ホルへ・ルイス・ボルヘス 3冊目
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英語版とかのほうが、また日本語よりはマシなんだろうな。
おまえら原著嫁。 ひさびさに原著厨をみた。
しかもこともあろうにボルヘススレで見るとは >>268>>269
俺は>>267じゃないけど、
ちくま文庫ってのは牛島さんが訳した「ボルヘスとわたし」のことじゃね?
伝奇集からは「円環」と「アル・ムターシム」しか入ってないけど。 >訳じゃなくて文章の問題ね
語学のお勉強じゃないんだから
日本の文章自体が問題になるのは当然じゃない? 何語で読んでもそんなに変わんない作家だよ
エッセイ・批評の文体で書いてるからそこが面白いと感じるか退屈と感じるかが読者の分かれ目 >>280
「変な訳が直ってない」って言うからでしょ
要は日本語の文章の問題ね しかし「鏡の国のアリス」を「鏡をとおって」と訳されたら
変な訳だと言いたくなるのも解る >エッセイ・批評の文体で書いてるからそこが面白いと感じるか退屈と感じるかが読者の分かれ目
いや、そんなプリミティブなこといわれてもw >>284は確かに頭の悪い発言だがアフォかというのも同様に頭悪い 鼓直ってひと、ブロディーの報告書もそうだけど誤訳云々は俺はわからんが
ただひたすらニホンゴとして生硬で読みづらい。
俺の出来の悪い頭でいちいちこの人のニホンゴをもう一度ニホンゴに置き換えるので疲れる。
>>287
マルケスはそんなこと無いんだけどな
ラテンアメリカだけの知識じゃ厳しいのか 英訳版のペーパーバックで読んでも大差ないと俺は感じたよ
ちなみにメキシコ人のネイティヴに聞いたら
あんなの読んでる日本人がいるんだ! って言われちゃった… 円城塔がボルヘスの駄目な短編として忠臣蔵のやつをあげてた >>291
伝奇集だよ。
トレーン〜 は
不気味な雰囲気がいろいろなことを想像させて面白い。
アル・ムターシル
よくわからなかった。
ドン・キホーテ〜
アホなこと書いてて吹いた。
こんな感じ。 白水社土岐訳不死の人読んでるけど
なんだかわからんがなんとなく引き込まれる
ガウチョもの以外は
時代も空間もぶっとんでていつどこの時代のなんの話なのか判然としないんだがw 154 名前:4月新刊[sage] 投稿日:2012/02/28(火) 14:23:36.74
『汚辱の世界史』 J.L.ボルヘス 中村健二訳 192頁
『清沢満之集』 安冨信哉編 山本伸裕校注 288頁
『新版 世界憲法集 第二版』 高橋和之編 608頁
『フィレンツェ史 (下)』 マキァヴェッリ 齊藤寛海訳 560頁
岩波でボルヘスがまた出る 砂の本に入ってるし、
いっそ怪奇譚集とか幻獣辞典だしてほしい 中村健二訳ということは、また英語訳からか……なんだかな 伝奇集読んだけど、ヴァレリーのムッシュー・テストよりかは
格段に劣る感じ。こんなのが人気あるんだ? 「ムッシュー・テスト」と「伝奇集」を比較するのがよくわからん 「伝奇集」に近いつうたら何かね。
「南部」はヘミングウェイの「殺し屋」連想したな。
「吉良」は芥川の「或日の大石・・」と主張が似てる。 それとボルヘスが自身最高傑作と言った「邪魔者」も
芥川の「ちゅう盗」(変換面倒)と似てるんだよな。
短編偏愛で、日本にいい感情持ってそうなボルヘスだから
芥川読んだのかもな。 ボルヘスが3pで書いて引用した「アラビアンナイト」の話を
そのまま使って一冊にしたのが「アルケミスト」 >>301-302
「『ドン・キホーテ』の著者、ピエール・メナール」(『伝奇集』)の故メナールは、
ポール・ド・マンによればそのモデルはヴァレリーでありテスト氏である。
http://www.at-akada.org/works/modernmaster.html
「テスト氏」の方が詰まらないと思った。 「テストさん」は何がおもろいのかさっぱりだったわ。ショージキ。 部分で気の利いた文句はあるんだけどね、小説の体を成してないよテスト氏。 >>311
キュビスム絵画をみて「これじゃなにが描いてあるのかわからん」と批評する田舎のおやじと同じ。 そうではなく、キュビストがやろうとしたことがそれなのだ。その人は誤解している。
写された像がわからん事をはじめただけ。 潜在顕在どっちにせよその人の心に引っかからないと意味ねえよ 最初に「伝奇集」読んだときはよさが全く分からなかったな
まじめに読むとよさがわからない作品である気はする ばかばかしい話についていけなくて怒ってる人がいる。 ボルヘスの文章は最初の数行で固有名詞がたくさん出てくるのでそれの
関係性が分かるのにまず苦労した。正直その関係性ってわかっても
どうってことなかったけど。 まじめに考えても仕方ないものをまじめに考えて、
怒るってのは完全に著者におちょくられてるということなんだろうか?
ボルヘスなんてまじめに考えるだけ時間の無駄
そしてそれがボルヘス >>320>>321
そういう印象はないな。読者のほうが妙に難解崇拝してる感じはあっても。 俺個人的には
呆けたおじいちゃんが暖炉のそばで
昔話をトロトロとしているような印象を楽しみながら読んでる >>321
同じ印象だな
真面目な顔で冗談言っている感じというのは
特に共著ではあるけど『ブストス=ドメックのクロニクル』に強く出ていると思う バードンの「ボルヘスの対話」読む限りはボルヘスにふざけてる感じはないな。 『ブストス=ドメックのクロニクル』は面白かったな
同じコンビの『ドン・イシドロ・パロディ 六つの難事件』は良さがわからなかった 別にボルヘスという人間はふざけた人だとは思わないけど
文学的にはふざけてるつうかパロディー屋って感じはする。
なんかマッチョ・コンプレックスがあるみたいだし、長編は
嫌いつうてるところからも、なんか文学にアンビバレントがあって
それで文学に対しちょっとすげないニュアンスが出てるんジャマイカ マッチョへの憧憬とマザコン気質はあまり遠くないもののような気がするが J・L・ボルヘス 『ブロディーの報告書』
(岩波文庫 予価567円)
どうにも持っているものばかりから文庫化していくなあ 最後の小説集だっけか?
ボルヘス自身が最高傑作といった「じゃま者」と
俺の好きな「マルコによる福音書」が入ってるやつだな
ちょっと本屋寄ってみるか 「伝奇集」で引っかかったままなんだけど、
ひょっとして「伝奇集」から入らない別の入り方があるんだろうか。 >>341
最近「砂の本」の最初の2編を続けて読んだけどはかなり読みやすいよ。
「砂の本」とか『ブロディーの報告書』 のような後期のほうが
読みやすいのは読みやすい。ボルヘス自身、昔は晦渋に書き過ぎてる
って言ってるし 何か忘れていると感じていたけど今気づいた
『ブロディーの報告書』は5月16日刊行。 創造者と詩という仕事、読んだけど
なかなかいいね
特に前者。
繰り返し読みたくなる。 >>346
白水社で出てるのと違う訳なの?
むかし英訳版で読んだけど、よくできた物語集という感じでリーダブルだったが… >>341
自選「ボルヘスと私」がおすすめ。
ちくま文庫が品切れなので古本しかないけど。
訳もよい。
短編、エッセイ、詩、自作解説とあって申し分なし。 日本文学では、上田秋成、芥川龍之介、石川淳なんかに、
ボルヘスと類似性を感じるんだけれども、ほかに誰がいるだろう? 澁澤の龍っちゃん 稲垣足穂もちょっと類似性感じるな ボルヘスっぽい本より、場合によってはボルヘスの未読の作品よりも
作品中に出てくる英文学らの作品を読みたくなる ボルヘスとみんなが挙げた作家の違いはユーモアの有無。
それぐらいボルヘスは偉大だし、ポーもすごい。
そこが大事だと思う マチズモへの憧憬となったら三島も上げられるかも
しかし一番似ているのは案外星新一とか筒井だったりしてw 「偉大」とかなんか全部分かっちゃってるみたいな言い方する奴は信用できん ボルヘスにユーモアはないからねぇ
特に文学に対しては真剣過ぎるほど
類似性という点では、言霊を信じていたと言われる泉鏡花を挙げたいくらい
まあ、どちらも「偉大」で問題ないでしょ ぱっと考えたら短編のいろんな構造体を創ったという意味では
芥川が真っ先に浮かぶな ただ芥川のが世界をスパッと切り口よく
切るのに対し、ボルヘスは世界の構造の模型を坪庭にしてしまうって
感じでやっぱり違う まあ無理に座標軸もなしに類似を求めても
しょうがないと思うけど 乱歩はあまり類似性感じないな
人を驚かせようとするところは似てるけど
俺も特にボルヘスにユーモアは感じない
どんな作家にだって備わってるぐらいのユーモアならあるけど
それがボルヘスを特徴づけている一大要素ってまでには感じないな
エスプリは大いに感じるけど(ユーモアとエスプリ、語彙選択が違うだけかも
しれないけどね) 牛島信明が「あとがき」に書いているように、
ボルヘスのユーモアもまた重要であろう。「アキレスと亀」についての執拗な思考も、
「バベルの図書館」の構想もまた。
「バベルの図書館」と並んでぼくの好きなこんなイメージも、ボルヘスのユーモレスクではあるまいか。
……あの王国では、
地図学は完璧の極限に達していて、
一つの州の地図はある都市の、
また王国の地図はある州の広さを占めていた。
時代をへるにつれて、それらの大地図も人びとを満足させることができなくなり、
地理院は一枚の王国の地図を作製したが、それは結局、王国に等しい広さを持ち、寸分違わぬものだった。
地図学に熱心な者は別であるが後代の人びとは、この広大な地図を無用の長物と判断して、
無慈悲にも、火輪と厳寒の手にゆだねてしまった。
西方の砂漠には、ずたずたに裂けた地図の残骸が今も残っているが、
そこに住むものは獣と乞食、国じゅうを探っても在るのは地図学の遺物だけだという。(「学問の厳密さについて」)
創作だけでなくエッセーにもユーモアは満ちている。たとえば『論議』にはこんな一節がある。
ある過ちが無限の存在たる神に背くものであるがゆえに無限であると論じるのは、
神が聖なる存在であるがゆえに過ちも神聖であると主張するようなものであり、
虎に対して加えられた侮辱は縞模様であるに違いないと言い張るようなものだ。(「地獄の継続期間」)
すげーな
大評論家の巣窟だったか。
ボルヘス怪奇譚集
J・L・ボルヘス A・B・カサレス 柳瀬尚紀訳
四六判 168頁
1680円(本体1600円)
4-7949-1261-7 C0397 〔1998〕
渦まく笑いと戦慄。中国の妖怪物語。セイロンの人喰い鬼伝説。アラビアンナイト。カフカやポーの掌編。
20世紀文学に屹立する巨人ボルヘスが、その博識博捜のかぎりをつくして選びぬいた、
世にも不思議な、短くて途方もない話92篇。「物語の精髄は本書の小品の中にある」
作家自らが折紙をつけたユーモアと魅惑のアンソロジー
2ちゃんねるの天才たちにかかるとユーモアあふれる作家も知性のエスプリ作家になるんだなぁ。
ボルヘスはその膨大な知識をユーモアにした作家だよ。
レベルが低すぎる。 「ユーモア」つったらなんかジョーク集みたいなレベルの話に聞こえる
そういう寄席芸人的な表情はボルヘスに見出せないので あまり
「ユーモア」って言葉が妥当に思えないだけかもしれない
多分同じところを指してはいるんだろうけどね とにかく特に「ユーモア」って言葉が妥当する印象は受けないので
それをレベルが低すぎるとか一方的に言われても困るって感じ
むしろその「ユーモア」とやらは「批判性」に回収されるって感じ 日本ラテンアメリカ学界。
第4分科会《文学》
司会 立林良一(同志社大学)
井尻会員と高林会員は、ペルー生まれという点で共通する2人の現代作家の作品を、
一方は文学論的に、他方は自伝的に読み解こうとする報告を行った。
高林会員が取り上げたサバレタは日本ではほとんど紹介されることのなかった作家であるが、
バルガス=リョサを始めとする<ブーム>の世代に少なからぬ影響を与えたとの指摘もあって、
2つの報告が有機的に結びつき、興味が倍加した。
ユーモアを核として400年前のセルバンテスの中にボルヘスの先駆者たる要素を見出そうとする牛島会員の報告は、
引き合いに出される実例の面白さと、報告者自身の機知とが相乗的な効果を発揮して、しばしば聴衆の笑いを誘った。
質疑応答では、ボルヘスが化粧をしていたというエピソードにまで話が及び、
この作家に対する参加者の興味は尽きることがなかった。
全体を通して20数名の参加者があり、例年以上に活気が感じられる分科会であった。
セルバンテス=ボルヘスの先駆者
って話になってるんだけど、スペイン文学の笑いという要素を引き継いだのがボルヘスなんだよ。
もう少し本読んで欲しいわ。
ここはボルヘス理解できてない人間がえらそうに能書きたれてるだけだったみたいね。 この様子じゃ多分ポーのユーモアとかもまるでわかってなさげ。
長文コピペなんていちいち人が読むと思わないほうがいいよ
ユーモアの有無を論議しなくてもボルヘスの話はできるよ
「ユーモア」って言葉がボルヘスの一大特徴を見事にあらわしているってんで
お気に入りつうならどうしようもないが ぷっ、とも、くすっ、ともならない、ユーモアって……
解説しないとわからないユーモアって…… ピースってばかなコテがいるけど名無しもこのレベルだったんだ。
字面だけおって内容はまるで理解できてない。
ボルヘスに知性求めたとこでそれを返す刀で全部笑いで返すのがボルヘスなのに
まるではなしがちんぷんかんぷんのくせに
俺は理解したとえらそうにしたいだけ
まじめな話しといて実はこれ冗談ですってのがボルヘスなんだよ
>>372
明らかに影響を受けてる。
本人も子供のころから読んでるし。
まじめな話をしてこれ冗談ですって、それフィクションと言うんじゃないの。 >>373
読む人がボルヘスの知的レベルについていけないなら、
笑えないでしょうね ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています