いや、実際はとし子の激しい熱のために、賢治が冷たい霙を持ってきたんじゃないかな
賢治も断っているように、この詩はあくまでも賢治の内の心象風景だ
つまり、その思い出を、賢治が美化して詩に仕立てた、というのが本当だろう

「手紙 四」
 ところがポーセは、十一月ころ、俄(にわ)かに病気(びょうき)になったのです。おっかさんもひどく心配(しんぱい)そうでした。
チュンセが行って見ますと、ポーセの小さな唇(くちびる)はなんだか青くなって、眼(め)ばかり大きくあいて、いっぱいに涙(なみだ)をためていました。
チュンセは声が出ないのを無理(むり)にこらえて云(い)いました。「おいら、何でも呉(く)れてやるぜ。あの銅(どう)の歯車(はぐるま)だって欲(ほ)しけややるよ。」
けれどもポーセはだまって頭をふりました。息(いき)ばかりすうすうきこえました。
 チュンセは困(こま)ってしばらくもじもじしていましたが思い切ってもう一ぺん云(い)いました。
「雨雪(あめゆき)とって来てやろか。」「うん。」ポーセがやっと答えました。
チュンセはまるで鉄砲丸(てっぽうだま)のようにおもてに飛(と)び出しました。おもてはうすくらくてみぞれがびちょびちょ降(ふ)っていました。
チュンセは松(まつ)の木の枝(えだ)から雨雪を両手(りょうて)にいっぱいとって来ました。それからポーセの枕(まくら)もとに行って皿(さら)にそれを置(お)き、さじでポーセにたべさせました。
ポーセはおいしそうに三(み)さじばかり喰(た)べましたら急(きゅう)にぐたっとなっていきをつかなくなりました。
おっかさんがおどろいて泣(な)いてポーセの名を呼(よ)びながら一生(いっしょう)けん命(めい)ゆすぶりましたけれども、ポーセの汗(あせ)でしめった髪(け)の頭はただゆすぶられた通りうごくだけでした。
チュンセはげんこを眼(め)にあてて、虎(とら)の子供(こども)のような声で泣きました。