批評家を語ろう
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おれがいねえ。 文学板で、おれって存在、認識されてないのかな。 やる気落ちるぜよ。 おれの書評に、編集者は反応するぜよ。 >>67 まあ、そうですねw >>68 小林秀雄は尊敬してるけど、後は継げない。やりたくても無理。才能も条件もないし。 >>69 あなたの書評、俺は面白いと思わないけど、まあ頑張って下さい。 批評家どもは、猛暑でてめーんちのクーラーがついてりゃそれでいいだけ。 全員、廃業でいい。 嘘に嘘を積み重ね、赤の他人をだまし続け たえざる自作自演となりすまし犯罪をおこなう、団塊老害・村上春樹容疑者(62) この板の主役◆OZ/B6fTcn6= (o`.´o)materialist ◆m0yPyqc5MQ= 忍法帖【Lv=7,xxxP】 v(・x・)v◆m0yPyqc5MQ= 烏賊娘 ◆42euzUlXSM http://twitter.com/ikamusumeM2 = ムー大陸 ◆DMnIjpZYd2= 記憶喪失した男= 村上春樹容疑者(62) 村上春樹容疑者は今日も2chのあちこちで成り済まし犯罪。 そのなりすました相手に侮辱の罪をなすりつけつつ、風説の流布。 カンサイ人の恥。村上春樹(神戸出身)。またも世界中をとびまわり、ありとあらゆる悪業にてをそめます。 他人の褌で相撲を取る世界最低の手合い。今日も下賤な姦淫の話でお茶をにごします 批評に何が出来るのかって思ったよ。語らないなりにどこに限界があるのか提示するのは重要だよね。 小説の限界を提示するのは批評家の役割ではないけど、文芸批評の限界を示すのは重要だと思うんだ。 今、そこまで攻めてる人はいないね。批評家同士の人間関係に悩んでるんだろう。そんなのクソだよ。 もっと野蛮で野心的な批評家が出てきて欲しいよ。ほんと、昔の人が本気出すべきだよ。東浩紀が新世代?なんか新しい事やったか?奴がw 震災直後に嘘をぺらぺら云いまくっていた専門家でさえ 言い訳しながら生き残ってるからな。そいつを崇める信者もいる。 糞みたいな批評家でも今後も活躍していくだろうw文学的だろw 鈴木雄介、大丈夫かよ。仲原省也スレ、次スレ立たないで埋まっちゃったぞ。 まったく何考えているんだろうなあ。 ここでひとつ解答を求める きみたちはヌーヴォ・ロマンについてはどう考えてるんだい? 批評家の意見を使ってもいいので考えを述べてくれよ ヌーヴォ・ロマンとは、日活ロマンポルノの一カテゴリーであろうが、 そこで扱われる性が女子大生、あるいは、二十代OLであることに、 日本の性道徳の限界を感じる。 なぜ、14歳はダメなのか。そもそも、揺れる二段ベッド姉編における、 姉の巨乳スレンダーボディはなんなのか。 声を押し殺している演出のため、わざとらしくあんあんいわない姉が、 非常にリアルで、見ているだけでも悶えるのがわかるので、 姉が本当に感じているのが伝わり、非常に作品に好感がもてる。 つまり、ヌーヴォ・ロマンとは、揺れる二段ベッド姉編のことであり、 姉のあえぎ声こそが、至高の映画であり、文学である。 おわり。 山城むつみ×神山睦美〜21世紀のわれわれ日本人がドストエフスキーを読むということ http://www.ustream.tv/recorded/14661180#utm_campaign=synclickback&source=http ://junkudo.seesaa.net/&medium=14661180 ヌーヴォ・ロマンね。一時期、前田愛の評論とかはよく読んでたけど、 アンチロマン(反小説)って名称もあるように、小説からストーリーを抜いたもの、 くらいの認識かな。 で、ストーリーを取っ払って、小説の「テクスト空間」にだけ特化して、小説の可能性を 切り開こうとしていたのだけど、いまいち支持されなかった。 今でも似たような方法意識(手法)でやる作家は多いけど、売れない。 別に売れるのが正義だとは言わないが、一部の人しか興味を持てず、面白いと思えないのは事実。 それで、面白いと思えない人を「読めない人」と批判したりするので、非常にうざい。嫌な空気が流れる。 [アカデミズム] │木田元 熊野純彦 飯田隆 │ 広松渉 坂部恵 大森荘蔵│ │ 福嶋亮大 大澤真幸 │ 永井均 蓮實重彦 │ 内田樹 │ 鈴木謙介 [上流]浅田彰─────────────佐々木中───────────────────[下流] │ 東浩紀 吉本隆明 柄谷行人 │竹田青嗣 松岡正剛 │ │ 江藤淳 │ スガ秀美 福田和也 │ 宮台真司 宇野常寛 │ │ 黒瀬陽平 [チンピラ] 前田愛をめぐる、鈴木貞美vs中島、小谷野の論争なんかどうなんだ? 業界内の内紛って印象だな。久米正雄とか横光利一のころからある文学の定義というか。 小谷野は、純文学と通俗小説の二分。 鈴木は、純文学、大衆文学、民衆文学、の三分、とかか。 元は前田愛の「音読」への鈴木からの批判で、そっから広がっていったのか。 >>87 解説サンクス。 だが、純文学の定義が2人の間で一致するとすれば、 小谷野の「通俗文学」が鈴木の「大衆文学」と「民衆文学」に 相当することに、おそらくなるとすれば、大衆と民衆という 言葉の定義が時代の変遷で変化したのに対して、通俗の用語が 前者二つの用語よりも普遍性を持っている分、明解な印象を 与えるような気がするが。大衆文学や民衆文学という用語は 業界内でしか、通用しないだろう。 話し変わるけど、小谷野が「モテナイ男」という性的弱者に 目を向けたことから来る自信は相当のものだねw 上野千鶴子とかは図に乗って、「モテナイ男」達を思いっきり、 笑い飛ばしてた訳だからw いや、小谷野の「純文学」か「通俗小説」かという区分は、有効性を失ってると思うけどな。 というのは、昔は作家に弟子入りするか同人誌からデビューするしかなくて、純文学に挫折した人間が 「通俗小説」を書くってパターンだったわけ。北方謙三とか渡辺淳一とか。 だから「高尚な文学をやってる自分達に対して、あいつらは通俗だ」って馬鹿にした言い方が成り立っていたわけだけど、 今じゃあ成り立たないね。そういうアナクロなのが小谷野の魅力でもあるのだが。 松本清張以降、エンタメが社会的なテーマを扱うようになって地位が向上した、とか誰か言ってたけど、 アカデミズムではどういう扱いなんだろう。 上野は男流文学論が懐かしい。 今もそうだが学歴や職歴はむしろエンタメ作家の方が純文学作家より上じゃないか hakike/// sicking, japs money monky does death game. pray. they have their bad women and bad men, for ugly, it was a sodom moneys can not to go next generation, so all of japs bring a geisha// sack a bad world story dead a world >>89 純文学と通俗文学の区別が曖昧になったのは、純文学作家のレベルが 落ちたからであって、通俗小説家がレベルアップした訳じゃないと 俺は思うんだよな。 芥川賞受賞者の半分以上を「面白くない通俗小説の書き手」と、すれば 良いだけで。今は特にその傾向が著しいと思う。 俺は小谷野がターゲットとして鈴木貞美に目をつけたこと自体は、 面白いことだと思うよ。全体的に小谷野が議論で劣勢に見えようとも、 鈴木が何らかのインチキ性を持ってることを小谷野は嗅ぎ当ててる ような気がするんだなw そういう小谷野の嗅覚はたぶん確かだと思うw 要は、国際日本文化研究センター教授なんてものを疑わなくて どうするんだ、という話。国際と名を打ちながら、外国人の教授は ほとんどいないんだろ?こんなのインチキに決まってるw 中曽根康弘の作ったもんだしw なんで大森荘蔵や広松渉や坂部恵や木田元や飯田隆や永井均や熊野純彦が「批評家」なの? >>93 はいいこと言ってるんだからwは控えた方がいいと思うぞwww >>79 >ヌーヴォ・ロマンとは、日活ロマンポルノの一カテゴリーであろうが、 これギャグなのか本気なのか 結局、世俗から離れた、世捨て人の楽しみみたいなのが純文学だと思うんだよな。 世俗から離れているから大衆ウケしない。 純文学は別に貴族が作った小説ジャンルだというわけではない。 >「高尚な文学をやってる自分達に対して、あいつらは通俗だ」 「高尚」と言っていたのはむしろ俗、大衆の方だと思う。 通俗的ではない楽しさを求めたのが純文学。 それを勝手に大衆が高尚だと言った、と。いやもちろん純文学の中には「自分達のやっていることは高尚だ」と勘違いしていた奴もいようが。 平たく言えば、純文学とは小説というジャンルのサブカルなんだよ。 それを勘違いして「高尚だ」と言っちゃったから、わけのわからない正体不明で根拠のない「純文学」などという概念が出来上がってしまった。 >>75 佐々木中なんかはそこそこ野蛮。 文学業界とは距離はあるが。 小谷野敦君、これ以上、続ける意味がありません。鈴木貞美→小谷野敦(5/23, 24.27緑) http://www.nichibun.ac.jp/ ~sadami/what's%20new/2011/koyano523.pdf 「もうちょっとだけ続くんじゃ」? 純文学と大衆文学は人間と動物の関係に似ている 視点によれば人間も動物も同じかもしれないけど 両者が異なることは歴史が証明している おそらく価値相対で「純文学」の概念を否定することは単なる思考停止に過ぎないと思う http://www.nichibun.ac.jp/ ~sadami/what's%20new/2011/koyano523.pdf をざっと見たけど(途中でスクロールが上手く行かなくなったw)、 こんなに窮屈に日本とヨーロッパの文学史を比較して対応関係を 探ることに意味があるかね? 欧米の日本文学の研究家なら、冗談交じりに書くようなこと じゃないの? 例えば、ミリアム・シルヴァーバーグとかw 鈴木が言ってる、「18世紀くらいから貴族の趣味に追い付こうとする ブルジョアジーが増加し、」というのは間違いで、少なくとも 17世紀半ばくらいから、そういう動きは出てる。 対応関係を探ってるわけではないだろ。 そんな、比較文学の話ではないんだから。 >>102 歴史とは人間が取捨選択して紡ぎ挙げた物語なので、 要するに人間が人間と動物は違うと自己規定しているだけ。 そこを考えないようにする思考停止。 >>101 ぶっちゃけ「通俗小説」で両者は同一の文学ジャンルを認識できているんだから、「大衆文学」「民衆文学」などと言わず 「通俗小説」でいいじゃん、と思った。 >>88 で書いてることだった。 そうだよな、鈴木の「大衆文学」と「民衆文学」の区分は、文学史業界内に限っての問題提起だ、と考えた方がいいだろうな。 だからと言って鈴木の論が間違っている、というわけではなく。 専門用語はどんな分野でも難しいものだ。 学問に限らず、ネットゲームでもマンガでも専門用語はある。 鈴木がやろうとしていたのは、文学史業界内の専門用語の意味の明確化であって、小谷野はそれをまったく考えずに 議論しているから、噛み合わないんだろうな。 もちろんだからと言って小谷野が間違っている、というわけでもない。 鈴木貞美が大衆文學と民衆文學を区別することに国際性が まったく無いとは言わんがw 彼は一応、国際日本文化研究センターの教授だからw >>109 そういう話になるとルサンチマンっぽく見えて 2ちゃんらしくていいwww 堕落した京都奴人。また世間を低落させて自慢気。ところが地獄に住んでいるのには気づかない。 だれもお前を救わない。俺はそれを知っている。なにしろお前には堕落以外の特徴がないからな。自動機械、京都人。 人身売買人種はいまも らしさ を己色に染めたがる。実際、それに気づくのは穢れのおまえ以外の人種だからな 鈴木が論じているのは日本と西洋の「文学史」であって、「個々の作品」を論じているわけではない。 「個々の作品」も大事だが、あくまで「文学史」の次だ。 一方小谷野は自身が作家であることもあってか、あくまで「個々の作品」に注目している。 おそらく小谷野にとって「文学史」とは「個々の作品」があって成り立つもの、つまり「個々の作品」の次に「文学史」がある。 小谷野が言いたいのは、「文学史」ばかりに着目しないで、もっと「個々の作品」に着目しろ、ということなのかもしれない。 だけどそれは鈴木は自覚しているように思えるんだよな。 彼の仕事は「文学史」であり、むしろ「個々の作品」を論じないのは、身を弁えているから、だと。 まあすごく双方に好意的な解釈だが。 >>103 そもそも言葉の意味は時代によって変わるし、近い時代でも微妙にニュアンスが違ってたりする。 言葉の意味の定義は水物だ。 そんな中、過去の時代の意味を、現代と微妙に異なる意味だとして、明確化するのは、意味があると思うよ。 まあ俺も文学史とか興味ないし、個人的には意味を感じられないけれど、 そういった業界では意味あることだと思う。 ネットゲームの専門用語の定義とか、ゲームやらない人にとってはどうでもいいことだろうが、 ゲームやってる人にとっては、意味がある。 あのさ、古文で最初の頃習った例を出せばさ。 枕草子に「をかし」とあったら、「趣がある」の意味で、滑稽って意味ではないだろ。 この例で解る通り、言葉は歴史的に変化するんだ。 「大衆文学」なんてのは一九二〇年代に造られた新語なんだから、 まだそんな言葉が無かった昔の時代の文学に当て嵌めるのは、不正確な比喩になる。 時代劇の主人公にカタカナ外来語で一杯の若者言葉を喋らせるみたいなもんだな。 歴史研究では、その当時の人たちがどう認識してたかを知るのが第一で、現代の先入見を持ち込んではいけない。 これは歴史的過去についての問題なんだ。現代人や現代の文学観はまた別の話だろ。 俺は鈴木貞美の論の進め方には数字的裏づけに乏し過ぎるきらいがあると 思うんだな。あるいはもっと、多数の例を示す必要があるのではないか? 鈴木のやり方には姑息な感じがする。 小谷野は八方破れにそれをからかってみたかっただけのような 気がするんだなw 別の話なのは同意だが、別の話を絡ませることは悪いことじゃない。 鈴木の方も己の研究のスキームが見えてくる場合はあろう。 今回はそうならなかったみたいだがw >>117 発行部数を調べるとか。もっと多数の例を示すとか。 >>118 それが論旨に必要な事柄であれば調べるべきだろうけど、必要ないならいいんじゃない? 数字であれば信用できるってのがおかしいかと。 物理の数式なんてもはや数字ではないわけだし。 >>114 「文学」なんて多寡だか200年前に造られた新語なんだから、まだそんな言葉が無かった昔の時代に当てはめて「王朝文学」などと言ったりするのは不正確な比喩だよな。 >>120 そこまでいくと現代人である鈴木も我々も歴史を正確には絶対的に語れない、って話になるな。 不可能に挑戦するのが歴史家である、と考えたらカッコイイ。 まあ文学史に限らず歴史全般にあまり興味無い人の言うことだが、歴史を研究する意義そのものが希薄に思えちゃうのだよなあ。 肉体の起源を探るなら医科学があるし、精神の起源を探るなら発達心理学や脳科学がある。 種として起源を探るなら生物学がある。 歴史を一概に否定するつもりはないが、当時の一握りの人間が取捨選択したまたま後世に残っただけの情報に、 学術的な根拠も無く偏重しているんじゃないだろうか。 歴史を重んじてしまうのが、その個人の心の問題ではないだろうか。 >>121 「そのまで」といわれるのは不本意だね。 114 の論旨を一歩も出てないつもりだよ。 >>124 いや俺が勝手に120から121の極論が思い浮かんだだけ。 君がどういうつもりか関係なく。 こう言っているが、俺個人は割と鈴木に好印象があるのだよ。 それは鈴木が>>121 を分かっている気がするからなんだよな。 歴史を研究することの限界を知ってやっている。学者として真摯な態度があるように思う。 >>101 のこことか。 これも何度もいいますが、評価の歴史を明らかにする作業にとって、われわれが、どう評価するか、ということは、直接は問題外なのです。間接的にはかかわりますが。つまり、自分のモノサシがあって、他者の批評の移り変わりが明らかにできる、という意味です。 「自分のモノサシ」というのは現代人である鈴木のモノサシだ。 鈴木は現代の日本人であって、例えば19世紀の西洋人ではない。 現代人としての「自分のモノサシ」は無くならないが、それを間接的な所に置く、と。 鈴木がしている仕事はあくまで「評価の歴史を明らかにする作業」であって、文学史学者の仕事をしている。 鈴木は批評家として文学を語っているわけではない、と。 まあ小谷野の>>115 言う処の「からかい」に反応してしまって、文学史の仕事ではない、人格批判みたいなこともしているがな。 鈴木も聖人だというわけではない、と。 学者は別に聖人である必要はない。 それと、鈴木は小谷野の「白状させて痛快がる」ことについて色々言っているが、これは鈴木が思っているような 「鈴木に勝った」という意味ではない気がする。 その後の文章を読めば分かるように、小谷野は「自分も(一部の通俗小説は)読んでない」と言っている。 つまり、「自分と同じであることを白状してくれて痛快だ」という意味で、「鈴木に勝った」という意味ではないと思われる。 >>120 その通り。まともな研究者なら、その差異は承知してる筈。 もともと平安朝と現代では距離が大きいから、比喩でしか接近できない面もある。 ただ近代文学の場合、時代の近さの所為で、変化や差異を忘れがちだ。 だから鈴木貞美みたいな仕事も意味はある。鈴木でない人がもっとしっかりやる方が望ましいけどね。 >>125 の「評価の歴史を明らかにする作業」とは>>74 の「文芸批評の限界を示す」ことにもなる。 だが鈴木はむしろ日本文学批評の優れた点を強調しているので、「文芸批評の限界を示す」つもりでやっているわけではないだろうなあ。 そこが作家として小谷野はカチンと来たのかもな。 批評家の自己擁護論のように思えた、と。 鈴木にも好感は持っているが、小谷野の何か文句を付けたいってのは、作家としての感情であれば、理解できなくもない。 >>129 >ただ近代文学の場合、時代の近さの所為で、変化や差異を忘れがちだ。 忘れがちであってはならないのは文学史学者だから、ということを忘れずにな。 一般の読者は忘れてもいい。 そういった細かい歴史的事実を考慮しないで読むことも、新しい解釈を生む可能性となる。 新しい解釈が生じることとは、その作品が生き続けることでもある。 小谷野も鈴木も、発表当時注目されたなかったのに、時代を経て評価が高まった作品の例も出しているだろう。 それはそういうことだろうと思う。平たく言えば「時代が作品に追いついた」とかそんなこと。 鈴木の仕事を無意味だとは断じないが(個人的には意味が希薄だと思えるのは変わりないが)、 「変化や差異」を忘れることも、一概に悪いことではない。 >>131 補足 >だから鈴木貞美みたいな仕事も意味はある。鈴木でない人がもっとしっかりやる方が望ましいけどね。 まあ、ここまでカッチリ「文学史」をやれている日本人学者ってあんまりいないのも事実なんだよね。 そういった状況を鑑みて「意味はある」と主張するのも理解できる。 要するに、鈴木はまだしも学者だが、小谷野はもう学者・研究者ではないんだよな。作家・批評家気取り。 >>126 だが、鈴木の仕事自体が評価の歴史に含まれる訳で、 しかも、これからも「大衆文學」や「民衆文學」への新しい評価は 出てくるんだよな。 ただ、鈴木の1960年代に「純文学対大衆文学」の構図が固まってきた、みたいな文学史観はどうもね。 近世文学の捉えなおしも、最近の江戸時代を過大評価する流れというか、まあどうでもいいけど。 >>133 問題は、大学の中にいるとか、芥川賞を取っているとか、外在的には「学者」「文学者」だけど、 内在的には、やってることはゴミでしかない、っていうやつが多いことだよ。 >>139 >だが、鈴木の仕事自体が評価の歴史に含まれる訳で、 その通り。 小谷野は「鈴木は通説を覆すのに失敗している」と言ったが、鈴木の仕事自体が「通説」になる可能性が大いにある。 この世界を危険に導くのは、悪事を働く人たちよりも、 悪事を見過ごす人たちである − アルバート・アインシュタイン (1955) 嘘に嘘を積み重ね たえざる自作自演となりすまし犯罪をおこなう、団塊老害・村上春樹容疑者(62) この板の主役◆OZ/B6fTcn6= (o`.´o)materialist ◆m0yPyqc5MQ= 忍法帖【Lv=x,xxxP】 v(・x・)v◆m0yPyqc5MQ= ←偽鈴木、ほんものに嫉妬し、実名へ成り済まし犯罪 烏賊娘 ◆42euzUlXSM http://twitter.com/ikamusumeM2 = ムー大陸 ◆DMnIjpZYd2= 記憶喪失した男= N ◆.a7VUr.VD.= 村上春樹容疑者(62) 村上春樹容疑者は今日も2chのあちこちで成り済まし犯罪。 そのなりすました相手に侮辱の罪をなすりつけつつ、風説の流布。 カンサイ人の恥。村上春樹(神戸出身)。またも世界中をとびまわり、ありとあらゆる悪業にてをそめます。 他人の褌で相撲を取る世界最低の手合い。今日も品性下劣な成り済ましで汚い関西お茶をにごします wakusei2nd: ちなみに新著「リトル・ピープルの時代」の「著者印税」は全額被災地に寄付します。 組織ではなく、僕個人の収入から削ります。公表するつもりはなかったけれど、 東浩紀さんが「宇野は震災にコミットしてない」とか執拗に印象操作をしまくるので報告します。 (2011-06-12 17:59) http://twitter.com/wakusei2nd/statuses/79835282815451138 震災にコミットしなきゃいけない理由なんてなかろうに。 http://twitter.com/#!/tricken/statuses/80215600596660225 あずまん飲み会こわい… RT @shohei0308 あずまんの飲み会はどっちかっていうと文化サークルというより スポーツサークルのノリだということが分かった文学フリマ。 あんまり差はないんじゃね?三十路過ぎてコールとかやんの? 和田さんさん!和田さんさん! つーか、東浩紀は宇野にアンサー返さないのか。とことんチキン野郎だな。 いや、あずまんの方がいいに決まってる。宇野とかクソでしょ。煽ってるだけですよ。 世代ごとに見た方がいいよ。 小林、宮本 中村、小田切、磯田 吉本、江藤 蓮実、柄谷 全共闘世代のe.t.c. 浅田、福田、宮台 東 と、オオザッパ過ぎる? 加藤典洋が「群像」で村上春樹の短編の評論をやってるが、よくそんな細かいどうでもいいことに こだわるな、って感じでなんかね。何十年村上春樹でやってるんだか。団塊はどうもな。 >>155 宮台も東も文芸批評やってないし。東は10年くらい前に一瞬やったみたいだけど。 鎌田とかどこ行ったんだろうね。 中井正一、林達夫、花田清輝だけで足りる。あとはいらん。 >>160 基本は世界に紹介できるオリジナリティのある人だけで良い。 小林秀雄って、国際的には全く評価されないだろうけど、それは小林の日本での 役回りがそうさせてるんだろうと思う。 一言で言えば、19世紀ヨーロッパの近代化を濃縮缶詰にして一人で演じて くれたわけだから。 後から、小林の演じた近代ヨーロッパは勘違いだった、と指摘したところで 小林に対する評価は変わらないと思う。 小林や丸山の業績は、やっぱり誰も越えられないと思うよ。 >>14 いま中村光夫を集中的に読もうと、本を少しづつ買ってます 中村の『ある愛』は本当に素晴らしい小説と思いました。 >>157 加藤典洋は地に堕ちたね 最近の言動もすぐに手のひら返すだろうから1ミリも信用できない このひと、自分でまともさの感覚とか行ってたはずだが 敗戦後論のときはともかく、今はただの(文学)業界ゴロだな 人間引き際が肝心だ 加藤も、安藤も、武田も、山田も飯塚も、とにかく最近の 群像新人文学賞・批評部門の受賞者はまったく問題にしてませんw ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています
read.cgi ver 07.5.1 2024/04/28 Walang Kapalit ★ | Donguri System Team 5ちゃんねる