石川淳スレッド その3
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>>48
限定千とか千数百部ですからね。編集校して版を組んで印刷して…、
大先生に原稿料も払わなくてはならない。どうしても高くなる。
大抵はトビラにあれこれ書いてあったりするから、これが限定だのサイン本で
ふっかける古本屋の手にかかると、べらぼうな値段になったり。
春先に鎌倉の古本屋でみかけた西遊日録の、署名も何もないやつは
たしか4500円くらいでした。 >>50せめて堂々と上げて欲しい。
昔、無頼派のスレってありませんでしたっけ。夷斎編集、定本坂口安吾全集を
パラパラめくりながら、そんなことを考えていました。 石川の「革命とは何か」はいまの日本にとって、いちばん的確具体的な助言だな。
現日本国憲法を「観念からすぐ実在に適用しようとする最初の誤謬」を犯しているとし、
昭和二十年代に既に憲法改正を主張している。
しかもこのとき「もう痺れを切らした」とさえいっている。
政治の混迷(というか無政治状態)の原因が、
現憲法の選挙制度の過ちにあるのをこのとき既に見抜いているんだな。
このエッセイが収められている「夷斎俚言」を読解できた人は、
現行憲法下では何百年経っても大政治家は現れないことを理解するだろう。
早い話、菅さんがやめたところで、現憲法下ではやっぱり、
三流の首相しかでてこないってことですよ。 三流じゃダメなんですか?
もしくは、
三流の首相が三流の首相しか生まない憲法を改憲できるんですか? >>53
おまえさんには、三流でも、もったいないだろう 石川淳って政治屋に何か期待するよりも、
民衆がつねに反政治的でいられるような
自由主義的な気風を好んだんじゃないかな。
いつでもぶっつぶせるような弱体権力と、
いつでもぶっつぶすような民衆の反権力的な気風を。
ぶっつぶす!って気概のある奴以外は語るに足らず、ってとこはありますね。 石川の政治観の形成は、バクーニン、アランあたりにあるだろうな 中央公論社の「日本の文学60ー石川淳」を古本屋で手に入れた。
定価390円なのに350円もしたよ。
売上伝票が入ったままで、黄ばんでもいないからおそらく読んでいないんだろうな。
高いのはしかたない。
この人の本は読んだことがないから楽しみだ。 定価390円の本を古本屋で買うんだぜ。
100円以上は高いってもんだ。 「座談」の中で川端・三島・石川・安部で
中国の文革に対する抗議みたいなのがありましたね、
それについて後のほうにある吉川幸次郎との対談で、
吉川が、革命の時には文学はお休みだとかって、
上の抗議に対してちょっと不快感をにじみ出してた。
吉川にしてみたら、石川がよく革命とか言っていながら、
実際の革命が起こったら抗議するのはおかしい、
とか思ったんだろうな。 『白猫』(ちくま文庫)面白かった。
ところでこの作品の連載にあたり、「作者の言葉」が記されてある。
『長篇文庫』(三笠書房発行)の三月号だ。
その末尾に、
だが、実は成功も失敗もあったものではない。ただ、努力あるのみ。
その努力に附き合つてくれるところに、読者の坐り場所がある。
書くにも、読むにも、小説と云うやつは人間に楽をさせておかないやうな代物だ。
石川の執筆にかける並々ならぬ情熱と気負いをうかがい知ることができる。
連載最終回の九月号では「改題に就いて」が添えられている。
この小説の題を『東方の風』と改めます。
連載の都合上初めに題を置く必要があつたので、仮に『白猫』としておいたのですが、
書き出すに従つてどうも不似合と思はれ、今稿を終へるに当つて、しかく改めました。
この題名には、格別の仔細はありません。どうか、東方にこだわらないで下さい。
一般に、本文が小説であるのに対して、題は常に文学なのです。
内容とは逆に「東方」にこだわってるのがおかしいが、いまだに『白猫』で出版されているのはどういうわけか。 本当に読み終わってまだネコだと信じて疑わないようだなw
おもろいやつがおるもんじゃなあ。 白描っていうと、デッサンとかそういうものかな
プロットを考え込んで書き始めたんじゃなくて、
戦時中の暗い世の中が進んでいく時に、
ただ精神の自由を確保するために書いてるって感じだな 評論読むと、「白描」は失敗作って評価が多いね。
でも、なぜか気になる作品みたいで、
わりと取り上げられている。
ロシアの裏切られた革命と、かたや日中戦争、
そんな状況下での芸術家って、
ただ消えるためにのみ登場するようなものなんでしょうね。
オレもこの小説はあんまり好きじゃない。
「白頭吟」と「荒魂」の2ヶでいい。 しろぬこ、まだ読んでないや。この週末挑戦してみる。 わたしは、はっきり「白犬」のほうが成功してると思います。
ただ、石川淳としては異色でしょうね、構成などかっちり作りこんでますよね。 大阪府三島郡島本町の小学校や中学校は、暴力イジメ学校や。
島本町の学校で暴力やいじめを受け続けて、心も身体も
壊されて廃人同様になってしもうた僕が言うんやから、
まちがいないで。精神病院へ行っても、ちっとも良うならへん。
教師も校長も、暴力やいじめがあっても見て見ぬフリ。
そればかりか、イジメに加担する教師もおった。
誰かがイジメを苦にして自殺しても、「本校にイジメは
なかった」と言うて逃げるんやろうなあ。
僕をイジメた生徒や教師の名前をここで書きたいけど、
そんなことしたら殺されて、天王山に埋められるかもしれ
へん。それで誰にも発見されへんかったら、永久に行方不明のままや。
島本町の学校の関係者は、僕を捜し出して口封じをするな。
>>72
だから、「白猫」じゃないって、何度・・・・・ 俺の持ってる狂風記(集英社文庫)、カバーにのってる作品一覧に思いっきり「白猫」って書いてあるよ・・・ よく読まずに慌てて本棚をチェック。どこをひっくり返しても帯の丸谷と大江の
推薦文以外無い…と思ったら文庫版でしたか。
でも今回気がつきましたが、単行本には広告宣伝の類いが一切無いんですね。
本文以外の情報は奥付のみ。中公の限定本にさえ広告が印刷されてるというのに…。
ど派手な内容に比べて実にシンプルな作りです。 おまえら、石川淳の奥さんが書いた回想録があるって知ってましたか?
俺は最近知ったんで、慌ててアマゾンに注文したよ。到着が楽しみ。 >>78
晴れのちなんとかだろ。あんなクズ本まだ買えるの?
石川淳とはなんの関係もない本。
>>75
誤植だね。しかし・・・
72 :吾輩は名無しである:2012/02/26(日) 19:43:19.05
『白猫』読んだ。
『天門』のほうが面白かった。
↑
読んだと言ってる人が白猫と書くのはちょっとねえw
回想録読んだ。
子供に受験ハウツー本を与える淳、青山二郎(?)に嫉妬する淳、孫や犬を可愛がる淳など、
作品、エッセイを読んでいては推測できないようなネタが出てきて面白い。
そもそものナレソメなどは書いていないところは、淳の奥さんらしい。
(一体、二人が結婚した年、子供が生まれた年は何年なんだ?)
意外な一面も書かれているが、常に近くにいた奥さんが「古梅のような人」といってるところは、
淳の文章から受ける印象とピッタリ一致する。
作家としての淳は「普賢」あたりから昭和20年代が絶頂だったろう。
その後も作家活動は続いているが、創造的な推進力といったものが急速に低下している。
出合ったころは既に創作力が衰え始めた頃、あるいは結婚して淳の魂が安定し始めた結果、
クリエイティブなものが引っ込んでしまったという、芸術家にはよくある話か。 ブックオフで「石川淳選集」15巻、16巻があったので購入。
内容は評論・随筆。
新釈古事記、諸国畸人伝は読みごたえありそうだ。
文章の形式と内容、短篇小説の構成、祈禱と祝詞と散文あたりも面白そう。
新刊案内とかはさまってるし、箱の黄ばみ以外はスゲーきれいなんだけど、売ると二束三文なんだな。
105円×2=210円だもん。 ねえ、新ネタないの?
20世紀の日本文学では10本の指に入る人だと思うんだが・・ 十? 笑はしちやいけない
十どころか。
壱から百七、八十辺までぜんぶ、ズラリと夷齋が独り占めしていたって驚くものですか。 オススメは何ですか?『紫苑物語』しか読んだことないです。
しかも、よく読めなかった。 >>87
かよい小町がオススメです。
講談社文芸文庫から出てるので興味があったらどうぞ。
『焼跡のイエス・善財』の中に入っています。 かよい小町読みました。面白かった。
閨房における女人とは畢竟おっぱいであるという考えには同意できませんでしたけど。 選集にある作品だと、
雪のイヴ
喜寿童女
鷹
なんかが好きです。
どれも読みやすいし傑作だと思う。
ただ選集は旧字旧かなだからしんどいんでけどね >>87
小説随筆現代語訳、どれも面白いですよ。長そうな至福千年や狂風記も大した
量ではない。しかもこの二つこそ、このひとの全文章中最もリーダブルな読物です。
この人には、何から読まねば、とか「○と×、△のナンチャラ●部作」みたいなものは
ありません。何も考えず、暇に応じて目につく端からジャンジャン読んで差支えない。
古本屋の百円棚でアレもコレも見ますから、五百円玉一枚あれば随分時間も潰れます。
昔のスレでは、当時新刊書で買えた講談社文庫の新かな「鷹」が大人気でしたね。
かよひ小町が面白かったのなら、その前後の處女懐胎や焼跡のイエス、いすかのはし、
飛梅、雪のイヴなんかも如何でしょうか。初期の小説でわたくしが好きなのは
千羽鶴と鐵拐(カイは木扁)です。
岩波選集は通勤通学昼ごはんのお供に丁度よい新書9ポ2段サイズ。一冊々々のリストも
スッキリしてて最高なのですが、コイツが夷齋自選自編のヤラシさ、漢語調の成句や造語に
まずルビというものが無い。鴎外選集や露伴随筆もですが、「日本人なんだから
読めるでしょう。何かモンダイありますか。」みたいな体裁。このひとは、ノッてホイホイ
読んでいかないと愉しさ百分の一な文章家ですから、これは本当に痛いです。 >>93
「鷹」は復刊されたみたいですよ。宜しければ最初のレビューをお書きになっては?
ttp://www.amazon.co.jp/%E9%B7%B9-%E8%AC%9B%E8%AB%87%E7%A4%BE%E6%96%87%E8%8A%B8%E6%96%87%E5%BA%AB-%E7%9F%B3%E5%B7%9D-%E6%B7%B3/dp/4062901579 >>89
エッセイ系だと「安吾のゐる風景」「敗荷落日」がオススメです。 >>95
きみは「敗荷」という言葉が何を意味するか知っているの? 評論が好きだな。江戸文学についてかな。ハイセンスだった。
菩薩の乗り物である象に乗って昇天する売女。町衆の若い男がその女を隠れて思い出す。何とも言えず最高だったよ。 戦争中は江戸に留学していたというくらい、
江戸時代に書かれた書物を読んでいたらしいからな。
漢文の素養もあり、外国文学(フランス文学)も原語で読めて、
小説も書ける人は、鴎外、漱石、石川淳くらいのものだろ。 加藤周一が「石川淳または言葉の力」で誉めちぎってるけどな 時々ふと思うんだけど石川淳ってすごく傲慢な態度である意味嫌な奴だったようだね。
三好とか友達は少しいたけど、同年代からはかなり嫌われていたね。
傲慢な態度っていうのは、たとえばタルホの弥勒に淳と思われる奴がでてくる。 そんなことはないよ。
それはとても一般化はできない。 なにを知った風なことを。
「文壇タブー」って笑わせんなよ(笑 「現代文学は読まないんですか?」って訊かれて、
「ゴミっぽいものは読みません」っていったとか。
戦時中、和綴じの江戸文学、漢籍、フランス語書籍しか読んでなかったころだろうな。
こういうの聞いて世の中には、傲慢と思う人と、
個人の趣味と思う人と二種類いるってことか。 >>110
読書の範囲は趣味、思想、それぞれの方針の問題。
しかし、他人のそれについての態度、ものの言い方が傲慢ということでしょ。
弥勒のエピソードはこんな感じだった。記憶で書くのでだいたいですが。
文学仲間がだれかの下宿かなにかに集まって酒になる。
金を出し合い、手分けして買い物に出るがIJは知らんぷりしている。
それなのに酒や肴が整うと、平然と飲み食いに加わる。
江美留(だったか)がIJに尋ねると、こまごま雑用などしているとそればかりやる人間になってしまうではないか
とIJは答え、江美留はそれはそのとおりだと感心する。 >「現代文学は読まないんですか?」って訊かれて、
>「ゴミっぽいものは読みません」っていったとか。
傲慢でも趣味でもなんでもない。くだらないものは読まない、は至極当然。
ただ、正にその「ゴミを書いてるオマエがゆうな」だけど。(笑)
>戦時中、和綴じの江戸文学、漢籍、フランス語書籍しか読んでなかったころだろうな。
戦時中なら致し方ないけど、そうでないなら無知・無教養の自己告白とそれは同じだね。(笑) ↑
この人はどうも石川の作品をほとんど読まないで言ってるだけのようだな。
わからないで書いてる。 ∩_
〈〈〈 ヽ
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/( ●) (●)\ ! !
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| |r┬-| | / <こいつ最高にアホ
\ ` ー'´ //
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(___) /
「くだらないものは読まない、は至極当然」とゆってあるだろ
読まなきゃ言えない?じゃあ誰も「くだらない」を言えなくなる
くだらないものは数限りなくあり、人生は余りに短いw まあ、優れたエッセイである「雑文について」の冒頭数行を読んでみることだな。 >「ゴミっぽいものは読みません」っていったとか
読まないのになんでゴミっぽいことが判るんだ? いや、それがしかし判るんだよな。
だから同じことだよ。(笑)
読まずに冒頭数行さえ読む価値無しとしてかまわないよと、当の著者が言ってるんだよ。(笑笑笑) 誰かのファンになることは自己完結ですから、
誰が誰のファンになってもいいわけです。
ただ「すばらしい人だからファンだ」と批評的に表明するならば、
そのファンの批評能力から対象の価値が誤解されることもしばしばあります。
失礼な言い方で恐縮ですが、
もしあなたが通俗レベルでも通俗以下の批評能力なら、
対象の方もあなたゆえに貶められることの危険があります。
『贔屓の引き倒し』って言葉をご存知ですか?
↑どっかで以前書いた文。ここに合うように直すのは面倒くさいからそのまま貼る。
要するに、>>116-117が価値があると云うものは、それゆえに価値が無いとするよ、悪しからず、さ。(笑) ゴミっぽいものを少しは読んだから、懲りたんだろう。
そういうタイプは大体、ちょっと見で見分けがつくようになったら、
近づかないと。
文学仲間の酒盛りといっても、先輩後輩や、力量などの点で、序列が
出来てれば、上席の者は支度を手伝わないこともままあるだろう。 >>119
わざわざ自分の過去の駄レスをひっぱってくるなぞ大変オシャレ(笑
傍で見てるほうが恥ずかしくなりますぜ(笑
この程度、探してコピペするより書いたほうが早いと思うが・・・(笑
2ちゃんへの自分の書き込みまとめて保存してあったりして(爆笑 ∩_
〈〈〈 ヽ
____ 〈⊃ }
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/( ●) (●)\ ! !
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| |r┬-| | / こんな無芸無能でも齢とってジジイになれば
\ ` ー'´ // 「重鎮・超一流」と2chで自演できるようになれます。
/ __ / 長生きはするもんですよ、世の皆さん。(笑 (笑 (笑 (爆笑
(___) / /::::::::::::::::::::::::::::::::::::\
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|三| |::/  ̄ ̄`7:::::::::::::::::::::::::::::l
|二| |:l \:::::::::::::::r=:、:::|
|三|. | , -‐べ  ̄ヽ:::::}´`l|::|
rコr‐-、 L ` tッア l:::|l /:::!
r‐ 「ニニづ} ヽ `} L! i ⌒',
l Vニニ⊃`ll | r )、 / /
ヽ /´ ̄| ̄|. | `´ヘ_ \__ , / / イヤな、、渡世だなあ。。。
`i | i. | l てニ} _,ィ /
ヽ_ | l. | _} `ヽ__,ノ´ ',/ /
.r'゙ `| i. | _. l / / / /
`rー| l. | | / ,〃 / /
l: | i. | | / l | / /
| : | l. | レ '゙ | l /. /
l : | i. r――- .._ 」 / /
. ! :/´  ̄T ̄ ̄`ー--vー-- 石川淳の酒癖についてはいろいろ伝説になってるね。
テメーらなーっ!とかどなって、酒席に並んでいる銚子をかたっぱしからなぎ倒してあばれたとかww (酒が入ってたんだろうが)「芥川さんは学がなくてねえ」なんてポロリといったそうだが、
こっちのほうが、ありふれた酒席の醜態よりも石川淳らしい。
冗談でもそんなこと言える小説家は今はもちろん、当時でも数人しかいない。
(単なる博学はいくらでもいるけど・・・・) >>112
これは面白い。今度「弥勒」を読み直してみよう。
実際、「こまごま雑用などしている」人間なんて、小説家にはならないほうがいい。
まして、そんな小説家の書いた小説を面白がって読むなんてことは、文学とは縁がなさそうだ。
石川淳は答えてる、「何になりたいですか?」ときかれて、「すべての暴君」と。
これは冗談で言ってるのではない。次の言葉が背後に響いているのだ。
「われわれの完成の最も甘美なる手段のためにすべてを犠牲にするということにおいて、
われわれはおそろしくエゴイストである。」(クローデル) …ていうかさあ・・・なにがクローデルだよww
この気取った半可通野郎がww >>128
うるせえ!! はったおすぞ、この野郎! >>129
あら、気に障っちゃったかなー
あははははははははww >>130
いや、「はったおすぞ」って使ってみたかっただけなんだ。
ただね、クローデルなんて、石川の文章に何回も出てくるから、
おまえさんが石川を大して読んでないのがバレバレだね。 「すべての暴君」という言い回しというか、
これフランス語文脈で言ってるんだね。
ふつうの日本語ではこういう言い方しないものね。 第49回芥川賞(昭和38年/1963年上期)「少年の橋」 後藤紀一
石川淳が選考委員にいるが、評言がきついなw
「わたしはこれを取りこれを推す側にまわったが、通ったとたんに捨てることにした。
いろいろ文句をいうことがある。その文句の一つをいう。
この作者はなにがおもしろくて小説なんぞを書くのか。」 >>133日本語的には何て言うんだ?
石川淳の独創的な語法はいろいろとあると思うが、観念的には正確なんじゃない 石川淳は日本語を上手に使う人だな。
石川がよく使うのは対句だ。
「面貌について」のような文法上、形式上、同じように文章を続けて並べて、
片方ともう一方を対比的に使うことができる現役の作家はいないだろ。 >>137
日本人が「何になりたいか」と聞かれて答えるなら「暴君になりたい」とは言っても
「すべての暴君になりたい」という発想は日本語では出てきにくいでしょう。
ふつうは出てこないと思う。
一方、je voudrais etre tous les tyrans.はフランス語としてふつうの言い方。
どうでしょ?
>>138
ちょっと意味が分りにくいがどういうことですか?
つまらん 東京タワーの下の三丁目でやれ 今ではただのナンセンスだw >>139
>ちょっと意味が分りにくいがどういうことですか?
「面貌について」を読めば分かる そんなもん読んだよ。
書くからには人にわかる言葉で説明できなきゃな、ぼうず。 >東京タワーの下の三丁目でやれ
↑
こういうイモっぽいのって勘弁して欲しいよね〜
笑いが凍えちゃうよね〜 >>139そこは普通はunか冠詞なしとかでないかい。いづれにせよそういう事を言っているのではない。
フランス語を呟いたら小説になったという作品もあるくらいだからその辺りの発想はあったかもしれないが、
単にレトリックとして直訳したのではなく、「すべて」は文字通りの意味だろうという趣旨。 >>142
長くなるからレス2つで説明する。
「面貌について」をテキストにして
石川淳がいかに日本語を上手に使う人で、対比と対句がうまい人かを説明する。
「面貌について」一部抜き書き。
↓
「黄入谷のいふことに、士大夫三日書を読まなければ理義胸中にまじはらず、面貌にくむべく、ことばに味が無いとある。
いつの世からのならはしかはしか知らないが、中華の君子はよく面貌のことを気にする。
明の袁中郎に至つては、酒席の作法を立てて、つらつきのわるいやつ、ことばづかひのいけぞんざいなやつは寄せつけないと記してゐる。
ほとんど軍令である。またこのひとは山水花竹の鑑賞法を定めて、花の顔をもつて人間の顔を規定するやうに、
自然の享受には式目あり監戒あるべきことをいつてゐる。ほとんど刑書である。」 続き
「ほとんど軍令である」というのは軍の命令。「ほとんど刑書」であるというのは法律書だ。
これは完全に中国的な対句だ。
その前にうまく対比が使ってある。
「自然の享受には式目あり監戒あるべき」と言っているのは、どちらかといえば、漢文調の雅語だ。
日常語ではない。ところがその前は「酒席の作法」「つらつきのわるいやつ」
「ことばづかひのいけぞんざいな」、これは俗語だ。
俗語のなかでも強い俗語、日本語として許される日常語から最も遠い漢文系の雅語と、
両方でコントラストになるわけだ。
一方では雅語による歯切れのいい格調がでるけれども、それだけでは読者から遠くなってしまうわけで、
他方で俗語を使って急に肉体的というか、身体に日常的にひきつける。
離れたようにみえて、不意打ちで急に引きつけるから、変化に富んでおもしろいわけだ。
突然「いけぞんざい」と言うのはよく効いている。
たとえば坂口安吾の小説ははじめからおわりまでそれで通すからあまり効かない。
それから森鴎外の『渋江抽斎』ははじめからおわりまで漢文調で格調が高い。
だから「いけぞんざい」なんて言葉は見えない。
坂口安吾と鴎外と両方くっつけると、そこに特殊な効果が出る。
いつも成功するとはかぎらないけれども、石川淳の場合には成功した。
石川淳は日本語を上手に使う人で、対比と対句がうまい人である。
現役作家で石川淳ほど日本語を上手に使い、対比と対句がうまい人はいないだろ。 ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています