おまいら、江藤淳を忘れてないか?2
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三島由紀夫や大江健三郎ばっかり目立ってるが、
江藤淳を忘れてないか?
江藤淳について語ろうぜ。
http://mimizun.com/log/2ch/book/1059982107/ 日本では官吏になれない落ちこぼれが文学を担ってきた伝統があるのだが、
フランスあたりだとアプリオリに文学の価値が認められているようだ。
だから、日本と欧州とも違うような気がする。
わずかながらとはいえ、文壇が残っているのは似ているが。
「なんとなくクリスタル」を評価してたとかってどこかで読んだっけ。 >>157
>>164
なるほどね。文字あって歴史あるなら、歴史なき国は文字を
尊重しないわけか。 その日、私は、ジャンセン教授の紹介で、アメリカ思
想史のワード教授、アメリカ文学史のウィラード・ソー
プ教授に会い、へミングウェイの伝記を書いているカル
ロス・ベイカー教授と昼食をともにした。ベイカー氏は
半白の髪を短く刈込んだ頑丈そうな人で、話のついでに
私の書いた『小林秀雄』という本が一万部以上売れたと
いうと、大きな眼玉をむいて信じられないという顔をし
た。いずれにせよ、彼はその本を読まないし、読む必要
もないのであった。ベイカー教授がとつぜん
「アメリカは大きな国だが、本質的には provincialな国
なんですよ」
といった。
「もっとも、ここにおられるジャンセンさんなどは、ご
専門がら本質的に cosmopolitan でいらっしゃるけれど」
とべイカー氏がつけ加えた。
『アメリカと私』
なぜかパスカルを思い出すというのは余談。 我々だって関心があるのは大抵は外面のアメリカだけだ。
お互い様さ。 マッチョが萎えるとゲイの時代になるのは、現在進行形だろ。 こんな国の主導でグローバルスタンダードなんて笑い話だろ? むしろ日本ではマッチョ=オッスオッス!!=ゲイの図式が成立しているのがなあ >>167
確認したら、加藤典洋「アメリカの影」に江藤の話が出てきてた。
あんなつまらない作品を持ちあげた人もいたんだなあと。
でも違う角度から光を当てることができたのだろうか…
アメリカ留学して間もなくだろうか、若い時代の江藤の写真は、
どっちかってえと大江大王みたいな感じ。ヒョロっとした黒縁
メガネの研究者。小林の忠犬ってなあんな感じかね。 若い頃の小林秀雄の盟友は中原だもんな。
三島や石原みたいな人種と反りの合うタイプではなかったろ。 仲が良かったんじゃない。
小林にヘコヘコして仕えていた。
あるいはオドオドして。 留学じゃないな。交換研究員か。
向こうにいる時に『小林秀雄』が日本で大賞を受けて、日本人と
しての誇りを取り戻したんだと。 三島と石原が同列(笑)
晩年の江藤は権威主義に走った小林秀雄を超えてたよ。 出版社からもらう賞で日本人としての誇りをとりもどしたり、
50面さげて慶応から博士号もらって自信つけたり
なんだか情けないというか、あぶないおっさんだったな。
まあ、だから自殺しちゃったんだろうけど。 江藤は、小林研究よか、漱石研究のほうで名が売れたんじゃないの?
江藤の漱石研究には独創的要素があったって話、ちらほら聞くが
江藤の「小林秀雄」については、そういう話あんまり聞かない。 小林と江藤の対談「誤解されっぱなしの美」は
「さわる」という話が最後のほうに出てきて
これからちょっとおもしろくなりそうなのに、
というところで終わってる感じだったなあ。 江藤にとって小林は学友に聞いた、偽物の掛け軸を日本刀で
切って捨てた凄い人なんだろ。
俺の知ってる江藤は陰謀論まがいの修正史観を振り回す正論の
痛いジジイでしかないが。 ちくま学芸文庫の江藤淳コレクションって絶版なのかよ ウォー・ギルト・インフォメーション・プログラムが陰謀論(笑) 当時は公の場でそれなりに議論されて来たことだろ。
90年代のふやけ切った脳みそには刺激的に感じられただけで。 安保闘争動画なんて、ようつへで当たり前に見られるようになったが、
90年代前半はポケベル時代だった。 それが、90年代半ばに正論の読み過ぎみたいな奴らがマンガ
みたいな石翼教科書運動始めた。 バブル時代は本質的には反共だったが、それ以上にポスモダは
反イデオロギーだったからナショナリズムを強化することは
なかった。 小林秀雄が死んで、待ってましたとばかりにポスモダとマネー
ゲームの時代になった。空白と断絶がそこにある。 小林秀雄はフランス文学者だったから、ポスモダも、その延長上に
あったわけで。黒澤がフランスと合作で『乱』を撮ったのも、
小林が死んで程なくだ。 宮崎アニメをメジャーが持ち上げ始めたのもこの頃からかいな? 人生をドブに捨てるために生まれて来る奴もいるからな… 田中康夫を芥川賞に推薦したのは生涯の汚点だったろうw 石原慎太郎のクズっぷりが凄い。
こいつの文章ってまんま江藤のパクリじゃねえか あいつは、自分のエゴの為なら、利用するものはいくらでも利用するだけして、
あとは捨てるだけ。何をやっても、何も出てこない搾り滓のようなやつ。 加島茂にエッセイの中で、江藤は文学をわかっていないって、
おもいっきり皮肉られてるよ
(森茉莉全集2の月報) 283 名前:ピース ◆1SAVsF.d9. :2012/08/14(火) 16:28:03.48 ID:???
