【カチリ 】井上靖 3【石英の音】
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>>434 「天平の甍」はやっぱり映画がいいくらいのボリュームだと思う 伊豆文学博物館が良かった 井上靖がメインで川端康成のが扱い小さい 「孔子」が出たのは大学生で本は図書館で借りるか 文庫か古本で買うかしてた頃だったけど 「孔子」はこれがおそらく井上靖最後の長編小説だって 思っていたから迷わず単行本で買った。 その後図書館の月刊誌で庭を見ながら来し方を想うっていうような 散文詩を見かけて、あぁ、もうじきこの世界から井上靖がいなくなるんだな なんて寂しい思いを抱くとともに 人間どうせ死ぬのなら成すべき仕事を為して穏やかに死を待つような老境にまで 自分も達してみたいなんて思ったっけ。 そんな自分も今やアラフィフ。 なかなか思うようにはいかないし大した仕事も残せそうにないけど 自分なりに納得がいくように生き抜きたい。 未発表短編集、2刷かかってるね。 売れてて何より。 「わが母の記」の教訓 「女には子供をなしても心を許すな」 楼蘭 【中国西域の説話】 1:楼蘭 2:洪水 3:異域の人 4:狼災記 5:羅刹女国 6:僧伽羅国縁起 7:宦者中行説 8:褒ジ(女以)の笑い 【日本の説話】 9:幽鬼 10:補陀落渡海記 11:小磐梯 12:北の駅路 【ここまでは日本の説話】 補陀落渡海記おもしろいよね 浅田次郎のアンソロジーにも収録されてた 終戦で陳舜臣の身分は大きく変化した。植民地・台湾出身の両親のもとに生まれた陳舜臣はそれまで日本国籍だったが、 終戦後に籍は中国に移る。当時、 外国人は国立大学の教員にはなれなかった。嘱託という道もないではないが、身分は不安定だ。自ら退職を決意した。 自伝的小説「青雲の軸」には、終戦間近の揺れる心境が友人との会話でこうつづられる。 「きみは研究をつづけるんだね?」 「そういうわけにはいかんだろう」「どうして?」 「どんな形式で戦争が終わるのかな? おそらく台湾は中国へ返還、朝鮮は独立となるだろう。すると、ぼくらは中国人になる」 「そうだ。中国に復帰する。祖国の懐に抱かれるわけだ」 「ぼくの勤めている学校は国立だから、職員は国家の官吏だ。外国人は任官できない」 「そうか。助教授、教授というコースは許されないんだな。いいことばかりがあるわけじゃないね」 「は、は、は…」 研究所にいなくても、研究はできる。心のなかでそう叫んだ。 陳舜臣の人生はこうして常に一筋縄ではいかない。その後作家デビューするまでに16年の歳月を要している。曲折の連続だ。 終戦直後には自分のルーツを知りたいと台湾に渡った。昭和21年3月のこと。台北郊外にある親戚の世話になり、やがて地元に新設された中学校の英語教師になった。 ところが翌22年2月、台湾の人々の多くの夢を砕く「2・28事件」が起きる。 国民党政府による住民の弾圧事件は、その後の台湾の運命を暗転させたもので、事件を間近に見た陳舜臣は、教員生活を打ち切り、日本に帰国することを決意する。 さて、「せめてペン・マンとしての道を歩みたい」という思いを募らせた陳舜臣は、ミステリーを書くことを思いつく。あるとき、 病気の妻の看病をしながら雑誌の軽い読み物に目を通したとき、もっと面白いものが書けるのではないか、と直感したことがきっかけという 読書は幼児期からの楽しみだった。とくに探偵小説は神戸で独特の発展をした。外国船で持ち込まれたものも多い。横溝正史も神戸出身だ。 陳舜臣も江戸川乱歩に熱中し、大阪外語時代には英語の授業でコナンドイルに出合い、原書で読みふけった時期もある。 物語の要素には事欠かない。人一倍乱世を生きてきたのだから。こうして、ユニークな中国人探偵が活躍する作品が誕生する 崑崙の玉を求めて西域を彷徨する人びとを描いた表題作をはじめ、井戸を守る盲目の老人を描き、ちくりと文明批判をする「聖者」、 盗掘者の一団を描く「永泰公主の頸飾り」、大国に翻弄されるオアシス国家「古代ペンジケント」の他、「古い文字」、「明妃曲」、「塔二と弥三」の各短編を収録。 井上靖の西域ものは、どれも不思議なリアリティがあって、つくり話と思いながら、どこかぐいぐいと引き込まれてしまいます。それは、氏が昔も今も変わらない「人間」の心の動きを、 文章でつかみ取るのに忠実だからかもしれません。短いなかに、人の真実がつまっていて、井上氏ならではの読後感が楽しめます。 中国の古代から人々が執心してやまない「玉」の産地として聞こえた、誰も知らない崑崙山を目指して黄河の源流へと遡っていく一行に襲いかかる苦難の行方を描いた「崑崙の玉」。 井上靖の「西域・中国を舞台とする小説」一覧 作 品 名掲 載 誌発 表 年 創作時年齢 1 漆胡樽昭和25年4月号 2 玉碗記昭和26年8月号 3 異域の人昭和28年7月号 4 僧行賀の涙昭和29年3月号 5 天平の甍昭和32年3月号〜 6 楼蘭昭和33年7月号 7 敦煌昭和34年1月〜5月号 8 洪水昭和34年7月号 9 蒼き狼昭和34年10月〜35年7月号 10 狼災記昭和36年8月号 11 明妃曲昭和38年2月号 12 楊貴妃伝昭和38年2月号〜昭和40年5月号 13 僧伽羅国縁起昭和38年4月号 14 宦者中行説昭和38年6月号 15 風濤昭和38年8月・10月号 16 羅刹女国昭和38年8月号 17 永泰公主の頸飾り昭和39年11月号 18 褒似の笑い昭和39年11月号 19 崑崙の玉昭和42年7月号 20 聖者昭和44年7月号 (蒼き狼の)執筆した時点では、モンゴルに行ってはいなかった。 ぜひ行って書いて欲しかった タイトルを知りたい本があります。昔、現代文で読んだのですが、男子高校生が夏休みに恩師の家に遊びに行くが、恩師の妻?不倫相手から舟の上で首を絞められる…そんな場面があった作品でした。井上靖だったことは記憶していますが、ずっと分からず…。教えていただけたら嬉しいです。 全員にとって初のシルクロードの旅は新鮮そのものだったし、知的収穫の多い日々だった。殊に西域を舞台にした 小説の作者である井上靖さんにとっては、それまでこの地に因んだ小説はすべて 資料の研究と想像の結晶であっただけに、憧れの地を踏む感慨はひとしおだったと思う。 ホータンでの或る日、有名な昆崙の玉が採取される白玉河・黒玉河に出かけた、その帰途の事である。 ≪タクラマカンの砂の上で、「車を停めて下さい」 突然井上さんが叫んだ。車から走り出した井上さんはどっかりと砂の上に胡坐をかいて座ると、突然黄色の砂をすくい、 思い切り掌の砂に顔を押し当てた。そして、「君に逢いたかったんだ、君にーーー」とじってして居られた。 暫くして顔を上げた井上さんは泣いて居られた。そしてあの端正な顔は砂だらけだった。僕達は斜陽の砂の上にいつまでも座っていた。陽が沈んで行った。 井上さんの姿に、僕は砂の仏を思った。≫ 「中国の人民服を着ている人などは、一人もいない。そこに、中国の少数民族対策の、やさしさのようなものが見られますね」。 作家の井上靖さんが昭和52年に中国・新疆(しんきょう)ウイグル自治区に旅した後、同道した作家の司馬遼太郎さんとの対談でウイグル人についてこう語った (「西域をゆく」文春文庫 北の海 沼津 金沢 御成橋 千本浜 礼子 大天井 鳶 洪作 柔道 藤尾 木部 受験 香貫山 金枝 洋食屋 浪人生活 狩野川 汽車 三島 湯ヶ島 汽船 台湾 落書きしてすみません。 あすなろ物語 黒澤明関連でDVD発売されましたよね 「(昭和61年4月、父・井上靖が)中国の歴史を扱った数冊の小説と日中文化交流の功績に対して、北京大学から名誉博士号を頂くことになった。大学の大きな階段教室に教授や関係者四百人が集まって授与式が行われた。(中略) その翌々日、中南海で胡耀邦総書記と会見した。その席で父は胡耀邦氏から思いがけない言葉を頂いた。『井上靖先生は楼蘭にとても行きたがっておられると聞いています。この旅ですぐに行かれてはいかがですか。明日にでもいらっしゃい』」 「その時の父の喜びと戸惑いは大変なものであった。宿泊先の北京飯店へ向かう自動車の中でもホテルへ到着してからもソワソワとして、何を置いても行きたいという気持ちがはっきりと表情に現れていた。しかしいくら総書記の発言とは言え、 あまりにも突然なことであり、周囲の人や中国側の担当者の慌てたことは言うまでもない。何しろ1934年のヘディン隊以来五十年余りも外国人はいけなかった所なので、簡単に行ける筈がない。 結局楼蘭行きは諦めざるを得なかった。永年あれほど行きたがっていた所なので、周囲が止めようが無理をしてでも行ってしまえば良かったのに、と今でも残念に思う」 胡氏から文化部に善処するようにとの指示が出された。しかし、大砂漠の中にある楼蘭古址一帯は、気候の変動が激しい上、ヘリの着陸地点の特定も難しく、万一、砂嵐に遭った場合、安全面の心配があるということで、 関係部門がどうしても首を縦に振らなかったため、見合わせることになった。 井上氏にとってこれほど残念なことはなかったろう。 「楼蘭行きは、私の最大の希望です。ヘリから降りて、ちょっとでもそこに立つだけでいいのです。そうすれば、私の小説『楼蘭』の末尾に、『いま私が立っているところが、古代楼蘭国である』と書けるのです。 この一句を書いて、この小説は完成しますが、さもなくば未完成作品です」 私は一度ならず井上氏がこう語るのを聞いた。 浦城いくよ氏も著書の中で、「(父は)昭和33年に『楼蘭』という短編小説を書いている。『楼蘭へ行ってそこの大地に自分の足で立って、そして天を仰ぎたい。 それから小説「楼蘭」に最後の一行を書き加えたい』というのが父の永年の夢であった」と書いている。 『敦煌』、『楼蘭』を執筆していた当時は同地に入ることが叶わず、 1965年、58歳にしてはじめて中央アジア(ロシア領西トルキスタン) を訪れることができました。 普段、小説の取材をする時は、ノートにメモをとり、 自分の眼に焼き付ける手法をとっていましたが、 この時は次の機会があるかが分からなかったため、井上自身がカメラを携帯。 しかし、かえってそれが仇となり、ノートは手薄になり、 撮った写真は現像してみると失敗していました。 そのため、以後は、写真係として娘さんが同行することに。 ところが、 1973年にアフガニスタン、イラン、トルコを巡る旅では、 娘さんが結婚したため、再び井上自身がカメラを携帯しました。 友人である毎日新聞社カメラマン、 二村次郎の助言により、 最も間違いの少ない、距離を無限遠、絞りを日中11、夕方8に固定し、 あとは機械に任せました。 それが功を奏し、この時の写真について以下の記述がのこされています。 「イランやトルコでは雲をたくさん撮った。雲が美しいので撮ったのでなくて、 雲の形を撮っておきたかったのである。アフガニスタン、イラン、トルコ、 それぞれの国で雲の形は異っていた」 実は 、この旅のあと、井上靖はパリも訪れているのですが、 そこでは「撮すべき何ものもなかった」と述べています。 そしてついに1978年には、かねてから切望していた敦煌(中国領河西回廊)を はじめて訪れ、ここでもやはり雲を撮影しています 趙行徳という主人公は、良い意味でも悪い意味でも非常に普通の人であり、何かの才能に恵まれているわけでもなければ、特別選ばれた人間ではありません。戦場では真っ先に気を失い、気が付いたら馬の背中に 固定されていたおかげで生き延びてたという感じですし、常に悩みと苦しみを抱えながら、逆らうことが出来ない時代の流れの中で自分が出来る精一杯のことをするという非常に普通の人です 朱王礼は生涯愛したたった一人の女性であるウイグルの娘の恨みを晴らすため、最期は一人の男として皇太子を狙って本体に突撃していきます。そして行徳はそんな彼の姿を見て、 戦場で戦わない自分が命をかけて守りたいもの、守れるものは何かを考えた時に「ある物」を思い出します。そして行徳は戦禍が迫る中、 知恵をフル回転し強欲な旅の商隊のトップを上手く利用し、焼け落ちる沙州からそれらを運び出し沙州近くの千仏堂に隠します。 行徳が命をかけて千仏洞に運び隠した物は沙州(敦煌)が滅びた後に約850年の間眠りにつき、20世紀初頭にイギリスの探検隊によって発掘されます。そして趙行徳が命をかけて守ったそれらの物は、長く神秘のベールに包まれていた多くの謎を解き明かす 歴史的な大発見として世界に広く伝えられます。行徳が最期に命をかけて守りたかったもの、燃え盛る炎から守った物は西夏文字の研究を志した行徳らしいものでした。 たった一人の愛した女の為に命をかける男。後世に伝えるべきは何かを思い、私物ではなく万民にとって貴重なものを守った男。王族の娘として、そして一人の女として矜持をもって命をかけた女。 没落王家の末裔であることだけを心の支えとした哀れな商人。沙州を治める太守として沙州を守るために命をかけた男。 どんな境遇になっても決してプライドを捨てずに生きる女。色々なタイプの人間が登場し、この小説を彩っていきます。 映画では敦煌文書を守ることに命を懸けるほどの意味を見いだす趙行徳だが、原作では、何に命を懸けるかわからないまま、敦煌文書を守れば何だかやりがいがあるのではないかと漠然と思うのだった 今朝のYAHOOニュースで、共同通信的には 【敬称をつけない場合】 歴史上の人物(歴史上の人物として定着したかどうかは没後30年をめどとする)。 (:記者ハンドブック 新聞用字用語集 第13版より) ttps://news.yahoo.co.jp/articles/172fde6b55489bbd798ff2f84c1782049b004e27 ってあったけど、井上靖界隈でモヤモヤしていたのはそこだったのか、と。 フルネームならまだしも、「井上は」とか言われると「そこまで昔じゃねーだろ」とか 思ってた。息子娘の一親等遺族もまだいらっしゃるし。 でも今月29日で没後30年か。 敦煌の映画化権を持っていたのは小林正樹だったから、 クビにされたというか、徳間側の要望を拒否すれば徳間側が製作準備委員会から抜ける形になったんだろうと思う。 (小林正樹の組織していた準備委員会に後から徳間大映が加わった形だった) Wikipediaにはあたかも徳間側の企画のように記されているが、 実際は映画化の権利を得ていたのは小林正樹で、 徳間以前にもカナダ資本で製作する話があってが流れている。 徳間が撤退した後もチャンスを待てばよかったのかもしれないが、 結局、今回の機会を逃せば井上靖の存命中に敦煌の映画化はかなわないと判断して 自分が身を退いたと小林正樹の本にあった。 ドラマ性も娯楽性の低いわりに50億円かかるという小林版は土台実現しなかったろうと思う 30年前の今日、83歳で亡くなったそうな 出勤途中の駅の売店で、新聞に死去の見出しが出ていて 慌てて一部買ったっけ いまも引き出しの中に眠っているはず ということで、記念age 敦煌 甘州ウイグル王女 ツルピア 回鹘公主 斯鲁比娅 中川安奈 甘州ウイグル王国は、9世紀から1028年にかけて甘州(甘粛省張掖市)を中心に、 回鶻(ウイグル)の残党によって建てられた 李元昊を派遣して甘州を襲撃させ、甘州を陥落させた ここに甘州ウイグル王国は滅亡し、河西地方はまもなく西夏の一部となる。 チベット系民族タングートの族長の家系の出身 西夏の創始者にして同王朝随一の名君である 西夏文字の形成にも尽力して西夏の文化向上にも努めた 寧夏回族自治区銀川市を首都 https://www.youtube.com/watch?v=5HOPMJJcXl8 ラジオドラマ 《敦煌》 (井上靖原作 NHK-FM 須藤出穂:脚色,間宮芳生:音楽 出演:日下武史,松宮五郎,巌金四郎 初放送:1973-07-27{FM芸術劇場}, 再放送:1977-03-12 文春文庫 刺青 痴人の愛 麒麟 春琴抄 谷崎潤一郎 谷崎と交流のあった井上靖による評伝・作品解説を巻末収録 歴史というもの (単行本) 2021/10/8 井上 靖 (著) 司馬遼太郎、松本清張との貴重な単行本未収録座談・対談三篇を中心に、歴史と小説をめぐる講演と随筆を収める。【没後三十年記念出版】 ■目次 歴史に学ぶ 井上靖 I 乱世のさまざまな武将(座談)松本清張×司馬遼太郎×井上靖 II 歴史というもの(座談)松本清張×司馬遼太郎×井上靖 III 新聞記者と作家(対談)司馬遼太郎×井上靖 IV 歴史と小説(講演)井上靖 佚存書(いつぞんしょ)とは、中国では失われたが、日本や朝鮮などに伝存していた漢籍のこと。佚存という言葉は、江戸後期の文人、林述斎が『古文孝経』など16編の佚存書をまとめた『佚存叢書』によるとされる。 有名な佚存書として、『遊仙窟』や『古文孝経』などがある 。漢籍ははやくから周辺諸国に伝えられていたが、歴代王朝の禁書政策や戦禍などにより、中国国内では失われるものも多かった。このため、佚存書がうまれた。しかし、当初は佚存書の存在自体が中国人に 認識されていなかった。呉越国の銭弘俶が商人からの情報に従って、日本に残る天台宗の書籍を逆輸入したのが記録に残る佚存書輸入のはじめである 欧陽脩が「日本刀歌」で「逸書百篇今尚存」と歌ったことで、日本に古書が残ることが有名になった 1881年に駐日公使として赴任した黎庶昌とその随員の楊守敬は、日本で編纂された漢籍目録『経籍訪古志』を見て中国で滅んだ 書籍がきわめて多いことを知り、大金を支払って書籍を買い求め、日本で『古逸叢書』として出版した 6世紀ごろ突如として世界史に姿を現し、現在のウクライナやハンガリーなど欧州の一部を支配した遊牧民族アヴァール人の遺体のDNA解析から、中国の西域をかつて支配し、滅亡した幻の王国「楼蘭」の末裔だったことが判明。 静岡県ゆかりの人というとサッカー系を挙げるひと多いんだろうけども、 伊豆に住んでるならばこの人を忘れてはいけないと思う。 静岡県にもモンゴル人が増えてきたけども、 今モンゴルとか新疆ウイグル自治区の人からみてこの人の作品は どう目に映るのか。 日中友好みたいな感じで度々中国にも招かれていた みたいだけども、今年の冬五輪もまた。 読書感想文で読む子とかいまどのくらいいるんだろう。 「しろばんば」ので描かれる少年時代の伊豆って 「伊豆の踊子」の舞台と時代的に重なってるので 洪作が殺人事件と早とちりした乳繰り合ってる男女って じつはモデルは川端康成である可能性が微レ存 >>398 7年前のにレスしますが しろばんばが雪虫と知りませんでした。 田舎の白髪のお婆さんだと思ってました。 年月と共に忘れ去られていく作家の一人が井上靖だ 今日日の若い人、井上靖って知らないのが大勢いる 文豪とは言えないからな やはり、大衆作家であった。 井上ひさしと同じで死んだら忘れられるタイプの作家であったか 井上靖が好んだ女性の名前は喜美子とふみというのを 何かで読んだけど、余りにも、そのまんまなので苦笑した 「あすなろ物語」とか各章ごとに魅力的なヒロインが登場して これを成立させるには作者の女性経験の豊富さがどうしても必要って いう気がする。祖父の妾に育てられたって特異な体験が 女性に対する憧れとその一方で どこか冷めた目をもたらしてくれたのだろうか ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています
read.cgi ver 07.5.5 2024/06/08 Walang Kapalit ★ | Donguri System Team 5ちゃんねる