[怒りの葡萄]ジョン・スタインベック
食べるというのは面倒くさいのである
ウサギだって自ら進んで人間の食餌になってはくれないのである
捕まえるのも大変
皮を剥ぐのも大変
腑分けするのも大変
簡単なことなど何一つない
ちゃんと自分の口に入れようと思ったら
しっかり火を熾し
腹を据えて肉を焙らなければならないのである 車に限らず
中古のものを買うのは大変である
売り手にしてみれば
これは腕の見せどころ大有りのマーケット
カモがひいふうみい ジョード家は三世代
爺ちゃん婆ちゃんは汚いがしぶとく生きている
父ちゃんはここ最近衰えが目につくが母ちゃんがデーンとしているで大丈夫
トム、アル、ロザシャーン、チビふたり
おっと、長男のノアがいた
不思議な人
天使的、といっていい
父ちゃんが取り上げたとき
ちょっとひねってしまってこうなったというが
本当のところは分からない おっといけない
ジョン伯父忘れていた
若い嫁が腹痛で
医者呼んでくれって言うのに呼ばなかった
結果、盲腸で死んじまって
それからというもの孤独で偏屈な人としての人生なのだ 土地を離れる際に家財道具を売り払う
流れ者の単身者のようにスッと出発できればいいのだが
家族となるとそうはいかない
自分のものだけではない思い出の品々が次から次へと出てくるのだ
さらに風景ともなるとどうにもならない
スパッといかないんだなあ
ベキベキとか
ミシミシって感じなんだなあ
離れ方外れ方が ジョード一家名簿から落ちてたのは
長女のローズオブシャロン
その婿のコニー
二女ルーシー
末っ子ウィンフィールド
それにしてもスタインベックは助動詞にこだわるの好きだな
出来るかどうかじゃなくて
やるんだよってことね
見送るミューリーの姿がとっても寂しいのであった ルート66
25万人
5万台
4ドルか3ドル50セント
数字を睨んでいて思ったのだが
文学の価値というのは
数値化できないけれども明らかにあるなにものかを
見えるもの以上に感じさせるということにあるのではないか 途上での出会いと別れ
個人営業のガスステーションのおっさんのところでは
ここでは犬が轢かれて死んじまう
おっさんともここでバイバイ
ウイルソン夫妻のところでは
じいちゃんがいきなり卒中で死んじまう
そして一家はこのカップルに一緒に西へ行こうと提案する
出会いは別れの始めだけれど
それが誰と誰との出会いと別れなのかは
後になってみないと分からないんだよなあ イイ話ではあるのだけれど
もしかしたらこのロードサイドショップってのは
貧乏ななりをさせた男と子供二人を雇ってんじゃないかって
そんな不謹慎な想像をめぐらせてしまった藁
つまりお人好しのトラックドライバーたちに対して
人情芝居の一幕を提供してるというわけ
それで結構儲かってるんじゃないかって
まあ、そういうことを考えちゃいけないのだろうけど トムがヒーローたりえているのは
なんと言ってもメカニックとして優秀だからだ
もちろんこの場での優秀さではあるのだが
四の五の理屈を並べるだけでは前には進まないという
直面している状況に対するメンバーの認識が強固なのだ
しかしあの止血方法というのはハンパない藁 言葉のないケーシーの祈りの内容を知る由もない我々としては
せめてセイリ―・ウイルソンの歌声を耳にしてみたいものだと
詮無いリクエストを繰り返すしかないのだろう
モハーヴィ砂漠を横断して
新天地としてのキャリフォーニア・ヴァリーを目に焼き付けるのは
年寄りではなく子供たちだ
古いものが朽ち果て
新しいものが芽吹く
それが自然である ばあさんはそれなりの葬式をしてもらいたかっただろうが
なかなかそうもいかないんだ
土地を追われた極貧者が人並みの葬式を出そうなどと考えてはいけない
そのへんは日米今もってあまり変わっていないように思う
死んだばあさんに立派な棺桶作ってやるより
腹をすかしている子供たちに腹いっぱい食わしてやる方がずっといい
だいたい死んだ者は
飢えから解放されたことを
まず喜ぶべきなのだ
それ以上を望んでは罰が当たるというものだ トムが保安官助手に刃向う気持はよく分かる
そうしないと死んだように生きるしかなくなるからだ
それをとめる母ちゃんの気持もよく分かる
そりゃここで自爆するわけにはいかんもの
貧しさと自尊心は両立し難いのがこの世なのだ
とはいえそんな世の中がいつまで続くのか
その行く末を見届けるのは金持ちじゃなくて
わたしら貧乏人なのさと
なぜか彼女は確信しているのであった ウィードパッチみたいな良い所にも
狂信者じみたひとはいるわけで
マネジャーも大変だ
まあ、居住者全員まともなひとたちなんてこたーありえないのだ
しかし妊婦のロザシャーンを脅すなんてのはひどいよなあ
人が不安定な状態にあるのを見越して声かけてくるからタチが悪い 土曜のダンスの監視員として組むハーフインジャンのジュール
こういうちょこっと出てくる人物もいいんだなあ
ウィードパッチを出ていく際にダーラムを呉れたり
そうかと思うと娘の心配をしたりしていて
人物の輪郭がすごくくっきりしてるんだよなあ
いいやつなんだよ、たぶん
トムだってほんとうはここに留まりたいんだけど
仕事がないんじゃしょうがない
母ちゃんが起き出して
さあ、朝立ちだ ありついた仕事はスト破りの桃捥ぎ
ああ、ケイシーの頭が割られ
ああ、トムがまた人殺し
帯電の夜に血も涙も雨と流れる
ガソリン代ができたら速攻トンズラ
北へ向かえばコットン摘みだ
クラッカージャックで喧嘩をするな
黒雲が星を過ればサヨナラだ まあ母ちゃんの言う通り
というか秋元作詞美空歌唱の川の流れのように女は生きていくのだろう
その一方で父ちゃんとジョン伯父のトホホぶりが痛々しい
そもそもなるようにしかならないってことがどういうことなのか
わかる人とわからない人とにわかれるんだろうなあ
さて、これでひとまず怒りの葡萄はおしまい
面白かったなあ
しばらく余韻に浸っていることにしよう >>146
この作品の暗誦を始めました、よくもまあ短いセンテンスで含蓄が深いものだと感心しながら、頭から覚えていっています 野崎孝訳は良いねえ
集英社の世界文学全集でしか読めないのがネックだけど 怒りの葡萄新潮文庫とハヤカワ文庫どちらがいいですか
値段の安さと入手しやすさに無難な表紙で新潮に惹かれるんですが翻訳の内容はハヤカワの方が良いみたいなので悩んでます >>265
書店で現物見たら新潮のカバーの手触り良くて一瞬揺らいだけどハヤカワを尼で購入したw 短編集が光文社古典新訳文庫から出るけど女性が訳者らしくてなんだか微妙だな >>269
光文社古典新訳文庫から短編集が出るんだって? 女性が訳者って聞いて、ちょっと微妙だなって思う人もいるよね。確かに、文学作品って男性作家が多いし、翻訳も男性が多いイメージがある。だから、女性が訳すと、作品のイメージが変わってしまうんじゃないかって心配になる気持ちもわかる。
でも、ちょっと待った! 翻訳って、性別なんて関係ないんじゃないかな? 大事なのは、その訳者が作品をどれだけ理解しているか、どれだけ上手に日本語に表現できるかってことだと思う。
例えば、光文社古典新訳文庫には、小川洋子さんが訳した『アンナ・カレーニナ』とか、柴田有美さんが訳した『ジェーン・エア』とか、女性が訳した名作がたくさんあるんだよね。どれもすごく読みやすくて、原作の魅力を存分に味わえる翻訳だって評判だよ。
今回の短編集も、どんな作品が収録されているのか、どんな風に訳されているのか、実際に読んでみないとわからないよね。 女性が訳者だからって、最初から決めつけちゃうのはもったいない。 >>270
古典新訳のアンナカレーニナは望月哲男 ジェーン・エアは小尾芙佐だぞ
まあ女性主人公の恋愛ものなら女性翻訳家でも結構だけどスタインベックの世界に女性翻訳家に違和感あるのは少し理解できる