまるくて思いのほかに太いひざ小僧を
二つならべて待つ。私が石油焜炉に火をつけ、フライパンに卵を三つもかき割
って大きな卵焼きをつくるのを、はずむような喜びをからだいっぱいにあらわ
しながら待っている。そしてときどき目をあげて私に笑いかけながら大きな卵
焼きをすっかりたいらげるミユカを、見ている私も言いようのない喜びに満た
されてきたのだった。食べ終われば肩車をして家の中を歩きまわると、はしゃ
いで私の頭をしっかりかかえこむ。しなやかな、しかしよごれた幼い手が時に
わたしの目を覆ってしまい、にわかめくらになった私があらぬ方に歩いて行っ
たりしたのだった。彼女には物おじがなく、遊びの中でもかえって私を誘うよ
うな気配も見せ、ミユカの来ない日は寂しい思いをした。 「卵焼きをつくろうか」「うん」
「卵を二つもいれようか」「うんうん」
「ええいっ、三つにしちゃおう」「うんうんうん」
wwwww >>176 後期の短篇「痣」に、
(妻は)人より一廻りも高い、耳をくすぐるような声でなお何か言いながら、たがて階段を上がってくる足音が聞こえてきた。
ってある。「耳をくすぐるような声」、そのとおりじゃのう。
映画のビデオの最初の「マヤー」って声が、なんか透き通るようで神秘的。 「ドルチェ」「昔ばなし」のほか、以下で、ミホさんの声が聴けるそうです。
カセット文庫「母を語る」〜ラジオ深夜便より〜(NHK)
ふるべゆらゆら/柴田南雄作品集(フォンテック,CD)
柴田南雄のほうは簡単に入手できそうですが、カセット文庫はなかなか手強い。 カセットかあw
島尾敏雄の声も聞いてみたいもんだなあ 「ボクは今日お父さんとお散歩に行きましたマル」
と小学生が書いたら綴り方。
「私は今日息子と散歩に行った。楽しかった・・・」
と大人が書いたら私小説。
>日本文学といえば島尾
冗談じゃねえよ、阿呆。(嗤) >>191 島尾敏雄はそういう部類の私小説じゃないです。
目指すところがぜんぜんちがう。 フランスで思い出したが仏海外県マルティニークって奄美くらいの大きさだよね。
砂糖島であった歴史も近い。 >>182-183
ミユカってカイエの1978年12月号の島尾敏雄撮影「図書館の日曜日」に出てくる子かな
かわいい外人の女の子って感じ
てか短いから読んでみたが際どすぎるね
いつミホ様がキレ出すか心配しながら読んだのによ >>194 せっかくだから、「夢屑」全編読んでみて。
「マホを辿って」泣けるよ。 どんな作家でも私小説的な、単なる身辺雑記のようなものではなくて、過去の一時期を切り取ったような作品をものしているとは思うけれども
私小説の題材にすることを許されている一瞬というか一時期というかね、そういうものが誰にでも一つや二つはあるのだろうと思うのだけれども
島尾敏雄は特に私小説とすることを許されているそうした過去を数多く持っていると思うね
まあ病妻ものが続いた時期は、読者評者もさすがに辟易とすることもあったであろうが、しかし劇的な人生だと言えるだろうね
非常に俗世間的な欲望というのもその内にあるようにも思えるのだけれども、そのことを恥ずかしいと思うような感受自体も備わっているようなところが
やはりいいんだね
自分の非常に尊敬する、ある分野での大家のような人がこんなことを、だいぶうろ覚えだが言っていたんだが
つまり夏目漱石が明治を体現した明治の作家であるとすれば、昭和のそれは島尾敏雄であるというようなことをね
まあ個人的には明治の漱石に対応する昭和の作家は三島由紀夫か小島信夫だろうとも思うのだけれども
しかし漱石の「則天去私」の境地は、島尾の言うなれば「則妻去私」に似ていなくもないなどとも思うよ
島尾の場合、晩年は尚そこから逃れ出ようという苦闘の後さえうかがわれるのが、ちょっとおもしろいんだね
三島由紀夫と島尾敏雄を同時に愛せるひとなんているのかな。
まったく両極だとおもうけど。 島尾敏雄は男脳には響くよね
女性でもファンを自称するのは女脳じゃなく男脳じゃないかな >>196
>夏目漱石が明治を体現した明治の作家であるとすれば、昭和のそれは島尾敏雄である
それって吉本りゅうめいじゃない? 昭和って元年から63年まである。
途中に戦争と敗戦革命があってインフラ革命があって情報革命がある。
体現している作家なんているわけないだろ。
バカ。 初期大江にとっての戦争は朝鮮戦争だもんな
実業親分たちがアメリカナイジングの道をあるってたじだい インテリ系の人々にとっちゃ逆にマルッススしゅぎが力があった時代か(
こっちは良く知らないのだった >>203
うむ。戦前/戦中/戦後の総ての相に適応不全起こしてたうちの一人というのがしっくりくる。 遺骨調査:君よ、いずこに 太平洋戦争で撃墜の米兵の遺骨調査−−加計呂麻島 /鹿児島
毎日新聞 4月18日(水)15時2分配信
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20120418-00000176-mailo-l46 >>208 ここで、天界の島尾敏雄が新版『死者の軍隊の将軍』を書き始める....
島尾敏雄は東欧が好きだし、カダレとは案外気があうかもしれない。 >>208
>MIAによると、ウイットレッジ少尉は45年4月5日、加計呂麻島上空で戦闘中、搭乗機が撃墜され、死亡したという。
>当時、同島呑之浦に駐屯していた日本軍の隊長で作家の故島尾敏雄さんが、「敵兵といえども死ねば同じ神の子」と、遺体を呑之浦集落共同墓地に埋葬したらしい。
「私がヤストミさんのあと、部落長になってからのことですが……」そう前置きして、
この島にも進駐してきたアメリカ人たちが、粗末な埋葬に言いがかりをつけたあと、
埋葬場所の土をたんねんにふるいにかけて、遺骨をあまさず収容して持ち去ったことを話した。
(「廃址」昭和三十四年十月) >>210
それ、原本持ってるならコピーでも取って教えてあげたら?
今ならメールですぐ送ることもできるんだし >>211
MIA(未帰還兵)ハンターズ来館
戦場で行方不明となった未帰還兵(MIA)の遺骨や遺品を調査探索する米国の民間団体「MIAハンターズ」が来館されました。
奄美図書館での調査の目的は,「戦時中の米軍政府の記録を検証する」というものでした。
残念ながら,奄美図書館に所蔵している米国公文書館の資料では,遺骨・遺品の調査に関係する文書は見つかりませんでした。
しかし,「死亡した米軍海兵隊航空兵ノーマン・ウィットレッジ少尉を共同墓地に埋葬した」ことや,
後日「進駐してきたアメリカ人が埋葬場所の土を丹念にふるいにかけて骨片をあまさず収容して持ち去った」ことなどが,
島尾の戦争小説集『出孤島記』の「夜の匂い」と「廃址」に書かれていることなどについて,情報提供することが出来ました。
ハンターズの方々も,島尾敏雄の小説にそのように具体的に記述されていることはご存じなかったようで,大変喜んでお帰りになりました。
せっかくの調査ですので,何等かの収穫が得られることをお祈りしながら,見送ることでした。
今回の調査隊受入をとおして,記録すること,それを保存することの大切さを改めて実感しました。 ていうか「夜の匂い」に「Noman Witledge」って固有名出てきてたな
ニュース見るまでは普通にフィクションだろーと思ってたが ちゃんとした全集出ないのかしら
やっぱり新潮社になるのでしょうね >>215
でも他の某作家は没後30年にも生誕100周年にもなんも無かったんだぜ?
あの本の復刊や完全全集の企画もなーんも、無し。
文芸文庫の増刷や文芸誌での軽い特集があったくらいか。
と、思って調べてみたら同じ年生まれの批評家なんかは新装版著作集が出てたりしてるね。
思いつくかぎりだと決定版全集や作品集成は節目あたりで出るのが多いしそうなのかも。
でも、そうじゃないかも。 @ 1911年以前生まれで1981年以前に逝去されている作家で
A 講談社文芸文庫に入ってる
B かつ、完全版全集が未だ無く
C 同じく1911年以前に生まれた批評家には新装版著作集が出ている
本多秋五に新装版著作集があれば藤枝静男かと思ったが、1993年没なんだよな
Cが小林秀雄とすれば他をすべて満たすのは上林暁か? 関係ないけどことし檀一雄の生誕100周年で、福岡でいろいろ催されてたみたいよ
昨日も花逢忌だったらしいし かなり遅ればせながら「すばる」読んだけど、良かった。
特に三人の対談ね。ああいう家庭にそだったシンゾーさんが
「優しい登久子さん」と作り上げた家庭のあたたかさが、しみじみと伝わてきて。
まほちゃんは幸せだね。 図書館に行ったら貸出されてたんだよなあ
読みたいのだけど 買った。
桐野夏生の講演録が掲載されてる新潮も買おうと思ったがプレミアついてて高かった。
文芸誌系は気付いたらすぐ買っておかないとだなあ
こんな高いのは太宰っぽい芸人さんと由吉っつぁんが対談してるせいだー
かれもアマミーって噂を聞いた。加計呂麻じゃなかったかな。 死の棘の映画がどのビデオレンタルにもないし、買おうとしたらDVDは11万円もするし、VHSは機器が無いしで諦めていたら最近は 桐野夏生の講演が載ってる新潮がようやく読めたんだけど、
敏雄の日記、人の背丈ぐらいまで積み上げた大学ノートが3・4柱分もあったらしいね。
アミエルの日記が1839年-1881年、42年間で17,000ページ
ヴァレリーのカイエは1894年-1945年で51年間で26,000ページ
島尾の日記は小学校高学年から死ぬまでだからまぁ60年近くかな。
発掘されたら出版されるかもと期待してたが、さすがにこの量は無理っぽいかなあ。
>>230
人の背ほどの大学ノートが3、4束となると、厚みがJIS規格の81.4g/uと仮定し、「背丈ほど」というのを低めの150cmと見積もって
1束でおよそ24000ページ、少なめに3束としても総計72000ページはくだらないわけで。
さらに「島尾敏雄日記」の表紙カバー写真より判別できる1枚から類推して、1ページあたり24行×30~40字なのがわかる。
ページの6割を字で埋めるとして、そこから出た数字を400字で単純に割ると、原稿用紙にして約91000枚。
これを出版するとしたらどんなもんだろうねえ。
旧全集で発表済みの作品は粗計算して原稿用紙14000枚に届かないんだぜ。作品集と同じ版組だと全130巻以上になっちまう。
>>232 わあ、壮大な計画! 誰かあ、資金のある人やってくれー。
新潮社は島尾敏雄日記で購買層を量りにきたんじゃないかね >>234 そっか。。。 それは言えてるかもね・・。
で、結果はどうなんだろうなあ。
まあ、ダメでしょうなあ・・・。 >>232 全130巻!!
揃えたいですねえ。
電子媒体、打ち込みが大変だったら、
そのままスキャンしてPDF、とかでも無理かしら。
そっちのほうがより雰囲気もあることですし。 ミホさんの飼ってた鸚鵡だかインコだかが、
ひたすら、シマオタイチョー、シマオタイチョー、
って鳴いてた話を思い出した。あれはなんだっけな。
伸三ちゃんのエッセイだったかな。