ホルへ・ルイス・ボルヘス 3冊目
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難しいイメージがあったが、「〜、自らの迷宮に死す」はふつうに面白かった。 単行本の「エルアレフ」と「不死の人」って内容一緒? ボルヘスの小説読んでみようと思ったけど
尼の評価見ると訳がダメと叩かれてて萎える(岩波文庫の奴ね)
代表作がそれじゃスレも過疎るなw 鼓 直さん?
「百年の孤独」もこの人の訳だよね?
そんなに酷いのかしら?
>>25
ラテンアメリカ文学のアンソロジーで翻訳をやったりしていた人が文庫編集部に入った
岩波文庫でラテンアメリカ関係のラインナップが多いのはそのおかげ 何か政治的な理由でノーベル賞を逃したとか言われているが、
ボルヘスの作品て、それほどノーベル賞路線ではないよね?
質的には十分だと思うけど、内容がそれっぽくないというか…
>>24
『伝奇集』『エル・アレフ』に次いで好きなので、嬉しい限り 「ブロディーの報告書」も岩波で出してほしいな。
あまり面白くないけど。 確かにあんまり面白くはないかもw
この人の描くガウチョとか、ならず者像って
どれくらいリアルなのかね
本国ではどう受け止められているのか、ちょっと気になる マルケスやリョサは普通にエンジョイ出来るがこの人の魅力が全くわからない。
何を読んでいいかわからないし評論家なのか小説家なのかもわからない。
岩波の伝記集と集英社の砂の本は持っているが読む気もしない。
誰かボルヘスの魅力について熱弁してくれないか。 > 評論家なのか小説家なのかもわからない。
ボルヘスの魅力わかってるんじゃん。
教えることは何もないな。 >>31
同意
むしろ批評や小説の合間でも文学は成立すると証明した人
ホイットマンの詩を散文で成立させた人
>>むしろ批評や小説の合間でも文学は成立すると証明した人
だけ聞けばプルーストと似てるなー。長さは見事に正反対けど。 「七つの夜」が楽しみだぜ。
岩波文庫のボルヘス作品は表紙が良いから今回も期待。 最近『伝奇集』の「トレーン、ウクバールなんたら」を読んだ。
なんだこりゃ。 篠田一士のボルヘスが重訳だと前スレで出てたけど、
「ラテンアメリカの文学」のあとがきを読むとそうではなさそうなんだが、どっちが本当? >>41
篠田氏がスペイン語をどこかでまなんだような形跡はないなあ。
ほかは英語の翻訳だし。 >>40
ボルヘス的()なるものが最も成功を納めた氏の最高傑作ですね。 >>42
ふむふむ、ありがとう。
その後、「二十世紀の十大小説」という篠田さんの著書を読んだら、
最初はフランス語の翻訳で読んでそもそもどこの国の作家なのか分からず、
実在する著者なのかも分からないので、フランス語からとりあえず重訳した、
と書いてあったので、ここから重訳説はきてるのかな、と思いました。
でも、「ラテンアメリカの文学」のあとがきを見ると、ふつうにスペイン語から訳し直したように書いてあるんですよね。
ご存知のかた、さらに情報お待ちしてます。 http://www006.upp.so-net.ne.jp/soshite/Borges/borges0107_1.html
やはり、篠田一士は、「ユリイカの人」が言っていたみたいに、英語から訳しているようだ。とくに、「鏡」、「百科事典」、「やき直し」につく形容語は、英訳のものである。
>>45
このページの筆者が参照してるのは1978年の「世界の文学」版の翻訳で、
1984年の「ラテンアメリカの文学」版は参照していないようだ。
1984年の「ラテンアメリカの文学」版で、篠田氏はスペイン語版全集によって
1978年版から徹底的に訳を推敲した、と書いているし、
決定訳でない古い版を引っ張ってきて、重訳だ、と書くのは誠意に欠けると思うな。
まだ訳文を照らし合わせてはいないので、指摘の通り、1984年の最新版でもまだ英訳に引っ張られている部分が
あるのかもしれないけど、こういう不誠実なテキストがウェブ上に長くさらされてるのってけっこう罪深いと思うよ。
ほかのページでも、さも、このことが大発見であるかのように書かれてるし。 決定版の出る前でも、重訳とはおくびにも出さずにスペイン語版から直接訳したみたいな素振りで見栄張っただけでも、読者を欺いた罪があるだろ?
1984年の「ラテンアメリカの文学」版で、そのことを謝罪してるのだったら、まだ許せるが。 俺は別に篠田シンパでもなんでもなく、>>45のサイトの手続き上の不備を指摘しただけ
あまり論点をすり替えないほうがいいよ 1978年の「世界の文学」版まではずっと重訳だったのを明らかにしたのは>>45の功績だべ。
その後の「ラテンアメリカの文学」版も重訳だとは言ってないんだし、「不誠実」ってほどではない。
しかし「ラテンアメリカの文学」版で重訳に基づくミスが直ったかどうかは、これから確認すべきことだな。
篠田がスペイン語を解るふりし続けただけって可能性もあるわな。 ところで、>>45のサイトが言ってる「ユリイカの人」って誰?
篠田一士のは重訳だって指摘はそちらの方が先になるわけで。 http://www.cty-net.ne.jp/~ki-tani/rtf/backstage.html
日本語訳として篠田一士版と鼓直版が存在するなかに新たなものを付け加えるのは、「誤訳の多さが気に入らない」という理由が大きい。
また、広く流布していると思われる鼓版は日本語として成立していない文章が多い。この人詩的表現は巧いのだが、正直前後の繋がりを取り切れていない箇所、意味が正反対になっている箇所が頻発していて、「お前は本当にスペイン語の専門家かッ!」と小一時間(略)。
ということで、目下「伝奇集のまともな邦訳は存在していない」と言いきっていいと思う。(
>>45のサイトは「重訳」とまでは言ってないんじゃないかなー。
あくまで、スペイン語を訳すときに、英訳を参照したんじゃないか、という推測でしょ。
あと、>>45のサイトの人がフランス語訳じゃなくて、英訳を参照した、と主張する根拠は何かな。
『二十世紀の十大小説』で、篠田は、最初はフランス語から重訳した、と明言してるけどね。
英訳じゃなくてフランス語訳を参照した、という可能性はないの? >>52 仏訳も見た上で、篠田訳は英訳に近いと言ってるね。
http://www006.upp.so-net.ne.jp/soshite/Borges/borges0107_1.html
☆どうも探偵めいてなんですが、篠田氏は英訳をもとに西語を参照し、鼓氏は西語をもとに、英訳+篠田訳を参照していたように思われる。
http://www006.upp.so-net.ne.jp/soshite/Borges/borges2.html
篠田氏は、あきらかに、英訳から、また、鼓氏は、奇妙なことに、
ときに両者を混同したような訳が見られるというか、もし西語の
テクストだけを見ていたら、こんな訳など出るはずもないといったような訳が
まま見受けられる。ひょっとして、何人かの学生に下訳させたのかも……。 >>53
なるほど、ちゃんとそこは調べてたんだね。指摘ありがとう。
それだけに1984年版をきちんと参照してないのは残念だね。 岩波の『七つの夜』買ってきた。
表紙は晩年のボルヘスの写真。いつとったものかはわからないけど。
ちなみに6月に同じく岩波文庫から出る『詩という仕事について』は、
前に岩波から出ていた『ボルヘス、文学を語る』の文庫化ということだ。
岩波文庫のボルヘス評論ラインナップは国書のボルヘス・コレクションで
出てないものを補っているような形になってるな。 >>54
いや、1984年版を見ても結論は同じになるよ。
>>45のサイトで山下晴代氏が篠田訳を引いて指摘した箇所、全部「ラテンアメリカの文学」版でも直ってない。
そもそも、>>46の篠田擁護が間違っとる。
>1984年の「ラテンアメリカの文学」版で、篠田氏はスペイン語版全集によって
>1978年版から徹底的に訳を推敲した、と書いているし、
そんなことは全然書いてない。篠田の原文は次の通り。
「なお、『伝奇集』の翻訳は、すでに十数年以上もまえに出版されたが、
一九七八年に刊行の「集英社版・世界の文学」9巻収載の折に、徹底的な
手直しをほどこし、面目を一新したつもりである。新訳決定版とお考えいただいてよいかと思う。」
1978年版「から」84年版へと改訳したのではなく、1978年版で改訳して決定版としたのだった。
ちなみに、その1978年版の篠田一士「解説」を見ると、ほぼ同文。最終段落は次の通り。
「なお、『伝奇集』の翻訳は、すでに十数年以上もまえに出版されたが、
これを機会に、徹底的な手直しをほどこし、面目を一新したつもりである。
新訳決定版とお考えいただいてよいかと思う。」
つまり、1984年「ラテンアメリカの文学」版は、1978年「集英社版・世界の文学」の再利用に過ぎない。
前版を確かめもせずに、あたかも84年版でスペイン語原文に基づく決定的改訳がなされたかのごとく説いた>>46は、不誠実だった。 >>56
そうだったんだ
指摘ありがとう
もっとも、山下氏のサイトでそういう検証をしてないのはやっぱ不誠実だと思うけどね >>57
いえいえ、版を比較するまでもなく、「ラテンアメリカの文学」版の篠田の解説文すら読み違ったあなた程ではありませんよ。 肝心のスペイン語版にはバリアントはないんですか?
それと英訳を参照して決めた訳語がスペイン語版と違っているからといって
それを直さなくちゃいけないってもんじゃないでしょ。
篠田は意識的にやったとまずは考えるべき。 >>59
キミキミ、篠田の訳者解説を読んでないね?
英語版に見られる改稿は良くない、だからスペイン語版を底本にする、と篠田は言っとったんだぜ。
篠田一士は所詮英文学者なんだから、スペイン語できる振りして見栄張らなきゃよかったのに。 改稿というのは、単語程度のレベルのことを言ってるんじゃない。
文学作品の翻訳ってのは、ある言語で書かれたものを別の言葉で表現しなおすことだ。
逐語訳でよいならそんな簡単なことはない。
その程度のこともわからず偉そうなクチをきかないほうがいいな。 なんだ。分からん流れだな。篠田はなんかよく分かっていないところも分かったと言い切る傾向があるから余りいい感じはしない時があるのは事実だとおもうが。 >>61
で、篠田訳がスペイン語全集版に忠実でないのは、逐語訳でないからだとでも?
そんな擁護では、自分で良くないと言ってる英語版にこっそり依拠して訳した欺瞞は帳消しにできないな。 篠田は語学ができたというがいったいどこまでできたのか。英語はできた、フランス語はできた、ドイツ語もできた。このあたりだろうか・ 読むことができる力と、ちゃんと日本語に翻訳する能力とでは、一緒にすべきでない。
篠田は読むだけはできたが、翻訳能力は疑問符がつく。 重箱のすみを漁ってる暇があったらも少しマシな楽しみがあるだろうに。
自分の主張がまちがってたバツの悪さに一生懸命足を引っ張ろうとしてるなあ。
中村 健二が一番好きな派より 中村 健二は、英語からの重訳だってことをちゃんと断ってたよね。篠田一士みたいな誤魔化しはしてない。 >>66
重訳かどうかを問題にしたのは>>41・>>44・>>46で、篠田の肩を持った方からの発言だよ。 >>66
これが楽しめなかったらボルヘスなんて読まないw
『「ドン・キホーテ」の著者、ピエール・メナール』の著者だぞ 鼓訳は文章の構成がつかみにくくて、串団子みたいになってる印象になることが多い
百年の孤独はもともとディテールで物語を押し出すような作りだからいいけど 『伝奇集』が悪訳だってのは高山宏も言ってたはずで、ボルヘスの愛読者なら周知のことだと思ってたが。
『ユリイカ』一九九九年九月号「ボルヘス生誕100周年記念特集」だったかな。 ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています