【散歩】永井荷風【踊子】
散歩と踊り子が大好きな文豪、荷風のスレッドがないようなので、
立てました、荷風フアンの方どうぞ…。 小説は苦手だが、随筆はいいね。
岩波文庫の二巻の随筆集はありがたい。
なかでも日和下駄はいいね。 女子格闘技界で「マッチョ」と言えば なんといっても
中井りん だろう!* なにしろ 中井りん のボデーは ものスゴイ!☆
モコは 小学4年生の時に 同級生の男の子と一緒に 山に登った*
そこで 二人で一緒に 野グソをしたんだヨ☆
その子のウンコの匂いがプ〜ンと漂って来た時、
なんともいえない興奮をおぼえたんだヨ*
それが リピドーっていうか、性衝動だったんだネ☆
モコはリラポートで イケメンのウンコを食べれなくて すねていた*
でも どうしても 食いたかったというじゃないか(笑い)☆
まるで お母さんに カップヌードルを作ってもらえなかった
息子さんのように すねていた* 呆れたモコだ*
そんなにウンコが欲しいなら、最初に言ったらいいじゃないか(笑い)☆
モコは リラポート(温泉)で 大小便を漏らしました☆
モコの人生は 恥の多い人生でした* モコの人生は 寒い人生でした☆
モコの人生はウンコを顔にくっつけて歩いているような人生でした*
こんな人間、ほかに いないだろうネ☆
先日、アンチモコビルが完成した時、一派のメンバーからヤロウに、
新築祝いを送りたいとの申し出があった*
しかし モコ派の構成員は、「少しでも」と、真心で新築祝いを出した*
ところが、新築パーティが終わると ヤツがモコ本部に怒鳴り込んできて
「これっぽっちがお前たちの真心か!」
と 新築祝いが入った箱を投げつけてきたというんだ*
いいかげん、モコのオナラのガスも サウナ室に充満している*
モコ派内では モコへの不満が そうとう 充満している*
モコのところにも、そういう話が入ってくる☆
あのクソモコ野郎! * 妖怪ヤロウ!☆ 畜生め!*
モコは およそ人間のやることじゃない! * 鬼畜の所業だ! ☆
モコは、かんしゃくを起こすと、本当にすごい剣幕なんです☆
ああいうのを狂気の沙汰というんでしょうね*
モコは昨日 リラポートに行ったんですけど 休館日だったんですヨ☆
それで ハダカ同然のかっこうでガタガタと ふるえてました* アンチモコ派は もともとが、みんなキチガイだったのです!*
それなのに 今までは「モコ派撲滅」と言う名の 都合のいい大義名分で
まろやかなチョコクリームのように上手にコーティングしていただけなのです!
ホントは アンチモコ派のヤツらは みんな ただのキチガイなんです!☆
最近のアンチモコ派は そのキチガイ性をオープンにしてきたんです!*
だいたい どのテレビ局も 週刊誌も スポーツ新聞も 毎日 毎日、
ハナタレ少女のAKB48のケツやウンコばかり 追いかけ回して! *
異常なんだヨ! 少しは モコのケツを 追いかけ回してみろヨ! ☆
熟女 モコのケツに 本気で欲情してみろヨ!!☆ 逆ですよね!*
王道 常勝 真理の創価学会員のモコがテレビに出まくって
あの いかがわしい宗教をやってる人たちは カルト芸能人と呼ばれて
アングラのサブカル界を 徘徊すべきですよね! まったく 逆なんですよね!*
以前も話が出たが、あの極悪ペテン師のアンチモコ派のヤツ!* ☆
そう指摘する栄光ウンコ運営関係者もいるくらいだ(大笑い) (*)((φ))
恐喝、不倫、名誉毀損、プライバシー侵害 (*)((φ))
ヤツらは無数の市民の人権をデマの刃で引き裂き、踏みにじってきた*
自業自得とは、よく言ったものだ(*)((δ))
まったく何が「ワイは国士舘大学で柔道をやっていたんだヨ*」だ☆
モコ派は「大衆派閥」として誕生した派閥だ*
学歴が何だ* 何を恥じることがある* (*)((φ))
正々堂々と「小学校卒」と正直に言えばいいじゃないか*
それを、わざわざ詐称する。 ウソをつく。この卑しさ! *
「驚いた」のは、こっちのほうだ☆ 夏の女は ヤリたい盛りヨ☆(*)
モコはハダカのビーナス(*)原始の海の泡から誕生したビーナス(*)
でも 気のふれた熟女にしか見えない(*)((ξ))
漁村の老人たちは 影で白い目で見ている(*)((δ))
かまうもんか!(*)そんなの気にしてたら、ビーナスにはなれない(*)
そして モコのケツの穴からは ウンコがボトボトと垂れているではないか!*
そうです! モコは 踊りながら ウンコをしていたのです!☆
でも ヤるんだヨ!(*)そんなの気にしてたら、飛翔天女になんか なれない!☆ 小説 花瓶〔ハナイケ〕がいい。
それにしても、荷風が離縁に失敗した永井久光は、印税いくら稼いだか。
岩波の元社員教えてください。 以前、荷風台本・菅原明朗作曲のオペラ「葛飾情話」が市川で上演されたときに行った。
京成の駅のすぐ前に有名な大黒屋があったが、恐ろしく不味かった。 妾宅はいいね。
日本的デカダンスの極致だと思う。
荷風の日本美発見には西洋体験が大きく影響している。
鴎外、漱石、荷風の西洋体験の意味はそれぞれ面白い。 それぞれ「官許正攻法」「ぶつかって神経衰弱」「それなら斜に構えて」・・・
アプローチは違うがどれも真剣で、現代内向閉篭的若年諸君に最も欠けて居る所。
それにしても「鴎」の本字が化けてしまうワープロソフトだけは頂けません。
>>鴎・・・鷗⇒メールではやっぱり化ける。
「日本知力劣化」同感! デモでも組織しませうか? 西洋文明と真っ向からぶつかって行ったのは、荷風が最後かも知れない。
所詮「負け犬の遠吠え」「曳かれ者の小唄」かも知れないが、妾宅は徹底しているところが凄い。
ああいう世界を作るためには相当元手がかかっている。
また江戸文明がわずかながらも荷風の時代には残っていたのは荷風の幸せであった。
現代の我々はどこに妾宅を作ればいいのか。 ああ、「葛飾情話」が観たい。
でもNHKの「荷風再訪」でも菅原明朗の音楽の付いた全貌はわからないのだな。 >>19
おいでになりますか?
酒用意して待ってますよ(笑 「海洋の旅」が好きだ。何回読んでもうっとりする。
「新任知事」の冒頭も秀逸。 安岡章太郎先生の「私の濹東綺譚」はさすがだな。
実作者としての鋭い感覚、深い背景の理解など、大変参考になる。
未読の人にはお勧めする。 荷風は現実の世界をそのまま、異界に移し替えることができた。
その意味で鏡花と同じ路線上にいる。
悪いヤツらは これまで さんざん
「モコを殺せ! モコを殺せ!」と叫んで
情報操作をしてきました*
しかし!☆
正義のモコは 最後に 必ず、
勝つのです!☆
モコは悪には 負けません! *
モコの真実は やがて 明らかになります!☆
悪が栄えた ためしなし!*
そんなモコも…
今朝 海辺で 冷たくなって 死んでいた!☆
今朝、モコが 遺体で 見つかった…*
瓦礫の山に混じって
つめたくなって
死んでいた☆
信じられないけど
ボクらは その事実を うけとめなきゃ いけないんだヨ!*
これまで モコを応援してくれた みなさま*
ホントに ありがとう☆
でも もう イイんです*
モコは もう 本当に死んだほうが イイのかもしれません☆
モコは もう これ以上 生きてたって 意味が無いと思うんです*
みなさんも そう思いませんか?☆
みんなは なんだかんだと 難癖つけて モコを殺そうとしています*
だから、モコなんか もう しんぢゃえば イイんですヨ☆
モコは ドリーファンクジュニアのように「テキサスの風」になった!* 石原と荷風は郵船でつながっているだろう
てか、浄閑寺からたよりがあったぞ 荷風さんも、関東大震災、東京大空襲でのトラウマあったんだろうな。
あんな、金持ちでも同じなんだね 「踊子」は映画は今イチだった。
「渡り鳥いつ帰る」は面白い映画だ。
>「渡り鳥いつ帰る」
TSUTAYAでは借りれないのか? 荷風みたく、金と、学問があればまじで世の中面白いだろうな 本人そんな幸せそうじゃなかったけどな
偏屈になるのってたいてい人生に充足してない人だし 『?東綺譚』を読んだよ。
太宰の『女生徒』に小説の名前が出てたから読んでみたんだけど、すごく興味深かった。
エッセイと小説の中間のような作品で、頻繁に作者の顔が覗くのも面白かったし、作家としての荷風の姿が垣間見えたのもよかった。
そして荷風の生き方。
美しいものの中に暮らして醜いものを見つけるよりも、みすぼらしいものの中に光るものを見いだしたい。
お雪と手を切るという物寂しい締め括りも胸に染みたな。
勝手な男の話だよね
みすぼらしいものの中に美を見るといった陋巷趣味は梶井の檸檬の先駆といってもいいし
構成としてはメタフィクション的なとこもあるし、俺も好きだな 満ち潮に
乗りて吹きくる
春の風。
蘆のそよぎも恋の歌、
流るる水も恋ごころ。
おまいらの中で荷風散人を高校や中学のとき教わったか?おれは覚えがない
30代過ぎて、おもろいジーさん作家がいたと歌人だった母親が教えてくれた
ことがあって、たしか川本三郎だったか、かれの荷風と東京とか言う題の
本を読んで、あ〜、こりゃすげ〜やと思った。それ以来、図書館に通うたびに
荷風の研究本を借りているが、たしかに墨東綺譚や断腸亭日乗は面白いが、
やっぱ荷風を論じている本や、写真満載の本が一番面白い。 ↑
この人本当に30代過ぎなの?
中学生じゃなくて? 「狐」ってどこかの教科書に採用されたとは浄閑寺の荷風忌の講師から
聞いたような・・・ 耽美派の中に荷風の名前はあったが、とくに教科書の教材には採用されていない
とちゃうか? いまは知らんが 【散歩王に俺はなる!?】 日本初の「散歩」投稿サイト「おさんぽマイスター」がOPEN、そして散歩王(散歩マイスター)を決める「第1回マイスター認定」開催!http://sanpoway.com/
クロワッサン食いながらショコラ飲みたい
酒肆 太牙楼 登りたいw >>47〜49
劣等生は知らないだろうが、評論として、新帰朝者日記はよくとられていたよ。
現代国語の勉強もしつかりしておくべきものだな 最初の妻のヨネって離婚されたあとどうなったんだろう。
>>45
平成生まれだけど荷風は教科書には出てなかったな。
ただ便覧には載ってたし文学史で習う。
荷風が再発見した西船橋の葛羅の井に行ってきたけど、なんか住宅地の中の小さな祠みたいな感じだな
荷風が生きてた頃はもう少し自然豊かで風情あったんだろうな え〜っと、荷風先生のつけは、つけは・・・どこかいなっと 「あめりか物語」最初の3遍読みました
さて、どうしたらいいんでしょうか
この陳腐な物語が延々続くような気がするんですが
あと続けて読む価値あるでしょうか。 戦後のラジオ対談番組の録音を持っているけど、
70歳を超えた荷風先生の声は若々しく、何より日本語に気品と味がある。
楽しそうに昔語りをしているこの録音は何回聴いても飽きない。
>>58
折角読み始めたんだから最後まで読みましょう。
俺は「ふらんす物語」の冒頭が好きです。宿屋のおかみが
花をくれる場面が感動的。
小説は「新任知事」の冒頭が映画のシーンを見るようで
美しいです。 おかめ笹が大好きです。滑稽小説とご本人は言っておりますが。
荷風散人はおぼっちゃまなのに貧乏人の生活の描写がリアルで
すごいと思います。
女性蔑視とも言われていますが、よるべなき女性が最後にふわっと
救われるような小説の終わり方が多いので、心の底では悲しい境遇の女性に
同情的な人であったような気がします。 女性を小説の単なる美しい飾りの
ように扱わないところが好きです。 「ほら、あれが、荷風さんだよ、よ〜く、見て覚えときなさい」
と、浅草で、すれ違った荷風散人を指差して息子に教えていた、母親
小沢昭一サンも、浅草の喫茶店でお見かけしたそうなw >>65
そう、女にあたたかい共感を寄せています
断腸亭日乗でいえば
昭和三年二月五日:お歌
『まだ二十を二 ツ三ツ越したる若き身にてありながら、年五十になりてしかも平生病み勝ちなる
余をたよりになし、更に悲しむ様子もなくいつも機嫌よく笑ふて日を送れり』
昭和三年五月六日:小久
『いつぞや二七不動尊境内の稲荷に願懸をなし折鶴千羽奉納せし時のことを語る、初五百ほど
わけなく折りしが残り五百一夜の中に折りつゞけし時両手もつかれ果て眼は泣張らしたるやうになりしと、』
などがいいだなあ
みなさんが断腸亭日乗で好きなところは?
昭和二十二年五月初三
「雨。米人の作りし日本新憲法今日より実施の由。笑ふべし」 荷風って、普通に英語とフランス語読めて、話せたんだってね。帰国しても。
やっぱ、天才なんですな そんなことで天才というなら世間は天才だらけになっちゃうよ。 荷風の日記に、二村定一やエノケンってでてくるのかい? 明治の文豪の中で珍しく海外、それもおフランスに留学し、おフランス語が喋れた荷風に対して、
英訳洋書でしか読めず留学体験もない作家たちは嫉妬したのではないか、と言われているがどうだろうか。 >>71
をを! 二村定一・・・
「アラビアの唄」「青空」「ミミの歌」「モン・パパ」
わたくし音盤を所有してをります 小沢昭一と、二村定一、そして永井荷風・・・う〜ん。なんか
共通するところあるよね〜w >>72
石川啄木が嫉妬丸出しの文章を書いてるよね。
二村定一って古いなあ。たしか「べーちゃん」だったよね。 >>71
日記(断腸亭日乗)に出てくるエノケンに関する記述は
昭和9年9月9日
昭和13年8月7日
昭和14年1月29日
昭和18年1月1日、8月13日
昭和19年10月9日
二村定一に関する記述は無し。 やっぱ、帰国子女・・・原曲を彼の地で聴いているからかな おフランスのリヨンにある、東京銀行の前身の横浜商工金だったかな・・
と〜ちゃんの、後光で赴任だな 歌劇「葛飾情話」
音源でも演奏でも聴いた人いる?どんな内容だったの? 日和下駄の解説本を読んでいる・・・今の東京との比較がおもろいな >>72
荷風は教養人ってだけ。
作家としては三流。
コンプとかあろうはずがない。 たとえ、ビッグで6億当てても、荷風のような生活は送れないだろう 金利で生活できて、江戸文学、英語、フランス語の小説がすらすら読めて、
文語調で翻訳できても、まだ足りないだろうな。 あれほどラジオ嫌いだった荷風センセ、戦後はちゃっかりラジオの
対談番組に出てる。70歳を超えた老人にしては若々しい声で、本当に
楽しそうに話している。言葉の美しさはたしかにピカイチだ。 墨東綺譚を書いた頃の荷風はおそらく相当、神経的に病んでいたろう。
だからこその、冒頭でのラジオ、映画、浪花節などへの中傷と見る。
荷風にとっての娼婦は癒しの効用を持っていたんだな。
中年以降の男が娼婦に癒しを求めるのもキモイがw >>93
おまえの下らないコメントもそうとうキモイよ。まじで。 義理の息子さん、今年亡くなったんだよな・・・
荷風と暮らしたのはあまり良い思い出じゃあ無かったとか。
今日はお盆だし、合掌。 無くなったのか
じゃあついに荷風晩年のエロ小説全面解禁来る? >中年以降の男が娼婦に癒しを求めるのもキモイがw
普通だろう
>97
永井久光さん、亡くなったのか。合掌
時折、拾い読みしてるんだが、文学板で俺以外に荷風を読める奴は
いないはずw たぶん一生懸命辞書引きながらやっとポツポツ拾い読みしている。
こんな難しいのだれも読めっこないよなあ・・・とか思ってるんだろう。 ニフウさんの文体でレス書いたら読みこなしたってことでよござんしょ。 永井荷風って難しいところあるの? とてもビジュアル的な描写だし
観念的なことをぐだぐだ書かず、文語的簡潔な文体で的確に冴えた批評眼を用いるだけ。
皮肉な文脈も当代一流の巧さでつい可笑しくなる。小林秀雄の皮肉よりずっと直截。
非常に読みやすい、わかりやすい、しかし上質できっぱりとした作風の作家だと思うが。 そのとおりだと思う。
キリスト教を皮肉る文章には笑った。 関東大震災の時 東日本大震災の時の石原慎太郎と同じこと言ってたんだねー・ >>107
みんなそう思うだろう・・・人心乱れて・・・いまの詐欺集団民主党には
ぴったりだよw 荷風をお慕いしておる、小沢昭一さん・・・体調不良らしいね 青年時代、「珊瑚集」のなかの「仇敵」を愛唱していました。
わが青春は唯其処此処に照る日の光漏れ落ちし
暴風雨の闇に過ぎざりき
鳴る雷のすさまじさ降る雨のはげしさに
わが庭に落残る紅の果実とても稀なりき >>65同。
金持ちのお似合いドラ夫婦。妻蝶子⇒自分の着物をたたみもせず、
黒い顔に白粉ばかり塗りつけて、小説本ばかり読もうとしている…
って予言者!今だったらこういう女性、あ〜いるよね、だけど。
夫翰⇒昔も今も変わらずいるドラ息子。 荷風以外の作家で、濹東綺譚や断腸亭日乗に近い質感の随筆を教えろください
やっぱ陰翳礼讃とか? 荷風って、やっぱ彼の履歴や、踏み込んだ世界・・・一種他の作家とは
かなり違っているね〜どうよ >>112
むしろ、江戸時代から探せば良いじゃないか。 >>112
荷風の師匠のようなひと。成島柳北じゃだめか?
しかし、きょうびの秋の紅葉荷風散人ならなんというか・・・ 荷風さん大好きな、小沢正一さんが旅立たれましたよ・・・浅草で、
荷風さんをお見かけしたそうです >>112
柴田宵曲が中々良い。
荷風が誉めた森銑三はどうかね?
俺は読んでないが。 荷風好きの人って趣味人を目指しちゃって苛烈な批判精神は受け継がないから全く毒にも薬にもならないつまらない退屈な存在になっちゃうよね。 「性同一障害者」がいるように、「国同一性障害者」がいる。荷風の悲劇はフランス人に生まれなかったこと。
荷風の文学はそのねじれより生まれている。 >>121
つまり、チョンや支那人が、やたら反日を煽りながら、キッパリと日本で
働いていることかw 荷風が当時のフランスに憧れていたのはフランスが負け犬の国だからだよ
荷風自身虚弱体質で当時の社会から求められる人間では無かったし彼自身敗残者であることは認めたく無かったから文化国家であろうとしたフランスに行くことになる 若いとき体が弱かったため、長じて工業社会的競争に馴染めなかった
のではないか。(文学で世に出て所詮競争には晒されるが)
荷風の言葉に「懈婦もカミさんになると悍婦になる」というのがある。
癒しのための家の中で悍婦と争うのは苦痛だよね。若いとき荷風を読ん
でおけばよかったと思わぬわけでもない。 傲慢千万な男で『物』として扱える人間としか付き合えなかったんだな
三島由紀夫の受け売りだけど
しかしそういうエピソードには事欠かないよな 今ならそう捉えられてもしかたがないが当時は人の命は物や領土より価値が低かったからな 付き合いうんぬんに関しては作品を読めば理由が書いてある 『梅雨晴』は44才になった荷風が亡くなった、少年の頃からの親友達を
懐かしむ随筆だが、作者の優しくて無邪気な人柄が現れているように思えて、たちまち荷風を
好きになる人も多いかもな。題名からして青空文庫向きだしw 荷風が生きてたら秋葉原のAKB劇場の楽屋に上手いこと入り込み入り浸りになってただろう 最新風俗のストリップの楽屋に入り浸る老作家って当時は相当世間には奇異に見えただろうねぇ。 下田とは、家柄も蓄財も、素養も全然荷風方が上だろう たまたまこのスレ見つけてきになったから濹東綺譚借りてきてしまった
ふらんす物語も気になったが他にも借りてるのあるし体調崩してるからまた今度 維新の橋下さんの発言がマスコミにボロクソ叩かれてるけど
おまえら墨東綺譚読んだことあるんかいと言いたい 荷風の新たな研究本が出たね・・・読売新聞の日曜版にでていたが・・スマン
切り抜くの忘れて、筆者と、出版社がわからん。教えてくんなませ! >>146
ttp://www.yomiuri.co.jp/book/review/20130611-OYT8T01039.htm 1878 有島武郎 寺田寅彦 吉田茂 スターリン
1879 永井荷風 大正天皇
1880 米内光政 永野修身
1881 森田草平 ピカソ
1882 ジョイス ストラビンスキー ルーズベルト
1883 志賀直哉 カフカ シャネル
1884 小宮豊隆 東條英機 山本五十六
1885 武者小路実篤 大杉栄
1886 谷崎潤一郎 萩原朔太郎
1887 折口信夫 荒畑寒村 デュシャン エリオット
1888 九鬼周造
1889 和辻哲郎 石原完爾 木戸幸一 ヒトラー ハイデッガー ヴィトゲンシュタイン コクトー チャップリン
1890
1891 近衛文麿
1892 芥川龍之介 佐藤春夫 堀口大學
1893
1894 福本和夫 1879 永井荷風 ・・・・
1883 ・・・・ カフカ ・・・・
いや〜、おもしろい年表をありがたう 大正文士と漱石の弟子と第二次大戦の指導者って同世代なんだよなあ シェークスピアとセルバンテスは同じ年に死んだとか、おいらのスペイン語
文法書にでていたが・・・確認はしておらん 1867 夏目漱石 正岡子規 幸田露伴 南方熊楠 大石誠之助
1868 北村透谷 尾崎紅葉 徳富廬花 横山大観 鈴木貫太郎 岡田啓介 ゴーリキー
1869 ジッド マティス
1870 西田幾多郎 鈴木大拙 浜口雄幸 レーニン
1871 幸徳秋水 堺利彦 ヴァレリー プルースト
1872 樋口一葉 島崎藤村 田山花袋 徳田秋声 モンドリアン
1873 泉鏡花 岩野泡鳴 与謝野鉄幹 美濃部達吉
1874 高浜虚子 ホフマンスタール シェーンベルク
1875 柳田國男 リルケ マン グリフィス
1876
1877 ヘッセ
1878 有島武郎 寺田寅彦 与謝野晶子 吉田茂 スターリン マレーヴィチ
1879 永井荷風 寺内寿一 正宗白鳥 大正天皇 アインシュタイン トロツキー クレー
1880 米内光政 永野修身 ムージル チャンドラー
1881 ピカソ 魯迅
1882 斎藤茂吉 ジョイス ウルフ ストラビンスキー ルーズベルト
1883 志賀直哉 高村光太郎 北一輝 カフカ シャネル ケインズ ヴェーベルン ムッソリーニ
1884 小宮豊隆 東條英機 山本五十六
1885 武者小路実篤 大杉栄 パウンド ロレンス ベルク
1886 谷崎潤一郎 石川啄木 萩原朔太郎 藤田嗣治 ブロッホ 1887 折口信夫 荒畑寒村 阿南惟幾 エリオット デュシャン ル・コルビュジエ 蒋介石
1888 九鬼周造 菊池寛 梅原龍三郎 デ・キリコ
1889 和辻哲郎 内田百間 石原完爾 木戸幸一 井上成美 ヒトラー ハイデッガー ウィトゲンシュタイン コクトー チャップリン
1890 ラング ドゴール
1891 岸田劉生 近衛文麿 ミラー ブルガーコフ グラムシ エルンスト
1892 芥川龍之介 佐藤春夫 堀口大學 ベンヤミン ルビッチ フランコ
1893 毛沢東 マヤコフスキー
1894 福本和夫 徳田球一 西脇順三郎 セリーヌ フォード ルノワール
1895 バフチン ユンガー キートン
1896 宮沢賢治 林達夫 岸信介 ブルトン アルトー フィッツジェラルド ホークス
1897 三木清 宇野弘蔵 フォークナー バタイユ ゲッペルス
1898 横光利一 溝口健二 ブレヒト エイゼンシュタイン マグリット 周恩来
1899 川端康成 石川淳 島田清次郎 ボルヘス ナボコフ ヘミングウェイ ヒッチコック
1900 戸坂潤 中井正一 稲垣足穂 ブニュエル 1901 昭和天皇 青山二郎 佐藤栄作 ラカン ジャコメッティ ディズニー ディートリッヒ
1902 小林秀雄 中野重治 蔵原惟人 河上徹太郎 白洲次郎 辻政信
1903 小林多喜二 小津安二郎 瀧口修造 アドルノ ノイマン ロスコ
1904 蓮田善明 ゴンブロヴィッチ ダリ デ・クーニング
1905 成瀬巳喜男 磯部浅一 安藤輝三 福田赳夫 サルトル クロソウスキー カネッティ ニューマン ショスタコーヴィッチ
1906 坂口安吾 朝永振一郎 ベケット レヴィナス ゲーデル ロッセリーニ
1907 中原中也 平野謙 亀井勝一郎 湯川秀樹 三木武夫 アーレント ブランショ オーデン シャール
1908 宮本顕治 ボーヴォワール メルロ=ポンティ レヴィ=ストロース クワイン バルテュス メシアン カラヤン
1909 太宰治 大岡昇平 花田清輝 埴谷雄高 淀川長治 ベーコン グリンバーグ
1910 保田與重郎 黒澤明 白洲正子 竹内好 久野収 大平正芳 ジュネ
1911 中村光夫 椎名麟三 岡本太郎
1912 武田泰淳 吉田健一 ダレル ポロック ケージ
1913 織田作之助 吉田秀和 丹下健三 カミュ シモン >>152-154
こんなふうに大きい紙に図や表にして、腕組んで眺めるのは楽しいですね
『濹東綺譚』と『旅愁』は同時期の新聞小説だが ふたりの作者は20歳も離れていたのか 1914 丸山真男 井筒俊彦 バロウズ デュラス
1915 野間宏 小島信夫 梅崎春生 バルト
1917 島尾敏雄 ケネディ
1918 中村真一郎 福永武彦 田中角栄 中曽根康弘 アルチュセール バーンスタイン
1919 大西巨人 加藤周一 吉岡実 ド・マン
1920 安岡章太郎 鮎川信夫 川上哲治 ツェラン アシモフ ブラッドベリ フェリーニ
1921 庄野潤三 大森荘蔵
1922 鶴見俊輔 水木しげる ロブ=グリエ ケルアック クセナキス
1923 遠藤周作
1924 吉本隆明 安部公房 吉行淳之介 力道山 竹下登 カポーティ ノーノ
1925 三島由紀夫 野中広務 渡邊恒雄 ドゥルーズ ラウシェンバーグ ブーレーズ サッチャー マルコムX
1926 フーコー ギンズバーグ ビュトール ベジャール エリザベス女王 カストロ
1927 黒田寛一 グラス
1928 手塚治虫 今井俊満 澁澤龍彦 森毅 ウォーホル ジャッド ガルシア=マルケス ディック シュトックハウゼン チェゲバラ
1929 草間彌生 アラファト
1930 武満徹 デリダ ゴダール イーストウッド ガタリ バース ジョーンズ
1931 山口昌男 磯崎新 谷川俊太郎 入沢康夫 バーセルミ ゴルバチョフ いやー面白いね。
荷風たちが日本版自然主義やってた時西欧の同世代は20世紀モダニズムの担い手になるというズレね。 >>157
それがそんなに面白いかね?
そのレベルの粗い図式でものごとを見ても一つも面白くないだろうに。
まあ、ここまで大雑把な思考回路だとしょうがないのかもなあ。 >>158
Vous avez raison, je suis d'accord avec vous. >>158
まあそこまで言わんでも。 ゴシップ的に見て楽しめるじゃない
労を多とス と言ってるんだよ157は 荷風より30歳くらい下の中村光夫あたりの世代には荷風は古風なエロ作家ってイメージだったみたいだね。 >>161
根拠は?
中村ひとりが、何かの機会に一度そう言ったとか書いたとかいう話じゃねえだろうな。 >>161
そのような発言してる
「(濹東綺譚によって)それまでは荷風をやや古風なエロ小説作家ぐらいにしか思っていなかった
知識階級が、彼を反俗の英雄と見るようになったのは、この小説がきっかけです」
ー中村光夫『今はむかし』 >>166
具体的にはどんなところ? マジだったら、図書館のリクエストやめて、買うw >>167
買ったらええやん、と思って調べてみたら結構お高いのね 中村光夫が三島由紀夫に舐められてたことは事実だな。
たいした人じゃないよ。 歌さんは写真見る限りではかなり綺麗だよな。説明だとそんなでもないけど。 大学の国語で、震災か戦災かで荷風が家から避難して、
振り返ると家の辺りから凄い火の粉が上がり、
これ何々閣万巻の書籍が燃え落ちたならん。
とがいう下りを憶えているんだけど、断腸亭を読むと、
結局親父の家も本も売って築地に移っちゃうんだよね。断腸亭日乗も
戦前で終わってるし。
結局あのくだりは震災なのか、だとするとどの本に震災のくだり
が書かれているのか、おしえてください。 御免、ググってみた。その後偏奇館って所に移ってまた執筆資料を積み上げるんだね。しかも断腸亭日乗はまだ書き続けているし。俺のKindleの青空文庫版断腸亭日乗は尻切れとんぼだ。 >>173
今、その日(昭和20年3月9日)の断腸亭日乗を展示してるよ
見て来た。 ーー於市川文学ミュージアム 父の旧宅と書籍道具類を処分した時、その前に床下に母が隠していた
父の上海からの道具類はどうしたんだろ。
これも金に替えたのかな。 >>177
俺も先日行ったけど、
葬式の映像や盗撮されてる写真とかあってビックリしたわ 荷風の病気って何だったの?
休学して学業から離れるきっかけとなり、
老年まで彼を悩ました宿痾とは?
ウィキペの記事には「病気」としかかいてないんだよ、けしからん。
今、「永井荷風はこれだけ読め!」って選集を買って日乗の続きを読んでる。 荷風の親って郵船だろう・・・郵船の会社の子供って結構優秀なのも多いよな。
こないだ、ど忘れしたが、アイドルの女の子も親が郵船とかいってたな 戦間期にロシア舞踊の興行をみて、
ロシア料理店に行ったら舞踏の一行が来ていて、
言葉の通じないのを残念がっていたが、
中に貴族崩れが一人でもいたら
フランス語で会話ができたんじゃないのかな。 >>173 〜 >>176
ちょっと時系列が混乱している。
大正9年に築地から麻布の洋館、偏奇館に移転。
「すべて洋風に生活致したく・・・」の記載あり
(実際に毎朝必ず「ショコラ」(ホットココア)を飲むのが習慣)
関東大震災では無事。
東京大空襲で偏奇館が焼失
友人の作曲家・菅原明朗とソプラノの永井智子(事実婚)のアパルトマンに
転がり込むが、菅原邸も直後に空襲で焼失
菅原の故郷である瀬戸内に疎開し、岡山で終戦
「必ず3人一緒に東京に戻ろう」と言っていたのに、
村田武雄(音楽評論家)から1枚余分に切符が手に入ったと知らされ、
一人だけ勝手に帰ったので、菅原とは数年間気まずくなる。
最初は親戚の清元の家元の家に住むが、ここでもケンカ。
結局、借家→持家(共に市川市)に一人で済むことになる。 本当に身体で理解するためには、やはりワーグナーとドビュッシーを聴き込まなければ。 ふらんす物語は持っているが歓楽は全集じゃないと読めないのかな 荷風で注目すべき点は、父親と祖父が文学的な人物だったということだな。
父親はよく知られた漢詩人の一人で、後半生は日本郵船の横浜支店長、上海支店長を歴任した人だ。
その意味で当時の財界・実業界の有力な人物の一人でもあったわけだ。
母親は鷲津毅堂という江戸時代末期のたいへんよく知られた詩人の娘で、
祖父と父親が、かなり知られた漢詩人だったということになる。
親父が偉いと息子はぐれるではないが、父親に対して自分自身の個性を対立させようとするには
経済力では問題にならないし、漢詩で競争してもかなわない。
そうなると、父親や祖父と違うということをいうためには、何か彼らのやらなかったことをやらなきゃならない。
それは社会の表だった芸では難しいので、荷風は若い時に落語家に弟子入りして、高座に上がったりなんかした。
それは荷風のその後の生涯に強い影響を持ったと思うな。 ほんま、血筋がちがうな・・・高見恭子は荷風の姪にあたるのかな?
三島由紀夫もなんか血筋らしいね 著作権切れたのに吉川英治とかみたいに文庫でどんどん出してくれ
文庫本の断腸亭片手に浅草や永代橋を歩いてみたい
岩波じゃなくていいから摘録じゃなくて完全版で 小説永井荷風
小島 政二郎 著
「荷風は大事な一生を誤った」
封印されていた評伝、ついに文庫化。
荷風を熱愛し、「十のうち九までは礼讃の誠を連ねた中に、ホンの一つ」批判を加えたことで終生の恨みをかってしまった作家の傑作評伝。
ちくま文庫定価:1,155円(税込)
刊行日: 2013/11/06 荷風の若い時から死ぬまで、一貫したところの個人主義的な態度に共感するわ。 岩波文庫あたりは粉飾があるので
古い古書を求めることにした 荷風の文章というのは、晩年の鴎外以後の、漢文の読み下し系統の、
それに日本語が加わって日本風にされた文章の名手というか、
最高の水準に達していると思うので、鴎外以後、その系統の近代日本語の
散文としては、荷風ということになると思う。
そういう文体を作りだしたというか、そういう文体が荷風の文学の魅力になっている。
これは小説でよりも、むしろエッセイ・随筆に強くあらわれていると思う。
たとえば鴎外の直接の影響というのは、晩年いくらか後になってからの荷風の文章には、
自分の事を「わたくし」と表現する。
この「わたくし」というのは鴎外のクセというか、後期の鴎外の文章の特徴の一つだと思う。 2ちゃんねるにきているのは
頭が悪いけれど知ったかしたい並み以下の負け組でしかない 読む奴がいないということはうれしいことでもある
おれだけ読んでればいい 岩波文庫のふらんす物語よんだら
本当の荷風はわからないな 「フランス物語」はフランスについて我々に教えるものは何も持っていないと思う。
フランスに関する情報を提供するという意味では傑作でもなんでもないし、
社会文学、あるいは芸術の分析という点でもたいしたものではないと思う。 ランボーのsensationを「そぞろあるき」と訳すセンスが荷風先生らしい 荷風のポルノはさすが当時の警察に目をつけられただけある >>190
これ面白かった。
一つ批判したことって何だったのか書いてなかったけど。 十中八九批判ばかりで、完膚なきまでに荷風の虚飾をはぎとり、人間性を白日の下に曝した書。
荷風フアン必読の小説。 賛否半々って感じだったけどな。
3割荷風伝、2割自伝、後の半分が賛否半々の荷風論。 小島の心理を考えるならば、愛情は憎しみに変わるということかな。
荷風論はよく知らないが、荷風文学の美点と欠点もよくついているのではないか。
今は抽象的な文学論ばかり横行して、こういう人物論と文学論が一体化したような
作品はたえてないな。まあ前提の文壇がなくなったからな。 荷風の小説はかなりマニアックだよな
これてもかこれでもかと底辺の女たちを描いている >>217
けど肝心な所で逃げてるんじゃないのかってのが>>190の小島の意見。
?東綺譚にしてもいい余韻で終わっているけど、それでいいのかと追求してる。 もうその肝心なとこに警察が目を光らせていたわけだからね当時は
濁りそめなんかいい例だよ 安岡章太郎や川本三郎なんかもそういうこと言ってるね。
ただ小島の言っているのは表現の自由の問題じゃなくて、
人と深く関わらない荷風のパーソナリティが
小説に深みを与えるのを難しくしてるんじゃないかということ。
小説家ではなくて物語作家だという言い方をしている。
もちろん小島より荷風の方が圧倒的に小説家としての才能があるけども、
小島は荷風の才能を漱石、鴎外、芥川、川端を越えうると評価し、
それにしては才能を十分に開花できてないのではないかという見方をしている。 よく考えずに全集版断腸亭日乗の一巻と二巻を買った
漢字がむづかしくてまともに読めぬ
正字正仮名なのは分かってたがここまで読めぬとは…
情けないことこのうえなし 忘れられた作家だよね荷風は
新潮文庫で一冊、岩波文庫で四、五冊
荷風賞なんてのもないからね IPhoneに大辞林と旺文社漢字典を入れて
なんとか断腸亭日乗を読む
手書き入力できる漢字典がすこぶる便利だ
実物の漢和辞書よりかなり速く引ける こんなに熱心に読んでくれる読者がいるとは荷風も
あの世で涙を流して喜んでるよw 佃煮ひとつとってみても日本人の俗悪性を剔抉せずにはいられない荷風散人であった。
没後公開を前提としているとはいえ、日々の記録にあそこまで容赦ない
時代批判を書き連ねるのはちょっと意地が悪いような気が。 遺産や円本で金があったから、自由に批判できる立場を確保できた。
つまり万年野党と同じだ。
偏奇館は焼けたが、隣組から開放されてせいせいしたことだろう。 小学校の若い女教師が強姦される場面には唸った。
あれだけの描写が出来たら森鴎外から声のひとつもかけられると
いうもの。 >>233
「地獄の花」(明治35年)
荷風23歳の作品で、これが森鴎外の目に止まったそうです。 おい、永井荷風がラジオで喋るぞ!
NHK第二
いま谷崎潤一郎が喋ってる、その後に荷風が 荷風聴いてる
いい声だな、70過ぎの声らしいけど若い
歯切れもいいし滑舌も 江戸っ子だわ
映画監督やりたいってさ 新年あけましておめでとうございます。
ラジオのがした・・・ 何年か前、これ聴きたくて放送センターまで行ったなあ 荷風の肉声は、岩波の全集で聞けるようになった。
去年か一昨年に追加された、補巻に付いているCDで。
図書館で借りられるやろ。 >>242
岩波の全集によると、聞き手は嶋中鵬二氏になってるけど、
先日の放送では別人の名前だった。 芝居を「しばや」と言ってるね
むかしそういう老人がよくいた
カッフェの食べもンのはなしも面白かった 大学時代に仲よくなった東京出身の人が「どうする?」を
「どうするい」というのを聞いて、なんかうれしくなったのを
覚えている。 ふらんす物語ではあれだけ日本には帰りたくない、日本は嫌だって言ってたのに
江戸芸術論では文明開化で日本の芸術が滅びていくと嘆いていて面白い 朝鮮研究の古田博司が
何故韓国(と中国)には永井荷風が生まれなかったのだろう?と疑問を呈していたが、
どうしてなんだろうね 俗物荷風 政府政治家を批判しながら、糞役人の選考する
文化勲章を喜んで「拝受」 金に汚い偏奇館主人は文化功労年金が
欲しかったのだろう 断腸亭日乗の関係した女をならべた下りではたと合点。
この程度の奴が文学を云々していた大正昭和の文芸界の下劣さw 断腸亭日乗の関係した女をならべた下りではたと合点。
この程度の奴が文学を云々していた大正昭和の文芸界の下劣さw 紅旗兵(旗本)の末裔で生粋の老北京人(北京っ子)である老舎は
中国のディケンズとまで言われたのだけど、
荷風のように花街の人間に反権力の志を仮託するようなことはしない。
日本は初期民権運動で博徒が花柳界と組んだので力があるように錯覚されるだけで、
一般に花街の人間は権力に組み敷かれるだけの立場に過ぎない。 荷風は文学の本質から逃げを打った人生を終わっただけ ちょっと珍しい題材を得てそれのみで一生をおわった。鴎外先生
の気紛れのおかげで文名を得た。てなとこかな。 初期の題材は家庭環境から得た職によるものだけど、
晩年の題材は自らの足で探したものと評価できる。 荷風からsexと食い物と乗り物を除いたらなにが残る? 文化勲章受章者、文化功労者、芸術院会員、
文化功労年金、芸術院会員報酬。
貧しい文士だとよ。 描写がすべてなんだからそれでいいんです小説は>>259 俗物荷風 政府政治家を批判しながら、糞役人の選考する
文化勲章を喜んで「拝受」 金に汚い偏奇館主人は文化功労年金が
欲しかったのだろう
文化勲章受章者、文化功労者、芸術院会員、
文化功労年金、芸術院会員報酬。
貧しい文士だとよ。 >>259
口の臭いじじい
でも作品は好きさ☆
「葛飾情話」どっかで上演してくれないか 偏奇館は一見化物屋敷の如く荒れ、ガラスを通して見ゆるカーテンもボロボロになつてゐ、人が住んでゐるとは見えず、門の呼鈴の破壊せるものを
押してみたれども応答なし、瓦を飛び飛びに敷きたるを踏んで勝手口に至りガラス障子を開けば荷風先生台所に腰かけて食事中なり
谷崎潤一郎『疎開日記』 永井荷風と志賀直哉はともに超過大評価された文豪だろが。
異論は認めない! 荷風は日記文学の世界では押しも押されぬ大家ですよ。
下手すりゃ100年以上残る。 >>267
きわめて几帳面で清潔な上流階級のひと。
>>266
疎開日記からだぞ! >>271
>きわめて几帳面で清潔な上流階級のひと。
嘘つけw こういう生活は、もし彼が貧乏で必要にせまられておくっているのだったら、惨めないたましい感じをあたえたでしょうが、
これがまったく金持ちの酔興である点に、少なくとも世間の常識からは、そう思うほかないところに、ある救いと愛敬がありました。
しかし、こういう乞食の住居のような部屋に着古しの背広で坐っていても、長身の荷風の姿勢には、どことなく優雅なところがありました。
ことに上半身をやや反らして、片手で髪をなであげる動作をするときなど、驚くほど若々しく見えました。
中村光夫「人と文学」 お父上は明らかに薩長藩閥の側、一番尊敬する森先生は長州の足軽のブレーンなのに自分の出自について太宰みたいにちっとも悩まないところが荷風の素晴らしいところ。 年齢もあって共産党麻疹にかかってない。
「申訳」みたいなの書いているくらいで。 >>271
まて、「マンドクセ」と家の庭に立ちションする人だぞ! >>254
そら確信犯。
荷風の戯曲を観てみたい。 >>269 :吾輩は名無しである:2014/09/14(日) 15:19:40.03 荷風は日記文学の世界では押しも押されぬ大家ですよ。
下手すりゃ100年以上残る。
おまいさん、一葉の日記よんでから言いねえ。 >>269
つ「押しも押されもせぬ」
一応文学板だからさ >>280春水全然おもしろくないね。 ワ印読まずに江戸を語れるか。 >>280
必読だとおもふ ほかに岡鬼太郎も準必読
>>281
わたしシロートだけど、春水の 春色梅暦と春暁八幡かねを版本で讀んだ(十年かけて)
おもしろかった ここまで腕くらべなし
荷風=日記文学と思ってる連中には受け入れられんのだろうが個人的にはあれこそ傑作だと思うんだが 荷風さん震災以後は江戸趣味も諦めて「最新流行」の風俗の観察に専念した感じですね。 「洒落本大成と名作歌舞伎全集」荷風さんとどういふ関係あります? 荷風好きでもそこまでディープに江戸文芸にハマる人は少ないんじゃないか。
漢学や漢詩文にハマる人はさらに少ないと思われる。 ハマル必要はないかもしれないが、荷風をよむためには、いわゆる和漢洋の
素養はあるほうが望ましいのではなかろうか。英仏語、日本古典文学、漢文……
これだけの素養は今の学校教育ではとても無理。荷風が読まれない原因だろう。
読みたくても読めないのだ。もちろん全部できなくても読める範囲で読めばいいのだけれどもね。
かくいう己は、英語は人並みに辞書を引けば頭と尻尾の区別くらいはできるが、他はからきし駄目。
荷風の日記文学を称揚する人は多いが、「ほんとに読めてんの?」と、下司の勘繰りをしたくなる。
戦後は「SMバー」じゃなっかたストリップ小屋を舞台にした小説があればそれを読みたいね。 谷崎、芥川辺りまでの世代と小林秀雄の世代以降で物凄い断絶あるね。
前者は正規のコース以外に漢学の学校に通ったりしたけど後者は国家の正規コースだけ。 著名な小説家で、漢文が読めて、漢詩が作れたのは誰だろう。
鴎外、漱石、露伴などは別格として、荷風、龍之介くらいか。谷崎や志賀の名前は聞かないしね。
こちらも詳しくないから。
確かに小林秀雄世代以下は漢文学は絶滅したね。その代り、海外文学の理解が深くなった。
小林、弟子筋の中村光夫、福田恒存、大岡昇平。
荷風はやはり巨人だな。和漢洋、どれをとっても一流だ。こういう種族は絶滅したな。 荷風、谷崎は言文一致より先に古文で日本語に触れた。
小林なんかはもう最初から言文一致文でしょ。 著名かどうかはともかく中島敦が最後の世代でしょう。
学生時代に中国文学を専攻していた作家の酒見賢一によれば
司馬遼太郎の漢籍の素養はなかなかのものだったらしいけれど、
詩作はしていないね。
ただまあ、江戸時代に来日した朝鮮通信使の李王への報告によると
日本人も詩作はするのだが韻律が出鱈目だ、ということなので
やはり限界はあるのかもしれない。 金貯めて全集買った時は嬉しかったなあ
重くて重くて家まで持って帰るのが大変だった
まだ一巻も読み終えてないけど 小林の故郷を失った文学てのは江戸以来の教養を失ったということなんでしょう ま、玄人女あひてばかりで恋愛経験のなき変人ってことで手をうちませう。 荷風には俳句がある
漱石、龍之介、百間、川上弘美の他に
俳句を書いた小説家はいますか >>299
戦後くらいにすでに「古い」と言われていたので、今さら古くなるかな。
>>301
俳句を作るというのは、俳号を持ち句集があることと考えると、
なかなか思い浮かばないが、意外なところでは、江藤淳。句集もあるはず。 江藤淳で思い出した、(つまり三田系ということ)
久保田万太郎、小島政次郎、佐藤春夫、なんか作っていそう。 泉鏡花が作ってる
鏡花の俳句は数が少ないんだが評価はわりと高い
「わりと」がつくのは、少々異風だから グックスなんかいいもんか。汚い歯抜けジジイだよ。
渋くもない。むさい。 >>309
老人を臭いとか、汚いとか言ったらいかんよ。
君もすぐ老人になるのじゃからね。「コレ昔、紅顔の美少年」
それにここは老人の駄弁り場、老人ホームのようなところじゃ。
老人たちが気を悪くするよ。
若いもんが来るようなところじゃない。 七十になる日もだんだん近くなって来た。七十という醜い老人になるまで、わたくしは生きていなければならないのか知ら。そんな年まで生きて
いたくない。といって、今夜眼をつぶって眠れば、それがこの世の終だとなったなら、定めしわたくしは驚くだろう。悲しむだろう。
生きていたくもなければ、死にたくもない。この思いが毎日毎夜、わたくしの心の中に出没している雲の影である。わたくしの心は暗くもならず
明るくもならず、唯しんみりと黄昏れて行く雪の日の空に似ている。
永井荷風「雪の日」 >>310 :吾輩は名無しである:2014/10/27(月) 21:48:29.30 >>309
若者を臭いとか、汚いとか言ったらいかんよ。
君も昔は若者だったのじゃからね。「コレ未来、皺顔の禿老人」
それにここは若者の駄弁り場、保育園のようなところじゃ。
若者たちが気を悪くするよ。
若いもんが来るようなところじゃない。 誤 若いもんが来るようなところじゃない。
正 老人が来るようなところじゃない。 >>310
そんなことを言っていない。
歯が抜けたら入れ歯を入れろ、年をとって面倒だからとむさい格好をするな、ということ。
荷風の死の直後に石川淳が「敗荷落日」で荷風を批判したのはこのこともあった。
だらが臭いなんて言ったんだい?荷風について歯抜け、むさいと言ったのを
勝手に老人一般のことに敷衍して、臭いとまで言ったのはおまえじゃないか。 一葉女史のたけくらべをまねた小説あったな。露伴先生は
どう御批評? 福地桜痴
朝寝坊むらく
広津柳浪
森鴎外
上田敏
Ι
永井荷風−井上唖々
Ι
谷崎潤一郎
佐藤春夫
堀口大學
久保田万太郎 >>314
石川淳は荷風が大好きだったんだよ
「敗荷落日」で「兄さん、なんで死んじゃったんだ・・」って言ってる 荷風が生き続けたら渋谷で援交コギャルやヤマンバを追いかけたり秋葉原でAKB劇場通い詰めたりしてたかな。 こきたない生活していたみたいですよ
写真なんか見ると 今江戸趣味といっても歌舞伎見て浮世絵見て江戸時代の小説読んで俳句作って・・・ 中村吉蔵、永井荷風の両氏が柳浪の門下だったと云うことになっているが、私が後年父に聞いたところに拠ると、「中村は
ただ家に寄寓していたというだけで、はっきり門下ということになったのは永井一人だ」とのことであった。
「永井は最初からズバ抜けて才能があった。中村は学者に向いたろうが、作家としては永井とは較べものにならなかった」
と後年父は私に話したことがあるし、又荷風という雅号は、永井さんが荷風というのともう一つ何とか云うのと二つ持って
来て選んでくれと云ったので、荷風が字面も好いし、響きもいいので、「それにしたらいいだろう」と云って荷風を選んだ
というようなことも云っていた。
廣津和郎「父広津柳浪のこと」 ・・中村吉蔵
またマニアックな。
荷風全集にその名は出て来ませんね。ありがとう。 今戸心中っていいの?
なんで荷風がハマったのかイマイチわからんかった 蓮はハスの全称、荷はハスの花、董はハスの根、レンコン。漢字は
奥が深い。 漢学、漢詩文なんてどこからどう勉強するのか見当がつかない 蕉風は別格
荷風は談林風かな
荷風が序文を書いてる『江戸庵句集』なんていい味だしてる せやけど談林といえば西鶴にきまっとるがな、あとはどうでも
よろし 鴎外の「阿部一族」は武士道の非合理を描いた傑作ですがじつは、西鶴の
「武道伝来記」のほうが題材豊富で文学的価値が高い。 つゆのあとさき
良かった
荷風は女を知ってるから上手い 女を知っているという奴ほど女を知らない。異性は性交だけでは
解らないよ。 >>339
好み、教養、年齢、性別等がわからないと、答えられないね。 >>338
異性は性交だけでは解らない、なんていうやつほど女をしらない。 荷風って相当の女と性行を成功した(おもろいやろが)みたいだが、
荷風って二枚目なのか?
なんか口から顎までが奇妙な長さなんだが。 特殊な世界の女を描いた。世間一般の女は知らない。
「女を知る」とはいえんね。 そういう商売の人を買うのを「犯しまくる」て言うのかな 荷風は素人童貞だったのか。
処女とやったことはなかったんだな。 仏蘭西人の女中だった女を雇った次の夜、
ためしにちょっと誘ったら、嬉々として応じた(断腸亭日常)
ここんとこいいね >>352
日乗の昭和10年11月24日だ
さらに
12月7日 下女正江風邪ひきたりとてガーゼの寝衣に赤き細帯しどけなく床の中にて寝てゐたり。
12月27日 (略)下女正江を捕へて倶に入浴す。 荷風は日記を公開を前提に書いていたふしがある。したがって、
内容はすべて真実とはいいがたいね。 いやらしい不潔低俗満載。 清長、歌麿、などのワ印のほうが
格上。 >>354 :名無し募集中。。。:2014/12/02(火) 01:12:09.04 >>347
世間一般の女だよ
>おまえにとってはなw >>358
コピペの仕方は変だし
引用符つける場所は変だし…
個人的には荷風が知ってる女が春をひさぐ人だけだろうと一般人も含めてだろうとどっちでもいい 私家版腕くらべ読んだ!もうどれも私家版なのかな?分からんが。
古い日本文学全集を昔買ってそれに収録されていたのだけれど、駒代が最後にああなって良かったなぁ。次はつゆのあとさき読む! 359 名前:吾輩は名無しである :2014/12/05(金) 10:19:45.33 >>358
コピペの仕方は変だし
引用符つける場所は変だし…
個人的には荷風が知ってる女が春をひさぐ人だけだろうと一般人も含めてだろうとどっちでもいい
>おまえにとってはなw 結局ここにいるのは女を知りたいやつばかり。
同じ人間なんだから荷風読んでればだいたいわかるはずだ。 >>362 :吾輩は名無しである:2014/12/06(土) 14:02:30.90 結局ここにいるのは女を知りたいやつばかり。
同じ人間なんだから荷風読んでればだいたいわかるはずだ。
>おまえだけはなw >>362
女を知りたいやつ「ばかり」ってことはないんじゃないかな
私別に女知りたいと思わないしw 荷風って確か2度離婚しているんだよな?
それからさすがに結婚がめんどくさくなって、
やり逃げできるような都合のいい女ばっか食うことにシフトしたんだろう。 いやある意味当たってるよ。
ゲスで冷酷なところも荷風の魅力でしょうw >>366
図星だったな。
オマエ異常に興奮してんじゃんかw 離婚を2度以上するやつは言い訳は無用。
谷崎も離婚は2回だったっけ?3回だったかしらん。興味ねーけど。
でも最後が松子さんでよかったね。 荷風のゲス野郎振りを楽しめなくてよく荷風ファンやれるなw
まあ叙情的な小説のみ好きってならありえるが 永井のスピノザ、ニーチェ論、ブランショのマラルメ、
リルケのマルテ、
日記はミシェルレリス。
政治哲学文はバタイユ、
クリステヴァ、アンネフランク、ハーレント、ボーボワール、
カミーユクローデル シモーヌ ヴェイユ
あたりがハイレベル。
ブレヒト、リオタール、ベケット、もなかなか。
カフカ、ボルヘスなんてとこは大学でやったが、フロイト
も重要。
神話文学、形而上のものをあつかう文学、民俗、考古文学
、表象文学などもいい。 作家の家だったかなんだかに
きたない茶の間写真で載ってた 三味線の師匠の家に居候しながら三味線が鳴りだすと怒ってたんだっけ しかし最近の高齢者って元気だよな。
荷風の最晩年て抜け殻とか燃えカスとしか言いようがない感じなのに。 やはり荷風の主要な敵は大日本帝国とか薩長藩閥だったんだろうな。
終戦で敵は自壊して張り合いがなくなったんじゃないか。 荷風全身から漏れる臭いにおいがたまらんという奴が集まるスレ
はここか? 朝鮮人どもw 1日、日本各地の神社は大勢の参拝客で賑わいを見せた。元日に神社を参拝して福を祈願する「初詣」という風習だ。ほとんど全ての職場で
3日間の休暇が与えられ、長いところでは8−9日間休むケースもある。家庭では魚、エビ、豆など幾つかの材料で作った「お節料理」を重箱に
詰め、連休中はずっとそれを食べる。郵便局には、年賀状が山のように押し寄せる。
日本人は、このように太陽暦の正月に休みを取り、旧正月は別に祝うことはない。旧正月のことを、中国では「春節」、韓国では「節日」と呼び、
いずれも最大の名節とみなしているのとは異なる。日本は、漢字文化圏の国の中では唯一、「月」の流れには従わない国なのだ。
もともとは日本も陰暦で正月を祝っていた。しかし明治維新を境に変化を迎えた。1872年、明治政府は近代化を名目として西洋式の太陽暦を
採択し、陰暦の名節に休むことを禁じた。そのかわりに太陽暦の元日を名節にした。国民の時間の観念を西欧式に変えるため、1年の始まり
を太陽暦で祝うようにしたわけだ。太陽暦の元日が定着するまで数十年掛かったものの、明治政府は太陽暦を使用し続けた。日本がほかの
漢字文化圏の国々よりも早く農業経済社会から抜け出し、近代化を実現していく中で、陰暦の概念はほぼ姿を消した。
孫振碩(ソン・ジンソク)記者
ソース:朝鮮日報 2015/01/02 08:27
http://www.chosunonline.com/site/data/html_dir/2015/01/02/2015010200517.html >>379朝鮮が漢字文化圏? 漢字を捨てて、同音異議に苦しむ
馬鹿半人間の朝鮮猿人どもw 「ベルエポックのパリ」も現代に劣らず「狂騒の時代」で、荷風先生は
案外喜んだのではないかしら。 荷風先生のストリップ通いなんてアイドルの追っかけの走りみたいなもんだよね 飛んでる老人たち
永井荷風 ……体験的性技研究家・性風俗探究
谷崎潤一郎……マゾヒズム・スカトロジー
川端康成 ……ロリコン・ストーカー・死体嗜好症
三島由紀夫……血と薔薇・切腹願望症
日本文学の輝かしい伝統! >>383
明治時代には既に娘義太夫というアイドルみたいなのがいた
文学者でも娘義太夫好きは多かった 現代の荷風はアイドルの楽屋通いして風俗、援交好きを公言するようなもんだな。 浮世絵は多くが歌舞伎役者のブロマイドとか芸者のグラビアみたいなもんだし 荒俣宏がどこかで、自分は平井呈一門下なので、荷風の孫弟子にあたると言ってた。 にしても金だけはごまんと有った。遊んで暮らしてはいそれまでよ。
鴎外は自分と正反対なので認めた。露伴子はどうかな? 現代に荷風散人がいたらキャバクラ嬢や援交女子高生やイメクラ風俗嬢を流麗な文章で情緒豊かに描いただろうに。 永井荷風こそ日本最高の作家であるといえる。
死の日まで日記を書いて、それを公開した例はないからだ。
そして言うなら、最高のジャーナリストであった。 短き晩年の日記も含めて、まさに永井荷風を総括する
戦前戦中戦後のすべてが詰まっている。
第一、ほとんどの作家が戦時に軍部に協力したではないか。
今も、サザンの桑田の発言を封じようとする勢力が分断にもあることを
深く悲しむ。 >>397在日本代官居留民団 分団
つまり チョンのなかにもいるっつーこと。 桑田の場合は褒めてた人もいっぱいいるじゃないか
ちょっと別の問題だが、桑田の一連の言動が「表現として出来が悪い」というタイプの意見が多かったことが気になる
反体制と文学の問題とリンクさせるなら、こっちも取り上げないと駄目だろう 本当の文学の価値とはなにか。
今の古本の価格である。
具体的に言うなら、ブックオフでの価格である。
私は百円で手に入れたいとずっと思っているのに、いつ見ても断腸亭日乗は
虫食いがあるような汚いものですら三百円は下らない。
定価は800円の本なのに、三百円以上で販売されているのである。
その度に永井荷風先生の極めて高い価値を思い知るのだ。
優れた作家は百円コーナーには決して並ばない。 それ言うなら定価より高い値段になれよ
つか100円で見かけるぞ >>402
民度の低い場所はそうだろう
だが、神奈川はどうだろうか。 古本で出回ってる絶対数が少ないだけでしょ
都内住んでるけど108円で見かけたことあるよ >>407
都内はあの禿げ野郎が「シャンゼリゼ通りを作る」とか言い出すような
民度最低の場所でしょ
いまだにフランスの模倣をしている最低な都市ではないかwwwwwwww
荷風が嘆いた西洋模倣から一世紀たってもいまだ変わらない滑稽さ。
http://www.aozora.gr.jp/cards/001341/files/49634_41512.html
我邦わがくに現代における西洋文明模倣の状況を窺うかがひ見るに、
都市の改築を始めとして家屋什器じゅうき庭園衣服に到いたるまで
時代の趣味一般の趨勢すうせいに徴して、転うたた余をして日本文華の末路を
悲しましむるものあり。
今の文学界見れば明らかかwwwwwwwwwww カツどんを食べるときに思い出す、永井荷風のこと。
このカツどんを通じて永井荷風と俺が何かしらの繋がりがあるように見えて
しかたがないのだ。 最期は哀れな老人であったな。
ストリッパーの追っかけをしていたなんて・・・ ストリッパーの追っかけをしているなら別に哀れではないさ。
すなわち気力および体力の充実の証拠ではないか。
そういう人間はどんな意味でも哀れなんかじゃない。 永井老の体力・精力は、日本人離れしている。
毎日散歩で足腰を鍛錬し、若いころ肉をたくさん食べたせいだろう。 永井荷風が実に愉快な人であったか
断腸亭日乗をつらつらと読むと、それが分かってくる。
評伝だのなんだの、検証本を書こうとしても、この行間にある想いを
分からなければ全く意味がない。
この愉快というのは、絶望の中で生きるためのすべが私にとっては
ありありとして愉快ということであって、ただ楽しいとか面白いとか
そういうことではない。 荷風先生みたいに優雅に散歩を楽しみたいけど
なんせ田舎なものであまり楽しめない (墨)東綺譚の舞台娼窟玉の井は 現在の東向島五丁目、東向島六丁目、墨田三丁目だそうで。
あそこ通ったことあるけど、あの当時からあんな貧民窟wだったんじゃないの?
まあ都心から見れば田舎だけど、普通に、東京の下町ってことじゃないのかい。 村上もとかのコミック「私説昭和文学」の荷風編(短編)の
第1コマは、太宰自殺のニュースを知って
「女ごときで死ぬとはとんだ青二才ですぜwww」
でわろた この人の作品ってそんなに優れていたのか?
なんか親父が金持ちだけって気がするだけなんだが。
そのてんは志賀直哉も同様だな。 ちがうよ
親父が金持ちなのに加えて本人はエロなんだよ 「あめりか物語」を発表した時は文体が新鮮で、内容も異国で、
男女の奔放な様子で若者の心をときめかしたらしい
アメリカでほぼ独学で英語・仏語を学んで
2・3日に一度はニューヨークの舞台・オペラを楽しんだのが
裏地にあるのかも
小島政二郎「小説永井荷風」によると、ビジュアライゼーション、
絵画的な描写が彼の真骨頂だったと書いてる
森鴎外が慶應教授に招いたくらいだから、それなりの評価が
あったと思う >> アメリカでほぼ独学で英語・仏語を学んで
2・3日に一度はニューヨークの舞台・オペラを楽しんだのが
裏地にあるのかも
大嘘 驚いた 全集を入手したらすごく安心した気分になった。
「海洋の旅」が好きでこればかり読み返している。 素敵なメンズががみんなで秋祭りを開催♪
URL貼れないから
メーンズガーデン ってググってみて
※正しいサイト名は英語。 やったね 全集
次は「葡萄棚」「雪の日」「伝通院」あたりに行ってくれ 永井荷風はもし8月30日のデモを見たら、どう記していただろう。
ラジオが大嫌いだった荷風は、当然テレビも見ないから
出入りの編集者に8月30日のことを知って、おもむろにJRを使って
見物に出たことだろう。
官憲の規制を嫌がり、間近の駅は使わずに、歩いて向かっただろと思う。
地にも響く溢れて強い抗議の声に どう感じ何を思っただろうか。
そんなことを今、思いながら、あの8月30日という時を見つめる。
私も現場にいた一人として、今ほど永井荷風の声を聴きたいのである。
戦争を誰よりも強く感受し、大傑作を書き残した荷風の声を。 >>437 です。
>>439
30巻+別巻1巻 2009年4月〜
29巻 (第2冊) 1971年2月〜
>>440
「伝通院」「夏の町」は抜群ですね。うっとりしました。
引き続き読みます。 >>441
分かるなぁ
今の時代荷風がいたらネット社会やSNSに対してどう思うだろうと考えたりする 荷風は日記にはあれこれ辛口なこと書くけれど世の中に対して何か積極的にかかわっていこうみたいな動きはするかしら 荷風ってどこが優れているんだ?
女好きとかは無しでな。
作家的なことを是非とも聞きたいのだが。
谷崎は凄いのは解るが、この人だけは解らん。
誰か説得力のある回答を頼む頼みますマジで。 >>448
俺が荷風が好きなのは、まず荷風という人。
実際の荷風は想像とは別人だろうけど、あの生き方に惹かれるものが
あって、そのために作品を読んでいるように思う。そしてあの
独特の文体。内容よりも文体で読ませる作家だと思う。「つゆの
あとさき」に出てくる銀座に行けるものなら行きたい。
以上、何の説得力もない回答で、スマン。 ストーリーの面白さで読ませる作家ではないってこと?
だとしたら芥川と谷崎との論争で言うところでは芥川に軍配が上がるってことになるが。 やっぱり漱石や鴎外みたいに外国に留学経験があるのが大きいと思う >>448
文章力が文豪の中でも高いってこともあるのでは?
生涯、鴎外を尊敬し、愛読してだけあって語彙は豊富だし、文法も正確で、
格調高く歯切れが良い漢文の流れを組んだ文章を自在に書けた。
文豪で名文家となるとすぐ漱石や川端、谷崎や三島が出てくるが荷風の文章
の質もそれらの文豪の文章に勝るとも劣らないと思う。
まあ好みの問題があるけどもね。
あとは谷崎を見出し、注目されるきっかけを作ったのも大きいと思う。 三島は名文家なのだろうか。「豊饒の海」はたしかに凄いが。 遊びでも留学になるさ。
元総理の小泉さんだってそうだったじゃないか。 ↑オマエはいくつのジジイなんだ?
何が荷風先生だ?
恥ずかしいぜwww オマエの先生でもなんでもねーのに、馬鹿だよなあ。
オマエは夏目先生とか芥川先生とか常日頃から思っているのか?
ねぼけてんじゃねーぞ! 何を必死になってるんだ?
お前、こんな些細な事でそんなに怒るのか。
さて、これからベートーヴェン先生の音楽でも聴こうか。 文学板ってガチキチが多いよね
意味不明のレスが多い 同時に同場所にいてその相手に言うのなら別論、
生存作家でも「読者」は基本敬称を付けずに呼び捨てだな。
プロスポーツ選手や芸能人の名前を言う時と同じ。 言って返しが中学生のアッカンベーなんだよな、池沼ネラーは(嗤 お前らの持ってる荷風の本、関連本、ここに画像晒せや。 頭のてっぺんだけぐるりと禿、まわりはちょろ毛の「猥褻禿」になる危険がでてきた
人生の最大の絶望 次のどれが正しいか?
遺伝によるから両親を選びなおす
肥料(禿薬)をつけ朝晩頭をたたく
生きていても無駄 自殺する
ハゲデブチビは運命と思って諦める
このスレのまぬけどもに伝染させる gooで永井荷風の画像検索してみたら2頁目に谷亮子が出てきたのは何でだw >>473
ほんまや全然関係ないのにw
しかしこの記事群の中で谷亮子と永井荷風だけなんか浮いてる… 用がおはつたので、四ツ谷、番町、代官町、神保町、鎌倉橋と過ぎ、神田駅まで歩いた。
なまつた足にはつらかつたが、荷風はそれからさらに銀座や浅草まで行くんだよなあ・・ 荷風が影響受けたのはゾラ、モーパッサン、ロチ、レニエ、ジッド以外だと誰になるんでしょ? 明治40年12月11日 西村恵次郎 宛 リヨンより
此頃はオペラと音楽会へ通学するので、殆ど創作する時間がないので困つて居る。其れ故しばらくは筆をやめて、読書しやうと思つて居る。モーパツサンも已に再読三読し了つたので、何か外にモ
デルとするやうな作者をめつけて居るが、まだどうも僕の趣好に合ふやうなのがない。目下はゾラの門下から出て、印象派に這入ったHuysmans(ユイスマン)の作(La-ba)だの、其の短篇、パリ
ーのスケツチなぞを読んで居る。其れから、Henri de Regnier(レニヱー)と云ふ人の作をも見た、此れ等の人の作物は、文章が難解で、作意が充分に云現はしてないから、非に骨が折れる。フラ
ンスの文壇ではゾラの自然派から一進歩んだ印象派の作物が今の処では最も進歩したものであるらしく思はれる。此の辺の消息は早稲田文学なぞに屡ゝ論じられて居る処だから、日本の文壇も同じ
調子で進んで居るものだと信じて居ます。
たしか十一月の新小説であつたと思ふ、花袋氏の「蒲団」を読んだ自分は非常に敬伏しましたよ。すつかりロシヤの自然派式で、然も日本人の頭から出た純粋な明治の作物だと思ふ。 永井荷風 小説作法
一 小説家たらんとするもの辞典と首引(くびぴき)にて差支なければ一日も早くアンドレエ・ジイドの小説よむやうにしたまへかし。戦争以来多く新刊の洋書を手にせざれば近頃はいかなる新進
作家の現れ出でしやおのれよくは知らねど、まづ新しき小説の模範としてはジイド、レニエーあたりの著作に、新しき戯曲の手本としてはポオル・クローデルあたりのものに目をつけ置かばたいし
た間違ひはなきもののやうに思はるるなり。
大正九年三月 永井荷風の名前すら知らない日本人が9割だろう
それほどに文学なんて一般的には無価値なものである。 荷風最初の長編小説冷笑ってあまり話題にならなあけど失敗作なんですか? >>485
「冷笑につきて」(紅茶の後)は読みましたか? あめりか物語
ふらんす物語
冷笑
新橋夜話
日和下駄
腕くらべ
江戸芸術論
おかめ笠
下谷叢話
つゆのあとさき
墨東奇譚 荷風は、風俗遊びの大先輩。
かくいうわたくしも、恥ずかしながら60歳過ぎてから遊びを覚えました。
世の中に風俗ほどいいものはない。
これ以外に金を使うひとの気が知れないほどです。
しかしながら、荷風先生は風俗嬢(娼婦、遊女)に対する愛情が足りないと思います。
女好きながら女嫌い(ミソジニー)が見て取れるのです。
わたくしは、遊ぶ時間だけは心底風俗嬢を愛します。
大抵の子は、それに応えてくれます。 風俗嬢ってのは金だけが目当てだからな
同情するとスカンピンにされるから注意したほうがいい。
荷風の当時と今はまったく女が180度変わってしまったのが哀れだ 荷風の時代も別に変わらんよ。
荷風はロマンティックに描いてるけどさ。 ↑おまえは荷風の時代に生きていたのか?
知ったようなことを書くんじゃねーぞゴラ モーパッサンに影響され鴎外を敬愛し交流があり漢学の素養がある作家 田山花袋と永井荷風
荷風が「蒲団」を評価したのは意外に見えて必然なのかも。 お前ら実は、「腕くらべ」や「つゆのあとさき」を読んでないだろ。
あるいは、読んでも内容を忘れたか。 「萬朝報」大正5年6月30日〜7月4日に富松のインタビュー記事が連載。
タイトルは「女から見た男」。
*
1回目。
「私が初めて逢いましたのは、荷風さんが帰朝したばかりの頃で、帰朝のお祝いを、亡くなられた大野病院の院長さん(故大野酒竹氏)や何かゞ高輪の萬清でお開きになりました。
その席へ新橋から五六人呼ばれて行ったその中に私もいたのです。
私は、新橋で新翁家の富松といって、まだ抱えの身分でした。---二十のときのことです。
(略)
それから、その翌日も、また翌々日もお茶屋から永井さんに呼ばれたのです。
『私、あの方、様子がいゝから岡惚れにしようかしら』なんて云っている頃でしたから、逢えば嬉しゅうござんした。
そうしてる内に、---あの方はまだ待合なんてご存知なかったのでしょう---『知った待合へ連れて行っておくれ』と云いますから、私の馴染の家へ連れて行ったのです。
それは例の木挽町の祝い家、勘弥さんの姉さんの家です。
それがまた私の旦那の来る家でしょう。その家へ永井さんを連れ込んで私があんまりパッパッするものですから、とうとう旦那に知れてしまって、首尾の悪いったらなかったのですよ。
でもその頃はお互いにのぼせ詰めて『壮吉命』なんて腕に入れ墨をするほどになっていたんですからね。
それからメチヤメチヤに逢うようになってしまったの」 2回目(7月1日)
「でも荷風さんはまだお部屋住みでお父さんにお小使を貰っているという身分でしょう。
小説を書くとはいったところで、まだ月々百円ぐらいの収入しかないし。
それに私の方はとうとう旦那をしくじってしまったと来てるでしょう。二人ともたちまちどうすることも出来なくなってしまいました。
それでも荷風さんの書く物がポツポツ評判になってきた頃でしたから、私はお座敷でのろけてばかりいました。
(中略)
それからお正月早々、私を落籍した旦那が、これも帰朝のお祝いにそのとき初めて呼ばれまして、その席で、私は大変に酔って、さかんに永井さんのお惚気を云ってしまったの。
・・・
それから八日間というもの旦那は私を遠出に連れていってしまったのです。その留守に、永井さんは私の家へ幾度も来たり電話をかけて下すったりしたのですけれど、家でも私の居所は分かっていなかったのです。
こうして永井さんにしばらく逢わずにいますと、私の軒並みにいた巴屋の八重次と永井さんがおかしいというのでしょう。
その噂を耳にはさむと、胸の虫が承知しません。
『八重次の義理知らずめ。今にどうしてくれるか見ているがいい。』
口惜しくて口惜しくて私はこう思いました。
『永井さんも永井さんだ。』
その日、車で髪を結いに家へ帰ってきますと。八重次のやつめ、永井さんと出雲町の藤田へ這入って行くところではありませんか。
私はすぐ後から押しかけて行ってやりました」 3回目(7月3日)。
「藤田へ飛び込んでゆくと、八重次が永井さんと差し向かいになってコソコソいちゃついてるじゃありませんか。
『やい、お前さんは誰に断って昼日中永井さんをこんなところへくわえ込んだのだい。』ッてね、さんざん八重次のやつに毒づいてやりましたよ。
それから取っ組み合いになるほどの喧嘩をしてしまったの。
でも私は、捨てられるのはいやだから、『こんな人ぐらい、欲しけりやこっちから呉れてやってしまえ』と、威勢よく啖呵を切ったまではよかったが、それからきまりが悪くなって、とうとう二円のお祝儀を藤田の給仕に散財して帰ってきました。
(略)」
4四回(7月4日)。
「それから永井さんのお父さんがお亡くなりになると八重次がその家へ入り込んだのです。
その間に私も落籍されまして、赤坂に三吉野(料理屋)を始めたり、その土地から(〆勇と名乗って)出たり、……いろいろに変転しましたのです。
私が麻布へ出るとまもなく、永井さんが柴田さん(待合)から七度も呼んで下すったのですけれど−−もう永井さんは八重次を止していたのです − 私は、すっぱり断ってしまいましたの」 濹東綺談のお雪さんの良さが生き生きとして描かれているが
所帯を持ちたいとせがまれているにも関わらず去っていって
しまった。ミソジニーと思われる節がある
晩年の孤独
人を心底信じられない一面があるのかもしれない
それでいいのだ。と思った 社会ってのは常に有為転変するものだ。若い連中はそれに合わせて、ちゃんとやっていけるけど、年寄りはそうはいかない。だもんだから「今の若いものは……」なんて批判する。
口で言うだけならまだいいが、伸びる芽まで摘んでしまっちゃ駄目だよね。そうなったら、「老害」以外の何物でもないからね。
そう考えたから、俺は第一線から身を引いたんだ。人間、はじめるよりも終りのほうが大事なんだよ。
本田宗一郎 「快晴。緑陰清風愛すべし。午後樹下に椅子を移して鴎外全集『ギョオテ伝』を読む。」(『断腸亭日乗』 昭和3年(1928)5月30日)
「夏の日の午下この木かげに椅子引出して書を読むことを娯(たのし)みとなすもいつまで続き得べきにや。思えば心ぼそし。」(同 5月31日) この頃は永井荷風の小説もずいぶん読んだ。
何しろ私は古今東西の名作というものをほとんど読まずに来ているものだから、読む小説には事欠かない。
荷風を読むのもはじめてだったけれど、花柳界を舞台にした彼の小説は、ヒューマニズムと別の原理で動いていて私はとても楽しかった。
荷風の人物たちは、漱石の人物たちのように立ち止まってつべこべ言うのではなくて、積極的に流れに身を任せる。
いまだに私自身はそういう小説を書いていないけれど、読みながら「こういう小説を書きたい」と思った。
http://www.k-hosaka.com/note/comment/neko.html 荷風はユイスマンスはあまりピンとこなかったのかな? 墨東奇譚は全然おもろなかったが、
つゆのあとさきはいまのところおもしろい。
最後でツマンネになるかもしらんが 芥川って荷風を認めてなかったんだよな?
ツマンネって言ってたが >>511
女給の生態を描き残すことが目的のひとつ ↑女はまったく主題ではないだろが。この小説は
人間ってのは懐古趣味の動物ってことだろ。 墨東奇譚のおもしろさを教えてくれたまえ!
変態野郎ども >>515
それは墨東奇譚のことだろ
514はつゆのあとさきを言ってる >>505
おじさん ここにも来るんだ
そんな与太信じちゃって 永井荷風程嫌いな作家もいない。
口元が異常に出っ張って、への字口でさぞや不満が多かっただろう。
自己を高く見積もり他を見下しているように思える。
自惚れのある技巧を凝らした文章である。
しかし、最大の欠点はユーモアの欠片もないところ。
反戦とやらで日本を批判したにも拘らず、
国からの文化勲章は有難く頂く二面性が堪らなく嫌い。
『帰朝者の日記』や『深川の唄』を読んでみれば良い。
フランスかぶれのこの人がどれ程の無知を曝け出して
日本を叩きのめしているか!いわゆる、出羽の守である。
ましてや一般人でなく少なくとも作家であるにも拘らず。
知性と柔軟性が欠ける事夥しい。当時の明治社会だけでなく
日本人そのものを侮蔑の目で見ているのである。
日本の自然景観にまで貶しまくる神経には恐れ入る。
こういう人間に、何故文化勲章を与えたのか謎である。 新潮文庫の濹東綺譚とふらんす物語とで背表紙の色が違うのが気になって仕方がないんだが 一部とある草子などの、同じやうにもあらぬを見にくしといへど、弘融僧都が、「物を必ず一具に調へんとするは、つたなき者のする事なり。不具なるこそよけれ」と言ひしも、いみじく覚えしなり。 なんか偏屈で俺は価値あると思うが。
内田百閧セってそうだろが。
その時代の小説家なんだよ。
それは解ったほうがいい。 幸徳事件だかの時の検閲か何かの拍子に
たかが売文の徒が自分のやってる事を自分で芸術って言うのがね
どこまでうぬぼれてんだよって思うわ
表現の自由がままならないのを官憲のために芸術の品位を
落とさなきゃならなかったとかなんとか
自称文化人気取りっていっつも海外行って「世界から見ると日本がこんなに遅れてる」って
バカのひとつ覚えのように繰り返しているだけで150年くらい前から何も進歩してねえよな
パリが世界文化最先端?だから何だって思うわ
そういう連中って日本の浮世絵とか江戸時代から続いていた町の職人技とかが紹介されると
苦虫噛み潰したようなツラして気持ち悪がっているよな
なんでそこまで日本を憎めるのかが不思議でしょうがないわ 永井荷風のこと?
彼はむしろ近代日本に背を向けて江戸から残ってる文化の中に逃げていった人でしょ 濹東綺譚を読んだ。あめりか物語はあんまり面白くないね。ふらんすの方は面白いのに 谷崎はあめりか物語、ふらんす物語派なんだよな。
江戸回帰後の荷風を寂しく見ていた。
昭和モダニズムに接近した荷風を改めて評価した。 >>538
どういう意味で?