>>282
フェニックスいくらですか?
284 名前:沖縄県16歳キャッチ☆ :2012/08/14(火) 16:35:37.06 ID:qafyWMzu
>>283
分からないよ〜先輩が買ってたものを 吸わされてたから
でもピース吸わない方がいいよ!! 虚言症になるよ?
285 名前:ピース ◆1SAVsF.d9. :2012/08/14(火) 16:59:39.94 ID:???
確かに虚言症になるのは嫌だな。俺は嘘つかないコテだから。要するに大麻が欲しいんだよね。
江藤淳が痴漢したってソースはどこにあるの?
今現在、江藤の存在が無意味に近くなっているとしても
それは純文学が絶滅したからに他ならない
江藤は純文学と一緒に死んだ 「全文芸時評」新潮社刊が100円で古本屋の軒先のワゴンに積んであったから
買ったけど、安部公房は論じないし、古井由吉は認めないしで、自分と同時代の
開高、大江、第3の新人と並走していたくらいにしか感じない。こんな偏りのある人が文芸時評担当
していて良いのだろうか? 安部公房、古井由吉って時点で既に偏りまくってるんだがwww
この二人評価してるのはほんの一部のサークルだけだ 江藤淳はあれだろ 右だろ
なのに英国紳士のマネが止められない自分が厭になったんだよ 嫌っていた大江のノーベルもムカついただろうし
気の毒だったね いや、安部、古井っていうのは、当時の強力な作家ということで名を挙げただけだ。
井上靖も認めない、村上龍も認めない、後から来た世代認めたのは、中上健次くらい
のものだ。何のために文芸時評やっているんだか分からない。ひたすら作品を貶す、もっともらしい
分析をしながら。 逆にこの人はいろいろいい顔し過ぎ。
年取って好みが狭くなるのは悪いことではない。 年を取って好みが狭くなったり、より几帳面になるのはボケの一種かと思ってた。 村上龍も古井にも一定の評価はしてたよ
古井にいたっては、偏った裁断をくだした子分の入江を
批難しているものもある。
後から来た内向の世代では阿部昭を評価してたのは有名
決めつけはやめて
文芸時評読め 粕谷 一希(かすや かずき、1930年2月4日 - 2014年5月30日)
東京雑司が谷に生まれる。東京府立第五中学校、一高を経て、東京大学法学部を卒業。
学生時代には河合栄治郎、和辻哲郎、波多野精一、猪木正道、蝋山政道、丸山眞男の著作を読み、
高坂正顕、鈴木成高、西谷啓治、高山岩男など敗戦後否定されていた京都学派の戦中の本を読んだ。
1955年、中央公論社に入社。「中央公論」編集部を振り出しに社内を転々と移る。
その保守的思想を嶋中鵬二に見込まれ、1961年、嶋中事件発生により「中央公論」編集部次長に抜擢される。
1967年から「中央公論」編集長。永井陽之助、高坂正堯、萩原延寿、山崎正和、塩野七生、庄司薫、高橋英夫、白川静などを世に送り出す。
『思想の科学』天皇制特集号廃棄事件で執筆者陣や労働組合の抗議を受け、
『中央公論』編集長を解任されて同誌から派生した月刊誌『歴史と人物』編集長に就任。
3年で『中央公論』編集長に返り咲く。しかし1976年、山口昌男の連載時評(著書『知の遠近法』岩波書店に所収)の最後の二回で、
天皇制を文化人類学的に論じ、部下がこれを掲載差し止めする事件が起き、編集長を解任される。
粕谷は、読んでいないが、自分が読んでも書き直しをお願いしたかもしれないと言っている。
1978年、労働争議に関連して辞表を提出。フリーとなり、1980年、最初の著書『二十歳にして心朽ちたり』を上梓。
1982年、江藤淳は「ユダの季節」を書いて、粕谷、中嶋嶺雄、山崎正和が徒党を組んで仲間褒めをしていると批判した。
1986年、「東京人」誌を創刊。1987年、都市出版株式会社を創業し、同社の代表取締役社長を長く務めた
(そのときの部下に坪内祐三がいる)。その後、相談役。
竹山道雄著作集、猪木正道著作集、高坂正堯著作集の出版にも携わった。 雑誌に掲載された対談での発言内容が埴谷を怒らせた件、
「ユダの季節」の件、中央公論発行の文芸誌『海』の
編集長・宮田毬栄が同誌掲載の江藤ー吉本の対談について
私見を添えたことに対して、社主・嶋中に抗議の手紙を
送ったこととか、行動が子供じみてるわな。
雑誌は窮極は出版社のものだから、奴らが好きにするのは
しょうがない。もう少し、達観していても良かったんじゃないか?
所詮は、他人の作った土俵に上がる訳だから、煮え湯を飲まされる
ことも覚悟してなければ。
もっと悔しい思いをした武智鉄二や花田清輝らは達観していたが。
こういう「公平幻想」とか、関東人は持ってる奴が多い気がする。
所詮は私事なんだよ。福沢諭吉も言ってなかったか? 古井の「杳子」を論じて、男が女に接するのが医者が患者に接するようだとか批評しているよ。
全く理解しようという姿勢がない。 江藤淳はそれでも自分で少しは勉強してオリジナルなところがあるから偉い
それに比べたら自分や蓮實やそれ以後の世代はゴミみたいなもんだと
柄谷が言ってたが
まぁそれはそうだろうな 英語は日比谷高校開闢以来の天才だったらしいけど落ちるはずのない東大に二度落ちて
合格発表一緒に見に行った友達に気使わせないように明るく振る舞ったというのは
後年の江藤からは考えられない 作家は行動するで同じ感動でも長嶋選手の活躍に感動するのは上っ面の薄っぺらい感動で
モーツァルトに感動するのは魂の根底からの感動だって見解はどうなんだろ 江藤淳は華国鋒だ毛沢東に後継指名されたような顔してるが
聞いた者は誰もいない云々…
あこの場合、毛沢東は小林秀雄ですが
まぁ古きよき時代でしたな
今となっては馬鹿みたいな話だ 柄谷や中上は江藤がデビューさせたようなもんだから、
江藤は彼等を可愛がった。
柄谷がどうして江藤を悪く言える?
有り得ん。良く言うに決まってる。
中上は江藤の人情家の面を追憶で紹介していたかな。
江藤とかは、古いんだから、若い人は知らないんだよ。 批評家って廃れるの早いね。もはや江藤の本も、文春文庫辺りから出ていたのはほとんど絶版じゃないか?
講談社から博物館に陳列するためのように幾つかの作品が出ているが。 近代以前 (文春学藝ライブラリー) 江藤 淳 (2013/10/16)¥ 1,458
考えるよろこび (講談社文芸文庫) 江藤 淳 (2013/10/11)¥ 1,512
江藤淳:漱石と近代日本文学(CD3巻組) [慶應義塾の名講義・名講演CDシリーズ] (<CD>) 江藤淳 (2012/1)¥ 6,480 単行本
文学と非文学の倫理 吉本 隆明;江藤 淳 (2011/10/22)¥ 2,376
中央公論特別編集 江藤淳1960 中央公論編集部 (2011/10/22)¥ 2,376
小沢君、水沢へ帰りたまえ 江藤 淳 (2010/4/12)
文学と私・戦後と私 (新潮文庫) 江藤 淳 (2007/9)
アメリカと私 (講談社文芸文庫) 江藤 淳 (2007/6/9)
作家は行動する (講談社文芸文庫) 江藤 淳、 大久保 喬樹 (2005/5/11)
憲法論争 (NHKライブラリー) 林 修三、色川 大吉、小林 直樹、 江藤 淳 (2005/4)
海舟語録 (講談社学術文庫) 勝 海舟、江藤 淳、 松浦 玲 (2004/10/9)
新版靖国論集―日本の鎮魂の伝統のために 江藤 淳、 小堀 桂一郎 (2004/7)
石原慎太郎論 江藤 淳 (2004/4)
漱石の文学 CD版 聴いて学ぶ文学 (聴いて学ぶ文学 CD版) 江藤 淳 (2003/10)¥ 1,512
小林/秀雄 (講談社文芸文庫) 江藤 淳 (2002/8/9)¥ 1,836
江藤淳コレクション〈3〉文学論(1) (ちくま学芸文庫) 江藤 淳、 福田 和也 (2001/9)
妻と私・幼年時代 (文春文庫) 江藤 淳 (2001/7)
江藤淳コレクション〈1〉史論 (ちくま学芸文庫) 江藤 淳、 福田 和也 (2001/7)
南洲残影 (文春文庫) 江藤 淳 (2001/3)¥ 596
氷川清話 (講談社学術文庫) 勝 海舟、江藤 淳、 松浦 玲 (2000/12/8)
昭和の文人 (新潮文庫) 江藤 淳 (2000/6) >>239
もったいない。弟子の福田和也は正統な後継者
ともいい難いし。
確かに戦後、江藤淳がいなければ
大江も三島も開高も石原も成立しない。 >>240
なぜか兄嫁にこだわって自滅して行った感がしなくもない。
時代と漱石の臆病さを捕まえそこなったようにさえ見える。 鎌倉行の電車の痴漢で捕まった話はなしということで・・・ 捕まってないだけで、お前らも痴漢行為は何十回、何百回と
やってるだろうがw
江藤淳は初めてやって捕まったのなら、許してやれw
俺が最初に痴漢行為をやったのは中学3年の時、日曜日
京阪電鉄に乗っていた時、女子高生のお尻を鷲掴みしたのが、
初めてだったがw ネット情報によると、江藤痴漢説の出どころはある保守思想家ということになっている。
その人物が新聞記者を通じて現地警察だか市役所詰記者あたりから聞いたという、経路不明の話。
その話が死後に雑誌の記事になったようだ。
相手が慶応の女子学生であるという話や、江藤がその頃慶応をやめた話と絡んで虚実不明のまま。 酒に泥酔して痴漢行為に及んだのなら、本人の責任だが、
おそらく薬をどっかで飲まされたんだと思う。
同様に、植草も薬を飲まされたのではないか?
薬を飲まされてれば、痴漢行為をやってなくても、
「お前がやったんだろ?」と、言われたら、簡単に
認めてしまうのではないかな。
江藤や植草のような言論人が酒によってハレンチ行為に
及んだとなれば、今までの主張がすべて水の泡になる。
彼等がそんなことをやるとか、有り得ない。 江藤淳のwikiから引用すると、
「1977年、『文學界』1月号掲載の開高健との対談『作家の狼疾』で『
武田(泰淳)さんの物心両面の継続投資」が「埴谷雄高さんを
いままでサーヴァイヴさせ』たと発言して埴谷を激怒させ、
『江藤淳のこと』を『文藝』に掲載し批判した[9]。」
と、なってるんだが、これを読んで俺が感じるのは、
花田−吉本論争で、埴谷が勝手に吉本の勝利と判定した件の背後に
武田泰淳がいたのではないか?
ということなんだな。
武田は花田とは座談会では、良く席を共にしてるが、決して仲が良くは
なかった?
『新日本文学』の座談会で武田が花田にちょっかいを出し、
花田がつかかる、というシーンもあったが。
逆に、吉本は武田泰淳を最高に評価していた。
もし、俺の推測が正しければ、江藤淳はとんでもない正直者だった
ことになる訳だが、花田は多分、死ぬまで武田の陰謀に
気付いていなかった。 江藤と三島ってどうつながるんだ?作家の肖像か何かで、江藤は三島の筋肉は背中に肉がついていないから、
虚勢を張っているだけだと書いていた。対する三島は、江藤は大江と並走して登場した批評家だという認識だった、
と俺は思っていたのだが、絡みはあったの? 三島は江藤の『成熟と喪失』(1967年)に「うんざりした。」
という感想を述べてるが、母性との葛藤の中での「成熟と喪失」を
江藤が問題にしていたのだとすれば、それは三島自身の意識し得ない
三島の本質だったかもな。
三島や「盾の会」にはギリシャや近東の
キベレ−アティス(コリバンテス)の関係を彷佛させるものが
あるような気がするんだな。
要は母−息子の近親相姦、息子の自殺、来訪神の性格を伴った
息子のコピーである青年群像、などの要素を感じるということ。 >>251に補足すると、俺は江藤の『成熟と喪失』を全然、
読んでいない。江藤のwikiを読んだだけ。 さらに言えば、当時の三島の自決をある程度、
江藤は予測していたのかもしれない。
当時の文学者の殆ど全部が大ショックを受けた
と思うが、その中で、三島の自決にたじろがなかった者達は
業界の中で力を増して行った、ということは想像出来る。
江藤もその中のリーダーの1人であったろうね。 レスポンスどうもありがとうございます。
なんとなく江藤が中上の評価に向かったのとつながる気がして、
上で言われたことは、少し分かるような気もします。 >>253
でも江藤は今や完全に忘却されたね。
もともと残る仕事した人じゃないけどね。
三島と比べることさえおこがましい感じがするわ。 このオヤジも相当ぐれてるぞ、おそらく慶応で「西脇順三郎」に嫌われたのも
なんかそういうことが原因やろ 柄谷は江藤の文章を原稿用紙に清書してたそうだがほんとうかな? >>255
私もはじめは半信半疑だった。
だいぶ前だけど、アメリカの公文書館のデータ、SCAPだったけな、つづりはあいまい、
を調べていたとき、youtubeで西尾幹二氏の番組を見て内容を知った。
信憑性とか言う話ではなく、公然の事実でしょう。
江藤淳の研究のほか、実際に検閲した人の書物も出ている。
GHQは日本弱体化のために、ありとあらゆる反日工作を仕掛けていて、
東京裁判みたいに形式は日本人が自発的にやったような偽装工作までやる。
なにしろ小中学校の教育を70年支配してきたんだから、爺婆世代までころっと
だまされているわけ。
西尾氏が紹介している書物はほとんど神田で見つけることができない。
中野朗なんて名前もこれで知った。 加藤典洋・竹田青嗣と3人での鼎談読んだことあるけど、説教臭くて「もっと
作品を舐めるように読まなければならない」「文芸批評の灯を絶やさないで
ほしい」とかね、ここまで説教くさい硬直した人間とは思ってなかったので
唖然とした覚えがある。文藝学校の教師ね。しかもその文藝とはおそろしく
幅の狭い、勝手な敷居で固められた不自由な代物だ。なんでこの手の教師に
ついていくことはあり得ないし苦笑ものの発言てんこ盛りと言ってもいい。
自身で作った文藝や批評の概念を検討することを途中で止めちゃった人
なんじゃないかと思う。この鼎談での思考停止や硬直は、無残といえば
無残だしただ本人は「何物にも動じず」て風情でふんぞり返っている
ので、その動じなさと言ってることの硬直性で、はっきり「救いようなし」
と言ってもいいんだが加藤も竹田も大先輩である江藤にずっと丁寧に
応対して批判も聴いている。なんで痛ましい座談会になってしまってる(笑)
。
この人の文藝批評がすたれるとしても本人は文句は言えないよ。それくらい
狭くて硬直したことになっていっちゃった。本人は文藝学校の校長みたいな発
言をしているわけだが。この人の発言が文芸批評家の代表なら文芸批評自体
がすたれて行くのも仕方ない。そういう老いさらばえ方を最後はしてしまった
人だね。 この鼎談で思い出すことがあったのでまた書いてみたい。俺は竹田青嗣と
いう人を必ずしも全部肯定したい人間ではない。特に90年代以降は。しかし
この竹田からの批判に対し「あなたは文学的ではないね」と言い、また
説教に回る江藤には到底与しがたい。これだと要するに江藤の著作の軌跡こそ
が文学であって。批判等する者は文学ではない。
1.文学的であることは一切を免除する。
2.江藤淳の著作こそ文学である。
の論法で批判を禁忌しているのと同じことだ。体の良い詭弁に過ぎない。
この手の詭弁をこの時堂々と弄し、また当時誰一人としてこの人の論法の
おかしさには言及しなかった不思議。しかしそうやって批判を封じていた
おかげで結局自己を検討することとは無縁なまま自決という最期を迎える
ことになった。
あの終わり方に、色んな人が悔みを書いたりしていたが、俺はさほど
堪えなかった。無論いい気味とは思わなかったが、批判を受け付けないまま
どこまでも行くのかと思っていたらいつの間にか鬱だか闘病で厭世だか、
になってしまい逝ってしまっていたので意外でもあり、硬直したまま
文藝学校の校長が逝ってしまった。文芸学校も閉校だな、という(笑)感じ
だったね。 成熟と喪失 母の崩壊は日本人のありかたを考える上で忘れられない。
江藤は学問的ではないのかもしれないが、私が読んだ「夏目漱石」と「成熟と喪失」
に関する限り、日本社会を考える上で必要な仕事をしたのだと思う。
小谷野敦の「江藤淳と大江健三郎」を読んだが、結構納得できて面白かった。 ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています