ドン・キホーテ
>貴族夫婦の諧謔がたまらない あんな素晴らしい情景を私は知らない >>146 二回も読むほど面白くはないな。このままいく。 >>140 わざとか?っていうくらい読めていない。ほんとに記憶力ないんだw 子供向けにリライトされた版で読むことをお薦めする。 ×第二部で、思い姫が ○前編第1章(第一部)、旅立ち前の一連の名付け行為(ロシナンテ、ドン・キホーテ)の際に、 思い姫の名をドゥルシネーア・デル・トポーソと定める(岩波文庫p.58)。 なお、エル・トボーソ家ではなく、トポーソ村(の田舎娘アルドンサ・ロレンソ)。 ×お断りの一撃をくらい ○前編第16章(第三部)、ドン・キホーテに一撃を喰らわせたのは、馬丁(p.287)。 ×突撃して歯を二本なくす。 ○前編第18章(第三部)、あばらを二本折られ、前歯や奥歯を三、四本折られ、手の指を 二本叩き潰された。後で調べたところ、右下奥歯は2本と半分、右上奥歯は0本になっていた(p.327-328) なお、サンチョに島の領主の約束をするのは、第一部でサンチョを従士にスカウトしたとき(前編第7章、p.134) >>149 その程度のまちがいあら現状維持でいいや。 ただ、第二部の説明はうまくないな。なんか、騎士道物語についていろいろ語っていたはずだが。 「紆余曲折に満ちたドン・キホーテの冒険は、そのままルネッサンス−古典主義時代と 近代との境界線を描いている。ルネッサンス世界では書物こそが真実であった。 ドン・キホーテもまた、騎士道物語という書物を真実とみなし、世界を騎士道物語に沿って 読み解こうとする。家畜の群れ、女中、旅籠は、ごくわずかでも軍勢、貴婦人、城に似ている かぎり騎士道物語の言葉として解読される。それを補完するのが魔法使いである。 しかし、公爵夫妻に代表される残酷な近代的理性が、ドン・キホーテのこの努力をはてしなくもてあそぶ。 ドン・キホーテの冒険すなわち騎士道物語によって世界を読み解くことは、ついに幻滅に終わる。 『ドン・キホーテ』はそれゆえに、近代の最初の作品である」 ミシェル・フーコーの「ドン・キホーテ」評の要約。まあ、そうだよねという妥当な評価だと思う。 原文にあたりたい人は、「言葉と物」第三章第一節ドン・キホーテを参照してください。 ドン・キホーテは豊かな作品なので、様々な解釈や感想があるのが当然だと思う。 ただ、前後編を読了した人なら、これが冒険活劇ではなく、対話劇だということには ほとんどが賛成するだろう。 個人的には、全編を読み終えて、非常に怖いことが書かれている小説だと思う。 書物という毒にあてられた主人公が、ついに破滅する話だと読めるからだ。 ドン・キホーテは騎士道物語を信じた。一見滑稽だが、実は笑えない。 今では、誰しもが書物から得たなんらかの世界観を信じているからだ。 文学であれ、哲学であれ、経済学であれ、自然科学であれ、「書かれたことを 信じている」点においては、騎士道物語と変わらない。 ドン・キホーテをからかう登場人物たちにしても、その信念が正しいと保証されて いるわけではない。 救いがあるとすれば、最期のドン・キホーテの呪詛に反して、身近な人々がむしろ 狂気にかられていた頃のドン・キホーテを愛惜することだろう。 二巻の第三部が読み終わったが、つまらないなあ。 面白いのは1巻だけかなあ? ドン・キホーテが苦行のため山籠もりして、サンチョ・パンサが手紙を ドゥルシネーアに届け損ねたけど、あとはドン・フェルナンドとかいうやつの 失恋物語が書いてあるだけだった。ネタ切れ感を漂わせている。 「ドン・キホーテ」(2巻、岩波文庫) セルバンテス 44位/172作品。翻訳小説SF以外。 2巻はつまらない。囚人が「わたしは恋をしたために捕まったのです」という場面が 印象的だが、あとはつまらないどうでもいい話がつづくだけ。 ドン・キホーテがフルちんで逆立ちしていたがどうでもいいだろう。 この本は、1巻だけ読めば充分なのではないのだろうか? >>154 >現状維持でいいや。 で、あれ?何かレビューを書き溜めているのかもと思って、検索で記憶さんの 読書メーターを拝見しました。SFの特に短篇がお好きなようで、なるほどドン・キホーテは 記憶さんとは相性が悪そうですね。ドン・キホーテは漱石の猫やスターンのトリストラム・シャンディ なんかに似ていて、長い漫談や薀蓄、17世紀スペインの風俗、語りの技法をのんびり楽しむ本だと 思いますから。 >>155 >この本は、1巻だけ読めば充分なのではないのだろうか? 余計なお世話ですが、記憶さんの嗜好を考量すると、ドン・キホーテ前後編6巻を 通読する必要はないかもですね。あとは後編の3巻(6巻目)だけ読んで、ラストを確認 するのが(ラストを読まないのは勿体ないから)おすすめです。 サンチョは何巻で王さまになるの? あと、ドン・キホーテがスペインの正統なる王という漫画ワンピースの 記述についてはどう思う? >>158 「島」の領主になるのは、後編二(第5巻目)。 ワンピースを読んでいないから文脈・解釈が判らないけど、ドン・キホーテを 読むかぎり、スペインの正統なる王ではないし、そういうほのめかしもない。 キリストのパロディ的存在というほのめかしは随所にある。 「ドン・キホーテ」(〜3巻、岩波文庫) セルバンテス 44位/172作品。翻訳小説SF以外。 3巻の前半は捕虜の告白でたいへんつまらない。ドン・キホーテの話となる後半は まだ少しは面白く、意地でも宿代を払わないドン・キホーテは暴れて逮捕されてしまう。 そののち、魔法にかけられたと思い込んでるドン・キホーテは枷をはめられ、故郷まで護送される。 いったいどのようにドン・キホーテが釈放されたのかわからなかった。 が、ドン・キホーテと司祭が語る遍歴の騎士の物語が嘘が本当かの議論は 現代の日本にも通じるところがあり、面白い。ドン・キホーテは前編3巻の最後で死について記述され物語は完結している。 今堀口大學の邦訳読んでる なぜ仏文学者がスペインの作品を、とも思うがなかなか面白い 世の中には単なる風車を相手にムキになるバカと、単なる風車の クセに威張るバカがいる。 カラスコは頭が良くて意地悪くユーモアがあると強調されているが設定負けしてる感がある いっそ敵なり味方なり騎士に成りきって悪戯したほうが面白かったな 新潮マンガのドンキホーテ読んだ ドルシネアの解釈とかオリジナル展開なんだろうけど笑って泣けた ドストエフスキーがなんでドンキホーテを絶賛しているのかわからない こう寒いとなかなか進まない 続編の百姓の婚礼話で止まっている サンチョのふとく逞しき尻に、鞭を三千三百・・・ なぜサンチョの尻www >>140 >宿屋の娘と 逢引しようとして 逢い引きしようとしたんじゃなくて、 言い寄られると思って断ったんだよね? 会田由 訳で読んでるが 本文はいいんだが詩が古語を使うから何言ってるかわかんねえんだよ あれやめてくれないかな ラ・ガラテアも読んだけど 「げに」だの「きこしめせ」だの「みほますし」だの死んだ言葉を使わないで欲しい 第23号 2015年11月30日発行 ACUEDUCTO Nº22 今年2015年はスペインの生んだ世界的名著セルバンテス作『ドン・キホーテ』後篇刊行. 400周年の記念の年 http://www.acueducto.jp/acueducto23.pdf ドゥルシネーアが実はイスラム教徒だというのは普通に読んでいても気づかない ツイッターに小説「ドン・キホーテ」、投稿回数1万7000回 2016年04月20日 http://www.afpbb.com/articles/-/3084580 【4月20日 AFP】作家ミゲル・デ・セルバンテス(Miguel de Cervantes)の小説「ドン・キホーテ(Don Quixote)」が、 ツイッター(Twitter)に投稿されている──。ツイッターには140文字の制限があるため、投稿にあたり作品は分割された。 今年はセルバンテス没後400周年に当たる。 小説を投稿しているのは、バルセロナ(Barcelona)に住む元コンピューター技術者のディエゴ・ブエンディーア(Diego Buendia)さん(55)。 ブエンディーアさんはこの妄想の騎士の物語を、アルゴリズムを用いて約1万7000片に分け、アカウント@elquijote1605に毎日28片を投稿している。 同アカウントのフォロワーは7500人を超える。スペインのマリアノ・ラホイ(Mariano Rajoy)首相もその一人だ。 最後のツイートは、セルバンテスの命日にあたる22日の正午に、アルカサル・デ・サンフアン(Alcazar de San Juan)村から投稿される予定。 スペイン中部地域ラ・マンチャ(La Mancha)に位置するこの村は、同作家の生誕地と主張している。 公式の伝記では、その生誕地は首都マドリード(Madrid)近郊のアルカラ・デ・エナーレス(Alcala de Henares)となっている。(c)AFP ミゲル・デ・セルバンテス没後400周年を記念し、アジアを代表するスペイン語圏文化研究者 岡村一氏、清水憲男氏、パク・チュル氏が「ドン・キホーテ」翻訳について語ります。 この文学史に残る名作を多言語に翻訳する上で重要な言語学的、文化的難しさ、 また読者と作品の関係性、そして幾通りも存在しうる解釈についてなど、興味深いテーマを取り上げます。 文学、言語、スペイン文化を愛する全てのみなさんにご参加いただきたいシンポジウムです。 日本語の同時通訳あり。ご出席いただいた方にはご希望で証明書を発行いたします。 講演終了後にはスペインワインのカクテルレセプションがございます。 開催日:5月19日(木)18時より 会場:セルバンテス文化センター東京オーディトリアム(B1) 言語:スペイン語・日本語 このとき、もう近づいた明け方の寒さのせいか、それともサンチョが何か腹のゆるむ物でも食べたのか、 またそれとも、自然のことだったのか(一番そうらしく思えるのはこれだが)、 人には代わりを頼めないことをする意志と願いが従士(サンチョ)にわいた。 しかし、心に根を張った恐れがあまりに大きかったので、一ミリたりとも主人から身を話す気になれなかった。 といって、したいことをしないですますことは、やはりできなかった。 そこで、二つのことを一度にしようとしてしたのが、主人の鞍の後輪にかけていた右の手を離すことだった。 そうして、たくみに音も出さずに、ズボンのひもをほどいた。ズボンが花結び一つきりで留められてあったのだ。 ひもがほどけたズボンはすぐにずり落ちて、足かせのようになった。 サンチョはそれを待って、シャツをできるだけまくりあげ、あまり小さくない尻っぺたを外気に突き出した。 これを、当人は、今の恐ろしい状況と苦しい思いから抜け出すためにしなければならないことの山と考えたようだが、 その山を超えると、もっと大きな困難にぶつかった。というのは、音を立てずに○○○をすることが難しく思えたのである。 そこで歯を食いしばり、肩をすぼめて、できるだけ息をつめた。 しかし、それほど気をつけたにもかかわらず、なさけなや、 わずかばかりの音−従士をあんなにおびえさせた音とはかなりちがったもの−を、とうとう立ててしまった。 すると、ドン・キホ−テが聞きつけて言った。 「今のは何の音じゃな、サンチョ」。 「知りましねえだよ、旦那様」と従士は答えた。「何か新しいことだべ。冒険や不幸はつれを呼ぶものだからね」。 再び運をためした。今度はすばらしくうまくいって、前のような音もさわぎもなく、あれほどつらい思いのお荷物を、きれいに落としてしまった。 ところが、ドン・キホ−テは、耳が鋭かったように、鼻もよくきいたし、 サンチョがぴったり抱きついて、湯気をほとんど一直線に立ち上らせたので、においが騎士の鼻に届かないですむってことにはいかなかった。 だから、においをかぐやいなや、しのぎのために指二本で鼻をつまんだ。そうして、多少ふにゃふにゃ声で、こう言った。 「サンチョ、おまえは大そうおびえとるらしいぞ」。 「はい、おびえとりますだ。けんど、それがおめえ様に今とりわけどうして知れますだね」 「今とりわけおまえが臭うからじゃ。しかも、香水の匂いではないな」。 「そうかもしれねえけんど。わしが悪いでなく、おめえ様がわしをこんなま夜中に、こんなさびしい場所へつれてきたせいでがす」。 「3歩か4歩むこうにどいておくれよ、わしの友」とドン・キホ−テは始終指を鼻わしから離さないで言った。 「そして、今後は身の分を忘れず、わしに対する礼を守らっしゃい」 聖ゲオルギオス(カタルーニャ語: サン・ジョルディ)は、ドラゴン退治の伝承を持つキリスト教の聖人で、カタルーニャ地方の守護聖人である。 4月23日はこの聖人が殉教した命日で、これを記念して聖名祝日となっている。 カタルーニャでは、伝統的にこの祝日に男女が赤いバラなどを贈りあうという、バレンタインデーと似た風習があった。 聖ゲオルギオスが退治したドラゴンの血が赤いバラになったという伝承があり、中世以来聖ゲオルギオスは赤いバラと結び付けられていた。 このためサン・ジョルディの日は「バラの日」(El dia de la Rosa)とも呼ばれている。 サン・ジョルディの日は「本の日」(El dia del Llibre)としても知られているが、 この日に本を贈るという風習は、20世紀初頭に始まった比較的浅い伝統である。 4月23日は、小説『ドン・キホーテ』の作者セルバンテスの命日(1616年)であり、 さらにシェイクスピアの伝説上の誕生日(1564年)であって命日(1616年)である。 こうした4月23日の文豪との縁と、サン・ジョルディの日の贈答の風習と結び付け、 1923年にカタルーニャ地方の本屋が本を贈ろうというプロモーションを始め、プレゼント用に本を買うと赤いバラを添えるようになった。 バルセロナはカタルーニャ語・スペイン語双方の出版の中心地であったこともあり、この風習は広く受け入れられた。 「だから、生まれながらの水平派であり犬儒学派である商品は、 他のどの商品とも、たとえそれがマリトルネスよりまずい容姿をしていても、 魂だけでなくからだまでも取り替えようと絶えず待ちかまえている」。 『資本論』 「旅籠にはまた、顔が横に広くて首が短く、鼻はぺっちゃんこで片目がつぶれ、 おまけに残った目もあまりきれいとは言えないアストゥリアス生まれの若い娘が、女中として働いていた。 もっとも、彼女のいかにも愛敬のあるしぐさが、こうした欠点を補っているのも事実であった」 「そして心やさしいマリトルネスは、従士の疲労ひろう困憊こんぱいの様子を見てとると、 この際彼に必要なのは冷たい水であろうと判断し、わざわざ井戸まで行って水差しに水を汲んできた」(前篇第16章)。 歴史と世代について、スペインの哲学者オルテガは独特の「世代論」を述べている。(「ガリレイをめぐって」1933年、著作集第4巻) 次下、その要約と抜粋である(対象は主に思想家、科学者である)。 ― 特定の時代の転換点を示す決定的な世代について、確固たる明瞭さで示してくれる変革者(例えば17世紀前半のデカルト)を見つけ出し、 これを基に世代区分を行おうとする考えである。 世代を30歳〜45歳、45歳〜60歳というように15年ごとに区分する。 そして例えば、ヨーロッパ史において1627年(デカルトが30歳)はデカルトの世代の日付、 直前の世代は1611年のホッブス、グロティウスの世代、 その前の世代は1596年のガリレイ、ケプラー、ベイコンの世代、 その前の1581年はセルバンテス、ブルーノの世代、 その前の1566年はモンテーニュ、ボタンの世代、 その前は、気の毒だが偉大な人物の出なかった世代、となる。 つまり、世代は個々人とは離れた客観的、歴史的な性格のものであり、 一人ひとりの個人は(自分の歳の30歳の時点をもとに)、ある世代に属したり、双方の世代にはさまれたりすることになる。 つまり、30歳〜45歳までの世代と45歳〜60歳までの二つの世代は、 同じ問題に向って互いに同時代人として、違った年齢層の精神をもって優位を争う (その世代が前の世代に反抗しこれを乗り越えようとする。しかし、若い世代が誤って考えているような世代間の戦いという意味ではない)。 従って、世代間の論争において、30代の男たちが支配的な立場にある男たちを相手に戦うにあたって、 さらにもう一つ前の世代の長老に忠告と援助を乞うということがしばしば見られるのである。 また、ひとつの世代の女性たちは偶然的になどではなく、運命的に同じ世代の男たちよりも、いくぶん若いということであって、 これは、想像する以上に重要な事実である。 http://www.nishikawa-issei.com/past/nituki/nituki200409.html 『I Drink Upon Occasion Sometimes Upon No Occasion - Don Quixote』 三つあるんだよ。 ハムレット型とムイシュキン型とドン・キホーテ型。 それぞれ、躁鬱気質・てんかん気質・分裂気質に対応している。 これを聞いた時、小学生でもハムレットとドンは知っていたが、 ムイシュキンって誰?と思った。 ドストエフスキー『白痴』の主人公と判ったのは高校生の頃。 追伸 でも、ムイシュキン公爵はドン・キホーテやヨハネ福音書版イエスを 目指して造型されたキャラクターだから、本来、ドン≒ムイシュキンのはず。 y takagi あーわかった。『ドン・キホーテ』後編1p345で背中に文字(「愛」とか「富」とか「勇気」とか)の書かれた白い紙を貼った踊り子が踊るのだけれど、 これがチェスタトン『木曜の男』やオースター『幽霊たち』の元ネタだわ。「愛」が何したとか「富」が何したとか名前でなく記号で記述すんの。 チェスタトン→アラン・ロブ=グリエ→ポール・オースターの流れの元祖がセルバンデスだわ。ちょっと震えた。 >>176 「老女」とは年齢を指す言葉ではなく、役職。 侍女を束ねる役目。 >>203 A.カストロという人の説。 なんでもかんでもスペインの文化をユダヤ人と イスラム教徒に結びつける研究者で、 ほとんど支持者がいない。 ようやく後篇三。 サンチョの出世に舞い上がる妻子の様子に涙ぐむ。 セルバンテスも苦労しただけに、上流から下流まで、観察力・描写力がハンパない。 人間、苦労するもんだな。 50過ぎて文運が開けたなんて、松本清張より遅咲きだ。 細かくて深い社会や人間の描写が古典になった一番の理由だと思ってる ようやく読み了えた。 名作と言われるのも、近代小説の嚆矢と言われるのも納得。 ……ただ、結婚の約束を反古にし、処女だけ奪って逃げる男が多すぎないか? 四人ぐらい出てきたような気がする。(一件は女の側の勘違いだが)。 被害者はそろいもそろって美女ばかり。性格だって悪くない。 にも関わらず男は逃げる……。(?_?) これって、女ばかりの家族を腕一本で支えてきたセルバンテスのルサンチマン? あるいは、当時のスペインにこの手の男が多かったのか? 家にある本を全部読んだら キホーテを読み耽りたいね 前編・後編・贋作、すべて読破したよ 贋作は酷評されてるけど普通に面白いから買う価値あり 贋作でなかったらサラゴサの試合で銀月の騎士にやられてたのかな 幻のサラゴサ試合がすっげー気になるわ 贋作まで訳されてるとはスゴイ。 さすが永遠の古典。 贋作は市立図書館やそこらの本屋で手に入らないから 通販で上下合わせて6000円くらい出した ロルダン(狂えるオルランド)は1万超えるわりに面白くなさそうで後悔しそうだから断念 おそらく普通のシャルルマーニュ伝には出てこないフィエラブラスの香油や マンブリーノの兜、バルドビーノス・マントゥア公爵の出所だが オペラの台本だかポエム集みたいな文体だと現代人にはきつい ランサローテのロマンセは「荷車の騎士」とか読む限りそういうシーンはない 例えば最初の旅籠で「旅立つランスロットに恋する乙女が泣きつき〜」って引用されるけど これ湖の乙女ことお母さんが見送るシーンの誤解か承知の上で適当なこと書いてると見た アマディス・ガリアとベリアヌス・ギリシャに関しては翻訳されてないみたいで 「すべての魔法を打ち消す炎の剣」とか知りたいことはたくさんあるけど追えないなあ 作中で重要な存在のアマディスのエピソードに関しては気になるでしょう? 前編のミコミコ―ナ編で勇者の証として背中のほくろを探す話があるけど あれはアマディスに炎の形のアザがあって炎の騎士と呼ばれていた所以のパロディーだったり 逆にドン・キホーテが語るアマディス云々がデタラメだったりすることに気付けるわけで ただやはり値段が糞高いし分厚い長編だし英語版のアマディス全部読むのは気が引けるな アマゾンの外人のレビュー読む限りみんなドン・キホーテ絡みだけど評価高かったから ガッカリするような内容ではないと思うけど 集英社文庫のポケットマスターピースシリーズの1冊として「セルバンテス」が出た 中身は「ドン・キホーテ」前編の第1-27、49、52章と「模範小説集」から「美しいヒターノの娘」「ビードロ学士」「嫉妬深いエストレマドゥーラ男」 1960年代の文学全集ならともかく、いまどき抄訳を出す意味が分からない しかも「ドン・キホーテ」は全訳が何種類も出ているというのに 水声社からセルバンテス全集が全7巻+別巻で来年出るという情報は役に立った 「ドン・キホーテ」訳者は岡村一となってるからこれがその一部だろう https://kumagaku.repo.nii.ac.jp/?action=repository_uri& ;item_id=209&file_id=22&file_no=1 できれば新潮社版のように高価でありませんように スペイン詩のソネットだかロマンセの違いが分からない てか話は良いけど詩が何言ってるのか分からない いい加減詩の翻訳は古文使うのやめてくれ 「かんばせ」だの「みほましき」だの言われてもさっぱり分からん フランス語のマンガを仏和辞典を見ながらコツコツ読んでいたんだけど、 ある日、翻訳エンジンで英語に訳せばよいことを教わった。 まさに目ウロコ。 ティラン・ロ・ブラン 1 (岩波文庫) 文庫 - 2016/10/19 J.マルトゥレイ (著), M.J.ダ・ガルバ (著), 田澤 耕 (翻訳) セルバンテスが『ドン・キホーテ』の中で、「世界一の本」と絶讃する、騎士道小説の最高傑作。 騎士ティラン・ロ・ブランの地中海を巡る冒険と、絶世の美姫との愛の日々が、 絢爛豪華な宮廷生活を背景に驚くほど生き生きと描写される。 『ドン・キホーテ』『アーサー王物語』『デカメロン』などと同列と評される、世界文学の大古典。 バルガス=リョサによる〈日本語版への序文〉を付す。(全四冊) 焚書のシーンでティラン・ロ・ブランって出てきたっけ? >>223 出てくるよ。でも、すぐれた作品だということで、 焼かれない。 これか。分かりづらいね http://d.hatena.ne.jp/sl-st/20070828/1188324077 狂えるオルランドは読みづらいって聞くけど ティラン・ロ・ブランもオペラ脚本みたいな文体なのかな ドン・キホーテの作中だと怪物はもっぱら巨人だけだけど 贋作の方だとドラゴンが結構出てくる アマディスガウラがどうのこうのいうけど 本編ではもっぱら『狂えるオルランド』&『シャルルマーニュ』ネタが多い 前編の狂乱、聖水、兜、後編の木馬、俺の剣に触るべからずetc... アマディスのパロディーは複数の異名と背中のほくろ云々くらいしか見つからん うわあ 最高に楽しんでるじゃん 俺も早くその域に行きたい 最初の冒険でフルボッコにされた主人公はバルドビーノスとマントゥア公爵ごっこをする これはシャルルマーニュ十二騎士(ドセ・パーレスと表記されてるがドゥーズペール)の ボードマンとオジェ・ル・ダノワのスピンオフ作品から来てるみたいだな 当時はこういうややこしいスピンオフ作品が多くてしかも本編との整合性が完全に無視されていたみたい 後編に出てくるモンテシーノスとデュランダルテも同様に実に不可解だ 元々オルランドの剣であるデュランダルを擬人化するのは構わないのだが、 擬人化されたデュランダルテがオルランドと同一人物としてほぼ同じ人生を歩むって すげー意味ないスピンオフだよね セルバンテス全集(全7巻) 責任編集=鼓直 編集委員=荻内勝之+田尻陽一+樋口正義+本田誠二 【刊行予定】 第1回配本 A『ドン・キホーテ』前篇 第2回配本 B『ドン・キホーテ』後篇(3月29日発売予定) 第3回配本 C『模範小説集』 第4回配本 @『ガラテーア』 第5回配本 D『戯曲集』 第6回配本 E『パルナソ山への旅および詩作品』 第7回配本 F『ペルシーレスとシヒスムンダの冒険』 安倍「あああん、森友学園の児童諸君さまあんっ、らめえええええええ!ひぎぃ!あああ、僕のアナルに特攻隊だなんて!裂けちゃううううううっ!」 全集は1冊1万円か 彩流社の前後編をあわせてもおつりがくる これより高いのはフランクリン・ライブラリーという1冊18000円する総革張文学全集のものしかないはず 学者でもなければ全集なんて入らんだろ ドン・キホーテとペルシーレスだけでOK >>241 マジ!? 正しくは何ていう諺なの? サンチョやカラスコが多用してた覚えがあるけど 借金を返す自信のある者は、抵当を出し渋らない 的な意味。 おまえら、結婚や恋人・友だちには気をつけろ! ガイ児に触るとキショイで。 甘ったるい恋愛小説も、ガイ児がからむとオカルトになっちまうww 健常者はガイ児に触るな。 ★彩を愛した者 (巷に増殖中のガイ児の話)★ http://slib.net/72935 上松煌(うえまつあきら) 作 プロフィール http://slib.net/a/21610/ read.cgi ver 07.5.1 2024/04/28 Walang Kapalit ★ | Donguri System Team 5ちゃんねる