おまいら、江藤淳を忘れてないか?2
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三島由紀夫や大江健三郎ばっかり目立ってるが、
江藤淳を忘れてないか?
江藤淳について語ろうぜ。
http://mimizun.com/log/2ch/book/1059982107/ 年を取って好みが狭くなったり、より几帳面になるのはボケの一種かと思ってた。 村上龍も古井にも一定の評価はしてたよ
古井にいたっては、偏った裁断をくだした子分の入江を
批難しているものもある。
後から来た内向の世代では阿部昭を評価してたのは有名
決めつけはやめて
文芸時評読め 粕谷 一希(かすや かずき、1930年2月4日 - 2014年5月30日)
東京雑司が谷に生まれる。東京府立第五中学校、一高を経て、東京大学法学部を卒業。
学生時代には河合栄治郎、和辻哲郎、波多野精一、猪木正道、蝋山政道、丸山眞男の著作を読み、
高坂正顕、鈴木成高、西谷啓治、高山岩男など敗戦後否定されていた京都学派の戦中の本を読んだ。
1955年、中央公論社に入社。「中央公論」編集部を振り出しに社内を転々と移る。
その保守的思想を嶋中鵬二に見込まれ、1961年、嶋中事件発生により「中央公論」編集部次長に抜擢される。
1967年から「中央公論」編集長。永井陽之助、高坂正堯、萩原延寿、山崎正和、塩野七生、庄司薫、高橋英夫、白川静などを世に送り出す。
『思想の科学』天皇制特集号廃棄事件で執筆者陣や労働組合の抗議を受け、
『中央公論』編集長を解任されて同誌から派生した月刊誌『歴史と人物』編集長に就任。
3年で『中央公論』編集長に返り咲く。しかし1976年、山口昌男の連載時評(著書『知の遠近法』岩波書店に所収)の最後の二回で、
天皇制を文化人類学的に論じ、部下がこれを掲載差し止めする事件が起き、編集長を解任される。
粕谷は、読んでいないが、自分が読んでも書き直しをお願いしたかもしれないと言っている。
1978年、労働争議に関連して辞表を提出。フリーとなり、1980年、最初の著書『二十歳にして心朽ちたり』を上梓。
1982年、江藤淳は「ユダの季節」を書いて、粕谷、中嶋嶺雄、山崎正和が徒党を組んで仲間褒めをしていると批判した。
1986年、「東京人」誌を創刊。1987年、都市出版株式会社を創業し、同社の代表取締役社長を長く務めた
(そのときの部下に坪内祐三がいる)。その後、相談役。
竹山道雄著作集、猪木正道著作集、高坂正堯著作集の出版にも携わった。 雑誌に掲載された対談での発言内容が埴谷を怒らせた件、
「ユダの季節」の件、中央公論発行の文芸誌『海』の
編集長・宮田毬栄が同誌掲載の江藤ー吉本の対談について
私見を添えたことに対して、社主・嶋中に抗議の手紙を
送ったこととか、行動が子供じみてるわな。
雑誌は窮極は出版社のものだから、奴らが好きにするのは
しょうがない。もう少し、達観していても良かったんじゃないか?
所詮は、他人の作った土俵に上がる訳だから、煮え湯を飲まされる
ことも覚悟してなければ。
もっと悔しい思いをした武智鉄二や花田清輝らは達観していたが。
こういう「公平幻想」とか、関東人は持ってる奴が多い気がする。
所詮は私事なんだよ。福沢諭吉も言ってなかったか? 古井の「杳子」を論じて、男が女に接するのが医者が患者に接するようだとか批評しているよ。
全く理解しようという姿勢がない。 江藤淳はそれでも自分で少しは勉強してオリジナルなところがあるから偉い
それに比べたら自分や蓮實やそれ以後の世代はゴミみたいなもんだと
柄谷が言ってたが
まぁそれはそうだろうな 英語は日比谷高校開闢以来の天才だったらしいけど落ちるはずのない東大に二度落ちて
合格発表一緒に見に行った友達に気使わせないように明るく振る舞ったというのは
後年の江藤からは考えられない 作家は行動するで同じ感動でも長嶋選手の活躍に感動するのは上っ面の薄っぺらい感動で
モーツァルトに感動するのは魂の根底からの感動だって見解はどうなんだろ 江藤淳は華国鋒だ毛沢東に後継指名されたような顔してるが
聞いた者は誰もいない云々…
あこの場合、毛沢東は小林秀雄ですが
まぁ古きよき時代でしたな
今となっては馬鹿みたいな話だ 柄谷や中上は江藤がデビューさせたようなもんだから、
江藤は彼等を可愛がった。
柄谷がどうして江藤を悪く言える?
有り得ん。良く言うに決まってる。
中上は江藤の人情家の面を追憶で紹介していたかな。
江藤とかは、古いんだから、若い人は知らないんだよ。 批評家って廃れるの早いね。もはや江藤の本も、文春文庫辺りから出ていたのはほとんど絶版じゃないか?
講談社から博物館に陳列するためのように幾つかの作品が出ているが。 近代以前 (文春学藝ライブラリー) 江藤 淳 (2013/10/16)¥ 1,458
考えるよろこび (講談社文芸文庫) 江藤 淳 (2013/10/11)¥ 1,512
江藤淳:漱石と近代日本文学(CD3巻組) [慶應義塾の名講義・名講演CDシリーズ] (<CD>) 江藤淳 (2012/1)¥ 6,480 単行本
文学と非文学の倫理 吉本 隆明;江藤 淳 (2011/10/22)¥ 2,376
中央公論特別編集 江藤淳1960 中央公論編集部 (2011/10/22)¥ 2,376
小沢君、水沢へ帰りたまえ 江藤 淳 (2010/4/12)
文学と私・戦後と私 (新潮文庫) 江藤 淳 (2007/9)
アメリカと私 (講談社文芸文庫) 江藤 淳 (2007/6/9)
作家は行動する (講談社文芸文庫) 江藤 淳、 大久保 喬樹 (2005/5/11)
憲法論争 (NHKライブラリー) 林 修三、色川 大吉、小林 直樹、 江藤 淳 (2005/4)
海舟語録 (講談社学術文庫) 勝 海舟、江藤 淳、 松浦 玲 (2004/10/9)
新版靖国論集―日本の鎮魂の伝統のために 江藤 淳、 小堀 桂一郎 (2004/7)
石原慎太郎論 江藤 淳 (2004/4)
漱石の文学 CD版 聴いて学ぶ文学 (聴いて学ぶ文学 CD版) 江藤 淳 (2003/10)¥ 1,512
小林/秀雄 (講談社文芸文庫) 江藤 淳 (2002/8/9)¥ 1,836
江藤淳コレクション〈3〉文学論(1) (ちくま学芸文庫) 江藤 淳、 福田 和也 (2001/9)
妻と私・幼年時代 (文春文庫) 江藤 淳 (2001/7)
江藤淳コレクション〈1〉史論 (ちくま学芸文庫) 江藤 淳、 福田 和也 (2001/7)
南洲残影 (文春文庫) 江藤 淳 (2001/3)¥ 596
氷川清話 (講談社学術文庫) 勝 海舟、江藤 淳、 松浦 玲 (2000/12/8)
昭和の文人 (新潮文庫) 江藤 淳 (2000/6) >>239
もったいない。弟子の福田和也は正統な後継者
ともいい難いし。
確かに戦後、江藤淳がいなければ
大江も三島も開高も石原も成立しない。 >>240
なぜか兄嫁にこだわって自滅して行った感がしなくもない。
時代と漱石の臆病さを捕まえそこなったようにさえ見える。 鎌倉行の電車の痴漢で捕まった話はなしということで・・・ 捕まってないだけで、お前らも痴漢行為は何十回、何百回と
やってるだろうがw
江藤淳は初めてやって捕まったのなら、許してやれw
俺が最初に痴漢行為をやったのは中学3年の時、日曜日
京阪電鉄に乗っていた時、女子高生のお尻を鷲掴みしたのが、
初めてだったがw ネット情報によると、江藤痴漢説の出どころはある保守思想家ということになっている。
その人物が新聞記者を通じて現地警察だか市役所詰記者あたりから聞いたという、経路不明の話。
その話が死後に雑誌の記事になったようだ。
相手が慶応の女子学生であるという話や、江藤がその頃慶応をやめた話と絡んで虚実不明のまま。 酒に泥酔して痴漢行為に及んだのなら、本人の責任だが、
おそらく薬をどっかで飲まされたんだと思う。
同様に、植草も薬を飲まされたのではないか?
薬を飲まされてれば、痴漢行為をやってなくても、
「お前がやったんだろ?」と、言われたら、簡単に
認めてしまうのではないかな。
江藤や植草のような言論人が酒によってハレンチ行為に
及んだとなれば、今までの主張がすべて水の泡になる。
彼等がそんなことをやるとか、有り得ない。 江藤淳のwikiから引用すると、
「1977年、『文學界』1月号掲載の開高健との対談『作家の狼疾』で『
武田(泰淳)さんの物心両面の継続投資」が「埴谷雄高さんを
いままでサーヴァイヴさせ』たと発言して埴谷を激怒させ、
『江藤淳のこと』を『文藝』に掲載し批判した[9]。」
と、なってるんだが、これを読んで俺が感じるのは、
花田−吉本論争で、埴谷が勝手に吉本の勝利と判定した件の背後に
武田泰淳がいたのではないか?
ということなんだな。
武田は花田とは座談会では、良く席を共にしてるが、決して仲が良くは
なかった?
『新日本文学』の座談会で武田が花田にちょっかいを出し、
花田がつかかる、というシーンもあったが。
逆に、吉本は武田泰淳を最高に評価していた。
もし、俺の推測が正しければ、江藤淳はとんでもない正直者だった
ことになる訳だが、花田は多分、死ぬまで武田の陰謀に
気付いていなかった。 江藤と三島ってどうつながるんだ?作家の肖像か何かで、江藤は三島の筋肉は背中に肉がついていないから、
虚勢を張っているだけだと書いていた。対する三島は、江藤は大江と並走して登場した批評家だという認識だった、
と俺は思っていたのだが、絡みはあったの? 三島は江藤の『成熟と喪失』(1967年)に「うんざりした。」
という感想を述べてるが、母性との葛藤の中での「成熟と喪失」を
江藤が問題にしていたのだとすれば、それは三島自身の意識し得ない
三島の本質だったかもな。
三島や「盾の会」にはギリシャや近東の
キベレ−アティス(コリバンテス)の関係を彷佛させるものが
あるような気がするんだな。
要は母−息子の近親相姦、息子の自殺、来訪神の性格を伴った
息子のコピーである青年群像、などの要素を感じるということ。 >>251に補足すると、俺は江藤の『成熟と喪失』を全然、
読んでいない。江藤のwikiを読んだだけ。 さらに言えば、当時の三島の自決をある程度、
江藤は予測していたのかもしれない。
当時の文学者の殆ど全部が大ショックを受けた
と思うが、その中で、三島の自決にたじろがなかった者達は
業界の中で力を増して行った、ということは想像出来る。
江藤もその中のリーダーの1人であったろうね。 レスポンスどうもありがとうございます。
なんとなく江藤が中上の評価に向かったのとつながる気がして、
上で言われたことは、少し分かるような気もします。 >>253
でも江藤は今や完全に忘却されたね。
もともと残る仕事した人じゃないけどね。
三島と比べることさえおこがましい感じがするわ。 このオヤジも相当ぐれてるぞ、おそらく慶応で「西脇順三郎」に嫌われたのも
なんかそういうことが原因やろ 柄谷は江藤の文章を原稿用紙に清書してたそうだがほんとうかな? >>255
私もはじめは半信半疑だった。
だいぶ前だけど、アメリカの公文書館のデータ、SCAPだったけな、つづりはあいまい、
を調べていたとき、youtubeで西尾幹二氏の番組を見て内容を知った。
信憑性とか言う話ではなく、公然の事実でしょう。
江藤淳の研究のほか、実際に検閲した人の書物も出ている。
GHQは日本弱体化のために、ありとあらゆる反日工作を仕掛けていて、
東京裁判みたいに形式は日本人が自発的にやったような偽装工作までやる。
なにしろ小中学校の教育を70年支配してきたんだから、爺婆世代までころっと
だまされているわけ。
西尾氏が紹介している書物はほとんど神田で見つけることができない。
中野朗なんて名前もこれで知った。 加藤典洋・竹田青嗣と3人での鼎談読んだことあるけど、説教臭くて「もっと
作品を舐めるように読まなければならない」「文芸批評の灯を絶やさないで
ほしい」とかね、ここまで説教くさい硬直した人間とは思ってなかったので
唖然とした覚えがある。文藝学校の教師ね。しかもその文藝とはおそろしく
幅の狭い、勝手な敷居で固められた不自由な代物だ。なんでこの手の教師に
ついていくことはあり得ないし苦笑ものの発言てんこ盛りと言ってもいい。
自身で作った文藝や批評の概念を検討することを途中で止めちゃった人
なんじゃないかと思う。この鼎談での思考停止や硬直は、無残といえば
無残だしただ本人は「何物にも動じず」て風情でふんぞり返っている
ので、その動じなさと言ってることの硬直性で、はっきり「救いようなし」
と言ってもいいんだが加藤も竹田も大先輩である江藤にずっと丁寧に
応対して批判も聴いている。なんで痛ましい座談会になってしまってる(笑)
。
この人の文藝批評がすたれるとしても本人は文句は言えないよ。それくらい
狭くて硬直したことになっていっちゃった。本人は文藝学校の校長みたいな発
言をしているわけだが。この人の発言が文芸批評家の代表なら文芸批評自体
がすたれて行くのも仕方ない。そういう老いさらばえ方を最後はしてしまった
人だね。 この鼎談で思い出すことがあったのでまた書いてみたい。俺は竹田青嗣と
いう人を必ずしも全部肯定したい人間ではない。特に90年代以降は。しかし
この竹田からの批判に対し「あなたは文学的ではないね」と言い、また
説教に回る江藤には到底与しがたい。これだと要するに江藤の著作の軌跡こそ
が文学であって。批判等する者は文学ではない。
1.文学的であることは一切を免除する。
2.江藤淳の著作こそ文学である。
の論法で批判を禁忌しているのと同じことだ。体の良い詭弁に過ぎない。
この手の詭弁をこの時堂々と弄し、また当時誰一人としてこの人の論法の
おかしさには言及しなかった不思議。しかしそうやって批判を封じていた
おかげで結局自己を検討することとは無縁なまま自決という最期を迎える
ことになった。
あの終わり方に、色んな人が悔みを書いたりしていたが、俺はさほど
堪えなかった。無論いい気味とは思わなかったが、批判を受け付けないまま
どこまでも行くのかと思っていたらいつの間にか鬱だか闘病で厭世だか、
になってしまい逝ってしまっていたので意外でもあり、硬直したまま
文藝学校の校長が逝ってしまった。文芸学校も閉校だな、という(笑)感じ
だったね。 成熟と喪失 母の崩壊は日本人のありかたを考える上で忘れられない。
江藤は学問的ではないのかもしれないが、私が読んだ「夏目漱石」と「成熟と喪失」
に関する限り、日本社会を考える上で必要な仕事をしたのだと思う。
小谷野敦の「江藤淳と大江健三郎」を読んだが、結構納得できて面白かった。 最近私も機会があってリアリズムの源流と海舟余波を読んだのですが
良かったですよ。 (大塚英志)
おまけ
文学評論家・江藤淳との出会いを語る《書評》
斎藤禎『江藤淳の言い分』(書籍工房早川)
若い頃、保守論壇で物を書いていた時期があった。そこには一つの「作法」があって、
いかなる極論や暴論であってもそれは全て@戦後憲法のせいであるA日教組のせいである、
と締めれば論としてまかり通ってしまう、というものだ。
保守論壇という「カルト」(若手編集者が彼らのことを「電波系ですから」と冷めた言い方をするのを幾度も聞いた)
の中でのみ成立する書式だったが、今や一国の首相からwebまでこの論法でこの国の将来さえ語る。
それでもあの馬鹿げた場所にしばらくは留まったのは、一つには江藤淳がいたからだ。
あの頃も今もぼくは「戦後民主主義の擁護」を語る。しかし、マルクス主義ではない物書きだから、
'80年代末の時点ではそれは「保守」に分類され、今は「極左」らしいが、ぼくは戦後の言語空間の息苦しさや閉塞に敏感に反応し、
その象徴としての占領下の検閲と抑圧としての戦後憲法を批評的に語る江藤にいつも共感を覚えていた。
江藤はその「戦後」を無邪気に批判して済ます者は許さなかった。
それは、米軍基地に石を投げる若者を書き、「戦後」に何か言った気になっているかに見えた若き日の村上龍への批判となり
、閉じた戦後があたかも実体化した80年代消費社会に半歩下がった諧謔を見せた田中康夫への賛美ともなった。
江藤は愚かな戦後が「なんとなく」でなく、一つの歴史として「否応なくそうなった」のだという手続きを物書きが怠ることを嫌った。
そしてこれは秘かに知られるが、江藤は田中や加藤典洋、上野千鶴子、
そして晩年の一年ほどはぼくに対して、当人が困惑するほどの「好意」を示した。
自分でいうのは面映ゆいが、これらの人々に共通するのは、この国の近代の可能性を戦後に於いても見出そうとしていた点で、
だから、江藤が心を最も開いたのは吉本隆明だった。江藤に立ち返ってこの国の戦後はもう一度、
読み解き直されるべきだという文藝春秋の元編集者のこの小さな書に触れると、
その江藤の「言い分」が聞こえる編集者もういないことに気づく。「保守」が失ったものは大きい。
江藤淳の言い分 単行本 - 2015/5/27 〉〉植草も薬を飲まされたのではないか?
植●の場合、車や鞄の中から、その種の趣味人と思われる品々が押収されたらしいから、
薬を飲まされたってわけでもないのだろうが。笑
チョット脱線許して。
植●が、2回捕まったのは知ってるよね。「見た」「見た」という事件だけど。
ところが、実は3回捕まっていたらしい。真偽の程はわからないが。
報道されたのは、2回目、3回目の事件。1回目の事件は「見た」ではなく、
「見せた」!らしい。
捕まえたほうもビックリ。テレビによく出ているイケメン有名学者だ。
当時はまだ若いし、前途有望。そこで表沙汰にしなかったらしいのだ。
植●サン、最近は国家権力の謀略を暴いているが、最初は国家権力に
かばってもらったわけだ。もし詳細御存じの方いたらよろしく。 >>267
破廉恥罪で社会的信用を貶めるのはよくある手だからなあ 2016年2月28日日曜日
新潮45 3月号「江藤淳は甦る」八(平山周吉著)に 日比谷高校時代の主人が登場します。BY 篠沢礼子
新潮45 3月号「江藤淳は甦る」八(平山周吉著)に
日比谷高校時代の主人が登場します。
主人が日比谷時代に江藤さんと同級生だったのですが、
ふたりとも数学が弱く、二人でだけで数学の個人レッスンをうけたこと、とか
近代劇研究会をつくったこと、など
主人の「ぼくらの学校」とか
「もっと愉快に生きてみよう」などの本を参考にしてくださって
当時の主人のこととか書いてくださっています。
そのほか映画監督の佐藤純弥さんとか沢山の同級生が登場します。
このほか「軽井沢 日比谷 パリ」(文芸春秋刊)というのもあります。
「数学がからきしダメな同級生・・・・・・・・・」などと主人が登場する
くだりを主人によみあげると感激して主人が涙を流して、鼻がすごく出てきたので
凄くビックリしました。
まだ書店にあると思いますのでご覧くださいませ。 以上のようなことから考えるに、『沈黙』は非常に個人的な小説です。
この小説に対する江藤淳氏の「たいへん内面的、個人的な問題だ」という批評について、佐藤泰正氏は疑問を呈しています。
たしかに、日本人とキリスト教、戦争体験、病床体験といったひとつひとつの要素は、
ある程度「普遍的」なテーマと言えるのかもしれません。
しかしながら、この小説の中で出されている結論自体はあくまで遠藤個人の信仰告白であり、普遍的な結論ではありません。
しかも、出発点が「母親から受け継いだ信仰をどう合わせていくか」というところですから、
私にはこの小説は「たいへん内面的、個人的な問題」を扱った小説に映るのであります。
http://balien.hatenablog.com/entry/2017/01/20/180122 「江藤淳は権力構造の側に寄り添って立ちこそすれ、力ある者に排除されるタイプではありません。略
ところが江藤がもっとも高揚した文章を書くのは、いつも自分を権力構造に排除された、
『義しい弱者』の立場に置く時なのです。鎌倉市への固定資産税の不平といった場合にも・・・」
大江健三郎『小説のたくらみ、知の楽しみ』新潮社、1985年 ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています