フローベール
「サラムボー」読了記念。
終盤の殺戮がすさまじかったな。
あと女主人公はせっかく素敵な恰好をしているのだから、
心身ともにぜひとも淫婦であって欲しかった。 フローベール好きのみなさん、明けましておめでとうございます
本年もよろしくお願いします。dat落ちしなければだけど・・・
フローベール全集の別巻、フローベール研究はかなり啓発されました。
http://booklog.jp/asin/B000JAXOFY
>>49
ボヴァリー夫人の論文は10個ほど載ってますよ あんまり若い時に読んだので新婚旅行の描写が納得できなかった記憶
普段あまり本を読んでないのですがいきなり感情教育を読むのは難しいでしょうか?
感情教育が読めないなら他の小説だってたぶん読めないよな 『ボヴァリー夫人』の翻訳は『集英社ギャラリー 世界の文学 フランスII』に入ってる
菅野昭正訳が一番良い。
集英社は即刻これを文庫化すべし。 >>62
筋はあまり面白くない。
エマを一歩下がってみているのでは、この女は性悪だ!としか思わない。
一番の楽しみ方はエマになることだ。
君が男なら、難しいけど。しかしフローベールを手に取るくらいだから
難しいことではない。なぜなら難しいことが出来ない人はフローベールではなく
風呂に入って漫画を読むだろう。これはギャグだけど。 でも作者は男だけどボヴァリー夫人は俺だ!って言ったんでしょ? ゴンクール兄弟はサランボーは期待外れだったといってるね >>62,66
いっちゃん憧れるものはある、でもその為に思い切った行動をする度胸も努力する気もない
なんとなくそれに似たものに寄り添ったり形だけ装ったりしてみるけど満足できない
それどころか分不相応な振る舞いに立場が危うくなるばかり
ああ、このままじゃ破滅するなー…とは思いながら打開しようのする気さえ起きない
すごく身につまされる話なんだけど。
そんな話を読んでいて面白いかというと疑問だけど。 『ボヴァリー夫人』
生島、山田、中村光夫訳と3種類持っている。
甲乙つけがたい。 あるよ。ルノワール、ヴィンセント・ミネリ、シャブロルとか。 ほう。未栄子は映画詳しいのか。ソクーロフも撮っていたはずだな。俺はそのあたりは疎いので教えてくれ。
『サランボー』20年前買ったきり読んでないが、
そろそろ読もうかな。 読売土曜日に隔週で佐川光晴が『ボヴァリー夫人』について書いてるね。 スポーツ速読あるで。
150km/hの速球もジャストミートや! 第二部の冒頭、フレデリックがパリに帰ってきた日、アルヌー夫人を探し回って右往左往する章が好きだな
爽やかげなムードから、ガラッと不気味で不条理な空気に変わるところが。周りの連中の、意味もなくよそよそしげな態度とか、カフカに影響あたえてるよね
カフカがフローベールを愛読していた、っていうのは
どこに書いてある? >>94
『フェリーツェへの手紙』の次のくだりが、一番端的かな。
「『感情教育』は長年の間、ぼくにとっては、二、三人もいないくらい近しい人間とおなじように
親しい間柄でした。いつ、どこでこの本を開こうと、はっとぼくを驚かせ、心を奪いました。
そうしていつもぼくは自分をこの作家の精神的な子供として感じました。」
カフカはフランス語でフローベールを読んでおり、フェリーツェにも薦めている。
フレデリックの最後の次々に女を振っていく様は煮え繰り返ったわ。
あとこの終盤辺りだけ急展しすぎじゃない? ダンブルーズ夫人振るとこ、珍しくかっこいいよねw 大人しく逆玉やってたらどうなったかも気になるが
二月革命のテンポにあわせてるんじゃね 久しぶりに『感情教育』を手に取って開いた・・・
やはりこの小説、よく出来ている・・・
終盤、アルヌーのために金策に走るフレデリック、
無残にも競売に掛けられたアルヌー夫人の私物が買い叩かれていくところ、
そして最後のアルヌー夫人との邂逅・・・!
ベタだが、この最後の邂逅の場面は涙なしには読めないんだなw 感動はするが、何処かうつろで現実感がないんだな
小説全体がリアルに複雑に書かれているだけに、フィクションっぽさが際立つ
じつは夢とか妄想の類だと解釈すると、相当悲しい話になるな
デローリエとの友情も回復せず、孤独に思い出を回顧しつつ生きてるとかだったりして 「感情教育」はフローベールの作品で最も一般受けする物なんだよね。
文学史で持ち上げられている「ボヴァリー夫人」の良さが得心できない人間にも、
「フローベールってやっぱり凄いよね」と口に出来る安心感を与えてくれる1冊。
そんな心地よい錯誤を抱いて入学してくる文学青年子女を「ゼロ」から叩き直すのが
自分の仕事のひとつと語った吉田城氏を、アルヌー夫人の名を聞くとふと思い出します。 叩き直す、か。
そもそも今フローベール読んでる高校生ってどれくらいいるんだろう。 俺は『三つの物語 Trois Contes』が好きだな。
フロベールの作品全部読んだわけじゃないけど。
まとまりの良いところに共感する。 ディケンズの大いなる遺産があまりに感情教育に似てるのでびびったw そんなに似てたっけ
田舎に幼なじみがいたのは被るが
エステラはアルヌー夫人とはちょっとキャラクター違うし 『感情教育』はアンチ・ユゴーの小説だと工藤庸子が言っていたけど、
そういう読み方でのハイライトはどこだろう? 主人公の間抜けな振るまいのすべて
登場人物に極端な善人も極端な悪人もいないこと
革命をしょうもない利己主義の産物として描いたところ
感情教育が当時の新聞記事や流行小説からの引用をつなげたパッチワークだって話は本当なのかな >>111
ある日本の文学者が「私はこれを20代半ばに読み、そのころには人間は(長いこと生きても)
それほど進歩しないものということが実感されてきたから主人公の遍歴には共感できた」みたいなこと書いてたな
>>111のいうことは3行目以外は納得できる 好みの問題と思う
岩波がとくに読みにくいわけでもないが、文学者はよく山田を推す
教え子に好かれる人物だったのかな、鹿島茂も山田の人柄について書いてるし 岩波のだろ?あれが読みづらいって
読解力ないんだな ボヴァリー夫人の表紙は新潮も河出も、地味な草花の絵が描いてあるけど、やっぱり散ってゆく運命みたいなものをイメージしてるのかな。個人的にあの小説は、もっと派手な原色のイメージなんだが
原書でベルトモリゾの自画像が表紙の版があって笑った。ダジャレかよっていう 読みづらいというかてにをはがおかしい
生島訳は全部そうなので薦めない 文庫で山田訳が買えるようになったんだ
山田で読んどけ 違うよ
てにをはがおかしいものを違和感なく読める(読んだつもりになれる)やつが国語力がないんだよ 山田のボヴァリーは読みやすかった。リズムや語感がいい
感情教育はどちらでもいい。もともとあの小説は筋がごちゃごちゃして読みにくいし >>126
他人の受け売りで言っているのでなければ、具体例を挙げて、
てにをはのおかしな箇所を指摘してもらいたいね。
『ボヴァリー夫人』『感情教育』とも生島訳で読み、
違和感がなかったので、そういう指摘は意外だ。 朝日新聞に出てましたけど、来年蓮實重彦が、フローベールにかんする評論を上梓するそうです。
めっちゃ楽しみ!
来年度最大の読書の楽しみが今から確定!
基本70過ぎたら学者といえどもかなりボケてるので期待しない 物語批判序説とデュ・カン論は、どっちもフローベール論が書けないから「迂回」してた本
今更すぎる
個人差はあるけど
70程度じゃボケてない人は多いと思うぞ。
ただし考えが凝り固まって柔軟性が全くない人は多いと思うが 源氏古書でフローベール全集のブヴァールの巻だけ買おうと見つけといたのが1週間前。
今チェックしたら売れてる・・・・まさか買えない羽目になるとは 翻訳ソフト使ったこと丸わかりの誤字脱字入り超訳でな! ブヴァールか。日本の古本屋で探した方がよいと思う。 「いつも私は目前のものを拒否したくなる。子どもを見ると、その子の老人になった時のことを考えてしまう。」
これって、どの作品の中に出てきた言葉だっけ?