Desperate Remedies (1871) 『窮余の策』 Under the Greenwood Tree (1872) 『緑の木蔭―和蘭派田園画』『緑樹の陰で』 A Pair of Blue Eyes (1873) 『青い眼』 Far from the Madding Crowd (1874) 『遥か群衆を離れて』『狂おしき群をはなれて』 The Hand of Ethelberta (1876) 『エセルバータの手』 The Return of the Native (1878) 『帰郷』
The Trumpet-Major (1880) 『ラッパ隊長』 A Laodicean (1881) Two on a Tower (1882) 『塔上の二人』 The Mayor of Casterbridge (1886) 『カスターブリッジの市長』『キャスタブリッジの町長』 The Woodlanders (1887) 『森に住む人たち』
Tess of the d'Urbervilles (1891/92) 『テス』『ダーバヴィル家のテス』 Jude the Obscure (1895) 『日陰者ジュード』 The Well-Beloved (1897) 『恋魂』 0321吾輩は名無しである2017/05/03(水) 13:53:37.88ID:8IELpEQz いま刊行中のトマス・ハーディ全集(大阪教育図書)では、長編小説のタイトルは以下のようになっている。
これまで日本で出版された翻訳は以上3点だが、ネットでも滅多に見つからない たとえ見つかっても6千円くらいするから、手が出ない ハーディ全集から新訳が出ても、定価が高いから状況は変わらない 0351吾輩は名無しである2017/08/11(金) 13:18:00.36ID:q2qnap/2 前スレ http://love6.2ch.net/test/read.cgi/book/1244452275/0352吾輩は名無しである2017/08/11(金) 18:51:46.82ID:JUwt7fkJ>>350 面白そうな小説ですね 0353吾輩は名無しである2017/08/11(金) 19:03:49.21ID:q2qnap/2>>352 角川版と千城版を持っていますが、面白いですよ 農場を相続した若い女性が目の前に現れる3人の男性から結婚相手を選ぶ物語 ハーレクイン・ロマンスの嚆矢といっていいかもしれません 0354吾輩は名無しである2017/08/11(金) 23:53:47.28ID:umlNcsTE 怒り狂う群衆のくだらない争いから遠くはなれて 酔わされることのない望みは惑うこともなく 隔離された冷ややかな谷間に生きているように 静謐な彼らの生きざまを保っていた Far from the madding crowd's ignoble strife, Their sober wishes never learned to stray; Along the cool sequestered vale of life They kept the noiseless tenor of their way.
少し読んでみて、文体や言い回しが気に入ったのでFar from the madding crowdに取り組んでみることにしました! 詳しい人たち色々教えてください! 03553542017/08/12(土) 21:36:28.50ID:OtQNNryi シェイクスピアの引用(マクベス)などを見つける これはまるで、メルヴィルのエイハブ船長ではないか!という(どうでもいい)箇所を見つける 書き出しも妙に映画的な描写で、アナクロニスムを楽しむ読書になりそうだ
“P-p-p-p-p-pl-pl-pl-pl-l-l-l-l-ease, ma’am, p-p-p-p-pl-pl-pl-pl-please, ma’am-please’m-please’m ??” “‘A’s a stammering man, mem,” “Andrew Randle, here’s yours ? finish thanking me in a day or two. 会話の言い回しが面白いところもしばしば Of love as a spectacle Bathsheba had a fair knowledge; but of love subjectively she knew nothing. 見世物としての愛についてはバトシェバはよく知っていた、けれど参加者としての愛についてはまったく知らなかった 実体験としての愛を少しずつ知っていく 地に足の着いた、身分もふさわしい求愛を「わたしはtameするような男が欲しい、あなたには無理でしょうけど」と断る 無骨な牧場主に戯れの匿名のバレンタインカードを送り、名前を突き止められて、外面のうちにこもる暗い情愛を知る 表面的で軽やかで技巧的な、求愛に接し、キスを知る 自分の中の、内面世界を嫉妬の感情とともに自覚する 0358吾輩は名無しである2017/08/15(火) 10:17:34.71ID:p2v8GOxt 随分先まで読み進めているんだな 0359吾輩は名無しである2017/08/16(水) 16:37:20.49ID:s4CgI0bf 今週中には読み終わりそうです ガブリエル・オークという平凡な男は結構面白い
ガブリエルはsound(健全な)、地に足の着いたと同時に星に興味を持つ(地面から天空に描写が移り変わる場面は非常によい)田園の男ではあるが、理想化されているわけではない 彼は「熱のない人」でもある・・・(登場の最初から、soundだけれど、の後にやたら見慣れない表現で辞書で調べた) どうやらハーディの小説にはこの「熱のない人」という小説があるようで、次にはこの小説を読むことになりそう lukewarmnessという単語、生ぬるさはwrongheadeadnessよりも悪いのだ!という激情から距離を置く人々、19世紀後半のイギリスにおける「熱のない人」たちはどういう人たちだったのか そういう目で見ると、この小説にも重要な場面でそのような描写が繰り返されている この点は、「熱のない人」を読んでからもう少し掘り下げて読んでみたい 0360吾輩は名無しである2017/08/16(水) 23:26:58.75ID:8onO1RvZ>>359 ヒロインの名は、角川版ではバスシーバ、千城版ではバスシバと表記している 0361吾輩は名無しである2017/08/17(木) 07:50:57.42ID:TjCvC8ki>>360 Bathshebaの英語圏の読み方ですね According to the Hebrew Bible, "Bat Sheva," more commonly known by the anglicized name Bathsheba (/baθ??i?b?/ or /?baθ??b?/) カイン・ボールという名前も英語読みではケインになっています たとえばシェリーの解き放たれたプロメテウスとするか、プロメシュースとするか バイロンの「カイン」をケインとするか、という問題です 19世紀のイギリスは、このように旧約聖書やギリシア神話などから名前を持ってくる傾向がありました バトシェバという「名前の由来がよくわからない」、意味ありげな名前を強調するためにそう記載しました 実際に発音聞いてみると、映画版でもバットシェバと発音しています(これもわかりやすくするためだと思います) 細かいこだわりですみません 0362吾輩は名無しである2017/08/17(木) 12:10:10.71ID:pbdNuWcu ハーディ14長編で唯一持っていないのが『熱のない人』 そのうち手に入れよう 0363吾輩は名無しである2017/08/20(日) 07:22:40.77ID:8o2ycah8 「Far from the madding clouds」をほぼ読了 脇役だと思っていた従業員たちがとても脇役とはいえず、当初はかなり素通りしていた彼らの酔っ払っての会話がまさに「熱のない人」についての執拗な繰り返しであるという点から読み直している “And there’s two religions going on in the nation now ? High Church and High Chapel. I’ll play fai; so I went to High Church in the morning, and High Chapel in the afternoon.” 高教会は良いとして、ハイ・チャペルとは何なのか? 最後のやたら印象に残るキーツの引用、バラの花が再び蕾に戻るように結婚式が行われる、その意味 酔っ払った従業員たちの会話は、それぞれがHigh Church、High Chapel、そしてどちらにも通う人、日曜日に通わないことをざんげする人、明確に書き分けられている 「熱のない人」ガブリエルはニケイア信条の説教をあくびをかみ殺し、今日の晩御飯の内容について考えるような人だ he went to church, but yawned privately by the time the congregation reached the Nicene creed, and thought of what there would be for dinner when he meant to be listening to the sermon.
一瞬だけ出てくるThirdly Parson、牧師サードリーの発言も、そう読み直すと非常に含蓄がある 0364吾輩は名無しである2017/08/20(日) 07:28:28.71ID:8o2ycah8 「熱のない人(ラオデキアの人)」も平行して読み始めた 読み始めてすぐに、22章のThe Great Barnのすばらしい描写につながる場面に出くわす far nobler in design, because more wealthy in material, than nine-tenths of those in our modern churches. 「現代の」教会建築よりもはるかに古の建築家と現代の観察者の魂が一致している この現代の建築とはHigh Churchのことであり、儀式典礼を厳かにし、洗礼の儀式も大仰なものとする流れにそったものだった 一方でHigh Chapel、俗人が説教し、どんな小さなことからでもうまく説教を作り上げてしまい、灰色と茶色を好む(酔っ払いたちの会話から) 325年のニケイア信条について説教するのは、「聖書の言葉しかしゃべらない」、High Churchのほうなのだろう at High Church they pray singing, and worship all the colours of the rainbow; and at High Chapel they pray preaching, and worship drab and whitewash only. 「非国教徒はやることが徹底していて、雨が降っても槍が降っても礼拝に行く。」 そして、どうやらバトシェバの方はHigh Chapelの信徒であるようだ (ボールドウッドとトロイが少しあいまいで、これは読み直さなくてはならない)
ファニーの結婚式の章タイトルはAll Saints and All Souls(万聖と万霊)だが、そもそもなぜ紛らわしくSpiredな教会が立てられているのか 熱のない人ガブリエルの読書はバニヤンの「天路歴程」と「失楽園」を含む ハーディが小説家の前に詩人であり、詩人の前に建築家であったことがこの二作には非常によく表れていると思う 象徴的な描写や音楽的な描写、詩的な描写や引用、また名前に秘められたほのめかしなど、書くべきことは多いけれど非常によい読書だった 0365吾輩は名無しである2017/08/24(木) 02:54:04.07ID:NXlDXUye ハーディ自身は、ラオデキアの人だったのだろう しかし、「熱のない人」「微温のひと」「生ぬるい人」どう翻訳してもこの言葉の願意は逃げていく まず第一にこの言葉は「ヨハネの黙示録」を引用した、非カトリック、非国教会への罵倒である
幼児洗礼は無効である、アナバプテスト(再洗礼派)にとっては成人洗礼を拒否する信徒は生ぬるい人ではない しかし、幼児洗礼は有効である、と教えられ育ってきた人間が、土地になじむために成人洗礼を拒否したとき、それは生ぬるい人と呼ばれる 自分の信仰をかたくなに守る人間が「熱のない人」と呼ばれるのは皮肉な印象を受ける むしろ、19世紀のイギリス宗教改革、ピューリタンは禁酒・禁欲運動に走り、国教会は典礼儀式に走るその熱情から離れている人である ガブリエル・オークは聖餐台と酔っ払いの間にいる人であると表現されていた カトリックの化体に反抗したはずが、聖餐台が復活している国教会とピューリタンが禁止する酒の快楽の間 登場はまるで国教徒が洗礼を拒んだ、という信念の人のようでありながら、実のところなぜ洗礼派教会で洗礼を受けようとしたのか? Far From Madding Crowdsでは群集はおおらかに主要登場人物を取り囲み、共同体を形成しており、少なくとも好意的であった A Laodiceanでは、ロンドンというウェセックスの外部が導入され、共同体に入り込んだ異物は束縛を受ける 血筋も、建物も、宗教も、接ぎ木をされており、その違和感が去ることはない 接ぎ木が成功?した体裁のFar From Madding Crowdsとは異なるが、オウクとバトシェバはハッピーエンドでないという意見は根強いようでもある 0366吾輩は名無しである2017/08/24(木) 11:22:21.63ID:LidwTmTb バスシーバとオークの結婚生活がどうなるかは確かに予断を許さない バスシーバは主人、オークは使用人だったわけで、オークは気のいい働き者だが、 バスシーバの態度があまりに尊大であれば、オークはキレてしまうだろう 0367吾輩は名無しである2017/08/25(金) 18:57:02.49ID:ju3JtQQS バスシーバという名前は、19世紀イギリスにおいてはダビデが湯浴みをのぞき見て、兵士を戦争に赴かせて妻とするという挿話を喚起したことは間違いない ヴァージニア・ウルフの父親が、この小説を12回に分けて連載小説としたこと、作者の名前を匿名としたことは読解に面白い光を当てる 第一回の小説では、バスシーバの名前はじらされ続けた末に(私の名前を当てて御覧なさい、変な感じで好きではないのです)明かされる この第一回ではオウクは二度にわたってバスシーバを覗き見る 彼女が手鏡で自分の顔を眺めているさま、馬の上で「女性がしないような体勢をとること」、深夜におばとの会話を盗み聞くところ そもそもダビデは幼少の頃は羊飼いだった ところが連載第一回が終わるときには、肉欲にまみれたオウクはすでに運命的な挫折を味わい、tenperanceの人として脱皮することになる トマス・グレイの田園詩をタイトルにして、羊飼いと覗き見というヴィクトリア朝の聖書になじんだ引喩で婦人方をひきつけて、初回のラストでひっくり返す この山場は連載小説という体裁から毎回周到に作られているという発見は楽しい ここではバスシーバのイメージはダビデの不道徳さを暗示するが、一方で彼女はダビデの息子たちを調停しようとし、ソロモンを生んだ賢母というイメージもある 0368吾輩は名無しである2017/08/25(金) 18:58:37.50ID:ju3JtQQS ハーディの青年時代にはアメリカで南北戦争があり、これはCivil Warと呼ばれるが、ハーディはイギリスのCivil War、日本で言う清教徒革命を書き続けた作家だ ただし、彼は因果を書く作家ではなく、結果を書く作家であり、清教徒革命の結果を、異物が入り込んだ田園のそのどうしようもない結果を書いている アメリカの当時の大統領はエイブラハム・リンカーンであり、その父方の祖母の名前はバスシーバという リンカーン一族は、ハーディが対象にし続けた「パティキュラーバプティスト」であり、イギリス由来の追放されたピューリタンでもある ウェセックス地方はロンドンから遠いゆえに、バプティストの砦となり、産業革命でロンドンから近くなって深入りを避ける「熱のない人」が生まれる 生まれにおいての洗礼を必須とする出自の非対称性を揺らがす、熱情から離れた平等主義で、リンカーンもまた超平等主義という熱情から離れたラオデキアの人 リンカーンとハーディが同一平面で浮かび上がる読書体験は貴重なもの 0369吾輩は名無しである2017/08/25(金) 19:00:33.23ID:ju3JtQQS 連載小説として捉えると、一度バトシェバのつがいとしての情熱を去勢させられたオウクの変わりにダビデの役割を果たす挿話が山場として次々に登場する ボウルドウッドやトロイはまさにバトシェバのエピソードを反復・ほのめかしする者として現れる トロイの出現する章は、雑誌に掲載された一回だけをまとめて読むと異常に濃密な、異質なテキストになっている ハーディのほとんど全ての長編小説は、19世紀イギリスの月に一度連載小説が会員に配達されるという特殊な制度において発表されている この特殊な制度は、さらにその後三巻本として発売されるというこれまた特殊な制度に引き継がれる 「悲惨な二巻」という言葉があるように、作者が読者の関心をひきつけようとする山場は明確に設定されているのがこの時代の小説 そのような観点から、ハーディの有名な小説を読み直すこともまた愉しい 0370吾輩は名無しである2017/08/27(日) 01:42:26.99ID:NQZDFtL5 A Lodicean全六部のうち第三部まで読み終えた ポーラという主人公は例を見ないくらい複雑な人物造形がなされている ただし、それは他人から見てのことで、「女とは・・・」「金持ちとは・・・」「ピューリタンとは・・・」という名指され方に迎合しないということでもある オウクと違って、「名づけの圧力」から少し離れて超然としていられる特権は、ポーラにはない オウクは熱情を外から眺めていればいいが、ポーラは男主人公たちの熱情をかわし続けなくてはならない My not owning all may not have the dreadful meaning you think, and therefore it may not be really such a grievous thing. There are genuine reasons for women’s conduct in these matters as well as for men’s, though it is sometimes supposed to be regulated entirely by caprice. この言葉は、女性のすることがcapriceであることもあるが、男性のようにしっかりとした理由があることもある、と主張する ポーラを「熱のない人」と説教する牧師、「中世の城にギリシアという異教はそぐわない」という「世論」、キスを要求する求愛者、・・・ 彼らはオウクのように、見ることをしない、むしろ見るのは陰謀をめぐらす男である 言葉とは男性のもの、女性の心を表す言葉は存在しない、と漏らしたBathsivaをさらに強調するポーラは、何重にも名指されるべき属性を負わされている Bathsivaの女中Liddyが貴族の末裔に生まれ変わったような人のよいスタンシー嬢のポーラ評は男たちの評価をあっさりと振り払うだけの強さがある ‘Is Miss Power a severe pietist, or precisian; or is she a compromising lady?’ he asked abruptly. ‘She is severe and uncompromising ? if you mean in her judgments on morals,’ said Charlotte, not quite hearing. The remark was peculiarly apposite, 属性の名づけによって理解しようとする兄を一蹴するこの場面はすばらしい 「熱のない人」でもなく、「静寂主義者」でも「典礼主義者でもなく」、道徳的な判断においては、妥協をしない人 まさに兄が聞きたいのは「道徳的な判断において」であり、その限りにしか答えず、しかも適切な評価を下す 0371吾輩は名無しである2017/08/28(月) 03:10:18.31ID:Q0OVEfuo 外面において自由奔放な異物たるポーラ・パワーは、一見何でもすることのできる力(Miss Power ? Miss Steam?Power )を持っている だからこそ、外から見た彼女は気まぐれとしか映らない 洗礼を考えぬくこともなく、建築について考え抜くこともなく、恋愛や結婚についてもきまぐれそのものと「見られている」 しかし、彼女の内面はさまざまな権力関係を考慮し、熟考した上で軽々しい言質を与えないという性質を持っている confederateという、秘密を打ち明ける存在として主人公サマーセットは指名される こうして「共謀者・協力者」という明確な名前を与えられることに主人公は歓喜する
‘And will you love me?’ Paula did not reply. ‘Will you, Paula?’ he repeated. ‘You may love me.’ ‘But don’t you love me in return?’ ‘I love you to love me.’ ‘Won’t you say anything more explicit?’ ‘I would rather not.’ バートルビーのI woud rather prefer not toを思わせる「それはしたくありません」 男たちはこれを「気まぐれ」と解釈する(Far from madding Crowdsでもjest、capriceは重要な場面で使われた) ‘To everything there is a season, and the season for this is not just now,’ But I am not the less of opinion that it is possible to be premature in some things; and to do this just now would be premature. 熱情、愛情を持っていない女性ではなく、彼女の顔色や胸bosomを「語り手は」繰り返し存分に描写する(登場人物たちは奇妙にそれに触れない) 時季、prematureを待つその知性はオウクだけが持つ特質だった 0372吾輩は名無しである2017/08/28(月) 03:17:21.74ID:Q0OVEfuo 主人公はポーラから名づけられたい欲望と名づけたい欲望を、去勢されるがごとくポーラに制される ‘But how will they live happily together when she is a Dissenter, and a Radical, and a New-light, and a Neo?Greek, and a person of red blood while Captain De Stancy is the reverse of them all!’ 嫉妬に駆られではあれ、別の人物から蔑まれたポーラの属性を列挙してしまう主人公は、形容詞で表現することに満足できず、名詞でどうにか形容しようとする それはポーラからすれば望ましくないはずなのだが
ポーラはこの小説でLaodecean「熱のない人」に始まってどのような名詞で呼ばれるか developing into the ordinary gay woman of the world 世間一般の陽気な女性になってしまった、これの何が悪いのか? people who show contempt for their Maker’s intentions by flippantly assuming other characters than those in which He created them?’ 彼女は創造主の意図に逆らい、神が創造した性格と別の性格を身に着けようとする人間だ さまざまな立場から言葉を投げつけられ続けるポーラは、その名づける人々自身を映し出す
窃視者であり、詐欺師confidence manである敵役は熱のない男として描写されていたが、突然熱に浮かされた男に変貌した ‘Captain, we are both warm, and punctilious on points of honour 大尉さんよ、俺たちは二人とも興奮していて、名誉の問題になると融通が利かない
この小説では、さまざまな人物が当初「熱のない人」として現れ、それが表面でしかないことを露呈していく 正体不明の男として登場した大尉、デア、エブネルに加えてサー・ウィリアムもその一員だ breathing refrigerator「生きた冷蔵庫」と呼ばれる人物まで登場する 彼らが(本来の)熱のある人に変貌するさまは丹念に描写される 0373吾輩は名無しである2017/08/29(火) 06:29:39.17ID:iCO4/ocy the ordinary gay woman この言葉をポーラに投げつけたのは「ラオデキアの人」と名指し、目の前で成人洗礼を拒否された牧師である この牧師は、中央の教会と、町の教会の二つの牧師を勤めており、町の教会を建てたのはジョン・パワー、ポーラの父親である ジョンは大陸の鉄道の半分を建設した、という鉄道王であり、産業革命後のイギリス社会の階級を駆け上がった人である そのような人たちにとって、没落する王党派貴族は紛れもなく対立する存在であった ジョージ4世時代、貴族は王の趣味もあって愛人だらけの淫蕩があった そこに、勃興する中流階級の倫理的リゴリズムが出現する契機があった ジョン・パワーが実際にどうだったかはともかく、ピューリタニズム、欲望を節制し、婚外妊娠などもってのほか、そのような純潔主義を標榜した 既存階級への倫理的優越性としてのピューリタニズム、典礼儀式でなく自ら神に祈る者でなくては洗礼に意味などないというパティキュラー・バプティスト これは逆に、幼児洗礼を受けても倫理的に堕落した人間は神に選ばれていない、とする二重予定説の信奉となる その背後に、堕落した貴族/王党派への強烈な対抗意識は間違いなくあった ジョン・パワーによって建設された教会の牧師は、実に素朴な清貧の家に住む好ましい人物でもある 華美装飾を嫌い、社交界で屈託なく王党派と交わるピューリタンの娘ポーラ・パワーを悲しんでいる 清貧の教会を作ったのは清貧の顔をした大富豪という矛盾は、カルヴァニズムの真実her oscillation from her family creed of Calvinistic truthに隠されている このマックス・ウェーバーが指摘したカルヴァン主義の強調と資本主義の融合に、違和感を覚える人々は成功した中流階級にも広まっていた 神の名において蓄財は勤勉・抑圧において正当化されるが、勤勉・抑圧を隠れ蓑にして蓄財の手段としているのではないのか 19世紀における中世への興味、ゴシック・リヴァイヴァル、前ラファエル派、そしてイギリス・カトリックへの改宗の増加 ポーラはこのような文脈における、ラスキンやペイター、プルーストと直結する女性であり、彼らの間にいるしかない女性である 0374吾輩は名無しである2017/08/29(火) 06:31:08.58ID:iCO4/ocy サマセットにとってポーラがDissenter, and a Radical, and a New-light, and a Neo-Greek, and a person of red bloodであることはひとつも障害にはなりえない あえてポーラのネガティブとされる属性を数え上げるとしても、裏返せばサマセットはこのような新しい思想や古典趣味(ルネサンスやゴシック)を全て同時代として接しているし、さらにそのような様式は全て消え去るものだと考えている he concluded that all styles were extinct, and with them all architecture as a living art. 彼とポーラの間にある障壁は収入格差と婚姻法の改革だけである
ポーラの人物造形において、サマセットの妙にほかの登場人物への屈託のなさ(ロマンスの登場人物のような単純さ)とは違う複雑さをハーディは苦労して書いている印象が強い サマセットは夢中になったという書割を演じているようで、「熱のない人」として登場する人々は複雑な性格として現れたと思いきや、「熱のある人」になったとたんごく単純な予想のできる人物になってしまう サー・ウィリアムは当初、成り上がりものと分け隔てなく付き合う奇妙な貴族としてシャーロットと並び高く評価されたはずだった その熱があらわになるとき、彼の奇妙な寛容は説明されてしまい、なんとも言えぬ俗物じみて見えてしまう 真意の見えぬ「熱のない人」は仮面をはがされたとき、わかりやすさ・薄っぺらさを隠し切れない しかしロマンスに回収できないような複雑な造形のなされた人々がいて、それこそ「ラオデキアの人」と名指す牧師、ポーラその人、そして素朴な貴族の末裔シャーロットなどには奇妙にひきつけられる描写が多いと思った 0375吾輩は名無しである2017/08/30(水) 19:53:06.63ID:ZbUe4K4h 「熱のない人」を読み終えた ハーディが自分の小説を三つに分けた中で、最後の分類、手法による独創性を描くとした小説‘Novels of Ingenuity’にあたる 読み進めながら、何度も出てくる単語が表象・代表representationだった この小説は、提示presentationではなく、多様なアイデンティティが出現した19世紀において、複雑な背景・人格を持つ一人の女性のさまざまな表象representationをめぐる小説でもある Far from Madding Crowdsにはrepresentationやその派生語はわずか5回ほどしか出てこないのに対し、この小説では実に40回以上も出てくる このような指摘がされているか、見つけられなかったがおそらく他のハーディの小説と比べても、格段に使用頻度が高い(テスやジュードも10回以下) ポーラの人物像を、さまざまな登場人物が「名詞によって名指す」が、それは登場人物に映ったポーラを彼らの視点から提示するということでもある そして、representationはpresentationと異なり、利害によって歪められることもある ラストまで読んで、もう一度representation再現前・表現・体現・象徴・言葉による解釈提示をめぐる小説として読み直した
例えば当時ひそかに流行し始めていた合成写真という手段が効果的に用いられる 写真とはpresentation、真実を映すものとしてのイメージがあり、サマーセットの写真を加工して酔っ払ったように見せ、サマセットの人物像を歪めることに成功する 写真が忠実な写し絵であり人物の模倣と信じる登場人物たちは、捏造された泥酔するサマセットという「像」を真実の人間像と錯覚する それを知ったとき、そのさまはHe has been misrepresented!と表現される 提示と再提示の錯視・同一視を用いて、彼のイメージは不当に表現提示された ハーディはこのmisrepresentationに抗おうとする人物が複雑な存在として登場する 0376吾輩は名無しである2017/08/30(水) 20:05:58.36ID:ZbUe4K4h 投げつけられる「名詞による形容」に抗い続ける女として主人公を読んできたものにとって、このrepresentation全てにポーラ自身やその親友シャーロットが反論しているのに気づくことは、自明のことながら感慨深い 再現をテーマにし、同時にその再現の限界性、あえて言うならばバスシーバとボールドウッドの婚約がポーラとスタンシー大意の婚約に反復されざるを得ないことを示しており、「完全なハッピーエンド」を自認するには現実への洞察を投げ捨てない作中人物を作り上げている
この小説は、サマセットがポーラとの結婚をなしえたことで終わる、がどことなくすっきりとしないエンディングを持つ それは全てをひっくり返すような最後のせりふがため息をつきながら言われるからでもあるが、この女主人公は実に多くため息をつく ‘And be a perfect representative of “the modern spirit”?’ she inquired ‘representing neither the senses and understanding, nor the heart and imagination, but what a finished writer calls “the imaginative reason”?’ サマセットがたどり着いた幸福な未来、それは二人で「近代精神の完璧な体現者representation」になること 「知覚と理解の体現者でもなく情緒と想像力の体現者でもなく、『想像的な理性』 の体現者になること」
最後まで、「representation」から離れられない未来の夫に対して、ため息を押し殺しながら放たれる言葉はまさにこの小説の本領発揮といっていい But, George, I wish?’ And Paula repressed a sigh.‘Well?’ ‘I wish my castle wasn’t burnt, and I wish you were a De Stancy!’ 「今が今のようでなく、あなたがあなたでなければよかったのに!」こんなせりふで終わるハッピーエンドがありうるだろうか? これはrepresentationに取り付かれたサマセット、あるいは「現代」への消極的な異議申し立てなのだ この小説が書かれたのは1880年ごろで、女性についての小説の言語を変えたいという意識を持っていた ロマンスや扇情的な犯罪のプロットではなく、このような言葉への意識に独自なものを感じさせるというか、少なくとも足掻いている作家と思う 三種類の小説のうち評判が悪いといわれる‘Novels of Ingenuity’の三作は近年再評価が進み、確かに興味深い 次はエーぜルバータの腕The Hand of Ethelbertaを読んで行きたい 0377吾輩は名無しである2017/09/02(土) 06:17:17.45ID:0ZZ7mKZN 同じ作者の小説を続けて読んでいると言い回しの類似や、こだわりに気づけて興味深い 「エセルバータの手」では「熱のない人」ほど頻繁ではないが、おそらくついで、representが出現する ‘And you think the verses may tend to misrepresent your character as a gay and rapturous one, when it is not?’ これは女主人公が書いた詩を、「みだらなもので、 gay and rapturousな人格であると、本当はそうでないのにmisrepresentする」という場面 0378吾輩は名無しである2017/09/03(日) 14:48:13.22ID:9gNfWLyY 主人公の名前はEthlbarta、19世紀になって出現した名前で、7世紀のケント王エゼルバルドに由来する 古英語では"noble bright"を意味する the subtitle of a comedy to indicate, though not quite accurately, the aim of the performance. 行動の目的を、(必ずしも正確にではなく)指し示す喜劇という副題を持つ小説を、35年は時代に先駆けていたとハーディは語る
まさにそのとおりで、この小説もまたFar from madding Crowdでの「バレンタイン・カード」のように行動の目的は別の意味を持つ Bathshevaにとってはjestにすぎなかった行為は、匿名を暴かれ、その後の彼女の生活を大きく変える Ethelbartaにとっては、詩と詩人は別物である It would be difficult to show that because I have written so called tender and gay verse, I feel tender and gay. It is too often assumed that a person’s fancy is a person’s real mind. ある人が楽しむことはその人が本当に考えていることを示しているわけではない that’s the world’s fault, not mine. 愛情のある陽気な韻文がもてはやされることは詩の特性であり、作者が浮気な、gayな人とみなされるのは世界に責任があるのであると言い放つ
しかし、a detached bride than a widowとして引き取ってくれた恩人であるLady Petherwinにとっては譲れない 夫を亡くしてその母と同居するということは、 an avowal that you rejected the idea of being a widow to prolong the idea of being a wife 未亡人でなく、妻(嫁)としてあり続けることを宣言したのであり、結婚生活が数ヶ月で、死別して4年経っていることは言い訳にならない ナオミとルツをめぐる「原則と忠誠」は、Ethelbartaにとってはhumour(人文主義もしくは人間主義)に関わる「程度」の問題である 同時代のニーチェを思わせる言葉が二人の対立点を浮き彫りにする don’t be so unreasonable as to blame a live person for living! 0379吾輩は名無しである2017/09/04(月) 02:44:19.52ID:u7sqGSIv Bathshevaの忘れられない、よく引用される言葉に、 It is difficult for a woman to define her feelings in language which is chiefly made by men to express theirs. この類の言葉をハーディは書き付ける 「女についての格言」を漏らしてしまうような妹に対して、それは男の作った格言であって、自分のcircumstanceの表現を作ることができない非才の暴露に過ぎないとEthelbertaは言う 既成の「論理」は既に作られており、そのような類型・紋切型によって言葉は流通する しかしその流通は交流ではなく、生きた人間を縛るもの Bathsheba、Paula、Ethelbertaは順序だてて、論理的に問い詰められる アイデンティティを押し付けられる彼女たちは、しかしそれは論理の暴走であることに立ち止まろうとする jest、capriceであった動機を、より重大なものとして捏造しようとする「あなたは私を好きなのですか?それとも尊敬しているのですか?」に答えないBathsheva 詩風に基づき、詩の論理・定型において生み出した詩を別のコンテキストにおいて解釈し、意図を捏造されることに抵抗するEtheberta 戯れに署名もなく「marry me」とバレンタインに贈ったことを、真性の愛の告白、あるいは挑発として認識する 陽気な匿名の詩集を出版したことを、亡くなった夫への不貞を「意味する」と名指される その認識は「男の作った」ことばによる論理では訂正不能であり、説得不可能である Lady Petherwinも女性ではあるが、二者択一をつきつけるその論理はBoldwoodの奇妙な二者択一に酷似している たとえばそこにはピューリタニズム、旧約聖書におけるナオミとルツをそのまま現代に適用させる枠組みがあって、そのような枠組み思考が崩壊していく時代にハーディは生きていた 同時に、崩壊に対して共同体が分裂し、枠組みを純化・極端化へ推し進めようとする時代でもあったようだ 0380吾輩は名無しである2017/09/08(金) 05:43:30.17ID:mP7CF6Bt ウィリアム・モリスが建築学会の一員であった頃、彼は古建造物保護活動家でもあった 「微温の人」は古城を修復するか、保護するか、維持するか、修理するか、補強するか のRestorationとProtection、Repair、Preservation、remodeling、rebuilding これらの単語は、建築思想が異なる 英国国教会、聖公会とピューリタン教会の設計思想の違いはここでも顔を出す
「微温の人」では上記の単語は明確に区別して使用されている この城はprotectするべきかrepairするべきかrestoreするべきか そこにおいて、サマセットの設計図が「ある思想のrepresentationとなっている」という言葉の意味が判る 対立する建築家の案は、ポーラやサマセットの一貫性、思想が欠けており、repair以上のことができない 何よりも、その建築家が新聞に出したポーラへの批判は、「Restoration or Demolition?」であり、これは1870年代にイギリス中で始まった教会堂修復へのモリスの抗議文にある言葉なのだ 「古建造物保護協会」はprotectionを目的としてrestorationに反対するものであり、モリスは「削り取り反対運動」と呼んだ 0381吾輩は名無しである2017/09/09(土) 00:53:02.97ID:oJ5I/bM7 城壁の設計図はひとつの思想をrepresentしている、と繰り返しかかれている それはmodernism, eclecticism, new aristocracies, everything, in short, that Paula representedとポーラが体現するとされているものと同じである 建築物もまた、ある精神の具現化であり、それはポーラが何らかの時代精神の具現化・象徴として扱われることと等価である ド・スタンシー家の先祖の肖像画が血統をrepresentし、その三人の末裔が肖像と同じrepresentをし、大尉が肖像画にあわせて甲冑をかぶってみせるさまもrepresentである サマセットも建築物がなんらかの思想の表現であるとする時代の空気を味わった人である(ラスキンの建築の七灯を読まなかったはずがない) だがそこには、建築は実用性を映すという思想があり、オウクのGreat Bahnでもらした感慨と同じく構造が実用と一致を目指す rebuilding、repair、電報のための専用の電信ケーブルがスタンシー城に入り込むさま 英国国教会は、典礼のための華美な実用性を持った改修を実行するが、モリスはそれに反対する 教会堂は国教会が成立するはるか前の物でありながら、所有権は全て国教会に所属する(それがヘンリー八世の改革)
ポーラは財産・産業革命のrepresentationであり、スタンシー家は貴族の血統の具現化であり、両者の結婚は和解の象徴 marrying this girl, who represents both intellect and wealth, in fact, except the historical prestige that you represent. この知性と富を同時に体現する、ただし彼の体現する歴史的な特権だけ持たない女性との結婚 from a representative of the new aristocracy of internationality to a representative of the old aristocracy of exclusiveness 新しい時代の、国家をまたにかける貴族制から包括的な古の貴族制のrepresentationへ
例えばサマセットがポーラに対して ‘You represent science rather than art, perhaps.’‘How?’ she asked, glancing up under her hat. ‘I mean,’ replied Somerset, ‘that you represent the march of mind, the steamship, and the railway, and the thoughts that shake mankind.’ 貴方は芸術というより科学を「体現」されておられる、というのは、蒸気機関の精神を体現している、それから鉄道、人類を動かさせる思想を 0382吾輩は名無しである2017/09/10(日) 23:59:22.89ID:i2DiVeam 繰り返されるrepresentの洪水は表象がテーマになる20世紀後半よりもはるかに先立っている 建築物があるがままでなく、象徴としての意味を持つ、その持たされた意味によって表象の受け手に影響を与える あるrepresentationを与えられた時の受け手の反応に注目する必要がある
登場人物の情景によって積み重ねられる物語は要約に抵抗する 登場人物同士の対話、その対話の際の「聞き手」の反応という異物に注意しなくては失われるものがある Hardy wished to be remembered as ‘a man who used to notice such things’ たとえばrepresentという言葉が繰り返されること、ポーラが「頬が赤らむ」「ため息を押し殺す」という本当は受け手に読み取られていない反応を書き付けること 対話が同じ言葉をめぐってなされているようで、実際にはそうでない齟齬が生じる情景の提示がすばらしい 0383吾輩は名無しである2017/09/17(日) 22:13:47.95ID:Nyas+rgk エセルバータは洗礼名で、その洗礼名の由来となった人物はこの小説にはかかわりがない、とされる その人物は貴族であった、という見過ごされそうな要約は実は重要ま、小説にかかわらないといいながら読解において面白い意味を持つ 名前をつけたのは誰か?エセルバータの両親であり、「貴族の執事」という使用人階級の父親だろう エセルバータの姉妹、ピコティやコーネリア、ソルといった名前はやはり異質な名前で、言ってしまえばキリスト教伝来前のアングロサクソンにさかのぼる名前だ そのような、新しい名前をつける主人に仕える父親だからこそ、エセルバータはガヴァネスとなるだけの教養を身につけるべく教育を受ける しかし、ガヴァネスという女教師は「教養のある女性」とは異なる意味をもつ
この手記は「美しい手で」“Is in old, faded ink, and in the most beautiful hand.”「最も美しい手で」書かれている さらに、まさにこの悲劇の10年後にShe was the most agreeable woman I’ve ever known in her positionとまで言われる 悪意をもってうそをついた、とする読解は物語が終わった半世紀後まで狂気の尾が引いていることになってしまう 少なくとも、本人にとっては真実で、さらにおそらくその妄想はそのままにMilesを死に追いやった瞬間にdispossesed、憑き物が落ちてしまったのだろう 妄想を駆動した熱情は、主人に一度も会うこともなく、幽霊のように消えてしまっている、かのようである ジェイムズの幽霊はそれ自体まったく怖くない、とV・ウルフは言っている 幽霊譚で一家が破滅した後、家庭教師を続け、10歳下の青年に40年にわたって恋煩われ、美しい筆跡で自己批評的ですらある手記をつむいだその後の人生こそが分からない
本質的に「結婚によってしかガヴァネスという身分から離脱できない」にもかかわらずセクシュアリティを抑圧されたさまは、ヘンリー・ジェイムズも書き込んでいること 前任のガヴァネスは「私」に劣らず美しく、with extraordinary beauty、しかし But infamousであり、雇い主お付の男own manと恋愛関係に陥る そのとき、善良な家政婦は言う“SHE was a lady.”“And he so dreadfully below,” 家庭教師は文字の読めない家政婦にとってはladyであり、御付の男は「恐ろしいほどに身分が下」であり、the young lady who should go down as governess would be in supreme authority. ガヴァネスとしてgo downするようなladyは最高の権威を与えられるのであり、使用人との恋愛などhere - for a governess! ありえない 0389吾輩は名無しである2017/09/24(日) 00:34:27.90ID:hZpSgOQK 「エセルバータの手」はハーディの有名な作品には入らないけれども主人公の人物造詣は奇妙に惹きつける所がある ハーディの小説には、情景で出現する人物と要約で出現する人物がいて、「主人公」は出現するなりどのような来歴か作者によって語られる エセルバータは作品を通して、さまざまに語られる 彼女は誰なのか、どのような人物なのか、次に何をするのか、とアイデンティティと性格がほかの作中人物に問われ、話題になり続ける人物である
She is one of those people who are known: everybody knows a little, nobody knows her entirely. 彼女は誰にも知られていながら、誰一人彼女の全体像を知られていない女性 curious undefined character which interprets itself to each admirer as whatever he would like to have it. Old men like her because she is so girlish; youths because she is womanly; wicked men because she is good in their eyes; good men because she is wicked in theirs.’ 誰もが、自分にないものを彼女に見て。それゆえに好きになるような人物 Like the British Constitution, she owes her success in practice to her inconsistencies in principle.’ まるでイギリスの慣習法による国制のように、原則において束縛されないことによって成功している 彼女が変幻自在にアイデンティティを変えてみせるその根底には「ガヴァネス」という立場にまつわる歴史的な変遷が影を落としている 0390吾輩は名無しである2017/09/24(日) 00:37:47.96ID:hZpSgOQK ヘンリー・ジェイムズの回顧する1840年代英国のガヴァネス そしてまさに同時代の「ジェイン・エア」とアン・ブロンテによる「アグネス・グレイ」が実に面白い ほぼ同じ年代としてもうひとつ「虚栄の市」におけるガヴァネス もう30年さかのぼってジェイン・オースティンにおいては、ガヴァネスが家族の一員であり、自然と紳士と結婚して尊敬されている「エマ」 5人の娘を「ガヴァネス」なしで育てるなんて、あなたの母親は奴隷のように働いたのですか?とある「プライドと偏見」 プライドと偏見では、ガヴァネスはつよく信頼され、教えられる子女との間に亀裂がない I always say that nothing is to be done in education without steady and regular instruction, and nobody but a governess can give it. 1840年代には、二つの立場の間に亀裂が明確になっている そしてそれが、一見同じ空間にいるように産業革命でなりながら矛盾として噴出しているのがハーディの時代のように思う オースティンの時代ほど一体化しておらず、ブロンテ姉妹の時代ほど対立しておらず、生ぬるく同居し、結婚も許されていながら抑圧されている アグネスは、家庭教師を渡り歩き、信頼する「メソディスト」に思われるほど清貧の副牧師と「学校教師」となる ジェインは、突然の親戚の遺産によって、クレオールの「本妻」が焼け死に、自らも罰を受けて片腕と盲目になった「紳士」と対等に結婚する 前者は「レディの世界」から降りていて、後者は失われた「レディ」の資格を回復するが、それは自らの手によってではない 二人とも、「ガヴァネス」から「レディ」への道は自らの手では達成できていないし、サッカレーにおいてのように「美しくない」 エセルバータは自らの手で「レディ」となることができる時代であり、同時に「自らの手で」なったことへの無言の視線にさらされる 0391吾輩は名無しである2017/09/26(火) 01:47:59.94ID:qrhVln3p サッカレーのvanity fairが面白い "Marry that mulatto woman?" George said, pulling up his shirt-collars. "I don't like the colour, sir. Ask the black that sweeps opposite Fleet Market, sir. I'm not going to marry a Hottentot Venus."
改めて読むと、どうしてもポストコロニアルの観点から読解することになるが 小説の最初から黒人や西インド諸島の奴隷商人などが出現し、インド駐在も重要な存在として出てくる アメーリアという善良で、裕福な商人の娘で誰にも愛される娘の婚約者は、アメーリアの父が破産するや、婚約を破棄され、裕福な商人の娘を紹介される その娘は小説の冒頭にも登場したMiss Schwarzという同級生で、彼女はジャマイカで奴隷を働かせる商人の娘だ それに反応したジョージの発言が上記だ 「私はホッテントットのヴィーナスと結婚する気はない」「上院議員になれる、では私のprideはどうなる?」 結局彼は既に婚約した、と言う理由で、そのoathを破ることをよしとせず破産したアメーリアと結婚することになる 0392吾輩は名無しである2017/09/26(火) 01:50:35.40ID:qrhVln3p そしてこのジョージは、その前、アメーリアの友人として紹介されたベッキーが「アメーリアの結婚相手にふさわしいか確かめようと思って」と軽口を叩いたときに、こう答える 「家庭教師風情が、確かめるだと?」 このジョージは、否定的な形象ばかりなされる しかし、そもそも「ムラート」なる奴隷商人の娘との結婚を上院議員になれる、と紹介したのは彼の父である A governess is all very well, but I'd rather have a lady for my sister-in-law. I'm a liberal man; but I've proper pride, and know my own station: 「ガヴァネスだってよろしい、だけど私は自分の義理の妹になる人間には淑女がいい」 「私はリベラルな人間だ、だけど私にもprideがあり、私のあるべき場所を知っている」