【散歩】永井荷風【踊子】
散歩と踊り子が大好きな文豪、荷風のスレッドがないようなので、
立てました、荷風フアンの方どうぞ…。 『?東綺譚』を読んだよ。
太宰の『女生徒』に小説の名前が出てたから読んでみたんだけど、すごく興味深かった。
エッセイと小説の中間のような作品で、頻繁に作者の顔が覗くのも面白かったし、作家としての荷風の姿が垣間見えたのもよかった。
そして荷風の生き方。
美しいものの中に暮らして醜いものを見つけるよりも、みすぼらしいものの中に光るものを見いだしたい。
お雪と手を切るという物寂しい締め括りも胸に染みたな。
勝手な男の話だよね
みすぼらしいものの中に美を見るといった陋巷趣味は梶井の檸檬の先駆といってもいいし
構成としてはメタフィクション的なとこもあるし、俺も好きだな 満ち潮に
乗りて吹きくる
春の風。
蘆のそよぎも恋の歌、
流るる水も恋ごころ。
おまいらの中で荷風散人を高校や中学のとき教わったか?おれは覚えがない
30代過ぎて、おもろいジーさん作家がいたと歌人だった母親が教えてくれた
ことがあって、たしか川本三郎だったか、かれの荷風と東京とか言う題の
本を読んで、あ〜、こりゃすげ〜やと思った。それ以来、図書館に通うたびに
荷風の研究本を借りているが、たしかに墨東綺譚や断腸亭日乗は面白いが、
やっぱ荷風を論じている本や、写真満載の本が一番面白い。 ↑
この人本当に30代過ぎなの?
中学生じゃなくて? 「狐」ってどこかの教科書に採用されたとは浄閑寺の荷風忌の講師から
聞いたような・・・ 耽美派の中に荷風の名前はあったが、とくに教科書の教材には採用されていない
とちゃうか? いまは知らんが 【散歩王に俺はなる!?】 日本初の「散歩」投稿サイト「おさんぽマイスター」がOPEN、そして散歩王(散歩マイスター)を決める「第1回マイスター認定」開催!http://sanpoway.com/
クロワッサン食いながらショコラ飲みたい
酒肆 太牙楼 登りたいw >>47〜49
劣等生は知らないだろうが、評論として、新帰朝者日記はよくとられていたよ。
現代国語の勉強もしつかりしておくべきものだな 最初の妻のヨネって離婚されたあとどうなったんだろう。
>>45
平成生まれだけど荷風は教科書には出てなかったな。
ただ便覧には載ってたし文学史で習う。
荷風が再発見した西船橋の葛羅の井に行ってきたけど、なんか住宅地の中の小さな祠みたいな感じだな
荷風が生きてた頃はもう少し自然豊かで風情あったんだろうな え〜っと、荷風先生のつけは、つけは・・・どこかいなっと 「あめりか物語」最初の3遍読みました
さて、どうしたらいいんでしょうか
この陳腐な物語が延々続くような気がするんですが
あと続けて読む価値あるでしょうか。 戦後のラジオ対談番組の録音を持っているけど、
70歳を超えた荷風先生の声は若々しく、何より日本語に気品と味がある。
楽しそうに昔語りをしているこの録音は何回聴いても飽きない。
>>58
折角読み始めたんだから最後まで読みましょう。
俺は「ふらんす物語」の冒頭が好きです。宿屋のおかみが
花をくれる場面が感動的。
小説は「新任知事」の冒頭が映画のシーンを見るようで
美しいです。 おかめ笹が大好きです。滑稽小説とご本人は言っておりますが。
荷風散人はおぼっちゃまなのに貧乏人の生活の描写がリアルで
すごいと思います。
女性蔑視とも言われていますが、よるべなき女性が最後にふわっと
救われるような小説の終わり方が多いので、心の底では悲しい境遇の女性に
同情的な人であったような気がします。 女性を小説の単なる美しい飾りの
ように扱わないところが好きです。 「ほら、あれが、荷風さんだよ、よ〜く、見て覚えときなさい」
と、浅草で、すれ違った荷風散人を指差して息子に教えていた、母親
小沢昭一サンも、浅草の喫茶店でお見かけしたそうなw >>65
そう、女にあたたかい共感を寄せています
断腸亭日乗でいえば
昭和三年二月五日:お歌
『まだ二十を二 ツ三ツ越したる若き身にてありながら、年五十になりてしかも平生病み勝ちなる
余をたよりになし、更に悲しむ様子もなくいつも機嫌よく笑ふて日を送れり』
昭和三年五月六日:小久
『いつぞや二七不動尊境内の稲荷に願懸をなし折鶴千羽奉納せし時のことを語る、初五百ほど
わけなく折りしが残り五百一夜の中に折りつゞけし時両手もつかれ果て眼は泣張らしたるやうになりしと、』
などがいいだなあ
みなさんが断腸亭日乗で好きなところは?
昭和二十二年五月初三
「雨。米人の作りし日本新憲法今日より実施の由。笑ふべし」 荷風って、普通に英語とフランス語読めて、話せたんだってね。帰国しても。
やっぱ、天才なんですな そんなことで天才というなら世間は天才だらけになっちゃうよ。 荷風の日記に、二村定一やエノケンってでてくるのかい? 明治の文豪の中で珍しく海外、それもおフランスに留学し、おフランス語が喋れた荷風に対して、
英訳洋書でしか読めず留学体験もない作家たちは嫉妬したのではないか、と言われているがどうだろうか。 >>71
をを! 二村定一・・・
「アラビアの唄」「青空」「ミミの歌」「モン・パパ」
わたくし音盤を所有してをります 小沢昭一と、二村定一、そして永井荷風・・・う〜ん。なんか
共通するところあるよね〜w >>72
石川啄木が嫉妬丸出しの文章を書いてるよね。
二村定一って古いなあ。たしか「べーちゃん」だったよね。 >>71
日記(断腸亭日乗)に出てくるエノケンに関する記述は
昭和9年9月9日
昭和13年8月7日
昭和14年1月29日
昭和18年1月1日、8月13日
昭和19年10月9日
二村定一に関する記述は無し。 やっぱ、帰国子女・・・原曲を彼の地で聴いているからかな おフランスのリヨンにある、東京銀行の前身の横浜商工金だったかな・・
と〜ちゃんの、後光で赴任だな 歌劇「葛飾情話」
音源でも演奏でも聴いた人いる?どんな内容だったの? 日和下駄の解説本を読んでいる・・・今の東京との比較がおもろいな >>72
荷風は教養人ってだけ。
作家としては三流。
コンプとかあろうはずがない。 たとえ、ビッグで6億当てても、荷風のような生活は送れないだろう 金利で生活できて、江戸文学、英語、フランス語の小説がすらすら読めて、
文語調で翻訳できても、まだ足りないだろうな。 あれほどラジオ嫌いだった荷風センセ、戦後はちゃっかりラジオの
対談番組に出てる。70歳を超えた老人にしては若々しい声で、本当に
楽しそうに話している。言葉の美しさはたしかにピカイチだ。 墨東綺譚を書いた頃の荷風はおそらく相当、神経的に病んでいたろう。
だからこその、冒頭でのラジオ、映画、浪花節などへの中傷と見る。
荷風にとっての娼婦は癒しの効用を持っていたんだな。
中年以降の男が娼婦に癒しを求めるのもキモイがw >>93
おまえの下らないコメントもそうとうキモイよ。まじで。 義理の息子さん、今年亡くなったんだよな・・・
荷風と暮らしたのはあまり良い思い出じゃあ無かったとか。
今日はお盆だし、合掌。 無くなったのか
じゃあついに荷風晩年のエロ小説全面解禁来る? >中年以降の男が娼婦に癒しを求めるのもキモイがw
普通だろう
>97
永井久光さん、亡くなったのか。合掌
時折、拾い読みしてるんだが、文学板で俺以外に荷風を読める奴は
いないはずw たぶん一生懸命辞書引きながらやっとポツポツ拾い読みしている。
こんな難しいのだれも読めっこないよなあ・・・とか思ってるんだろう。 ニフウさんの文体でレス書いたら読みこなしたってことでよござんしょ。 永井荷風って難しいところあるの? とてもビジュアル的な描写だし
観念的なことをぐだぐだ書かず、文語的簡潔な文体で的確に冴えた批評眼を用いるだけ。
皮肉な文脈も当代一流の巧さでつい可笑しくなる。小林秀雄の皮肉よりずっと直截。
非常に読みやすい、わかりやすい、しかし上質できっぱりとした作風の作家だと思うが。 そのとおりだと思う。
キリスト教を皮肉る文章には笑った。 関東大震災の時 東日本大震災の時の石原慎太郎と同じこと言ってたんだねー・ >>107
みんなそう思うだろう・・・人心乱れて・・・いまの詐欺集団民主党には
ぴったりだよw 荷風をお慕いしておる、小沢昭一さん・・・体調不良らしいね 青年時代、「珊瑚集」のなかの「仇敵」を愛唱していました。
わが青春は唯其処此処に照る日の光漏れ落ちし
暴風雨の闇に過ぎざりき
鳴る雷のすさまじさ降る雨のはげしさに
わが庭に落残る紅の果実とても稀なりき >>65同。
金持ちのお似合いドラ夫婦。妻蝶子⇒自分の着物をたたみもせず、
黒い顔に白粉ばかり塗りつけて、小説本ばかり読もうとしている…
って予言者!今だったらこういう女性、あ〜いるよね、だけど。
夫翰⇒昔も今も変わらずいるドラ息子。 荷風以外の作家で、濹東綺譚や断腸亭日乗に近い質感の随筆を教えろください
やっぱ陰翳礼讃とか? 荷風って、やっぱ彼の履歴や、踏み込んだ世界・・・一種他の作家とは
かなり違っているね〜どうよ >>112
むしろ、江戸時代から探せば良いじゃないか。 >>112
荷風の師匠のようなひと。成島柳北じゃだめか?
しかし、きょうびの秋の紅葉荷風散人ならなんというか・・・ 荷風さん大好きな、小沢正一さんが旅立たれましたよ・・・浅草で、
荷風さんをお見かけしたそうです >>112
柴田宵曲が中々良い。
荷風が誉めた森銑三はどうかね?
俺は読んでないが。 荷風好きの人って趣味人を目指しちゃって苛烈な批判精神は受け継がないから全く毒にも薬にもならないつまらない退屈な存在になっちゃうよね。 「性同一障害者」がいるように、「国同一性障害者」がいる。荷風の悲劇はフランス人に生まれなかったこと。
荷風の文学はそのねじれより生まれている。 >>121
つまり、チョンや支那人が、やたら反日を煽りながら、キッパリと日本で
働いていることかw 荷風が当時のフランスに憧れていたのはフランスが負け犬の国だからだよ
荷風自身虚弱体質で当時の社会から求められる人間では無かったし彼自身敗残者であることは認めたく無かったから文化国家であろうとしたフランスに行くことになる 若いとき体が弱かったため、長じて工業社会的競争に馴染めなかった
のではないか。(文学で世に出て所詮競争には晒されるが)
荷風の言葉に「懈婦もカミさんになると悍婦になる」というのがある。
癒しのための家の中で悍婦と争うのは苦痛だよね。若いとき荷風を読ん
でおけばよかったと思わぬわけでもない。 傲慢千万な男で『物』として扱える人間としか付き合えなかったんだな
三島由紀夫の受け売りだけど
しかしそういうエピソードには事欠かないよな 今ならそう捉えられてもしかたがないが当時は人の命は物や領土より価値が低かったからな 付き合いうんぬんに関しては作品を読めば理由が書いてある 『梅雨晴』は44才になった荷風が亡くなった、少年の頃からの親友達を
懐かしむ随筆だが、作者の優しくて無邪気な人柄が現れているように思えて、たちまち荷風を
好きになる人も多いかもな。題名からして青空文庫向きだしw 荷風が生きてたら秋葉原のAKB劇場の楽屋に上手いこと入り込み入り浸りになってただろう 最新風俗のストリップの楽屋に入り浸る老作家って当時は相当世間には奇異に見えただろうねぇ。 下田とは、家柄も蓄財も、素養も全然荷風方が上だろう