志賀直哉が「小説の神様」って。。。
そこまでの才能がある人なんですか? 「神様」なんて鴎外漱石よりも凄いのかな 「暗夜行路」ラスト前の大山の夜明けの描写は 日本文学の頂点 以外の何物でもない。ちょっと絶句する美しさだお。 『暗夜行路』全編にわたる文体のリズムの心地よさは日本近代小説史上ベスト。 暗夜行路は確かに素晴らしい 今まで残ってるのが頷ける 対象とそれが置かれた空間を描写する力が神です 芥川が「言葉はただ辞書にある意味以上のものをつたえなければならない」。 と言っていますが、志賀直哉の作品にはそれが溢れています。 読んでみれば書けそうな気がするのは、それだけ表現に無理が無いということでしょうね。 たしかに志賀的なものは滅びたけれども志賀直哉の価値は不動ではないでしょうか。 日米会談で遠い所を飛行機で急行した来栖大使の到着を待たず、大統領が七面鳥を喰いに田舎に出かけると言う記事を読み、 その無礼に業を煮やしたのはつい此間の事だ。日米戦わば一時間以内に宣戦を布告するだろうというチャーチルの 威嚇的宣言に腹を立てたのもつい此間の事だった。それが僅かの間に今日の有様になった。世界で一人でも此の通りを 予言した者があっただろうか。人智を超えた歴史の此の急転回は実に古今未曾有の事である。 私は六十年前、森有禮が英語を國語に採用しようとした事を此戰爭中、度々想起した。若しそれが實現してゐたら、 どうであつたらうと考へた。日本の文化が今よりも遙かに進んでゐたであらう事は想像出來る。そして、恐らく今度のやうな 戰爭は起つてゐなかつたらうと思つた。吾々の學業も、もつと樂に進んでゐたらうし、學校生活も樂しいものに憶ひ返す事が 出來たらうと、そんな事まで思つた。吾々は尺貫法を知らない子供のやうに、古い國語を知らず、外國語の意識なしに 英語を話し、英文を書いてゐたらう。英語辭書にない日本獨特の言葉も澤山出來てゐたらうし、萬葉集も源氏物語も その言葉によつて今よりは遙か多くの人々に讀まれてゐたらうといふやうな事までが考へられる。 若し六十年前、國語に英語を採用してゐたとして、その利益を考へると無數にある。私の年になつて今までの國語と 別れるのは感情的には堪へられない淋しい事であるが、六十年前にそれが切換へられてゐた場合を想像すると、 その方が遙かによかつたと思はないではゐられない。 國語を改革する必要は皆認めてゐるところで、最近その研究會が出來、私は發起人になつたが、今までの國語を殘し、 それを作り變へて完全なものにするといふ事には私は悲觀的である。自分にいい案がないからさう思ふのかも知れないが、 兔に角この事には甚だ悲觀的である。不徹底なものしか出來ないと思ふ。名案があるのだらうか。よく知らずに云ふのは 無責任のやうだが、私はそれに餘り期待を持つ事は出來ない。 そこで私は此際、日本は思ひ切つて世界中で一番いい言語、一番美しい言語をとつて、その儘、國語に採用してはどうかと 考へてゐる。それにはフランス語が最もいいのではないかと思ふ。六十年前に森有禮が考へた事を今こそ實現しては どんなものであらう。不徹底な改革よりもこれは間違ひのない事である。森有禮の時代には實現は困難であつたらうが、 今ならば、實現出來ない事ではない。反對の意見も色々あると思ふ。今の國語を完全なものに造りかへる事が出來れば それに越した事はないが、それが出來ないとすれば、過去に執着せず、現在の我々の感情を捨てて、百年に百年後の 子孫の爲めに、思ひ切つた事をする時だと思ふ。 外國語に不案内な私はフランス語採用を自信を以つていふ程、具體的に分つてゐるわけではないが、フランス語を 想つたのは、フランスは文化の進んだ國であり、小説を讀んで見ても何か日本人と通ずるものがあると思はれるし、 フランスの詩には和歌俳句等の境地と共通するものがあると云はれてゐるし、文人逹によつて或る時、整理された 言葉だともいふし、さういふ意味で、フランス語が一番よささうな氣がするのである。私は森有禮の英語採用説から、 この事を想ひ、中途半端な改革で、何年何十年の間、片輪な國語で間誤つくよりはこの方が確實であり、徹底的であり、 賢明であると思ふのである。 国語の切換へに就いて、技術的な面の事は私にはよく分らないが、それ程困難はないと思つてゐる。教員の養成が 出來た時に小學一年から、それに切換へればいいと思ふ。朝鮮語を日本語に切換へた時はどうしたのだらう。 よく志賀と三島を比較する。 志賀は語彙が少ないのに、感覚が豊かだ。 三島は語彙が豊富なのに、感覚が乏しい。 「城の崎にて」なんて、書けそうで書けないぜ。 三島的な人工性・虚飾性の対極。 外國語に不案内な私はフランス語採用を自信を以つていふ程、具體的に分つてゐるわけでは ないが wwwwww馬鹿につける薬なし。「英語でも」といっていたのか 売国奴だな。 >>13 そういう上っ面の見方が、人工的な読み方。よく読めてない証拠。 三島にとっては書くことイコール生きるよすがだったのが読めないバカと言える。 フランス語を国語にしようなんて言ってた人間の方が人工作家だよ。 その人の心構えの問題ですな。本質、おふざけの 白樺林 三島の小説は確かに彼にとってくだらないこの現実と拮抗するために どうしても構築しなければならない鎧のようなものだった。 だから、たとえば「考え」でなく「想念」という硬質な言葉を選んで、 あの文体を作っていった。その小説世界はこうであるべきだという 彼にとって真の現実だった。それは他人には人工的な世界に映る。 志賀のフランス語発言は問題外だが、『暗夜行路』は名作。 「問題外」の発言は文人にとって致命的です。自分が使っている 言語を否定するなんて。しかも「具体的に解っているわけではないが」 「フランス語」でもどうかだとよ。言葉に真剣さが全然ない。 どんな{名作}も色あせてみえます。 学校教育で固有の言語を簡単に変えれると思っている 日本文化の敵、志賀。 作品と作家の思想や主張とは無関係 大江健三郎も、主張はクソだが作品は素晴らしい >>21 志賀直哉の場合は思想ではなくて愚かな売国。 しらべられなくても ばーかなわたしでも きょうようなくても りかいできなくても へんさちひくくても かおがぶさいくでも もののあはれはしられけり 志賀を褒めまくる、フランス語ペラペラの蓮実でさえ、 あのフランス語発言には苦笑している。 床屋が髪を切ってもらいに来た客殺しちゃうやつ、好き。 村上春樹の短編に似ていると思った(もちろん順序は志賀先生が先) 問題になっていることは思想ではなく、日本語で表現することを 根源から否定するその馬鹿さ加減です。志賀のフランス語提案は 無茶苦茶で自らの文士としての基盤すなわち日本語をいとも簡単に 否定して平気な無神経さです。日本語で書かれ続けた我々の遺産、 古典を満足に読めない日本国民を「生産」せよという酷い発想です。 結果的に、自分の書いた文章をフランス語に翻訳して子孫に読ませよう ということになるのです。思想以前の常識問題でしょう。若いときには たしかに夢中になって徹夜で小説を読むこともあるでしょう。しかし、 小説は読み方がいくらでも変わるものです。志賀ていどの小説から 脱皮してもっと広い世界を見ようではありませんか。 >>30 >小説は読み方がいくらでも変わるものです。志賀ていどの小説から >脱皮してもっと広い世界を見ようではありませんか。 志賀直哉先生もニコニコ顔で、頷いていらっしゃると思います。 多くの人は誰一人居なくても、例え声に出さなくても母国語で考えることしかできません。 そして自分はどのように公平であろうとしても、客観的であろうと努めても それを保障するものは自分が自分に語りかけてそれをを確かめる他はないのです。 思考が言語に依るのであるならばそれは否応無く言語の影響を受けるという事です。 それは同じ問題から出発して答えをだせば使用言語による違いがあるともいえますね。 数学の手続きの厳密さと記号の使用はそれを打開する為ではないですか。 井筒俊彦先生の著作には言語に抵抗する強い意志があります。 (この表現はすでに破綻していますが私にはこのようにしか書けません) そして志賀直哉がこのように考えて日本語を捨てよと言ったと思うのでもありません。キリッ 数学は決してみなさんが考えるような無味乾燥な論理、記号 の羅列ではありません。Pascal が言ったようにNous connnaissons la ve'rite' non seulement par la raison mais encore par le coeur. ('はアクサンテギュです) すなわち、心が必要です。 岡潔氏は「情緒」とも言っております。数学の論文にはりっぱな 文章表現が必要です。理性のみでは人は読んではくれません。数式 の間に挟む文章が記号とともに一つのtoneをもっていなくては なりません。フランス語、ドイツ語、イギリス語、の論文で 各々格調がちがいます。意味の近い単語の場合どれを選ぶかで 苦心します。もちろん、真実はただ一つですがそれを読者に どう興味をもって貰えるかに苦心します。因みに、私は数学者 のはしくれです。専攻は解析学で細かく言えば、複素解析学です。 論文を読む(職業上の)必要から、英語、仏語、独語、露語、 中国語、を習得しました。論文は英語と仏語で書いております。 どちらかといえば、仏語のほうが語彙、表現が豊富な感じがします。 続きで恐縮です。いまのところ、中国語はなんの役にもたちません。 あの国のひとが送って来る中国語(中文)の論文にはろくな ものはありません。最近なんやら、経済的にのしてきているようですが、 まあ、30年は遅れているでしょう。これは脱線しました。 >>33 .34 ごめんね。 >私は数学者 >のはしくれです。専攻は解析学で細かく言えば、複素解析学です。 それが嘘だと自分で告白しています 嘘のつけない素朴で正直な人。 学生時代に読んで全く良さがわからなかった 「清潔」と言われるがむしろ汚らしいと感じてしまった 定年退職したらもういっぺん読んでみることにしよう > 私の年になつて今までの國語と > 別れるのは感情的には堪へられない淋しい事であるが、六十年前にそれが切換へられてゐた場合を想像すると、 > その方が遙かによかつたと思はないではゐられない。 普通の小説が将棋だとするなら、お前の書く小説は詰将棋だ >>39 ねたわれ ばかりだからなあw わくわくがない。 学習院おぼっちゃまんw お前は人間の弱さを軽蔑し、自分に金があるのを誇っている。「小僧の神様」という短編はそれを露呈している。何が神様だ。その神経は、まるで新興成金そっくりではないか。 エエみなみなさまこんばんは ピントンシャンピッコロロン しんでしまえば がたがたいわず なんでもけっさく おれよいしょ 「儒教の教えは、人の情の中に善なる所をそだて長ぜしめて、悪なる所をば 抑えいましめて、善に直さんとする物也。 歌、物語は、其の善悪、邪正、賢愚をば選ばず、ただ自然と思ふ所の実の 情をこまかに書きあらわして、人の情はかくの如きといふ事を見せたる物 也。それを見て人の実を知るを物の哀れを知るといふなり。 何の道もかの道もひとつに混じて心得るはいとくらき事也。儒は儒の立つ る本意あり、物語は物語の本意あり・・」 キリスト君は批判する為に本読んで、そして書き込む、それは何か寂しくて辛いの? それで何か心が晴れるの?珍しい人だからとても興味があります。お返事下さいね。 小象の神さまってかわいくっていいね。 >>51 ば〜か 「ユメをかなえるゾウ」みたいなウザキャラを連想して鬱>小象の神様 暗夜行路長いから挫折した 何ページのやつが日本の白眉って言われてるんだ YouTubeの本人映像見ると、好々爺でなかなか好印象だけどな。 あれかなり爺さんになってからのだから 丸くなったんじゃないの? 若い頃はそうでもなかったという話もあるし 小僧の神様は傑作滑稽譚だ 30分は笑いが止まらなかった といっていた友達がいた 晩婚だった 個人経営の古本屋にはおいてあるけど、ブックオフには置いてないイメージ>志賀直哉 小僧の神様は傑作滑稽譚だわ 30分は笑いが止まらなかったわ といっていた女友達がいた 生涯独身を通した 元ローグ 奥野敦士さんの『この素晴らしき世界』! 聞いてください!☆ 元ローグ 奥野敦士さんは 事故で車椅子の生活になったのですが それでも 彼には 歌がある! 声がある!* 元ローグ 奥野敦士さんは そのスバらしき声を使って モコたちに 感動を与えてくれています!☆ 「手足のないチアリーダー」の佐野有美さんを見てください!* 佐野有美さんは 生まれつき 手足が無いのですが それでも あきらめずに ガンバって 生きています!☆ 佐野有美さんは 手足が無いので 歩くことも 両手で抱きしめることもできません* それでも 彼女には 歌がある! 声がある!* 佐野有美さんは そのスバらしき声を使って モコたちに 感動を与えてくれています!☆ ☆モコは時々 いじけて 卑屈になります* 明日は2時から 老人ホームで 「全裸バレエ 〜 マンコ割り人形」の発表があります☆ そこでは モコは必要とされていると思います* だから、卑屈になる必要は無いのですね☆ 神様に信頼して 一歩を踏み出してみます! 全国のモコファンの皆さん! ありがとうございます* モコは 心のそこから感謝します☆ モコは今、19才!* 大学生活! そして バレエ! さらには AVの撮影!☆ すべてに全力投球のモコです!* モコはおばさんっていう設定だったんじゃないの?時空が歪んでるの? read.cgi ver 07.5.1 2024/04/28 Walang Kapalit ★ | Donguri System Team 5ちゃんねる