ホルへ・ルイス・ボルヘス 3冊目
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とにかく特に「ユーモア」って言葉が妥当する印象は受けないので それをレベルが低すぎるとか一方的に言われても困るって感じ むしろその「ユーモア」とやらは「批判性」に回収されるって感じ 日本ラテンアメリカ学界。 第4分科会《文学》 司会 立林良一(同志社大学) 井尻会員と高林会員は、ペルー生まれという点で共通する2人の現代作家の作品を、 一方は文学論的に、他方は自伝的に読み解こうとする報告を行った。 高林会員が取り上げたサバレタは日本ではほとんど紹介されることのなかった作家であるが、 バルガス=リョサを始めとする<ブーム>の世代に少なからぬ影響を与えたとの指摘もあって、 2つの報告が有機的に結びつき、興味が倍加した。 ユーモアを核として400年前のセルバンテスの中にボルヘスの先駆者たる要素を見出そうとする牛島会員の報告は、 引き合いに出される実例の面白さと、報告者自身の機知とが相乗的な効果を発揮して、しばしば聴衆の笑いを誘った。 質疑応答では、ボルヘスが化粧をしていたというエピソードにまで話が及び、 この作家に対する参加者の興味は尽きることがなかった。 全体を通して20数名の参加者があり、例年以上に活気が感じられる分科会であった。 セルバンテス=ボルヘスの先駆者 って話になってるんだけど、スペイン文学の笑いという要素を引き継いだのがボルヘスなんだよ。 もう少し本読んで欲しいわ。 ここはボルヘス理解できてない人間がえらそうに能書きたれてるだけだったみたいね。 この様子じゃ多分ポーのユーモアとかもまるでわかってなさげ。 長文コピペなんていちいち人が読むと思わないほうがいいよ ユーモアの有無を論議しなくてもボルヘスの話はできるよ 「ユーモア」って言葉がボルヘスの一大特徴を見事にあらわしているってんで お気に入りつうならどうしようもないが ぷっ、とも、くすっ、ともならない、ユーモアって…… 解説しないとわからないユーモアって…… ピースってばかなコテがいるけど名無しもこのレベルだったんだ。 字面だけおって内容はまるで理解できてない。 ボルヘスに知性求めたとこでそれを返す刀で全部笑いで返すのがボルヘスなのに まるではなしがちんぷんかんぷんのくせに 俺は理解したとえらそうにしたいだけ まじめな話しといて実はこれ冗談ですってのがボルヘスなんだよ >>372 明らかに影響を受けてる。 本人も子供のころから読んでるし。 まじめな話をしてこれ冗談ですって、それフィクションと言うんじゃないの。 >>373 読む人がボルヘスの知的レベルについていけないなら、 笑えないでしょうね 翻訳を経ると言葉の微妙なニュアンスが損なわれたりするから 例えばダジャレなんかはまったく意味のないものになったりする ことわざなんかもその国の文化を知らないと意味がわからない ユーモアが通じるかどうかは結構危うい物なのだ まあ俗に言う笑えるという意味でのユーモアはないよなボルヘスの小説に 対談集とか見ていてもジョークやらユーモア、エスプリが得意な人には見えない M. シャプサルとのインタビューで「よし、あなたを失望感させたぞ」なんておどけてみせたりしてるけど、彼一流のユーモアというよりは、謙虚なのねって印象だったしね 知的水準が低い人たちは 読んだつもりになって満足しておけばいいと思う。 「『ドン・キホーテ』の著者ピエール・メナール」にユーモアを感じなければちょっと問題 カフカスレで「器用」って言葉に住人が振り回されたのと同じ感じに なってるな>ユーモア たとえば「円環の廃墟」のオチなんかユーモアといえば言えないこともないけど ユーモアつうたらなんか違う気がするな ボルヘスもカフカも読んで内容を理解できずに満足してるのが多いんだろう。 翻訳した人や研究者が言っていることを否定するんだから2ちゃんねるの自称評論家最強だよ 池沼がボルヘス読んでおれってかっこいい(キリッ! ってやってるだけなんだよなぁ・・・・・ 少なくとも、「ボルヘスにユーモアがない」というのは間違いというのは共通了解だと思うから引っ張る話でもないだろう ユーモアって大抵、自覚的に発揮されるよね カフカの、主人公がひたすら理由の無い不幸に見舞われる話なんて、本人が面白がってやってるの丸わかりだもん 双子の測量助手とかさ ボルヘスにも何かそうした「ねらい」みたいなものがあるということなのかな? ボルヘスはカフカみたいに自分の作品を朗読して吹き出したりしてたのかな? 「ブストス=ドメックのクロニクル」を読めばいーじゃん >>391 ただ単にそこはポイントじゃないというだけでね 続審問 固有名詞が多すぎて注がうざくてw 読むのやめました 固有名詞たまに男か女かさえ分かるのに時間かかるときあるw ボルヘスの評論は、ボルヘスがどこまで本気で言ってるのかを読み取るのが難しい 基本本気だろう ボルヘスという存在自体がどこまで本気かとなると 別問題だが 前にもここに書いたような気がするけど>>394 が言うように共著だとはいえ、 「ブストス=ドメックのクロニクル」なんてユーモアにあふれているじゃないか。 まあ、それを言ったら、同じブストス=ドメックものの「難事件」の方もそうだが。 あれで、ユーモアじゃないというのはどうにも。 そうじゃなくて、ユーモアがボルヘス文学の核的な位置にあるかってことだろ ユーモアなら三島だってあるわ 固有名詞たまに人名か地名か書名かさえ分かるのに時間かかるときあるw 三島のユーモアなんてボルヘスのユーモアに比べたらなにそれってレベル。 ボルヘスからユーモア取ったらここまで評価されるわけないじゃない。 芥川とかといっしょに論じることが間違いなんだよね。 >>359 > ボルヘスにユーモアはないからねぇ この発言から始まったんじゃね? で、ユーモアがあるということは359以外は皆認めている はい、終わり コツとして固有名詞にはこだわらず読み進めること 結果、なにがなんだかわからない ほめてんのかけなしてんのか・・・ 最初に始まったのは>>356 でしょう 多分>>403 が同一人物だと思うけど なんか上から目線なんだよね >>405 >ほめてんのかけなしてんのか・・・ これは俺もすごく感じるw なんか評価がコロコロ変わる人って印象もある 神曲なんてべた褒めだけどいつ悪くい言い出すかみたいなw 誰だって以前好きだったものが嫌いになったりその逆もあるんだろうけど この人はなんか始終そのスイッチが行われてる印象 ちなみに真剣に言っているところがころころ変わる人 ほめてるのかけなしてるのか分からない人って俺のまわりにもいるけど 甘やかされた人に多い気がする ていうかまず今の自分が大事なんじゃね 本質的に自分にしか関心がないみたいな http://ci.nii.ac.jp/lognavi?name=nels&lang=jp&type=pdf&id=ART0008445589 ボルヘスが完璧と称する神曲の近年の研究によって明らかにされた恐るべき幾何学的構成 上の論文以外でも指摘できることは、神曲は思想的にも言語技術的にも素晴らしい作品で、各篇によって言語の抽象度が違う 地獄篇では肉体的な言葉が意識的につかわれ、煉獄篇では浄罪と罪の狭間の混合した言語で最も評価の高い篇である さらに1行は11音節、3行連句になっているのでひとつのまとまりが33音節になり、3という三位一体の聖数を表わす。脚韻はaba bcbと続く 冒頭はこうなる Nel mezzo del cammin di nostra vita mi ritrovai per una selva oscura, ché la diritta via era smarrita. Ahi quanto a dir qual era è cosa dura esta selva selvaggia e aspra e forte che nel pensier rinova la paura! >>404 「ユーモアがある」の対語としてユーモアが無いと書いたんですよ ボルヘス本人は、自身の創作の秘密は無意識だと言ってるね 無意識に書いてるときの方が出来がいいようだ、とも 岩波版伝奇集ひさびさに再読したがやっぱ訳が生硬で読みづらいな 重訳云々もあるが集英社ラテンアメリカ文学1巻の篠田版の方が俺的にはしっくりくる。 アレフと汚辱も入っていてお得だしw >>415 考えてみると、そうやって複数の訳で読み比べられるというのも楽しみの一つではあるね 一つの訳しかなくて、その訳がもはや時代遅れだったり素人目にも悪訳であった場合などは 読者にとっても作者にとっても不幸だよ ペンギンの英訳がいちばん読みやすいぞ 無色透明でニュートラル う〜ん訳はたくさんあったほうが自分の好みのもの選べるからいいってのは 思うが比べるのが楽しみではないなあ ドストとかも訳を読み比べたりする(した)? 俺はそんな暇はなかったし今もない 訳を比べるのは原著読めるやつぐらいだと思うけど・・・・ ヤクをやってるやつは覚せい剤取締法で逮捕されるけどね 読むのに当たって最初の十ページぐらいは読み比べたことある でもあまり気にしないかな おまいら好きな小説はどれ? 三つあげてみて 俺は 「円環の廃墟」 「刀の形」 「マルコによる福音書」 「バベルの図書館」 「不死の人」 「会議」 意外と長い(っても短いが)のが好き 資質は基本的に渋沢と似てる そこがボルヘスの魅力でもあり限界ともいえる きみは読んだことないんだろう 近代小説に対する批判から出発してるメタフィクションの書き手じゃんw だから、本人が好き好んでそうしてるだけで>>432 みたな批判は意味がないんだよね 書けない≠書かない ということを理解できない人がいるんだろうな。 岩波版「ブロディー」は白水社のとほとんど同じみたいだね。 「汚辱の世界史」は草思社版「悪党列伝」と変わんない訳だったし。 ちくま文庫の「ボルヘスと私」、古本で入手。 美本で1500円だった。 そのうち復刊するかもしれないけど迷わず買いました。 「結局は主観」なんて言い方はガキの逃避の言葉だな。 実際は言ってる人がそんなに割り切れてない。だからこそそういう書き込みを わざわざするわけだし、誰も説得できてないよ。そもそも誰でも知ってる レトリックにすぎないし。 岩波の「伝奇集」読んだが面白かった ユーモアが話題になってるんで、面白かった文章挙げてみる ・私はイギリス人に気に入られたくて、人間の情念の中でもっとも鈍感なもの、つまり愛国心に訴えた。 ・多少の見栄も手伝って、私はそのころラテン語の規則的な勉強を始めていた。 ・わたしは、紳士(ジェントルマン)は破れた大義にしか関心を寄せないものだ、とやり返しました……。 ・真実はおもしろくある義理はない、とおっしゃりたいのでしょう。 ・結論がおそらく「証明」に先行していた、といわれる方があるかもしれない。しかし、自分が信じてない事柄や、 議論したいと思わない事柄について証明を求めようとする者が、果たしているだろうか? アキレスと亀の論議に関して「少しも恐れることはない。たかが亀である」ってのも笑ったけど ほんとにライプニッツが言ったのかな?w 岩波文庫での連チャンに続いて今度はバベルの図書館復刊だそうで 静かにブームが来てるね ボルヘスがどっかで言ってたが、イギリス文学のすぐれているところはブームとか流行というものがまるでないところであると ボルヘスの書く記憶の人フネスは アメコミがよくやる超人の苦悩に似ている ボルヘスは日本は残虐だったから原爆投下されても仕方ないみたいなこと言ってた wikipediaとかだとちょくちょく架空の記事が作られてるんだな ボルヘスとナボコフの違いって何ですか? だいたい同じですか? こういうのを拾った。なんでもナボコフやボルヘス、それとここでは上げられてないがカルヴィーノやベケットと同一視してしまう人々が増えてるからな。 >Akihisa TOKAI. クルジジャノフスキィをナボコフとかボルヘスと比較する人が多いようですが、それは間違いでしょう。何か分からないものを全部ボルヘスにしてしまうのは失礼です。どちらにもね。 基本的にその名前を出しておけばインテリに見えるだろうという策略のようだ。 >>464 >>465 ははあ、君のもその策略に基づく書き込みってわけだね。 景気づけにカルヴィーノやベケットも添えて万全を期したと。 昨今、君にはカッパの疑いもかかっているようだし あまりうろんな発言は自重してはどうかな。 ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています
read.cgi ver 07.5.1 2024/04/28 Walang Kapalit ★ | Donguri System Team 5ちゃんねる