【ライ麦】サリンジャー総合【グラース】
個人的な受け取り方で言うと、この作品の魅力はホールディンの心の傷に由来
しているのではないかと思う。野崎訳はそれをビタースィートな青春の一ページ
大人になるための通過儀礼、ホールディン君がんばれよみたいな解釈に思われたが
村上訳では、ビタースィートな回復可能な心の傷でむしろ糧になるようなものではなく、
解決不可能な心の闇、ひいてはアメリカの病理としているらしい。
二冊は作品解釈が全く違うらしい。 遺作の翻訳は村上春樹ではない方がいいような気がします。
なんにしても早く読みたい。 一部で最高峰の翻訳者とまで言われてるのに全然話題にならない柴田サン… サリンジャーの遺作のなかに、ジェーン・ギャラガーに相当する人との
再会なり交流があったらいいと思う。秘密のベールに隠された彼の人生に
幸せがあったと願いたい。 柴田元幸の翻訳は最高峰ですが、当人も含めて
周囲が出版を躊躇しているような
空気がうかがえます。
村上春樹の友人だからか? >>224
「兄さん」より「あなた」のほうが適切だと思う。 >>269
なんとなくそれは昔から言われてる代表的なライ麦の解釈のひとつと
村上春樹の作品世界の解釈のようでどっかで聞いたような感じなんだが >>276
だから野崎訳と村上訳とではライ麦の作品理解が異なっているということ。
(村上春樹の作品世界の解釈ではなく)
サリンジャーは非常に技巧的で下手をするとさらっと表面を読ませてしまう。
しかしその本質はもっと深く、そのうえかなり直球勝負している。そこに近づく
ために新たな村上訳がでたのは理にかなっていた、と思います。 >>228
幼女といっても主人公とは6歳ぐらいしか違わないだろう?ロリコンでもない。 フィービー=ジェニー=サリー???
純情に泣ける。 日本だと「ライ麦畑でつかまえて」って題名で有名だけど、これは野崎さんの訳で、村上さんはキャッチャー・イン・ザ・ライ、柴田さんはライ麦畑の捕手って訳していることを最近になって知った。 野崎さん訳の巻末で、アメリカ版をつかったあるけど、アメリカ版の元の英語のって今も売ってる? 「ライ麦畑の捕手」は直球過ぎるというか捻りが無さ過ぎるというか・・・ 初読で春樹訳を読んだのだがあまり面白いと思わなかった。
もう少し若いときに読むべきだったのかもしれない。
アマゾンレビューでは野崎訳の評判がいいみたいなので今度はそちらで読んでみるよ。 ちなみに原文すら読んでないので偉そうですが、
個人的に題名訳は「ライ麦畑のキャッチャー」がしっくりくるのではないかと。 >>284Three stories は手に入れたけど、人の日記帳盗み見るような心地がしてしまう
野崎さんがライ麦の解説で、「リトルブラウン社のアメリカ版を使った」って言ってたけど、講談社から出てるのはイギリス版?リトルブラウン社のと同じならそっちで買おっかな サリンジャーだけじゃないけど、原文そのものが変な小説って結構ある。
なんで、Retold版みたいなのもある。 原文ってどうダメなん?コールフィールドらしく若者言葉で書いてあるんでないの? 野崎さんはイギリス版はサリンジャーに無断で改悪されてて駄目だからアメリカ版使ったっていってたよね 読み終わった
ホールデンは大人になりきれない少年ではなく
少年の心を捨てきれない大人なんだと思う。 村上春樹は、対談でサリンジャーをマイナーポエトと言っているけれど
小詩人?二流の詩人?、村上春樹のサリンジャーへの評価は高くないということ? 02/28
新潮社 新潮文庫
フラニーとズーイー
J・D・サリンジャー
村上春樹訳 フィービーがホールデンに、
「私が彼女になってあげようか」
とか言って欲しかったな 日本人の10さいはムリだけど、
白人の10さいは充分イケる サリンジャーは我が国の宮崎駿と似た性癖の持ち主だからな 「ライ麦畑でつかまえて」は
ジョン・レノンを銃殺した犯人と市橋達也が読んでた小説 >>304
ジョンを殺したチャップマンは典型的キモオタ ライ麦〜
インチキ○郎って平気で言うのな
ただ偽悪的で、言えば言うほど、逆に聞こえるのな
次郎物語もそうだけど、文学としては
聖人君子より、こう言うガキのが断然面白いのな
ただ、翻訳者によって随分かわりそうですね
村上春樹さん訳も、読みたいな 村上春樹さんはサリンジャーを低く評価しているし作品理解も浅い。
ディストラーダもアクリーもサリンジャーの投影である、っていうような
作品理解。翻訳としては野崎本とあまり変わりがない。
作品理解としては大きな違いがあるのに。 村上訳購入
訳者あとがきが折りたたみで挟み込まれてる文庫なんて初めてだ
全集の月報より厚いってw 解説をつけるなっていうサリンジャーの意思に対して、
付録ですからってどうしても春樹をつけて売りたい出版社
きたなすぎるw 村上の場合は特に、著者と読者の間にしゃしゃり出てくるんだよ。
ありえない翻訳者。名作の著者を支配しようとしているとんでも翻訳者。 昔、フラニーの方は読めたんだっけどゾーイ(ズーイ?)の方は
退屈で読めなかった。
新訳出たから、改めて読んだけどやっぱりつまんなかった。
第二次大戦後だからか、東洋思想とか禅とキリスト教の対比で
かつイスラム教は一ミリも出てこないで
神について意味のわからない結末(自己完結)で
作者が頭でかっちでだめだなと感じた。
この作品に爆笑の太田が感銘受けたのもうなずける
アホだ そう?
レヴィナスの神についての理解と共通する部分があるような気がして
最後の最後ですごくスッキリしたよ 自分程これ読んでて納得できない人はいないと思う
なぜならテレビばっかみてる癌のじいさん抱えて生活してるからね(笑)
サリンジャーと異常犯罪者みたいなくくりあったけど
自分はそんなの読者が多いからだ、と昔は思ったんだけど
何かやっぱり変だなという感じ >>310
これは新潮社の人が考え出したアイデアで野崎さんが出した頃からやってる 1955年
ビキニ環礁で続く核実験、マッカーシズム、2年後には『路上』が・・
当時の時代背景を考えながら読む新訳は面白い
フラニーは溢れる便利な家電製品の前で微笑む人たちにも馴染めなかったんだろうねえ 「太ったおばさんがイエス」というのをどういうことなんだろ?
インチキ臭い、あるいは俗物ばかりと感じてる人達は実はイエスのように尊い存在なんだよって意味なのか 村上春樹の訳と読み比べて思うことは
私はサリンジャーと同じくらい野崎孝の訳が好きなんだなってことなんだな 野崎孝訳は本当に素晴らしいよね
少し時代がかった表現があるとはいえ翻訳の質としては非常に高い
村上春樹訳も悪いとは言わないけどサリンジャーといいフィッツジェラルドといい野崎訳と比べると落ちるなあ >>319
イエスは太ったおばさんのような、イエスとは思えないような
姿をしてる、そういう姿に見えるってことかな?
つまり自分を偽ることに慣れて、本当の自分を見失ってる人々には
イエスは太ったおばさんに見える
そして誰でも自分の中にイエス(本当の自分)がいるってことかなあ サリンジャーが身体醜形障害ってのは事実?
シーモアグラース
登場人物でこんなに怖い名前は初めてだ シーモアの足が悪いこととフラニーやゾーイが奇形(フリークス)っていうのは
同じメタファーなんでそ? ライ麦の春樹訳1ページで見限った
春樹訳の方が好きな奴とは友達になれんわ 近年の春樹訳は本当にゴミ
文の良し悪しじゃなくて平気で翻訳ミスとかあるし
野崎訳がこんな産廃に前時代の遺物扱いされる日が来るのかと思うと辛い いや野崎訳の方が素晴らしいよ。野崎訳しか読んでないけど。 >>327
キャッチャー訳したのだいぶ前だろ
で、翻訳ミスってどこだよ? 今頃だが「サリンジャー生涯91年の真実」はとっても面白いぞ
これマジで取材したの?ってくらい細かく昔のこと調べてるし
著者のサリンジャーの各作品に対する評論も乗ってて読み応えあるわ
値段が高いから買うのは無理な人は図書館とかで借りてみるといい バナナフイッシュにうってつけの日
アメリカにいる1%の富裕層って、バナナフイッシュの権化だよな
selfish=バナナフイッシュ フラニーとゾーイーの野崎版って廃刊になってるのな。ありえないでしょ… それで書店で村上訳が野崎訳のナイン・ストーリーズとシーモア序章に挟まれて置いてあったのか
あれ背表紙の色が同じだし、背表紙自体には訳者が書いてないからさも同じ系列であるかのように見えるんだよな
売りたいのはわかるけど下品すぎる フラニーの村上訳って評判悪いらしいな。
「ティファニーで朝食を」は、評判良いらしいのに。 >>221
それ見る限り、村上のは、直訳じゃなくて、余計な表現(ニュアンス)を付け加えて
自分の文章にしちゃってるね。
他の翻訳家も多かれ少なかれ、そういうことをしているんだろうか? ライ麦読み終わった
学校の話は好きだけど、後半つまんなかった 俺がどれだけ頑張っても世界中にある『オマンコシヨウ』をこの世から消し去る事は出来ないんだ! 藤沢周の『オレンジ・アンド・タール』と『キャッチャー・イン・ザ・ライ』を併読してたらチョットだけエピソードがゴッチャになってしまった
死んだのは友人だっけ弟だっけ?みたいな シーモア・グラース、もっと鏡見て、か
私も鏡になりたいよ
自分を偽って生きることに慣れたみんなが
見失ってしまう本当の自分自身を映す鏡に
まあ見てくれる人は非常に少ないだろうけど サリンジャーは、天才って言葉じゃ全然追いつけないほどの才能持ってるよね サリンジャーと東洋思想との諸相
http://repo.komazawa-u.ac.jp/opac/repository/all/16205/KJ00005087057.pdf
禅は勿論のことヒンズー教、仏教、老子、荘子との関わり合いを「ナインズストーリー」の短編“テディ”を分析しながらの論評 >>343
しばらく読んでなくて何気なく覗いたスレだったけども、読み応えあって面白い評論だった
サリンジャーの短編に傾倒していた頃をしみじみ思い出した
今の自分にもまだ残ってるわ ライ麦畑にでてくる「カワイソ」ってなに?
かわいそうってこと? ライ麦もフラニーも古くからのファンは野崎訳支持が多くて安心した。
村上訳のおかげで新しい読者は多数増えたんだろうけど。
だいたいフラニーとゾーイを今さら「こんなに面白かったんだ」ってなあ。 あと加島祥造さん、謹んでご冥福をお祈りします。
あなたが訳したリング・ラードナー短編集は、おそらくライ麦ファンの多くが読んだことでしょう。 フラニーとゾーイの村上訳読んで啞然としたわ
ライ麦といいどうやったらあんなクソみたいな翻訳できるのか信じられん
ストーリーを何一つ理解してない誤訳や、キャラクターの性格をまるで変えてしまうような意訳は勘弁してほしい >>346
これ面白かったな。
サリンジャー存命中だったら絶対出版されなかっただろうな。
全部で七章くらいだったか、サリンジャーを読んだことがない主人公が四章の終わりでやっと読む。
そのあと続く感想や分析がとてもいい感じ。 旧訳で「目まぜ」って表現でてきたが、はじめてきいたわ
硬すぎだろw セックスがどうのってホールデンが語ってたのに、そのあと童貞って言ってたんだが、
前のはハッタリなのか? やっぱ旧訳古すぎだわ ていうか当時から古臭くて固かったんじゃねぇのこれ
幼馴染のことを筒井筒とかどんだけじじくせぇんだよw 新訳もスイートハニーだし
どう訳しても古臭くなりそう そもそもホールデンやゾーイーが生きてるのが現代じゃないんだから、言葉遣いを現代的にする必要ないんだよ 太宰治とか今読んでもそんなに古臭くは感じないけどな 昔の小説でも固い奴は固いし固くない奴は固くない
旧訳は発売時点で固かったんだよ センスがない いやそんなことないよ
センスがなけりゃこんなに読みつがれない 別に絶版にして新訳にするのは出版社の勝手だがフラニーとゾーイーに関してはISBNを変えてないのが許せん