ドン・キホーテ
ツイッターに小説「ドン・キホーテ」、投稿回数1万7000回 2016年04月20日 http://www.afpbb.com/articles/-/3084580 【4月20日 AFP】作家ミゲル・デ・セルバンテス(Miguel de Cervantes)の小説「ドン・キホーテ(Don Quixote)」が、 ツイッター(Twitter)に投稿されている──。ツイッターには140文字の制限があるため、投稿にあたり作品は分割された。 今年はセルバンテス没後400周年に当たる。 小説を投稿しているのは、バルセロナ(Barcelona)に住む元コンピューター技術者のディエゴ・ブエンディーア(Diego Buendia)さん(55)。 ブエンディーアさんはこの妄想の騎士の物語を、アルゴリズムを用いて約1万7000片に分け、アカウント@elquijote1605に毎日28片を投稿している。 同アカウントのフォロワーは7500人を超える。スペインのマリアノ・ラホイ(Mariano Rajoy)首相もその一人だ。 最後のツイートは、セルバンテスの命日にあたる22日の正午に、アルカサル・デ・サンフアン(Alcazar de San Juan)村から投稿される予定。 スペイン中部地域ラ・マンチャ(La Mancha)に位置するこの村は、同作家の生誕地と主張している。 公式の伝記では、その生誕地は首都マドリード(Madrid)近郊のアルカラ・デ・エナーレス(Alcala de Henares)となっている。(c)AFP ミゲル・デ・セルバンテス没後400周年を記念し、アジアを代表するスペイン語圏文化研究者 岡村一氏、清水憲男氏、パク・チュル氏が「ドン・キホーテ」翻訳について語ります。 この文学史に残る名作を多言語に翻訳する上で重要な言語学的、文化的難しさ、 また読者と作品の関係性、そして幾通りも存在しうる解釈についてなど、興味深いテーマを取り上げます。 文学、言語、スペイン文化を愛する全てのみなさんにご参加いただきたいシンポジウムです。 日本語の同時通訳あり。ご出席いただいた方にはご希望で証明書を発行いたします。 講演終了後にはスペインワインのカクテルレセプションがございます。 開催日:5月19日(木)18時より 会場:セルバンテス文化センター東京オーディトリアム(B1) 言語:スペイン語・日本語 このとき、もう近づいた明け方の寒さのせいか、それともサンチョが何か腹のゆるむ物でも食べたのか、 またそれとも、自然のことだったのか(一番そうらしく思えるのはこれだが)、 人には代わりを頼めないことをする意志と願いが従士(サンチョ)にわいた。 しかし、心に根を張った恐れがあまりに大きかったので、一ミリたりとも主人から身を話す気になれなかった。 といって、したいことをしないですますことは、やはりできなかった。 そこで、二つのことを一度にしようとしてしたのが、主人の鞍の後輪にかけていた右の手を離すことだった。 そうして、たくみに音も出さずに、ズボンのひもをほどいた。ズボンが花結び一つきりで留められてあったのだ。 ひもがほどけたズボンはすぐにずり落ちて、足かせのようになった。 サンチョはそれを待って、シャツをできるだけまくりあげ、あまり小さくない尻っぺたを外気に突き出した。 これを、当人は、今の恐ろしい状況と苦しい思いから抜け出すためにしなければならないことの山と考えたようだが、 その山を超えると、もっと大きな困難にぶつかった。というのは、音を立てずに○○○をすることが難しく思えたのである。 そこで歯を食いしばり、肩をすぼめて、できるだけ息をつめた。 しかし、それほど気をつけたにもかかわらず、なさけなや、 わずかばかりの音−従士をあんなにおびえさせた音とはかなりちがったもの−を、とうとう立ててしまった。 すると、ドン・キホ−テが聞きつけて言った。 「今のは何の音じゃな、サンチョ」。 「知りましねえだよ、旦那様」と従士は答えた。「何か新しいことだべ。冒険や不幸はつれを呼ぶものだからね」。 再び運をためした。今度はすばらしくうまくいって、前のような音もさわぎもなく、あれほどつらい思いのお荷物を、きれいに落としてしまった。 ところが、ドン・キホ−テは、耳が鋭かったように、鼻もよくきいたし、 サンチョがぴったり抱きついて、湯気をほとんど一直線に立ち上らせたので、においが騎士の鼻に届かないですむってことにはいかなかった。 だから、においをかぐやいなや、しのぎのために指二本で鼻をつまんだ。そうして、多少ふにゃふにゃ声で、こう言った。 「サンチョ、おまえは大そうおびえとるらしいぞ」。 「はい、おびえとりますだ。けんど、それがおめえ様に今とりわけどうして知れますだね」 「今とりわけおまえが臭うからじゃ。しかも、香水の匂いではないな」。 「そうかもしれねえけんど。わしが悪いでなく、おめえ様がわしをこんなま夜中に、こんなさびしい場所へつれてきたせいでがす」。 「3歩か4歩むこうにどいておくれよ、わしの友」とドン・キホ−テは始終指を鼻わしから離さないで言った。 「そして、今後は身の分を忘れず、わしに対する礼を守らっしゃい」 聖ゲオルギオス(カタルーニャ語: サン・ジョルディ)は、ドラゴン退治の伝承を持つキリスト教の聖人で、カタルーニャ地方の守護聖人である。 4月23日はこの聖人が殉教した命日で、これを記念して聖名祝日となっている。 カタルーニャでは、伝統的にこの祝日に男女が赤いバラなどを贈りあうという、バレンタインデーと似た風習があった。 聖ゲオルギオスが退治したドラゴンの血が赤いバラになったという伝承があり、中世以来聖ゲオルギオスは赤いバラと結び付けられていた。 このためサン・ジョルディの日は「バラの日」(El dia de la Rosa)とも呼ばれている。 サン・ジョルディの日は「本の日」(El dia del Llibre)としても知られているが、 この日に本を贈るという風習は、20世紀初頭に始まった比較的浅い伝統である。 4月23日は、小説『ドン・キホーテ』の作者セルバンテスの命日(1616年)であり、 さらにシェイクスピアの伝説上の誕生日(1564年)であって命日(1616年)である。 こうした4月23日の文豪との縁と、サン・ジョルディの日の贈答の風習と結び付け、 1923年にカタルーニャ地方の本屋が本を贈ろうというプロモーションを始め、プレゼント用に本を買うと赤いバラを添えるようになった。 バルセロナはカタルーニャ語・スペイン語双方の出版の中心地であったこともあり、この風習は広く受け入れられた。 「だから、生まれながらの水平派であり犬儒学派である商品は、 他のどの商品とも、たとえそれがマリトルネスよりまずい容姿をしていても、 魂だけでなくからだまでも取り替えようと絶えず待ちかまえている」。 『資本論』 「旅籠にはまた、顔が横に広くて首が短く、鼻はぺっちゃんこで片目がつぶれ、 おまけに残った目もあまりきれいとは言えないアストゥリアス生まれの若い娘が、女中として働いていた。 もっとも、彼女のいかにも愛敬のあるしぐさが、こうした欠点を補っているのも事実であった」 「そして心やさしいマリトルネスは、従士の疲労ひろう困憊こんぱいの様子を見てとると、 この際彼に必要なのは冷たい水であろうと判断し、わざわざ井戸まで行って水差しに水を汲んできた」(前篇第16章)。 歴史と世代について、スペインの哲学者オルテガは独特の「世代論」を述べている。(「ガリレイをめぐって」1933年、著作集第4巻) 次下、その要約と抜粋である(対象は主に思想家、科学者である)。 ― 特定の時代の転換点を示す決定的な世代について、確固たる明瞭さで示してくれる変革者(例えば17世紀前半のデカルト)を見つけ出し、 これを基に世代区分を行おうとする考えである。 世代を30歳〜45歳、45歳〜60歳というように15年ごとに区分する。 そして例えば、ヨーロッパ史において1627年(デカルトが30歳)はデカルトの世代の日付、 直前の世代は1611年のホッブス、グロティウスの世代、 その前の世代は1596年のガリレイ、ケプラー、ベイコンの世代、 その前の1581年はセルバンテス、ブルーノの世代、 その前の1566年はモンテーニュ、ボタンの世代、 その前は、気の毒だが偉大な人物の出なかった世代、となる。 つまり、世代は個々人とは離れた客観的、歴史的な性格のものであり、 一人ひとりの個人は(自分の歳の30歳の時点をもとに)、ある世代に属したり、双方の世代にはさまれたりすることになる。 つまり、30歳〜45歳までの世代と45歳〜60歳までの二つの世代は、 同じ問題に向って互いに同時代人として、違った年齢層の精神をもって優位を争う (その世代が前の世代に反抗しこれを乗り越えようとする。しかし、若い世代が誤って考えているような世代間の戦いという意味ではない)。 従って、世代間の論争において、30代の男たちが支配的な立場にある男たちを相手に戦うにあたって、 さらにもう一つ前の世代の長老に忠告と援助を乞うということがしばしば見られるのである。 また、ひとつの世代の女性たちは偶然的になどではなく、運命的に同じ世代の男たちよりも、いくぶん若いということであって、 これは、想像する以上に重要な事実である。 http://www.nishikawa-issei.com/past/nituki/nituki200409.html 『I Drink Upon Occasion Sometimes Upon No Occasion - Don Quixote』 三つあるんだよ。 ハムレット型とムイシュキン型とドン・キホーテ型。 それぞれ、躁鬱気質・てんかん気質・分裂気質に対応している。 これを聞いた時、小学生でもハムレットとドンは知っていたが、 ムイシュキンって誰?と思った。 ドストエフスキー『白痴』の主人公と判ったのは高校生の頃。 追伸 でも、ムイシュキン公爵はドン・キホーテやヨハネ福音書版イエスを 目指して造型されたキャラクターだから、本来、ドン≒ムイシュキンのはず。 y takagi あーわかった。『ドン・キホーテ』後編1p345で背中に文字(「愛」とか「富」とか「勇気」とか)の書かれた白い紙を貼った踊り子が踊るのだけれど、 これがチェスタトン『木曜の男』やオースター『幽霊たち』の元ネタだわ。「愛」が何したとか「富」が何したとか名前でなく記号で記述すんの。 チェスタトン→アラン・ロブ=グリエ→ポール・オースターの流れの元祖がセルバンデスだわ。ちょっと震えた。 >>176 「老女」とは年齢を指す言葉ではなく、役職。 侍女を束ねる役目。 >>203 A.カストロという人の説。 なんでもかんでもスペインの文化をユダヤ人と イスラム教徒に結びつける研究者で、 ほとんど支持者がいない。 ようやく後篇三。 サンチョの出世に舞い上がる妻子の様子に涙ぐむ。 セルバンテスも苦労しただけに、上流から下流まで、観察力・描写力がハンパない。 人間、苦労するもんだな。 50過ぎて文運が開けたなんて、松本清張より遅咲きだ。 細かくて深い社会や人間の描写が古典になった一番の理由だと思ってる ようやく読み了えた。 名作と言われるのも、近代小説の嚆矢と言われるのも納得。 ……ただ、結婚の約束を反古にし、処女だけ奪って逃げる男が多すぎないか? 四人ぐらい出てきたような気がする。(一件は女の側の勘違いだが)。 被害者はそろいもそろって美女ばかり。性格だって悪くない。 にも関わらず男は逃げる……。(?_?) これって、女ばかりの家族を腕一本で支えてきたセルバンテスのルサンチマン? あるいは、当時のスペインにこの手の男が多かったのか? 家にある本を全部読んだら キホーテを読み耽りたいね 前編・後編・贋作、すべて読破したよ 贋作は酷評されてるけど普通に面白いから買う価値あり 贋作でなかったらサラゴサの試合で銀月の騎士にやられてたのかな 幻のサラゴサ試合がすっげー気になるわ 贋作まで訳されてるとはスゴイ。 さすが永遠の古典。 贋作は市立図書館やそこらの本屋で手に入らないから 通販で上下合わせて6000円くらい出した ロルダン(狂えるオルランド)は1万超えるわりに面白くなさそうで後悔しそうだから断念 おそらく普通のシャルルマーニュ伝には出てこないフィエラブラスの香油や マンブリーノの兜、バルドビーノス・マントゥア公爵の出所だが オペラの台本だかポエム集みたいな文体だと現代人にはきつい ランサローテのロマンセは「荷車の騎士」とか読む限りそういうシーンはない 例えば最初の旅籠で「旅立つランスロットに恋する乙女が泣きつき〜」って引用されるけど これ湖の乙女ことお母さんが見送るシーンの誤解か承知の上で適当なこと書いてると見た アマディス・ガリアとベリアヌス・ギリシャに関しては翻訳されてないみたいで 「すべての魔法を打ち消す炎の剣」とか知りたいことはたくさんあるけど追えないなあ 作中で重要な存在のアマディスのエピソードに関しては気になるでしょう? 前編のミコミコ―ナ編で勇者の証として背中のほくろを探す話があるけど あれはアマディスに炎の形のアザがあって炎の騎士と呼ばれていた所以のパロディーだったり 逆にドン・キホーテが語るアマディス云々がデタラメだったりすることに気付けるわけで ただやはり値段が糞高いし分厚い長編だし英語版のアマディス全部読むのは気が引けるな アマゾンの外人のレビュー読む限りみんなドン・キホーテ絡みだけど評価高かったから ガッカリするような内容ではないと思うけど 集英社文庫のポケットマスターピースシリーズの1冊として「セルバンテス」が出た 中身は「ドン・キホーテ」前編の第1-27、49、52章と「模範小説集」から「美しいヒターノの娘」「ビードロ学士」「嫉妬深いエストレマドゥーラ男」 1960年代の文学全集ならともかく、いまどき抄訳を出す意味が分からない しかも「ドン・キホーテ」は全訳が何種類も出ているというのに 水声社からセルバンテス全集が全7巻+別巻で来年出るという情報は役に立った 「ドン・キホーテ」訳者は岡村一となってるからこれがその一部だろう https://kumagaku.repo.nii.ac.jp/?action=repository_uri& ;item_id=209&file_id=22&file_no=1 できれば新潮社版のように高価でありませんように スペイン詩のソネットだかロマンセの違いが分からない てか話は良いけど詩が何言ってるのか分からない いい加減詩の翻訳は古文使うのやめてくれ 「かんばせ」だの「みほましき」だの言われてもさっぱり分からん フランス語のマンガを仏和辞典を見ながらコツコツ読んでいたんだけど、 ある日、翻訳エンジンで英語に訳せばよいことを教わった。 まさに目ウロコ。 ティラン・ロ・ブラン 1 (岩波文庫) 文庫 - 2016/10/19 J.マルトゥレイ (著), M.J.ダ・ガルバ (著), 田澤 耕 (翻訳) セルバンテスが『ドン・キホーテ』の中で、「世界一の本」と絶讃する、騎士道小説の最高傑作。 騎士ティラン・ロ・ブランの地中海を巡る冒険と、絶世の美姫との愛の日々が、 絢爛豪華な宮廷生活を背景に驚くほど生き生きと描写される。 『ドン・キホーテ』『アーサー王物語』『デカメロン』などと同列と評される、世界文学の大古典。 バルガス=リョサによる〈日本語版への序文〉を付す。(全四冊) 焚書のシーンでティラン・ロ・ブランって出てきたっけ? >>223 出てくるよ。でも、すぐれた作品だということで、 焼かれない。 これか。分かりづらいね http://d.hatena.ne.jp/sl-st/20070828/1188324077 狂えるオルランドは読みづらいって聞くけど ティラン・ロ・ブランもオペラ脚本みたいな文体なのかな ドン・キホーテの作中だと怪物はもっぱら巨人だけだけど 贋作の方だとドラゴンが結構出てくる アマディスガウラがどうのこうのいうけど 本編ではもっぱら『狂えるオルランド』&『シャルルマーニュ』ネタが多い 前編の狂乱、聖水、兜、後編の木馬、俺の剣に触るべからずetc... アマディスのパロディーは複数の異名と背中のほくろ云々くらいしか見つからん うわあ 最高に楽しんでるじゃん 俺も早くその域に行きたい 最初の冒険でフルボッコにされた主人公はバルドビーノスとマントゥア公爵ごっこをする これはシャルルマーニュ十二騎士(ドセ・パーレスと表記されてるがドゥーズペール)の ボードマンとオジェ・ル・ダノワのスピンオフ作品から来てるみたいだな 当時はこういうややこしいスピンオフ作品が多くてしかも本編との整合性が完全に無視されていたみたい 後編に出てくるモンテシーノスとデュランダルテも同様に実に不可解だ 元々オルランドの剣であるデュランダルを擬人化するのは構わないのだが、 擬人化されたデュランダルテがオルランドと同一人物としてほぼ同じ人生を歩むって すげー意味ないスピンオフだよね セルバンテス全集(全7巻) 責任編集=鼓直 編集委員=荻内勝之+田尻陽一+樋口正義+本田誠二 【刊行予定】 第1回配本 A『ドン・キホーテ』前篇 第2回配本 B『ドン・キホーテ』後篇(3月29日発売予定) 第3回配本 C『模範小説集』 第4回配本 @『ガラテーア』 第5回配本 D『戯曲集』 第6回配本 E『パルナソ山への旅および詩作品』 第7回配本 F『ペルシーレスとシヒスムンダの冒険』 安倍「あああん、森友学園の児童諸君さまあんっ、らめえええええええ!ひぎぃ!あああ、僕のアナルに特攻隊だなんて!裂けちゃううううううっ!」 全集は1冊1万円か 彩流社の前後編をあわせてもおつりがくる これより高いのはフランクリン・ライブラリーという1冊18000円する総革張文学全集のものしかないはず 学者でもなければ全集なんて入らんだろ ドン・キホーテとペルシーレスだけでOK >>241 マジ!? 正しくは何ていう諺なの? サンチョやカラスコが多用してた覚えがあるけど 借金を返す自信のある者は、抵当を出し渋らない 的な意味。 おまえら、結婚や恋人・友だちには気をつけろ! ガイ児に触るとキショイで。 甘ったるい恋愛小説も、ガイ児がからむとオカルトになっちまうww 健常者はガイ児に触るな。 ★彩を愛した者 (巷に増殖中のガイ児の話)★ http://slib.net/72935 上松煌(うえまつあきら) 作 プロフィール http://slib.net/a/21610/ 金払い良ければ担保は不要、化身を倒したのだから本物に勝つ見込みも十分にあるのでござるよ アマディスガウラの翻訳プロジェクトとかできないかな 分量多くて一人じゃちょっときつい 牛島訳のp.226の不可能ですわいの文が削除された理由わかる人いますか >>256 いいけど、前篇の方が笑いの要素が多いし、 おもしろい短編小説も入ってて、 とっつきやすいよ。 歳をとってくると後篇の味わい深さがわかる。 セルバンテスに言わせればロード・オブ・ザ・リングみたいなファンタジーは駄作なんだろうね でも現実的なエルシード武勲詩やティラン・ロ・ブラン読んで来たら普通につまらなかったんだがw >>258 訳が悪いんだよ。訳者が面白さをわかっていない。 「ローランの歌」なんか面白かったけど シャルルマーニュが騎兵を斬ったら馬まで両断しちゃうとか かくいうセルバンテスも元々は売れないファンタジー作家だったりしてなw >>260 名高いシェイクスピアとか読めたもんじゃねーもんな 名言のところが名言だとさっぱり気づかないし 言葉遊びとかダブルミーニングとか脚韻とか翻訳不可能だからね。 外国人が「源氏物語」をどこまで味わえているのか? 同様に、我々もシェイクスピアの真価は解らない。 >>261 ドン・キホーテの作中だとローランドが剛毛で怪力の腕と何度か形容されてるけど 「ローランの歌」「恋するロルダン」「狂えるオルランド」あたりに毛深いって描写あるの?w 文体からしてシェイクスピアとセルバンテスが同時代人とは到底思えないな ドンキは現代の素人がWeb小説で書いてるような神視点(作者視点)がすばらしい ドン・キホーテは近代小説の嚆矢 という謳い文句を「ホントかなぁ?」と、疑いつつ読んでみた。 感想は「ホントだなぁ」 >>268 それフーコーの書評だっけ? 色んな人が書評かいてるけど ツルゲーネフの書評に出てくるハムレットとの比較は面白かったよ ドストエフスキーとかはダメだね ツルゲーネフは全然ダメだろ たしか「ハムレットは日記を書いておりましょう。ドン・キホーテはおそらく読み書きができません」 おいおい、騎士道小説を読み耽って旅に出る話だろうがww ツルゲーネフだと、たとえば「ハムレットは内(己)を疑い、ドン・キホーテは外(世界)を疑う」辺りが印象的だな 実際、ドン・キホーテは後編の公爵夫人との議論で「あなたの言う騎士道伝説や姫様は実在しないでしょ?」と 指摘されても、あくまで「そうだとしても、現実の方が間違ってる」と真顔で反論するけど、 ハムレットは「もう復讐なんてやめた方が良いんじゃね?」と何度も自分に問い、迷っているよね 騎士がドラゴン退治する物語の原型はアマディス・ガウラにあるらしいね ドラゴンの伝承自体はもっと大昔からあったけど 言われてみればアーサーやオルランドはドラゴンと戦ってないな トリスタンは戦ってるけどなあ アマディス未読なんでどういうこと指してるかわからんけど 南が丘文庫 http://www.minamigaoka.info/BOOKS/ Official Homepage 横浜市立南が丘中学校の母体である、平成研究会、通称、経世会とは、自由党吉田茂派を起源に持ち、周山会(佐藤栄作派)・木曜クラブ(田中角栄派)の流れを汲む、鉄の軍団と呼ばれた保守本流集団である。 横浜市立南が丘中学校OB会 牛島訳(岩波文庫) \6,070 岩根訳(彩流社) \9,720 岡村訳(水声社) \21,600 翻訳3種を比較しながら読むとなると小1年かかる。 3万数千円掛かるがやってみようか。 名訳ならいいけど、イマイチの訳だったらと思うと躊躇する read.cgi ver 07.5.1 2024/04/28 Walang Kapalit ★ | Donguri System Team 5ちゃんねる