『南島へ南島から』の序言にミホさんが、島尾敏雄さんが亡くなる一週間前に、

 「十年の間、構想を重ねてきた小説が漸く纏まって、書き始めようと思うので、正月になったらミホと一緒に沖縄に行き、ホテルに長期滞在して書きましょう」
 「それはこれ迄に世界の何処にも無い、誰も書いたことの無い、全く新しいスタイルの作品です。私のこれ迄の文学はなべて未だし、と思い続けてきましたが、
 然し今度の作品が完成出来たら、世界に嘗て無かった、誰も思い及ばぬスタイルの作品になるでしょう、今度は自分でも満足できると思うから、頑張りますよ」

  と言っていたと書かれていました。この文章に初めて接した際には、実現しなかったことが惜しい、と思い、しかしすぐに、ミホさんが大袈裟に言っているだけでは?と思い直し、
  その後、そんな話も忘れて数年経ちました。そして「狭い体験、静かな風景」という日本読書新聞(S45年3月2日)に掲載されていたインタビューをたまたま読んだところ、
  どうやらその構想というのはこれのことでは?という部分を見つけたので引用しておきます。

 「それからこれはどうなるのか見当がつきませんが、南の島の小さな部落をひとつ想定して、その中に住むいろいろなひとのことをそれぞれの短編にして書いてみたいなどと思うことがあります。
  その場合その部落は近代文明の波がまだほとんど届いていない状況の中に置きたいのです。そこで自分の心の根っこに巣食う人間の属性をあらわしてみたいなどと考えることがありますが、
  いつのことになるやら見当もつきません。今のところ「東欧紀行」を書いて、「死の棘」を終えて、とそこまで考えています。」