おまいら、江藤淳を忘れてないか?2
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三島由紀夫や大江健三郎ばっかり目立ってるが、
江藤淳を忘れてないか?
江藤淳について語ろうぜ。
http://mimizun.com/log/2ch/book/1059982107/ 【C】
作品C読了。感動しました。って、この小説に感動するのは危険かもしれんが。
候補作三本ともレベルが高くて安心。
後は、作品Bで引用されていた小説を amazonに注文したので、それを読めば準備完了。
江藤淳さんが生きておられたら、どんな感想を持たれたでしょう。とにかく、選考会が楽しみです。
2010年8月18日 17:21:59 webから
爆笑しすぎて、読むのを中断してしまった……。マジで面白すぎるんですが。
2010年8月18日 16:16:02 webから
この調子で、どんどん深まってゆくのか? だとしたら、けっこうすごいぞ。
はっきりいって、登場人物たちに感情移入しそうなんだけど。
2010年8月18日 15:59:09 webから
さて、子どもたちが「仮面ライダーW&仮面ライダー・ディケイド 劇場版」を見てる間に、
「文藝賞」の最後の候補作品を読むことにします。作品Cにダイヴ!
2010年8月18日 15:35:16 webから
http://twitter.com/takagengen NHKテレビで時事解説なんかやってたね。
自分の勉強のためにやってたんだろう。晩年に博士号を取ったりしたのと
同じ根からでた、真面目さというか、まあ、あまい主観に陥らないための
客観的なフレームワークの要求みたいなことだったのかな、と私は思います。
なんていうか、ボスみたいな感じだったでしょ?
ああいうのは、どうしてなんでしょう?
業績としてはそんなにたいしたことないのに。 >>9
そう、それ本当らしい。
帰宅途中の鎌倉までの電車の中で女子大生に行為を及ぼし鎌倉警察に突き出されたらしいが、
地元の名士であり微罪扱いで放免された。
江藤と言えば、大江健三郎のことを親の敵のごとく嫌っていて、大江の作品を文芸批評でいつも糞味噌にけなしていたが、
大江の「下降生活者」(大学教授が痴漢で逮捕される話w)だけは絶賛した。
江藤自身の実体験・性癖を昇華させるものを感じたのか?
俺はそのことを知らなかったけど、さもありなんと思わせるほどの雑魚批評家だな
一時的にしろ、なぜボス的存在になれたのか不思議でならん みなさま! ☆ いつも、本当に ありがとうございます*
*モコの コーヒートーク☆ラウド* 始めちゃうよ〜!
クリス村松の『クリス』は『クリトリス』という意味ではない!(*)((((ζ●ζ))))
栗栖正伸の『クリス』も『クリトリス』という意味ではない!(*)((((ζ◎ζ))))
もうひとつだけ 豆知識を教えよう!!(*)((((ζ●ζ))))
モコは 子供の頃から イジめられると キチ●イになって暴れる!(*)((((ζ◎ζ))))
モコが キチ●イになって暴れたら 何をするか 分からないぞ!(*)((((ζ◎ζ))))
だから 怖いんだ(*)((((ζ●ζ))))
だから! モコを イジめないで!(*)((((ζ●ζ))))
モコを イジめたら…『キャリー』以上に 怖いことが起こるのヨ!(*)((((ζ◎ζ)))
だるま式 ウンコ* なだれ式 光速土下座☆
折伏宣隊 ガッカイダー* 気になる異性と ガッタイダー☆
ごくつぶし西尾美香は オズから 去ればいいんだよ!(*)((((◎))))
派遣社員のクビはドンドン切られているというのに!(*)((((●))))
なんでOZは 西尾美香を 雇い続けるのかヨ!?(*)((((ф))))
モコの別荘はモナコにあるの☆ モコは ウンコ四天王!*
モコは 心のそこから感謝します。 モコ マンセー、モコバンザ〜イ!
バンザイ モコ、マンセ〜モコ! 人間なんて 死んだら みんな いっしょヤ! ☆
逆に言うたら 競い合っても しょうがないってこと。
太陽の下では みんな平等! みんな 確実に 死ぬんだから、みんな平等!*
本当に 愚かです☆ ンムフフフフ・・・(笑)* 『ちょこっとブラ』、サイコー!☆
モコは まずは プッチモニの『ちょこっとラブ』を聴いてみようと思います! ☆
それから モコは お猪口に ちょこっとだけ チョコを入れて 食べてみます!*
そのチョコの銘柄は グリコのアーモンドチョコレートです☆
グリコ アーモンドチョコレートは 青春の甘い香りがしないから 逆に イイのです*
逆に 森田健作の精子のような ほろ苦い感じが かえってイイのです☆
もう バイバイの時間に なっちゃったねぇ〜☆ いない いない モコ!* ミクロ的には「三田文学」を活気づかせた功績が挙げられるだろうが、
営業手腕が凄かったんだよな。いろんな作家を発掘し、自分の傘下に
入れていった。一時の柄谷行人や中上健次もその一人だったろう。
>>5
何をバカな。東京裁判痴漢、じゃなくて史観といったら、
この人物を差し置いて他に誰がいる? 江藤がいなかったら東京裁判痴漢、じゃなくて史観って言葉
そのものが存在しなかった。保守思想なんて、皆、江藤の肩の
上に乗ってるようなもんだろ。どんな政治勢力でも何かしら
思想的背景がないと烏合の衆以上のものにはならないんだぞ。 江藤の漱石論の唯一のオリジナルな見解が漱石と嫂・登世の不倫関係説
これを大岡昇平にコテンパンにやっつけられてから迷走
学術的な業績はなく
庄次薫をいじめてデビューさせなかったり
日本の戦後はアメリカの検閲でゆがめられているといった陰謀説すれすれの電波飛ばしたり
頭すごく悪いよね あ、22は20へのレス(つーほどのもんでもないがw)ねww
馬鹿に思想(でもなんでもいいが)なんてない。
これは江藤なり、ダンナサマに限った話ではなくて。 そんなこと言ったら保守論壇の立つ瀬がないだろう!
福田和也なんて、どう見ても江藤の劣化コピーだぞ? 忘れられた作家が死んだときに作品が再評価されるってことがあるが
こいつはなんもなかったからなー(しかもあんな死に方で注目されたのに)
ただの文壇政治屋 ――好悪の、つまりは所詮は自己愛の延長でしかないものに、
“おおやけ”の冠を被せたる者(たち)。
んなもん、ただの、扇動者でしか。馬鹿の。
だから、いつも、馬鹿は黙れと云っているんだ
(とりわけて、何処の、誰に対してという訳でもなく)。
意味ないからね。 痴漢行為が何だ! ケツの穴が小さい奴らめ。
愛国無罪だ! >>21
>日本の戦後はアメリカの検閲でゆがめられているといった
>陰謀説すれすれの電波飛ばしたり
敗戦国ではごく普通にあることだし、戦前の体制がクソだった
から、大多数の日本人はある程度は仕方ないと思って受け入れたんだろ。 >>31
全世界の愛国的痴漢たちに謝罪しろ。言い過ぎだぞ。 地元の名士だからとかそんな理由で痴漢を許されたのなら軽蔑しか感じない。ちゃんと罰金払ったなら軽蔑しないけど。 第一おかしいだろ?政治家の息子だからクスリで捕まらないとかさ!なんなんだよこの国は? トリップ泥棒のなりすまし犯罪者は、関西人特性しか示さないが、だれかに尊敬されえると信じてる? 江藤の小島信夫論ってエドマンド・ウィルソンのパクりでしょ
「ヘンリー・ジェイムズの曖昧性」 >>39仮にそうなら正当化できる、と思えた知能は朝鮮的だし、関西人を自己証明してるよ。財布盗ってるんだよね? 淀川の。落し物は君の物? 「悪さをしなければ軽蔑されない」の意味はわかるかな? 別にあなたに軽蔑されてもいいけど、俺の質問の答えは? 確かに違うよね。教育でどうなるようなもんでもないと思うけどね。 「アメリカと私」で、もウッドロー・ウィルソンが云々って、
日本の保守派にありがちなウィルソン主義への敵意
がまだないもんな。愛憎相半ばになるのは、その後か。 >>21
保守派は皆、ネオナチ修正主義のテクニックにかぶれちゃってたらしいw 「国のために血を流せ・・」みたいなこと言ってたけど、自分は「妻に先立たれて寂しくて自ら血を流して死んだ」んだよなw
元祖キモウヨみたいな奴だなw
国家なんて抽象的なもんのために真面目に死ねる奴いるのか? >>49
悔しいのお〜〜、キモウヨの心の拠り所をけなされてw
悔しかったら>>48に反論してみ
>>50
そんなのいっぱいいるじゃん、2chの巣くってるキモウヨがw
>>51
> そんなのいっぱいいるじゃん、2chの巣くってるキモウヨがw
目に見えない敵ですね >>52
あなたにとって 目に見えない敵=サヨ(江藤たち保守派を叩く人) ですね?
それにしても誰か教えて、ウヨってなんでこんなに無様でなさけないの?
>>12>>48に反論してごらんよw
>>53
> それにしても誰か教えて、ウヨってなんでこんなに無様でなさけないの?
見えない味方を探しているんですね
>>53
頑張れよ ( ゚∀゚)アハハ八八ノヽノヽノヽノ \ / \/ \ 「国のために血を流せ・・」と言った自称国士、はたしてその実態は・・・
1.電車の中で女子大生に痴漢、地元の警察が入って示談に。
2.妻に先立たれて寂しさのあまり自ら血を流して死ぬ。
他にもこいつのチンケなエピソードがありそうだねw
江藤先生は山崎行太郎さんの師匠なんだぜ。なめんなよな。 友達に痴漢いるよ。190センチくらいある巨漢なんだけど、もうやめたらしい。 >>62
確かに、「正論」の常連はみんなムッツリスケベな感じがするよねw
>>63
別に文士が痴漢やったっていいんだよ。
だけど許せないのはこいつみたいに論壇で偉そうに国士ぶっている奴。
捕まったのが最愛の女房が癌の末期の頃だったとか、あんまり
ゆうな貴様らっ それは仕方な…くねえよ!ソープとか風俗に行きやがれ。金はあるんだからよぉ。俺はねえんだよ!でも痴漢はしないぜ。 ふぅん、「アメリカと私」は朝ジャに連載されたんだな。 石原慎太郎の論調ってぶっちゃけほとんど江藤のパクリだろ >>71
右腹はベトナム戦争中にハノイに出かけてょぅι゛ょ買春して
来たって自慢してなかったっけ。 >>74村上春樹さん、なりすましで暗殺そそのかし発言やめてください。 >>75
あなたが殺してくれませんか?お国のために。 最近朝日に関連記事載ったらしいけどいつのか知ってる人いる? 江藤の遺書の言葉は(大意で)「今の自分は形骸に過ぎぬ。よって自ら形骸を絶つ。了とされよ。」だった。
妻に先立たれて、自らも脳梗塞で、思うがままに文筆活動ができなくなった。
だから、'99年に自らの思いの侭にならない21世紀を見ることを拒み、凡ての思いを前世紀に留めたままで自害したんだよ。
思えば、彼にとっての「形骸」とは、巨大な喪失=母亡き後の自分の人生であり、元帝国高級軍人を輩出し江頭家の敗戦での没落であり、更には、この私憤を義憤にすり替えて国家像に迄敷衍させたアプリオリ調の東京裁判史観でもあった。
そして決定的だったのは、直系の子孫無き江頭家のたった一人の家族の愛妻の死、そして自らの脳梗塞だった。
この、思いの侭にならない凡ての現実を尽く「形骸」と一蹴し、これから一様に逃避することが、いわば彼の人生そのものでもあったんだな。
彼にとってのユートピア像がはっきりと浮かんでくるがね。
彼は、専門の英文学では殆ど見るべき業績もなく、何の専門家か終生不明なままだったし、人物的にもこんな人物なのだが、
何分、上記のように家柄が傑出しており(他にも江頭家本家はチッソの経営一族、雅子妃は彼の従兄弟の娘等)、コネで歴代総理に戦前回帰を直談判出来る程のフィクサー的存在だった。
で、しかも彼はそれを逐一マスコミでもの知らぬ大衆相手に吹聴していたので、如何にも保守派の大物に見えた感があった。
ただ、彼の保守思想は、単純に明治憲法時代への回帰であり、オルテガ等の西欧の保守思想や、本居宣長を師と仰ぐ小林秀雄的な日本古来の伝統尊重とも違っていた。
だから、思想として浅い感じが否めなかったし、没落した家の私憤と義憤を混同している感が何時もしていた。
彼は、こんな風に、元々後ろ向きに(自分に都合のいい)過去だけを賛美して語る人だったから、その人亡き後10年もたてば、名実共に遥か過去の思想家になると思う。
痴漢のお爺さんのための埋葬の長文を
ありがとう御座いました。
m(_ _)m
夏目漱石を「再発見」したのが江藤だろ。
江藤がいなけりゃ、夏目は今の夏目じゃなかった。
マグナ ◆i.K3ZM.pZo=柄谷善男(行人)
固定ハンドルをキチガイ扱いをする発狂した古参。1941年8月6日生まれ。
兵庫県尼崎市出身。実父は建設会社「柄谷工務店」社長。阪神タイガースのファン。
「マグナム小説」名義で『わぁしの御蔭ぢゃ』を連載中。
http://ana.vis.ne.jp/ali/antho.cgi?action=article&key=20080622000118 「僕の小説は、江藤淳と云う読者は必要とはしません」
「仏語翻訳調の文体も、登場人物名の設定も、統べて僕の思う処に拠ります」 『アメリカと私』で、誘われて某婦人宅を訪問したら、
立派な刀の鍔がタンスの取っ手に使われてるのを
見て「戦争に負けるとは、こういうことだ」とか噛み
しめるように書いてあるな。 もうちょっと正確に言うなら小林秀雄家で
見たのに引けを取らない逸品とか書いて
あったが。 右でも左でも中でも極は私が無いのだから
離れているようでも心はとても近くに有る
恥ずかしいのはそのふりをして私しか無い 小林は骨董収集の趣味をもっていて、古鍔に狙いをつけたんだよね。
きっとまだやり残されてるところがあるに違いないと踏んで。
それで、そんなものはなかった、みんなやり尽くされてたと、あとで
自分の愚かさを悔いてました。
俺もサンフランシスコの美術館で浮世絵展覧会がかかってたのを
みたことあるが、北斎や広重の一級品が所狭しと展示されていて
これは日本には帰ってこないな、と思ったね。 それでその時の話なんだが、サンフランシスコの美術館、Fine arts museums of
San Franciscoで、スマートで美男美女のカップルが浮世絵をふたりで見て回ってた。
教養ある金持ちの美男美女のカップル、これがアメリカのエリートってもんかぁ、と
そのとき感じたね。 江藤のメインテーマといえば、やはり戦後の日米関係というものをどうとらえるか
ということに尽きそうな気がすんだが、現実の日米関係と江藤の文芸批評家と
しての仕事の間に、なんらかの照応関係って見出しうるのか。それが江藤淳という
名前を聞いたときにまず思い浮かべることだなぁ。 「ふりつもる御雪にたへて色かえぬ松ぞおおしき人もかくあれ」
敗戦後の大御歌を江藤淳の本で知りました。鍔は金家か信家で
しょうか魂に等しいものを取っ手などにという無念を感じます。
右や左などに関係なく経済の復興よりも、ただ魂を取り戻すこ
とを江藤淳は最後まで願いつづけたように想います、本当は私
事で政治などに興味を持つような人では無いのではと感じます。優しい最後が悲しいょ・・ >>88
>きっとまだやり残されてるところがあるに違いないと踏んで。
小林らしいな。骨董いじりにかまけるんなら、もうちょっと
歴史の研究して欲しかったね。 >>91
小林との対談でも政治最優先の風潮に違和感を表明するに当たり
私事の価値というのを対抗してもちだしてたな。
>>92
いろいろなことをやりたい気質だったから仕方ない。 文学だけでなく音楽にも
絵にも手をだしてね。 それで、おまえは純粋じゃないって坂口安吾に怒られて
たりする。そういう風にいろんな分野に手を出そうと思えば出せるのが、批評と
いうものの長所であり短所であるってことだろう。
骨董いじりについては、近代芸術の観念性に疲れた頭脳の誤りをただしてくれる
有益さがあるとかなんとかいって、骨董いじりを正当化していたな。 >>92
江藤淳って、横須賀線で痴漢したとかいう話があるんだけど、
奥さんのことは本当に深く愛していたんだと思うんだよね〜
そうでなきゃ、奥さんの死後にあんなに落ち込んで
自殺なんかしないよな〜 >おまえは純粋じゃないって坂口安吾に怒られてたりする。
青山二郎に「お前は釣りをしてるんじゃなくて、釣りの腕前を
見せてるだけだ」ってやり込められて涙を見せたってのと
一緒かね。
ベルグソンにあらぬ期待を抱いて「研究」をしたり、下らなく
自分を一段低く置いたりするところがあるかな。 >>94
まぁ、痴漢だってレイプ小説家だって愛国者で
あり得るのが世の中だからね。 「愛国心!」と一言叫べばみんなナカーマ
「やって見せる」=「この人を見よ」で、単純な
功名心とはちょっと違うとは思うんだがね。 >>95
青山にそんなこといわれたくらいで泣くこともないと思うがなぁ。
自分が天才じゃないのが悲しかったのかなぁ。そりゃ贅沢な悲しみだ。
青山二郎というのも、小林との対談よむと、ほんとわけのわからんこと
いってるね。「眼」の世界のひとで、「言葉」の世界のひとじゃないんだな。 対象に迫ってもけっして届かない、常に断念するしかない
けれども、それでも最後まで考え続ける。
そんな正直な人だと思います、素直に涙を流すほどに。
そして青山次郎の見る目に間違いはないのだからこそ。
日本刀で雪舟を真っ二つにする、切りたかったものは自分自身かなぁ >>99
小林が日本刀でまっぷたつにしたのは良寛の偽物だろ? どうしても譲って欲しいんで、抱えて車で
逃げたまま帰さないとか、警察沙汰にも
ならないのが可笑しいね。皆、キチガイな
世界だから。 >>103
雪舟の本物は、専門家によれば数点くらいしかないが、雪舟を掛けたい人が
一万人以上いるからには、贋物の価値をみとめないと、書画骨董界は危殆に
瀕する。
などという小林の言葉を「雪舟」という単語から想起した。 「真贋」ですか。
あの文章の中に、小林が鎌倉で焼き物の大皿を気に入って買って来たら
その品物を青山二郎がニセ物認定をしたんで、泣く泣く
骨董品店に売り飛ばしたら実はホン物だった、ていう話がありますよね
青山二郎も結構いい加減だな・・・w ネットで『真贋』で調べると、青山の主張が
正しいという目利きの見解が読めるよ。 洲之内徹は確信を言っていると思います。盗んでも欲しい物が良いと。
また小林秀雄は白洲正子に自分自身で値段をつけなさいと言っていますよね。
テレビ番組で視聴者は鑑定団の付ける値段に興味があるのであり
物そのものを見ているのでは無いように思います。
そして、自分の判断でなく鑑定団をただ妄信する構図です。
これでは骨董そのものの価値でなく経済原理で相場の操作が行われても
視聴者には何もわからないでしょう。本当は値段ではなくて私は何を美しいと思うのかです。
ある鑑定家はそこのところを皮肉をこめてコメントしているので立派だと思います。 >>106
あのエピソードは骨董選びで青山にいつもさんざんやられてる仇を文章で
とろうとしたという風に見えるね。「青山が、どうしてあの時あんな間違いを
したか、いまだにわからない。」と挿話の結語はこうなんだが、そのすぐ後に
美とは信用である、純粋美とは比喩である、鑑賞とは創作である、という
風に話が流れるので、間違えたのは、つまり青山の癖のせいであろうと
理由は推測できるように書いてある。
>>107
一応ググってみたが、そういう話はひっかからなかったな。
リンク貼ってもらえないかな?
>>108
骨董の相場っていうのは、素人にはわかりがたいものがあるんで
まあ、あれはあれでいいんじゃないの。鑑定団あんまり見てないから
よう知らないけど。 洲之内徹って銀座に画廊をもっていたそうだが
まだあるのかなその画廊。 >>109
あれは骨董品店の店主の態度が秀逸なんですよね。
> 箱を開けてちょいと覗き、すぐ蓋をして、
> つまらなそうに紐をかけ、これはいいですよ、と言った。
> そこへ小僧さんがお茶を持って来た。主人は皿を出して、
> 「これイケないんだから、見とけ」と言った。
> 小僧さんは、(中略)やがて情けなさそうな顔をして「わかりません」と言う。
> 「わからない? もっとよく見なさい」と主人はこっちを向いてしまう。
> 小僧さんは、(中略)皿の前に坐り、黙って動かなくなってしまった。
このあと、この皿は文藝春秋の社長だった佐佐木茂索氏に買い求められたので、
実は“ホンモノ”だったと分かる仕組みになっているのだが、
青山二郎が“イケない”と判断した理由がぼかされていてはっきりされていない。
青山はこの品がニセ物だという意味で言ったのか、
「図柄や値段を聞い」て、価格に見合わない品を買った、と言いたかったのか。 通人に言わせると、出来は良くても
大皿というのは品のない品物なんだと。
それで、店主の顔もつまらなそうだったと。
>>108
>テレビ番組で視聴者は鑑定団の付ける値段に興味があるのであり
>物そのものを見ているのでは無いように思います。
ブリキのおもちゃとかだとそんなことろはあるね。昔は見ていたけど。 >>110
「これイケないんだから」ってのは「これは駄目なもの」って
意味じゃねえの?
サブカル・ポスモダでオタクっぽい評論家が増えたからな。 >>110
その部分もいいけど、その次の話、瀬津の主人が志野茶碗を買って
先輩商人になんて間抜けな買い物するんだと罵倒され、品物を金持ちの
客におさめたが返されてしまい、呆然と雀の鳴き声を聞いているうちに
「茶碗はいいのだ俺という人間に信用がないだけだ」という思いつきが
突然胸に浮かんで、ぐっすり眠ってしまったというエピソードもいいね。
つまり鑑定とは創作であって、青山の鑑定も瀬津の主人の審美眼と
同じく、何がしかの創作である、と読めば、青山のフォローにもなってるわけだ。
「図柄や値段を聞いただけで」ダメだしするというのは、青山がひょっとしたら
単なる先入観によって判断してるんじゃないか、という疑いをわずかに抱かせる
書き方だね。 >>112
いや、そういう意味だそうだよ。本物じゃないと。 >>109
洲之内徹さん所蔵の作品は一括美術館へ収蔵されました。
宮城県立美術館です。その中に西脇順三郎さんがスケッチ
した洲之内徹の絵があります。さすが西脇順三郎だなって
かんじます。 >>115
秋田青森へドライブする計画でもたてて、ついでによってみようかなっと。 >>114
いや、「駄目なもの」=「偽物」ではないでしょう。
青山自身がどう言ったかは具体的には小林は
書いてないな。 小林の書き方はもちろん釈然としない風で、
この一文の終わりの鉄斎の逸話の結びの
浮かぬ顔に繋がってるようにも見えないでも
ない。 >>117
「二番手であるという、ちと若いという、ジョボたれてるという、みな
贋物という概念とは違う概念だが、『二番手』が何番手であるか
『若い』がどのくらい若いかは曖昧であり、また曖昧であることが
必要である、。」 とな。 まぁ、美はそれを手にする人の信からとか
言ってるし、明らかな真贋とは違う意味での
真贋が主観的な話というのは分からんでも
ないけども。
「贋作」という意味ではないわけね。 >>120
「明らかな贋作」などを扱っていたら、信用がなくなるわけでね。
「もしかしたら本物かも」という幻想を商売の種にしてるわけだ。 >>1
まあ、文学博士とか、虚構の権威を売りにして喜んでいられた幸せな時代
の遺物だよね
慶応にしても、放校のように干したあげく、有名になるといきなり学位
出したり(江藤の教授たちも俗物さに反吐が出る)
三流大学から一流扱いされた慶応の教授になったとたん浮かれちゃう、
俗物権力志向とかw >>80
江藤の漱石論の唯一のオリジナルな見解が漱石と嫂・登世の不倫関係説
これを大岡昇平にコテンパンにやっつけられてから迷走
学術的な業績はなく
庄次薫をいじめてデビューさせなかったり
日本の戦後はアメリカの検閲でゆがめられているといった陰謀説すれすれの電波飛ばしたり
頭すごく悪いよね 戦後も残った人だけ見てりゃ、戦前もまともだったって
錯覚は起こすだろう。 戦前はカルトや民間右翼そして共産主義が複雑に絡み合いながら
官界や軍部そして宮中に侵食していったとんでもない時代だ。
東條のような統制派による大弾圧とGHQの齎した戦後民主主義と検閲体制の下で
初めてノスタルジーに浸れるだけで。
戦中戦前の滅茶苦茶さは現代のオウムや創価学会の比じゃない。
軍国主義だったからどうという生易しいものじゃないんだ。 中国侵略で体制のモチベーションを維持しなけりゃならなかった。 皇道派=万葉集
統制派=『マイン・カンプ』
みたいな理解でおk? >>128は今、アメリカもやってるけど、覇権志向に走ると
こんな調子だね。バカな奴ら。 なぜお手軽な置き換えで理解しようとするんだ?
頭がすこし弱いのか?
アメリカ様のやることなら何でもドジンの自分とは違うんだって
堅く信じてろ。 江藤淳は筋金入りの保守だった。
石原慎太郎などは江藤の二番煎じでしかない。 嫁に先立たれて後追い自殺したヘタレジジイが憂国の士気取りとか笑止千万
批評家なんざ所詮は寄生虫に過ぎないってのに何勘違いしてたんだかwww 江藤淳が生きていたらこの震災をなんて書いていたかなあ >>139
案外「天罰」的な発言をしたかもしれないな。。。 【昭和正論座】
東京工大教授・江藤淳 昭和54年7月16日掲載
http://sankei.jp.msn.com/politics/news/110122/plc11012207350061-n5.htm
2011.1.22 07:33 (5/5ページ)
しかし、それにもまして痛切をきわめるのは、結末に付せられた政治的判断の部分である。
当時外交当局は、連合国に対してこのことを主張するためには、「国民の団結」を期待し得る他日を俟(ま)たねばならないと考えていた。
そのような「国民の団結」は、サンフランシスコ講和条約のときには実現されなかった。
いや、今日なおそれが実現されていないからこそ、私はこの文書を紹介しなければならないのである。(えとう じゅん) 「日本の憲法は米国が書き、押しつけてきたのです。内容がもう時代に合わない以上、その改正には米国側も協力すべきです」
江藤淳氏が熱をこめて語った。米国人のほとんどの聴衆は黙ったままだった。
1980年3月、ワシントンのウッドロー・ウィルソン国際学術センターでの研究発表会だった。
この国際問題の大手研究所に研究員として来ていた江藤氏は改憲の勧めを米側にまでぶつけるのだった。当時としては非常に大胆な主張だった。
著名な文芸評論家の江藤氏については私は「アメリカと私」という彼の著書などを読んでいたが、
私が新聞に書いた一文を彼が週刊誌の自分の連載コラムに細かく取り上げてくれたことから知己を得た。
「最も左の共産主義のソ連や中国が防衛増強に最も熱心なのに、日本で防衛強化を説くとなぜ右寄りとか右翼というレッテルを貼(は)られるのか」というのが私の風刺文だった。
同学術センターで日本の米軍占領下の検閲や憲法起草についての研究をするためワシントンに滞在するようになった江藤氏とときおり会って、話を聞くようになった。
私も日本の防衛を真剣に考えると、必ず憲法の制約にぶつかることを実感するようになっていたので、江藤氏の憲法観には強く関心を引かれた。
http://sankei.jp.msn.com/world/news/110122/amr11012202410019-n1.htm 428 名前:通りがかり :2011/05/08(日) 18:12:36.07
そうしますと あの「・・・」が問題のですね。
ではあの五木とのことで括るほどの作家で彼がないのでしたら
やはりそれも427さんの単なる個人的感性でしかありませんね?
わたしは五木さんの書物を読みませんが何故彼の出版物は
文芸コーナーに置かれているのですかね?
これってわたしは客観的であると通常おもいます。
429 名前:吾輩は名無しである :2011/05/08(日) 20:07:13.92
>何故彼の出版物は文芸コーナーに置かれているのですかね?
私は本屋じゃありません。ですからわかりません。^^
>これってわたしは客観的であると通常おもいます。
どこの本棚に置かれているか?は分類で、価値評価ではありません。
>427さんの単なる個人的感性でしかありませんね
このオレがオレ様だっ。文句あるかっ!
その意気地がなければ、創造的なことは何もできませんよ。あはははは。^^;
聴いて学ぶ〈文学〉
「漱石の文学」江藤淳
江藤淳(文芸評論家)
http://www.radiodays.jp/item/show/400402
おまいらラジオデイズで江藤淳の1時間講演が聴けますぜ。 >>143
東大に入れなくて泣く泣くKOごときに逝った負け犬が
なーに偉そうに利いた風な口きいてんだかw
悔しいのうwww悔しいのうwww 東京工業大での江藤の奇行について書いてた本があったなあ
こりゃ痴漢も本当だろう 俺が嫌いなのは江藤ではなく必要以上に熱狂するファンなのだ
結局奴らは学校や仕事先でがんばれてなかったり、勝ててなかったりする奴らの
集まりで、それをひいきの江藤に託し、江藤が頑張れば自分も頑張った気になるし、
それで成功すれば自分も成功したような気になるのだ
俺の様に毎日2chで戦ってる人間なら人を応援する余裕なんてある訳がない 閉された言語空間―占領軍の検閲と戦後日本
に興味持った >>150 すごく面白かったです。戦後の日本の言説空間の根本を実証的に考えようとしています。オススメです。
若手批評家に小林秀雄論、中村光夫論、江藤淳論のどれかを
書かせて、ありもしない日本の近代文芸批評の伝統を継承させようとか
姑息なことは止めてくれw エッセー「妻と私」は泣けた。
本の解説の石原都知事と、石原の弔辞はムカついた。
どこまでも上から目線で、親友としての思いやりの欠片もない。
チカンは冤罪だよ。悪質な噂が広まっただけ。 てめーら死ね。俺の本当の話でも聞け。
川上みえこはビクターとかの机に糞を置きざりにし、
NHKの小学校の番組では、小学生に説教して糞を投げたり、食ったりした。
江国は霊になって、YOUTUBEの心霊画像集にも出るし、画像で見ても町田康は分身するし、
いい世の中だよなー。
江藤氏は、アメリカで文学をやっていると、ゲイだと思われる、日本では文学の
伝統があるからそんな風に思われないと、石原シンタローとの対談で言っていた。
(九十年代半ばくらいの本 細部は忘れた)
言っていることが意味分からないよね。アメリカでいじめられたからそんなこと
言っているのかな?
祖父が海軍中将で、父が銀行員、母の愛情が子供の頃に無くなったか何かの
コンプレックスから小説を批評していく手法が、全く共感出来ない。 いや脳梗塞の後遺症に悩んでたんだよ。
あの病気にかかると作家としては終わりだからね。 「病」は、突然降りかかった災難ではなく身から出た錆というパターンも
あるからなんとも言えない 「私はもっと崩れろ、もっと崩れろ、と念じずにはいられない。なぜなら私はこの瞬間を待っていたからであり、それとともにすべての
偽善と虚飾が洗い流されるのを待っているからである。自然の律動はもろもろの仮構が崩れ去ったあとでなければよみがえらない」 正体の判らない御方だった。何がご専門だったのか。
英文学の研究を放擲し、物知らぬ大衆相手に専門外の研究と影響力を披露し、自己顕示し、
目に見える世俗の価値だけを堅く信じ、目に見えない形而上的な価値に瞑目し、
思い通りにならない家や家族、国家、そしてご自身に一貫して背を向けられて、
最期は凡てを投げ捨てて、幻想の黄泉の国へと逃避された方だったのか…。 >>157
いやアメリカの場合インテリ(特に人文系のインテリ)は日本以上に
ナヨナヨした存在だと思われてる部分はあると思う
この点に関しては日本と欧州は似てて、アメリカが異質
かの国には文学なんて何の役に立つんだってかんじのマッチョ志向がある 日本では官吏になれない落ちこぼれが文学を担ってきた伝統があるのだが、
フランスあたりだとアプリオリに文学の価値が認められているようだ。
だから、日本と欧州とも違うような気がする。
わずかながらとはいえ、文壇が残っているのは似ているが。
「なんとなくクリスタル」を評価してたとかってどこかで読んだっけ。 >>157
>>164
なるほどね。文字あって歴史あるなら、歴史なき国は文字を
尊重しないわけか。 その日、私は、ジャンセン教授の紹介で、アメリカ思
想史のワード教授、アメリカ文学史のウィラード・ソー
プ教授に会い、へミングウェイの伝記を書いているカル
ロス・ベイカー教授と昼食をともにした。ベイカー氏は
半白の髪を短く刈込んだ頑丈そうな人で、話のついでに
私の書いた『小林秀雄』という本が一万部以上売れたと
いうと、大きな眼玉をむいて信じられないという顔をし
た。いずれにせよ、彼はその本を読まないし、読む必要
もないのであった。ベイカー教授がとつぜん
「アメリカは大きな国だが、本質的には provincialな国
なんですよ」
といった。
「もっとも、ここにおられるジャンセンさんなどは、ご
専門がら本質的に cosmopolitan でいらっしゃるけれど」
とべイカー氏がつけ加えた。
『アメリカと私』
なぜかパスカルを思い出すというのは余談。 我々だって関心があるのは大抵は外面のアメリカだけだ。
お互い様さ。 マッチョが萎えるとゲイの時代になるのは、現在進行形だろ。 こんな国の主導でグローバルスタンダードなんて笑い話だろ? むしろ日本ではマッチョ=オッスオッス!!=ゲイの図式が成立しているのがなあ >>167
確認したら、加藤典洋「アメリカの影」に江藤の話が出てきてた。
あんなつまらない作品を持ちあげた人もいたんだなあと。
でも違う角度から光を当てることができたのだろうか…
アメリカ留学して間もなくだろうか、若い時代の江藤の写真は、
どっちかってえと大江大王みたいな感じ。ヒョロっとした黒縁
メガネの研究者。小林の忠犬ってなあんな感じかね。 若い頃の小林秀雄の盟友は中原だもんな。
三島や石原みたいな人種と反りの合うタイプではなかったろ。 仲が良かったんじゃない。
小林にヘコヘコして仕えていた。
あるいはオドオドして。 留学じゃないな。交換研究員か。
向こうにいる時に『小林秀雄』が日本で大賞を受けて、日本人と
しての誇りを取り戻したんだと。 三島と石原が同列(笑)
晩年の江藤は権威主義に走った小林秀雄を超えてたよ。 出版社からもらう賞で日本人としての誇りをとりもどしたり、
50面さげて慶応から博士号もらって自信つけたり
なんだか情けないというか、あぶないおっさんだったな。
まあ、だから自殺しちゃったんだろうけど。 江藤は、小林研究よか、漱石研究のほうで名が売れたんじゃないの?
江藤の漱石研究には独創的要素があったって話、ちらほら聞くが
江藤の「小林秀雄」については、そういう話あんまり聞かない。 小林と江藤の対談「誤解されっぱなしの美」は
「さわる」という話が最後のほうに出てきて
これからちょっとおもしろくなりそうなのに、
というところで終わってる感じだったなあ。 江藤にとって小林は学友に聞いた、偽物の掛け軸を日本刀で
切って捨てた凄い人なんだろ。
俺の知ってる江藤は陰謀論まがいの修正史観を振り回す正論の
痛いジジイでしかないが。 ちくま学芸文庫の江藤淳コレクションって絶版なのかよ ウォー・ギルト・インフォメーション・プログラムが陰謀論(笑) 当時は公の場でそれなりに議論されて来たことだろ。
90年代のふやけ切った脳みそには刺激的に感じられただけで。 安保闘争動画なんて、ようつへで当たり前に見られるようになったが、
90年代前半はポケベル時代だった。 それが、90年代半ばに正論の読み過ぎみたいな奴らがマンガ
みたいな石翼教科書運動始めた。 バブル時代は本質的には反共だったが、それ以上にポスモダは
反イデオロギーだったからナショナリズムを強化することは
なかった。 小林秀雄が死んで、待ってましたとばかりにポスモダとマネー
ゲームの時代になった。空白と断絶がそこにある。 小林秀雄はフランス文学者だったから、ポスモダも、その延長上に
あったわけで。黒澤がフランスと合作で『乱』を撮ったのも、
小林が死んで程なくだ。 宮崎アニメをメジャーが持ち上げ始めたのもこの頃からかいな? 人生をドブに捨てるために生まれて来る奴もいるからな… 田中康夫を芥川賞に推薦したのは生涯の汚点だったろうw 石原慎太郎のクズっぷりが凄い。
こいつの文章ってまんま江藤のパクリじゃねえか あいつは、自分のエゴの為なら、利用するものはいくらでも利用するだけして、
あとは捨てるだけ。何をやっても、何も出てこない搾り滓のようなやつ。 加島茂にエッセイの中で、江藤は文学をわかっていないって、
おもいっきり皮肉られてるよ
(森茉莉全集2の月報) 283 名前:ピース ◆1SAVsF.d9. :2012/08/14(火) 16:28:03.48 ID:???
>>282
フェニックスいくらですか?
284 名前:沖縄県16歳キャッチ☆ :2012/08/14(火) 16:35:37.06 ID:qafyWMzu
>>283
分からないよ〜先輩が買ってたものを 吸わされてたから
でもピース吸わない方がいいよ!! 虚言症になるよ?
285 名前:ピース ◆1SAVsF.d9. :2012/08/14(火) 16:59:39.94 ID:???
確かに虚言症になるのは嫌だな。俺は嘘つかないコテだから。要するに大麻が欲しいんだよね。
江藤淳が痴漢したってソースはどこにあるの?
今現在、江藤の存在が無意味に近くなっているとしても
それは純文学が絶滅したからに他ならない
江藤は純文学と一緒に死んだ 「全文芸時評」新潮社刊が100円で古本屋の軒先のワゴンに積んであったから
買ったけど、安部公房は論じないし、古井由吉は認めないしで、自分と同時代の
開高、大江、第3の新人と並走していたくらいにしか感じない。こんな偏りのある人が文芸時評担当
していて良いのだろうか? 安部公房、古井由吉って時点で既に偏りまくってるんだがwww
この二人評価してるのはほんの一部のサークルだけだ 江藤淳はあれだろ 右だろ
なのに英国紳士のマネが止められない自分が厭になったんだよ 嫌っていた大江のノーベルもムカついただろうし
気の毒だったね いや、安部、古井っていうのは、当時の強力な作家ということで名を挙げただけだ。
井上靖も認めない、村上龍も認めない、後から来た世代認めたのは、中上健次くらい
のものだ。何のために文芸時評やっているんだか分からない。ひたすら作品を貶す、もっともらしい
分析をしながら。 逆にこの人はいろいろいい顔し過ぎ。
年取って好みが狭くなるのは悪いことではない。 年を取って好みが狭くなったり、より几帳面になるのはボケの一種かと思ってた。 村上龍も古井にも一定の評価はしてたよ
古井にいたっては、偏った裁断をくだした子分の入江を
批難しているものもある。
後から来た内向の世代では阿部昭を評価してたのは有名
決めつけはやめて
文芸時評読め 粕谷 一希(かすや かずき、1930年2月4日 - 2014年5月30日)
東京雑司が谷に生まれる。東京府立第五中学校、一高を経て、東京大学法学部を卒業。
学生時代には河合栄治郎、和辻哲郎、波多野精一、猪木正道、蝋山政道、丸山眞男の著作を読み、
高坂正顕、鈴木成高、西谷啓治、高山岩男など敗戦後否定されていた京都学派の戦中の本を読んだ。
1955年、中央公論社に入社。「中央公論」編集部を振り出しに社内を転々と移る。
その保守的思想を嶋中鵬二に見込まれ、1961年、嶋中事件発生により「中央公論」編集部次長に抜擢される。
1967年から「中央公論」編集長。永井陽之助、高坂正堯、萩原延寿、山崎正和、塩野七生、庄司薫、高橋英夫、白川静などを世に送り出す。
『思想の科学』天皇制特集号廃棄事件で執筆者陣や労働組合の抗議を受け、
『中央公論』編集長を解任されて同誌から派生した月刊誌『歴史と人物』編集長に就任。
3年で『中央公論』編集長に返り咲く。しかし1976年、山口昌男の連載時評(著書『知の遠近法』岩波書店に所収)の最後の二回で、
天皇制を文化人類学的に論じ、部下がこれを掲載差し止めする事件が起き、編集長を解任される。
粕谷は、読んでいないが、自分が読んでも書き直しをお願いしたかもしれないと言っている。
1978年、労働争議に関連して辞表を提出。フリーとなり、1980年、最初の著書『二十歳にして心朽ちたり』を上梓。
1982年、江藤淳は「ユダの季節」を書いて、粕谷、中嶋嶺雄、山崎正和が徒党を組んで仲間褒めをしていると批判した。
1986年、「東京人」誌を創刊。1987年、都市出版株式会社を創業し、同社の代表取締役社長を長く務めた
(そのときの部下に坪内祐三がいる)。その後、相談役。
竹山道雄著作集、猪木正道著作集、高坂正堯著作集の出版にも携わった。 雑誌に掲載された対談での発言内容が埴谷を怒らせた件、
「ユダの季節」の件、中央公論発行の文芸誌『海』の
編集長・宮田毬栄が同誌掲載の江藤ー吉本の対談について
私見を添えたことに対して、社主・嶋中に抗議の手紙を
送ったこととか、行動が子供じみてるわな。
雑誌は窮極は出版社のものだから、奴らが好きにするのは
しょうがない。もう少し、達観していても良かったんじゃないか?
所詮は、他人の作った土俵に上がる訳だから、煮え湯を飲まされる
ことも覚悟してなければ。
もっと悔しい思いをした武智鉄二や花田清輝らは達観していたが。
こういう「公平幻想」とか、関東人は持ってる奴が多い気がする。
所詮は私事なんだよ。福沢諭吉も言ってなかったか? 古井の「杳子」を論じて、男が女に接するのが医者が患者に接するようだとか批評しているよ。
全く理解しようという姿勢がない。 江藤淳はそれでも自分で少しは勉強してオリジナルなところがあるから偉い
それに比べたら自分や蓮實やそれ以後の世代はゴミみたいなもんだと
柄谷が言ってたが
まぁそれはそうだろうな 英語は日比谷高校開闢以来の天才だったらしいけど落ちるはずのない東大に二度落ちて
合格発表一緒に見に行った友達に気使わせないように明るく振る舞ったというのは
後年の江藤からは考えられない 作家は行動するで同じ感動でも長嶋選手の活躍に感動するのは上っ面の薄っぺらい感動で
モーツァルトに感動するのは魂の根底からの感動だって見解はどうなんだろ 江藤淳は華国鋒だ毛沢東に後継指名されたような顔してるが
聞いた者は誰もいない云々…
あこの場合、毛沢東は小林秀雄ですが
まぁ古きよき時代でしたな
今となっては馬鹿みたいな話だ 柄谷や中上は江藤がデビューさせたようなもんだから、
江藤は彼等を可愛がった。
柄谷がどうして江藤を悪く言える?
有り得ん。良く言うに決まってる。
中上は江藤の人情家の面を追憶で紹介していたかな。
江藤とかは、古いんだから、若い人は知らないんだよ。 批評家って廃れるの早いね。もはや江藤の本も、文春文庫辺りから出ていたのはほとんど絶版じゃないか?
講談社から博物館に陳列するためのように幾つかの作品が出ているが。 近代以前 (文春学藝ライブラリー) 江藤 淳 (2013/10/16)¥ 1,458
考えるよろこび (講談社文芸文庫) 江藤 淳 (2013/10/11)¥ 1,512
江藤淳:漱石と近代日本文学(CD3巻組) [慶應義塾の名講義・名講演CDシリーズ] (<CD>) 江藤淳 (2012/1)¥ 6,480 単行本
文学と非文学の倫理 吉本 隆明;江藤 淳 (2011/10/22)¥ 2,376
中央公論特別編集 江藤淳1960 中央公論編集部 (2011/10/22)¥ 2,376
小沢君、水沢へ帰りたまえ 江藤 淳 (2010/4/12)
文学と私・戦後と私 (新潮文庫) 江藤 淳 (2007/9)
アメリカと私 (講談社文芸文庫) 江藤 淳 (2007/6/9)
作家は行動する (講談社文芸文庫) 江藤 淳、 大久保 喬樹 (2005/5/11)
憲法論争 (NHKライブラリー) 林 修三、色川 大吉、小林 直樹、 江藤 淳 (2005/4)
海舟語録 (講談社学術文庫) 勝 海舟、江藤 淳、 松浦 玲 (2004/10/9)
新版靖国論集―日本の鎮魂の伝統のために 江藤 淳、 小堀 桂一郎 (2004/7)
石原慎太郎論 江藤 淳 (2004/4)
漱石の文学 CD版 聴いて学ぶ文学 (聴いて学ぶ文学 CD版) 江藤 淳 (2003/10)¥ 1,512
小林/秀雄 (講談社文芸文庫) 江藤 淳 (2002/8/9)¥ 1,836
江藤淳コレクション〈3〉文学論(1) (ちくま学芸文庫) 江藤 淳、 福田 和也 (2001/9)
妻と私・幼年時代 (文春文庫) 江藤 淳 (2001/7)
江藤淳コレクション〈1〉史論 (ちくま学芸文庫) 江藤 淳、 福田 和也 (2001/7)
南洲残影 (文春文庫) 江藤 淳 (2001/3)¥ 596
氷川清話 (講談社学術文庫) 勝 海舟、江藤 淳、 松浦 玲 (2000/12/8)
昭和の文人 (新潮文庫) 江藤 淳 (2000/6) >>239
もったいない。弟子の福田和也は正統な後継者
ともいい難いし。
確かに戦後、江藤淳がいなければ
大江も三島も開高も石原も成立しない。 >>240
なぜか兄嫁にこだわって自滅して行った感がしなくもない。
時代と漱石の臆病さを捕まえそこなったようにさえ見える。 鎌倉行の電車の痴漢で捕まった話はなしということで・・・ 捕まってないだけで、お前らも痴漢行為は何十回、何百回と
やってるだろうがw
江藤淳は初めてやって捕まったのなら、許してやれw
俺が最初に痴漢行為をやったのは中学3年の時、日曜日
京阪電鉄に乗っていた時、女子高生のお尻を鷲掴みしたのが、
初めてだったがw ネット情報によると、江藤痴漢説の出どころはある保守思想家ということになっている。
その人物が新聞記者を通じて現地警察だか市役所詰記者あたりから聞いたという、経路不明の話。
その話が死後に雑誌の記事になったようだ。
相手が慶応の女子学生であるという話や、江藤がその頃慶応をやめた話と絡んで虚実不明のまま。 酒に泥酔して痴漢行為に及んだのなら、本人の責任だが、
おそらく薬をどっかで飲まされたんだと思う。
同様に、植草も薬を飲まされたのではないか?
薬を飲まされてれば、痴漢行為をやってなくても、
「お前がやったんだろ?」と、言われたら、簡単に
認めてしまうのではないかな。
江藤や植草のような言論人が酒によってハレンチ行為に
及んだとなれば、今までの主張がすべて水の泡になる。
彼等がそんなことをやるとか、有り得ない。 江藤淳のwikiから引用すると、
「1977年、『文學界』1月号掲載の開高健との対談『作家の狼疾』で『
武田(泰淳)さんの物心両面の継続投資」が「埴谷雄高さんを
いままでサーヴァイヴさせ』たと発言して埴谷を激怒させ、
『江藤淳のこと』を『文藝』に掲載し批判した[9]。」
と、なってるんだが、これを読んで俺が感じるのは、
花田−吉本論争で、埴谷が勝手に吉本の勝利と判定した件の背後に
武田泰淳がいたのではないか?
ということなんだな。
武田は花田とは座談会では、良く席を共にしてるが、決して仲が良くは
なかった?
『新日本文学』の座談会で武田が花田にちょっかいを出し、
花田がつかかる、というシーンもあったが。
逆に、吉本は武田泰淳を最高に評価していた。
もし、俺の推測が正しければ、江藤淳はとんでもない正直者だった
ことになる訳だが、花田は多分、死ぬまで武田の陰謀に
気付いていなかった。 江藤と三島ってどうつながるんだ?作家の肖像か何かで、江藤は三島の筋肉は背中に肉がついていないから、
虚勢を張っているだけだと書いていた。対する三島は、江藤は大江と並走して登場した批評家だという認識だった、
と俺は思っていたのだが、絡みはあったの? 三島は江藤の『成熟と喪失』(1967年)に「うんざりした。」
という感想を述べてるが、母性との葛藤の中での「成熟と喪失」を
江藤が問題にしていたのだとすれば、それは三島自身の意識し得ない
三島の本質だったかもな。
三島や「盾の会」にはギリシャや近東の
キベレ−アティス(コリバンテス)の関係を彷佛させるものが
あるような気がするんだな。
要は母−息子の近親相姦、息子の自殺、来訪神の性格を伴った
息子のコピーである青年群像、などの要素を感じるということ。 >>251に補足すると、俺は江藤の『成熟と喪失』を全然、
読んでいない。江藤のwikiを読んだだけ。 さらに言えば、当時の三島の自決をある程度、
江藤は予測していたのかもしれない。
当時の文学者の殆ど全部が大ショックを受けた
と思うが、その中で、三島の自決にたじろがなかった者達は
業界の中で力を増して行った、ということは想像出来る。
江藤もその中のリーダーの1人であったろうね。 レスポンスどうもありがとうございます。
なんとなく江藤が中上の評価に向かったのとつながる気がして、
上で言われたことは、少し分かるような気もします。 >>253
でも江藤は今や完全に忘却されたね。
もともと残る仕事した人じゃないけどね。
三島と比べることさえおこがましい感じがするわ。 このオヤジも相当ぐれてるぞ、おそらく慶応で「西脇順三郎」に嫌われたのも
なんかそういうことが原因やろ 柄谷は江藤の文章を原稿用紙に清書してたそうだがほんとうかな? >>255
私もはじめは半信半疑だった。
だいぶ前だけど、アメリカの公文書館のデータ、SCAPだったけな、つづりはあいまい、
を調べていたとき、youtubeで西尾幹二氏の番組を見て内容を知った。
信憑性とか言う話ではなく、公然の事実でしょう。
江藤淳の研究のほか、実際に検閲した人の書物も出ている。
GHQは日本弱体化のために、ありとあらゆる反日工作を仕掛けていて、
東京裁判みたいに形式は日本人が自発的にやったような偽装工作までやる。
なにしろ小中学校の教育を70年支配してきたんだから、爺婆世代までころっと
だまされているわけ。
西尾氏が紹介している書物はほとんど神田で見つけることができない。
中野朗なんて名前もこれで知った。 加藤典洋・竹田青嗣と3人での鼎談読んだことあるけど、説教臭くて「もっと
作品を舐めるように読まなければならない」「文芸批評の灯を絶やさないで
ほしい」とかね、ここまで説教くさい硬直した人間とは思ってなかったので
唖然とした覚えがある。文藝学校の教師ね。しかもその文藝とはおそろしく
幅の狭い、勝手な敷居で固められた不自由な代物だ。なんでこの手の教師に
ついていくことはあり得ないし苦笑ものの発言てんこ盛りと言ってもいい。
自身で作った文藝や批評の概念を検討することを途中で止めちゃった人
なんじゃないかと思う。この鼎談での思考停止や硬直は、無残といえば
無残だしただ本人は「何物にも動じず」て風情でふんぞり返っている
ので、その動じなさと言ってることの硬直性で、はっきり「救いようなし」
と言ってもいいんだが加藤も竹田も大先輩である江藤にずっと丁寧に
応対して批判も聴いている。なんで痛ましい座談会になってしまってる(笑)
。
この人の文藝批評がすたれるとしても本人は文句は言えないよ。それくらい
狭くて硬直したことになっていっちゃった。本人は文藝学校の校長みたいな発
言をしているわけだが。この人の発言が文芸批評家の代表なら文芸批評自体
がすたれて行くのも仕方ない。そういう老いさらばえ方を最後はしてしまった
人だね。 この鼎談で思い出すことがあったのでまた書いてみたい。俺は竹田青嗣と
いう人を必ずしも全部肯定したい人間ではない。特に90年代以降は。しかし
この竹田からの批判に対し「あなたは文学的ではないね」と言い、また
説教に回る江藤には到底与しがたい。これだと要するに江藤の著作の軌跡こそ
が文学であって。批判等する者は文学ではない。
1.文学的であることは一切を免除する。
2.江藤淳の著作こそ文学である。
の論法で批判を禁忌しているのと同じことだ。体の良い詭弁に過ぎない。
この手の詭弁をこの時堂々と弄し、また当時誰一人としてこの人の論法の
おかしさには言及しなかった不思議。しかしそうやって批判を封じていた
おかげで結局自己を検討することとは無縁なまま自決という最期を迎える
ことになった。
あの終わり方に、色んな人が悔みを書いたりしていたが、俺はさほど
堪えなかった。無論いい気味とは思わなかったが、批判を受け付けないまま
どこまでも行くのかと思っていたらいつの間にか鬱だか闘病で厭世だか、
になってしまい逝ってしまっていたので意外でもあり、硬直したまま
文藝学校の校長が逝ってしまった。文芸学校も閉校だな、という(笑)感じ
だったね。 成熟と喪失 母の崩壊は日本人のありかたを考える上で忘れられない。
江藤は学問的ではないのかもしれないが、私が読んだ「夏目漱石」と「成熟と喪失」
に関する限り、日本社会を考える上で必要な仕事をしたのだと思う。
小谷野敦の「江藤淳と大江健三郎」を読んだが、結構納得できて面白かった。 最近私も機会があってリアリズムの源流と海舟余波を読んだのですが
良かったですよ。 (大塚英志)
おまけ
文学評論家・江藤淳との出会いを語る《書評》
斎藤禎『江藤淳の言い分』(書籍工房早川)
若い頃、保守論壇で物を書いていた時期があった。そこには一つの「作法」があって、
いかなる極論や暴論であってもそれは全て@戦後憲法のせいであるA日教組のせいである、
と締めれば論としてまかり通ってしまう、というものだ。
保守論壇という「カルト」(若手編集者が彼らのことを「電波系ですから」と冷めた言い方をするのを幾度も聞いた)
の中でのみ成立する書式だったが、今や一国の首相からwebまでこの論法でこの国の将来さえ語る。
それでもあの馬鹿げた場所にしばらくは留まったのは、一つには江藤淳がいたからだ。
あの頃も今もぼくは「戦後民主主義の擁護」を語る。しかし、マルクス主義ではない物書きだから、
'80年代末の時点ではそれは「保守」に分類され、今は「極左」らしいが、ぼくは戦後の言語空間の息苦しさや閉塞に敏感に反応し、
その象徴としての占領下の検閲と抑圧としての戦後憲法を批評的に語る江藤にいつも共感を覚えていた。
江藤はその「戦後」を無邪気に批判して済ます者は許さなかった。
それは、米軍基地に石を投げる若者を書き、「戦後」に何か言った気になっているかに見えた若き日の村上龍への批判となり
、閉じた戦後があたかも実体化した80年代消費社会に半歩下がった諧謔を見せた田中康夫への賛美ともなった。
江藤は愚かな戦後が「なんとなく」でなく、一つの歴史として「否応なくそうなった」のだという手続きを物書きが怠ることを嫌った。
そしてこれは秘かに知られるが、江藤は田中や加藤典洋、上野千鶴子、
そして晩年の一年ほどはぼくに対して、当人が困惑するほどの「好意」を示した。
自分でいうのは面映ゆいが、これらの人々に共通するのは、この国の近代の可能性を戦後に於いても見出そうとしていた点で、
だから、江藤が心を最も開いたのは吉本隆明だった。江藤に立ち返ってこの国の戦後はもう一度、
読み解き直されるべきだという文藝春秋の元編集者のこの小さな書に触れると、
その江藤の「言い分」が聞こえる編集者もういないことに気づく。「保守」が失ったものは大きい。
江藤淳の言い分 単行本 - 2015/5/27 〉〉植草も薬を飲まされたのではないか?
植●の場合、車や鞄の中から、その種の趣味人と思われる品々が押収されたらしいから、
薬を飲まされたってわけでもないのだろうが。笑
チョット脱線許して。
植●が、2回捕まったのは知ってるよね。「見た」「見た」という事件だけど。
ところが、実は3回捕まっていたらしい。真偽の程はわからないが。
報道されたのは、2回目、3回目の事件。1回目の事件は「見た」ではなく、
「見せた」!らしい。
捕まえたほうもビックリ。テレビによく出ているイケメン有名学者だ。
当時はまだ若いし、前途有望。そこで表沙汰にしなかったらしいのだ。
植●サン、最近は国家権力の謀略を暴いているが、最初は国家権力に
かばってもらったわけだ。もし詳細御存じの方いたらよろしく。 >>267
破廉恥罪で社会的信用を貶めるのはよくある手だからなあ 2016年2月28日日曜日
新潮45 3月号「江藤淳は甦る」八(平山周吉著)に 日比谷高校時代の主人が登場します。BY 篠沢礼子
新潮45 3月号「江藤淳は甦る」八(平山周吉著)に
日比谷高校時代の主人が登場します。
主人が日比谷時代に江藤さんと同級生だったのですが、
ふたりとも数学が弱く、二人でだけで数学の個人レッスンをうけたこと、とか
近代劇研究会をつくったこと、など
主人の「ぼくらの学校」とか
「もっと愉快に生きてみよう」などの本を参考にしてくださって
当時の主人のこととか書いてくださっています。
そのほか映画監督の佐藤純弥さんとか沢山の同級生が登場します。
このほか「軽井沢 日比谷 パリ」(文芸春秋刊)というのもあります。
「数学がからきしダメな同級生・・・・・・・・・」などと主人が登場する
くだりを主人によみあげると感激して主人が涙を流して、鼻がすごく出てきたので
凄くビックリしました。
まだ書店にあると思いますのでご覧くださいませ。 以上のようなことから考えるに、『沈黙』は非常に個人的な小説です。
この小説に対する江藤淳氏の「たいへん内面的、個人的な問題だ」という批評について、佐藤泰正氏は疑問を呈しています。
たしかに、日本人とキリスト教、戦争体験、病床体験といったひとつひとつの要素は、
ある程度「普遍的」なテーマと言えるのかもしれません。
しかしながら、この小説の中で出されている結論自体はあくまで遠藤個人の信仰告白であり、普遍的な結論ではありません。
しかも、出発点が「母親から受け継いだ信仰をどう合わせていくか」というところですから、
私にはこの小説は「たいへん内面的、個人的な問題」を扱った小説に映るのであります。
http://balien.hatenablog.com/entry/2017/01/20/180122 「江藤淳は権力構造の側に寄り添って立ちこそすれ、力ある者に排除されるタイプではありません。略
ところが江藤がもっとも高揚した文章を書くのは、いつも自分を権力構造に排除された、
『義しい弱者』の立場に置く時なのです。鎌倉市への固定資産税の不平といった場合にも・・・」
大江健三郎『小説のたくらみ、知の楽しみ』新潮社、1985年 ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています