いや、小谷野の「純文学」か「通俗小説」かという区分は、有効性を失ってると思うけどな。
というのは、昔は作家に弟子入りするか同人誌からデビューするしかなくて、純文学に挫折した人間が
「通俗小説」を書くってパターンだったわけ。北方謙三とか渡辺淳一とか。

だから「高尚な文学をやってる自分達に対して、あいつらは通俗だ」って馬鹿にした言い方が成り立っていたわけだけど、
今じゃあ成り立たないね。そういうアナクロなのが小谷野の魅力でもあるのだが。

松本清張以降、エンタメが社会的なテーマを扱うようになって地位が向上した、とか誰か言ってたけど、
アカデミズムではどういう扱いなんだろう。
上野は男流文学論が懐かしい。