どんな作家でも私小説的な、単なる身辺雑記のようなものではなくて、過去の一時期を切り取ったような作品をものしているとは思うけれども
私小説の題材にすることを許されている一瞬というか一時期というかね、そういうものが誰にでも一つや二つはあるのだろうと思うのだけれども

島尾敏雄は特に私小説とすることを許されているそうした過去を数多く持っていると思うね
まあ病妻ものが続いた時期は、読者評者もさすがに辟易とすることもあったであろうが、しかし劇的な人生だと言えるだろうね

非常に俗世間的な欲望というのもその内にあるようにも思えるのだけれども、そのことを恥ずかしいと思うような感受自体も備わっているようなところが
やはりいいんだね

自分の非常に尊敬する、ある分野での大家のような人がこんなことを、だいぶうろ覚えだが言っていたんだが
つまり夏目漱石が明治を体現した明治の作家であるとすれば、昭和のそれは島尾敏雄であるというようなことをね

まあ個人的には明治の漱石に対応する昭和の作家は三島由紀夫か小島信夫だろうとも思うのだけれども
しかし漱石の「則天去私」の境地は、島尾の言うなれば「則妻去私」に似ていなくもないなどとも思うよ
島尾の場合、晩年は尚そこから逃れ出ようという苦闘の後さえうかがわれるのが、ちょっとおもしろいんだね