丸谷才一
蓮實 まず「私小説」以外の小説(傍点)がはたしてあるのか。原理的な問題としてではなく、
具体的な作品として。たとえば丸谷才一の『裏声で歌へ君が代』、あれは「私小説」的なもの
から可能なかぎり遠ざかろうとしているけど、小説としては零だと思うわけです。『笹まくら』にしても
『たった一人の反乱』にしても読んでいるとつらくなってくるんです。西欧小説にたいする後進国的
な思いこみだけで書いているでしょ、このひと。ヨーロッパのほんの一時期の小説類型に殉じよう
とする特攻隊精神というか、文学はもっと自由でいいわけだ。彼の場合も、「私小説」的に書いた
『横しぐれ』だけがちょっとおもしろい(一同賛同)。むろんよいものが出てくれば褒めるのにやぶさか
でないし、ぼくとしては「私小説」なるジャンルにべつにこだわっているわけではない。 (P32)
『批評のトリアーデ』(1985) >>69
大岡に蹴られて以来、必ず本人の承諾を取ってから発表することになっている。
大江は、蹴られることはわかっていたが、ノーベル賞を取ってしまったので、
叙勲候補にせざるを得なかったと言われている。
頭悪いスノッブが一生懸命、上手く立ち回って文化勲章を
もらいましたというサタイア。何も自分で考えたことがなくて、
周りの空気を読んで発言したり、書いたりしてるだけ。 >>71
何も自分で考えたことがなくて、周りの空気を読んで発言したり、
書いたりしてるだけのおまえが何に言ってるんだ(笑
北杜夫死去か。梨のつぶてで褒めてたし色々評論も書いてるから、ショックだろうなあ。 姓は角谷だったのに、いつのまにか根村に改めていたんだな。
婿になったわけでもないと思うが… >>72
お前はオウムか。
丸谷の業績は何もない。
強いものにへつらい、弱い者に付け込んで来ただけの丸谷だ。
丸谷が自分で考えたことなど何もない。 昭和30年代くらいまでまでの受賞者を基準にすれば
丸谷が文化勲章なんて論外だけど
どのみち昭和後期からは長生き競争に勝った人がもらう勲章なんだから
丸谷がもらっても違和感ない(w >>78
まるっと同感
ところで、筒井康隆も長生きすれば文化勲章くらいは貰えるかな? たしかNHKの報道では、小説以外の多彩な活動が評価された、と総括されています。
つまり、小説以外の翻訳や評論といった“文化人”としての活動が
“文化”勲章を叙するに値した、ということなんでしょうね。
まあ、小説家としては北杜夫氏や筒井康隆氏程のものではありませんから。
小説や評論、翻訳もそこそこ愉しめる水準にはあるのですが
谷崎や小林といった過去の受賞者に伍するほどの内容ではないでしょう。 いや、丸谷の小説はそりゃ文豪の名作と比べるあるいは海外の文豪作品と並べても、今一つ、いや今二つは劣るかもしれないが、それなり良さはある。
記憶の流れを突如逆行させたり、その部分を照り映えさせるのはうまい。
「横しぐれ」で重要なのは坊主が種田山頭火だったかということではなく、記述の中に少しずつを過去の記憶の断片を仕込み、それを最後にいたって再構成させる手法なのだ。
記憶の問題を意識しているということでは、やはり丸谷は特殊な作家なのではないだろうか。 >>80
小林秀雄ってそんなにいいものか? エッセイのうまさということでは丸谷に軍配があがりそうだ。
谷崎は作品によって出来不出来の差が激しい。それと比べればまだ丸谷は安定しているほうだ。 今一つ、いや今二つは劣るかもしれないが、それなり良さはある
↑
エロトマニアでハーマンアマナミエコ(川上弘美鈴木)
と共犯の、キムチのこいつ全然具体的論拠がないんだよな。
記憶がどうこうというのは間宮がやってるパクリだろ
>>82
小林秀雄の本領は批評であり、近代文学においてはその開拓者です。
また、丸谷と谷崎とでは小説の数が違います。
一般的に数が多ければ駄作の頻度も高まります。
逆に丸谷はそのキャリアに比して小説作品の本数が非常に少ない。
それは天下の公共放送が「小説以外の」と断りを入れた程の寡作ぶりです。
だからこそ「安定」しているともいえるわけですよ。
小説の出来映えで言えば筒井康隆や北杜夫と大して変わりません
そして、作品数や世間への浸透度では筒井や北の方が上です。 丸谷は海外の作家を目指したかったんだろ。だから作品数を必然的に少なくした。
評論で稼ぐという方法を編み出した訳だな。その意味では澁澤龍彦と非常に近い。日本で洋物志向だと必然的にそうなる。
丸谷は教師になっているが。作品数が多ければ作家として優れている、という考え方はどうかと思う。
ヴィクトリア朝の小説家は作品数が多く、ページ数も膨大だ。だから20世紀の作家よりおしなべて優れている、とはとても言えない。 海外の作家を目指したかったんだろ
↑
それはそこの間宮緑 俺を目指したかったんだろ
評論で営業
↑
それはそこのあんた 自力で作品かけないダウン症の寄生虫の
エロトマニア関係妄想鈴木腐れ縁志願でサツに殺される
津原と川上弘美組(チョン)
ヴィクトリア朝
↑
何いきなり比べてんだ?イエローが
小説の出来映えで言えば筒井康隆や北杜夫と大して変わりません
そして、作品数や世間への浸透度では筒井や北の方が上です。
↑
お前の都合でホメタリけなしたりして
政治的工作してるだけじゃねえか。
だからメスなんだよ、亜細亜人は
断念をしらない
実力ないのに全員妄想で単語使う、
優劣に拘るが勝つことができない、
ストーカー犯罪と島国自閉妄想単語無駄遣い
盗作居直り・コトダマ詐欺でおもいあがった
論拠のない メスのサル 丸谷は駄目。
富岡多恵子の図に乗ったフェミの勇み足「釋迢空ノート」や、
それに依拠し、さらにヤオイを加えた安藤礼ニの折口信夫論を
誉めたお調子者。全然駄目。
安藤礼ニに大江健三郎賞をやった大江もあかん。 丸谷さんはレトリックが巧い名文家だからね
中身は鯨統一郎と大差ない珍説だったりするわけだが…
ただ文壇政治家的な地位に永く居過ぎた感はある
中上健次みたいに丸谷に嫌われて谷崎賞も読売文学賞ももらえなかった作家がいる反面
大したことないのに丸谷に書評で激賞されたおかげで一気に株が上がった作家さんもかなりいるもんなあ…
スレチっぽいけど。
町田康はどうなのかな?谷崎賞受賞当時丸谷さん審査員だったと思うが
積極的に推したのかな?ふと思って選評さがしたことがあるけど見つからなかった。
>>90
いや、丸谷は町田の「告白」はかなり貶してた
筒井は絶賛だったけど ってか、ここに書いてあるじゃん。文壇ゴシップおもれーなー。
http://media.excite.co.jp/book/special/dousuruno/p03.html
豊崎 授賞式といえば、谷崎賞の受賞パーティの席で、筒井康隆さんがすごいことを言ったらしく、まだまだやんちゃな人だなと感心したんですけど。
受賞したのは、みなさんご存知の町田康『告白』なんですけど、当然本人もいらっしゃるんですよ、会場に。
「えーっと、今日はわたし以外の選考委員が1人も来ていないので、ほんとの選考会の様子をお伝えいたします」とか言って。
「『告白』に関しては、われわれは受賞は順当じゃないかってことでまとまってたんですが、たった1人猛烈に反対する委員がおりまして、それが丸谷才一です。
こんなものは小説じゃない、こんなものは日本語じゃない、もうたいへんな否定の仕方で。
さすがに聞いているわたしもちょっとそれはないんじゃないかと思って、どうにか庇ってあげられないかと思いました。
ただ選評は順番に述べることになっておりまして、丸谷才一の次が井上ひさしで、彼がちゃんと反論してくれたので
、わたしはあえて何も申し上げませんでした」って暴露したらしいんですよ。
町田康ってちょっと気難しい人なんです、すごく神経が細くて。だから、もう相当どんよりしてたらしいんですけど、
そしたら今度は、婦人公論文芸賞を取った桐野夏生を「あなたは日本で一番小説がうまい」と大絶賛し始めたらしいんですよ、筒井先生が。
それは町田康からすれば気分のいい話じゃありませんよねえ。で、受賞パーティ後の二次会はなかったそうです(笑)。 丸やがウマイとか
大したことないのにホメタとか
全部こいつらのウソだよな。
アジア人は全員論拠ない
ダウン症だと思う。しねよ >>92
なるほど。ありがとう。
「告白」が文庫化された時点で読んで唖然。丸谷氏がいてなんでこんなものを
と思い、そのころ選評をさがしたけど見つからなかった。そうだろうね。スッキリしました。
ただ、今思うと「告白」って妙な魅力があることは確かなんだよね。 >>92
>こんなものは小説じゃない、
>こんなものは日本語じゃない、
>もうたいへんな否定の仕方で
町田の「告白」は文字通り告白による“ものがたり”だから
丸谷が“小説”ではない、と断じるのは充分納得できる事ですよ。
百歩譲って小説だから語りが主でも首尾結構が整っていれば良い訳ですが
町田の場合はそういうわけでもないので、さすがにあれは認められないでしょう。
結局、谷崎賞は中央公論社主宰の文学賞だから
同社から単行本が出ていた町田に(営業上の観点から)賞をあげても良いだろう、
といった空気に対して丸谷一人が反対したのが真相でしょうね。
実作者の立場から旗幟を鮮明にしたという点ではむしろ評価すべき事ですよ。 こんなものは日本語じゃない
↑
だから又作家の言う事にも
毎回 論拠がないんだよね。
自閉症のオナニー中毒の荒らし国家
{{権力の基盤というか根拠が非常にあいまい(略)女の地位は親の七光りの結果(略)
対照的にギリシア神話の最高神ゼウスは、父親であるクロノスを殺害し、数々の敵を打ち破ることによってその地位を獲得した。
(中略)客観的に見て、太陽神にして最高神という地位は、アマテラスにとっては高すぎるのだ。彼女には何の実績もなかったのだから。
(略)つまり彼女のあり方は、はじめからきわめて誇大な性質を帯びていたのである。(P63)
日本人は、特に集団心理に突き動かされた場合、アマテラスの誇大妄想から来る「自己愛的人格障害」に
影響されると老松氏は言う。つまり他人からの「賞賛」を求めるか、批判を恐れて引きこもるかどちらかになってしまうのだ。
(略)日本のマスコミのネットへの対応は、きちんとした現状認識の上に立っていないように思える。
自らの役割を定義する時には、常に良識という言葉に頼り自画自賛的であり、
自分たちの失敗を踏まえた反省が見られない。そこには、まさにアマテラス的な誇大傾向がある。
(略)「ブログ」は、西洋的な英雄元型が議論する場としてではなく、
綺麗で中身の無いアマテラス的なテンプレートとして、日本では受け入れられた。}
http://d.hatena.ne.jp/essa/20060911
これに全部同意するというわけではないが
まあ言葉の使い方が自己肥大してるんだよね
論理や客観性によって断念されていない
趣味だけであれこれいってるが
具体的にそれはどこかといわれるといえない
アマデウスのモーツアルトに「音が多すぎる」とからんでいた
陛下みたいな感じの発言しかないんだよな日本人には 老松より俺の方がはるかに鋭い。
と、言わずにいられないw 昨日発売の佐々木中の「アナレクタ3」で、丸谷才一の「きことわ」評がボロカスに叩かれている
原文は読んでないのでわからないけど、その引用を読む限り、うーん、もうボケちゃったのかなあ、と思った
ちなみにそれは朝吹真理子本人との対談での発言なのに、佐々木の発言のみの抜粋という不思議な形となっている
本人に配慮して、朝吹はリアクションを載せないでくれ、と言ったのかもしれない それ、毎日新聞の書評かな。
なんかしきりに女っぽい、女っぽいと書いていた。
「きことわ」がだいぶ気に入ってるんだな、いい書評な、だと思った。 >>99
佐々木中程度がなんか言ったところでなあ。 >>101
お前ごときに「佐々木中程度」と言われる佐々木マジ涙目 >>100
それそれ
読むひとが違うと受け取り方もずいぶん違うんだな >>99
>ちなみにそれは朝吹真理子本人との対談での発言なのに、
>佐々木の発言のみの抜粋という不思議な形となっている
それはマスコミが政治家の言葉尻を捉えた
編集映像を使って糾弾するのによく似ていますね。
対談の場合は文脈に即して発言の真意を検証しなければならないので
佐々木のやっているような事はヤクザの所業といえます。
で、相手は丸谷だから下手すれば訴えられますよ。
実際、大手進学予備校の講師が
無断転載の上で授業でこき下ろした時には訴訟を起こしていますから。 まあ若い評論家は丸谷が死んじまう前にせいぜい喧嘩売っとけ
買っちゃくれないけどな >>105
negaDってそのブログの人か。知ってた。
ちよつと気取つて書けが標語である丸谷文章読本を読んでも、この朝吹の表現はおかしなものだよな。
異化させようとしている狙いは分かるが、実力が追いついていない感じ。 >>105みたいなことを一番言いそうな石原慎太郎や宮本輝が沈黙か?w
石原の舌は3枚ぐらいあるんじゃないか?w
石原は朝吹真理子の、中国人やイラン人以下の日本語能力に
疑問を呈しろよw つまねぇなー、おまえら使われて満足してる畜生だろう >>104
お前、佐々木の該当書読んでないだろ
ほんと、文学やってる奴て頭悪いの多いな 佐々木とやらの批判をとりあえず当たってみたがまあアレだな。いかにも毒にも薬にもならない批判というか、
丸谷書評に対してこう批判すれば仲間内では空気を読んでいると思われる、程度な書評だったな。
丸谷がまあ敢えて反時代を書いてるのの、反時代的な部分にまんまと引っかかって、これでは女に失礼とか言っている当たり障りの無い反論。
で、佐々木も男だから女について語るのは相変わらず、胡散臭いというよくある流れになる訳だ。
朝吹発言を消してるあたりなんだこれは、という印象も強い。 今週の本棚の丸谷才一評は楽しみにしている。
信頼してる書評家の一人だ。
「きことわ」は読んでないけどw
いままでも何冊か買ってるよ。
つい最近だと、『古典基礎語辞典』。
拾い読みだが面白いよ。 >『古典基礎語辞典』
買おうかなあ……高いんだよなあ……
「きことわ」は全く評価しないなー
(よろしければ↓参照)
(http://negativedialektik.blog65.fc2.com/blog-entry-126.html) >>112読むといかにマグナがバカか分かるな
空気とかそんなんじゃなくて、本気で怒ってるよ、あれは 本気で怒ってるようには見えんな、どう見ても。仮にそうだとしたら朝吹発言も収録するだろう。
あとここは佐々木スレではないから。 朝吹真理子の幸運なデビューにはやはり慶応閥や有力な先祖の存在を
無視できないだろうし、
朝吹の4代前の先祖である朝吹英二が福沢諭吉の筆頭クラスの
子分であったことから、忠臣蔵論では福沢とも縁浅からぬ
丸谷であってみれば、朝吹真理子について一言いわずにいられないのが
丸谷の気持ちなんだろう。 国家が国民の誰かを不名誉にしたってかまわない。しかし、
国家は人に名誉を与えてはならない。僭越もいいところだ。
国家から文化で勲章をもらうような人には、だから、何んの文化的価値も無い。 だからオレは文化勲章は断る。
あっ、だけどオレ、文化功労者ならいいよ。断らない。
年金はそりゃ是非ともで欲しいから。~~; 丸谷も柴田元幸を見習って翻訳に打ち込んでりゃ良かったんだよな。
ジョイスをチョイスしてw
だが、柴田の方が20以上も年下だから無理があるかw 「ブルーフジ」というのが、どうもダサい感じがしてしかたないのだが・・・ 「持ち重りする薔薇の花」か。
ああいう芳醇な小説はやはりいいもんだな。
長編というにはやや物足りないけれど、しごく上等なお菓子のような。 勲章のことが「持ち重りする薔薇の花」にちょっとでてくるね。
これ書いた時点で内示は来てたのかな? 「笹まくら」で戦争忌避者を描き、「裏声で歌へ君が代」といふ名の作品を世に出した作家が、文化勲章を「辞退しない」とは思いもしなかつた。そしてこのことがまつたく議論になつていないといふ不思議。 カナ使い、出来もしないのにやらないことだな。
二箇所も間違うようでは論外(笑 「笹まくら」で戦争忌避者を描き、「裏声で歌へ君が代」といふ名の作品を世に出した作家が、文化勲章を「辞退しない」とは思ひもしなかつた。そしてこのことがまつたく議論になつてゐないといふ不思議。
直してみた。こうか。 「笹まくら」はべつに反戦小説じゃないし、
「裏声で歌へ君が代」もべつに反国家小説じゃないしなあ。
どうして辞退すると思うんだろう? 丸谷先生は軍国主義が嫌いなだけで大江健三郎みたいにアンチ天皇制じゃないだろ
>>137
その通りだが、左翼脳には理解できないだろうね。
『裏声で歌へ君が代』
懐かしい。昔読んだ。「 から始まる語り。
小説って自由なんだと思った。 昔ぞっこんでした
しかし『笹まくら』と『楡家の人びと』どっちを読み返すかと言われたら、楡家かなあ
持ち重りする、読んだ人面白かったですか 小説として非常に楽しみました。
こういう豊かな味わいの小説が読める喜びはなんともいえないです。
余禄として、これを、読んでから弦楽四重奏にはまってしまい、
ハイドン、モーツァルト、ベートーベン等等CDをもう10枚以上買ってしまいましたw >>137
戦前の過度な天皇崇拝に対しては違和感を持っていたのでしょうね。
たとえば、丸谷さんが中学生時代の読書について書いたエッセイのなかで、
「多くの民族が酋長や王に対して宗教的畏怖を感じ、『迷信的尊崇』をおこなつたことを説明した」
フレイザーの『サイキス・タスク――俗信と社会制度』を読んで、
「当時猖獗を極めてゐた天皇崇拝が人間の歴史全体のなかでどういふものなのかを、
明確に学んだのである」『男ごころ』147頁
などと書いていました。
ただ、『笹まくら』にしても、『裏声で歌へ君が代』にしても権力に対してずいぶん批判的な
描き方をしているな、と思ったので、国家からの勲章を受け取り、
そして天皇に頭をさげている丸谷さんをみて少し驚きました。 >>144
こういう幼稚な反応をする人も読者のなかにはいるんだと知らされ驚きました。 幼稚というか、小説をなにかこう狭い心で読むというか、
イデオロジーの干物にして飲み下そうとするひとたちが少なくないんだよ。
それで短絡しちゃう。ぶちこわしで、なんにも面白くなくなるよね。 大江や井上ひさしみたいなガチの左翼なら「後鳥羽院」や「新々百人一首」は書かないよ
『完本・日本語のために』を読んだ。
彼の主張、たとえば国語教科書には政治・経済の文章も載せるべきだといった意見には賛同するが、国語教育批判をしている連中の政治に関する知識がこの程度なのだから、下手なことはしないほうがいい。
それにしても、丸谷みたいな非常に有能な人間でさえ、コミンテルンテーゼの焼き直しみたいなものを無批判に信じていたのだから、左翼の情報工作がいかに巧妙であったかが分かる。
現在の中立な歴史解釈からは、治安維持法は日本の歴史と社会秩序を保護した良法であることは常識であるし、
日本国憲法は、前文の理想を実現するものでないことは勿論のこと、成立過程に重大な不備があるために憲法として無効ではないかという説が冷静に議論され始めている。
そこらへんが時代を感じさせるね。過去にも、田沼意次は賄賂政治家で、松平定信は名政治家みたいな間違った歴史認識がまかり通っていた時期があることからも分かるように、仕方ないことなんだが。 ああだこうだと書きましたが、この人が非常に優れた文学者であることは確かです。
あと、明治政府が文字を読める愚民を作った、というあたりには、(こういうと右翼には怒られるのでしょうが)同意しますね。 「今週の本棚」に辻原登の書評がでましたね。
これ以上の褒めようはないという、力のこもった、かつ巧みな文脈での絶賛。
さすがの丸谷さんもここまで言われては照れるんじゃないか(笑
でも、内容的には押さえどころをはずさない、いい書評だとわたしは思います。
ただし、最後がいけない。
「ブラヴィシッシーモ!と。」という結び。
「ヴィ」にアクセントがこなきゃだから「シーモ」はのばしちゃおかしいや。 「手抜き」「不親切」「力がこもっている」
このへんの語彙だけでも丸谷っぽいなとは 今週の本棚:2011年「この3冊」
http://mainichi.jp/enta/book/hondana/news/20111218ddm015070015000c.html
三浦雅士、山崎正和、湯川豊の三人w
「この3冊」は自分が書評した本の中から選ぶ。
毎年、この三人はそうしていた
ところが、今年は違うようだ
思えばこの三人が書いた本は、丸谷から今週の本棚の書評で誉められてんだよなw
「今週の本棚」はもちつもたれずの仲良しクラブだなw
山崎正和の最新刊、「世界文明史の試み - 神話と舞踊」を丸谷が「今週の本棚」でとりあげて
誉めちぎるのが目に見えるw
予言レスとしておこうw >>153
>>山崎正和の最新刊、「世界文明史の試み - 神話と舞踊」を丸谷が「今週の本棚」でとりあげて
誉めちぎるのが目に見えるw
今さっき、ほんの少し立ち読みしたが、ただの蘊蓄本w
題名通り、神話と舞踊の対応関係を具体的に叙述できなければ
何の意味もないwあれじゃ、羊頭狗肉も良いトコだw
山崎など、ちょっと高尚な唐沢俊一に過ぎんw
いきなり上がってるとびくっとするので止めてくれ。なんだかんだ言いつつ丸谷には長生きして欲しいので。 はずれに決まってるだろ
丸谷なら読むが他のゴミ読んでもしょうがない 三浦雅士の山崎「世界文明史の試み - 神話と舞踊」書評だと、
インターネットはいまや新聞をはじめとする従来の報道機関、意識産業を
壊滅させ、人類を流言蜚語(りゅうげんひご)の氾濫(はんらん)に
投げ込もうとしている。
と、なるわけか。
インターネットが既に世界最大の図書館になってる時点で、何を山崎は
言ってるのかね?w
山崎も三浦も痴呆だよw
三浦はダンスマガジンを長年主催してるなら、舞踊についてもっと鋭いことを
言ったらどうなんだ?w
ショボ過ぎだw
2、3千部しか刷ってないだろうから、まだ店頭にあるかどうかw
あれば幸運だなw