>>129
>ただ近代文学の場合、時代の近さの所為で、変化や差異を忘れがちだ。

忘れがちであってはならないのは文学史学者だから、ということを忘れずにな。
一般の読者は忘れてもいい。
そういった細かい歴史的事実を考慮しないで読むことも、新しい解釈を生む可能性となる。
新しい解釈が生じることとは、その作品が生き続けることでもある。
小谷野も鈴木も、発表当時注目されたなかったのに、時代を経て評価が高まった作品の例も出しているだろう。
それはそういうことだろうと思う。平たく言えば「時代が作品に追いついた」とかそんなこと。

鈴木の仕事を無意味だとは断じないが(個人的には意味が希薄だと思えるのは変わりないが)、
「変化や差異」を忘れることも、一概に悪いことではない。