中村吉蔵、永井荷風の両氏が柳浪の門下だったと云うことになっているが、私が後年父に聞いたところに拠ると、「中村は
ただ家に寄寓していたというだけで、はっきり門下ということになったのは永井一人だ」とのことであった。


「永井は最初からズバ抜けて才能があった。中村は学者に向いたろうが、作家としては永井とは較べものにならなかった」
と後年父は私に話したことがあるし、又荷風という雅号は、永井さんが荷風というのともう一つ何とか云うのと二つ持って
来て選んでくれと云ったので、荷風が字面も好いし、響きもいいので、「それにしたらいいだろう」と云って荷風を選んだ
というようなことも云っていた。



廣津和郎「父広津柳浪のこと」