何かソースがあったら確認する。全集持ってるから。 13日
漸く断腸亭下巻を手にゐれる 随筆集と合わせて弐冊百五拾圓也
此れより永井先生著書と一緒と思うと嬉し。
16日
所要にて川崎にゐたり、待ち時間別の書店にて永井先生著書を探す。
先日購入の本有り。使い古した変色したる状態なるも各四百拾円といふ。
合わせて八百廿円、高し。
笑うべし >>541
手にゐれる→手にいれる
合わせて→合はせて
思うと→思ふと
笑うべし →笑ふべし
荷風先生が草葉の蔭で泣いてをるぞ >>此れより永井先生著書と一緒と思うと嬉し。
わかる。それでいいじゃないか。 >>542
過日。
頭でっかちの自称文芸評論家が、
新進気鋭の作家について
些末な誤字脱字を指摘する際に
「洒落もない身なりと言葉で話す、
そんな君のような野暮が一番つまらん。」
とたまたま出くわした永井先生は一喝し
踵を返して連れの遊女と去っていった。
西洋を上っ面だけで真似するごとく
野暮と言うのは
実に深い罪である。
ああ嘆かわしい 谷崎潤一郎に永井荷風が好む女はとにかく汚らしいですから嫌ですねとか永井荷風との対談だかで言ってたのは笑った 浮世風呂
東海道中膝栗毛
偐紫田舎源氏
梅暦
椿説弓張月
南総里見八犬伝
安愚楽鍋
他に必読の江戸戯作ってありますか? >>551
傾城買四十八手(山東京伝)や江島其磧の気質物も外せない 「一人荷風氏ばかりではないが、それにしてもそういう人たちの懐古趣味がせいぜい徳川末期、化政頃の戯作者の世界にと
どまって、それより古い時代に遡る者の少ないのは何故であろう。何故彼らは江戸文学の狭い範囲にのみ跼蹐して、室町、
慶長、元禄頃の上方文学の広い領域へ目を向けないのであろう。比較的近代の産物である江戸情緒のみが特にそういう人た
ちに牽引力を及ぼすらしいのを私は不思議におもうのである」谷崎潤一郎『つゆのあとさきを読む』 http://www.aozora.gr.jp/cards/001341/files/49658_37661.html
永井荷風は建築に対する見識も卓越している
戦前よりもさらに醜悪になった今の日本の風景を見たら永井荷風はどう思うだろうか >>546
谷崎だったら蓼食う虫も好き好きと言って欲しかった GWに帰省したら四畳半襖の下張りの初版本?が見つかった
限定千部で奥付も記載されてなかったから本物だと思う >>562
ってことは三希洞文庫版ですね
うらやましい限りです。 公衆便所とセックスできるかよw
気持ち悪くて勃起しないなw 戦後の赤線時代の吉原って江戸時代以来の遊郭と言うより吉原ソープ街に繋がる雰囲気だったんだな…
江戸時代以来の花魁道中とかやってる吉原遊郭はいつ頃絶えたんだろう?… 吉原炎上って 昔の映画あるけど ネット世代も尊敬してるんでしょうねえ。
円嬢。 荷風は女を人間として見ていなかった
みたいな批評した三島由紀夫 玉の井は荷風は情緒的に描いたけど今の風俗街的ないかがわしい雰囲気のとこだったのかなあ 蚊がぷんぷん飛んでて汚い溝川だけどその底辺勘感を気に入ったんだろう
香港の九龍城とか昔の治安の悪かった歌舞伎町を懐かしむようなもんだ 荷風が通ってた頃の玉の井はいわゆるちょんの間ってやつ? >>573
谷崎潤一郎も荷風先生は女は自分より遥か下の物としてみていたって言ってたね 荷風が生きてたら吉原ソープ街、川崎堀之内ソープ街、歌舞伎町、西川口あたりを美しく描いただろうな。
キャバ嬢を主人公に小説書いたかもしれん。 金にがめつい今のバイタどもを主人公にしねぇやろバイタ以上でもそれ以下でもない 荷風は墨東奇譚が例外的で基本は自然主義の手法でカスみたいな人々を描いた作家じゃないの? ☆ 日本人の婚姻数と出生数を増やしましょう。そのためには、公的年金と
生活保護を段階的に廃止して、満18歳以上の日本人に、ベーシックインカムの
導入は必須です。月額約60000円位ならば、廃止すれば財源的には可能です。
ベーシックインカム、でぜひググってみてください。お願い致します。☆☆ 一九四四年五月二十九日付 谷崎潤一郎宛書簡
拝復
陳者其後御変もなく筆硯益御多祥欣慰の至に奉存候
小生もまづまづ無事に罷在候得共
毎日の食物殊に菜蔬がなくなり候に付閉口致居候
何処へも行くところ無き為巳むを得ず机に向居候
扨短篇小説も本年になり二ツつくり申候
洋本もフローベルの物など二度ヅツ読返し居候
浅草公園ではJazzの音楽も踊もいよいよ禁止となり
震災後一世を風靡致せし流行唄も
ここにて一時消滅と存候
歌舞伎もなくなり
豊後節三流の浄瑠璃も
芝居と共に断絶致べく
誠に不思議の世となり申候
兎に角養生致し世の終りを見届けたきものと
それを楽しみに日を暮居候
拙宅近辺ハ民家追払の噂無之候
笄町より広尾川南岸が取払の由
麻布光林寺に葬られしヒウスケンは
地下にて何と思居候や
御返事のみ 匆々 不宣
申 五月三十日 ラジオNHK第2で朗読されているね
踊子 勲章 草紅葉 心づくし 裸体談義 だって 南が丘文庫
http://www.minamigaoka.info/BOOKS/
Official Homepage
横浜市立南が丘中学校の母体である、平成研究会、通称、経世会とは、自由党吉田茂派を起源に持ち、周山会(佐藤栄作派)・木曜クラブ(田中角栄派)の流れを汲む、鉄の軍団と呼ばれた保守本流集団である。
横浜市立南が丘中学校OB会 あめりか物語
ふらんす物語
歓楽
冷笑
すみた川
新橋夜話
珊瑚集
日和下駄
腕くらべ
江戸芸術論
おかめ笹
雨瀟瀟
下谷叢話
つゆのあとさき
?東綺譚
ひかげの花
問はずがたり
来訪者
勲章
浮沈
踊子
葛飾土産 つゆのあとさきは、良い。
荷風て良い人なんだよ。
大きな重そうな風呂敷を背負った友達に坂道でばったり出会った荷風が、友達にお前も手伝えと言われて、よしきたと手伝って古本屋に向かうんだが、その友人も今は亡くなったとか、死んだ友人たちとのエピソードが並べられてる話だったっけ? すみだ川とつゆのあとさきは文章がだいぶ違う。つゆのとさきは最後
殺人でも起こるのかと思ったらポツリと終わった。
自分の中ではすみだ川の文章がかなり秀逸。 『すみだ川』は冒頭から引き込まれるよね。
文章がすばらしすぎる。
『つゆのあとさき』は当時の銀座の様子が
活写されていて、出来ることなら行ってみたいと
思うほど。 断腸亭日記なんか、卒論でもっと読んどけばよかったよ。 荷風は日記や随筆が面白い、濹東綺譚なんかも随筆的小説だ。
小説偏重は西洋の文学観・伝統であり、東洋では詩歌や随筆が文学の中心。
日本文學の伝統も随筆や和歌、俳句が中心。日本人はやはりこの分野で力を発揮する。
日本文學に戦争と平和などのような大小説が生まれないのは仕方がない、日本人は、
随筆や日記で勝負すべき、荷風や露伴のように。 大黒家、とうとう廃業。
名前だけ残して「学習センター」になっている。
折角だから差別化のためにフランス語のコースでも作ればいいのに・・・
並木歯科(たぶんお孫さん)は健在。 日本最高の日記文学と評される「断腸亭日乗」は、
戦前から戦後へと移り行く日本を独特の視線から捉えた名作である。
永井荷風先生が、その名作の最後に記すこととなったのが、大黒家での食事についてであった。
ほぼ毎日、店が休みでも先生がいらっしゃるとお作りしました。
いつもきまって「並のカツ丼」と「上新香」、「お酒一合」をただ黙々と召し上がられました。
亡くなる直前になると、日記の内容も「天気の事」と「正午大黒屋」 (家とは書かれなかった)のみの記述となっている。
亡くなられた前日にも、いつもの「カツ丼」を召し上がっていかれました。
大黒家WEBサイト 以前テレビで永井荷風は売春宿を作り小窓から客にプレイを見させてもらい良いプレイをしたら金を出してた
とか言ってたっけ。と思ってたら他の番組で無断でのぞき見してたとか言ってた。
どっちが本当か?ってどっちも本当であることもあろうしね そのかわり小説家として三流だな
墨東奇譚も小説としてはいまいちな出来 斎藤茂吉の病院で梅毒検査w
梅毒恐怖症でも芸者買いw 荷風になりたい〜不良老人指南〜
原作/倉科 遼 作画/ケン月影
〈 書籍の内容 〉
“前代未聞のオス教養漫画"と反響殺到!!
『女帝』『夜王』の原作者・倉科遼が憧れる人がいる。それは、三島由紀夫が憧れ、谷崎潤一郎が師に仰いだ、明治・大正・昭和を生きた文豪・永井荷風であった――!!
生涯何物にも囚われず自由を享受し、男のわがままを貫き通した荷風のように、男としてありのままに、本能のままに生きてみないか?
“夜の帝王"倉科遼が物語り、当代最高の官能絵師・ケン月影が描くセンセーショナル告白漫画。いま“夜の帝王"が、そのすべてを赤裸々に告白する――!
〈 編集者からのおすすめ情報 〉
いつまでも人々に強い影響を与え続ける作家、永井荷風。いま再び、静かな荷風ブームが起こっています。それは、現代が男性の本能にとって生きづらい社会になっているからなのかもしれません。
本作品は、そんな現代を生きる、虐げられている男性に問う、“どこまでも本音で語る革命的男性論"です。荷風美学を知ることによって、新しい価値体系の醸成と、より自由に生きること、この二つが大いに期待できると思うのです。 ★ お楽しみタイム
2020年東京オリンピックの泣ける歌
「東京ルーザー 〜 2020年のオリンピックを」
『東京ルーザー オリンピック』
↑
これで、ユーチューブ検索
きっと、泣けマス
(新宿、渋谷、上野、浅草、下北沢、池袋、銀座、原宿)
↑
以上8ヶ所の東京都内の地名が、歌の歌詞に登場します 断腸亭日乗 永井荷風本人が朗読なさっていたんだね あまり上手いとはいえないけれど 永井荷風が谷崎の初期小説「少年」を読んで、
こう述懐しているという。
「私はもうつかれきった私自身の空想だけでは
とてもあの若い新進作家の書いた『少年』のような、
強い力の籠った製作を仕上る事ができない」 大げさだな
谷崎のような小説なら大衆作家はいくらでも書いている 荷風がもう年をとったので
清新さを出せなくなったと言ってるだけでしょう
デビュー時の谷崎作品中の清新さの部分を評価しているだけであって 荷風読むと出会う漢字とか熟語とか何使って調べてる?
大辞林のアプリじゃ偏奇館漫録読んでてもわからない場所ばかり NHK第2で「踊子」「勲章」の朗読やってるな。
ついでに「葛飾情話」のSP盤を元にした音源(山野楽器CD)流してくれないかな。
「葛飾情話」は1999年、2004年に蘇演されてるけどまたどこかで上演してくれないものか。
現存してる楽譜はピアノスコアのみで1999年以降のはそれを基にして初演時の編成に再編曲したもの。
曲がついてない部分は間奏曲をバックに弁士が語り、一方、永井荷風が歌詞書いた歌曲を挿入したりしてる。 永井荷風
1879年(明治12年)生 今年は生後140年。
1959年(昭和34年)没 今年は没後60年。
生後140年、没後60年、だからなのか、
今年は文庫新刊も出ています。
中公文庫「葛飾土産」
岩波文庫「問はずがたり」「浮沈・踊子」
「花火・来訪者」
など。
岩波文庫は永井荷風の新規の出版はないと思っていたから
ありがたいことです。
市川文学ミュージアムでは
「永井荷風と谷崎潤一郎展」
2019年11月2日(土)〜2020年1月19日(日) 断腸亭日乗全巻文庫セットにしたらそれなりに売れるで岩波はん 荷風が通った玉の井って神代辰巳監督の赤線玉の井ぬけられますって映画みたいな感じだったのかなあ >>631
神代辰巳監督、いいね!
もっと評価されてもいいと思ってる(´・ω・`) 70年代の日本文化の中で神代辰巳の映画は最高峰の一つじゃないかなあ 断腸亭日乗知らん漢字ばっかりでネットの辞書繰り繰りなんで読むの時間かかるな 短編?随筆?「狐」(明41年) 品の良い、いい日本語、
荷風を読むと日本語ここにありと心強く感じる。 NHK BS3 「偉人たちの健康診断」
好番組、ヒューマニスト荷風の終わり方は
いかにもNHKらしいが、大変勉強になった
見逃したファンは是非見るように 市川市の文学ミュージアムでの「永井荷風と谷崎潤一郎展」終わったね
こじんまりしてて濃密という展示でもなかったけど(個人の感想)
やり取りした書簡が展示されてて面白かった 新参の荷風ファンです。
埼玉県文学館で荷風も扱う展示があるそうなのでコロナに負けずに行ってきます。
荷風が腐女子向けキャラになってるのには仰天しますがまぁいいや。 各地でマラソン大会をやっているがアホの極みだ
荷風展くらいは問題ない、むしろスケスケで避難場所になる さいたま文学館の展示はコロナ騒ぎで中止だそうです。
残念ですがやむを得ず今回は諦めました。 >>640
また一つ、老人の行き場所が無くなったか 延期じゃなくて中止なの?HP見てもそこがわからない 日乗始まってすぐにスペイン風邪のパンデミックがあったんだよね
その時期の日乗読めば面白いかもしれないな 断膓亭日記巻之四大正九年歳次庚申 荷風年四十有二
正月十二日。曇天。午後野圃子来訪。夕餉の後忽然悪寒を覚え寝につく。目下流行の感冒に染みしなるべし。
正月十三日。体温四十度に昇る。
正月十四日。お房の姉おさくといへるもの、元櫓下の妓にて、今は四谷警察署長何某の世話になり、四谷にて妓家を営める由。泊りがけにて来り余の病を看護す。
正月十五日。大石君診察に来ること朝夕二回に及ぶ。
正月十六日。熱去らず。昏々として眠を貪る。
正月十七日。大石君来診。
正月十八日。渇を覚ること甚し。頻に黄橙を食ふ。
正月十九日。病床万一の事を慮りて遺書をしたゝむ。
正月二十日。病况依然たり。
正月廿一日。大石君又来診。最早気遣ふに及ばずといふ。
正月廿二日。悪熱次第に去る。目下流行の風邪に罹るもの多く死する由。余は不思議にもありてかひなき命を取り留めたり。
正月廿五日。母上余の病軽からざるを知り見舞に来らる。
正月廿六日。病床フロオベルの尺牘を読む 永井荷風のスレがあって、その直系の野坂昭如のスレがない。
知性がなさすぎる。 フランスに憧れた荷風さん、
今のパリの風景を見せたら何と書くかしらね 直系だから最高裁まで闘ったんだろう。
普通なら日和ってしまう 三遊亭圓朝のインタビュー
http://www1.cts.ne.jp/~inacolle/newpage47.htm 青春18きっぷを使って長野県から市川本八幡の市川市図書館に行く。
始発で行って最終で帰る無理やり日帰り旅行。
目当ては図書館の永井荷風関連の展示。
永井荷風展をやってるわけではなく他の作家の展示中。荷風の展示はコーナーが若干あるという程度。
それでも展示物は十分に楽しめた。
ジオラマも雰囲気が良い。
以前やっていたという永井荷風展と永井荷風と谷崎潤一郎展の図録を購入。
わかりやすくまとまっていて大満足。
良い買い物をした。
持ち帰って家でゆっくり楽しむ。
時間はなかったが市川、本八幡の雰囲気もよく旅をして良かったと思った。
長野県でずっと暮らすと本当にストレスが溜まる。荷風の面影を追って市川に来て良かった。 >>656
二人ともふさわしい死に方をしたよね(´・ω・`) プライドが高い人だよな
そう、これが男のダンディズムなんです 荷風の立膝
いわゆる江戸しぐさの一種だろ、丸いちゃぶ台で立膝してお茶を飲む
お婆さん見たことある、もっとも昔の田舎の畳屋のお爺さんも一服する時は立膝
やってたけどな >>65
こういう人は一筋縄ではいかないはず、
一夜にして心情が変化する人だと思うね >>66
荷風は市川在住の頃、毎日のように浅草に出かけているが
一体交通機関何を利用していたんだろ、金持ちだからタクシーか
、それとも電車? 驚くのは昼過ぎに家を出て飯食って女カラカって
とんぼ返りだろ、毎日だぞ毎日、すごい体力だと思わん? 漢文(漢学?)学んだだけあって
漢字の意味よく知ってるよな
「荷」には蓮の意味があるとか
さ >>87
貴方の心がけ次第だよ、歳を取ると
否が応でも荷風のようになる、体が
動かなくなるから >>109
小沢昭一も荷風に憧れていたのか
道理で浅草、下町、娼婦の匂いが
立ち込めてたな
タケシや欽ちゃんも一度くらい荷風とすれ違っているかも >>135
それこそ小沢昭一だろ
と書くと、喜んでるかもな、小沢昭一的こころって
テーマ音楽良かったわ >>187
高見恭子の父親の高見順は母親違いの庶子で
荷風はあえて無視してたそうだね >>217
つまり浅草行きはネタ仕込みの取材だったのか
まあ、半分女遊びだろな >>219
作家が小説で書かれるってそれだけ魅力ある人だったんたろ
作家冥利に尽きるよ、さすが文化勲章 三島も貰えないもんな >>221
なるほど、卓見だ
深く入り込むと三島のようにくどくなるもんな >>259
昔NHKのドラマで種田山頭火の生涯をフランキー堺主演でやっていた、
面白かったなあ 分け入っても分け入っても青い山 死後奥さんが
寂しい歌ばっか作ってってw NHKは是非とも永井荷風のを主演 >>1
>散歩と踊り子が大好き
果たしてそうだろうか
荷風はやっぱり惣領の甚六なんだな
次男三男には生まれない >>260
80歳 死亡直後の預金通帳残高(常時携帯)
現在換算 300,000,000円 >>266
NHKのドラマ化頼む
主演(荷風) 岸部一徳
>>266
NHKのドラマ化頼む
主演(荷風) 岸部一徳
>>268
結局、文豪って何だろう
俺的に言わせて貰うと簡易な文章で意思を余す処なく伝えるのが文豪だと思うが >>272 >>276
ここで言う清潔は
精神上の事を言うのであって形而上的見方だろ >>273
転載ありがとう
荷風の人となりが僅かだがキッチリと表現したよな
さすが文学者だわ >>273
最低でもこれ位の文が俺にも書ければって、ついつい思ってしまう
羨ましいわ >>274
太宰 女々しい奴
女々しい奴って小説書けば良かったのに 芥川賞欲しいってw >>290
宇野鴻一郎という元は芥川賞作家が夕刊フジ上でエロ小説書いてたけど
荷風さんと比べて >>291
芥川の小説に出て来た建築用語の多様さに驚いたことあるけど
ああいうのは全部頭に入っているのかね、それとも
辞書を引き引き書いたものか、どっちなんかねw >>292前後
みんな本読んでるんだな
感心するわ >>294
知識の差か 日本の未来暗いな
だんだん悪い方向じゃん >>303
>江藤淳
品川駅の横須賀線ホームの上の飲み屋で見かけた、当時は
国鉄民営化のドサクサで飲み屋は行き場を失った組合員が
始めた酒場のはず、秘書、編集者か3人だった、家は
鎌倉でその後自死された >>309
3億円の預金通帳持ち歩いてる人には
屁でもない >>314
石川淳つて見方が浅いのねw
ダンディズムが分かってねーわw >>311
親鸞聖人の歎異抄を思い出したわ
盗作だなw >>315
たけくらべって丈比べって意味なんだろうか
読んでないので >>319
違う、荷風は小便臭いガキは嫌いなはず 年増ずき >>326
「荷」には「蓮」って意味あるらしいね、荷風初恋の彼女の名前から取ったとか
この時にそう言ってたのかもね 荷風散人って何回か見てきたが意味あるの初めて知ったわ、なるほどね
さんじん
【散人】
1.世事を離れて自由に暮らす、ひまな人。散士。閑人。
2.役に立たない、無能な人。 >>393
イメージ沸かないな
荷風は少女趣味じゃないよ、タバコと濃い化粧と真っ赤なマニキュア、
場末の大柄な女が好きなんだよ、所で、当時有楽町駅前に日劇ミュージック
ホールがあったはずで、半裸でラインダンス踊ってたと思うけど(浅草
松竹も)、荷風の日記には見に行ったとか無いのかね、あき竹城とか居たんだろ
あき竹城 http://twitpic.com/4rfqyr >>401
断腸亭日乗の断腸って意味は立腹してるってことかね
日乗は何となく分かるがw >>422
世間体を気にしていればまず無理
いわば大金持ちのホームレスだよ荷風は >>430
絵画的な描写・・・・・難しいいいいい
「小説永井荷風」 映画化して欲しいよホント 赤字必至かね >>441
彼は覚めた目で見ているはずだよ、決して付和雷同することなく
2015.08.30調べた
>主催者発表12万人なのに警察調べ3万人 デモ参加者数、なぜ ... >>446
九条の会に名前貸して後で後悔してそうだよな、
だって気が弱そうじゃないか >>451
丸谷才一がいい文章を書きたければ
外国語を勉強しろと言ってたな、まあ外国語ったっても朝鮮中国語じゃないだろうけどさ >>452
調べたら、その谷崎より3年後に文化勲章受章なんだなw
また、荷風を見たことあるという小沢昭一は文化勲章辞退だそうだ
小沢昭一文化勲章!? w >>458 >>459
お前ら何怒ってんだ、荷風先生で良いじゃないか >>502
わかるような気がする
兄弟親せきとかも去って行ったんだろ、原因知らんけど
生き方だけでなくお金が絡んでいないかな >>556
>建築に対する見識も卓越している
>>686に書いたように芥川も詳しいんだよ、どちらか真似たのかもw 残念なことに未だに
荷風がかつ丼食ってる写真が無いことだよ
並かつ丼と上お新香、そして日本酒一合 かしわ南蛮食ってる写真あった
厨房から覗き見する女将さんらが
実在感を醸してる >>658から >>720は
わたくしが書きました 記念かきこと言うそうです 阿部寛にコートに牛乳瓶の底みたいな眼鏡かけさせて、杖とカバンを持って歩いてもらいたい。 井上章一の「愛の空間」を今更読んだんだけど荷風ファン必読かも 谷崎の日記によると空襲で焼ける寸前に谷崎は偏奇館の荷風を最初で最後の訪問したらしいが外観はボロボロの幽霊屋敷みたいに見えたと書いてる
中も散らかり放題でグシャグシャだったんだろうか? 戦前の遊郭や芸者、待合なんぞも一般の人からしたら今のソープやキャバクラに一般人が感じる感覚と似たようなもんだったんですかねえ? もうちょっと粋な感じだったんじゃないかな。キャバクラやソープに粋なんて全く無いし、ひたすら野暮なだけだから違うと思う。 いや『おかめ笹』だとひたすらいかがわしいものというかあのドラ息子の待合通いも今のキャバクラ通いのように見えちゃうからさ カフェーや銘酒屋になると明らかに今の感じに近いんだろうなあ
一般人からしたら猥雑でいかがわしい場所に作家が粋を見出すかどうかなんだろうか
荷風ならソープやキャバクラや援交を粋に描けたかもね!? 戦後のケバケバの粋もへったくれもない浅草ストリップを愛した荷風ならソープ、キャバクラ、ピンサロ、イメクラにも美と一抹の情味と哀愁を感じて小説に仕立て上げただろうな
東京に江戸を幻視しつつモダンな風俗をも愛した荷風に倣ってこの糞みたいな東京に荷風の東京を幻視しつつ今時の風俗もジックリ観察しなきゃ駄目だ 遊郭とかはセックスだけじゃなくていろんな芸事とかあるんだろう ゾラの影響下にある初期作品が好きです。
ほとんど語られる事のない短編「夜の心」とか。 明治大正ならまだ和服が一般的だし和服に特別感無い当時は艶っぽい着こなししてた芸者や娼妓は今のお水っぽい洋服着てる風俗嬢みたいにしか見えなかったかもしれない
昭和になって日本人がモダンになるにつれて花柳界は伝統芸能の意識を持ったみたいだし今のわれわれも和服には特別感を持ってしまうからな 大阪・飛田新地の元遊郭「鯛よし百番」が老朽化でピンチ 修復工事のためにクラウドファンディング実施
「建築見学ツアー」や「撮影会」など、レアなリターンも。
https://www.google.co.jp/amp/s/nlab.itmedia.co.jp/nl/amp/2107/04/news023.html >>717
単なる嫉妬だろ。
戦後80年、今まさに永井荷風が生き返る。
あまりにも馬鹿馬鹿しい太平洋戦争を作家としてその渦中からレポートした
未来永劫伝わる傑作を書いた これをして何の批判が出来ようか。 話は変わりますが、
断腸亭日乗
昭和24年6月15日、同年6月18日。
浅草で夜、電車待ちをしていた時、夜の女性から声を
かけられ、身の上話を聞き、100円札3枚をマッチ箱に
入れて女性に渡したと言う話。
これを読んだ後に短編小説「吾妻橋」を読むと、
面白いと思います。
「吾妻橋」は大衆向けの短編小説だけど、浅草周辺の
描写も詳しかったので、読んだ後、久しぶりに浅草に
行きたくなり、吾妻橋、浅草寺とその周辺を
歩いてみました。 荷風は風俗に関しては江戸時代以来の吉原遊廓より待合芸者、銀座のカフェー、玉の井の銘酒屋、浅草ストリップと時代の最先端風俗にいつも御執心なんだよな おれも>>93はキモいと思うな
誰が何に癒しを求めようが他人がキモイと言う筋合いはない うっかり大昔の書き込みにレスしてしまった
申し訳ない >>740
墨田ユキの脱ぎっぷりもよかったよね
荷風さんの『墨東綺譚』そのものも十分面白いけど、
安岡章太郎が書いた『私の墨東綺譚』も読んだら、いろいろな時代背景も
わかって興味深かったよ(´・ω・`) 1992年版の墨東奇譚は原作の雰囲気をみごとに再現してあるな 新藤兼人は終戦間際の断腸亭日乗を、佐藤慶を永井荷風に見立てて表現してる。
NHKの番組を制作した。
それが傑作なのである。横浜市の放送ライブラリーに所蔵されているが、
佐藤慶がまさに永井荷風になっているのだ。実在しているのである。
今、永井荷風を演じるとしたら私は佐野史郎しかないと思っている。死の瀬戸際まで
至ったからこそ分かる死生観を表現して永井荷風の実在感ある演技を期待している。
ドラマ化されないだろうか?それは、今の制作者たちの熱情次第だ。 昭和15年に出版社と全集だす契約結んだけど発売は20年冬からにしてくれって条件だったとか 多分戦争終わって文化的な需要がでてくるって読んでたんじゃないかと堀江敏幸の評 最近、荷風にハマって「断腸亭日乗」「墨東奇譚」「つゆのあとさき」を読みました
他にこれは読んどけって本、ありますか?
「あめりか」「ふらんす」以外で >>751
腕くらべ、おかめ笹、浮沈・踊子あたりはいかがでしょう?
腕くらべは新品売ってるかわからないけど中古であると思います 751です
ありがとうございます
ブックオフにあるか見てきます >>754
参考までに腕くらべはAmazonなら中古で500円前後、おかめ笹はちょっと高くて1000円~って感じでしたよ
あとはネットの中古屋さん他にもあるからブックオフに無かったら調べてみて下さい 751=754です
ようやく、おかめ笹と すみだがわ を入手しました
おかめ笹は面白く読めたのですが、すみだがわの風景などの描写が
あまりにも素晴らしいので、ちょっと感動しました
今まで色んな作家の本を読んでるけど、あんなに精緻かつキラキラした描写は
初めてと言って良いほどです。
荷風先生がこれほどまでに素晴らしい方だったとは、
恥ずかしながら知りませんでした。
勧めてくださった方、ありがとうございます
けど、まだまだ入手出来てないのがあるので
そちらも楽しみです >>756
>>752です、楽しめたようで良かったです~ 岩波だと随筆集上下巻も良かったし
中公文庫から最近3冊くらい新しく出たものもありますよ BOOKOFF 数年前にね チェックした時も高かったし今も買取価格ですでに高いんだけど
どれだけ永井荷風の価値が高い かってことだよ 独身で、文章書いたり散髪したり美味い飯食ったり風俗行ったり、の気の赴くままの毎日
それを昭和の30年間続けている
羨ましい人生だと思う
俺も金さえあればそういう人生を送りたいんだが でも戦前も戦後も割と同じ店に通っていわゆる美食家ってタイプではないよな
谷崎なんかと違ってあんまり食に対するこだわりは薄そう もっとも荷風がのんきに気ままな毎日を送るようになってからは、文学作品はイマイチになったのだろうね
ハングリー精神を失うと傑作を生み出すことはできない グルメ、散歩、風俗通い、執筆
他のことをやらずにその4つだけをやって30年とは、最高の人生を送っているわけじゃないか
文化勲章ということは世間的にも評価されていたわけだし 文藝春秋
荷風の末裔
磯ア 憲一郎
2024/03/07
昨年の夏に父が亡くなってから以降、年が明けて現在に至るまで、なぜだか荷風の文章ば
かり読んでいる。父が永井荷風の愛読者だったというわけではない、しかし父の生まれ育っ
た葛飾区亀有の、開渠沿いに蛇行しながら続く板塀や、踏み固められた地面から立ち上(の
ぼ)る湿気の、あの冷んやりとした感触を、荷風の書いた描写から思い出している、という
部分はあるかもしれない、父の実家の庭の土は石炭でも含んでいるかのように真っ黒で、子
供の素手では容易に掘り返せないぐらい硬かった、私が住んでいた千葉の赤土の地面とは明
らかに違っていた。
『濹東綺譚』は二十数年振りに再読したのだが、「大江匡」と名乗る語り手の「わたくし」
が、英語教師「種田順平」を主人公とする「失踪」と題する小説を書き進めながら、私娼街
玉の井で出会った「お雪」との交情を描く、一方で当然ながら読者は作者があの永井荷風で
あることも了解していると考え併せると、本作はどうしてこんな複雑な二重、三重の入れ子
構造を持つに至ったのか、やはり不可解に感じられる。自分自身も物書きとなった今、改め
てじっくり読み返してみると、いかにも小説らしいカタルシスにだけは意地でも流されまい
とする作者の捨て身の抵抗が、この歪ともいえる作品構造に結実したように思われてならな
い、唐突に挟まれる注釈や逸脱は、その抵抗の痕跡なのかもしれない。