ホルへ・ルイス・ボルヘス 3冊目
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バードンの「ボルヘスの対話」読む限りはボルヘスにふざけてる感じはないな。 『ブストス=ドメックのクロニクル』は面白かったな 同じコンビの『ドン・イシドロ・パロディ 六つの難事件』は良さがわからなかった 別にボルヘスという人間はふざけた人だとは思わないけど 文学的にはふざけてるつうかパロディー屋って感じはする。 なんかマッチョ・コンプレックスがあるみたいだし、長編は 嫌いつうてるところからも、なんか文学にアンビバレントがあって それで文学に対しちょっとすげないニュアンスが出てるんジャマイカ マッチョへの憧憬とマザコン気質はあまり遠くないもののような気がするが J・L・ボルヘス 『ブロディーの報告書』 (岩波文庫 予価567円) どうにも持っているものばかりから文庫化していくなあ 最後の小説集だっけか? ボルヘス自身が最高傑作といった「じゃま者」と 俺の好きな「マルコによる福音書」が入ってるやつだな ちょっと本屋寄ってみるか 「伝奇集」で引っかかったままなんだけど、 ひょっとして「伝奇集」から入らない別の入り方があるんだろうか。 >>341 最近「砂の本」の最初の2編を続けて読んだけどはかなり読みやすいよ。 「砂の本」とか『ブロディーの報告書』 のような後期のほうが 読みやすいのは読みやすい。ボルヘス自身、昔は晦渋に書き過ぎてる って言ってるし 何か忘れていると感じていたけど今気づいた 『ブロディーの報告書』は5月16日刊行。 創造者と詩という仕事、読んだけど なかなかいいね 特に前者。 繰り返し読みたくなる。 >>346 白水社で出てるのと違う訳なの? むかし英訳版で読んだけど、よくできた物語集という感じでリーダブルだったが… >>341 自選「ボルヘスと私」がおすすめ。 ちくま文庫が品切れなので古本しかないけど。 訳もよい。 短編、エッセイ、詩、自作解説とあって申し分なし。 日本文学では、上田秋成、芥川龍之介、石川淳なんかに、 ボルヘスと類似性を感じるんだけれども、ほかに誰がいるだろう? 澁澤の龍っちゃん 稲垣足穂もちょっと類似性感じるな ボルヘスっぽい本より、場合によってはボルヘスの未読の作品よりも 作品中に出てくる英文学らの作品を読みたくなる ボルヘスとみんなが挙げた作家の違いはユーモアの有無。 それぐらいボルヘスは偉大だし、ポーもすごい。 そこが大事だと思う マチズモへの憧憬となったら三島も上げられるかも しかし一番似ているのは案外星新一とか筒井だったりしてw 「偉大」とかなんか全部分かっちゃってるみたいな言い方する奴は信用できん ボルヘスにユーモアはないからねぇ 特に文学に対しては真剣過ぎるほど 類似性という点では、言霊を信じていたと言われる泉鏡花を挙げたいくらい まあ、どちらも「偉大」で問題ないでしょ ぱっと考えたら短編のいろんな構造体を創ったという意味では 芥川が真っ先に浮かぶな ただ芥川のが世界をスパッと切り口よく 切るのに対し、ボルヘスは世界の構造の模型を坪庭にしてしまうって 感じでやっぱり違う まあ無理に座標軸もなしに類似を求めても しょうがないと思うけど 乱歩はあまり類似性感じないな 人を驚かせようとするところは似てるけど 俺も特にボルヘスにユーモアは感じない どんな作家にだって備わってるぐらいのユーモアならあるけど それがボルヘスを特徴づけている一大要素ってまでには感じないな エスプリは大いに感じるけど(ユーモアとエスプリ、語彙選択が違うだけかも しれないけどね) 牛島信明が「あとがき」に書いているように、 ボルヘスのユーモアもまた重要であろう。「アキレスと亀」についての執拗な思考も、 「バベルの図書館」の構想もまた。 「バベルの図書館」と並んでぼくの好きなこんなイメージも、ボルヘスのユーモレスクではあるまいか。 ……あの王国では、 地図学は完璧の極限に達していて、 一つの州の地図はある都市の、 また王国の地図はある州の広さを占めていた。 時代をへるにつれて、それらの大地図も人びとを満足させることができなくなり、 地理院は一枚の王国の地図を作製したが、それは結局、王国に等しい広さを持ち、寸分違わぬものだった。 地図学に熱心な者は別であるが後代の人びとは、この広大な地図を無用の長物と判断して、 無慈悲にも、火輪と厳寒の手にゆだねてしまった。 西方の砂漠には、ずたずたに裂けた地図の残骸が今も残っているが、 そこに住むものは獣と乞食、国じゅうを探っても在るのは地図学の遺物だけだという。(「学問の厳密さについて」) 創作だけでなくエッセーにもユーモアは満ちている。たとえば『論議』にはこんな一節がある。 ある過ちが無限の存在たる神に背くものであるがゆえに無限であると論じるのは、 神が聖なる存在であるがゆえに過ちも神聖であると主張するようなものであり、 虎に対して加えられた侮辱は縞模様であるに違いないと言い張るようなものだ。(「地獄の継続期間」) すげーな 大評論家の巣窟だったか。 ボルヘス怪奇譚集 J・L・ボルヘス A・B・カサレス 柳瀬尚紀訳 四六判 168頁 1680円(本体1600円) 4-7949-1261-7 C0397 〔1998〕 渦まく笑いと戦慄。中国の妖怪物語。セイロンの人喰い鬼伝説。アラビアンナイト。カフカやポーの掌編。 20世紀文学に屹立する巨人ボルヘスが、その博識博捜のかぎりをつくして選びぬいた、 世にも不思議な、短くて途方もない話92篇。「物語の精髄は本書の小品の中にある」 作家自らが折紙をつけたユーモアと魅惑のアンソロジー 2ちゃんねるの天才たちにかかるとユーモアあふれる作家も知性のエスプリ作家になるんだなぁ。 ボルヘスはその膨大な知識をユーモアにした作家だよ。 レベルが低すぎる。 「ユーモア」つったらなんかジョーク集みたいなレベルの話に聞こえる そういう寄席芸人的な表情はボルヘスに見出せないので あまり 「ユーモア」って言葉が妥当に思えないだけかもしれない 多分同じところを指してはいるんだろうけどね とにかく特に「ユーモア」って言葉が妥当する印象は受けないので それをレベルが低すぎるとか一方的に言われても困るって感じ むしろその「ユーモア」とやらは「批判性」に回収されるって感じ 日本ラテンアメリカ学界。 第4分科会《文学》 司会 立林良一(同志社大学) 井尻会員と高林会員は、ペルー生まれという点で共通する2人の現代作家の作品を、 一方は文学論的に、他方は自伝的に読み解こうとする報告を行った。 高林会員が取り上げたサバレタは日本ではほとんど紹介されることのなかった作家であるが、 バルガス=リョサを始めとする<ブーム>の世代に少なからぬ影響を与えたとの指摘もあって、 2つの報告が有機的に結びつき、興味が倍加した。 ユーモアを核として400年前のセルバンテスの中にボルヘスの先駆者たる要素を見出そうとする牛島会員の報告は、 引き合いに出される実例の面白さと、報告者自身の機知とが相乗的な効果を発揮して、しばしば聴衆の笑いを誘った。 質疑応答では、ボルヘスが化粧をしていたというエピソードにまで話が及び、 この作家に対する参加者の興味は尽きることがなかった。 全体を通して20数名の参加者があり、例年以上に活気が感じられる分科会であった。 セルバンテス=ボルヘスの先駆者 って話になってるんだけど、スペイン文学の笑いという要素を引き継いだのがボルヘスなんだよ。 もう少し本読んで欲しいわ。 ここはボルヘス理解できてない人間がえらそうに能書きたれてるだけだったみたいね。 この様子じゃ多分ポーのユーモアとかもまるでわかってなさげ。 長文コピペなんていちいち人が読むと思わないほうがいいよ ユーモアの有無を論議しなくてもボルヘスの話はできるよ 「ユーモア」って言葉がボルヘスの一大特徴を見事にあらわしているってんで お気に入りつうならどうしようもないが ぷっ、とも、くすっ、ともならない、ユーモアって…… 解説しないとわからないユーモアって…… ピースってばかなコテがいるけど名無しもこのレベルだったんだ。 字面だけおって内容はまるで理解できてない。 ボルヘスに知性求めたとこでそれを返す刀で全部笑いで返すのがボルヘスなのに まるではなしがちんぷんかんぷんのくせに 俺は理解したとえらそうにしたいだけ まじめな話しといて実はこれ冗談ですってのがボルヘスなんだよ >>372 明らかに影響を受けてる。 本人も子供のころから読んでるし。 まじめな話をしてこれ冗談ですって、それフィクションと言うんじゃないの。 >>373 読む人がボルヘスの知的レベルについていけないなら、 笑えないでしょうね 翻訳を経ると言葉の微妙なニュアンスが損なわれたりするから 例えばダジャレなんかはまったく意味のないものになったりする ことわざなんかもその国の文化を知らないと意味がわからない ユーモアが通じるかどうかは結構危うい物なのだ まあ俗に言う笑えるという意味でのユーモアはないよなボルヘスの小説に 対談集とか見ていてもジョークやらユーモア、エスプリが得意な人には見えない M. シャプサルとのインタビューで「よし、あなたを失望感させたぞ」なんておどけてみせたりしてるけど、彼一流のユーモアというよりは、謙虚なのねって印象だったしね 知的水準が低い人たちは 読んだつもりになって満足しておけばいいと思う。 「『ドン・キホーテ』の著者ピエール・メナール」にユーモアを感じなければちょっと問題 カフカスレで「器用」って言葉に住人が振り回されたのと同じ感じに なってるな>ユーモア たとえば「円環の廃墟」のオチなんかユーモアといえば言えないこともないけど ユーモアつうたらなんか違う気がするな ボルヘスもカフカも読んで内容を理解できずに満足してるのが多いんだろう。 翻訳した人や研究者が言っていることを否定するんだから2ちゃんねるの自称評論家最強だよ 池沼がボルヘス読んでおれってかっこいい(キリッ! ってやってるだけなんだよなぁ・・・・・ 少なくとも、「ボルヘスにユーモアがない」というのは間違いというのは共通了解だと思うから引っ張る話でもないだろう ユーモアって大抵、自覚的に発揮されるよね カフカの、主人公がひたすら理由の無い不幸に見舞われる話なんて、本人が面白がってやってるの丸わかりだもん 双子の測量助手とかさ ボルヘスにも何かそうした「ねらい」みたいなものがあるということなのかな? ボルヘスはカフカみたいに自分の作品を朗読して吹き出したりしてたのかな? 「ブストス=ドメックのクロニクル」を読めばいーじゃん >>391 ただ単にそこはポイントじゃないというだけでね 続審問 固有名詞が多すぎて注がうざくてw 読むのやめました 固有名詞たまに男か女かさえ分かるのに時間かかるときあるw ボルヘスの評論は、ボルヘスがどこまで本気で言ってるのかを読み取るのが難しい 基本本気だろう ボルヘスという存在自体がどこまで本気かとなると 別問題だが 前にもここに書いたような気がするけど>>394 が言うように共著だとはいえ、 「ブストス=ドメックのクロニクル」なんてユーモアにあふれているじゃないか。 まあ、それを言ったら、同じブストス=ドメックものの「難事件」の方もそうだが。 あれで、ユーモアじゃないというのはどうにも。 そうじゃなくて、ユーモアがボルヘス文学の核的な位置にあるかってことだろ ユーモアなら三島だってあるわ 固有名詞たまに人名か地名か書名かさえ分かるのに時間かかるときあるw 三島のユーモアなんてボルヘスのユーモアに比べたらなにそれってレベル。 ボルヘスからユーモア取ったらここまで評価されるわけないじゃない。 芥川とかといっしょに論じることが間違いなんだよね。 >>359 > ボルヘスにユーモアはないからねぇ この発言から始まったんじゃね? で、ユーモアがあるということは359以外は皆認めている はい、終わり コツとして固有名詞にはこだわらず読み進めること 結果、なにがなんだかわからない ほめてんのかけなしてんのか・・・ 最初に始まったのは>>356 でしょう 多分>>403 が同一人物だと思うけど なんか上から目線なんだよね >>405 >ほめてんのかけなしてんのか・・・ これは俺もすごく感じるw なんか評価がコロコロ変わる人って印象もある 神曲なんてべた褒めだけどいつ悪くい言い出すかみたいなw 誰だって以前好きだったものが嫌いになったりその逆もあるんだろうけど この人はなんか始終そのスイッチが行われてる印象 ちなみに真剣に言っているところがころころ変わる人 ほめてるのかけなしてるのか分からない人って俺のまわりにもいるけど 甘やかされた人に多い気がする ていうかまず今の自分が大事なんじゃね 本質的に自分にしか関心がないみたいな http://ci.nii.ac.jp/lognavi?name=nels&lang=jp&type=pdf&id=ART0008445589 ボルヘスが完璧と称する神曲の近年の研究によって明らかにされた恐るべき幾何学的構成 上の論文以外でも指摘できることは、神曲は思想的にも言語技術的にも素晴らしい作品で、各篇によって言語の抽象度が違う 地獄篇では肉体的な言葉が意識的につかわれ、煉獄篇では浄罪と罪の狭間の混合した言語で最も評価の高い篇である さらに1行は11音節、3行連句になっているのでひとつのまとまりが33音節になり、3という三位一体の聖数を表わす。脚韻はaba bcbと続く 冒頭はこうなる Nel mezzo del cammin di nostra vita mi ritrovai per una selva oscura, ché la diritta via era smarrita. Ahi quanto a dir qual era è cosa dura esta selva selvaggia e aspra e forte che nel pensier rinova la paura! >>404 「ユーモアがある」の対語としてユーモアが無いと書いたんですよ ボルヘス本人は、自身の創作の秘密は無意識だと言ってるね 無意識に書いてるときの方が出来がいいようだ、とも 岩波版伝奇集ひさびさに再読したがやっぱ訳が生硬で読みづらいな 重訳云々もあるが集英社ラテンアメリカ文学1巻の篠田版の方が俺的にはしっくりくる。 アレフと汚辱も入っていてお得だしw >>415 考えてみると、そうやって複数の訳で読み比べられるというのも楽しみの一つではあるね 一つの訳しかなくて、その訳がもはや時代遅れだったり素人目にも悪訳であった場合などは 読者にとっても作者にとっても不幸だよ ペンギンの英訳がいちばん読みやすいぞ 無色透明でニュートラル う〜ん訳はたくさんあったほうが自分の好みのもの選べるからいいってのは 思うが比べるのが楽しみではないなあ ドストとかも訳を読み比べたりする(した)? 俺はそんな暇はなかったし今もない 訳を比べるのは原著読めるやつぐらいだと思うけど・・・・ ヤクをやってるやつは覚せい剤取締法で逮捕されるけどね 読むのに当たって最初の十ページぐらいは読み比べたことある でもあまり気にしないかな ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています
read.cgi ver 07.5.1 2024/04/28 Walang Kapalit ★ | Donguri System Team 5ちゃんねる