ホルへ・ルイス・ボルヘス 3冊目
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>>76 紹介だけして、翻訳はスペイン語のできる人に任せればよかったんだよな。 まあ英語からの訳としても誤訳があるんだけどな、篠田一士のは。
そこについては高山宏の指摘が正しい。
後から出た鼓直訳でも間違ったままだし。 誤訳の指摘をして喜んでるなあ、あんまりいい趣味じゃねえな。
ましてそれで原稿料かせぐなんてのは「人のふんどしで」取る相撲。
誤訳なんか探せばいくらでも出てくるもんさ。
別に篠田の肩をもとうじゃないが、セコイ誤訳指摘してる暇があったら
てめえがまるごと訳して見せろってもんさ。 スペイン語できたボルヘスの訳者では木村榮一・土岐恒二あたりが良かった方でないの。 >>81
ネットで誤訳の指摘をして、どうやって「原稿料かせぐ」ってのかね。
誰しも誤訳は避けられないにしても、多いか少ないか、ひどいかマシかの差はある。
そこを一緒くたにして臭いものに蓋をするのは、ゴマカシ。
篠田一士のは、重訳隠しだし、語学だけでなく知識不足の誤りもあって、批判すべきものだった。 >>81
内容も吟味しないで威勢のいいこといっても空疎だなあ
>>58のへりくだった物言いのほうが圧倒的にきついw 高山のいくつかあるらしい指摘に関して全部読んだわけじゃないが
一つよんだことはある
そのうちピエールメナールのところの誤訳への指摘はもっともだと思った
英訳に従った箇所をいくつか見つけたといって、だから重訳だと決め付けるのは
判断の手続きが充分とは言えないな。「重訳隠し」なんて訳わからん言葉使いも軽薄
だけど、全体バカっぽいよ、内容が。 へええ。そんなら重訳と判断する十分な手続きって、どんなの?
英語版は良くないからスペイン語版全集を底本にすると言っておきながら英語版からしか出て来ない語を入れてるって事実だけで、十分に篠田はインチキでないかい。 >>87
いえいえそんな、バカっぽさでは篠田一士の肩を持つ方には及びませんから。
篠田の解説文すら読み間違った>>46とか、内容を吟味せず印象論で押し切る>>81とか。 最初は「テクスト謎解き」みたいで楽しかったのに
途中から人格批判につながってなんだかなー そうだなー
部分を詳細に検討して分析するのは面白いんだけど
その結果、誰それはインチキだとか嘘つきだとか飛躍して、
悪口になってしまうとな。 最初に批判しはじめたのは篠田擁護>>46の
>誠意に欠ける
>不誠実なテキストがウェブ上に長くさらされてるのってけっこう罪深いと思うよ。
からだけどね。お間違えなく なんかネチネチしたのがいるな
んーミスったのは認めるよ
別に篠田擁護とか篠田シンパじゃないんだがなー >>46さんのはスジが通ってると思いますよ。口汚くないし。
とかいうとまたおかしくなるか(笑 7つの夜、面白いけど
晩年だからか昔使ったようなキャッチーなフレーズを使わなくなってるのね。削ってるのか
「文学を語る」の「韻律は散文に先行する」とか
「自伝」の「韻律はポータブルなもの」とか好きなだけに >>93
自分を批判するのはネチネチ、篠田をかばった発言は間違っててもサッパリ、なんですねわかります。 >>97
いやー篠田擁護の人はみんなサッパリしてるよ。
>>94みたいに、相手にちゃんと「さん」付けしてくれる人は
>>44の「篠田さん」って篠田擁護派しかいないし。
ネチネチって言ってる人も
>>77と>>93って二人もいるもんね
これは決して「同一人物が書き込みしている可能性」ではなくて
「価値観がはっきりしてさわやかで良い」という意味だから気になさらずに
以上ネチネチした批判でしたw >>93
篠田の解説文をわざわざ誤読してまで篠田の過ちを少なく見積もりたがっても、
自分の誤りや不誠実を指摘されてもまだ>>45=>>53の訳文検討の方に不備があるごとく取り繕っても、
篠田が重訳してない振りしてながら重訳した事実が明らかにされたのを認めようとしなくても、
それでも全然篠田の擁護なんかではないってんだよね? うんうん、わかるわかる。 っ「ねちねちした進み方の必要」『中野重治全集 第十一巻』(筑摩書房、1979→1997) ボルヘスが漢字圏の人だったら、って想像をよくする
セーゴーとかいうのはなしね アルファベットでないとバベルの図書館は作られんがな。>>101 >>102
だからこそだよ。どういうイマジネーションになるのかなと
もちろんアルファベットじゃないと盲目になっても本読めないんだけどね ま、「ピエール・メナール」に出てくるライプニッツの著書名を篠田一士も鼓直も「普遍的性格」とか迷訳する程度の受容ではなあ。
Characteristica universalisのcharacterは「文字」の意味、『普遍記号学』だっての。
ライプニッツの構想は支那の漢字にインパクトを受けたものだったな。 ライプニッツ、ラッセルの名前は頻出するけど
ウィトゲンシュタインが本に出てくることがほとんどないのは
嫌いだったのかな ヴィトゲンシュタインは哲学者の間でのみ名を聞く、知る人ぞ知る隠れた異才だった。
ボルヘスが知ってたわけないだろ。死後有名になった頃にはもう盲目さ。 ウィトゲンシュタインは世界では日本ほど有名な哲学者でない。
歴史的に言うと、彼は分析哲学に影響を与えた、
という意味で「偉大」な哲学者であったのだが、
ウィトゲンシュタインの前期著作を支持する前期派と後期を支持する後期派のうち、
後期派はクワインとディヴィドソンに論破されたというのが、
とっくの昔に認められている。それが分析哲学「本場」の空気なわけだ。
ある意味、日本はウィトゲンシュタインを世界一番(今でも 笑)研究している国なのだが、
それは日本の哲学者の「本場」からの距離と後進性物語ることにすぎないのである。 で、結局篠田訳は英語からの重訳でFAですか?
『集英社ギャラリー 世界の文学 19 ラテンアメリカ』に収められた篠田訳『伝奇集』、
『エル・アレフ』、『砂の本』を読んで感銘を受けてきっとこれがベスト訳なのだろうと
想っていた身としてはショックです。 「これがベスト」だなんてことは、原文か他の訳文と比べてから言ってくれ。
この件に限らず、たまたま自分が接したものに執心するのは、視野が狭い。 >>108
いまだに後進国根性が抜けないのはおまえだよw
ばかだねえ。 あのねえ、英訳からでなければ出てこない訳文があったからといって
なんで全体が重訳とレッテルを貼りしなきゃ気がすまないんだろうね。
さらに、自分が読んで感銘を受けたものを、わけもわからん他人がどんなレッテルを
貼りたがったにしろ、そんなことでショックを受けるようなバカは亀にチンポ噛まれて死んでしまい!
ちなみに篠田訳伝奇集』、『エル・アレフ』、『砂の本』、いずれも名訳といって間違いないです。 まあまあ、少し落ち着け
俺も篠田訳は好きだし、必要以上に貶める書き込みには悲しくなるが、キレたら負けだよ
ほっとけばいいんだよ 少なくとも篠田さんがわが国にボルヘスを紹介した功労者であった事実は認めないと… >>113
篠田は、英語版は改悪だからスペイン語版全集を底本にする、と見得を切った。
その癖実際は、英語版を使った。それが全体でなく部分だとしても、読者を欺く偽装であることは確か。
そんなインチキをする奴は、全部重訳ではないかと嫌疑を掛けられても仕方無い。
もともと英文学者で、スペイン語は得意でない筈だし。
名訳ってのも怪しい。意味の通らない日本語が結構あって、鼓訳と比べても劣る箇所がある。 少なくとも>>105の指摘にあるみたいな誤訳はあるんだし、名訳と呼べるかは疑問。
紹介者としての功は誰も否定してない。翻訳まで全部自分の手柄にしようとせず、スペイン語の出来る人に仕事を譲れば偉かったのに。>>115 >>116
心も識見も痩せた人だな。つまらないことに何をムキになって。
>>117君、きみもだよ。 つまらないことでもムキになって上げるなんて熱心家なんですね。>>118 (d)ライプニッツの『普遍的性格』についての研究論文……
ほんとだ、これは恥ずい 後からなら何だって言えるさ
既存訳のない作品をガムシャラに訳して紹介した功績は変わらない 発表されたものに対して世間は後からあれこれ言うものなのさ。
世評が先立つ術はないんだから。 ライプニッツを知らないのは単純に教養不足だと思うよ
訳文の他の部分はともかくとして 知らなくても調べれば判ること。つまり篠田も鼓も調べないで手抜きをしたわけさ。 >>121
最初はそれでも仕方無いが、がむしゃらな訳を、改訳決定版の時にもそのまま直さないってのはいただけんわな。 一般読者のレベルはこんなものだろうな。
書き手(翻訳者)の立場、仕事のやりかたも考えてみると
もう少し突っ込んだ、面白い読書が身に付くと思うよ。
先駆的な仕事をして20年以上まえに亡くなった人には、感謝しこそすれ
罵倒なんか浴びせるべきじゃない。瑕疵が見つかったら、引き継いでよりよいものを
生み出すのが君たちの仕事じゃないかな。
>ライプニッツを知らないのは単純に教養不足だと思うよ
時系列を考えてごらん。
こういう軽薄なことを言って恥ずかしいのは君のほうさ。
どんなに良い仕事をしたって、長所と別に誤りは誤りと批判すべきである。
重訳を誤魔化した解説文の一件は、どんなに取り繕っても、感謝できない。
ライプニッツのことだって、哲学事典を引けば解る程度の事を、調査を怠ったのだ。 >>128
>こういう軽薄なことを言って恥ずかしいのは君のほうさ。
この文末の「〜さ。」みたいなセンスのない慣例が跋扈してるから
翻訳本は読まれないんだって山形浩生がいってたな >引き継いでよりよいものを生み出す
誤訳、重訳の指摘がそうではないと? ライプニッツの『普遍的性格』という訳語をそのままにしておくのは、
ライプニッツ好きのボルヘスに申し訳ないじゃないか ライプニッツのCharacteristica universalisについて言及している哲学事典ってのを
みてみたいな。編者(著者)と出版社おしえください。
ちょっと調べかけたけど、主著でないから言及があまりないんですね。
哲学史とか、あるいはだれかのライプニッツ論での言及個所でもかまいません。
よろしくお願いします。 129さんへ、でした。
て、どなたでもかまいませんが・・・ Characteristica universalisが哲学辞典調べればすぐにわかるのかどうかはその手のものは手元にないからわからん。
ただ、それがなくちゃわからない、とまではいかないかもしれないけど、
ピエール・メナールの話としては重要な意味持ってるリストの重要部分でもあるから修正してほしいとは思うなあ。 ユリイカの1999年ボルヘス特集みた。
あそこで高野氏が「普遍的記号」を指摘しているんだけど
「ポーが嫌い」って語ってるのはどこの文章からなんだろ。
『アメリカ文学講義』読んでる限りでは好きだと思ってたので
J・オースティンが嫌いだというのはわかるがw http://www.cty-net.ne.jp/~ki-tani/rtf/Pierre_Menard.html
これ↑も「ライプニッツの『普遍的性格』」と訳してしまってるな。
先行訳の「誤訳の多さが気に入らない」から新訳を試みるって志はよかったんだが。
http://www.cty-net.ne.jp/~ki-tani/rtf/backstage.html >>41以来ずっと篠田一士を重訳疑惑から庇ってた人も、>>56で根本的な誤読を指摘されちゃって、可笑しかったなあ。 じゃあ著者が生きてる間に誤訳を指摘して修正したらいいよ(といっても2007から更新止まってるが) どうして篠田を叩いてるヤツってことごとく頭の悪そうな文章を書くんだろう >>143は、なんで「笑える」のか意味不明。番号間違ってるとか? >>146
そういうこと書くと「いえいえ、あなたほどではありませんよ」とか書かれるだけ
「重訳」を連発してクソスレ化させてる荒らしは放置するしかない 最初に重訳の話題を振ったのは、篠田一士を擁護する側。
話が落ち着いてたのをわざわざ何度もアゲて罵ったのも、篠田一士を擁護する側だったな。 篠田一士擁護派もアンチ派もどっちも頭良さそうに見えないw
まあどうせモナドロジーすら読んだことない奴ばっかなんだろ? 多分ボルヘスだって、バートランド・ラッセルのライプニッツ論(邦訳もある)あたりを読んで済ませてたんぢゃないかな。 >>152
そういうこと言うやつがいっとう頭良くなさそうに見えることも気づかない。
モナドが聞いて笑わせるw >>134
辞書なら、The Oxford companion to philosophyにはちょこっとのっています。
Google booksでも中身をのぞけるようです。135ページ。
あとは、The Cambridge Companion to Leibnizは結構言及あり。
単にGoogle booksで検索かけるだけでも色々出ては来ますけども。 創造者品切れ。買おうと思ってたのに・・・・(遅すぎ) >>155
>単にGoogle booksで検索かけるだけでも色々出ては来ますけども
そりゃそうだよ。それを見てお手軽な指摘が横行してるんだから。
篠田が翻訳した時点で参照できたもの、参照することで正確な訳語を選べたはずの
リフェレンス的なものがあったのかな、ってことでしょう。
>>158
っ バートランド・ラッセル/細川董譯『ライプニッツの哲學』弘文堂, 1959.10 >>158
あくまでも、134さんの質問に答えただけですので、当時のこと、翻訳のことは念頭に置きませんでした。
141さんのリンク先も、現在の環境下で間違いを犯しているわけですし。篠田訳は自分の興味ではなかった。
あえて当時のことを言うならば、ライプニッツで日本語の百科事典を複数見るだけでも、
普遍記号、普遍言語についての言及はある可能性が高いでしょう。これは例として悪いのですが、
http://100.yahoo.co.jp/detail/%E3%83%A9%E3%82%A4%E3%83%97%E3%83%8B%E3%83%83%E3%83%84/
現在の百科事典ですし、直接の訳語はないものの、少なくとも、性格、という訳語に疑問は浮かぶと思います。
当時の百科事典については、図書館に行けばわかるでしょうけれども、その手間は惜しませてください。
現在なら(当時はないですが)大辞林にものってはいます。(もっとも、広辞苑には載っていないですが)
ピエールメナールにも言及のあった、ラッセルを挙げるなら、メジャーだった彼の西洋哲学史も言及はあります。
なあるほど。帰ってラッセルの西洋哲学史見てみます。
どうもありがとうございます。
それはそれとして、リンク先の程度の記述でCharacteristicaの性格という訳語に
あなたなら本当に疑問が生じるのですか?特にフランス文学の素養があれば、つい性格と
やりたくなるほうが自然だと、わたしは思うし、この記述から疑問はでてこない。
また、
>普遍記号、普遍言語についての言及はある可能性が高いでしょう
これ根拠なんにもなしに言っちゃだめじゃん。高くないですよ。
ライプニッツの日本語版著作集がでたのは90年代でしょう? 普遍的性格って、何のことだか意味不明だと感じるけど、訳した人は感じなかったのかね。
で、ライプニッツについては古い事典や概説書にも「普遍的記号法」とか書いてあるんだから、
ああCharacterは性格でなく文字の意味の方かと察するのは難しくない。 たしかに、characterは性格だと独り決めして疑問に感じない翻訳者はおっちょこちょいだな。 ポルヘスの続審問にあるカフカ論の要約おねがいします ほんと、characteristicとcharacterの見境がつかないなんておっちょこちょいだよー 揚げ足取りにもなってないな。
それとも、派生語のcharacteristicがcharacter意味を分有してないとでも? な〜にがw
じゃ、花山大吉は月影兵庫と互いに意味を文有してねえってのかよ
しゃらくせえよ.^^ だあるよ
岩波文庫の『伝奇集』(1993年)が出る前に『世界の名著30 スピノザ ライプニッツ』(1980年)が出ているよ。
ライプニッツの「思想のアルファベット」というアイデアがもっとも初期の『結合法』から最後の『モナドロジー』に至るまで生涯を貫くモティーフであると、解説にはある。
……すべての思想を数学的記号によって計算しうるものにする「普遍的記号法」ないし「普遍数学」の理念等々すべて同一のモティフの展開にほかならぬ。p71
ボルヘスは図書館長になったけど、ライプニッツも図書館長なんだよね
で二人とも英才教育を受けているんだよね へえ、おれも英才教育受けたから
あとは図書館長になればいいのか、あと本書いて。 ボルヘスのは名誉職の図書館長に過ぎず、図書館人としてどれだけ功績があったかは疑問だ。 ヒューム、カサノヴァ、レッシング、プリーストリー、グリム兄弟、ホフマン、ベリャーエフ、毛沢東、バタイユも司書だったらしいね ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています