>>87
解説サンクス。
だが、純文学の定義が2人の間で一致するとすれば、
小谷野の「通俗文学」が鈴木の「大衆文学」と「民衆文学」に
相当することに、おそらくなるとすれば、大衆と民衆という
言葉の定義が時代の変遷で変化したのに対して、通俗の用語が
前者二つの用語よりも普遍性を持っている分、明解な印象を
与えるような気がするが。大衆文学や民衆文学という用語は
業界内でしか、通用しないだろう。

話し変わるけど、小谷野が「モテナイ男」という性的弱者に
目を向けたことから来る自信は相当のものだねw
上野千鶴子とかは図に乗って、「モテナイ男」達を思いっきり、
笑い飛ばしてた訳だからw