島尾敏雄
>>176 後期の短篇「痣」に、
(妻は)人より一廻りも高い、耳をくすぐるような声でなお何か言いながら、たがて階段を上がってくる足音が聞こえてきた。
ってある。「耳をくすぐるような声」、そのとおりじゃのう。
映画のビデオの最初の「マヤー」って声が、なんか透き通るようで神秘的。 「ドルチェ」「昔ばなし」のほか、以下で、ミホさんの声が聴けるそうです。
カセット文庫「母を語る」〜ラジオ深夜便より〜(NHK)
ふるべゆらゆら/柴田南雄作品集(フォンテック,CD)
柴田南雄のほうは簡単に入手できそうですが、カセット文庫はなかなか手強い。 カセットかあw
島尾敏雄の声も聞いてみたいもんだなあ 「ボクは今日お父さんとお散歩に行きましたマル」
と小学生が書いたら綴り方。
「私は今日息子と散歩に行った。楽しかった・・・」
と大人が書いたら私小説。
>日本文学といえば島尾
冗談じゃねえよ、阿呆。(嗤) >>191 島尾敏雄はそういう部類の私小説じゃないです。
目指すところがぜんぜんちがう。 フランスで思い出したが仏海外県マルティニークって奄美くらいの大きさだよね。
砂糖島であった歴史も近い。 >>182-183
ミユカってカイエの1978年12月号の島尾敏雄撮影「図書館の日曜日」に出てくる子かな
かわいい外人の女の子って感じ
てか短いから読んでみたが際どすぎるね
いつミホ様がキレ出すか心配しながら読んだのによ >>194 せっかくだから、「夢屑」全編読んでみて。
「マホを辿って」泣けるよ。 どんな作家でも私小説的な、単なる身辺雑記のようなものではなくて、過去の一時期を切り取ったような作品をものしているとは思うけれども
私小説の題材にすることを許されている一瞬というか一時期というかね、そういうものが誰にでも一つや二つはあるのだろうと思うのだけれども
島尾敏雄は特に私小説とすることを許されているそうした過去を数多く持っていると思うね
まあ病妻ものが続いた時期は、読者評者もさすがに辟易とすることもあったであろうが、しかし劇的な人生だと言えるだろうね
非常に俗世間的な欲望というのもその内にあるようにも思えるのだけれども、そのことを恥ずかしいと思うような感受自体も備わっているようなところが
やはりいいんだね
自分の非常に尊敬する、ある分野での大家のような人がこんなことを、だいぶうろ覚えだが言っていたんだが
つまり夏目漱石が明治を体現した明治の作家であるとすれば、昭和のそれは島尾敏雄であるというようなことをね
まあ個人的には明治の漱石に対応する昭和の作家は三島由紀夫か小島信夫だろうとも思うのだけれども
しかし漱石の「則天去私」の境地は、島尾の言うなれば「則妻去私」に似ていなくもないなどとも思うよ
島尾の場合、晩年は尚そこから逃れ出ようという苦闘の後さえうかがわれるのが、ちょっとおもしろいんだね
三島由紀夫と島尾敏雄を同時に愛せるひとなんているのかな。
まったく両極だとおもうけど。 島尾敏雄は男脳には響くよね
女性でもファンを自称するのは女脳じゃなく男脳じゃないかな >>196
>夏目漱石が明治を体現した明治の作家であるとすれば、昭和のそれは島尾敏雄である
それって吉本りゅうめいじゃない? 昭和って元年から63年まである。
途中に戦争と敗戦革命があってインフラ革命があって情報革命がある。
体現している作家なんているわけないだろ。
バカ。 初期大江にとっての戦争は朝鮮戦争だもんな
実業親分たちがアメリカナイジングの道をあるってたじだい インテリ系の人々にとっちゃ逆にマルッススしゅぎが力があった時代か(
こっちは良く知らないのだった >>203
うむ。戦前/戦中/戦後の総ての相に適応不全起こしてたうちの一人というのがしっくりくる。 遺骨調査:君よ、いずこに 太平洋戦争で撃墜の米兵の遺骨調査−−加計呂麻島 /鹿児島
毎日新聞 4月18日(水)15時2分配信
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20120418-00000176-mailo-l46 >>208 ここで、天界の島尾敏雄が新版『死者の軍隊の将軍』を書き始める....
島尾敏雄は東欧が好きだし、カダレとは案外気があうかもしれない。 >>208
>MIAによると、ウイットレッジ少尉は45年4月5日、加計呂麻島上空で戦闘中、搭乗機が撃墜され、死亡したという。
>当時、同島呑之浦に駐屯していた日本軍の隊長で作家の故島尾敏雄さんが、「敵兵といえども死ねば同じ神の子」と、遺体を呑之浦集落共同墓地に埋葬したらしい。
「私がヤストミさんのあと、部落長になってからのことですが……」そう前置きして、
この島にも進駐してきたアメリカ人たちが、粗末な埋葬に言いがかりをつけたあと、
埋葬場所の土をたんねんにふるいにかけて、遺骨をあまさず収容して持ち去ったことを話した。
(「廃址」昭和三十四年十月) >>210
それ、原本持ってるならコピーでも取って教えてあげたら?
今ならメールですぐ送ることもできるんだし >>211
MIA(未帰還兵)ハンターズ来館
戦場で行方不明となった未帰還兵(MIA)の遺骨や遺品を調査探索する米国の民間団体「MIAハンターズ」が来館されました。
奄美図書館での調査の目的は,「戦時中の米軍政府の記録を検証する」というものでした。
残念ながら,奄美図書館に所蔵している米国公文書館の資料では,遺骨・遺品の調査に関係する文書は見つかりませんでした。
しかし,「死亡した米軍海兵隊航空兵ノーマン・ウィットレッジ少尉を共同墓地に埋葬した」ことや,
後日「進駐してきたアメリカ人が埋葬場所の土を丹念にふるいにかけて骨片をあまさず収容して持ち去った」ことなどが,
島尾の戦争小説集『出孤島記』の「夜の匂い」と「廃址」に書かれていることなどについて,情報提供することが出来ました。
ハンターズの方々も,島尾敏雄の小説にそのように具体的に記述されていることはご存じなかったようで,大変喜んでお帰りになりました。
せっかくの調査ですので,何等かの収穫が得られることをお祈りしながら,見送ることでした。
今回の調査隊受入をとおして,記録すること,それを保存することの大切さを改めて実感しました。 ていうか「夜の匂い」に「Noman Witledge」って固有名出てきてたな
ニュース見るまでは普通にフィクションだろーと思ってたが ちゃんとした全集出ないのかしら
やっぱり新潮社になるのでしょうね >>215
でも他の某作家は没後30年にも生誕100周年にもなんも無かったんだぜ?
あの本の復刊や完全全集の企画もなーんも、無し。
文芸文庫の増刷や文芸誌での軽い特集があったくらいか。
と、思って調べてみたら同じ年生まれの批評家なんかは新装版著作集が出てたりしてるね。
思いつくかぎりだと決定版全集や作品集成は節目あたりで出るのが多いしそうなのかも。
でも、そうじゃないかも。 @ 1911年以前生まれで1981年以前に逝去されている作家で
A 講談社文芸文庫に入ってる
B かつ、完全版全集が未だ無く
C 同じく1911年以前に生まれた批評家には新装版著作集が出ている
本多秋五に新装版著作集があれば藤枝静男かと思ったが、1993年没なんだよな
Cが小林秀雄とすれば他をすべて満たすのは上林暁か? 関係ないけどことし檀一雄の生誕100周年で、福岡でいろいろ催されてたみたいよ
昨日も花逢忌だったらしいし かなり遅ればせながら「すばる」読んだけど、良かった。
特に三人の対談ね。ああいう家庭にそだったシンゾーさんが
「優しい登久子さん」と作り上げた家庭のあたたかさが、しみじみと伝わてきて。
まほちゃんは幸せだね。 図書館に行ったら貸出されてたんだよなあ
読みたいのだけど 買った。
桐野夏生の講演録が掲載されてる新潮も買おうと思ったがプレミアついてて高かった。
文芸誌系は気付いたらすぐ買っておかないとだなあ
こんな高いのは太宰っぽい芸人さんと由吉っつぁんが対談してるせいだー
かれもアマミーって噂を聞いた。加計呂麻じゃなかったかな。 死の棘の映画がどのビデオレンタルにもないし、買おうとしたらDVDは11万円もするし、VHSは機器が無いしで諦めていたら最近は 桐野夏生の講演が載ってる新潮がようやく読めたんだけど、
敏雄の日記、人の背丈ぐらいまで積み上げた大学ノートが3・4柱分もあったらしいね。
アミエルの日記が1839年-1881年、42年間で17,000ページ
ヴァレリーのカイエは1894年-1945年で51年間で26,000ページ
島尾の日記は小学校高学年から死ぬまでだからまぁ60年近くかな。
発掘されたら出版されるかもと期待してたが、さすがにこの量は無理っぽいかなあ。
>>230
人の背ほどの大学ノートが3、4束となると、厚みがJIS規格の81.4g/uと仮定し、「背丈ほど」というのを低めの150cmと見積もって
1束でおよそ24000ページ、少なめに3束としても総計72000ページはくだらないわけで。
さらに「島尾敏雄日記」の表紙カバー写真より判別できる1枚から類推して、1ページあたり24行×30~40字なのがわかる。
ページの6割を字で埋めるとして、そこから出た数字を400字で単純に割ると、原稿用紙にして約91000枚。
これを出版するとしたらどんなもんだろうねえ。
旧全集で発表済みの作品は粗計算して原稿用紙14000枚に届かないんだぜ。作品集と同じ版組だと全130巻以上になっちまう。
>>232 わあ、壮大な計画! 誰かあ、資金のある人やってくれー。
新潮社は島尾敏雄日記で購買層を量りにきたんじゃないかね >>234 そっか。。。 それは言えてるかもね・・。
で、結果はどうなんだろうなあ。
まあ、ダメでしょうなあ・・・。 >>232 全130巻!!
揃えたいですねえ。
電子媒体、打ち込みが大変だったら、
そのままスキャンしてPDF、とかでも無理かしら。
そっちのほうがより雰囲気もあることですし。 ミホさんの飼ってた鸚鵡だかインコだかが、
ひたすら、シマオタイチョー、シマオタイチョー、
って鳴いてた話を思い出した。あれはなんだっけな。
伸三ちゃんのエッセイだったかな。 >>230
断腸亭日乗も1917年-1959年、42年間で岩波から全7巻
>>236
さすがに130巻は誇張かと
島尾の日記も三段組1000ページとかにしたら10巻以内で刊行できるのでは >>239 いよいよ現実的になって参りましたな。
でも、三段組は辛い。せめて2段組500頁くらいで何とか・・・・
新潮社がんばってくれ。 http://www.choeisha.com/sinkan.html
新刊情報|鳥影社
島尾敏雄
岩谷征捷
島尾敏雄自身が「刺激的な励ましの書」と評した著書の『島尾敏雄論』から三十年、研究の集大成として著した渾身の島尾文学論。作家とその妻への深いまなざしが、読む者に静かな感動を呼ぶ一冊。 ここにきて続々出てきてるね。
田中眞人って方の本も去年出てたし。
上原生男氏の「全仕事」は詩業以外も収録されてるのかはわからんけど、島尾論もやってたはずだし。
>>242
さっそく届いた。一篇めの最後の方に「ミホさんの生前、『島尾敏雄日記全集』の計画があったことは確かですが、」とある。
日記全集ももちろん楽しみだが、全集の補巻もどうにかしてほしい。
夢屑、魚雷艇学生は手に入りやすいけど。 >>241
>>242
情報サンクス。注文します。 今月刊行された「コレクション戦争x文学」(9巻)に隊長とミホさんが並んでる
http://www.shueisha.co.jp/war-lite/list/index.html
島尾敏雄 『その夏の今は』『(復員)国破れて』
島尾ミホ 『御跡慕いて』
島尾文学は、地味に根強いファン多いよな。
死後これだけ経過して、まだコンスタントに特集だったり研究書でたりしてるのは凄い。 私にとって、
特攻隊の時期にミホと会って熱愛がどうたら、
その後ミホがぼけてどうたら、とか
そういうイメージしかない作家
これは間違いでしょうね、きっと。
新潮の島尾ミホ伝、連載か〜
分載ならまだ揃える気も起きるが。。。 え、これって手前においてる冊子みたいなやつ、全部閲覧できるの?
もしや、全部直筆? やばいやばい、奄美行きたいよ。いや行かなくちゃ。
文体のリズムで楽しくなってくるよねえ
おれなんか「キチガイを装うこと」もよくやるよ
狂人の真似とて大路を走らば、即ち狂人なりだよぉ 俺は中学生、高校生の頃は狂人に憧れてた。
思ってると身体と精神状態がそうなってくるもんで精神病院に通うことになった。
30年ほど前で、心療内科に通うメンヘラのプチ狂人が流行る前
狂人しかいない精神病院にいると気持ちが落ち着く10代だったよ >>259
>狂人しかいない精神病院にいると気持ちが落ち着く
それまんま「われ深きふちより」だよぉ 地獄の黙示録やシン・レッド・ラインを見ると大戦中の加計呂麻島のイメージがふくらむ 十月くらいから、ミホさんの評伝が新潮で連載中。
知らなかった。買えなかった。単行本化を待つかな。 ミホの沖縄のなんかの朗読を聞いたことがあるんだけど、なんだっけ? 伸三さんの写真ももっと評価されていいと思うよ
吸い込まれそうもの悲しさのある視線は、さすが奄美の血を引いてる感じ
次は、敏雄と伸三の父と子の視線で写真集作ってほしい >>269 いいよね。
主要なエッセイと「中華幻紀」は買った。
文章にも、父の遺伝が確実に感じられる。 シンゾさんと御母堂様の書誌データだれかまとめてくれんかのう
本人のは >>267
おもしろかった。
欲を言えば、写真1葉で1ページ使うぐらいの大きさにして欲しい。
関係者を含めた詳細な年譜がつけてあれば、各本文との対比ができる。
その方が、価格が高くても魅力があるし、売れるんじゃないだろうか? >>272 うちも届いた。写真ちょっと小さすぎるよねー
畑の中で写ってる写真が、すごく家庭的でいい感じ。
めちゃめちゃ死の棘な写真もあるけど。 >>275
ありがとう。
こういう視点も大切だね。 島尾敏雄が、図書館の棚整理をしてたり、貸出作業してたりする姿を想像すると、
ちょっと萌える。まあ、実際の作業は、やってなかったのかな? 日の移ろいを読むと書棚の整理くらいはやっていたかもという感じ 「死の棘」っていうタイトルの本は二冊あるけど
内容はどう違うんでしょう?
初期の方は途中までしか入っていなくて、
後期の方は前冊のぶんも含めた完全版っていうことですか? http://edogawa.schoolweb.ne.jp/weblog/data/1310075/1/v/87665.pdf
島尾敏雄(作家)
『死の棘』で知られる島尾さんは、1954年(昭和29年)から小岩町4丁目に移り住
み、都立高校の非常勤講師としても働いていました。
『「死の棘」日記』には、泉湯やラジウム湯に行ったとか、新中川放水路工事現場まで散歩という記述があります。
小岩図書館が登場する作品もあるそうです。 >>282
いつもそういう催し物行ってみたいと思うんだけど、
なんせ遠いしねえ。さすがに... >>284 言葉が悪くてごめん。
でもそれを言うなら、「日帰り墓参ツアー」の「ツアー」っていう言葉もアレだよね。
文芸文庫の「著者にかわって読者へ」のミホさんの文章は凄い名文ですね。
さきほど読み返してまた感動しました。 国会図書館の近代デジタルライブラリーの公開資料に長崎高等商業学校研究館による1937年刊の
「第3回生徒生計調査報告」というのがあり、それによればその年度の生徒総数は三学年で731名。
島尾の学年では245名で、そのいずれについてみても中学出身者がほぼ八割方を占め、商業学校の
卒業者は残りの二割程度である。この調査報告には自家の所在地という項目があり、兵庫県に自家
を持つものは全学年でわずかに5名。そのうち4名は中学出身者であることから、その残り1人の商業
学校出身者が島尾であるとみて間違いないでせふ。