フローベール
フロベール自身はどんな音楽を聴いていたんだろう?
フランクやブルックナーと同世代人だよね。 フロベール自身は音楽は聴かなかったよ、嫌いだから。 >>123
俺も生島さんの訳は読みづらいと思う。日本語のリズムがすげえぎこちない。
フローベールの訳もそうだがスタンダールの訳はもっとひどいと思った。 阿川弘之も何かのエッセイで「ボヴァリーの生島訳は前半部を学生の下訳のまま出したのかてにおはがおかしい」みたいな事書いてた
講談社文庫の大活字本のやつだったかな フローベールは声に出して読んで文章矯めていったんだろ。
だから構文なんかは、他の作家よりちゃんとしてたと思うんだ。
なのに失礼じゃないか生島君。 山田ジャク訳フローベール『感情教育』(河出文庫)読み始めました。
岩波文庫の生島遼一訳よりいいですね。 ボバリーか感情教育どっちが面白くて読み安いですか? 語学力がないなら無理に原書で読んでもあまりわからない 名作だと聞いたんでボヴァリー夫人読んでるけど、
物語の本筋とは関係ない風景描写とかが冗長だな。
これがフローベールの売りなのか? 風景描写はマジでわからんよね。
バロック建築とかヴィクトリア朝建築とか、よくわからん植物とか出されても想像できん。
挿絵があってもいいんじゃないかと思えてくる。 そうか?
「ボヴァリー夫人」新潮文庫の生島の訳じゃないと読む気がしない。
同様に「魔の山」は新潮文庫の高橋
「はつ恋」は新潮文庫の神西
「白鯨」は岩波文庫の阿部がよい。
最近の新訳は文体に文学の香りが足りないし均衡(テンション)不足。
翻訳者があまりに語学家化しすぎていてハートがない。 なあにがハートだよ(笑
それにさ、「均衡(テンション)不足」ってどういう意味?
こいつ日本語知らねえの?(笑 語学コンプを刺激されないからじゃないの
旧訳は間違いの指摘もあらかた行われているから ボヴァリー夫人読んでるけど白井訳のほうがこなれてて読みやすいな
たまに変なところもあるけど。山田訳は散文的なんだけどそこが
ひっかかってちょっとイメージしにくい、どちらも一長一短だろうけど
>>物語の本筋とは関係ない風景描写とかが冗長だな。
・・・あのな。。。
風景描写はポイントだろ。。。 >>176
いや、感動したいならボヴァリーより感情教育 >>65
山田なんとかなんていう旧時代の化石よりもヌーヴォー・ロマンや数多(あまた)のテクスト理論を
通過した上でマラルメやらをやっている菅野昭正が訳したものの方が遥かに素晴らしいですけどね。>『ボヴァリー夫人』
『感情教育』ももっとましな新訳が慾しいなあ。
山田なんとかのは旧臭い。 『ボヴァリー夫人』の新訳がでないのは、蓮實の弟子筋の輩が御大に気を遣ってるから。
蓮實御大が亡くなった暁には、『星の王子さま』ばりに、大量の新訳『ボヴァリー夫人』が上梓されるよ。 今さら蓮實にフローベール本だされても蓮實ファンしか喜ばなさそう >>30
>フローベールは「バルザック以降最大の小説家」
どこに書いてたの?
エッセイ(?)のタイトルと収録された本を教えて下さい。 フローベールはユゴーのことを叩きまくっていたのか。
レ・ミゼラブルを酷評したのか。
まぁ、脱線大杉というのはわかるが。 そうか、内容もスタイルも、みんなエエんか、
ホンナラ、読まにゃイカンのう、だまされたつもりで、読んでみるワ。
ありがとヨ。 『ブヴァールとペキュシェ』のあらすじをウィキで読んで大笑いしたわ。
ドストエフスキーが「死んだチュッチェフがミゼラブルよりドストエフスキーの
ラスコーリニコフの方がずっと立派だと憤慨してましたよ」
と書いてる。ほぼ同時期だな。 小林がクロワッセの孤独、クロワッセの孤独って繰り返すから、
クロワッセとは如何なる人物かと思ったら自宅のことだった。 >>197-204
ベケットの不条理戯曲かおまいらわ 真面目な人間ほど怖いものはない。
臆病な世の中はみんな不真面目になる。
そうしたらどのみち自滅する。 世俗主義の宗教原理主義に対する臆病も似たような話だな。
スレチだから止める。 小説はボバリー氏が可愛い小娘に出会って、女房が都合良く
死ぬところまでさらっと読めるな。 サルトルの『家の馬鹿息子』の3巻目出たの最近なんだな。
昔、どっかの家の馬鹿息子が講釈してくれてな。
ドストエフスキーとか教えて貰った。 結婚式にまで付き合わされたけど、東大卒みたいなのが
次々と祝辞述べてなかったかな? ランボー読んだことないの? へえ可愛そうにとか言われて。
テンカン持ちだったな。 こないだNHKで四国の地元祭りの記念写真に写り込んでるのを
見たぞ。元気そうだった。 電子辞書で調べたら、『ボバリー夫人』ってなってた。
新聞で「レビストロース氏死去」を見たとき以来の衝撃。 『ボバリー夫人』でいいじゃん。
おまえはポルノヴィデオっていうのか?ビデオがふつうだろうが。
「レビストロース氏」なんてもっといいじゃん。
Levitiqueのことをレヴィ記というのかおまえは?ふつうレビ記だろうが。
くだらねえ衝撃に打たれて、もう起きてこんでいいよおまえは。 私は2ちゃんに書く時でもテラヴィジャン、ヴィディオウと表記してますが。 100年以上前の作家だが、現在読んでも上手いのがわかる。 「プヴァールとペキュシェ」は「中年オタク2人が巻き起こすドタバタ喜劇」みたいなキャッチ付けて古典新訳文庫とか出せばそこそこ売れそうな気がするんだがな
岩波は訳が読みにくいし全集は手に入りにくいから小倉孝誠先生に頑張って訳してもらって出して欲しい >>227
ハスミが褒めちぎったのが逆効果だったと思う 訳されたのが古いのばかりだから、敬遠されがちなんだわ。
フローベールこそ、新訳を出すべき作家である。 新潮文庫の生島訳のボヴァリー夫人を読んでいるのだが、全体的に読みづらい。
なんというか、常に違和感を覚えながら読んでる。
生島遼一は他の訳もおかしいの多すぎる。
まあ、下訳になかりの部分を任せていたそうだが。 下訳に任せていたら、普通はそんなに変なものにはなりません。
大先生が一人で頑張ると、変な訳になること多し。 「新潮」2014年1月号先行発表分を含む、序章
+全10章+終章からなる800頁を超える大著、
蓮實重彦「『ボヴァリー夫人』論」は筑摩書房
より2014年春刊行予定です。
ttps://twitter.com/Monthly_Shincho/status/406548441980866560 ハスミン、二段組にしてもう少しページ薄くしてよー
ごつい雰囲気いらないからソフトカバーで安くしてよー 生島訳は変だと思う
最後の解説も変だ
日本語なのにおかしく感じる >シャルルは切符を大切に握ったままズボンのポケットに入れ、そこに腹をぎゅっとおしつけていた。
意味不明なんだが。 生島は下訳に丸投げ
バルザックも訳していたんだが、他の人が訳したのを清書しただけ
その清書も怪しい 山田訳『感情教育』を読み始めたが、「金はないしするから」(26p)ってなんだ。 訳された回数は多いけど、古い訳が多いね。
読まれない原因でもある。
フローベールこそ新訳を出すべき作家なのだが。 そのまま読み進めてみたら、「家族は某大臣と知合いだしするから」(河出文庫上巻106p)とある。
どうやら「○○だったりするから」ぐらいの意味のようだ。が、「○○だしするから」なる表現は見たことも聞いたこともないな 方言? とりあえず誤植の可能性は限りなく無いに等しくなったようでよかった 山田爵って森鴎外の息子だし仏文業界の重鎮だったからか、
糞訳のくせに持ち上げる学者が多いと思った >>244
明治から昭和初期の日本の小説にはそういう表現がある。
今は廃れたが、かつてはよく使っていた。
まさに言葉は時代とともに移り変わっていくね。
平安時代の日本語もこの千年の間にかなり変わってきたからな。 今日、古本屋で村上菊一郎訳のボヴァリー夫人を100円で手に入れた
今まで聞いた事がない訳者だったので楽しみ
生島訳、伊吹訳は持ってた 『ボヴァリー夫人』中村光夫訳を持ってるんだが、読んだ人いる?
生島訳と山田訳も一応ある。どれがベストかな? Les manuscrits de Madame Bovary
http://www.bovary.fr/ 蓮實重彦のボヴァリー夫人論が6月25日に出る
装丁は地味だが850ページの文章の快楽に身をひたすために今から心の準備をしておこう ボヴァリー夫人って、そんな論じるような内容はないと思う。
そもそもフローベールの意図に反しているんじゃないか?