おまいら、江藤淳を忘れてないか?2
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三島由紀夫や大江健三郎ばっかり目立ってるが、
江藤淳を忘れてないか?
江藤淳について語ろうぜ。
http://mimizun.com/log/2ch/book/1059982107/ >>251に補足すると、俺は江藤の『成熟と喪失』を全然、
読んでいない。江藤のwikiを読んだだけ。 さらに言えば、当時の三島の自決をある程度、
江藤は予測していたのかもしれない。
当時の文学者の殆ど全部が大ショックを受けた
と思うが、その中で、三島の自決にたじろがなかった者達は
業界の中で力を増して行った、ということは想像出来る。
江藤もその中のリーダーの1人であったろうね。 レスポンスどうもありがとうございます。
なんとなく江藤が中上の評価に向かったのとつながる気がして、
上で言われたことは、少し分かるような気もします。 >>253
でも江藤は今や完全に忘却されたね。
もともと残る仕事した人じゃないけどね。
三島と比べることさえおこがましい感じがするわ。 このオヤジも相当ぐれてるぞ、おそらく慶応で「西脇順三郎」に嫌われたのも
なんかそういうことが原因やろ 柄谷は江藤の文章を原稿用紙に清書してたそうだがほんとうかな? >>255
私もはじめは半信半疑だった。
だいぶ前だけど、アメリカの公文書館のデータ、SCAPだったけな、つづりはあいまい、
を調べていたとき、youtubeで西尾幹二氏の番組を見て内容を知った。
信憑性とか言う話ではなく、公然の事実でしょう。
江藤淳の研究のほか、実際に検閲した人の書物も出ている。
GHQは日本弱体化のために、ありとあらゆる反日工作を仕掛けていて、
東京裁判みたいに形式は日本人が自発的にやったような偽装工作までやる。
なにしろ小中学校の教育を70年支配してきたんだから、爺婆世代までころっと
だまされているわけ。
西尾氏が紹介している書物はほとんど神田で見つけることができない。
中野朗なんて名前もこれで知った。 加藤典洋・竹田青嗣と3人での鼎談読んだことあるけど、説教臭くて「もっと
作品を舐めるように読まなければならない」「文芸批評の灯を絶やさないで
ほしい」とかね、ここまで説教くさい硬直した人間とは思ってなかったので
唖然とした覚えがある。文藝学校の教師ね。しかもその文藝とはおそろしく
幅の狭い、勝手な敷居で固められた不自由な代物だ。なんでこの手の教師に
ついていくことはあり得ないし苦笑ものの発言てんこ盛りと言ってもいい。
自身で作った文藝や批評の概念を検討することを途中で止めちゃった人
なんじゃないかと思う。この鼎談での思考停止や硬直は、無残といえば
無残だしただ本人は「何物にも動じず」て風情でふんぞり返っている
ので、その動じなさと言ってることの硬直性で、はっきり「救いようなし」
と言ってもいいんだが加藤も竹田も大先輩である江藤にずっと丁寧に
応対して批判も聴いている。なんで痛ましい座談会になってしまってる(笑)
。
この人の文藝批評がすたれるとしても本人は文句は言えないよ。それくらい
狭くて硬直したことになっていっちゃった。本人は文藝学校の校長みたいな発
言をしているわけだが。この人の発言が文芸批評家の代表なら文芸批評自体
がすたれて行くのも仕方ない。そういう老いさらばえ方を最後はしてしまった
人だね。 この鼎談で思い出すことがあったのでまた書いてみたい。俺は竹田青嗣と
いう人を必ずしも全部肯定したい人間ではない。特に90年代以降は。しかし
この竹田からの批判に対し「あなたは文学的ではないね」と言い、また
説教に回る江藤には到底与しがたい。これだと要するに江藤の著作の軌跡こそ
が文学であって。批判等する者は文学ではない。
1.文学的であることは一切を免除する。
2.江藤淳の著作こそ文学である。
の論法で批判を禁忌しているのと同じことだ。体の良い詭弁に過ぎない。
この手の詭弁をこの時堂々と弄し、また当時誰一人としてこの人の論法の
おかしさには言及しなかった不思議。しかしそうやって批判を封じていた
おかげで結局自己を検討することとは無縁なまま自決という最期を迎える
ことになった。
あの終わり方に、色んな人が悔みを書いたりしていたが、俺はさほど
堪えなかった。無論いい気味とは思わなかったが、批判を受け付けないまま
どこまでも行くのかと思っていたらいつの間にか鬱だか闘病で厭世だか、
になってしまい逝ってしまっていたので意外でもあり、硬直したまま
文藝学校の校長が逝ってしまった。文芸学校も閉校だな、という(笑)感じ
だったね。 成熟と喪失 母の崩壊は日本人のありかたを考える上で忘れられない。
江藤は学問的ではないのかもしれないが、私が読んだ「夏目漱石」と「成熟と喪失」
に関する限り、日本社会を考える上で必要な仕事をしたのだと思う。
小谷野敦の「江藤淳と大江健三郎」を読んだが、結構納得できて面白かった。 最近私も機会があってリアリズムの源流と海舟余波を読んだのですが
良かったですよ。 (大塚英志)
おまけ
文学評論家・江藤淳との出会いを語る《書評》
斎藤禎『江藤淳の言い分』(書籍工房早川)
若い頃、保守論壇で物を書いていた時期があった。そこには一つの「作法」があって、
いかなる極論や暴論であってもそれは全て@戦後憲法のせいであるA日教組のせいである、
と締めれば論としてまかり通ってしまう、というものだ。
保守論壇という「カルト」(若手編集者が彼らのことを「電波系ですから」と冷めた言い方をするのを幾度も聞いた)
の中でのみ成立する書式だったが、今や一国の首相からwebまでこの論法でこの国の将来さえ語る。
それでもあの馬鹿げた場所にしばらくは留まったのは、一つには江藤淳がいたからだ。
あの頃も今もぼくは「戦後民主主義の擁護」を語る。しかし、マルクス主義ではない物書きだから、
'80年代末の時点ではそれは「保守」に分類され、今は「極左」らしいが、ぼくは戦後の言語空間の息苦しさや閉塞に敏感に反応し、
その象徴としての占領下の検閲と抑圧としての戦後憲法を批評的に語る江藤にいつも共感を覚えていた。
江藤はその「戦後」を無邪気に批判して済ます者は許さなかった。
それは、米軍基地に石を投げる若者を書き、「戦後」に何か言った気になっているかに見えた若き日の村上龍への批判となり
、閉じた戦後があたかも実体化した80年代消費社会に半歩下がった諧謔を見せた田中康夫への賛美ともなった。
江藤は愚かな戦後が「なんとなく」でなく、一つの歴史として「否応なくそうなった」のだという手続きを物書きが怠ることを嫌った。
そしてこれは秘かに知られるが、江藤は田中や加藤典洋、上野千鶴子、
そして晩年の一年ほどはぼくに対して、当人が困惑するほどの「好意」を示した。
自分でいうのは面映ゆいが、これらの人々に共通するのは、この国の近代の可能性を戦後に於いても見出そうとしていた点で、
だから、江藤が心を最も開いたのは吉本隆明だった。江藤に立ち返ってこの国の戦後はもう一度、
読み解き直されるべきだという文藝春秋の元編集者のこの小さな書に触れると、
その江藤の「言い分」が聞こえる編集者もういないことに気づく。「保守」が失ったものは大きい。
江藤淳の言い分 単行本 - 2015/5/27 〉〉植草も薬を飲まされたのではないか?
植●の場合、車や鞄の中から、その種の趣味人と思われる品々が押収されたらしいから、
薬を飲まされたってわけでもないのだろうが。笑
チョット脱線許して。
植●が、2回捕まったのは知ってるよね。「見た」「見た」という事件だけど。
ところが、実は3回捕まっていたらしい。真偽の程はわからないが。
報道されたのは、2回目、3回目の事件。1回目の事件は「見た」ではなく、
「見せた」!らしい。
捕まえたほうもビックリ。テレビによく出ているイケメン有名学者だ。
当時はまだ若いし、前途有望。そこで表沙汰にしなかったらしいのだ。
植●サン、最近は国家権力の謀略を暴いているが、最初は国家権力に
かばってもらったわけだ。もし詳細御存じの方いたらよろしく。 >>267
破廉恥罪で社会的信用を貶めるのはよくある手だからなあ 2016年2月28日日曜日
新潮45 3月号「江藤淳は甦る」八(平山周吉著)に 日比谷高校時代の主人が登場します。BY 篠沢礼子
新潮45 3月号「江藤淳は甦る」八(平山周吉著)に
日比谷高校時代の主人が登場します。
主人が日比谷時代に江藤さんと同級生だったのですが、
ふたりとも数学が弱く、二人でだけで数学の個人レッスンをうけたこと、とか
近代劇研究会をつくったこと、など
主人の「ぼくらの学校」とか
「もっと愉快に生きてみよう」などの本を参考にしてくださって
当時の主人のこととか書いてくださっています。
そのほか映画監督の佐藤純弥さんとか沢山の同級生が登場します。
このほか「軽井沢 日比谷 パリ」(文芸春秋刊)というのもあります。
「数学がからきしダメな同級生・・・・・・・・・」などと主人が登場する
くだりを主人によみあげると感激して主人が涙を流して、鼻がすごく出てきたので
凄くビックリしました。
まだ書店にあると思いますのでご覧くださいませ。 以上のようなことから考えるに、『沈黙』は非常に個人的な小説です。
この小説に対する江藤淳氏の「たいへん内面的、個人的な問題だ」という批評について、佐藤泰正氏は疑問を呈しています。
たしかに、日本人とキリスト教、戦争体験、病床体験といったひとつひとつの要素は、
ある程度「普遍的」なテーマと言えるのかもしれません。
しかしながら、この小説の中で出されている結論自体はあくまで遠藤個人の信仰告白であり、普遍的な結論ではありません。
しかも、出発点が「母親から受け継いだ信仰をどう合わせていくか」というところですから、
私にはこの小説は「たいへん内面的、個人的な問題」を扱った小説に映るのであります。
http://balien.hatenablog.com/entry/2017/01/20/180122 「江藤淳は権力構造の側に寄り添って立ちこそすれ、力ある者に排除されるタイプではありません。略
ところが江藤がもっとも高揚した文章を書くのは、いつも自分を権力構造に排除された、
『義しい弱者』の立場に置く時なのです。鎌倉市への固定資産税の不平といった場合にも・・・」
大江健三郎『小説のたくらみ、知の楽しみ』新潮社、1985年 ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています