【虚体】埴谷雄高=般若豊スレッド第四章【死靈】
■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています
>>623
そう?
じゃあ、無理じゃない日本語で文体論でも書いてみてよ。 >>625
たぶん君よりは理解してると思うよ。
君の日本語には違和感があるしw >>623>>625
日本語を語りたければ、とりあえず、句読点の打ち方も勉強しとこうね。 >>628
わかったから、少しは内容を書いてごらんよ。
埴谷のことがなにも書けないのに、俺は偉いんだなんて威張ってると、カエルさんみたいにお腹がパンクしちゃうよ。 20年くらい前にNHK教育でやった埴谷雄高特集よかったなあ
池田晶子がインタビューしてたやつ 池田晶子がインタビューしてたのは同時期の女性誌マリ・クレール上だったかもしれん
混同した >>632
俺はビデオに録画してある。カヌーというバーに通っていたね。 埴谷「独房の壁をじっと見ていると、無限を考えるしかなかった。
これまでもなく、これからもないかもしれないことを文学で表現しようと思った。」 >>636
カヌーではなくナルシスというバーだった。数年ぶりに5回分225分のビデオを見直した。
存在が真の自由を得て、いかなる他の存在をも侵害しない完璧なる宇宙を夢想した作家だった。
『死霊』はそのいまだ出現せざる宇宙を何とか白紙の上に創造しようと苦闘した文学作品だ。
ちなみにこのNHKの特集には池田晶子は出ていない。 池田晶子にはでも、埴谷の一見晦渋な論理にもみえる論理に秘められている
憤怒や悲哀、虚体の夢や渇望は視えないんだな。あれは埴谷の幼少期体験し
た台湾での植民地体験や戦前の党体験やがあって生まれたもので、単に頭の
中の理屈じゃなく、熱烈な夢想。その力動がなければ埴谷の独特な概念は
誕生しなかったろうし、「死霊」も書かれなかったろう。
池田の書いた埴谷論が弱いのは、こっちのにはそういう原体験はなく、頭
の良い、秀才の書いたものの趣があったから。原体験から渇望される熱烈な
夢が埴谷の思想だったわけで、池田のは、埴谷がどう思ったか知らないが、
何も必然性も感じられない文章だった。ただの秀才にすぎないという。あん
まり関係ない人だとしか思えなかったな。 埴谷雄高の『死霊』が戦後日本文学ベストワンに選出されたのはいつだったか。
群像か何か文芸誌で作家や評論家にアンケートを募り、集計で『死霊』が三島や
大岡、大江らを抑えてトップに君臨した。一介の文学愛好者にすぎぬわたしも
やはり『死霊』が最高の作品と判断する。なぜか? 『死霊』は多面的な魅力に
満ちた作品で、様々な一面から愛好家を生んでいる。しかし、それが文学である以上、
言葉の芸術である以上、言葉それ自体が珠玉の輝きに溢れていなければ、何の魅力も持たない。
藤枝静男が喝破したように、『死霊』は、言葉それ自体が磨き抜かれた詩的感受性に
横溢している点こそがもっともすぐれた美質であるという他はない。
まさに詩人が書いた小説なのである。この詩的純度の高さにおいて、ドストエフスキーを
凌ぐというのが偽らざるわたしの独断である。 639レスに続けると。埴谷の宇宙論や虚体論の根底にはよく言われることと
思うが自同律の不快がある。自同律の不快が立ち上るためには自同律の現前、
壊すものへの加担や思考が必要なわけだ。埴谷の原体験とは、人間が、日本
人が、立派な題目を掲げながら結局戦争の敗戦国に威張りたいだけ、革命党
の内部と外部を分け、自己を特権化したいだけ、Aは何処まで行ってもA、
という限界を目の当たりにしてきたことから起因する。自同律の不快はそう
して埴谷の思考の出発点となる。
ところが池田女史の場合、「私」って誰?「考えている」のは誰?それは
誰でもない、という命題が最初からあって、超越の衝動が自同律にぶち当た
って砕け散る、という原体験がない。だいたいヘーゲルのいう意識の階梯
で現実の不条理が解消されることはない。それがマルクスの批判でもあった
ろうに。そういう問題さえない。言っちゃ悪いがこいつは馬鹿かの悪口は
出て当然だった。
たしか池田は「埴谷さんは自同律の不快を言うけど、私の場合、自同律が
愉快なんです」と逆なことを言っていたことがあった。・・・調べたが
『オン!』という本の78頁にある。《つまり、自同律が愉快でありうる宇宙
もあり得るということなんです。》この一行だけでも文脈が読めない(また
は読まない)人だってことは分かるが。台湾人というだけで日本人に意味も
なく殴られる、日本人というだけで意味もなく威張る、その手の不条理は今
でも到る処にある。乗り越えようとして跳ね返され或いはまた別の不条理に
階級に付きあたる、それもまた自同律の不快ということと思うが池田女史に
とってこういう現実や体験は関係なくなり、ただの禅問答に早変わりする。 まあその編集者がどういうケチの付け方したか知らないが、現に残って
いる池田の発言からすれば、この読まれ方では埴谷の核心には届かないし、
政治革命も存在革命も問題意識としてあって、台湾での戦争体験も
生涯ひきずって、忘れることはなかった、戦争と革命という、歴史と政治に
たえず関心があった埴谷と、その手の革命論議には残っている発言から察す
るかぎり関心はなかった池田とでは素養は違う。埴谷が池田に付き合った
のは当初は若い読者がどう読んでいるのか関心はあったろうと思うが、
話し続けるうちに自分とはかけ離れた考え方であることに気が付き、内心
落胆はあったろうと思うね。
池田にかぎらず、埴谷は吉本からも言われていたが、「なんでこの人物
とああまで付き合うのか」と訝られるほどに付き合う人間、特に協力を
求めてくる人間には付き合いを断らなかった。革マル派と中核派に分裂する
前の革命的共産主義者同盟全国委員会に所属していた黒田寛一が
参議院選立候補したときでさえ協力している。革マル派結成が1963年でその
1年後とはいえ黒田の思想は把握できていただろうし今からすれば奇異以外
の何者でもない。埴谷にとって自己の思想を現実化する方法は皆無だと本人
からは視えており、その分、現実に動いていく思想の差異には無頓着だった。
良くいえば優しいが悪くいえば節操がない。
この思想-現実のいい加減さで池田とも付き合っていたのではないかと俺に
は思える。今、あの関係を読み返して、同じタームや哲学者を論じてはいる
ものの、実際の思想のスタンスはまるで別ものだったと思う。先にもあげた
ように、池田という人はせいぜい禅問答家でしかない。禅問答家としては
たしかに面白い人ではあったろう。しかし他に取り柄はない。池田が埴谷
の読者として「最後から一人目」だとかあり得ないと思っている。 求められると嫌とは言えない性格の人間って、いるものだよ。
わたしの身近にもいる。好きなように自分を使ってくれと思うらしい。 >>644
埴谷の私生活を見ると、とてもそうは思えない・・・ 文学かぶれると精力がそがれて性欲なくならない?どうよ。 絶倫を誇った作家はいくらでもいるよ。
おまえのEDは文学のせいじゃない。 ずいぶん昔に死霊に挑戦したけれども途中で挫折した
今なら読み切れるだろうか >>662
もっと無理じゃないかな?
書いた本人すら投げ出しちゃってる感じなのに。 そういえば、吉本隆明も「心的現象論」を途中で投げ出しちゃったね。老い
時代なのか、老いなのか・・・ 死霊買って丸5年、50ページから進んでない。他に読みたいのが優先になる。つまり面白くなく惹かれないということか! それでもこれぞ文学という存在感は否定できないから、やっぱり売り込み上手だったんだろうね 首猛夫のイメージが囚人服きてスキンヘッドにしたアナゴさんで定着してる >>651 三輪与志=身は良し
ではなくて
「身は無くて良し」 死霊も短編も膨大なエッセイも、基本的なトーンは同じ
哲学的に粉飾してるけど別に確たる論理があるわけじゃなし
感覚的にあうひとにはまったく「ナンカイ」ではない
要は「僕ってなに?」だから 埴谷がジャイナ教に関心を向けてくれたお陰で色んなことが分かった。
個人的に何かを悟るとかの意味でなく。 >>672
お前はあほなんだから、知ったようなことを言わない方が良い。
Nのような阿呆が調子こいてるのと違って、俺は本当に頭良い。 死靈の文章って公募の新人賞通るレベル?
何か読みにくいし下手じゃない? >>674
通らなければ、審査員か事前審査の編集者の頭が悪いだけ、ということになりそうだw のテーマ曲オープニング,作曲:宮内國郎. が、
ずっと脳内に鳴りっぱなしの子より。
生靈のがもっともっと怖い。 ,, -''"´ ̄ ̄`"''- 、
/ ,...、.\
/ ( <・) \
/ ./ ( (´'''´ ,....、
| / ⌒"''_,ノ ). ⌒'' ( <・) ))
.| ./ (_/(⌒ヽ..ノ7''´
i'^ヽ| _ノ '、ヽ_ 〉
((_>:r| ,.へへ、 │
、_> / \ 、_∠ィ'lエlュ.レ /
.`Z/!、i \ ヽ\ェェン/ /
_,, -く \ \. `ー‐'´/
.\. `"''ー\____/''- ,,_ >>632
そっくりの戸田のおっちゃん生きてるのだろか?
以下の庸平も病んだ肺病?とか
”66年の初代白い巨塔のモノクロ映画
佐々木庸平役にも似てた
>>193にもあげてた 亡き父親はまったく興味示さなかった。
Motherは多少乗ってきた
確か”96年正月の放送だっただから21年近くも前の 実家に来るたびに形だけは拝むが弟イビリの姉虐めから霊界から味方してくれます 21年前は良かった。よるETV埴谷氏のVIDEOしてたし、帰らぬ日々 夢魔の世界までは面白かったが、
その後はだんだんと妄言にリアリティがなくなった。
後世の高評価も第5章かせいぜい第6章まで。 自分の家にサボテンの鉢がひとつある。
確か『死霊』第4章で出てくる朝鮮人のアパートの窓際にもサボテンがあった。
あのサボテンは印象深い。 このせんせお亡くなりになってた事すっかり忘れてた知らなんだ
自分が去年入院3ヶ月の大病して記憶が飛んでたのかな やばいよそれ
中村真一郎が、電気ショックの療法を受けて、過去の記憶を部分的に失ったこと並みに
後で小説にデタラメなこと書いてて厨房かDKだったオレは信じてしまい迷惑だった 埴谷の『死霊』の愛読者である宇多田ヒカルの新曲「Forevermore」を聞くと、
ここに埴谷の言葉のかけらが散らばっていると感じる。 死霊立って相手が強すぎて問題を放り投げちゃってるだけに見えたけどな。
死霊にもレベルがある。とおぼえる。 >>702
死霊に残念なところがあるとすれば、時代だな。
あまりに長い年月を費やしてしまったので、作者自身が時代を持て余してしまったのだろう。 結核の再発による療養が『死霊』執筆中断の理由だったが、
回復してからも長い間政治評論ばかり書いて、なかなか小説には回帰しなかった
埴谷も怠けていたということを言っている
また再開してからも執筆に相当時間をかけている
4章までと5章以降は微妙に文体が異なっている
ドストすら書いていない形而上小説はそう簡単には仕上がらない チイナカ豆で〜す
ガリラヤ湖の魚で〜す
三波春夫でございます 埴谷と言えば今では2ちゃんでもメジャーになった「ちょ」を使った人だ ん子守の子守唄ー♪
とおう〜きょうーららーばーぃ・・・ 興味はあるのですがヨブ記すら読み通せなかった自分には無理でしょうか? 日本文学大賞を取った埴谷の死霊や小林の本居宣長などの巨編を書く作家ってとんと居なくなったな ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています