【虚体】埴谷雄高=般若豊スレッド第四章【死靈】
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――ちょっ、貴方はいよいよ卑劣な心理家だ。そう、それは愚劣なくらいですよ。
(中略:僕の悪徳)
僕のそれには、貴重な、そうだ、神秘なほどの或るものが隠れている。ふむ、それが貴方に解るだろうか?えっ、どうなんです?
おお、其処にいる貴方だって、それなしには僕とこれほど長く話しつづけられやしないんです!
と、黒い焔をあげつづける眼を寄せて呟きこんだ首猛夫は、頬を真近かに接したまま、陰熱にでもうかされるように囁きつづけた。
――ということは……解りますか?卑劣で、陰険な僕に似てるのはむしろ――敵対者たる貴方かも知れないんですよ!
おお。そうなんです。
二章 「死霊T」
父と子以上の深淵をも架橋して相互理解が成されたのであろうか
津田康造の頭蓋の内で「第一の記憶」が錯綜する
「唯一の魂の友」として、その悪徳を生み育んだのは己自身ではなかったか……
>578 続き
「悪の自覚」に身悶えする津田康造の懐深く飛び込んだ首猛夫の
「自己主張」の連打を浴びて、一挙に形勢は逆転!
津田康造はこのままマットに沈む、もとい、応接間の床上にダウンするのであろうか?
さう、勿論、さうなんでせう。正邪善惡二つの解釋をどつぷりのみこんでしまふ貴方の前には、そんなものなどないでせう。
僕はそれを認めます。おお、それは壯大な、美しい涅槃だ!僕はこいつも認めておきます。ふむ、僕は貴方の立場を一應全的に
認めておくのです。ですが・・・・しかもなほ、僕は訊きつづけたい。僕は飽くまで貴方に訊きつづけたい。
惡徳は、何處から芽生えるのだらう?
彼等二人は無言のまま、暫く沈鬱に凝視め合つた。首猛夫は眼をそらしはしなかつたけれども、不意と身顫ひした。
碧く澄んだ相手の瞳のなかに名状しがたい苦惱の色が現はれると、それと見る間に放射するやうにこちらに移つてきたやうな
氣がしたのである。首猛夫は相手のなかに飛びこむやうに、さらにぐいと顏を近づけた。すると、そのとき、
相手は許しでも乞ふやうにぽつりと云つた。
――貴方自身への確信から・・・・。
――えつ、何ですつて?
――眞の惡徳は、最も必然的な理論で自身を強く縛ることから、發生するのです。
(中略)
――奇妙だ!貴方は眞面目なのでせうか。それはあまりに反理性すぎて――貴方はそれをそんなふうにそつとしか
云へないのですね。えつ、さうでせう?おお、僕達は坊主のやうな話し振りになつてしまつた。
あつは、すると――千年か萬年の永生でも確信すれば、善徳が發生するといふ譯ですかね。
――そこからは、生ぬるい惡徳しか起こらぬでせう。
と、津田康造はさらに許しを求めるやうに殆んど聞きとれぬほどの小聲で答へた。
長編 死靈 (11) 「近代文學」
しかし、著者はココで首猛夫優勢の展開を改め、辛うじて僅差で第一幕を終える
××さんの採点はどうなっているんでしょうか?
>579 続き
津田康造の「二者撰一」は否定を余儀なくされる
窮地である
劣勢を覆すべく、《首め、こんなものは消えてなくなれば好い》と念じたとしても、
悪徳の芽生えとまでは呼べまい
二人の親友が、まだ見たこともない何物かについて論じたあげく、殴りあいや組打ちの喧嘩をするのも、
政治ににとつては、不思議ではない。
(中略:敵か、味方か)
何故なら、この識別は、同時に、相手の価値判断となるから。たとえ一つの優れた能力が見出されても、
その相手が違つた旗印しをもてば、それは、忽ち、悪しき能力なのである。
「政治をめぐる断想」
首猛夫は眼前に在り、哀れな子羊を前にした一人狼の如く白い歯をむき出して
今にも跳びかからんとしている――
皮肉にもこの事実は津田夫人にとっては僥倖であったろう
この時「悪しき能力」が発揮され、後刻夫の姿を求めた津田夫人が応接間に入ったならば、
室内に佇立する「首なし首猛夫」を目の当たりにして、卒倒しちゃうかも知れないからねぇ〜 >582 続き
ココで「内的自由の追求」を、チョットだけよ
嘆息を残し緋色の絨氈の上にその巨体を横たえた津田夫人の脳裏に、
嘗て深夜の三輪家で相対した三輪広志の言葉が蘇える……
――はつは‥‥さう、さうですとも。ですから、僕は津田とそのとき徹底的に論議したのです。
若し、同一瞬間に同一空間を二物が占有し得れば――はつは、この平和な夢想が如何なる方法かでこの世界に充たされれば、
僕は一日一惡を自己の使命と課する惡しき政治家などに決してならないだらう、とね。
長編 死靈 (九) 「近代文學」 >583 続き
著者の介入があったとはいえ、
数年振りの激論に「圧服」の手応えを感じ得ず、首猛夫は後日の決闘を劃する
――謎だ!おお、おお、先刻から貴方は僕に謎をかけている。
(中略)
そうですよ、総監。怖ろしい謎のかけっこをしようじゃありませんか。互いの死生を賭けた怖ろしい謎かけ競争をね。
ふむ、どんづまりの最後で何やらを自身に悟るとか貴方に予告されてる僕は、だが、決して負けやしない。僕は必ず勝ってみせますよ。
おお、僕は必ず貴方をとって食うんです!
二章 「死霊T」
「永遠の寂寥を負った」一人狼による、十三人目の使徒喰いが宣言された!
来るべき政権、への参与も取り立たされる有能な逸材だけに、
日本の将来がこの一戦に託されようとしている 似せはにわゆたかギタリスト
の妻おばさまがとうとう一昨日逝ってしまった 読み始めです。
三輪 与志
って何て読むの?
「よし」で良いの?議論よりもそっちが気になって仕方ないのです 死霊は2巻の途中で挫折したなぁ
今なら読めるかな?
読めないだろうなぁ 推敲の敲の字がけっこうでてくるが、なんて読むんだ?
主導音をここに敲った
読めない いやあ、へんだよなあ。
たしかに、たたくという訓読みはあるがねえ。
はにやさーーーーん、おしえてくれろーーー 三善晃さん
もう一人の哲学的な氏も世を去られてしまった! 死霊と神聖喜劇、または、存在と無、どれを読むのが罰ゲームですか? 仏文の基礎ゼミで 『クラインの壷』とかいうのを読まされた
ちょっとした罰ゲームだった >>607
最後まで読まなくてもいいから読むのが大変そうな本を読んでみるといいよ
個人的な意見だけど能動的に読みたい本を読む場合よりも、仕方なく読む本の方が勉強になることが多い気がする、ってチーナカ豆が言ってた それは 読みたい本がクソってだけじゃないのか
要するにお前がつまんないスノッブだってだけのことで・・・ >>612
なんで?
俺は電子書籍になったら喜んで買うけどね。 電子本で一冊1,200円超えとはずいぶんと強気なこと >>613
電子書籍が似合うのって、雑誌・マンガ・軽いエンタメ小説、
今流行りのインテリ()人の新書等とかじゃない?一度見たらもういいや〜的な類。
完全なイメージのみで電子書籍語ってるだけだけどさ。 >>615
最近やっと哲学なんかが電子化されてきて、いつでもどこでも読めるから楽しい。
難解な本は思いついたときに読みたいし、メモも取りたい。
重い本を持ち歩く必要もないし、簡単にメモも取れる。
哲学じゃないけど、「死霊」もその流れの一つだろう。
できれば電子ペーパーが好ましいけど、スマホやタブレットでも画面の設定で何とか読みやすくできる。
食わず嫌いなら、電子書籍はほんとにお勧め。 難解なものを一読目から電子書籍で読む、ってのはまだ抵抗あるけど
確かに持ち歩く際に重いのはしんどい。不意に読みたくなるかも用に多めに鞄に入れるタチなだけにわかる 死霊が eBookJapan で電子書籍として発売された記念カキコ 埴谷は忘れられた作家になっちゃったのかな?
文体がいかにも古くて、鴎外、漱石より違和感がある。 >>623
そう?
じゃあ、無理じゃない日本語で文体論でも書いてみてよ。 >>625
たぶん君よりは理解してると思うよ。
君の日本語には違和感があるしw >>623>>625
日本語を語りたければ、とりあえず、句読点の打ち方も勉強しとこうね。 >>628
わかったから、少しは内容を書いてごらんよ。
埴谷のことがなにも書けないのに、俺は偉いんだなんて威張ってると、カエルさんみたいにお腹がパンクしちゃうよ。 20年くらい前にNHK教育でやった埴谷雄高特集よかったなあ
池田晶子がインタビューしてたやつ 池田晶子がインタビューしてたのは同時期の女性誌マリ・クレール上だったかもしれん
混同した >>632
俺はビデオに録画してある。カヌーというバーに通っていたね。 埴谷「独房の壁をじっと見ていると、無限を考えるしかなかった。
これまでもなく、これからもないかもしれないことを文学で表現しようと思った。」 >>636
カヌーではなくナルシスというバーだった。数年ぶりに5回分225分のビデオを見直した。
存在が真の自由を得て、いかなる他の存在をも侵害しない完璧なる宇宙を夢想した作家だった。
『死霊』はそのいまだ出現せざる宇宙を何とか白紙の上に創造しようと苦闘した文学作品だ。
ちなみにこのNHKの特集には池田晶子は出ていない。 池田晶子にはでも、埴谷の一見晦渋な論理にもみえる論理に秘められている
憤怒や悲哀、虚体の夢や渇望は視えないんだな。あれは埴谷の幼少期体験し
た台湾での植民地体験や戦前の党体験やがあって生まれたもので、単に頭の
中の理屈じゃなく、熱烈な夢想。その力動がなければ埴谷の独特な概念は
誕生しなかったろうし、「死霊」も書かれなかったろう。
池田の書いた埴谷論が弱いのは、こっちのにはそういう原体験はなく、頭
の良い、秀才の書いたものの趣があったから。原体験から渇望される熱烈な
夢が埴谷の思想だったわけで、池田のは、埴谷がどう思ったか知らないが、
何も必然性も感じられない文章だった。ただの秀才にすぎないという。あん
まり関係ない人だとしか思えなかったな。 埴谷雄高の『死霊』が戦後日本文学ベストワンに選出されたのはいつだったか。
群像か何か文芸誌で作家や評論家にアンケートを募り、集計で『死霊』が三島や
大岡、大江らを抑えてトップに君臨した。一介の文学愛好者にすぎぬわたしも
やはり『死霊』が最高の作品と判断する。なぜか? 『死霊』は多面的な魅力に
満ちた作品で、様々な一面から愛好家を生んでいる。しかし、それが文学である以上、
言葉の芸術である以上、言葉それ自体が珠玉の輝きに溢れていなければ、何の魅力も持たない。
藤枝静男が喝破したように、『死霊』は、言葉それ自体が磨き抜かれた詩的感受性に
横溢している点こそがもっともすぐれた美質であるという他はない。
まさに詩人が書いた小説なのである。この詩的純度の高さにおいて、ドストエフスキーを
凌ぐというのが偽らざるわたしの独断である。 639レスに続けると。埴谷の宇宙論や虚体論の根底にはよく言われることと
思うが自同律の不快がある。自同律の不快が立ち上るためには自同律の現前、
壊すものへの加担や思考が必要なわけだ。埴谷の原体験とは、人間が、日本
人が、立派な題目を掲げながら結局戦争の敗戦国に威張りたいだけ、革命党
の内部と外部を分け、自己を特権化したいだけ、Aは何処まで行ってもA、
という限界を目の当たりにしてきたことから起因する。自同律の不快はそう
して埴谷の思考の出発点となる。
ところが池田女史の場合、「私」って誰?「考えている」のは誰?それは
誰でもない、という命題が最初からあって、超越の衝動が自同律にぶち当た
って砕け散る、という原体験がない。だいたいヘーゲルのいう意識の階梯
で現実の不条理が解消されることはない。それがマルクスの批判でもあった
ろうに。そういう問題さえない。言っちゃ悪いがこいつは馬鹿かの悪口は
出て当然だった。
たしか池田は「埴谷さんは自同律の不快を言うけど、私の場合、自同律が
愉快なんです」と逆なことを言っていたことがあった。・・・調べたが
『オン!』という本の78頁にある。《つまり、自同律が愉快でありうる宇宙
もあり得るということなんです。》この一行だけでも文脈が読めない(また
は読まない)人だってことは分かるが。台湾人というだけで日本人に意味も
なく殴られる、日本人というだけで意味もなく威張る、その手の不条理は今
でも到る処にある。乗り越えようとして跳ね返され或いはまた別の不条理に
階級に付きあたる、それもまた自同律の不快ということと思うが池田女史に
とってこういう現実や体験は関係なくなり、ただの禅問答に早変わりする。 まあその編集者がどういうケチの付け方したか知らないが、現に残って
いる池田の発言からすれば、この読まれ方では埴谷の核心には届かないし、
政治革命も存在革命も問題意識としてあって、台湾での戦争体験も
生涯ひきずって、忘れることはなかった、戦争と革命という、歴史と政治に
たえず関心があった埴谷と、その手の革命論議には残っている発言から察す
るかぎり関心はなかった池田とでは素養は違う。埴谷が池田に付き合った
のは当初は若い読者がどう読んでいるのか関心はあったろうと思うが、
話し続けるうちに自分とはかけ離れた考え方であることに気が付き、内心
落胆はあったろうと思うね。
池田にかぎらず、埴谷は吉本からも言われていたが、「なんでこの人物
とああまで付き合うのか」と訝られるほどに付き合う人間、特に協力を
求めてくる人間には付き合いを断らなかった。革マル派と中核派に分裂する
前の革命的共産主義者同盟全国委員会に所属していた黒田寛一が
参議院選立候補したときでさえ協力している。革マル派結成が1963年でその
1年後とはいえ黒田の思想は把握できていただろうし今からすれば奇異以外
の何者でもない。埴谷にとって自己の思想を現実化する方法は皆無だと本人
からは視えており、その分、現実に動いていく思想の差異には無頓着だった。
良くいえば優しいが悪くいえば節操がない。
この思想-現実のいい加減さで池田とも付き合っていたのではないかと俺に
は思える。今、あの関係を読み返して、同じタームや哲学者を論じてはいる
ものの、実際の思想のスタンスはまるで別ものだったと思う。先にもあげた
ように、池田という人はせいぜい禅問答家でしかない。禅問答家としては
たしかに面白い人ではあったろう。しかし他に取り柄はない。池田が埴谷
の読者として「最後から一人目」だとかあり得ないと思っている。 求められると嫌とは言えない性格の人間って、いるものだよ。
わたしの身近にもいる。好きなように自分を使ってくれと思うらしい。 >>644
埴谷の私生活を見ると、とてもそうは思えない・・・ 文学かぶれると精力がそがれて性欲なくならない?どうよ。 絶倫を誇った作家はいくらでもいるよ。
おまえのEDは文学のせいじゃない。 ずいぶん昔に死霊に挑戦したけれども途中で挫折した
今なら読み切れるだろうか >>662
もっと無理じゃないかな?
書いた本人すら投げ出しちゃってる感じなのに。 そういえば、吉本隆明も「心的現象論」を途中で投げ出しちゃったね。老い
時代なのか、老いなのか・・・ 死霊買って丸5年、50ページから進んでない。他に読みたいのが優先になる。つまり面白くなく惹かれないということか! それでもこれぞ文学という存在感は否定できないから、やっぱり売り込み上手だったんだろうね 首猛夫のイメージが囚人服きてスキンヘッドにしたアナゴさんで定着してる >>651 三輪与志=身は良し
ではなくて
「身は無くて良し」 死霊も短編も膨大なエッセイも、基本的なトーンは同じ
哲学的に粉飾してるけど別に確たる論理があるわけじゃなし
感覚的にあうひとにはまったく「ナンカイ」ではない
要は「僕ってなに?」だから 埴谷がジャイナ教に関心を向けてくれたお陰で色んなことが分かった。
個人的に何かを悟るとかの意味でなく。 >>672
お前はあほなんだから、知ったようなことを言わない方が良い。
Nのような阿呆が調子こいてるのと違って、俺は本当に頭良い。 ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています