【虚体】埴谷雄高=般若豊スレッド第四章【死靈】
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{ ¨^^¨′¨'ー-v-r《 〔 埴谷雄高氏は戦後の日本の夜を完全に支配した。氏は黒い神話になり、ねぢ曲つた現実の回路が或る一個所で
底なしの闇に通じてゐるのをわれわれが発見するとき、必然的に不可避的に埴谷氏の顔に会つた。
あらゆる絶望の予言はすでに埴谷氏の本の中に語られてゐた。だからこれを読むことが希望の唯一の根拠になつた。
明晰な文体と異常な人物、正確な悟性と異様な幻想……そのすべてが氏の容赦なき人間認識から出て、闇の風を
孕んだ深いお告げになつた。氏は分析に足をとられたことのない稀な近代人である。世界は崩壊の一歩手前で
言葉によつて引き止められ、闇は凝視にとつて最小限必要な光りを許してゐることによつて逆説的である。
埴谷氏の文学はただ青年の書であるだけではない。人間と世界の書であることが、今や明らかになつたのである。
三島由紀夫「推薦のことば(『埴谷雄高作品集』)」より 三島の小説には空虚さを覚えることが多いが、三島の批評はやはりいい。
この文章の一部は埴谷が亡くなった時、新聞にも載ったほど有名なものだけれど、
埴谷雄高という文学者の総体を見事に捉えている。ドストエフスキーの影響を
受けながら、ドストの猥雑さ、通俗性を捨象し、あの醇乎一徹な『死霊』を
創造した、世界でも例をみない哲人作家の本質がここにある。 たわむれにわたしが愛好する近代日本小説10作を挙げてみるか。
『其面影』『明暗』『或る女』『暗夜行路』『仮装人物』『雪国』
『迷路』『死霊』『万延元年のフットボール』『枯木灘』 奥さんに何回中絶させたんだよ。
なんでパイプカットしないの? 男の身勝手さだわ。よく奥さん死ななかった。
避妊さえすれば済んだこと。 だいたい、哲人に性欲があるのがおかしい
性欲は消滅するでしょ、普通 最終的には子宮を取った
これ以上は死んじゃうって医者に言われて >>16
なんでそんな残忍な目に合わせてまで……信じられない。
本当の話ですか? >>20
埴谷の板? ここの板は文学板ですけど。
言われなくても、そんな残忍な、奥さんの子宮除去手術までさせるような男のクズ、人間のクズの作家スレなんかもう来ませんよ。 ババアwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwww >>19
子供は絶対に産ませないって信念だそうです。
だったらほんと避妊しろよって話。 チンポの根元を凧糸でキツく縛り上げれば
三日でぽろりと取れるのにな。 子宮取らせるまで中絶を続けさせたことを知ってから、
死霊を読了しようという気が失せた。 この程度でうろたえるひ弱な連中なんだな。
これじゃあ到底埴谷のように女にもてやしないな。
女って、いい人には見向きもしない。
悪い奴に色気を感じる動物だから。 事実とすれば、何か気色悪い話しだな。殺人に間違いはない。
人間、快楽と性欲に振り回されているうちは地獄だな。
埴谷がゾロアスター教に傾倒してたってことも、妻の中絶繰り返しと
関係があるんじゃないか?彼は小キュロス王であったとw どこにでも書いてあることを言って恥ずかしくないのかねw >>30
女は基本的に、ワルぶってる男でも自分に対してだけは大切にしてくる男だけにしか惹かれませんよ。 埴谷の奥さんは何度中絶させられても別れようとはしなかった。
終生埴谷を愛していた。それでいいじゃないか。
赤の他人がごちゃごちゃ言う必要はない。
子供を持つか否かは夫婦の問題だ。 なんで避妊しないの?
自分には体の負担が無いから?
避妊すれば生きるや死ぬやの中絶の繰り返しをせずともすんだでしょ?
一度や二度じゃないんだから 面倒だからだろ。埴谷夫婦は二人が二十歳の頃演劇で知り合い、
奥さんが惚れて押しかけて来た。だから、埴谷からすれば、
この女は自分の言いなりでどうにでもなると思っていた。
埴谷自身、夫婦の関係ではスターリン主義独裁だと吹聴していた。 性欲を押さえることができなかったんだろう。
形而下の動物的な欲求に振り回されてるレベルだし、まともな人間ではないね。 >>40
別れても一人で生活できないから仕方なくダラダラいただけだと思われますね。 >>44
対処の仕方はまともじゃないから非難されて当然。 だからと言って、『死霊』というテクストの価値は減じない。 昔の人間は概して過激だったんだろ。埴谷は澁澤龍彦の机を抱きしめたらしい。
今の品行方正な人間が見たらホモだホモだと騒ぎ出すだろうが、昔は精神的だ同性愛はあってしかるべきだといわれていたしな。 子宮取らせるまで中絶させる奴に哲学を説かれたくない、と今は思う。
昔は死霊読み切ろうとしたけど。 現代のエロ漫画が過激化しているのも、そして個人ですらエロ漫画まがいを制作するようになったのも、現代世界がいっそう平穏になったからに関係していると思われる。
昔のカストリ雑誌などと比べてもエロは技巧的になっていっているしな。 >>50
こういう思考の奴がすぐブログを炎上させる。だがブログ側にも問題があることが多いのだがw 現代は埴谷のように気骨のある文学者が少なくなったな。島田雅彦や内田樹は口では過激なことを弄しながら本人はいたって品行方正だ。 >>38
はチワワだろうが、珍しくいいことを言っているな。男女の仲にくちばしを入れるものでもないだろう。
野次馬感情は否定しないが。中絶したのもお互いの了解の下にあってではないのか?
澁澤も中絶させまくったぞ。そのあたりはどうなのだw
>>38
はチワワだろうが、珍しくいいことを言っているな。男女の仲にくちばしをいれるものでもないだろう。
野次馬感情は否定しないが。中絶したのもお互いの了解の下にあってではないのか?
澁澤も中絶させまくったぞ。そのあたりはどうなのだw
当時中絶させていた奴は結構多かったようだ。そういう部分はどうする、昔はよかった、今は悪いとでもいうのかw この固定の書き込みには境界性人格障害特有の症状が見られる
スルー推奨 埴谷が中絶させたからその哲学にも関心がなくなった、というのはおかしな話だろう、と俺は言っている訳が。
まぁ俺も最近の品行方正で口だけ過激な連中をみるにつけ読む気がなくなるので人のことは言えないかもしれんがw 中絶を平気でやってケロリとしていたのは、女を性欲処理の「道具」
と見ていた明白な証拠。避妊するか、禁欲主義でいくかないのだが。
とにかく高邁な思想(笑)を語りつつ、やってることは次元が低い。
生理的に駄目だね、この手の偽善者は。 ルソー謎も高邁な思想(笑)を語りつつ、やってることは次元が低かったようです殻ねぇ〜(笑) 理想を追う者は現実が疎かに鳴るので消火ねぇ〜(笑) >>56
私は別に澁澤好きじゃないから、どうだと言われてもどうにも思いませんよ。
程度の差はあれ、同じだらしなさでしょうね。 >>55
気骨なんてないでしょ。中絶させたりしてるんだから。ある意味、小心者だよ。
気骨のある人なら、普通に子供ができたら育てるでしょうよ。 >>55
過激なふるまうところが女房相手じゃ情けないでしょうね。そんなもの過激な行動でもなんでもないよ。 死かし、マゾちゃん殻観て四度の中絶を死てまで埴谷の傍殻離れなかった細君に対してはどの様な乾燥を御餅なので消火ねぇ〜(笑) >>65
その命令に従っているからには、その人にも責任はあるでしょうね、男の横暴を増長させたという意味で。 66
埴谷謎は四度の中絶のちも女房は自分の元を離れなかったほど惚れられていた謎と惚気ておった酔うですけれども(笑)細君も私は産みます謎と強引に産んでおれば(笑)
反対する自分に逆らい女房が勝手に産んだ謎と殺す訳にもいかなかったで笑止ねぇ(笑)ゆえにわたくしもマゾちゃん動揺に細君にもその責任は会ったと観ますねぇ〜(笑) …ÅÅちゅーちゅー…(笑) Wikipediaを見ると、埴谷とは、90歳くらいまで生きたしぶとい人間だったようですね。 そんなことも知らんのか?
20世紀末まで生きていたのだよ。
女房が死んだ後も、ずっと吉祥寺で一人暮らしでね。 埴谷雄高は、街なかの路地の奥の、いかにも古びた家屋に、市井の外部に壁一重でさらされている
哲人のように住んでいた。僕がたずねた冬曇りの、風のつめたい日、埴谷雄高の家は水が澄むように
静まっていて、やはりそのなかに、この作家が生きていると想像することは、戦後育ちの人間の胸を
熱くした。 大江健三郎 羊水が腐ってるババアが発狂してるなwwwwwwwwwwwwww なるほど。中絶にこだわっているのは女か…
まあ、埴谷は生前女を見下していることを公言していて、本当に分かりあえる
のは男同士という考えだった。武田泰淳が好きでね。特に、詩は女には書けない
というのが持論だった。フェミニストからの攻撃にも泰然自若としていたな。 この夫婦、気色悪いなあ。快楽のためにあたら命を殺しまくって。
作品名は「死霊」じゃなく「水子霊」にした方がいいよw >>72
いや俺は男。子宮取らせるまで中絶させる奴を軽蔑するだけ。
>>72
女に詩が書けないとか、男と女の違いを客観的に分析し論じることと、
妻を何度も何度も中絶させることは全く次元の違う別問題ですよ。
後者は人としておかしいですからね。
詩が書けないからといって、そんなことしていい理由になりませんよ。 >>69
それから「そんなことも知らんのか?」って言い草はなんでしょうか?
そんなこと知ってる人は日本全国で0.1%もいないと思いますよ。 >>78
お前が知らなかっただけだろう
お前のような馬鹿は書き込まなくていい >>79
自分が知ってるオタク知識がみんなも知ってて当然だと思ってるんでしょうか?
そんなことを知ってるあんたが日本全国民から見たら珍しい人間だよ。
別にそれが悪いとは言ってませんけどね。 ここは埴谷雄高の文学板だろう。彼について何の知識もない奴がなぜ書きこむ
必要がある。知らないのなら、覗くだけにして、もっと勉強してから書けよ。 三島は自決二年前に埴谷と鼎談死ており増すよ(笑) 二人の思想の痴害がここに読み取れるで笑止(笑)三島は戦後文学作家の中でも埴谷は尊敬しておった酔うですけれどもねぇ〜(笑) 全国民が埴谷を知っているべきだなんて全く考えていない。実際、周り
に埴谷を読んだ奴はひとりもいないしな。しかし、ここは埴谷を読んだ
人間が互いの感想を述べあう場だ。なのに、ろくに埴谷を読んでいない
奴が中絶はけしからんとヒューマニズムを披歴しあっている。言っておくが、
埴谷は今の人類は滅亡したほうがいいという考えだった。だから、子孫
を残さないことを実践したわけだ。存在の革命とは現存宇宙ではそういう
ことだ。反対の考えなら、素通りしてくれよ。 >>78>>80
埴谷のスレに来てこれだからな。場所もわきまえず・・・
他人の思惑など気にもせず平気でコピペを貼り付けていく三島信者のような醜さだ >>83
埴谷がどうのこうのより、あんたの人を見下した物言いに文句言ったまでだよ。
名前は知ってても、死んだ歳までなんて調べなきゃ知らないでしょ、普通は。
人類が滅んだ方がいいとか言いながら自分は90歳まで生きた、ってのも変な話ですね(笑)
対談を読んだときの印象では、あんたが言うような絶望思想にみえませんでしたけどね。
まあ、実際に自分で読んでみなきゃ、あんたの言うことも本当かどうか分からないから、何とも言えませんけど(笑)
おじゃましました(笑) >>83
>埴谷は今の人類は滅亡したほうがいいという考えだった。だから、子孫
>を残さないことを実践したわけだ。
自分が死ねばいいだろ?
死ねないなら、避妊すりゃいいだろ?
なんで繰り返し中絶させんの? >>83
それから、そんなポリシーなら、まず自分が睾丸切除すべきだったでしょうね。
おじゃましました(笑) おやおや(笑)被さってますね。
ちなみに、>>86の方は私とは別人ですから。おじゃましました(笑) >>87
同感。自分が睾丸切除すべきだったね。
>>88
いや俺はまた来るよ。 >>82
(o`.´o)ちゃん、おやちゅぱなさい(笑)(。人。) 女を、女房を見下していたんだ。自分のじゃなく、女房の子宮を切除させるさ。
いやなら、離婚だってね。大岡昇平との対談でこんなことを言っている。
「女のほうは自分から惚れていっしょになれたからいいだろうけれども、こちらは、
ああ、あんなにいい女がいたのに、なぜおれはこんな女といっしょになっちゃたん
だろうって、たえず絶妙深刻に反省するんだからね(笑)。」 >>91出た京都ゲイシャ。帰れ! 帰って一生天皇家やってろ! 虚体が埴谷の理想。だから現存宇宙は過誤の宇宙だ。
存在形式がすべて間違っているから、存在の革命が必要。
かくて、『死霊』のラストは与志と安寿子が息を止めて自殺する、
ことになっていた。意識=存在を求めて。 歴史上好きな男性は?という問いに埴谷は哲学的自殺者と答えた。 >>91
(。人。) ちゃん、おはちゅーちゅー(笑) victorystyleみたいなことを書いてる人が来てるね。 当人同士が了解して中絶してんのに中絶よくないみたいなカルト宗教の信者みたいなこと書かれてもね >>99
程度の問題でしょ。何度も何度も、みすみす結果がわかっていながら避妊もせずに、
何度もそんな処置をすることはまともな人間のすることじゃないのは確かだよ。 自分は睾丸取らない、女房に中絶繰り返しの上、子宮を取らせる。
そして人類滅亡を願いながら、自分は90越えの長寿(笑)。
めでたいですね。 やっぱりチワワは馬鹿だな。まず埴谷は90越えていないだろう。 埴谷はな、「先生」と呼ばれるたびに、「先生とは呼ばないでください」
と言ってたんだぞ。どうだ?すごいだろ? 普通は奥さんDVしたり中絶させたりなんかできん。
中絶させた後に中出しセックスがそもそもできん。
般若さんは、現実の見方が常識と違うんだろうな。
作品を肯定するあまり、その人間性まで肯定する。
人間性を否定するあまり、その作品まで否定する。
どっちも同じ心理からくるらしいよ。習ったもの。
性欲が人一倍強かったんだろうなあ(笑)。
しかし「中絶」の強要はいかん。人間としてな。
猿でない人間なんだから、理性をもたなくちゃな。 >>105
>>102は私じゃないよ。何でもかんでも私に認定するあんたが馬鹿だよ。 中絶は犯罪じゃない。
中絶がなければこの国の人口増えすぎて、
もっと窮屈になっていただろう。
適度の間引きは理性的だ。
猿じゃないんだから、調整はしないと。 子供おろすんなら食べちゃえばいいのに。
カサブタとか食べるよね。
(普通はあんまり食べません。) 誰が犯罪の話をしてるんだ。倫理の話をしてるんだろ。
適度かどうかは人それぞれ判断すればいいことだ。
他人の価値判断にそううるさく嘴をはさむもんじゃない。
他人に迷惑かけない限り何しようと自由というのが、
価値相対主義に立つ現行憲法下の日本人のあるべきふるまいだ。 でも、社会ってのは憲法だけじゃなくて、風習、道徳、倫理っていう規範が
噛みあって成り立ってるそうだよ。明文化されてる憲法だけが全てじゃないってのは
実感でわかると思うけど。
まー結局そこまで理屈の視点を広げないと無意味な中絶は受け入れられないって
ことだよな。般若さんって人ごと作品を受容しようとすると、どうしてもそこ
が邪魔するんだろうな。批評に適したというか、批評にのみ行き場を残した
作家なのかもな。どういう相の人達が読んでるんだろうか。
胎児は人間とは法律上認められない。
そんなことも知らんとは。バカめ。 胎児よ胎児よなぜ躍るってかw
とにかくチワワは現在の価値観で文豪を叩きすぎる。昔の女の地位を考えてみろよw
埴谷スレッドに寄生しだしたのも、こいつの住み込んでいるスレが過疎になったからに過ぎない。 >>83
>埴谷は今の人類は滅亡したほうがいいという考えだった。だから、子孫
>を残さないことを実践したわけだ。
睾丸取れよ、で終わる。 前スレ>943 続き
他のもの Sc_160132.zip
※意見には個人差があります、DLは自己責任で
>124 続き(>480の補足)
著者は多感な少年期を台湾で過ごした
台湾は蛇の多いところで、毒蛇の種類も多く、習慣的に棒でたたき殺してしまう
きっと《見つけたぞ!》と叫びながら撲殺しちゃうんだろうねぇ〜
そんなある日、般若少年は洪水による濁流の中を流されゆく一匹の蛇を目撃する
蛇は一種不可思議な交感を起すが、このような台湾での体験――
「ひとつの胚珠」の蓄積は成長するにつれて次第に論理的な形をとってきた
この「自伝層の蛇」は少年期の三輪与志をおびえさせる
「気配」や「異常感覚」として「象徴層」にはい出てくる
少年の頃、彼は森の境で一人遊んでいるときなどに、不意と怯えた。ひっそりと静まった森の何処かからかすかな
地響きが起ってくるような気がするのである。或いは、何らの障害物もなく寂漠たる周囲から不意に湧きおこってくる。
それは駆りたてるような気配であった。如何に泣き喚いて駈け出そうとも、そこからの逃亡は不可能だと思われるような
気配であった。
(中略)
主辞と賓辞の間に跨ぎ越せぬほどの怖ろしい不快の深淵が亀裂を拡げていて、その不快の感覚は少年期に彼を襲ってきた
異常な気配への怯えに似ていた。それらは同一の性質を持っていて、同一の本源から発するものと思われた。彼が敢えて
それを為し得るためには、彼の肉体の或る部分をがむしゃらにひっつかんで他の部分へくっつけられるほどの粗暴な力を
備えるか、それとも、或いは、不意にそれがそうなってしまったような、そんな風に出来上がってしまう異常な瞬間かが
必要であった。
二章 「死霊T」
著者は鰻丼が好物だったという証言があるが、
B級グルメが氾濫する今日はもとより、如何な食うや食わずの戦後においても
サルやヘビ料理が食卓にのぼる機会は、まず無いであろう
前掲の挿話で「蛸」が採用されたのはこの辺の配慮によるかもね 西尾維新みたいな文章だな
難解な単語を羅列しただけの言葉遊びに思える
無出現の思索者のくだりなんて意味がわからない >>119
ガタガタ通りすがりの私に文句ばっか言ってないで、作家本人を語りな。でなきゃあんたこそレス者攻撃してるだけの荒らしだよ。 埴谷の言葉に「黙狂」というものがある。最初は医学用語かと思い、調べてみてもみつからない。氏は漢字の使い方で読者を引き込む術に長けているようだ。しかし、「難解」とは違うような。。。 死霊は、大まかに言うと
「虚体」という概念を説明するための小説でいいですか? >>132
何だそれ、面白いと思ってんのか?
般若さんのインタビュー動画見たからもういいよ、お前面白くないからどっか行け 私達のなかで一番若く、しかも、かなり年齢がはなれている三島由紀夫にとって、私達のなかで、君、僕で
話しあうのが何んとなくぎこちなさそうに見えた。戦後は、すべてのひとびとが対等につきあうのを建前にして
いたので、すべて、君、僕で通用させる風潮は一般化していたのであったが、まだ二十三の最年少であった
三島由紀夫にしてみれば、すべてが年長者である仲間達に、君、僕で呼びあうのは、自身に元気をつけてそれを
敢えてするといった一種の踏み切りの感じが自分自身の内部にあったのだろう。頭の廻転の早い彼とスローテンポの
野間宏の会話はその頃から際だって興味深いものがあったが、三島由紀夫が「野間君」という調子には、
思いきって決然といっているといった趣きがあった。(中略)
そして、酒がまわってきたとき、三島由紀夫は、その後ほかの席でもよくやったらしいが、
「知らざあ言ってきかせやしょう」と辨天小僧のよく知られた口跡を一くさり、ちゃんと見えをきって、
せりふ廻しを見事にやってのけたのである。
埴谷雄高「『序曲』の頃――三島由紀夫の追想」より (中略)
私達の殆んど全部が酒をのむだけの芸なしであったので、そのときの三島由紀夫の辨天小僧は並はずれた
遊び人であった河出孝雄をひどく喜ばせたのであった。(中略)
(「序曲」創刊号の)座談会で特筆すべきことは、いわゆる「戦後」の気分がそこに活気に充ちて横溢している
ことと、そして現在は温厚篤実な学者文学者になった寺田透が当時は荒れていて、忽ち酔っぱらってくると、
卓上の酒杯を次々とうちおとしたり、自分もその場に勢いよくぶっ倒れたりしたことの二つをあげねばならない。
そのときの寺田透がひとつの鬱屈した大きな暗黒物体だとすると、三島由紀夫は一種不逞な活気に充ちみちた
明るい精神なのであった。(中略)
座談会が終ってから私達は神保町の「ランボオ」へ赴いたが、そこで寺田透は、仕方なく笑顔を浮べている白髪の
森谷均の前で、入口の大きな硝子をはでに割ったのである。
この創刊号には、(中略)三島由紀夫はメディアを換骨した「獅子」をのせている。
埴谷雄高「『序曲』の頃――三島由紀夫の追想」より 引用垂れ流しクソ野郎は三島隔離スレから出てくんなよ 最近読まれてないか。宇多田が読んだ頃は話題になったが。 全部読むのしんどいしな
途中で挫折する奴が99%だろう
俺含め 1994年7月号「海燕」に埴谷と島田雅彦の対談が載っている。
戦後文学の継承がテーマだが、いまや継承者が見当たらない。 哲学・者と言われても哲・学者と言われても別段むきになるほどの
動揺も起こらない。
哲学者は常に入用な人間ではない。本当に必要なときは生涯に数え
るほどもないだろう。それを逃しては哲学者である意味もない。
むつかしいことを知っている人、理屈ばかりを言う人で用がたりる
のならば、あまりその役目は軽すぎる。
民衆から本当に嫌われる日を待つ根気さえあるならば、 串田孫一 何を言いたい?
埴谷 に つ い て 。 。 。 . . 何を言いたい?
埴谷 に つ い て 。 。 。 。 . .
>125 続き
津田夫人の譫言に動かされたか、三輪与志は津田安寿子(当時十三歳)を膝の上に抱きあげる
三輪家の応接間で「理由もない殺人」こそ起きなかったものの、悲劇的な顛末が待っていた
三輪与志は津田安寿子の瞳のうちに何を見たのであろうか・・・・・・
その夜、彼は一つの夢を見た。その夢は、非常に短く、また單純であつたけれども、彼にとつて必ずしも無意味で
なかつた。その夢はこんな内容をもつてゐた。
(中略)
僅かそれだけの夢であつた。夢を弄びつけた彼にとつて、それは平凡な夢であり、暗く不吉な印象の他には殆んど
何らの感興をもひかなかつた。けれども、覺めたとき何時もするやうに、印象を暫くまさぐつてゐる裡に・・・・彼には、
その夢が次第に奇怪に思はれてきた。
(中略)
それは、重苦しい後味であつた。彼に何らの關はりもないやうな、殆んど意味もない事態のなかにあつても、恐らく
彼に無縁でない或るものがそこにあつて、しかも、それを確かめもせず徒らに過してきたのではあるまいかと云つた
ふうな、異様に閃く懸念がふと彼を捉へるのであつた。
長編 死靈 (10) 「近代文學」
夢のなかの登場人物が住民票を提示できるかどうかはともかく、
頭蓋のうちに、時期知れぬ、何時の間にか拡がる「無縁社会」に愕然とし、聖なる<非自我>を表象し得ない
「死魚のような瞳」の記憶を引きずりながら、地方の高等学校に戻って行く >153 続き
<妄想のなかの陶酔>にのめり込む埴谷は、ウオルィンスキイ著「偉大なる憤怒の書」を訳出(昭和十八年)、
ドストエフスキイによる「実験」とその限界を確認する
認容してはならないと予感し、また、自己の全身全霊をもつて認容したくないと決意しながら、しかも認容せざるを
得ない存在というものがある。認識し得るもののみを認識する思惟の厳密性を前にして激発する近代人の熱情が屡々*
論理を乗越えんとする場所は、恐らく其処に発生するのだ。
(中略)
若しかかる熱情が種々の拘束より解放された、自由な、個体的肉体的生命力の顕現と看做されるならば、近代人の
情熱の在り方は単純直裁に解明され得るであろう。然し、近代に於ける困難は、本来非個体的であり得ぬ情熱が
個的肉体の領域から思惟一般の領域へ浸透しはじめる異常性に存するのだ。
「ドストエフスキイの方法」 *「屡々」……書き込めないので書き換え
カントとドストエフスキイを結合させた埴谷の実験――「内的自由の追求」の対象は「夢」である
西洋で最初にメスカリン人体実験を行なった一人とされるハヴロック・エリスの報告から、
次のような考察を得た
夢のなかの他者がこちらを理解したことをこちらが理解するといつた事態の迫真性、また、夢のなかの他者がこちらを
理解せぬことをこちらが理解するといつた事態の迫真性は、夢のなかの些細な不思議さをも見逃さずに立ちどまつて
考察するものにとつて怖ろしいほど解決困難な問題を提出する。何故夢のなかの他の人物達は夢の織手である主人公から
完全に独立しているのか。そして、夢の主人公とその主人公によつて織りなされた夢の部分である筈の他の人物が、
さながら現実における事態がそうであるごとくに、不意と理解しあうのは、何を意味するのか。
「可能性の作家――続・夢について」
「一つの夢」が提起した問題により、ただでさえ孤独癖のある陰気な青年はとまった、曖昧にすらなった 夜、おお、暗黒のいざないよ。
わが魂をいかに充たさんとて我は欲す。
そは一杯のウイスキーにもしかず。 New!!
↓
熊本/大学生・女児殺害事件「ここ1年くらいはパチンコ店に入り浸っていた」
http://jbbs.livedoor.jp/bbs/read.cgi/game/1733/1289258255/720
↑
ギャンブル依存 発達障害がある場合も
「ギャンブルにのめり込んでいる人の中には、発達障害の人がかなりいる」。
こんな見方が、ギャンブル依存者の回復を支援する専門家の間で認識され始めた。
http://www.chunichi.co.jp/article/living/life/CK2011021002000055.html
http://megalodon.jp/2011-0210-0913-45/www.chunichi.co.jp/article/living/life/CK2011021002000055.html
2011年2月1日
兵庫・加古川の母娘殺害:夫に懲役25年
「勤務先を解雇されてパチンコなどのために借金を重ね、家族の生活費などを使い込んだ…
このため妻しのぶさんから離婚を求められ絶望的な気持ちになり」
http://jbbs.livedoor.jp/bbs/read.cgi/game/1733/1289258255/718
東池袋 出会い系カフェ殺人事件・女子大生と男「1万円の攻防」
借金200万円→パチンコで負けてから深夜11時出会い系カフェ入店→ラブホテルで殺害
http://jbbs.livedoor.jp/bbs/read.cgi/game/1733/1289258255/714-719
北関東・5人幼女連続レイプ殺害犯を警察が捕まえない理由は、飯塚事件で無罪の人を死刑にしたから
北関東・5人幼女連続レイプ殺害犯を警察が捕まえない理由は、飯塚事件で無罪の人を死刑にしたから
警察は犯人を知っています。
警察は犯人を知っています。
犯人は今も週末にパチンコを打っています。
犯人は今も週末にパチンコを打っています。
http://jbbs.livedoor.jp/bbs/read.cgi/game/1733/1289258255/669-671
●マスゴミは大学生がパチンコに入り浸っていたことは総スルーするぞ(笑)● 南相馬市へのアクセスが不能になっています
埴谷島尾記念文学資料館の状況も気になりますね
寺田さん、お見舞い申し上げます >157
南相馬市のHPが復旧しました
文学資料館のコンテンツも閲覧可能です
私の原籍地は福島県相馬郡小高町岡田であるけれども、そこには父の父、つまり私の祖父の墓がたつたひとつ、いわば見捨て
られた夏草の荒涼たる孤独のなかに建つているだけでそのほかには何もない。
(中略)
この祖父は私が生まれる前にすでに亡くなつており、まつたく見知らぬところのその祖父は、私にとつていわば抽象的な存在に
過ぎないにもかかわらず、記念碑ふうなひとつの大きな墓として故郷の山蔭の一角に建つているだけのことによつて、私に打ち
切りがたい一つの不思議な靭帯を感ぜしめ、その後三十年ひとりの親族もいないそこをいまだに原籍地としつづけている理由に
なつたのであつた。
ところが、先日、その山蔭の墓地を訪れた親類の一員から大きくそそりたつた一枚石である祖父の墓が七十度ぐらいに傾いて
倒れかかつていることを知らされたのであつた。私の胸のなかにつき立つていた一本の鋭い棘が痛みをもたらして秋の冷たい風
のなかでゆらゆらと揺れ動くのを私は感じた。
(中略:会津若松で講演後、小高に向う車中)
私は紅葉した山中から現われてくる断崖を不安にながめながら、ドストエフスキイに、自分の郷土との関係を失つた者は、
自分の神すなわち自分の目的を失う、という言葉があつたのを思い出し、故郷喪失者である私はいま失われたものを取り戻しに
ゆくのか、それとも全く失われたことを確認しにゆくのかと考えた。
その夜、私は祖父の墓を起こすことを父の古い知人に頼むことができたが、深い闇のため墓地を訪れられなかつた私はやはり
失われたものをついに取り戻せなかつたようである。
「祖父の墓」 >154 続き
―――大宇宙を婚姻せしめる同質。それを吾々は認めねばならない。
私は、釣りあげた魚を手にとると、そのぞつとする感触に、いきなりそいつを地面へ叩きつけてうち殺すのであつた。
(中略)
生物のもついやらしい感触――。さてその力は、存在へ、さらに思惟へも、拡げられよう。
「不合理ゆえに吾信ず Credo,quia absurdum.」
「Credo taedium solum ――」
「物語層」の時間軸に沿えば、一章の「或る秋の午後」へと折り返すコトになるが、
暑中休暇中の一連の出来事に触発されて、「或る想念」を極端化してみる
三輪与志の論文執筆が始まるんだねぇ〜
著者はココ(連載10回)で読者に「改變」を告知、前スレでみたように、
三輪与志がサアカス小屋でみせた非礼な行動を苛だたしく回想し、
「身寄りもない娘のお通夜」と「一つの夢」を関連付けて懊悩する「謎のやうな一夜」を裁断する
>161 続き
――どなたが・・・・・・亡くなつたのです?
(中略)
――上から墜ちた・・・・・・娘つ子さ。背中の骨が折れて・・・・・・首も曲らなかつた。二晩中、唸りつづけてたよ。
――墜ちたかたが・・・・・・亡くなつたのですつて?
――さうさ。だが・・・・・・お弔ひでなきあ、何しに來たんだ。いくら御通夜だつて・・・・・・今頃、來たやつはありやしない。
と、彼等を見据ゑた中年の男は、不機嫌さうに答へた。當惑したやうな仄かな色がさつと三輪與志の頬へのぼつた。
(中略)
・・・・・・「二重の記憶」とでも名付けられる經驗は、誰にもあるだらう。記憶の隅に忘れ果てたやうな遠い何時か、
ひよつとすると夢のなかで、こんな場所、こんな人物を確かに見たことがある・・・・・・ふとそんな氣がする瞬間である。
その印象を、細密な部分にわたつて調べてみると、二つの印象は似てゐると云ふよりまつたく同一で――つまり、
一瞬の裡に同じものを二度見たのである。しかも、瞬時に過去へ飛び去る第一の記憶が、大抵、かなり朧ろげで
瞹眛なため、却つて、その印象は双方とも、疑ひがたいほどの現實感を持つてゐるのである。
このやうな心理的錯誤は、三輪與志の一つの「遊戲」となつてゐた。懶いときの三輪與志は、さまざまな
「祕かな遊戲」にふけつたが、いまはそんな餘悠もなかつた。
(中略)
矢のやうに記憶をまさぐつた三輪與志にとつて――それは思ひがけぬ言葉で、また、思ひがけぬ人物でもあつた。
長編 死靈 (三) 「近代文學」
草 木 も 眠 る 丑 三 つ 時 ・・・・・・になろうという
深夜に来訪する自身のKYぶりに赤面する三輪与志であった
>162 続き
「既視感」として広く知られる心理学的体験であるが、ブランコから転落する娘の印象に照応する、
三輪与志の頭蓋のうちの「第一の記憶」を精査する暇は与えられない
この「象徴層」を「灰色のヴェール」で覆った意図はなお解き難い
木立をぬける際によろめき両手で掴んだ「柔らかな、気味悪い感触」と蓮池の「水面になにか跳ね上がる音」
・・・・・・だけが残された
終生続けられる埴谷の実験の「中間報告」では
デモノロギーへの知見による、不可能へ、矛盾へ向かっての挑戦が試みられていく
私はすでに、夢と想像力をわかつものは、一方における絶えることもない固定した自己の登場と、
他方における流動し変身し絶えず立場転換するところの無数の自己の登場にあると述べた。これを言い換えれば、
夢が自己を中心として連続的、時間的であるのに対して、想像力は多くの他をも自己として構成的、空間的であると
いえるだろう。ところで、しかし、夢についても想像力についてもそれらを既知から未知へ向つて
ひたすら駆りたてているところの基底の起動力は、まつたく同じであつて、そこには灰色の白昼にも闇の深夜にも
黒い服装をして見廻つているひとりの夜警が隠れており、《吾思う、ゆえに夢あり》と同じ種類のテーゼが
想像力の上にもまた掲げられることができるのである。私は、さながら、宇宙の自己運動であるかのごとき
この思惟作用の事物を貫きゆく凄まじい変幻の見事さに、いまさらながら驚かざるを得ない。
「不可能性の作家――夢と想像力」 >163 続き
長い回想が終わり、「物語層」では一日目の午後を迎える
三輪家の祖母の埋葬日でもあるこの日、孤独に「夜の論理」を考究する三輪与志の与り知らぬ場所で
「昼の論理」を巡る対論の第一幕、「白熱応接間」が展開されていた
榴散弾はその性質上、要塞やトーチカのように上面をコンクリートなどで強化された防御陣地や、
厚い装甲に覆われた戦車などの頑丈な目標にはほとんど効果が無い。また、最適な高度で炸裂させるためには時限信管を
目標までの距離に応じて調整する必要があるため、距離に応じた正確な時間を算出する弾道工学と設定した時間通りに正確に作動する時限信管が必要だった。 >>158
福島第一の20km圏内じゃん。
ttp://genshobo.com/?p=3574
↑によると津波の被害はないみたいだが 埴谷雄高の死霊面白いね
面白いなんて言ったら失礼かもしれないけど
全集の方買ったはいいけど旧漢字体で辞書がないと読めないw 仕方ないから3章までついてる文庫本を読んだ
死霊はすごく好きだ、設定から何からエキセントリックだけど
描写に説得力がありすぎる
もしこの世の中に、やさしいという基準があるとしたら、埴谷雄高の精神こそだろう 埴谷雄高、椎名麟三:従軍経験無し
野間宏、大岡昇平:従軍経験あり
戦争に行った方が面白い小説が書けるんだな >>170
埴谷雄高も椎名麟三も、戦争に行ったとしても、あんな小説しか書けなかったと思うよ。 死霊はやっぱ1章がいいな
これからなにかがはじまる・・・というワクワク感があって。 精神病院、屋根裏部屋、運河のほとり、地下室など、舞台設定がいかしてる。 >164 続き (前スレ480の続き、ということで)
この頃の津田家には、津田夫人がそれまで見知らぬさまざまな人物が訪れ、あはただしげに立ち去つてゆく習慣が
出來てゐたので、玄關脇に生ひ茂つた棕櫚の間から異樣な風體の人物が現はれたとしても、格別不思議ではなかつた。
(中略)
と云ふ理由は、夫のところで譯ありげな密談をつづける彼等が或る時は彼女の部屋へ立ち寄つて、自家宣傳とも追從とも
つかぬ挨拶を述べたててゐる裡に、彼女は彼女の夫津田康造が來るべき政權の書記官長に擬せられてゐるといふやうな
微妙な雰圍氣に氣付いたからであつた。そして、一種獨特な肌合ひをもつた人達がもたらすあはただしい、
濁つた雰圍氣すら、彼女の氣を牽かぬ譯でもなかつたのである。
長編 死靈 (11) 「近代文學」
玄関先に「ふらりと現われた」見知らぬ青年をいぶかしむ津田老人をよそに
この種の人物と即断した津田夫人は「寛容な応接」に遇してしまう
密かに「偶像の自己破壊」を策らむ人物の「第一印象」に不吉な胸騒ぎを覚えるが、
女の勘は鋭いねぇ〜
津田夫人の「胸の扉」にちょっと風を通した首猛夫は「予定表」に基き、
応接間に滑り込む
――宣戦布告にきましたよ。
(中略:アジア的思考様式)
――ふむ、貴方は凡てをそのまま受けいれる。貴方に逆うものさえ許容して、怒り顔を見せたこともない。
おお、貴方の総監室で、思考の拡大再生産、さらに、人間精神の変革についてがなりたてた相手をも肯定して、
眉も動かさなかった。ちょっ、何処まで貴方は自然そのままを気どっているのだろう。貴方に会う者すべてが、
貴方の裡に、謂わば無限の無抵抗のみを感ずるのは、何故だろう。
(中略)
おお、無言無説の完全な体現――それこそ僕が宣戦布告すべき一方の極点なのですよ。
二章 「死霊T」 >175 続き
涅槃の境地――「下流」へ堕ちていく両家の系譜にあって
「國家を指導しよう」と大望する三輪広志を育てたのは、
あるいは彼であったかも知れない
このやうな父の、謂はば徹底した自由放任下に成長した津田康造が、病身な母、富裕な家庭といふ條件を備へながら、
邪道にも踏みこまなかつたのは、彼自身の特殊な性格によつた。彼の特徴は極端なまでに自己主張をしない點であつた。
三輪廣志と彼の話を隣室で聞いてゐると、三輪廣志の聲だけが聞こえた。それは兩家の傳統に適つてゐたが、これほど
性格の相反したものが、これほど緊密な友情を結び得るとは不思議なぐらゐであつた。
(中略)
こんな自己主張論者たる三輪廣志と、自己主張を母の胎内へ置き忘れてきたやうな津田康造との親しい友情は、
かうしてみると、通常には得がたい優れた組合せと云えた。さう在ることが既に強味だ!と、津田康造もある意味で
呼び得ただらう。彼を押してみると――謂はば、無限の無抵抗といつたやうなものを、どんな相手でも感じた。つねに惡を
論ずる三輪廣志との長い接觸がどんな影響を與へたのか解らぬが、彼はあらゆる形の惡をもそのまま自然に受けいれて
逆はなかつた。とは云へ、彼がその惡を別かち擔つてゐるとは誰も考へなかつたところに彼の特殊な在り方があつたのである。
それを全く表情に現はさなかつたけれども、津田康造は彼に相對する人物の心理の動きを微細なまでに洞察してゐた。
それは生得の能力と云つて好かつただらう。何故なら、彼は相手を探るやうな態度をとつたことがなかつたから。しかも、
彼が相手を洞察してゐることは、相手自身に反映してゐない譯でもなかつた。殆んど一人で話しつづける三輪廣志が、
彼を欠くべからざる*親友と見做してゐたのも、この理由によるのであつた。それは一種の人徳であつた。この曖昧な概念は、
謂はば、欲望の欠除*と同義語であつたが、その後官吏となつた彼が、殆んど特別な才腕を振はなかつたにも拘はらず、
有能と見られたのは、ひたすらこの曖昧な人徳によるのであつた。
長編 死靈 (八) 「近代文學」 *「欠・・・」書き込めないので書換え
>176 続き
「自己主張の完璧な喪失者」がその実、
日々津田夫人のご機嫌取りに粉骨砕身していたのであった
来るべき政権、に於いてもこの手腕を発揮して欲しいところである
アポなしで来訪した上、家主の精神に「Nil admirari」のラベルを貼り付ける
不敵な青年は、さらに白熱する >177 続き
室内に響くその嗤い声に、総監室での「第一の記憶」を精査する津田康造に対して
ココでも「退屈な天国の思想」が披露される
――(前略:裁判官物語)ちょっ!自分は生きている――それが唯一の保証です。他の者も下らぬ愚行をつづけて、
とにかく勝手な生き方をしているが、そんな他人はどうであれ、自身もとにかく訳も解らぬ部分的な役目とやらを
ちょっぴり果して、生きているということ、それが自身をなにかしら納得させる唯一の気休めなんです。
そして――あっは、それがゆるぎなき生だと頑くなに確信していること、そのことこそ僕が宣戦布告すべき
他方の極点なんです!
(中略)
――それは、怖ろしい課題らしい。貴方が宣戦布告されるというその課題は――。
――そう、怖ろしい、破局的な課題です。
二章 「死霊T」
「正真正銘の実話」とされるこの裁判官の前に黒い表紙のノートが降って来ないコトを祈りたい
>179 続き
全地球上で同時進行する「破局的な課題」に深い憐憫をも示す津田康造を前に、
首猛夫は遂に人類が如何なる段階に達したか、メルトダウン寸前の工程表すら示しえない
危険な、非妥協的な、危険極まる年代に成長したと宣告した
――そう、如何なる段階に到達し得たのかは、私自身も考えてみたことです。
――おお、貴方自身も考えられたのですって?すると、そのとき、こう考えなかったでしょうか――人類、青年期に達す、
とね。
(中略)
――死!それは如何に荘重な、しかも、親密な重みをもって現代に響き渡ることだろう。死は、青年の胸に甘美な、
粗暴な、陶酔の歌を奏でる。現代はまだ死の時代なんです。
(中略)
あっは!少し優れた煽動家の課題は死の理由を正当に見つけることにある!死への必当然的な理由と保証の発見が、
「選ばれた人々」の緊急課題となっている。誰が最も優れた死を示し得るかが、現代の最大特質をなしているんです!
それこそ、愚劣で崇高な危機の時代ですよ。生を保証する何物もなくなったのだ。おお、誰がそれを示し得るだろう。
自ら十字架に架かったような権威をもって誰が再びそれを決然と表白し得るだろう。まだ誰もないのだ!
二章 「死霊T」
ちょっと待ったあ〜!
青年期に達したと云うのなら、その前に「少年期」や「幼年期」みたいな時期があったってコトですよねぇ〜
それってどうなってるんでしょう? 埴谷はアナキストに憧れだったのか?
幸徳秋水や大杉栄などに影響されているだろ?
誰か詳しく教えて レーニンの「国家と革命」に魂ごと持ってかれたんだよ。
ニヒリズム、アナーキズム、マルキシズムが渾然一体となっていたが、
影響を受けたのはロシア等、西欧諸国の文学や哲学や思想。 え?そうなのか?
この爺さん夜空を見上げると見上げた己が見ていると言ってたぞ
架空論を語ると唯物に帰依しないのだが 死の・う団だよ鍵は
どこの宗派かは忘れたが作者の脳裏に強調していたと思われ このことを言ってるのかな。それなら、これは「死霊」構想時の単なる空想であって、
実際にあったと噂には聞く、「死のう団」とは関係ないように思う。
嘗て耆那教の聖典に接したとき、私には一つの奇妙なヴィジョンが浮んだ。耆那教とは
印度古来より現在までひきつづいている戒律酷しい一教団であって、嘗て私が述べるような
事実など存在しなかったが、私は私自身の法則に従ってその素朴な教儀を私流の領域へまで
極端化してみたのである。そのとき浮び上ってきたヴィジョンとはこうである。その教団は
その頃餓死教団といわれていた。着ること飲むこと食うことはおろか呼吸すらその信徒達は
禁ぜられていた。(以下略)
――「死霊」自序 より――(教「儀」はママ)
埴谷の思想形成過程を探るなら、「影絵の世界」と題された一連のエッセイ文が最適。 うん。
相当に詳しい人と思われる
埴谷解析本を書いている人?
ちなみにツベでNHKインタビュー動画はある NHKの埴谷特集はビデオ録画をときどき見ている。
新宿のバーの場面がよい。 >180 続き
残念ながら「少年期」や「幼年期」について特に触れてはいない
「前世紀から」血が濁った、と云う「青年の主張」に沿うならば、「少年期」はそれ以前、
悪魔が跳梁跋扈する「中世」以降というコトになろうか
「ただこの世界とともにのみ終焉するだろうところのひとつの戦いがこの世界とともに始まつた。
それは、自然に対する人類の戦いであり、物質に対する精神の戦いであり、運命に対する自由の戦いである。
歴史とは、この終結なき闘争の記録にほかならない」
フランス革命について深い洞察を行つたミシュレのこの荘厳な言葉は、人類の歴史に記録されているところの自由の戦いが
この世界の終焉まで終らないことを見事に述べているが、このような果てもないほどの長い戦いの宣言は、また同時に、
人類の生の果てしもない不屈さへの確信を示しているのである。自然、物質、運命に対置される人類、精神、自由という
見事な組合せのなかで、生にひきつづく生、さらに、生に重なる生を世界の終焉の彼方まで遠くひきずつてゆくこの壮大な構図の
裏には、生の絶えざる過程のなかで人類が緻密な改善と創意に充ちた飛躍を絶えず積みあげながら、さらに絶えまもなく
進歩しゆくに違いないという謂わば消すべからざる信念がなお潜んでいるのである。
(中略)
ミシュレが自然に対する人類の戦い、物質に対する精神の戦い、運命に対する自由の戦い、という大きな構図をもつて
定義づけたごとく、私達が注目するひとりの主役が歴史の舞台に登場してくるまでには、科学と理性が前口上に現われて皮肉で、
しかも、鋭い論議を交わしてみせる序幕が必要なのであつて、それまでのあらゆる自由の渇望が神の手から決定的に離れてしまつた
そのとき、ようやく苦難な境遇に抗うこの主人公が私達の眼前に現われてきたのであつた。私たちはその理性の劇の開幕の時期を、
フランス革命、と名づけ、そして、第一幕から登場してくるこの主人公の名称を、さて、自由、平等、友愛と名づけることが
できるのである。
「自由について」
>>189 続き
もうチョットkwsk ttp://ll.la/xy2t
ミシュレが記録するフランス革命後の顛末(バブーフの叛乱)は割愛する
なお「物語層」における「前世紀」は、近世ヨーロッパの十九世紀を指すとするのが妥当と思われる >>183 「魂ごともってかれた」ってのは間違い。
埴谷は、国家の死を約束してくれたレーニンを信じた。
でも、ちっとも国家がなくならないロシアを痛烈批判するようになる。
根っからアナーキズムな方ですよ。
ドストエフスキーに構成などの影響を受けたと本人が言ってるのも事実。 大久保 清被告が、彼のファンとはねー!
ところで白い巨塔の1966年のモノクロ映画のなかで バリューム飲んで、寝てて、「まだわかりまへんやろか?」と、関西弁でゆうただけの、楽な佐々木庸平の役 (カルディ(ジ)ア・クレプス→噴門部ガン患者役)に似た顔ですね? 埴谷さんって・・・
わたしの親の鼻っぱし強く元銀行マンの知人、戸田さんにもちかい顔・・。 >189-190
引用文の表題を訂正、「自由とは何か 二」
以下は蛇足的補足
大岡 スタンダールは、自伝『アンリ・ブリュラールの生涯』を五十二歳のとき書くわけだけれども、
「ルイ十六世が首を切られたとき大きな喜びを感じた」なんて書くんだから、あいつもだいたい態度を変えていない(笑)。
いろいろなことを言ったりしたけれどもね。ジャコバンで、過激派で、暴力革命派なんだよ。一八三二年になっても、
まだ一七八九年の大革命は終わっていないと思っている。
(中略)
埴谷 フランス革命のすぐあとにバブーフという人がやはり「革命いまだ完了せず」と言って、革命の革命をやろうとするんだが、
ぼくは政治論文を書いている時代、ずいぶんこのバブーフについて書いたよ。そうしたらバブーフは吾国でも有名になって、
とうとう芝居にまでなっちゃった。
大岡 へえ、バブーフは戦後の革命史研究の中心だから、きみには先見の明があるんだね。スタンダールは貴族も嫌いだけど、
議会にも反対でね。
(中略)
一八七一年のパリ・コミューンの壊滅で終るんだろう、フランス大革命は。
大岡昇平◎埴谷雄高「二つの同時代史 X 戦前から戦中へ」
>194 続き
首猛夫による「僕達の血」を濁らせた、先行するジェネレーションへの弾劾はなおも続く
――(前略)そうだ。貴方の書架を飾る現代の文学書のどれを手にとってみても好い。病菌に冒された魂の解剖図が、いくらでも
展げられます。それは――下劣で、醜悪で、淫猥で、つまり、精神悪と肉体悪とをひたすらぶちまける競争に耽っている次第です。
それも、前世紀に芽生えた偽悪とやらでなしに、正真正銘の、堂にいったものなんですよ。その方向はいまさらに拡がり、
深まるばかりだ。
(中略)
現代の世紀とは、つまり、或る人々のいうごとく、公然たる、万人の許可を得た、戦争と革命の時代です。
(中略)
あっは、どれほど殺戮をつづければ、生を全的に肯定し、「われ生きたり」という万人妥当の理由を未来へ向って確然と
公言し得るようになるのだろう。真にゆるぎなき、充足した生の微光は、何処から射してくるだろう。
おお、眼に見えず発光しはじめる神秘な栄光を僕達の新らしい眼がとらえるのは、まだなのだ。見られた自然とは似ても似つかぬ、
怖ろしい不可視的な世界をなお脚下に踏みしめて、毅然と「われ生けり」と叫び得るのは、まだなのだ。
二章 「死霊T」
>195 続き
「戦争と革命」の世紀にあって「不可視的な世界」へ肉薄する試みは、如何にして行い得るのか
云うまでも無く、これこそが著者の「思考/妄想実験」であり「架空凝視」にほかならない
これは私だけの考えであるが、二十世紀の文学の新しい特質は《戦争と革命》に対する力学を掘りさげることと、
さらにまた、極小から極大にまでわたる《存在論》の裏付を行うことにあると思つている。この前者は十九世紀の文学に
すでに現われたところのものをさらに深化せしめる作業であるが、後者は私達の世紀が否応なしに背負わねばならなくなつた
課題である。このことを理解するためには、私達の前にドストエフスキイをひきずりだしてみれば、そのかたちは明らかである。
(中略:ドストエフスキイ『悪霊』)
ところで、さて、存在に向つて格闘する私達の世紀において、核心をもつた暗示を私達に敢えて与え得たのは、
まだプルーストとジョイスのふたりしかないのである。
(中略:プルースト)
そこにあるのは、ある日常というよりつくられた日常であつて、焦点を合わされたひとつの中心のかたちというより、
その中心から放射状にひろがつた周囲に、むしろ画面の周辺の縁に、ひしめきあつている映像の互いを支えあつているかたちの
緊密な美しさがある。これはひとつの暗示である。恐らく私達の背負つた存在論のはじめの頁の何処かには、このような微粒子の
つらなつた分子式がまず書きとめられ、そして、存在と感性の根源についての飛躍的な考察を絶えず促しつづける役目を
もつのであろう。
「二十世紀文学」
現実の政治から距離をおく埴谷が、
デーモンが憑いていないモノ――「大状況の文学」、を斥ける所以でもあろう
>196 続き
――(前略)これぞよしと真にゆるぎない確信をもって、生か死かを選ぶ真の決然たる判定はまだ僕達についていない。
新らしい、怖ろしい肯定者の鼓動を僕達はまだ聞いていないのだ。それが現われるとしたら、それは恐らく僕達の死の廃墟から
立ち上り得る者のみだろう。僕達はただしゃにむに死の淵にひしめき合い、押し合うだけだ。あっは!僕達の世紀はまだ死への
下降段階をまっしぐらにつき進むのだ。僕の前には、忌まわしい否定像――怖ろしい、救いようのない否定像しかありやしない。
(中略)
僕は貴方に宣戦布告して――既に戦闘を開始したんです。おお、僕は、死の福音をのべる十二使徒の一人になるんです!
二章 「死霊T」
「忌まわしい否定像」への仮借ない「價値抹殺」――
「in confidence」に暗示される埴谷のヴィジョン、その「決定的な断案」が下されるのは、まだなのだ
寧ろ75ミリ長砲身でもゼロ距離で装甲薄いところ狙えば撃破できる キングタイガーなら至近で現代兵器でも粉々になりそうだ
しかし日本はデルタ翼機を実用化させ、つまり、超音速機で戦うのである レーダーホーミングミサイルを運用可能な奴も最終的には実戦配備 まあ、超電磁砲ゲーム版オリキャラのキャストも不明だが ビリビリ=最萌優勝者に慈悲
さやか=フミカネキャラに慈悲
スーパードンキーコング2をフォーゼのゲームにしよう アサルトホライゾンの架空機がファイター形態のVF−0なのもその理由だ 『死霊』文庫版を自炊してiPadに入れた。正月休みに読もうっと。 >>345
旭日の艦隊の主人公はロリコンにするべき
というか、新旭日の艦隊の尾崎亜由美をロリキャラにするべき 朝日日経のサルから
盗作・ハンネ泥・ストーカーされてる証拠を出すと
ヤフーが「ピューマ」とかマネしながら
「イライラ上司」なんて特集組むからな。
「敵を作らないために」なんていっても
アジア人は人間じゃないから。
本性なんて何もないんだよ、
せいぜいあってもロリコンネタに改竄して
白人レイプするだけが娯楽のサルがヤフーで
経営が朝日日経と共犯で
ヒマなメスが盗聴してるカルトで有名
このスレはエロスパマー朝日のコテが
全員でやってるんだろうな。
小児性愛のサル 敵をつくらないためには?
敵じゃなくてエロスパマーの
朝日日経のアジア人全員犯罪者で
キチガイだろ?
朝日が犯罪やってるっての「朝日が敵になる」
っていうのか?「ヤフーが敵になる」
っていうのか?
HNを全員で泥棒してる事を
批判されると
「イライラ上司」というのか?
法廷では通用しないな、
永遠に誰からもレイプされない
レイパーのアジア人 敵をつくらないためにはって
一般人の敵になって
パソコンから情報を泥棒しており
ハンネを盗作しているのが
ミエコスレとリエスレと
アルカディアの管理人のペドだよな。
「敵をつくらないためには?」
ハンネ泥批判しなければいいってんだろ?
盗作批判しなければいいってんだろ?
じゃあなんでオマエラは盗作するんだよ。
お前らが敵をつくって
日本を沈没させたんだろうが。
タイも水没。鈴木あまな・Nが
ウソつきの犯罪者だってのは
皆しってるよな。
会話が通じない日本在日サル
ヤフーが盗聴した時のいいわけ
「盗聴したぐらいで、
おこってる。全員がHNドロやっただけで
おこってる。全員が
乗馬ネタを幼児レイプネタに
改竄して批判の結論部分を
サルマネオウム返ししただけで
おこってる。朝日と日経と讀賣毎日と産経が
長年集団盗作したぐらいでおこってる。
ユメであの人とセックスしたと
妄想してウソをふれまわっただけでおこってる。
ヒドーイ、イライラ上司。
だから敵をつくる(堂々めぐり)
→だから敵なんだ、
盗作を批判すると、もっと盗作するぞ
ストーカー鈴木川上弘美を批判すると、
もっと鈴木ツハラからストーキングさせるぞ
(堂々めぐり)」
イエローは全員犯罪者 「死霊」文庫版を自炊して iPad上で読書するのは、二重の意味で埴谷氏に対して、何か背徳感があるなぁ…
ハードカバー版はヘタレで裁断する気がなかったけど。 二重の意味でってのは、埴谷氏が生前頑なに拒んだ文庫版を、しかも電子書籍という形でということで。 ハードカバーを裁断するのは埴谷の読者たり得ない。と思う。 ハードカバー版、全集と単体でも各々持っているけど、やはり裁断する勇気がどうしても出なかったですよ。
文庫版なら、ということで自炊に踏み切りました。 >358
門外漢なのだが、自炊データは文字検索できるの?
何章のどの辺か位は頭に入ってるが、最近眼が悪くなって難議する >>359
自分の自炊データでは、文字検索まではできないです。PDFの画像扱いです。
ただし、自炊でページスキャン後、OCRで文字認識させれば、文字検索が可能な自炊データも作成できます。
しかし、OCRの精度によって、誤認識した文字の修正は手作業になるため、すごく手間がかかります。 >>360
なるほど、まだ使い勝手は好くないんだね
単行本にチェックの書き込みをしているが、もう分解寸前・・・ 講談社さん、いっそ『死霊』の電子書籍版を発売してくれないかな?
自炊ではなく正式な売り物の電子書籍ならば、普通に文字検索できるので。 特に埴谷の場合は「體」とか画数の多い漢字が多用されてるので、現在の精度で死霊をOCRにかけても校正だけで相当な時間がかかるのではないか。
本文中の気に行ったフレーズを集めて置いて、すぐにその部分にジャンプ出来たりすると楽しいと思う。
今さらな質問で悪いんだけど
どうして「死霊」は文庫化されちゃったの?
よくわからないタイミングだったし、
思い当たることといえば、宇多田ヒカルが「死霊」を読んでいるって発言したぐらいだし >197 続き
「死の福音の宣布者」の薄汚れて黄ばんだその顔に、「第一の記憶」の輝ける顔が重なった
――貴方が宣戦布告される意味はよく解かりました。いや、充分に解ったとはいえないかも知れない。けれども、私には
さまざまな聯想が浮んだ。そして、まず、貴方がその危険な決意を私の前で……公言しなければならなくなった点について、
やや解ったような気がしたのです。
(中略)
――貴方の活動振りの記録は殆ど超人的でしたね。
(中略:珍らしい報告)
私達は、それから、あの総監室で顔を合わせた。そう、人間精神の変革について、私に話してくれた貴方の顔を、
私は、先刻、はっきり憶い出せたんです。尤も、あの頃の貴方の顔は、そう、青春の薔薇色に輝いていましたけれどね。
貴方は、確か、三輪高志君の親しい友人で、その本名は奇妙なものでしたね。確か……首――。
――猛夫、です。
二章 「死霊T」
ジャンパーか、はたまた影武者の存在を伺わせるような「超人的」活動家のプロファイリングから
浮かび上がる「陰謀の遂行」過程に沈思黙考していた津田康造の「静かな反撃」が始まる
>368 続き
「バブーフの悲痛な心情」を熟知しているかのように自覚せねばならぬ
「怖ろしい立場」を突き付けるが、首猛夫は構わずに反問する
――おお、おお、人間精神の恐るべき変革ですって……?貴方は、見事な、端倪すべからざる心理家だ。何故なら、僕は、
死の福音を宣布するに足るいささか体系的な理論的根拠を予め説明してしまったとはいえ、陰謀の具体的内容については
まだ触れていないんですからね。えっ、どうでしょう?
――そう、そうでした。
(中略)
――私はこの本を数日前から読みはじめたのです。大分珍らしい書物らしい。アラビヤの技術史なんです。
(中略)
私がつきあたり、躓いたのは僅かの一語だった。それは怖ろしいほど美しい消滅の記録だった。
(中略:一種の奇蹟)
すると、こういう想念が起るのではないでしょうか。地上にある一つの国はその絶えざる進歩を自国の未来へ夢想することを
許されぬ――。勿論、これは文化の興亡史を眺めた誰でもが懐く平凡な思想で、とりたてていうほどのことはありません。
二章 「死霊T」
津田康造の膝上に置かれた「一冊の書物」
次々に沸き起こった「聯想」は「重大な疑問」に行き着くが、
残念ながらその「想念」は根本的な誤解に支えられていた
何故彼はこの章に躓かねばならぬのか、
我々は「人間の理性」ゆえに問わねばならない
通勤だけで少しずつ読み進めているんだけど
漢字が読めないのが多いのと
話の展開がまったく頭に入ってこないことで
遅々としてまだ1冊も読み終わらない >>371 楽しそう。
「埴谷センセ・・」
「先生はやめてくださいよあなた」
「夢というものについてちょっとおききしたいんですが」
「あなたねえ夢というものは、その至高の自由にほかならないわけですよあなた!」 野田総理 マニフェスト 書いてあることは命懸けで実行
http://www.youtube.com/watch?v=y-oG4PEPeGo&feature=youtu.be
今と間逆でマジ腹かかえて笑えるww youtubeって大事だねw 必見
死霊途中で挫折した…
ほかにこの人らしい作品ってある?
出来れば短めのがいい あ、「闇の中の黒い馬」は尼で新品入手不可なので省略ね。
「虚空」と「闇の中の黒い馬」で、「死霊」以外の小説はコンプ。 自分もつい最近、文庫版死霊の2巻の2/3ぐらいで頓挫中 >>370
話の展開がまったく頭に入ってこないことで
話の展開はないんだよ、これ 自炊してiPadに取り込んだら、なぜかスイスイ読めてしまう不思議… 笠井潔が矢吹完結編で埴谷さんが書かなかった釈迦と大雄との対話を書いてくれるそうだ
ソースはツイッター これだね。
@kiyoshikasai 笠井潔
矢吹シリーズの完結編では、埴谷さんが書かなかった釈迦と大雄との対話を、
勝手に書いてしまおうと思っている。もし埴谷さんが存命でも、剽窃だとは
怒らないだろうし。
2月6日 webから
ttp://twitter.com/kiyoshikasai 埴谷雄高にツイッターを覚えてもらったとしたら、いったい何を呟いただろうか?
つか、笠井潔がこんなに頻繁に呟いてるとは思わなかった。 おれは、埴谷雄高全集の、第3巻目の『死霊』を持ってるんだけど、
文庫版の『死霊』は、旧字ですか?それとも、新字体?
おれは、『死霊』は、旧字体で、あるべきだと、思う。 >>393
そうなんすよねー。
やっぱり・・・。
でも、でも、『死靈』が、
文庫化されて、多くの人が、
読まれるようになることが、
おれは、うれしいのです♪ たとえ新字体でも、著者の意向に反して文庫化されたこと自体、凄いことだと考えてる >>395
そうですよねー。
埴谷さんは、たしか、文庫化されるのは、歴史的名作、
であらなければ、ならない、みたいな、ことを、
言われていたような気がする。
埴谷さんは、岩波文庫に、お世話になったらしいです。 死霊っておんなじことを繰り返し言ってるだけでしょ
そんなに難解なのかな? >おんなじことを繰り返し言ってるだけ
ほお。初めて聞く意見だが、興味深い。
その「おんなじこと」をちと説明してくれるとありがたい。 埴谷さんは、全集で、『死靈』の、基本は、
『不合理ゆえに吾信ず』だと、言っておられる。 いやいや、己の言の葉は何ぞや、ということでしょう。 >>407自体が『不合理ゆえに吾信ず』の一節だよね コム・デ・ギャルソン着てananに嬉々として載る様な奴は左翼の風上にも置けん。 吉本隆明がラストラン
各紙とも横並びの訃報だったが、「天声人語」が面白い事を書いていた
(前略)
▼思想の左右を超えて「きれいごとの正義」や「党派や組織の論理」にかみつき、あらゆる権威に市井の目で挑んだ。
晩年の対談で自嘲している。「あの野郎、いつまでも人の悪口を平気で書いてやがる、なあんて思われているだろうし、
ちっとも大家にならない」
(中略)
▼さてあちらでは、名だたる論客が手ぐすね引いているだろう。花田清輝、丸山真男、埴谷雄高、谷沢永一。
続きをやるつもりなら、時間と相手に限りはない。天上の論壇がにわかに活気づく。
「天声人語 2012年3月17日」 朝日新聞 笠井潔の昨日のツィートで、
>吉本・埴谷論争で埴谷氏に加担する気は毛頭ないが(あれは微温的な血債主義だから)、
とあるが「血債主義」とは何ぞや? ググったら、やはり、左翼(中核派?)の用語なのね>血債主義 左翼の自虐的な論理、「血債の思想」とか云うヤツだろ
日本人はひたすら平伏叩頭して亜細亜諸国民に懺悔せねばならんのだぁ〜
笠井の「微温的な血債主義」ってのは
埴谷が植民地台湾で体験した日本人嫌悪の感情を指してるのかね?
『死霊』の読書会とか近所でやってないかな・・・
思想史の素養が無いから、一人で読んでても取りこぼしてる部分が多い気がするし
クセのある言い回しに出くわすと立ち往生してしまう。 『死霊』の読書会なんて、左翼の活動家が主宰してそうで怖い…
『死霊』の良さを教えてください。正直いって判りません。第一章の途中でいやになってやめました。
でも、埴谷雄高という人は、思想家としては好きなのですけど、小説はいまいちわからない。『不合理ゆえに吾信ず』
なんか全くついていけません。教えてください。 >369 続き
自然ということばが単に形式的な意味に理解されて、物の現実存在に属するあらゆるものの内的な第一原理を意味するとすれば、
物の種類が異なるに応じて、それだけ多様な自然科学が存在しうることになろう。
(中略)
他方、自然はまた質料的な意味にも理解され、ひとつの性質としてではなく、われわれの感官の対象、
したがってまた経験の対象となりうるかぎりの、あらゆる物の総体として理解される。
(中略)
ところで、こうした質料的な意味に理解された自然は、われわれの感官の主要な相違に応じて、ふたつの主要な部分に分けられる。
ひとつは外官の諸対象を含み、他は内官の対象を含む。したがって、自然については二様の自然論、すなわち物体論と心理論とが
ありうるのであり、物体論は延長的自然を考究し、心理論は思惟的自然を考究する。
すべての学説は、それがひとつの体系を、すなわち、もろもろの原理にしたがって秩序づけられた認識の全体をなすと認められる場合には、
学と呼ばれる。そしてそれらの原理は、諸認識をひとつの全体に結合するにあたっては、
経験的な結合の原則であるか、合理的な結合の原則であるかのいずれかでありうるから、
自然科学はまた、物体論であるにせよ心理論であるにせよ、記述的自然科学か、合理的な自然科学かに分類されねばならないことになろう。
(中略)
また自然科学はさらに、本来的にそう呼ばれる自然科学であるか、あるいは非本来的にそう呼ばれる自然科学であるか、
どちらかであることになろう。本来的な自然科学*はその対象を徹底してアプリオリな原理にしたがって論じるものであり、
非本来的な自然科学*は経験法則にしたがって論じるものである。
(A467-468)
I・カント「自然科学の形而上学的原理 序文」(犬竹正幸 訳) *訳注より
「本来的な自然科学」(例:数学的物理学)
「非本来的な自然科学」(例:化学)
>427 続き
「哲学と科学が未分化の時代」――自然科学はこのように理解された
またカントはいかなる自然論も「自然科学」をその終着点とすることを
「人間の理性」は「要求する」と述べている(前掲書 A469)
物体論も心理論、錬金術(イヒ学)も自然科学というゴールに向かって、日々探求されてきたんだねぇ〜
本来的にそう呼ばれるべき自然科学は、まず第一に自然の形而上学を前提する。なぜなら、もろもろの法則、すなわち、物の現実存在に
属するものが必然的であることを示すもろもろの原理は、現実存在がアプリオリな直観のうちに描出されえないものである以上、
構成されることのない概念にかかわるからである。したがって、本来的な自然科学は自然の形而上学を前提する。
(中略)
ところで、私がここで主張したいことは、すべて特殊的自然論においては、そこに数学が認められる程度によってのみ
本来的な科学が認められる、ということである。
(中略)
したがって、特定の自然物の可能性を認識するためには、したがってまた、このような自然物をアプリオリに認識するためには、
なお概念に対応するアプリオリな直観が与えられることが必要である。いいかえれば、概念が構成されることが必要である。
ところで概念の構成による理性認識は数学的である。それゆえ、なるほど自然一般にかかわる純粋哲学、すなわち、自然という概念を一般的に
形成するものだけを探求する純粋哲学は、数学なしにも可能であろうが、特定の自然物についての純粋自然論(物体論および心理論)は
数学を介してのみ可能となる。そして、いかなる自然論においても、そこにアプリオリな認識が認められる程度に応じて
本来的な科学を含むことになるのである。
(A469-470)
I・カント「自然科学の形而上学的原理 序文」(犬竹正幸 訳)
上述の「二つの要件」によって(本来的な)自然科学と物体論、心理論との距離が知れよう
>428 続き
しかし経験的心理論は、化学と比べても、本来的に自然科学と呼ばれるべきものの域からはつねにほど遠い状態にとどまらざるをえない。
それは第一に、内官の現象やその法則には数学が適用されえないからである。
(中略)
ましてやほかの思惟主体は、意のままにわれわれの実験にしたがうというわけにはゆかず、また、観察という行為自体が観察対象の状態を
変え歪めてしまうからである。それゆえ、経験的心理論はけっして内官の記述的自然論以上のものとはなりえず、
また記述的な科学としても、せいぜい体系的な自然論、すなわち心の自然記述となりうるだけであって、心の科学とはなりえない。
それどころか、とうてい心理学的実験論にすらなりえない。
(中略)
物体論は数学の適用によってのみ自然科学となりうる。だが、物体論に数学が適用できるためには、物質一般の可能性に属する諸概念を
構成するための諸原理が、前もって与えられていなければならない。すなわち、物質一般という概念の完全な分析が基礎におかれなくては
ならない。これは純粋哲学の仕事である。純粋哲学はこうした意図のためにいかなる特殊な経験ももちいることなく、
もっぱら孤立した(それ自身は経験的な)概念そのもののうちに見いだされるものだけを、空間と時間とにおける純粋直観に関連づけて
(自然一般という概念にすでに本質的に結びついている諸法則にしたがいつつ)もちいるだけである。
これが本当の物体的自然の形而上学である。
(A471-472)
I・カント「自然科学の形而上学的原理 序文」(犬竹正幸 訳)
今日「脳科学」など新しいアプローチがなされてはいるものの、心理学は科学の辺境に甘んじてきた
さて、われわれは改めて××風癲病院に立ち戻る必要は無いだろう
そこは、「……いまだ、自然」だからねぇ〜
>429 続き
(前略:形而上学的諸原理)
こうしたやりかたが称揚されるのには、もうひとつの理由がある。それは、すべて形而上学と呼ばれるものにおいては
学の絶対的な完全性が期待されるのに対し、ほかのいかなる種類の認識もこうしたことを期待することができない、という点にある。
したがって、自然一般の形而上学の場合と同様、ここでも物体的自然の形而上学に対して、安んじて完全性を期待することができる。
その理由は以下のとおりである。形而上学の場合には対象は、それがもっぱら思惟の普遍的法則にしたがって表象されるがままに
考察されるのに対し、ほかの科学の場合には、対象は、(純粋であるにせよ経験的であるにせよ)直観の所与にしたがって表象されるがままに
考察される。そのさい、形而上学においてはその対象はつねに思惟のあらゆる必然的法則と比較されねばならないから、形而上学は完全に
枚挙可能な一定数の認識を与えねばならないのに対して、ほかの科学は、それが(純粋あるいは経験的な)諸直観の無限な多様性を提供し、
したがってまた思惟の諸客観の無限な多様性を提供するがゆえに、けっして絶対的な完全性に到達することはできず、
無限に拡張されうるのである。たとえば純粋数学や経験的自然論がそうである。
なお私は、この形而上学的物体論がどれほどの範囲にまでわたろうとも、その範囲を完全に尽くしたと信じているが、
だからといって大変な仕事をしたとも思ってはいないのである。
(A472-473)
I・カント「自然科学の形而上学的原理 序文」(犬竹正幸 訳)
カントは謙虚に自身の仕事を振り返っているが、その結語において峻厳に
「形而上学的物体論」に理性のハムマーをもって「空虚」の一語を刻印し、「人間の理性」がその「特殊な運命」に立ち戻ることを要請する
結語 http://ll.la/)9oT
本論著は1786年に公刊されるが、
翌年改定された「純粋理性批判」第二版(1787)の序論で、「形而上学への問い」として再提出される
>>426
日曜の朝、老人は早起きでヒマなので釣られてしんぜよう
>正直いって判りません。第一章の途中でいやになってやめ
たり
>小説はいまいちわからない。『不合理ゆえに吾信ず』なんか全くついていけません。
にも関わらず
>思想家としては好き
とはこれいかに?
「何を言うたか埴谷雄高」ですからw
岡本太郎だっけ? 引越しに備えて蔵書の断捨離の真っ最中だが、埴谷の全集はやはり手放せない 吉本隆明が亡くなってから
ツイッタやFBの自分語りに吉本+埴輪をネタに語る糞オヤジが増殖でウザすぎ おいらはツイッターもFBもやってないし、論争するつもりも全くないが、埴谷氏の肩を持つ。 結局アナキズムかな
到達点が分からんなこの小説は
アナキズムを主体に後半はエピで読者の判断かな ドグラマグラの解釈に役立ちそうな気がしないでもない クロポトキンには牽制している文体と思うけどね
その上を行くんだろうか
その上を行くんだろうな 女性に貴女ではなくて貴方を使っているのは考えあってのことかな? >>456 くろぽとって言う人ウィキってみた。いかりやみたいな人だね。
知らない人だけど格言とかは聞いたことある。
>>451
天才高級霊媒体質な音楽家息子に持った、
古風画壇の画家?
老年夭折(85)
若き日々は元某社記者で新聞社系列社社長、
晩年は天才画家の雅号か戒名かも? >>454 対抗できるのは屁のような人生のあの方くらいな気がする >430 続き (前スレ480の補足)
―――そこに曖昧なものなくして何らの断定も出来ないこと、ここにもまた悪徳がある。
――宇宙の責任が追及されるとき、ひとは形而上学にある意味を賦与し得るさ。
私はしばしば*そう放言したが、直ちに忌まわしい気持に充ちみちてぞつとする。そこに《存在》以上のものを
表わすことは思惟のよくなし得るところではないのであろう。
「不合理ゆえに吾信ず Credo,quia absurdum.」 *「しばしば」書き込めないのでひらがな表記
カントがモノ自体は不可知である以上、形而上学的な探求は「空虚」であるとされた場所から
埴谷の「存在論」の考究もスタートした
その表現手段として小説を採用した事は折に触れ縷説している事である >461 続き (前スレ480の補足)
埴谷 (前略)
レーニンは、物の本質に次第に近づいていって物の全体像がわかるようになるというんだが、カントは、物自体は絶対わからない
という。しかも、不可能へ向かっていわば仮象への空しき努力をつづけてきているという。あっ、これだと思ったね。
それで僕のスティルネル理解は非常にはっきりした形をとるようになった。自分が真の自分だと思いたいところから
さらにつき進んでいけば、自我の底にはさらに未知の自分があって、それを探求していく無限の過程も仮象への過程もともに含めて
そのすべてが自ら働く自我であるということだ。カントとスティルネルが僕のなかでようやく一致したわけだ。
自我というものは二重、三重、四重、さらにそれ以上の多次元の自分であるとともに、それを追求し、未知の自分を発見するのも
仮象の自我を創成するのもまた、絶えず自らに重なろうとしつづける自我であるということだな。
(中略:ポジティヴな「自同律の不快」へ)
そして、このらっきょうの皮むき風な無限探求を最後の最後まで押し進めようとして結局僕は文学に行きついてしまうことになる。
大岡昇平◎埴谷雄高 「二つの同時代史 U 大正から昭和へ」
三輪与志のノートに記された「Ich式」は
こうした「自同律の不快」――自我の無限探求を示したものであろうか
(補足終わり) >462 続き
「一種の奇蹟」――それは消滅した訳ではなく、ケミカルに適切な処理により、再びその輝きを取り戻すのである
とはいえ、アラビヤの歴史上、その輝き――「絶えざる進歩」を夢想するのが容易ならざるコトは
現下の政治的混沌をみれば足りる
それは置いといて……
この日津田康造が「暗い気分」に苛まれていたのは、「あの奇蹟」についてであった この本を読み終えて共通する感想だとすればニヒリズム→アナキズム
と解釈しがちだが、何かが足りない
作者はイエスと釈迦に説法で本質の媒体を説き伏せようとした趣だったのか
理解に苦しむが敢えて中華思想を外している節があることは否めない
埴谷さんには陸王学路線を書いてほしかったのが残念だ 高いな・・・
立ち読みしてから判断しよう、いつ出会える事やら 存在意義の定義だろ?この本は埴谷風に考え方を散らしたのでは?
死霊って指令の隠語にたどり着けるように謎書きでしょ
アナーキーって結論にしている人が多いけど賛成だな
虚無は脳内で行動できるが虚体ってなんだの趣旨だろ?
>>431 久しぶりにみたので、私に応えてくださった人がいることに気がつきませんでした。
……小説がいまいち分からないけど、なぜ思想としては好きと言えるかといいますと、
埴谷雄高の発言、対談などはよく聞いたことがあるし、『永久革命者の悲哀』などの評論は
読んだことがあるからです。だから、理念はよくわかった。
でも、『虚空』なんかの短編でもそうですけど、あの人は、評論で述べること、小説で述べる
こと、その辺をどう区分しているのかよく分からない。小説で表現しなければならなかった必然性
が私にはまだ理解できていません。彼の小説の場合、思想性のロジックが難解なためか、私にはどうしても
抵抗があります。ですので、ぜんぶ読んだ人に、教えていただきたいのです。 >468
政治思想としては終っている人だと思うけどね
社会革命がその実、新しいピラミッド(ソ連)を築いているだけと喝破したとき
「現実の政治」に対して発言する意味を喪失、蜘蛛の巣の張っている古巣に戻ったんだろう
当然、「死霊」も当初の構想から変わらざるを得なかった
それに四半世紀を要した、とは云い難いがね >>469
話ズラして恐縮だけど、年金ファンドによって米国企業資本の3割程度が抑えられてるのは事実なわけで。
これって労働者による生産手段の共有化という観点で見ればあながちアナルコキャピタリズムもわからなくはないなと思ってしまいます。
詭弁ですね。
>>469 半世紀ですよ。……半世紀に亙って一つの小説を書き続ける文学的な体力、精神力が不思議! >470
埴谷が労働者の視点から政治を論じていたかはともかく……
スターリン批判に始まる政治論文は、
国民による下からの革命という埴谷の理想に近いモンが起きたからでしょうね >>468
小説も評論もどっちも、いたってシンプルだと思うけどね
要は「僕ってなに?」でしょ 志賀直哉の弟子の私小説作家の藤枝静男は、「死霊」の読み方のひとつを、
次のように提示しています。
埴谷氏の作品が思想小説観念小説として理解され、若い人々の精神的よりどころとして尊重されていることに異論はない。
しかし私はその人たちが余りせっかちにならずに、あの文章それ自体にただよっている一種異様な美しさ、
埴谷氏が気質的に、官能的と云っていいくらいの鋭い感覚を持った本来の芸術家であることを示すあの描写力をも、
意識して味わってもらいたいと思っている。
(「埴谷氏のこと」)
また、加賀乙彦も似たような主旨の文章を書いています。
私は、もっぱらこちらの描写力を中心に楽しんでいます。 埴谷に思想、といえるほど体系化されたものがあるかどうかはさておき
凝った文体、意匠の割に意外と底は浅い印象です。 あまみ粘着質な感じはないんだよね
文体にもインタビューでの語り口からもそれは感じなかった。
職人と言っても細かい緻密な作業より大枠を弄ることが好きそうな感じ 文体に官能性がない作家は一流とはいえない。
戦後作家では、埴谷、大江、中上は一流だ。 >>478
大江は昭和20年代だけ
それ以降は存在が老害
>>475 彼は思想家には間違いない。他に例がない思想家だ! 思索してゆくところは、わたしが知っている限りでは妥協がなく、
常に広がりがあった。底が浅いようには思えないけど・・・。>>473 軸はシンプルにあるかもしれないけど、彼の思想ロジックは難解だと思うけど・・・。
何が言いたいのか、さっぱり分からないが
埴谷の思想主義は「進みて名を求めず 退きて罪を避けず地形というものは、兵の助けに過ぎず。」
という解釈を僕はしている 思索とか難しそうな言葉を使ってみたかった中学生なんだろ 埴谷雄高がもし蟹であったなら、その思想は90度違っていたはずだ。 悪意と深淵の間に彷徨いつつ
宇宙のごとく
私語する死霊達 >482
読まない『死靈』ファン、こういう奴な
616 :吾輩は名無しである:2007/06/27(水) 22:25:17
この発言は今後活用したいので、メモ代り
(佐藤亜紀の発言より)
だれかに教えを請いたがっている若い人は、ネットを見ると山のようにいて、
しかも、教えを請いたがっているのに自分をお利口だと思っている。そういう連中の
口の中にこれをポンポン押し込んでやると、いかにおいしく食べることかと考えちゃう。
で、おれは知恵の実を食べたんだぞと威張り出す。うんざりですよ、そういうのは。
まあ、何と言おうが勝手ですが、>>482 そういう、しょうもない憶測にすぎぬようなことは
言わぬが花!
わたしの文章に曖昧さがあるのかも知れないけれども、>>475>>476 は、違うと思ったから
発言したまでです。 >487
じゃあ、夢魔は何処にいるのか、答えてくれよ >>479
大江は昭和20年代にはまだ十代で作家デビューしてないぞ。 むかし佐藤亜紀スレで
佐藤亜紀と仲の微妙な池田晶子も埴谷ファン
佐藤亜紀が愛読?評価?してるらしい奥泉光も埴谷ファン
だから亜紀たん自身は埴谷雄高はどうなんだろ?と書き込んだら
HPのほうで返事らしきものがあったw まだ先の話だけど、青空文庫入りしてほしくないと思った
粗末な扱いをされるよりも、世間から忘れられて
神保町をさまよい探し求める人しか手に入らない
幻の本になってほしい 中世から写経職人を呼んで革装したい。
限定10冊くらいで。 >>505 YOSHIKIのピアノくらいの値段になるかも >>507 説明不足だった。限定モノなんてもしオークションに出たら
読書厨がひやかし入札しそうってこと
mixiのコミュで違う人ん家の画像を「埴谷氏の邸宅を訪ねてきました」とか言って晒してた馬鹿がいたが、やっと削除したか >>510 どういう心理なんだろうね。
公開されてたら行ってみたいけど。
遺稿も見てみたい。頭いい人って字汚いのかな
全集の何巻か忘れたけど、死霊9章の自筆原稿の写真が掲載されているよ。
最終巻だったかなぁ… >463 続き
――(前略)そして――貴方の死の理論を伺っている裡に、それまでぼんやりとしていた一つの形がはっきりしてきた。
それは、こういうことです。
(中略)
貴方は、先刻、一=一の思想について述べられましたね。勿論、貴方が意味づけられる内容は、私のそれとは違います。
ところで、私は私のなかに確立した一を、如何にして私の子供へ譲り渡せるでしょう。
(中略:空しい二十年間)
私達はさてどんなふうに話し合うでしょう。父と子の間に跨ぎこし得ざる深淵が開いているとひとはいうが、
私はこうして此処に坐り、貴方は其処にそうして坐っており、本当は、私達の間に理解されがたい何物もないのです。
(中略)
貴方のダッシが百に向うにせよ向わないにせよ、いずれの場合でも、貴方は主張しつづける。絶えざる進歩を叫びつづける。
貴方はそこに全身の熱情をかけさえするのです。そして――王水のなかへ投げこまれた黄金のように、それは何時しか跡形もなく
かき消えてしまう――。輝やかしい黄金の夢が、何時しか、死の沙漠のなかへ潰滅してしまうのです。
二章 「死霊T」
連綿たる「人類の系譜」を断絶せしめなかった一人として、ありがた〜い「死の福音」もまた
跡形もなく消え去ると暗に仄めかす津田康造は、「平凡な思想」の連打で間合いを詰めると、
「死からの飛躍」、「怖ろしい生」と次々にパンチを繰り出し、遂に一撃が首猛夫を怯ませる
>514 続き
――新しい錬金術です。
――ふむ、貴方はひょっとすると僕がひそめ隠しているそのものを予感しているのではないだろうか。
新しい錬金術は、どんな怖ろしいことを可能にするんです?
――石をパン*に変え得るかも知れない。
――おお、それは僕が圧し殺していた予感と、まったく同じものだ。どうしてです?おお、どうして貴方は、眉も動かさずに
それをいえるんです。僕は貴方の魂をひきずり出して、この場で残る隈なく取り調べてみたいほどだ。
それは、目もくらむような、怖ろしい死の深淵にぎりぎりと追いつめられた人間が、どんづまりの果てに発する最後の言葉なんだ。
(中略:前世紀の偉大な作家)
――おお、駄目です。貴方が其処に静かに坐って貴方流の生の微光を僕に閃かせてみても、駄目なんです。
僕はびくっともしないんです。僕は、そんなことは百も承知の上で、死の福音の使徒となっているのですからね。
――そうでしょうか?
二章 「死霊T」 *「パン」書き込めないので片仮名表記
「前世紀の偉大な作家」――著者の読書遍歴に照らせば自明であるが
前述の通り、そこにあるモノは「《存在論》以前の精神構造」に過ぎない
この「古めかしい神の栄光」を打ち砕かんとする首猛夫のストレートに
津田康造のカウンターパンチが炸裂する!
>515 続き
その百にはダッシがついているのか?……と問い質すように相手を熟視する津田康造
若き日、「意識の発生」――歴史上の課題に魅惑された文学青年の「真面目さ」を
「暇つぶし」と夫人から窘められた、彼の胸中や如何に?
彼には、すると、或る異様な想念がおこつてきたのである。
それが不眠に苛らだちはじめたその原因とまるで関係もない想念で、払つてもはらつても憑きまとう執拗さが彼に悩ましかつた。
それは、地球上の凡ての人間が次第になにごとも出来なくなつてゆき――そして、ついには、《何処か》へ消えてしまうという
異常な想念であつた。然し異様なのは、その想念にまつわりついて離れぬ他の想念がその同一瞬間に同一の力をもつて
起こつてくることであつた。この想念は、地球上の凡ての人間がどうにかなつてゆくと云う非常に曖昧なものであつた。
このどうにかなつてゆくとの想念は、なにか人間的なものの発生以来つきまとつてもはや離れがたくなつてしまつた想念のように
彼には思われた。飢えにおそわれ窮所に立つた乞食が眼前に在る一握りの土塊を食つて死んだとしても、
それはなにか病死的なもの――つまり彼がそこへなにかしらでつづいてゆきうるようなものと考えられ、
決して怖ろしい破滅へはおとしいれられないと予想されている……そんなふうに思われた。
「洞窟 その外界」
>516 続き
「静かな反撃」に狂喜した首猛夫は「陰謀」の一端を垣間見せる
「完全な無証拠」「死のう団」「自由意志」……
矢継ぎ早に繰り出されるフラーゲ・デーモンの猛攻、津田康造も小気味好くジャブで応戦する
三十歳以上の年の差ハンデを感じさせないその軽快なフットワークに
首猛夫の焦りが見え始めたが、次のラウンドで劇的な逆転を迎える
>>520 単なるミーハー根性。
ありがとう! かわいい字だね! ◇ ミ ◇
◇◇ / ̄| ◇◇
◇◇ \ |__| ◇◇
彡 O(,,゚Д゚) /
( P `O
/彡#_|ミ\
</」_|凵_ゝ
【ラッキーAA】 あんまり勉強に打ち込んでなかったとは言ってた
読書家ではあったようだけど
やっぱ獄中でおかしくなったのが大きかったのか >517 続き
「相対する人物の心理の動きを微細なまでに洞察」する「生得の能力」をフル稼働させた
プロファイリングの奇妙な一致が、津田康造の表情を曇らせた
――貴方は、何時出られたのです?
(中略)
――今朝……すると、此処へ来る前に何処かへ寄りましたか?
(中略)
――私が訊きたかったのは、貴方が既に高志君に会われたかということでした。
(中略)
――高志君の亡くなった父――三輪広志と私は、親しい間柄でした。
(中略)
――こういっては失礼だが、三輪には――貴方に似たところがありましたよ。
(中略)
――自身の行動を一部の隙もなく、確信出来るような理論的根拠を、絶えず、というより、執拗なほど検討してみる性癖が、
三輪にはあったのですよ。
二章 「死霊T」
>533 続き
――彼は、悪徳の標本みたいにいわれていたが――彼には力強い必然性があったのですよ。
――おお、おお、力強い必然性を持ち得るのは悪徳のみだ、とでも、貴方がこの僕に教えてくれるつもりなんですか?
ちょっ!思いもかけず陰険なところのある貴方は、十三人目の使徒にでもなってみせるつもりなのかしら。
(中略:彼の原理)
――あっは!そんなものが僕の死の理論と、何処が似てるんです?そんなものは古代の遺物で、生を信じつづけて
何処までも生きのびてる奴等へ根を生やした、根絶やしがたい遺伝的思考です。
――彼がいい残した背後へ潜んでいるものは、すると、こうなるのです。消滅したものは凡て幻影である。
たとえそれが偉大な幻影であっても、その何処かに怖ろしい空虚なところがあって、あらゆる正反対な見解をそこに許しても
少しも変ではない。というより、正邪善悪二つの解釈をのこるくまなくうけ入れて、どっぷりのみこんでしまう――。
二章 「死霊T」
持ち前の「無限の無抵抗」を以って「死の理論」をも飲み込む「卑劣な心理家」を前に、
その「排中律」を崩し得ず、図らずも守勢に回る首猛夫
一瞬、二人の視線が交差する――眼前に在る!
>>531 もともとポテンシャルが高い人が目覚めたんだろうね 学校の成績が良いからといって小説が書けるとは限らない。 なんか勘違いしてるゆとりがいるみたいだが、当時の大学は学力は関係ないぞ。
帝大でも無試験で入学できる学科が多数。
なので学舎の場所や非アカデミックな理由で大学を選んだ人が多い。
嫌な奴が東京にいるから京大にした、など。 >>501
講談社のハードカバーが出版された1975年以前は真善美社版が幻の本として
古本屋では数万円で売られていた。三田誠広が当時の入手困難ぶりを書いている。
>>510
埴谷が住んでいた家(吉祥寺)はもう取り壊されて、新しい家が建てられている。
生前の住まいの様子は1991年9月号「鳩よ!」に多くの写真が掲載されている。
>>526
受験勉強をまったくしなかったと対談で言っている。勉強していれば、東大だっただろう。 >>538
それは嘘。
勉強しなくても当時の東大には入れる。
新しい日大でブラブラするっていうのが流行ってただけ。 >>540
時代が違うから。
さらにオレは遠いのが嫌なので近場の医大にした。 >>542
お前が無知で低能www
ちゃんと調べてから書けよクズ
>>543
じゃあお前は下朝鮮人確定だなwwwwwwwwwwwwwwww 中卒ニートしかいないこのスレで大学の話なんか始めるからこの有様 おい低能DQNどもwwwww当時の東大に無試験で入学できないという史実に反することを証明してみろよwwww
はい、論破。 埴谷邸もうないんだ。
よく吉祥寺マンダラ2のライブ終わりに家の前でボンヤリ一服してたよ。何回か人影が見えてドキドキした。あそこは自分にとってのアンドロメダだった。 >>556
どうでもいいけどあんた日付の読み方も知らんの? >>560
559 吾輩は名無しである [sage] 2012/08/28(火) 22:20:44.55 ID: Be:
>>558
>>556が日付読めてないだけ >>562 >>563
559 吾輩は名無しである [sage] 2012/08/28(火) 22:20:44.55 ID: Be:
>>558
>>556が日付読めてないだけ >534 続き
――ちょっ、貴方はいよいよ卑劣な心理家だ。そう、それは愚劣なくらいですよ。
(中略:僕の悪徳)
僕のそれには、貴重な、そうだ、神秘なほどの或るものが隠れている。ふむ、それが貴方に解るだろうか?えっ、どうなんです?
おお、其処にいる貴方だって、それなしには僕とこれほど長く話しつづけられやしないんです!
と、黒い焔をあげつづける眼を寄せて呟きこんだ首猛夫は、頬を真近かに接したまま、陰熱にでもうかされるように囁きつづけた。
――ということは……解りますか?卑劣で、陰険な僕に似てるのはむしろ――敵対者たる貴方かも知れないんですよ!
おお。そうなんです。
二章 「死霊T」
父と子以上の深淵をも架橋して相互理解が成されたのであろうか
津田康造の頭蓋の内で「第一の記憶」が錯綜する
「唯一の魂の友」として、その悪徳を生み育んだのは己自身ではなかったか……
>578 続き
「悪の自覚」に身悶えする津田康造の懐深く飛び込んだ首猛夫の
「自己主張」の連打を浴びて、一挙に形勢は逆転!
津田康造はこのままマットに沈む、もとい、応接間の床上にダウンするのであろうか?
さう、勿論、さうなんでせう。正邪善惡二つの解釋をどつぷりのみこんでしまふ貴方の前には、そんなものなどないでせう。
僕はそれを認めます。おお、それは壯大な、美しい涅槃だ!僕はこいつも認めておきます。ふむ、僕は貴方の立場を一應全的に
認めておくのです。ですが・・・・しかもなほ、僕は訊きつづけたい。僕は飽くまで貴方に訊きつづけたい。
惡徳は、何處から芽生えるのだらう?
彼等二人は無言のまま、暫く沈鬱に凝視め合つた。首猛夫は眼をそらしはしなかつたけれども、不意と身顫ひした。
碧く澄んだ相手の瞳のなかに名状しがたい苦惱の色が現はれると、それと見る間に放射するやうにこちらに移つてきたやうな
氣がしたのである。首猛夫は相手のなかに飛びこむやうに、さらにぐいと顏を近づけた。すると、そのとき、
相手は許しでも乞ふやうにぽつりと云つた。
――貴方自身への確信から・・・・。
――えつ、何ですつて?
――眞の惡徳は、最も必然的な理論で自身を強く縛ることから、發生するのです。
(中略)
――奇妙だ!貴方は眞面目なのでせうか。それはあまりに反理性すぎて――貴方はそれをそんなふうにそつとしか
云へないのですね。えつ、さうでせう?おお、僕達は坊主のやうな話し振りになつてしまつた。
あつは、すると――千年か萬年の永生でも確信すれば、善徳が發生するといふ譯ですかね。
――そこからは、生ぬるい惡徳しか起こらぬでせう。
と、津田康造はさらに許しを求めるやうに殆んど聞きとれぬほどの小聲で答へた。
長編 死靈 (11) 「近代文學」
しかし、著者はココで首猛夫優勢の展開を改め、辛うじて僅差で第一幕を終える
××さんの採点はどうなっているんでしょうか?
>579 続き
津田康造の「二者撰一」は否定を余儀なくされる
窮地である
劣勢を覆すべく、《首め、こんなものは消えてなくなれば好い》と念じたとしても、
悪徳の芽生えとまでは呼べまい
二人の親友が、まだ見たこともない何物かについて論じたあげく、殴りあいや組打ちの喧嘩をするのも、
政治ににとつては、不思議ではない。
(中略:敵か、味方か)
何故なら、この識別は、同時に、相手の価値判断となるから。たとえ一つの優れた能力が見出されても、
その相手が違つた旗印しをもてば、それは、忽ち、悪しき能力なのである。
「政治をめぐる断想」
首猛夫は眼前に在り、哀れな子羊を前にした一人狼の如く白い歯をむき出して
今にも跳びかからんとしている――
皮肉にもこの事実は津田夫人にとっては僥倖であったろう
この時「悪しき能力」が発揮され、後刻夫の姿を求めた津田夫人が応接間に入ったならば、
室内に佇立する「首なし首猛夫」を目の当たりにして、卒倒しちゃうかも知れないからねぇ〜 >582 続き
ココで「内的自由の追求」を、チョットだけよ
嘆息を残し緋色の絨氈の上にその巨体を横たえた津田夫人の脳裏に、
嘗て深夜の三輪家で相対した三輪広志の言葉が蘇える……
――はつは‥‥さう、さうですとも。ですから、僕は津田とそのとき徹底的に論議したのです。
若し、同一瞬間に同一空間を二物が占有し得れば――はつは、この平和な夢想が如何なる方法かでこの世界に充たされれば、
僕は一日一惡を自己の使命と課する惡しき政治家などに決してならないだらう、とね。
長編 死靈 (九) 「近代文學」 >583 続き
著者の介入があったとはいえ、
数年振りの激論に「圧服」の手応えを感じ得ず、首猛夫は後日の決闘を劃する
――謎だ!おお、おお、先刻から貴方は僕に謎をかけている。
(中略)
そうですよ、総監。怖ろしい謎のかけっこをしようじゃありませんか。互いの死生を賭けた怖ろしい謎かけ競争をね。
ふむ、どんづまりの最後で何やらを自身に悟るとか貴方に予告されてる僕は、だが、決して負けやしない。僕は必ず勝ってみせますよ。
おお、僕は必ず貴方をとって食うんです!
二章 「死霊T」
「永遠の寂寥を負った」一人狼による、十三人目の使徒喰いが宣言された!
来るべき政権、への参与も取り立たされる有能な逸材だけに、
日本の将来がこの一戦に託されようとしている 似せはにわゆたかギタリスト
の妻おばさまがとうとう一昨日逝ってしまった 読み始めです。
三輪 与志
って何て読むの?
「よし」で良いの?議論よりもそっちが気になって仕方ないのです 死霊は2巻の途中で挫折したなぁ
今なら読めるかな?
読めないだろうなぁ 推敲の敲の字がけっこうでてくるが、なんて読むんだ?
主導音をここに敲った
読めない いやあ、へんだよなあ。
たしかに、たたくという訓読みはあるがねえ。
はにやさーーーーん、おしえてくれろーーー 三善晃さん
もう一人の哲学的な氏も世を去られてしまった! 死霊と神聖喜劇、または、存在と無、どれを読むのが罰ゲームですか? 仏文の基礎ゼミで 『クラインの壷』とかいうのを読まされた
ちょっとした罰ゲームだった >>607
最後まで読まなくてもいいから読むのが大変そうな本を読んでみるといいよ
個人的な意見だけど能動的に読みたい本を読む場合よりも、仕方なく読む本の方が勉強になることが多い気がする、ってチーナカ豆が言ってた それは 読みたい本がクソってだけじゃないのか
要するにお前がつまんないスノッブだってだけのことで・・・ >>612
なんで?
俺は電子書籍になったら喜んで買うけどね。 電子本で一冊1,200円超えとはずいぶんと強気なこと >>613
電子書籍が似合うのって、雑誌・マンガ・軽いエンタメ小説、
今流行りのインテリ()人の新書等とかじゃない?一度見たらもういいや〜的な類。
完全なイメージのみで電子書籍語ってるだけだけどさ。 >>615
最近やっと哲学なんかが電子化されてきて、いつでもどこでも読めるから楽しい。
難解な本は思いついたときに読みたいし、メモも取りたい。
重い本を持ち歩く必要もないし、簡単にメモも取れる。
哲学じゃないけど、「死霊」もその流れの一つだろう。
できれば電子ペーパーが好ましいけど、スマホやタブレットでも画面の設定で何とか読みやすくできる。
食わず嫌いなら、電子書籍はほんとにお勧め。 難解なものを一読目から電子書籍で読む、ってのはまだ抵抗あるけど
確かに持ち歩く際に重いのはしんどい。不意に読みたくなるかも用に多めに鞄に入れるタチなだけにわかる 死霊が eBookJapan で電子書籍として発売された記念カキコ 埴谷は忘れられた作家になっちゃったのかな?
文体がいかにも古くて、鴎外、漱石より違和感がある。 >>623
そう?
じゃあ、無理じゃない日本語で文体論でも書いてみてよ。 >>625
たぶん君よりは理解してると思うよ。
君の日本語には違和感があるしw >>623>>625
日本語を語りたければ、とりあえず、句読点の打ち方も勉強しとこうね。 >>628
わかったから、少しは内容を書いてごらんよ。
埴谷のことがなにも書けないのに、俺は偉いんだなんて威張ってると、カエルさんみたいにお腹がパンクしちゃうよ。 20年くらい前にNHK教育でやった埴谷雄高特集よかったなあ
池田晶子がインタビューしてたやつ 池田晶子がインタビューしてたのは同時期の女性誌マリ・クレール上だったかもしれん
混同した >>632
俺はビデオに録画してある。カヌーというバーに通っていたね。 埴谷「独房の壁をじっと見ていると、無限を考えるしかなかった。
これまでもなく、これからもないかもしれないことを文学で表現しようと思った。」 >>636
カヌーではなくナルシスというバーだった。数年ぶりに5回分225分のビデオを見直した。
存在が真の自由を得て、いかなる他の存在をも侵害しない完璧なる宇宙を夢想した作家だった。
『死霊』はそのいまだ出現せざる宇宙を何とか白紙の上に創造しようと苦闘した文学作品だ。
ちなみにこのNHKの特集には池田晶子は出ていない。 池田晶子にはでも、埴谷の一見晦渋な論理にもみえる論理に秘められている
憤怒や悲哀、虚体の夢や渇望は視えないんだな。あれは埴谷の幼少期体験し
た台湾での植民地体験や戦前の党体験やがあって生まれたもので、単に頭の
中の理屈じゃなく、熱烈な夢想。その力動がなければ埴谷の独特な概念は
誕生しなかったろうし、「死霊」も書かれなかったろう。
池田の書いた埴谷論が弱いのは、こっちのにはそういう原体験はなく、頭
の良い、秀才の書いたものの趣があったから。原体験から渇望される熱烈な
夢が埴谷の思想だったわけで、池田のは、埴谷がどう思ったか知らないが、
何も必然性も感じられない文章だった。ただの秀才にすぎないという。あん
まり関係ない人だとしか思えなかったな。 埴谷雄高の『死霊』が戦後日本文学ベストワンに選出されたのはいつだったか。
群像か何か文芸誌で作家や評論家にアンケートを募り、集計で『死霊』が三島や
大岡、大江らを抑えてトップに君臨した。一介の文学愛好者にすぎぬわたしも
やはり『死霊』が最高の作品と判断する。なぜか? 『死霊』は多面的な魅力に
満ちた作品で、様々な一面から愛好家を生んでいる。しかし、それが文学である以上、
言葉の芸術である以上、言葉それ自体が珠玉の輝きに溢れていなければ、何の魅力も持たない。
藤枝静男が喝破したように、『死霊』は、言葉それ自体が磨き抜かれた詩的感受性に
横溢している点こそがもっともすぐれた美質であるという他はない。
まさに詩人が書いた小説なのである。この詩的純度の高さにおいて、ドストエフスキーを
凌ぐというのが偽らざるわたしの独断である。 639レスに続けると。埴谷の宇宙論や虚体論の根底にはよく言われることと
思うが自同律の不快がある。自同律の不快が立ち上るためには自同律の現前、
壊すものへの加担や思考が必要なわけだ。埴谷の原体験とは、人間が、日本
人が、立派な題目を掲げながら結局戦争の敗戦国に威張りたいだけ、革命党
の内部と外部を分け、自己を特権化したいだけ、Aは何処まで行ってもA、
という限界を目の当たりにしてきたことから起因する。自同律の不快はそう
して埴谷の思考の出発点となる。
ところが池田女史の場合、「私」って誰?「考えている」のは誰?それは
誰でもない、という命題が最初からあって、超越の衝動が自同律にぶち当た
って砕け散る、という原体験がない。だいたいヘーゲルのいう意識の階梯
で現実の不条理が解消されることはない。それがマルクスの批判でもあった
ろうに。そういう問題さえない。言っちゃ悪いがこいつは馬鹿かの悪口は
出て当然だった。
たしか池田は「埴谷さんは自同律の不快を言うけど、私の場合、自同律が
愉快なんです」と逆なことを言っていたことがあった。・・・調べたが
『オン!』という本の78頁にある。《つまり、自同律が愉快でありうる宇宙
もあり得るということなんです。》この一行だけでも文脈が読めない(また
は読まない)人だってことは分かるが。台湾人というだけで日本人に意味も
なく殴られる、日本人というだけで意味もなく威張る、その手の不条理は今
でも到る処にある。乗り越えようとして跳ね返され或いはまた別の不条理に
階級に付きあたる、それもまた自同律の不快ということと思うが池田女史に
とってこういう現実や体験は関係なくなり、ただの禅問答に早変わりする。 まあその編集者がどういうケチの付け方したか知らないが、現に残って
いる池田の発言からすれば、この読まれ方では埴谷の核心には届かないし、
政治革命も存在革命も問題意識としてあって、台湾での戦争体験も
生涯ひきずって、忘れることはなかった、戦争と革命という、歴史と政治に
たえず関心があった埴谷と、その手の革命論議には残っている発言から察す
るかぎり関心はなかった池田とでは素養は違う。埴谷が池田に付き合った
のは当初は若い読者がどう読んでいるのか関心はあったろうと思うが、
話し続けるうちに自分とはかけ離れた考え方であることに気が付き、内心
落胆はあったろうと思うね。
池田にかぎらず、埴谷は吉本からも言われていたが、「なんでこの人物
とああまで付き合うのか」と訝られるほどに付き合う人間、特に協力を
求めてくる人間には付き合いを断らなかった。革マル派と中核派に分裂する
前の革命的共産主義者同盟全国委員会に所属していた黒田寛一が
参議院選立候補したときでさえ協力している。革マル派結成が1963年でその
1年後とはいえ黒田の思想は把握できていただろうし今からすれば奇異以外
の何者でもない。埴谷にとって自己の思想を現実化する方法は皆無だと本人
からは視えており、その分、現実に動いていく思想の差異には無頓着だった。
良くいえば優しいが悪くいえば節操がない。
この思想-現実のいい加減さで池田とも付き合っていたのではないかと俺に
は思える。今、あの関係を読み返して、同じタームや哲学者を論じてはいる
ものの、実際の思想のスタンスはまるで別ものだったと思う。先にもあげた
ように、池田という人はせいぜい禅問答家でしかない。禅問答家としては
たしかに面白い人ではあったろう。しかし他に取り柄はない。池田が埴谷
の読者として「最後から一人目」だとかあり得ないと思っている。 求められると嫌とは言えない性格の人間って、いるものだよ。
わたしの身近にもいる。好きなように自分を使ってくれと思うらしい。 >>644
埴谷の私生活を見ると、とてもそうは思えない・・・ 文学かぶれると精力がそがれて性欲なくならない?どうよ。 絶倫を誇った作家はいくらでもいるよ。
おまえのEDは文学のせいじゃない。 ずいぶん昔に死霊に挑戦したけれども途中で挫折した
今なら読み切れるだろうか >>662
もっと無理じゃないかな?
書いた本人すら投げ出しちゃってる感じなのに。 そういえば、吉本隆明も「心的現象論」を途中で投げ出しちゃったね。老い
時代なのか、老いなのか・・・ 死霊買って丸5年、50ページから進んでない。他に読みたいのが優先になる。つまり面白くなく惹かれないということか! それでもこれぞ文学という存在感は否定できないから、やっぱり売り込み上手だったんだろうね 首猛夫のイメージが囚人服きてスキンヘッドにしたアナゴさんで定着してる >>651 三輪与志=身は良し
ではなくて
「身は無くて良し」 死霊も短編も膨大なエッセイも、基本的なトーンは同じ
哲学的に粉飾してるけど別に確たる論理があるわけじゃなし
感覚的にあうひとにはまったく「ナンカイ」ではない
要は「僕ってなに?」だから 埴谷がジャイナ教に関心を向けてくれたお陰で色んなことが分かった。
個人的に何かを悟るとかの意味でなく。 >>672
お前はあほなんだから、知ったようなことを言わない方が良い。
Nのような阿呆が調子こいてるのと違って、俺は本当に頭良い。 死靈の文章って公募の新人賞通るレベル?
何か読みにくいし下手じゃない? >>674
通らなければ、審査員か事前審査の編集者の頭が悪いだけ、ということになりそうだw のテーマ曲オープニング,作曲:宮内國郎. が、
ずっと脳内に鳴りっぱなしの子より。
生靈のがもっともっと怖い。 ,, -''"´ ̄ ̄`"''- 、
/ ,...、.\
/ ( <・) \
/ ./ ( (´'''´ ,....、
| / ⌒"''_,ノ ). ⌒'' ( <・) ))
.| ./ (_/(⌒ヽ..ノ7''´
i'^ヽ| _ノ '、ヽ_ 〉
((_>:r| ,.へへ、 │
、_> / \ 、_∠ィ'lエlュ.レ /
.`Z/!、i \ ヽ\ェェン/ /
_,, -く \ \. `ー‐'´/
.\. `"''ー\____/''- ,,_ >>632
そっくりの戸田のおっちゃん生きてるのだろか?
以下の庸平も病んだ肺病?とか
”66年の初代白い巨塔のモノクロ映画
佐々木庸平役にも似てた
>>193にもあげてた 亡き父親はまったく興味示さなかった。
Motherは多少乗ってきた
確か”96年正月の放送だっただから21年近くも前の 実家に来るたびに形だけは拝むが弟イビリの姉虐めから霊界から味方してくれます 21年前は良かった。よるETV埴谷氏のVIDEOしてたし、帰らぬ日々 夢魔の世界までは面白かったが、
その後はだんだんと妄言にリアリティがなくなった。
後世の高評価も第5章かせいぜい第6章まで。 自分の家にサボテンの鉢がひとつある。
確か『死霊』第4章で出てくる朝鮮人のアパートの窓際にもサボテンがあった。
あのサボテンは印象深い。 このせんせお亡くなりになってた事すっかり忘れてた知らなんだ
自分が去年入院3ヶ月の大病して記憶が飛んでたのかな やばいよそれ
中村真一郎が、電気ショックの療法を受けて、過去の記憶を部分的に失ったこと並みに
後で小説にデタラメなこと書いてて厨房かDKだったオレは信じてしまい迷惑だった 埴谷の『死霊』の愛読者である宇多田ヒカルの新曲「Forevermore」を聞くと、
ここに埴谷の言葉のかけらが散らばっていると感じる。 死霊立って相手が強すぎて問題を放り投げちゃってるだけに見えたけどな。
死霊にもレベルがある。とおぼえる。 >>702
死霊に残念なところがあるとすれば、時代だな。
あまりに長い年月を費やしてしまったので、作者自身が時代を持て余してしまったのだろう。 結核の再発による療養が『死霊』執筆中断の理由だったが、
回復してからも長い間政治評論ばかり書いて、なかなか小説には回帰しなかった
埴谷も怠けていたということを言っている
また再開してからも執筆に相当時間をかけている
4章までと5章以降は微妙に文体が異なっている
ドストすら書いていない形而上小説はそう簡単には仕上がらない チイナカ豆で〜す
ガリラヤ湖の魚で〜す
三波春夫でございます 埴谷と言えば今では2ちゃんでもメジャーになった「ちょ」を使った人だ ん子守の子守唄ー♪
とおう〜きょうーららーばーぃ・・・ 興味はあるのですがヨブ記すら読み通せなかった自分には無理でしょうか? 日本文学大賞を取った埴谷の死霊や小林の本居宣長などの巨編を書く作家ってとんと居なくなったな 分かる人はたった一節読むだけで全て理解できると思います。 「自同律の不快」は分かるような分からないような
埴谷の言によると与件としての存在様式に
個別的存在者たる個人の思惟が拘束されることへの不快感らしい
まあ、一種の疎外論であり、ヒューマニズムでしょうね
でもねマルクス主義は
たとえばドイツイデオロギーの時点でも
産業労働者たるプロレタリアートという存在様式が
個別的思惟を横断的に連結し
これが人種や国境の垣根をこえて全体化されるという発想なんですよ
獄中で何を考えていたのかな?
産業労働者ではなく獄中で思惟していたので俗流疎外論に陥るんじゃないの? >>726
前段も後段も、これ以上ないというくらい間違ってるw 人間が他の動植物を食べないと生きていけない現在の存在のあり方に反対する
意識だけで存在し、いかなる他の存在をも迫害しない未出現宇宙への憧憬
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