おまいら、江藤淳を忘れてないか?2
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三島由紀夫や大江健三郎ばっかり目立ってるが、
江藤淳を忘れてないか?
江藤淳について語ろうぜ。
http://mimizun.com/log/2ch/book/1059982107/ >>91
小林との対談でも政治最優先の風潮に違和感を表明するに当たり
私事の価値というのを対抗してもちだしてたな。
>>92
いろいろなことをやりたい気質だったから仕方ない。 文学だけでなく音楽にも
絵にも手をだしてね。 それで、おまえは純粋じゃないって坂口安吾に怒られて
たりする。そういう風にいろんな分野に手を出そうと思えば出せるのが、批評と
いうものの長所であり短所であるってことだろう。
骨董いじりについては、近代芸術の観念性に疲れた頭脳の誤りをただしてくれる
有益さがあるとかなんとかいって、骨董いじりを正当化していたな。 >>92
江藤淳って、横須賀線で痴漢したとかいう話があるんだけど、
奥さんのことは本当に深く愛していたんだと思うんだよね〜
そうでなきゃ、奥さんの死後にあんなに落ち込んで
自殺なんかしないよな〜 >おまえは純粋じゃないって坂口安吾に怒られてたりする。
青山二郎に「お前は釣りをしてるんじゃなくて、釣りの腕前を
見せてるだけだ」ってやり込められて涙を見せたってのと
一緒かね。
ベルグソンにあらぬ期待を抱いて「研究」をしたり、下らなく
自分を一段低く置いたりするところがあるかな。 >>94
まぁ、痴漢だってレイプ小説家だって愛国者で
あり得るのが世の中だからね。 「愛国心!」と一言叫べばみんなナカーマ
「やって見せる」=「この人を見よ」で、単純な
功名心とはちょっと違うとは思うんだがね。 >>95
青山にそんなこといわれたくらいで泣くこともないと思うがなぁ。
自分が天才じゃないのが悲しかったのかなぁ。そりゃ贅沢な悲しみだ。
青山二郎というのも、小林との対談よむと、ほんとわけのわからんこと
いってるね。「眼」の世界のひとで、「言葉」の世界のひとじゃないんだな。 対象に迫ってもけっして届かない、常に断念するしかない
けれども、それでも最後まで考え続ける。
そんな正直な人だと思います、素直に涙を流すほどに。
そして青山次郎の見る目に間違いはないのだからこそ。
日本刀で雪舟を真っ二つにする、切りたかったものは自分自身かなぁ >>99
小林が日本刀でまっぷたつにしたのは良寛の偽物だろ? どうしても譲って欲しいんで、抱えて車で
逃げたまま帰さないとか、警察沙汰にも
ならないのが可笑しいね。皆、キチガイな
世界だから。 >>103
雪舟の本物は、専門家によれば数点くらいしかないが、雪舟を掛けたい人が
一万人以上いるからには、贋物の価値をみとめないと、書画骨董界は危殆に
瀕する。
などという小林の言葉を「雪舟」という単語から想起した。 「真贋」ですか。
あの文章の中に、小林が鎌倉で焼き物の大皿を気に入って買って来たら
その品物を青山二郎がニセ物認定をしたんで、泣く泣く
骨董品店に売り飛ばしたら実はホン物だった、ていう話がありますよね
青山二郎も結構いい加減だな・・・w ネットで『真贋』で調べると、青山の主張が
正しいという目利きの見解が読めるよ。 洲之内徹は確信を言っていると思います。盗んでも欲しい物が良いと。
また小林秀雄は白洲正子に自分自身で値段をつけなさいと言っていますよね。
テレビ番組で視聴者は鑑定団の付ける値段に興味があるのであり
物そのものを見ているのでは無いように思います。
そして、自分の判断でなく鑑定団をただ妄信する構図です。
これでは骨董そのものの価値でなく経済原理で相場の操作が行われても
視聴者には何もわからないでしょう。本当は値段ではなくて私は何を美しいと思うのかです。
ある鑑定家はそこのところを皮肉をこめてコメントしているので立派だと思います。 >>106
あのエピソードは骨董選びで青山にいつもさんざんやられてる仇を文章で
とろうとしたという風に見えるね。「青山が、どうしてあの時あんな間違いを
したか、いまだにわからない。」と挿話の結語はこうなんだが、そのすぐ後に
美とは信用である、純粋美とは比喩である、鑑賞とは創作である、という
風に話が流れるので、間違えたのは、つまり青山の癖のせいであろうと
理由は推測できるように書いてある。
>>107
一応ググってみたが、そういう話はひっかからなかったな。
リンク貼ってもらえないかな?
>>108
骨董の相場っていうのは、素人にはわかりがたいものがあるんで
まあ、あれはあれでいいんじゃないの。鑑定団あんまり見てないから
よう知らないけど。 洲之内徹って銀座に画廊をもっていたそうだが
まだあるのかなその画廊。 >>109
あれは骨董品店の店主の態度が秀逸なんですよね。
> 箱を開けてちょいと覗き、すぐ蓋をして、
> つまらなそうに紐をかけ、これはいいですよ、と言った。
> そこへ小僧さんがお茶を持って来た。主人は皿を出して、
> 「これイケないんだから、見とけ」と言った。
> 小僧さんは、(中略)やがて情けなさそうな顔をして「わかりません」と言う。
> 「わからない? もっとよく見なさい」と主人はこっちを向いてしまう。
> 小僧さんは、(中略)皿の前に坐り、黙って動かなくなってしまった。
このあと、この皿は文藝春秋の社長だった佐佐木茂索氏に買い求められたので、
実は“ホンモノ”だったと分かる仕組みになっているのだが、
青山二郎が“イケない”と判断した理由がぼかされていてはっきりされていない。
青山はこの品がニセ物だという意味で言ったのか、
「図柄や値段を聞い」て、価格に見合わない品を買った、と言いたかったのか。 通人に言わせると、出来は良くても
大皿というのは品のない品物なんだと。
それで、店主の顔もつまらなそうだったと。
>>108
>テレビ番組で視聴者は鑑定団の付ける値段に興味があるのであり
>物そのものを見ているのでは無いように思います。
ブリキのおもちゃとかだとそんなことろはあるね。昔は見ていたけど。 >>110
「これイケないんだから」ってのは「これは駄目なもの」って
意味じゃねえの?
サブカル・ポスモダでオタクっぽい評論家が増えたからな。 >>110
その部分もいいけど、その次の話、瀬津の主人が志野茶碗を買って
先輩商人になんて間抜けな買い物するんだと罵倒され、品物を金持ちの
客におさめたが返されてしまい、呆然と雀の鳴き声を聞いているうちに
「茶碗はいいのだ俺という人間に信用がないだけだ」という思いつきが
突然胸に浮かんで、ぐっすり眠ってしまったというエピソードもいいね。
つまり鑑定とは創作であって、青山の鑑定も瀬津の主人の審美眼と
同じく、何がしかの創作である、と読めば、青山のフォローにもなってるわけだ。
「図柄や値段を聞いただけで」ダメだしするというのは、青山がひょっとしたら
単なる先入観によって判断してるんじゃないか、という疑いをわずかに抱かせる
書き方だね。 >>112
いや、そういう意味だそうだよ。本物じゃないと。 >>109
洲之内徹さん所蔵の作品は一括美術館へ収蔵されました。
宮城県立美術館です。その中に西脇順三郎さんがスケッチ
した洲之内徹の絵があります。さすが西脇順三郎だなって
かんじます。 >>115
秋田青森へドライブする計画でもたてて、ついでによってみようかなっと。 >>114
いや、「駄目なもの」=「偽物」ではないでしょう。
青山自身がどう言ったかは具体的には小林は
書いてないな。 小林の書き方はもちろん釈然としない風で、
この一文の終わりの鉄斎の逸話の結びの
浮かぬ顔に繋がってるようにも見えないでも
ない。 >>117
「二番手であるという、ちと若いという、ジョボたれてるという、みな
贋物という概念とは違う概念だが、『二番手』が何番手であるか
『若い』がどのくらい若いかは曖昧であり、また曖昧であることが
必要である、。」 とな。 まぁ、美はそれを手にする人の信からとか
言ってるし、明らかな真贋とは違う意味での
真贋が主観的な話というのは分からんでも
ないけども。
「贋作」という意味ではないわけね。 >>120
「明らかな贋作」などを扱っていたら、信用がなくなるわけでね。
「もしかしたら本物かも」という幻想を商売の種にしてるわけだ。 >>1
まあ、文学博士とか、虚構の権威を売りにして喜んでいられた幸せな時代
の遺物だよね
慶応にしても、放校のように干したあげく、有名になるといきなり学位
出したり(江藤の教授たちも俗物さに反吐が出る)
三流大学から一流扱いされた慶応の教授になったとたん浮かれちゃう、
俗物権力志向とかw >>80
江藤の漱石論の唯一のオリジナルな見解が漱石と嫂・登世の不倫関係説
これを大岡昇平にコテンパンにやっつけられてから迷走
学術的な業績はなく
庄次薫をいじめてデビューさせなかったり
日本の戦後はアメリカの検閲でゆがめられているといった陰謀説すれすれの電波飛ばしたり
頭すごく悪いよね 戦後も残った人だけ見てりゃ、戦前もまともだったって
錯覚は起こすだろう。 戦前はカルトや民間右翼そして共産主義が複雑に絡み合いながら
官界や軍部そして宮中に侵食していったとんでもない時代だ。
東條のような統制派による大弾圧とGHQの齎した戦後民主主義と検閲体制の下で
初めてノスタルジーに浸れるだけで。
戦中戦前の滅茶苦茶さは現代のオウムや創価学会の比じゃない。
軍国主義だったからどうという生易しいものじゃないんだ。 中国侵略で体制のモチベーションを維持しなけりゃならなかった。 皇道派=万葉集
統制派=『マイン・カンプ』
みたいな理解でおk? >>128は今、アメリカもやってるけど、覇権志向に走ると
こんな調子だね。バカな奴ら。 なぜお手軽な置き換えで理解しようとするんだ?
頭がすこし弱いのか?
アメリカ様のやることなら何でもドジンの自分とは違うんだって
堅く信じてろ。 江藤淳は筋金入りの保守だった。
石原慎太郎などは江藤の二番煎じでしかない。 嫁に先立たれて後追い自殺したヘタレジジイが憂国の士気取りとか笑止千万
批評家なんざ所詮は寄生虫に過ぎないってのに何勘違いしてたんだかwww 江藤淳が生きていたらこの震災をなんて書いていたかなあ >>139
案外「天罰」的な発言をしたかもしれないな。。。 【昭和正論座】
東京工大教授・江藤淳 昭和54年7月16日掲載
http://sankei.jp.msn.com/politics/news/110122/plc11012207350061-n5.htm
2011.1.22 07:33 (5/5ページ)
しかし、それにもまして痛切をきわめるのは、結末に付せられた政治的判断の部分である。
当時外交当局は、連合国に対してこのことを主張するためには、「国民の団結」を期待し得る他日を俟(ま)たねばならないと考えていた。
そのような「国民の団結」は、サンフランシスコ講和条約のときには実現されなかった。
いや、今日なおそれが実現されていないからこそ、私はこの文書を紹介しなければならないのである。(えとう じゅん) 「日本の憲法は米国が書き、押しつけてきたのです。内容がもう時代に合わない以上、その改正には米国側も協力すべきです」
江藤淳氏が熱をこめて語った。米国人のほとんどの聴衆は黙ったままだった。
1980年3月、ワシントンのウッドロー・ウィルソン国際学術センターでの研究発表会だった。
この国際問題の大手研究所に研究員として来ていた江藤氏は改憲の勧めを米側にまでぶつけるのだった。当時としては非常に大胆な主張だった。
著名な文芸評論家の江藤氏については私は「アメリカと私」という彼の著書などを読んでいたが、
私が新聞に書いた一文を彼が週刊誌の自分の連載コラムに細かく取り上げてくれたことから知己を得た。
「最も左の共産主義のソ連や中国が防衛増強に最も熱心なのに、日本で防衛強化を説くとなぜ右寄りとか右翼というレッテルを貼(は)られるのか」というのが私の風刺文だった。
同学術センターで日本の米軍占領下の検閲や憲法起草についての研究をするためワシントンに滞在するようになった江藤氏とときおり会って、話を聞くようになった。
私も日本の防衛を真剣に考えると、必ず憲法の制約にぶつかることを実感するようになっていたので、江藤氏の憲法観には強く関心を引かれた。
http://sankei.jp.msn.com/world/news/110122/amr11012202410019-n1.htm 428 名前:通りがかり :2011/05/08(日) 18:12:36.07
そうしますと あの「・・・」が問題のですね。
ではあの五木とのことで括るほどの作家で彼がないのでしたら
やはりそれも427さんの単なる個人的感性でしかありませんね?
わたしは五木さんの書物を読みませんが何故彼の出版物は
文芸コーナーに置かれているのですかね?
これってわたしは客観的であると通常おもいます。
429 名前:吾輩は名無しである :2011/05/08(日) 20:07:13.92
>何故彼の出版物は文芸コーナーに置かれているのですかね?
私は本屋じゃありません。ですからわかりません。^^
>これってわたしは客観的であると通常おもいます。
どこの本棚に置かれているか?は分類で、価値評価ではありません。
>427さんの単なる個人的感性でしかありませんね
このオレがオレ様だっ。文句あるかっ!
その意気地がなければ、創造的なことは何もできませんよ。あはははは。^^;
聴いて学ぶ〈文学〉
「漱石の文学」江藤淳
江藤淳(文芸評論家)
http://www.radiodays.jp/item/show/400402
おまいらラジオデイズで江藤淳の1時間講演が聴けますぜ。 >>143
東大に入れなくて泣く泣くKOごときに逝った負け犬が
なーに偉そうに利いた風な口きいてんだかw
悔しいのうwww悔しいのうwww 東京工業大での江藤の奇行について書いてた本があったなあ
こりゃ痴漢も本当だろう 俺が嫌いなのは江藤ではなく必要以上に熱狂するファンなのだ
結局奴らは学校や仕事先でがんばれてなかったり、勝ててなかったりする奴らの
集まりで、それをひいきの江藤に託し、江藤が頑張れば自分も頑張った気になるし、
それで成功すれば自分も成功したような気になるのだ
俺の様に毎日2chで戦ってる人間なら人を応援する余裕なんてある訳がない 閉された言語空間―占領軍の検閲と戦後日本
に興味持った >>150 すごく面白かったです。戦後の日本の言説空間の根本を実証的に考えようとしています。オススメです。
若手批評家に小林秀雄論、中村光夫論、江藤淳論のどれかを
書かせて、ありもしない日本の近代文芸批評の伝統を継承させようとか
姑息なことは止めてくれw エッセー「妻と私」は泣けた。
本の解説の石原都知事と、石原の弔辞はムカついた。
どこまでも上から目線で、親友としての思いやりの欠片もない。
チカンは冤罪だよ。悪質な噂が広まっただけ。 てめーら死ね。俺の本当の話でも聞け。
川上みえこはビクターとかの机に糞を置きざりにし、
NHKの小学校の番組では、小学生に説教して糞を投げたり、食ったりした。
江国は霊になって、YOUTUBEの心霊画像集にも出るし、画像で見ても町田康は分身するし、
いい世の中だよなー。
江藤氏は、アメリカで文学をやっていると、ゲイだと思われる、日本では文学の
伝統があるからそんな風に思われないと、石原シンタローとの対談で言っていた。
(九十年代半ばくらいの本 細部は忘れた)
言っていることが意味分からないよね。アメリカでいじめられたからそんなこと
言っているのかな?
祖父が海軍中将で、父が銀行員、母の愛情が子供の頃に無くなったか何かの
コンプレックスから小説を批評していく手法が、全く共感出来ない。 いや脳梗塞の後遺症に悩んでたんだよ。
あの病気にかかると作家としては終わりだからね。 「病」は、突然降りかかった災難ではなく身から出た錆というパターンも
あるからなんとも言えない 「私はもっと崩れろ、もっと崩れろ、と念じずにはいられない。なぜなら私はこの瞬間を待っていたからであり、それとともにすべての
偽善と虚飾が洗い流されるのを待っているからである。自然の律動はもろもろの仮構が崩れ去ったあとでなければよみがえらない」 正体の判らない御方だった。何がご専門だったのか。
英文学の研究を放擲し、物知らぬ大衆相手に専門外の研究と影響力を披露し、自己顕示し、
目に見える世俗の価値だけを堅く信じ、目に見えない形而上的な価値に瞑目し、
思い通りにならない家や家族、国家、そしてご自身に一貫して背を向けられて、
最期は凡てを投げ捨てて、幻想の黄泉の国へと逃避された方だったのか…。 >>157
いやアメリカの場合インテリ(特に人文系のインテリ)は日本以上に
ナヨナヨした存在だと思われてる部分はあると思う
この点に関しては日本と欧州は似てて、アメリカが異質
かの国には文学なんて何の役に立つんだってかんじのマッチョ志向がある 日本では官吏になれない落ちこぼれが文学を担ってきた伝統があるのだが、
フランスあたりだとアプリオリに文学の価値が認められているようだ。
だから、日本と欧州とも違うような気がする。
わずかながらとはいえ、文壇が残っているのは似ているが。
「なんとなくクリスタル」を評価してたとかってどこかで読んだっけ。 >>157
>>164
なるほどね。文字あって歴史あるなら、歴史なき国は文字を
尊重しないわけか。 その日、私は、ジャンセン教授の紹介で、アメリカ思
想史のワード教授、アメリカ文学史のウィラード・ソー
プ教授に会い、へミングウェイの伝記を書いているカル
ロス・ベイカー教授と昼食をともにした。ベイカー氏は
半白の髪を短く刈込んだ頑丈そうな人で、話のついでに
私の書いた『小林秀雄』という本が一万部以上売れたと
いうと、大きな眼玉をむいて信じられないという顔をし
た。いずれにせよ、彼はその本を読まないし、読む必要
もないのであった。ベイカー教授がとつぜん
「アメリカは大きな国だが、本質的には provincialな国
なんですよ」
といった。
「もっとも、ここにおられるジャンセンさんなどは、ご
専門がら本質的に cosmopolitan でいらっしゃるけれど」
とべイカー氏がつけ加えた。
『アメリカと私』
なぜかパスカルを思い出すというのは余談。 我々だって関心があるのは大抵は外面のアメリカだけだ。
お互い様さ。 マッチョが萎えるとゲイの時代になるのは、現在進行形だろ。 こんな国の主導でグローバルスタンダードなんて笑い話だろ? むしろ日本ではマッチョ=オッスオッス!!=ゲイの図式が成立しているのがなあ >>167
確認したら、加藤典洋「アメリカの影」に江藤の話が出てきてた。
あんなつまらない作品を持ちあげた人もいたんだなあと。
でも違う角度から光を当てることができたのだろうか…
アメリカ留学して間もなくだろうか、若い時代の江藤の写真は、
どっちかってえと大江大王みたいな感じ。ヒョロっとした黒縁
メガネの研究者。小林の忠犬ってなあんな感じかね。 若い頃の小林秀雄の盟友は中原だもんな。
三島や石原みたいな人種と反りの合うタイプではなかったろ。 仲が良かったんじゃない。
小林にヘコヘコして仕えていた。
あるいはオドオドして。 留学じゃないな。交換研究員か。
向こうにいる時に『小林秀雄』が日本で大賞を受けて、日本人と
しての誇りを取り戻したんだと。 三島と石原が同列(笑)
晩年の江藤は権威主義に走った小林秀雄を超えてたよ。 出版社からもらう賞で日本人としての誇りをとりもどしたり、
50面さげて慶応から博士号もらって自信つけたり
なんだか情けないというか、あぶないおっさんだったな。
まあ、だから自殺しちゃったんだろうけど。 江藤は、小林研究よか、漱石研究のほうで名が売れたんじゃないの?
江藤の漱石研究には独創的要素があったって話、ちらほら聞くが
江藤の「小林秀雄」については、そういう話あんまり聞かない。 小林と江藤の対談「誤解されっぱなしの美」は
「さわる」という話が最後のほうに出てきて
これからちょっとおもしろくなりそうなのに、
というところで終わってる感じだったなあ。 江藤にとって小林は学友に聞いた、偽物の掛け軸を日本刀で
切って捨てた凄い人なんだろ。
俺の知ってる江藤は陰謀論まがいの修正史観を振り回す正論の
痛いジジイでしかないが。 ちくま学芸文庫の江藤淳コレクションって絶版なのかよ ウォー・ギルト・インフォメーション・プログラムが陰謀論(笑) ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています