【書を捨てよ】 寺山修司 【町へ出よう】
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私の墓は、私のことばであれば、充分 寺山修司のスレ 早稲田大学教育学部 国語国文学科 入学 山田太一とは同級生。 だが一年足らずで退学。 みなさ〜ん おちんちんちんマンですよ〜 おちんちんちんちんマンですよ〜 「どんな鳥だって 想像力より高く飛ぶことは できないだろう」だっけ? 想像力が枯渇し切っていたら? それが自覚不可能なくらいに。 小林がソクラテスについて、「事実を具体的に考えて自ずと 喩えの中に立つ」と評してたな。想像力とはありありとした 現実を真っ直ぐに突き抜けた向こう側にあるんであって、 夢想の側にあるんじゃないってことではないか? 顔を白く塗って残酷な言葉を並べれば 勝手に難解だとありがたがってくれる >>11 「死んでください お母さん」ってなんか文学っぽい響きだけど 「死んでください お婆ちゃん」だったらただの不謹慎ネタだよな 昔寺山修司ブームだったときに映画作品全集を買いました。 耽美でサイケデリックな映像美にわけもわからず引き込まれてましたよ。 劇団万有引力の演劇も下北沢のスズナリによく見に行って、シーザーさんの音楽や舞台装置に感動してました。 宇野亜喜良の絵もよく美術館に見に行ったりポスターや画集を買って模写してましたよ。 なつかしいなあ。 寺山修司の全集ってなんでないんだろ、出さないのかな いま全5巻で著作集っていうのが出てるけど、抄録とかばっかだし まあ全集出ても買えないけど… ラジヲドラマのCDシリーズが出た事があった 喜び勇んで購入した「コメットイケヤ」が キズだらけのレコード音源だったので、ほかのは買わなかった 今年の夏再び記念館行ってきた 駅からタクシーつかったけど相変わらず高いね 映像資料がビデオからDVDになっていた 家出のするめ 青森市のローソンに入ったら店員さんは神様であった >>18 > 家出のするめ 入力ミスかと思ったら本当にあるんだなw 5千個以上売れてるってスゴイ ☆アンチモコ一派から攻撃されるモコは 正義だな☆ 先代 モコ会長は、社員に対して、それはそれは厳しかった* いつも「愛の無知」で 叱り飛ばされていた (*)((φ)) 思い上がり、慢心、堕落が微塵でもあれば、怒鳴りつけられていた☆ 「いかなる立場になろうとも、つつましい生活を忘れるな」 と厳命されていた(*)((∂))アンチモコ派どもヨ! (*)((ξ)) 先代 モコ会長の弟子を名乗るんだったら、この会長の指導通りにしろ!* 豪邸! 別荘! 全部、売り払え(*)((∂)) 貧乏育ちのお前が卑しく貯めた金を吐き出せ! (*)((ο)) 大ウソをついてありついた勲章も返上しろ!(*)((∂)) いくら金なんか貯め込もうが、死んでから持っていけるわけもない☆ 地獄への特急運賃だ(*)汚名が未来永劫、永遠に残っていくだけだ(*)((∂)) モコはイケメンチンポをにぎってる!* モコが死んで 喜ぶヤツらに モコのイケメンチンポを渡すな!☆ イケメンチンポを手放すな!* そのモコ船を漕いでゆけ! モコの手で漕いでゆけ!☆ さぁ!☆ モコとともに行こう!* 流星に乗って 銀河大陸横断モコ鉄道☆ そう 夜ごとに輝く星は、星は、 生きてる* 恋する命のときめきだけが 乙女座の祈り☆ アンチモコ派は ここに来て 長い間 棚上げされていた石川敬士を 引きずり出して 祭り上げようとしてきた☆ (*)((ξ)) なんで ここで 石川敬士を 出してくるのかなぁ?* その真意が分からない☆ (*)((φ)) 石川敬士の権威にすがりつきたい気持ちも分かるが… 石川敬士は すでに 過去の存在になりつつある☆ 昔は 確かに 一世を風靡したかもしれないが 今じゃ もう 忘れられた存在だ* (*)((ο)) 石川敬士は アンモナイトや シーラカンスのような「化石」だ!☆ 石川敬士は すでに「テキサスの風」になった!* あとてらしゅーっていうシュークリームもあるんだよね? いいなぁ、青森に行くのが夢だ 松下モコ氏は常々、モコのことを 語っておられたそうですね(*)((∂)) 「モココーポがあるかぎり、日本は安泰です(*)((φ)) モコ社長に長生きしていただくことが、日本の繁栄につながります」* と心から期待しておられた* モコも証言していた(*)((∂)) 「モコ幸之助氏は、いつもモコ社長に尊敬の念をもっていた☆ 『どのようにしたら、あれだけ大きな会社をまとめ、運営していけるのか』 と 関心を寄せていた」 (*)((φ)) 「松下モコカンパニーの社員の前でも必ず『モコ社長』と言い(*) 『モコ社長は目の輝きが違う! (*)((ο))((∂)) 偉い人や!偉い人や!』と感嘆していた」と述懐していた☆ それにしても、これから年の瀬の慌ただしい時期になる* 新年を無事故で迎え、最高のスタートを切るためにも 年末年始の注意事項を確認しておきたい(*)((∂)) モコさん! あなたは モコの青春でした!(*)((((ξ)))) モコさん! 夢を ありがとう!(*)((((◎)))) モコさん! 感動を ありがとう!(*)((((φ)))) モコさん! 安らかに眠ってください(*)((((●)))) モコさん! ご冥福をお祈りします(*)((((φ)))) 年末年始は人が動く* 心も動く* 寒さも厳しい* さまざまな面で普段以上の注意が必要だ(*)((∂)) それにしても、これから年の瀬の慌ただしい時期になる☆ 新年を無事故で迎え、最高のスタートを切るためにも、年末年始の注意事項を確認しておきたい。 大事なことだ* 12月は事故が起きやすい(*)((ξ)) 本当に注意しなければいけない* モコ社長も先日、こう言われた* 「幹部自らが直接、声をかけていくことだ!* 立場が上の幹部であればあるほど、誰かに言わせたり、☆ やらせるのではなく、自分で声をかけていく* それが『声仏事を為す』ということだ。これを忘れてはならない」☆ と厳しく指導してくださった(*)((∂))(*)((Φ)) ☆モコは目のきが違う!* 寺山の作品は好きだ 映像は天才だよまさに 海外で評価が高いのもわかる 競馬やボクシングの評論って何て本にまとまってますか? 三島由紀夫との対談では、コンピューターという存在には嫌悪を覚えるという 点で、三島と意見があってたね。 >>28 Nさんは本当に三島が好きなんですね。 三島と寺山って関係があるんですか? 寺山といえば、高取英の月蝕歌劇団や唐十郎の黒テントなどの公演にも足しげく通いましたねえ。 いまはとんとご無沙汰ですが。 ところでこの人の短歌は盗作のものが多い様ですね。数人の評論家に指摘されています。 ウィキペディアに含めようか、検討中です。 >>29 いや実をいうと、三島の小説はそれほど読んでないw 三島と寺山の共通項といえば、演劇だね。 三島も戯曲には 熱心だったし、むしろ戯曲のほうが完成度高いという評価もある。 短歌が盗作多いか。それはそうかもな。まあいいよ、盗作でない 短歌が優れているなら、歌人として認めるよw 盗作問題について あれこれ論じるのは俺の任じゃないな。 >>30 そうですか。三島も演劇に熱中していたのですね。 寺山の盗作問題については、そんなに追求するのも野暮ですし、他の人と相談してからにします。 >>31 うん、芝居についても、とても熱心だったよ。 三島の最高傑作としては、戯曲の「サド公爵夫人」あげる人も多いね。 寺山も三島に負けず劣らずのマルチな才能あるよね。 あああ、サド侯爵夫人の間違いだ。 間違わないように確かめて書いた つもりだったのに。 寺山はエッセイもうまいねえ。三島とくらべると、三島のエッセイは堅苦しくて 寺山のエッセイは比すれば自由闊達という観があるなぁ。まあ、エッセイという 自由度の高い形式は、三島より寺山の資質に合っているというところか。 三島の自決を、寺山は純粋に演劇的なパフォーマンスとして批評してるね。 まあ、演劇人同士として、通じる款があったというべきか。 三島に負けず劣らずマルチって、、三島はマルチじゃない。詩なんて全然書いてないし、映画の監督したか? 寺山は鬼才。 >>37 三島は、長編小説書いたし、戯曲書いたし、評論もやったし、俳優もやったし 映画監督もやってるし、作詞もやってるそうだし、すべてにおいて卓越した 才能があったかというと疑問はあるが、マルチに活躍したことは確かだろう。 寺山にしても、詩を書き、短歌をつくり、戯曲を書き、映画監督やり、ラジオや テレビの脚本を書き、という具合にやはりマルチに活躍してたな当時は。 http://www.bunkamura.co.jp/cocoon/lineup/shosai_11_mishima.html 三島の芝居は2011年の現在においても、いまだに上演されてるそうだが 寺山の芝居で今上演されてるのって、なにかある? 俺はようしらんのだが。 いくらマルチに才能あるったって、得意分野に偏りはあるよね。 三島は長編小説が自分の本領と考えていたし、寺山の場合は やはり芝居かなぁ。といっても、寺山は俳優の才能は絶無だったという 風に誰かが書いてたな。 >>39 劇団「万有引力」を参照の事。 寺山と関係の深い人たちが活動しています。 http://www.banyu-inryoku.net/ 息が長く人気もある劇団なのにチケット代が安い。 おすすめです。 >>41 あ、ありがとん。今年の4月に公演やるんだね。観に行くかなぁ。 J・A・シーザーかぁ…その名前を知ったのは確か「少女革命ウテナ」に おいてだった。 数年前、下北沢のスズナリ劇場で万有引力が公演した時は、 寺山の映画の常連だった蘭妖子が一人芝居をしていました。 音楽はもちろんシーザーで。 その頃、私は、人気が出だしていた別の劇団に夢中になりだして、 万有引力はその後数回しか見てないのですが。 私ももう一度見に行こうかな。 よしじゃあ、4月の公演が近づいたら、万有引力の芝居をみるオフでも企画するか。 http://www.tfactory.jp/data/mary.shtml 今更ですがこんなん見つけました。 CAST 毛皮のマリー:川村毅 欣也(美少年):手塚とおる 紋白(美少女):菅野菜保之 下男/醜女のマリー:笠木誠 刺青の水夫:中村崇 鶏姦詩人1:伊澤勉 鶏姦詩人2:村島智之 手塚とおるはナイロン100℃や大人計画の頃からファンです。 見たかったなあ。 三上博士とかその他が寺山脚本の劇をやってた気がするが? しんとくまるとかもやってたな。 寺山脚本の演劇はいまでも残っている。 てか詩人としての寺山が一番すごいかと。 捨てた書を拾って、廃品回収だのブックオフに売るだのという輩が本当にいるんだから安易に捨てられないわ。 野に咲く花の〜 名前は知らない〜 だけども 野に咲く 花が好き〜 天才競馬評論家・寺山修司だな。 ウィキペディア万有引力ってまだないんですね。 万有引力はずいぶん見たけど記憶がうろ覚えで文章化するのがなあ。 http%3A%2F%2Fwww.osk.3web.ne.jp/~nanten/syowa/terayama/omoide/kamengeki.html&wsi=bf4c9fd7e36d7db1&ei=UntuTaaoBYfekgWw4tmWBg&wsc=tb 寺山ダッセェ ゴミ ジャップは命がけでコテハンで (つまりサロンなら意見の立ち位置をかえず、 同じ場所を死守して)言葉つかって戦えないから全部言葉がウソ! 模倣魔のクズ でも渋沢タツヒコなんかのがまだマシなぐらい寺山は酷い バロウズのカットアップ小説すら凌ぐ寺山の実験映画はすごい。 >>61 ちょっとだけ夢見させてくれてありがとうw 寺山のなりすましtwitterとか無いかなー 寺山修司botの管理人が島田雅彦の中身のない呟きをRTしてて、非常に残念だった 角川文庫の『寺山修司青春歌集』で、 「復刊にあたり、人権尊重の立場から、不適当な表現を含むと思われる歌は、著作権継承者の了解を得て掲載を見合わせました。(平成四年三月 編集部)」 ってあるけど何が省略されてるの? 差分をネットで公開するから、誰か新しい版買ってくれ。 恋に疲れた 古いちんこより 黒光りした on the beach 寺山の盗作はデビュー当時から指摘されていて、当時編集者だった中井英夫が弁護したりとか、まあ、色々あった。 >>73 角川文庫に『寺山修司青春歌集』や『寺山修司少女詩集』があるのを知らないか? >>74 隔離病棟スレ(川上スレ)から出て来ない様に。 ↑ファーストネームを省略し、川上ミエコ板の問題を婆の別問題に すりかえようと必死の朝日のゴミ、俺のなりすまししようとした クズ 鈴木モコとグルのストーカー しかし伸びないですねえこのスレ。 寺山好きな人いないんですか?寂しいなあ。 寺山修司は当時は前衛的、いまはやっと時代が追いついた感じ。 短歌のヒップホップ的手法とかもすごいが、やはりなんといっても詩がいい。 寺山さんが生きてたら、どや顔でツイッター小説を書いてるばかどもを叩いただろうね。 ツイッターで小説を書くのがなにか新しいとでも思ってる輩が、プロ・アマ問わず多すぎる。 また新しいツールができたら、日本初の○○小説の誕生、みたいな痴呆的惹句を振りかざすんだろう。 バカである。 以前のケータイ小説も、なにも新規なところなどなかったが。 寺山氏が亡くなった時、寺山氏のライバルだった大島渚監督が 「もう少ししたら寺山さんと合作する話をもちかけようと思ってたのに」って言ってました。 ATG映画の二大巨匠が手を組んだらどんな作品が生まれたんでしょうね。 寺山修二が生きてたら書を捨てよ町へ出ようを捨てて町へ出たら喜んでくれるの? 前に美術館で寺山修司展がやってて生原稿、舞台装置、ポスターなんかが陳列されていた。 宇野亜喜良の原画をたくさん見れて幸せな気分になったものだ。 大阪府島本町の小学校や中学校は、暴力イジメ学校や。 島本町の学校で暴力やいじめを受け続けて、心も身体も 壊されて廃人同様になってしもうた僕が言うんやから、 まちがいないで。 教師も校長も、暴力やいじめがあっても見て見ぬフリ。 そればかりか、イジメに加担する教師もおった。 誰かがイジメを苦にして自殺しても、「本校にイジメは なかった」と言うて逃げるんやろうなあ。 僕をイジメた生徒や教師の名前をここで書きたいけど、 そんなことしたら殺されて、天王山に埋められるかもしれ へん。それで誰にも発見されへんかったら、永久に行方不明のままや。 とある近所のレンタルビデオ店に田園に死す、草迷宮、書を捨てよ町へ出よう のDVDがあってびっくりした。 よくできたレンタルビデオ店だなァと思った 黒テントってまだあるんだよな。電車に乗ってるとき公演してるのを見かけた事がある。 今が最初ではないけど、ジャニーズがやる寺山舞台ってどうなんだろう 荒野を戯曲に直したものを読んだけど、原作以上に隠語が連呼されて、かなりわかりやすくさっぱりした印象になってた 新次が主演のようだからさっぱりもするか やっぱ一番好きなのがトマトケチャップ大帝だな。 えんえんじゃんけんしたりパンツに砂を入れあったりしてるナンセンスさを、 独特の幻想的な撮影方法で撮り続けていて、面白かった。 VHSの全集を持ってるんだけど、そろそろDVDの全集でないかなあ。 短歌が好きだなあ 壜詰の蝶を流してやりし川さむざむとして海に注げり シャラララ僕らはマリーの歌を歌おうよ 「歴史は嘘、去ってゆくものはみんな嘘、 そして、あした来る、鬼だけがほんと!」 毛皮のマリーより ■2006年7月31日、新宿のプーク人形劇場で平常の芝居『毛皮のマリー』を見た。江戸糸操人形「結城座」 の芝居みたいに、ある時は黒子の人形遣いとして、ある時は人形と同格の役者として、それも男役として、 女役として、彼は自由自在に立ち現れる。 ■人形も、棒遣い人形、手遣い人形、指人形など色々。マネキンもこれら動く人形と同格に「見立て」られ る。「見立て」のマジックは物にも及ぶ。コーヒーカップがバスタブに、古新聞がドレスになる。 ■汗を噴出させながらこれら「見立て」のマジックをたった一人で立ち上げるべく孤軍奮闘する平常の存在 自体が、一分のすきもなく鍛え上げられた肉体もあって、「一体この者は何者なのか」という未規定な「境 界の状態」に直面させられる。 ■たくさんの人形劇を見てきた僕にとっても、人形遣いが人形と同格の役者にもなるというレベルを超えて、 異様な変幻自在ぶりを示す人形遣いの存在自身が、一つの見世物になるという体験は、初めてだった。 ■確かに原初的祝祭の隠喩がある。男女が入れ替わり、主従が入れ替わり、物と人が入れ替わり、人と神が 入れ替わる。かくして、男が男、女が女、主人が主人、従者が従者、物が物、人が人、神が神であるような 「日常」が、ありそうもない奇蹟として現前する。 ■だがそれに留まらず、何もかもがフラットになった僕たちのポストモダンな「日常」を、いかようにもあ りうる秩序の高々一つとして現前させようとして、孤軍奮闘している平常という存在そのものが、何だか、 ありそうもない奇蹟として現前してしまうのだ。 ■僕は、うまく規定できないものを見たなというフワッとした印象と共に帰路についた。僕にとっての日常 と、平常にとっての日常は、どれほど違っているだろうと思いを巡らせた。すると「平常」という奇妙な表 記自体が一つのアイロニーだと思えてきた。 ■そうした印象のおかげで、あの寺山修司『毛皮のマリー』の世界は、一つの「劇中劇」みたいなものとし て、疎隔されて立ち現れたのだった。「平常という芝居空間」の中で、芝居空間の部分品として上演される 寺山芝居…。個人化の時代に相応しい隠喩だとも感じる。 >>92 大帝ではなく、皇帝な。 DVD-BOX、とっくに出てて、既に品切れ。 各巻の単品なら、今でも購入可。 宮台ってよく知らないけど、ウィキペディアで見るとサブカルに強い人なのかな? 自分で映画撮ったりしてるらしい。宮台の好みの監督は私も好きだ。 世間でどういう評価なのか知らないが、好感が持てる。 ノゾキしながらのセンズリ発覚はパフォーマンスだったのか? 俺にとっては日課に過ぎないが。 蜷川の演劇に村杉蝉之介が客演してるな。 大人計画は好きだ。 現代の若い世代、特に10代後半〜20代の人は寺山修司をどう見ているのだろうか? 若い人でも読書や演劇が好きな人なら寺山修司をしっているよね? akbが歌いそうじゃないかw 「野に咲く花の 名前は知らな〜い♪ だけども野に咲く 花が好き♪」 蜷川の娘の方が今撮ってるヘルタースケルターの観客になった10代20代が寺山に興味をもつ・・・ ということはあまり考えられないか >>108 寺山修司少女詩集が、いいよ^^ 読んだこと、あったら、ごめん。 つくだに=水牛おばん=名無し=ヌー「一族」バレバレ自演乙(笑) 生が終わって死が始まるのではない。 生が終われば死もまた終わってしまうのだ。 という言葉は、ようするに世の中は生のみの連続で成り立っているという事になるな。 こういう考え方をする哲学者がいたっけねえ。藤田なんとかと言ったか。 そりゃ当人にとっては、そうなるだろうが 残された奴らはその「死」を負っているのだよ 人間というものは誰もみな一人きりで生を全うするものなのですよ。 周囲の人というのは、「私」にとっての幻影でしかありません。 「私」が目を閉じればあら不思議、全員消えてしまうでしょう? >104 今の読書や演劇好きっていうのは寺山的に言えば「観客という安全地帯を確保した上で」演劇が好きっていう連中が 多いんじゃないの。自分が演劇に対して参加しよう、演劇の前線に立とうっていう前衛的衝動はない気がする。 コンテンツとして欠点を批評することは好きでも、その欠点を補完して自分の表現にすることが出来ないんじゃね。 書を捨てよ街へ出ようを見てたら、独特のグロテスクな世界観にちょっとだけピンクフラミンゴを思い出した。 実験的に露悪なアクションを起こして悪目立ちする様を追い続ける描写が多いのでちょっと共通点がある。 そして小動物を殺す場面があるのだけど、ピンクフラミンゴで鶏を腹で擦り潰すのに比べて、書を捨てよは兎の首を切るだけ。 寺山修司は割と倒錯したセクシュアリティの持ち主だけども、こういう場面は以外とあっさり撮ってしまうんだなと思った。 >>104 20代ですが、三上博史を通じて好きになりました。 青森三沢の寺山修司記念館にも行きました。 グリーンチャンネル 13:00〜14:00 ヒュ馬ンアワーセレクション(無料放送) 「競馬を愛した人〜寺山修司〜」製作:1998年 来週いっぱいぐらいまで、ずーっとやってるからどうぞ 今更ながら歌人としての才能が個人的には素晴らしいと思う あの言霊にシーザーのメロディが合体したからこそ アングラロックミュージカル集団としての天井桟敷が成立し得たのではないか 海をしらぬ…の短歌を中学二年生の夏休みの宿題の課題で見つけたのが、寺山との最初の出会いだった。たったの数十文字から一本の映画のシナリオを考えてしまえるくらい衝撃的な出会いだった。文庫本の絵を大好きな林静一が描いてたのもよかったな。ちなみに平成生まれ。 >>125 だけど、みんなと寺山との出会いもきになるなー。 私は角川文庫の『家出のすすめ』。 当時は中学生で、家出なんで考えてもみなかったけれど、題名のインパクトに吊られ買った。 ピンクの背表紙も綺麗だった。 「ハツハツハツハツ」には笑った。 角川文庫を続けて買った。 1時半からテレビで特集か。 あとは世田谷文学館で今、なんかやってるな。 >>126 俺は「さらばハイセイコー」だった もちろん、寺山の作詞だなんて意識してはいなかったが ___ ,,r''"´ `"''-,, / ノ ヽ、 \ / ( ● ) ( ● ) ヽ ヽ i゙ :::⌒(__人__)⌒::: ヽ ゙i l |r┬-| l ノ そーなんすかwww ! | | | レ' l l | | | l , l | l `ー'´ | l l ! l ,! | l l ゙i / l i゙ ゙i ヽ / / / ヽ,__,,,ゝ く ノ / ヽ ゙" / __ _ ) 、(二"'''ー'"ー'__゙゙ヽ r'  ̄  ̄ヽ,)‐-,,_ ´┴'ノ ヽ__,,-──-、__,ノ ` なんか展覧会があったり本屋で特集本見たりすると思ったら、没後30年か。 行こうか迷ったけど、いま空き状況どんなもん? 人多かったらヤダな >>135 空いてはいない いまからトークショーだ。 山田太一とか 5/5か前の日の深夜からETVの再放送連続4、5回分…美輪昭宏氏が出てて 最終話が最後の沖縄ロケの映画で体調悪く収録伸びて大借金…を元嫁、九条さんが最近(番組放映当時)まで返して…最後ホラー噺(FAXの)で〆 …新婚(じゃなくてもいいが)で片割れ。小学生で親が亡くなった場合の不成仏霊=子供や片割れの 守護霊。成り立つの美輪さん教えて! …最後のFAX件みて思った…後良いからといって貰った薬全部飲んだとか そう言えば美輪さんも九条さんに怖くなかったでしょ、とも言ってた最終話のやつ レポかったるいなあ ともかく特別ゲストで山崎ハコさんがきて、二曲、アコギでうたった。 寺山作詞のかもめと、自身の最初のアルバムの一曲目を。 三つ公開した映画のうち、ふたつめの実験映画「ローラ」では、オリジナル通り、観客席のおとこがスクリーン内にはいり、またこちら側に召還された。 映画三本のあとトークショー。 山田太一と寺山の手紙のやりとりが、九條さんてきにはホモチックだと云々。 寺山修司は34歳のときに九條さんと離婚したあと、47歳で肝硬変で死ぬまで ずっと実母のハツさんと東京で二人暮らしをしていたんだよなぁ 真性のマザコンです。どうも有り難うございました。 基本興味ないが、昔前衛・アングラずきの親友(武光、アケタの店等…)いて 耳にした事はあったが、ETVの特集みてひととなり判った…父の戦死が息子の溺愛へ…様な流れで 俺も45才で年とったから凄い人と理解出来たが …どの作品か判らんが、角川映画にも影響与えたんだろうな?とか前衛の白塗り舞踏の、何とか?名前忘れたが …で最後の映画?少し流れてた女優が『百年たったら…』?叫んでた。俺は基本(今は)完全に弱い人間なったから見ない方が良いと… 取り込まれる?一時、稲川じゅんじの怪談ライヴ無性に行きたかった時期あったが抑えきった 今でも某宗教入ってるが、何か霊と平衡下だと… 芸・芸術に殉死した系の人は今の俺はマズイし無理。美輪氏もクッションで助けられたが …近づくべからずか?ちゅうか感受するエネルギーない 「百年たったら帰っておいで! 百年たてばその意味わかる!」 ですね。 『さらば箱舟』の最後に小川真由美がさけぶセリフ。 小川真由美か?内も小学生からNHKしか見せて貰えなかったから 何にでてた?向田くにこドラマ?とかでてなかった? 山崎はこももう60才位?釘を打つでお馴染みの、カルメンマキや浅川?濃い人ばっかりじゃん 森田童子ってまだ生きてるのかな? あとヒカシューってまだやってないよな?…あと中島らもの『子供の時間』だったか?怖かったような …こんな話通じる人間周りいないから… 小川真由美さんは60年代から活躍されている大女優さんですよ。 『八ッ墓村』から『復讐するは我にあり』から『鬼畜』から女ねずみ小僧から、何やらかんやら 映画・テレビの出演作の数は多く、演技の幅は広いです。ときには世紀の怪演も見せる異色の個性派女優です。 NHKならば、一時期大河ドラマ出演者の常連でした。 向田邦子作品にはなにか出てましたっけ… 爺が、仕事で駆け出しの頃、寺山とアポをとったり、依頼事があるときに、必ず話を 通した女性がいたが、それが田中未知だった 未知さんは、カルメン・マキが唄った『時には母のない子のように』の作曲をはじめ カルメン・マキの奔放さに業を煮やした寺山は、タクシーの 中で爺に「カルメン・マキは破門しました」と話した時の会話が今でも忘れられない。 未知さんは、今もお元気なのでしょうか。 ↑ ネットで発見。爺って誰だよ。。W 角川映画は実はマトモに見てないが・・・女ねずみ小僧はハッキリ記憶にあるは、よういやあの人やわ・・ カルメンマキは何十年前から小さいライブハウスでやってた?の知ってるがあの曲のイメージか? 昭和臭きつスギルは・・今はまってるのはガーネットクロウもう解散するけど 前は谷山浩子や遊佐未森すきやったけど・・ >>155 なんで「皇潤」と『田園に死す』なんだ? つながりは八千草薫主演ということだけ? 八千草の若い頃の出演作ならもっと他にも適当なのがあるだろ 誰が企画したんだ。ちゃんと九條さんとこへ権利料払っているんだろうな しかしとつぜん学生服を着た白塗りの少年が現れたら度肝抜かれるだろ?w おじいちゃんやおばあちゃんは卒倒しちゃうよ。 皆さんは寺山の目が狂気にみえる瞬間ってないですか? たまに寺山の顔が頭に浮かんで怖いなと思う瞬間があるのですが。僕は正常ですかね? まあ、力石徹の葬式を、東由多可らとともになしとげたという点では、虚構のとらえかたが 超虚構とかそんな貧弱なのじゃなくて、価値を反転させる動力を感じるね。 虚構と現実の二元論からの脱出、みたいな。 >>158 ええ、天才は狂気と紙一重 深入りした人は大変でしょうね 初カキコ…ども… 寺山修司作品を初めて観ました 田園に死す 想像してたより凄い映画だった おしっこくさいマンコの深夜映画姦 棒付きちんこをなめながらあんたが腰を振るのを視るのが好き 死んでもらいまひょ 死んでもらいまひょ 寺山修司パロディー詩 by 弧高の鬼才 元早稲田大学教授でいらした高橋世織先生が寺山について論文を書かれていないか、 ご存知のかたいらっしゃいませんか? 角川文庫で表紙が変わらないのって、米倉斉加年の夢野久作くらいじゃないか? アメトークでおざーさんが奨めてたし、その時の海の詩が何となく気になったから少女詩集買ったんだけど、訳分からな過ぎて笑えてきた。 反面amazonではかなり評価高いしで自分の読解力が怪しくなってきたわ。 ちょくちょく好きなのもあったんだけどね。海とか猫とか。 でも鉛筆がどうだとか唐突な「お譲さん!」にはもはや理解が追い付かなかったわww 詩ってこういうものなん? >>178 >もはや理解が追い付かなかったわww ~~~~~~ あなたも、楽しかったでしょ >>179 はい、それも含めて楽しめました。 次は書を捨てよにいきます。 『下北半島は斧の形をしている (中略) 斧は、津軽一帯に向けてふりあげられており、 「今まさに頭を叩き割ろうとしてる」ように見えるのが (後略) 』 ・・・っていう文言、なんかの文庫本に収録されていましたっけ? 読んだ記憶はあるような気がするんですが、手持ちの文庫本あさっても見つけ出せない・・・。 冗談かと思ったら本当だった。 最近まで元気だったイメージなのでビックリ >>186 ありがとうございます。「わが故郷」でしたか。 「わが故郷」って文庫本では出ていないですよ・・・ね? 文庫本じゃないどっかで読んだのを記憶違いしてたみたいです・・・。 う〜ん、なんか寺山読んでるとこういう体験よくある気がします・・・。 最近知って、田園に死す見たけど、 超一流の映像作家だな。 両手いっぱいの言葉って本は、寺山のベストアルバムみたいな感じだな、 >>176 眠り弁天の御開帳を表紙にすべきだったか? まあどうでもいいが。 批評家というのは、時代に少し遅れていくことで役目を果たすわけです。 あまり足早の批評家では、詩人か予言者になってしまいます。 と言いましたよね。 さすがです。 詩人こそ至上だからです。 ヒトラーを、偉大なる小人物と評したことは、おもしろい。 誰かがふとりはじめると、別のところで誰かがやせはじめる わかれみちを通るためには、人は誰でも選ばねばならない 歴史にはなんの目的もない、人類にもなんの目的もない 名言多いっす。 てらやまーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー 菅原文太さんとは被ってないのかな? 何年次に中退なんだろう。 二歳差だから、被ってないかもね。 大橋巨泉とは同学年かな、菅原さんは。 『ボクサー』って、菅原文太が寺山修司を推したそうだね。 寺山修司の真髄は演劇であるという人もいれば映画であるという人もいるし短歌だという人もいる でも俺はエッセイこそが寺山の真髄なのではないかと思う >>199 へえ初耳。 そういや、寺山脚本の映画、乾いた湖って岩下志麻のデビュー作なのか。 キンタマの小さい、ピンポン・ジェネレーションには寺山は理解できない。 >>200 堂本正樹だったかな? 寺山は演劇でも映画でも短歌でもNo1ではなかった、 だけど演劇と映画と短歌の複数ジャンルでNo2という稀有な作家だった、と 器用貧乏という感じだが、マルチクリエイターとしては一流だよなあ。 なにげに、写真家もやっている 中退した人間は、中退したひとの気持ちを誰よりも理解できる、みたいなことを何かで書いてたな。 本の名前は失念。 流行るのは性器が大きいことに対しての嫉妬なお笑いだろ。 流行るのは性器が大きいことに対しての嫉妬なお笑いだろ。 わたしは、現代人が失いかけているのは『話し合い』などではなくて、 むしろ『黙りあい』だと思っている。 by 寺山修司『東京零年』 開高健がやたら敵視してたのは、寺山が学生時代から名前が売れてた事へのやっかみもあるんだろうな。 開高さんは、みためがきもいし、精神的にもきもい 小説はうまいけどねえwww 文学者で見た目のいい人の方が珍しい 書を捨てて、町に出て、インフルエンザをうつされて、寝込んで暇をもてあまし、そうしてまた書に手をのぱす―― >>213 あの形容詞を読点でつなげる文体は、たまに胃にもたれる。 ハルキ文庫の「啄木を読む」って、 「歩けメロス」という文章以外にも太宰を論じた文章はありますか? 寺山の太宰論に興味があるんですが、 「啄木を読む」がなかなか手に入らなくて… 社会ってのは常に有為転変するものだ。若い連中はそれに合わせて、ちゃんとやっていけるけど、年寄りはそうはいかない。だもんだから「今の若いものは……」なんて批判する。 口で言うだけならまだいいが、伸びる芽まで摘んでしまっちゃ駄目だよね。そうなったら、「老害」以外の何物でもないからね。 そう考えたから、俺は第一線から身を引いたんだ。人間、はじめるよりも終りのほうが大事なんだよ。 本田宗一郎 「教養特集「人間,言葉,行為」―フィーリング時代の詩―」 出演、寺山修司、吉増剛造、白石かずこ、岡本太郎ほか http://www.nhk.or.jp/e-tele/onegai/detail/63706.html 再放送リクエストです。 100超えたら再放送検討。クリック&拡散よろ 👀 Rock54: Caution(BBR-MD5:55e787040b07f9ca8824427c31a04279) >>1 書を捨てよ。とっくに捨ててるよ。スマホを捨てよ。 田園に死す Pastoral: To die in the country (1974) (English subs), Shuji Terayama https://www.youtube.com/watch?v=MThQ8kQHEyg 「出口はたくさんあるのに入り口はいつも一つしかなかった」みたいなフレーズのある詩で、 確か寺山修司さんの作だったと思うんだけどタイトルもどの本にあるのかも分からぬ……。 中高生の時期に色々乱読してた頃に、何故かこのフレーズだけが残ってるんだよなぁ。 え;; こんなスレあったんだ……。嬉しい。 また今度、読む、書く。 >>221 初期から死後作品まで、主要作品はだいたい持っているけど、記憶力のスペックの問題もあり、ちとピンと思い出せません。 が、これを期に寺山の蔵書を開いて、探してみる(かも)。 >>221 寺山のことをパクリ詩人と怒りまくってた開高健にあったような。 その原因になったと思われる「たとえ世界が明日滅ぶとしても」的な言葉については寺山が元ネタを知ってた上でミスティフィカシオンしていた模様 寺山修司の場合、パロディなのかパクリなのかオマージュなのか判断しづらい 初期の短歌に関しては明らかな盗作もあるけど そして、引用元のほとんどがポケットに名言をにでてくるという 寺山の身毒丸の舞台映像を最近になって観たんだが、彼がこれ程折口信夫を研究してるとは思わなかった 折口の短編、身毒丸と寺山の戯曲身毒丸がどう関係してるか理解してる人は少ないだろう かくれんぼ鬼のままにて老いたれば誰を探しに来る村祭 久しぶりに帰った故郷でこんな気分になった マッチ擦るつかのま海に霧深し 身捨つるほどの祖国はありや ねーよ >>232 おお!演出、役者、脚本など、引っかかりはどこにありました? >>233 韓国人を出すってのが不安だったけど、バリカンのどもりの表現がなんかよかったかな >>234 ありがとう。寺山作品のリメイクものには基本、期待してないのだが、これは観に行こうかな >>228 寺山は研究というより、つまむセンスが高く形而上学的に正解な道筋へ進んでいた質問の人というイメージがあります。 折口のくだりは理解できていませんが、そういったドヤれるピースは其処彼処に置いてあると思うとります。 寺山は、2000年代以降の現代アーティスト的にクールであるというレトリックを先取りしていたような、巧みなコピペをブレーキ知らずで散りばめていた。 折口にリンクが云々、これは誰も気付いていないだろう云々は、術中にハマっていますよ。 キリがない。 音楽で言えば当時は、ジャーマンプログレにもウインクしていたし、例を挙げればキリがない サブカルチャーという言葉が本来持っていた横道に逸れて尚且つ、本道への疑問に立ち向かうという総合芸術家としての寺山は大好きですけどね。 マニアはと過小評価している気もいたします。 >>238 訂正 酔ってる サブカルチャーという言葉が本来持っていたリアルや世相を加味しながら、本道への疑問に立ち向かうという総合芸術家としての寺山は大好きですけどね。 「書を捨てよ町へ出よう」を初めて読んで寺山に興味が出た。他に寺山でこれ読んどけってのある? 古本屋にでもネット販売でも、作品をまとめた入門書的ムックや書籍がある それを眺めて、歌集、詩集、小説、エッセイ、シナリオ、演劇論、芸術論、哲学ライクな対談集など興味の持てそうな所から切り崩してけばええ これ、あってる? 「家出のすすめ」 寺山修司 1963年のエッセイだが、「東京へ行こう。行けば行ったでなんとかなるさ」という主張なのだが。 寺山修司は家出などしておらず、19歳で早稲田に受かって青森から東京へ来た。 だいたい人生論についてはひと世代立たないと結果はわからないが、 ぼくの知る限り、東京へ家出した若者のほとんどはなんとかなったりせずひどい目にあった。 幸せにはならなかった。90年代女子高生文化の結果としてはっきりしている。 そして、何よりムカつくのが、東京もんはそういう上京して来る若者をバカにしていることだ。 >>244 お前、「記憶喪失した男」だろ? それでいいよ >>245 入門書とざっくり表現したが、読み応えのある内容の本はあるよ なにせ、彼は多ジャンルかつ多作故、最初は俯瞰で作品群を眺めて、自分のアンテナに引っかかたものを手にしたら如何ですかね >>236 ほお、あなた中々やりますね、あなたの寺山観はおそらく正しいと思います。 私は寺山の事はよく知りませんが、戯曲 身毒丸を見た限りにおいて、寺山 と謂う人は、あなたのおっしゃる通りの人だと推察しましたよ。 折口の身毒丸は青空文庫で読めますから読んでごらんなさい。、 極めて難解な作品で、普通に読んでも何か書きたいのか、何を言わんと しているのか、かいもく見当もつかないという代物ですが。 >>248 御丁寧にどうもです! 恐縮であります。236です。 寺山に限らず、さわりだけ触れて作家性を見抜くとは、哲学ないしは文学の芯をお持ちの方かと推察いたしました。 もし、よろしければ、折口とのリンク、なぜ、どこに、然るに、などを勉強させてください! 字幕あればいんだどもこの監督の作品字幕ねど聞ぎにぐぐて参るじゃな 字幕版をあだらすぐだすよでいねんだべが? 寺山の選集は読んだことはあるけど、意味を忠実に取りすぎることはないよ。 難しいと思っても、自分の文学の印象を変えないでもいいと思う。 いや自分自身は。 ただ、人生を変えたいという願望を持ってる、先輩世代にとっては、 そういうてらいはいらないだろうな。 >>250 ww20年前くらいだろうか、青森の奥地のお婆さんの証言を通訳する娘さんの語り口に字幕がついているニュースを見た記憶があります。 太宰の黄金風景の映像作品では青森弁に字幕がついてたなw >>261 『ポケットに名言を』に出てくる本とかどれくらい原文で読んだんだろう。あの本の中には日本で一般的に広まってる訳とは違う訳され方してる言葉もあるから、修司が原文で読んで自分で翻訳したのかな? >>263 断言はできませんが、彼は原文を読んでいないと想像します。翻訳の解釈を拡げたのだと。 余白を自分の世界に引き寄せる強引、乱暴な演出力が彼の持ち味でもありますし。 青森訛りの英語というくだりは、ジョークであり、彼への愛情も少し込めて書きました。 >>249 >「書を捨てよ町へ出よう」を初めて読んで寺山に興味が出た。他に寺山でこれ読んどけっての >ある? 寺山ので良かったのは死後に思潮社から出てた『寺山修司の戯曲』シリーズですね。 あれで舞台版の「書を捨てよ、街に出よう」や舞台と客席が反転する「観客席」、ラジオドラマ の「コメット・イケヤ」を初めて読んで感動したクチです。 「書を捨てよ、街に出よう」は映画版も良かったですね。虚構の合間に寺山特有の 毒のある仕掛け、幸福の手紙朗読(ほとんど嫌がらせw)や「健さん、愛してる」の唄、 警察から逃れて放浪する過激派青年の独白、などなどが突如挿入。驚く映画です。 出だしから驚く映画でした。だって主役青年が画面から客席に語りかけてくるんです。 「そっちは禁煙だろうけどこっちは吸えるんだよ」と旨そうに吸う。「高倉健の映画みて いい気になったお前に何が起こったんだ!」と指さしてくるとか、過激でしたね。仕掛けが 凄い。 ラストは主役青年の「灯りをつけてください」の声とともに出演者・スタッフが一堂に集ま ってるシーンで「所詮映画は虚構」が宣言され、一人一人の顔が映し出され、やがて暗転。 これも良かったです。DVDで出てます。 寺山修司 堀江秀史編 ロミイの代辯 寺山修司単行本未収録作品集 ISBN978-4-86488-146-3 C0095¥3800E A5上製 384頁 2018年4月下旬刊 夜会、レースの手袋、スタンダールの恋愛論、 バァィオレットフィズ、シュトラウス、 みんなくたばれ。 紳士淑女諸君。 ホルモンの景気はどうですかね。 詩歌、散文、写真――没後35年、いまなお響く、そのロマネスク。 発掘資料より46篇。おもに1960年前後の雑誌発表作品より。 >>272 港町で評判の阿婆擦れ女に、バラを買う金すらない貧乏水夫が 女の部屋に忍び込み、ジャックナイフで女の心臓をひと突き、 真っ赤なバラの贈り物、、、。 >>267 同じく、いいぞ若者! これは嫌味ではない、純粋にいいぞ! とはいえ、寺山修司イコール若者モノとは思わないけどね 当時のトレンドを巧みに内包しつつ、形而上学に真正面で挑んでいた偉大な人だ >>274 コクトーだとオルフェやらトレースしているけど、その一部分をもってしてコクトーだったのか?という論は成り立つのですか? 当方、コクトー不勉強でして。。 なんでしょか、マクロ視点のギリシャ神話、チベット仏教、つまり西洋哲学+東洋哲学ミックスに視座を起きつつ、ミクロ視点の日本ローカル御伽噺を露悪的に乱暴にまでぶん投げた これはオリジナリティであり、コピペ文化では収まらない気がします >>279 絵画 戯曲 映画 舞台 としての広がり。 この広がりはアンディウォーホル とも類似 なんつーか久しぶりに学びたい欲求がフツフツ 詳しい人なんでも教えてください♬ >>281 トレンドセッターであらねばならぬのは、当時も今も日本人の宿命ですね! 特にコクトーは不勉強の限りなので、ご教授願います🤲 いいスレになってほしい! 横尾忠則は寺山修司でもないし、先に羅列したのはビジュアル演出ということでしょうか? これは煽りではなく、対話のキャッチボール(ホームに帰る野球を愛するお父さんのメンタリティとは?的な)を希望しているので、レスバ的なノリではなく、知識カモーンです! >>281 フレンドリーな書き込みを努力したけど、結局のところ、君は大丈夫なのか >>289 寺山とアンディの実験映画フィルム http://kiyou.lib.agu.ac.jp/pdf/kiyou_13F/13_58_1F/13_58_1_33.pdf これは、この方の論文であって、 直感的なものへの、後付け情報の価値以上のものではないが、考えるに 特にウォーホルと寺山修司を一緒にしたくもない。 寺山修司は何かを持っていた。 男が女を愛さない様な・・・ 朝が夜を産み落とす様な・・・ >>279 この絵が何故か 寺山修司の様に感じる。 http://blog.livedoor.jp/jean_0214/archives/38685587.html ただそれだけ。 他に理由はなく、ただそれだけ。 誰かやあなたが 寺山修司とは全く違うと感じれば それはそれでいい。 >>291 289です。 もう寝るので後日になり恐縮ですが、貴方の書き込みに対して真摯に向き合わせて頂きます。 悪文、失礼致しました。 同時に、興味深い素材と投げかけ、嬉しく思います。 >>291 大人の対応ありがとうございました。 言い訳ですが、昨晩の私は泥酔しておりました。。。勉強させてくださいませ。 >>293 なんか やわらかい印象 ありがとうございます。 多分奥行きのある主スネ。 このスレの懐の深さをかんじまスた。 わたしは感覚派かもで、誤解をよく撒き おふざけが過ぎ。 ※なんだこりゃ失礼オチャメ こんな風に描きたくなっちゃう〜 えっどな本を捨てて メイドカフェとかリフレとかに 参加しよう! 寺山修司はテキストとイメージと現実の対応関係を非常にラジカルに考えていたと思う。 テキストからイメージを経て、行動へと誘う方法を考え、実践した。 小津や黒沢なんか、比べようがないくらい偉大で、世界が唯一注目すべき映画監督が寺山だろ。 今さら、小津や黒沢なんか見てもしょうがない,倉庫にしまいっ放しで十分。 日本には寺山だけで十分。 寺山修司はテキストとイメージと現実の対応関係を非常にラジカルに考えていたと思う。 テキストからイメージを経て、行動へと誘う方法を考え、実践した。 小津や黒沢なんか、比べようがないくらい偉大で、世界が唯一注目すべき映画監督が寺山だろ。 今さら、小津や黒沢なんか見てもしょうがない,倉庫にしまいっ放しで十分。 日本には寺山だけで十分。 寺山修司はテキストとイメージと現実の対応関係を非常にラジカルに考えていたと思う。 テキストからイメージを経て、行動へと誘う方法を考え、実践した。 小津や黒沢なんか、比べようがないくらい偉大で、世界が唯一注目すべき映画監督が寺山だろ。 今さら、小津や黒沢なんか見てもしょうがない,倉庫にしまいっ放しで十分。 日本には寺山だけで十分。 寺山修司の映画がサブカル範疇に押し留められることに関しては違和感を覚えている人間ですが、上記のレス三連発は宗教の原理主義を想起させて割と怖いのであります! >>294 お、おう。。 あと超ごめんなさい、仕事やらなんやらで熟考至ず。お返事はまた今度させてくださいませ! 寺山修司の寺が 青山修二だったら また運命はちがっていたろう。 もし寺が 鉄山修二だったら 物語は変わっていただろう。 なぜなら 詩 は一瞬だが 文庫本は文字のレール を何度も何度も廻り続けるモノレールで モノレールは色が塗られていて いつも煉瓦色になるように印象操作されているからであるのだ。 読書は人生のインターバル期間に行われるので行動とは結び付かない むしろ人生=行動の阻害要因にすらなるので 読書に固執してはいけない、というのが寺山の主張だったと思うが それでも読書自体は否定していなかった 読書と詩とは 磁石におけるS極とN極である 詩とは 音である 風景である 栞である 本はリアカーで轢かれていく粘土々の上に ぬるりと湿った線弾きのようである >>306 寺山はかつていた吟遊詩人の肉声による詩のエネルギーにある種の架空の望郷を比喩として表現した。それは価値のある投げかけであった。しかし、現実では出版し、舞台をつくり、映画の制作費用に苦しんでいた。彼の死後も尚、九条氏はそれを補填し続けていた人生だった。 それでもなお吟遊詩人の肉声を至高とするなら、それはそれで追及したらいいし、いい意味で魔境に入ればいい。 レトリックに溺れるか、レトリックに心中するかは、人生観に依るものになるのでご自由にであるのだね。 寺山修司は、識者に幾らでも言語解説されてきた、されてしまう形而上学に、余白、ロマンを総合芸術的に落としてきたことに功績があると思っております。 例えば 音 とは雨である トタン屋根にパラパラとおちるそれは 見てもいない 心に映る 降り積もる雪には音はない 風景は 真っ白な栞深々と はさんで閉じる 窓枠に灯る橙色の紐 それは詩だった いいですね 見てもいない のくだりが、ちと蛇足なようにも、、、 >>310 カタカタと湯を沸かす音がする パラパラとトタン屋根に雨が落ちる音がする 瞼を開けるその刹那、生きていると思った 降り積もる雪に音はない 風景は 真っ白な栞深々 瞼を開けるまでもなく、見えていた 皮膚が死のうと囁いた はさんで閉じる 窓枠に灯る橙色の紐 明日の色を見ようと思った、まだ 例えば 夏は 劇場である 馴染みの役者が舞台に立つ もう他界した夕立ちなど 幕はいつ降りてくるのか 僕たちが拍手を止める時さ 例えば 秋は シネマである チカチカと溢れる映写機の光が粒になって 空気を変えるんだ 僕らの光で空気を変えた日 劇場は シネマになる >>315 無粋な質問だが、君はどうしたいの? 「質問の人」であった寺山を表面的にトレースして聞いてみた。 >>316 >>304 へのオマージュなのであります。 昨日と今日は別の日だけれど遠い未来からみれば その二つは だいたい同じ日として映されるのだろう 円周率は決まっているのだ いまのところは。 映写機からのゆるい光がうつしだすもの それは天気のように まわるまわる すべてがまわっているけど >>317 うーむ、なーんか寺山の上っ面だけなぞってみたナルシズムを感じて好きじゃないかも よくあるパターンでもあるのか 円周率、映写機、光、天気、それらの事象に対して子供のように身を委ね、無責任に投げっぱなしにしていている姿勢が見てとれなくもない 寺山を便利に使わない方がいいんじゃない? いや待てよ。便利に使えるからこそ、時代を超えて彼のイメージが生きながらえているのだから、そういったフォロワーが生まれ続けているのは正解なのだな 無粋なことを書いて反省します 初めてこの方の著書「書を捨てよ〜」読んだ。 どうしても「きみもヤクザになれる」のタイトルと内容を繋げられない… 結局この章で言うヤクザって何の事だろう。 寺山も文学の専門からやりすぎてロックフェラー財団にい力尽きてますよ。 カーネギーやエジソンの努力と結晶からはいって下切りにしながら読みなさい。 敵が多い人は能率的にすべてを編集推敲してカード使いがうまい人で寺山のばくちなど見ておれん。 新世代はオバサン臭くなってもバタクサイないです。 究極Q太郎(@Q81587908) N画伯妻Yさんの介護者Oさん。日中外出介護後に夜勤介護がある。そちらへ向かう移動中に電話を寄越してくれる。昼間Yさんと一緒に観てきたという全共闘と三島由紀夫の対話ドキュメンタリー映画が良かったとお薦めされる。私は、三島作品は十代の頃読んだ。寺山修司との対談が面白い。 松本圭二 「三島由紀夫と寺山の対談というのも滅茶苦茶面白かった。 三島に対して好戦的なんだ寺山は。 遠慮がない。 日本浪漫派の鬼っ子なんて少しも寺山は怖くなかった。」 >>330 芸スポ速報+じゃなくてニュース速報+ですた 寺山の天井桟敷や映画は土方の暗黒舞踏の影響が大き過ぎるような。 寺山の詩の世界の明るさや軽さとの隔たりが大きいような。 >>144 方舟いいよね、マルケスのパクりだけど 寺山、パクり多いけどいいです パクってもなんか味があるんだよね In the sex scene between Sir Stephen's and Nathalie's characters, Arielle Dombasle was actually penetrated by Klaus Kinski. Shûji Terayama chose not to show the act explicitly, asking Kinski to cover his penis as he brought it towards Dombasle's bottom. But some frames clearly show the glans of Kinski's penis (maybe with a condom on) entering Dombasle. 寺山修司の上海異人館という映画で 海辺のポーリーヌに出た アリエル・ドンバールとクラウス・キンスキーの本番が ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています
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