>>124
いや俺が勝手に120から121の極論が思い浮かんだだけ。
君がどういうつもりか関係なく。

こう言っているが、俺個人は割と鈴木に好印象があるのだよ。
それは鈴木が>>121を分かっている気がするからなんだよな。
歴史を研究することの限界を知ってやっている。学者として真摯な態度があるように思う。
>>101のこことか。

これも何度もいいますが、評価の歴史を明らかにする作業にとって、われわれが、どう評価するか、ということは、直接は問題外なのです。間接的にはかかわりますが。つまり、自分のモノサシがあって、他者の批評の移り変わりが明らかにできる、という意味です。

「自分のモノサシ」というのは現代人である鈴木のモノサシだ。
鈴木は現代の日本人であって、例えば19世紀の西洋人ではない。
現代人としての「自分のモノサシ」は無くならないが、それを間接的な所に置く、と。