ドン・キホーテ
>>386 あと、ジョシュア・ノートンってぐぐったけど勝手にアメリカ合衆国皇帝名乗った人でいいのかな たしかに贋作でシャルルマーニュの12騎士とかに勝手になりきるところはあるのかな サンチョもなんだか不思議なキャラクターしていて、裸シャツの女に繰り返し誘惑されても意味がわからないような朴念仁かと思えば、「まだ生まれていない、生まれる予定もない息子をあらかじめ鞭で叩いておく」 「おお、サンチョ!」 とドン・キホーテ。「どうじゃ?これなる敵が何ぞ悪さをいたしたか?」 「べつに何も」 とサンチョ は応えた。 「このモーロの旦那がわしを火に炙って食っちまうってんで危うく尻尾から焼き串を刺し通すところだったけれど、モーロに改宗したら赦してもらえたでがす。」 真作でもそれなりに変だけど、なんかおかしい /⌒ヽ (^ω^ ∩ 小学生の感想文としては100点だお! t⊃ | ⊂_ | よく頑張ったどね! ねるだお! ⌒ J ピョンピョン ⌒ ⌒ ⌒ >>390 べつにいいんだけど。 感想として寂しいとかわいそうしかない。 小学1年生の文集読んでるみたいやで? 無邪気な子供ならともかく大人の読みならちょっと厳しいものがあるわ。 素朴すぎるにもほどがあるやろ… 逆に新鮮というか不安にさせられる。 /⌒ヽ (^ω^ ∩ 給食の時間だお! t⊃ | ⊂_ | ねるだお! ねるだお! ⌒ J ピョンピョン 宗教理解をあとからこじつけたような感じかな。 とにかく宗教に関心があるみたいだね。まあガンバレw >>385 なんかお金払ってると変えられるみたい まぁ、IDころころ変わる人は荒らしでしょ ジュニア向けを紹介されたのが気に入らなかったみたいだけど、馬鹿にしたものではないんだけどなぁ >>391 ジョシュア・ノートンや葦原金次郎は面白い狂人だったから 彼らをヨイショするファンによって半分馬鹿にされつつも大事にされてた (ドン・キホーテに対する公爵夫妻の悪戯のように痛い目に合わせたりはしなかった) 無視されても暴れたりしないのが大きかったと思う 贋作に「炎の剣士(アマディス)には炎のアザが、薔薇の騎士には薔薇のアザがある」とあって、 またたしか本編でも薔薇の騎士ってどこかに出てたけど結局その正体が分からなかったんだが、 水声社の注釈なら解説あるかなと思いつつ探すの大変だわ 電子版だったら検索で一発なのに! >>401 あざを持つのはアマディスではなく日輪の騎士 バラのあざを持つのは日輪の騎士の双子の弟で薔薇の騎士ロシクレール 彼らはほっぺたに太陽と薔薇のしるしを持つ 『王子と騎士の鏡』に出てくるギリシャの王トレパシオの息子たち 炎の剣をもつのはギリシャ人のアマディスでイギリス人のアマディス・デ・ガウラとはまた別人 薔薇の騎士ロシクレールはたぶん本編には出てこない >>402 なにがドン・ガバチョだボケ! マスかいて寝ろマヌケ!wwwwwwwwww >>405 情報サンクス。その2人は日本語だとぐぐっても全く出てこないなあ 日輪の騎士とかアーサー王のガウェインしか出てこないし・・・ >ギリシャ人のアマディスでイギリス人のアマディス・デ・ガウラ デ・グレシアがギリシャ人ならデ・ガウラ(ガリア)はフランス人だと思ってた 暗号解読してるような気分 だから ドン・キホーテは悪魔で、作家カフカがピエールメナールってわけ。 >>409 たとえばシェイクスピアにも日輪の騎士は出てくるくらいに当時は有名だった 少し物語りのさわりをかくと、二人の王子はハンガリーの王妃Brianaとギリシャの王トレバシオの間に生まれた 父は後にまるで神聖ローマ帝国の選挙のように皇帝に選出される 兄である日輪の騎士は幼少の頃に船から転落して、流されて二人は離れ離れになる そして養父に拾われてはるかペルシャ帝国で成長し、後に父王が魔法の島に囚われていたのを救い出すことになる 弟ロシクラーは母のハンガリーの家にとどまり、騎士になるための英雄的運命に導かれて冒険に出る 彼はイギリスにおもむき、そこで王女オリヴィアに恋をする 弟はこの女性に求愛を拒まれるが、生涯忠誠を誓うことになり、もうひとつのあだ名「クピドの騎士」とも呼ばれる 遍歴に出た弟はヨーロッパ中をめぐり、ダキア王国や、偉大な冒険と神秘が待っていると謳われたロシアの王国へ赴く その有る山の中で、巨大な岩石に口をあけた炎と煙に包まれる洞窟に出くわす 彼は近寄って、その岩に巨大な文字が刻まれていることに気づく 「これなるはリベルオ王の王女にして王国全ての継承者Artideaへの愛ゆえに死んだ賢人Artidonの洞窟 出される謎に全て答え、恐ろしき護衛たちを打ち倒す騎士が現れない限り王女は解放されぬ もしも王女が解放されたその暁には、この洞窟は知恵を求めて訪れる者全てに門を開くこととなろう」 クピドの騎士はこの文を読み、冒険に心躍らせ、中に何が待ち受けているか調べようと意思を奮い起こした そしてクピドの騎士は恐ろしい門番たちを討ち果たし、王女Artideaを救い出し、誰もが洞窟に入れるように開放した 訪ねたものの前には自動的に賢人Artidonの亡霊が現れ、彼らが求める知識を与えるようになったという こうしてこの洞窟と賢人は巡礼の新しい神託の地となった 後に、この洞窟にはドンキホーテにも出てくる不運な恋人クラリディアーナもはるばる訪れ、日輪の騎士との運命、そして彼がどこにいるのかを尋ねることになる クラリディアーナはトラピソンダの皇帝テオドールとその妃たるアマゾンの女王ディアナの娘 テオドールは巨大な敵に立ちむかう偉大な戦いの中で、一目見るやディアナに恋に落ち、和平を結び結婚した そして息子も娘もほかに生まれなかったので、王国の継承者として育てられた。 彼女は騎士ではないがアマゾンの戦士であった母のいいつけで騎士団の指揮をとることになる そして遍歴の騎士たる日輪の騎士に出会う 騎士物語はイスラム教徒との戦いを主題とする(公明正大な正義の騎士が戦う相手はほかにいない) だからこそ舞台はキリスト教国の辺縁であるギリシャに流れ着いたりギリシャの皇帝の落とし子が世界(という名のキリスト教支配域)をめぐることになる しかし、どんな巨人を真っ二つにする英雄であっても、東ヨーロッパをイスラムが支配している現実を覆すほどの活躍はできない (ドンキホーテの「日輪の騎士のソネット」で赤く染まった東の帝国を放棄した、とあるのを忘れないこと) だから物語は次代に続き、ギリシャの皇帝の娘と結婚した「遍歴の騎士」の息子や孫に続きものの二次創作が作られる 孫にはたいてい英雄の祖父の名前がつけられるだろう そうやって騎士道物サイクルが作られ、ドンキホーテに出てくる「アマディス物」も4代に渡る挫折物語が別の作者によって語り継がれる 中には原作者が続き物に怒って真性続編を書く例もあって、贋作ドンキホーテはそういう流れの中にある 同時に、イスラム教徒からキリスト教に改宗した人々を高く、異常に評価するエピソードに事欠かない ドンキホーテのソライダというムスリムから聖母マリアの幻覚を見てキリスト教徒の見たこともない捕虜と駆け落ちをするエピソードも、騎士物語の伝統にある なぜか、アラブの王族の姫が隣接するキリスト教国の王子と恋に落ちて、森の中に隠遁し、魔術の力を借りて父親が見つけ出し、娘を切り殺す そんな脱線する(ドンキホーテの「捕虜の話」のような)エピソードも、抹香くさく含まれる そんな背景もまた掘り起こされて、掘り起こされ続けているため、反応としての同時代の贋作は非常に示唆に富むけれど、やはり真作は複雑さ・屈折の程度が群を抜いている ドンキホーテのソライダというムスリムから聖母マリアの幻覚を見てキリスト教徒の見たこともない捕虜と駆け落ちをするエピソードも、騎士物語の伝統にある なぜか、アラブの王族の姫が隣接するキリスト教国の王子と恋に落ちて、森の中に隠遁し、魔術の力を借りて父親が見つけ出し、娘を切り殺す そんな脱線する(ドンキホーテの「捕虜の話」のような)エピソードも、抹香くさく含まれる ↑ 誰かこれ日本語に訳して。 フィエラブラスの香油でお馴染みのフィエラブラスもイスラム陣営からの裏切者だよねえ 逆に、古典騎士道物語でイスラム側に寝返った闇落ちの騎士もいたりするのかもねw ドン・キホーテは決闘をふっかけては、コテンパンにのされることを繰り返す では、実際のところ何勝何敗なのか? ウラジミール・ナボコフが一戦一戦数え上げている 結果はなんと20勝20敗 殴り倒したら同じ数だけ殴り倒されていることになる しかも前編が13勝13敗、後編が7勝7敗 サンソン・カラスコに対しても1勝1敗 ナボコフは自分と違って意図して引き分けにしたのではないだろうセルバンテスのバランス感覚を面白がっている ハーバード大学で講義するために綿密に精読して作成された「ナボコフのドン・キホーテ講義」は相当に面白い 実作者として技法を発見して楽しむナボコフがおもしろく、またその視点が非常に斬新で色あせないものがある 無意味に思われる、抄訳ではほぼ省略されるサンソンとの第一戦の勝利を「転回点」と位置づけるナボコフ サンソンとの戦いは作中で小さく扱われ過ぎているような気がする 要はドン・キホーテvs偽ドン・キホーテの戦いのわけだし、もっとページ割くべきだろ >>419 戦闘の場面のページ数の話ならドン・キホーテってそういう小説じゃないからねぇ 風車の場面だってわずか三ページ サンソン自身が言うとおり、「このほかには何一つお話しなければならないことはないのです」 何が起こったかについてのあっさりとした描写よりも、どう受け止められるかについて延々対話し続ける だからこそ、木に人間の足がたくさんなっている!っとサンチョがおびえて、合理的な説明がつけられるかと思いきや、本当に盗賊をまとめて縛り首にしたエピソードとか効果的 ちなみに、サンチョに「驚くことはない、まとめて縛り首にしているから都が近いというだけじゃ」といわれ、その後サンチョはおびえなくなる 「見えるものにおびえることはない」という後編を貫くトピックス/トポスのひとつ 翻訳3種揃ったから読み始める! ノートつくりながらゆっくりとw >>421 サンソンはただドン・キホーテを力づくで潰しに来たわけじゃない 設定を練って狂人に成り切って戦いに臨んでいる ということは、道中でドン・キホーテのように奇行にも及んでいたかもしれない お調子者サンソンがおだてられて遍歴の騎士になる経緯、旅の道中は興味深いことだ サンソン・カラスコの馬鹿げたことを大真面目に臨む態度は能動的ニヒリズムだ しかしサンソン・カラスコは風車を相手に体当たりできるのか? 普通に考えればブレーキを踏んでしまうだろう >>424 >道中でドン・キホーテのように奇行にも及んでいたかもしれない 及んでいません 本文を読みましょう >お調子者サンソンがおだてられて遍歴の騎士になる経緯、旅の道中は興味深いことだ おだてられてではありません、旅の道中はわずか数日でしかなく、しかもドンキホーテと違って仮装はせずに移動しています 「遍歴」はいっさいせず、目的地にまっすぐ向かっていますし、その旅の道中も書かれています 本文をきちんと読みましょう 彼が後編三ヶ月、どこで何しているかはいろんな章にまたがってきちんと必要な分だけ書かれています 決闘の場面だけしか読んでいないようですが、妄想で補完しすぎです 森の騎士の話、翻訳によってちょっと違うっぽいんだよなあ たとえば従士と従士の会話(岩波訳) 「勇敢だよ、でもそれ以上に狡賢いと来てる。しかも腹の中で野心が煮えたぎっている」 野心ってなんだろうと色々推測するわけだけどさ、他の翻訳だとそう書かれてない 従士の床屋による命乞いのシーンでの台詞も「村の連中におだてられて」のところも違うのかも 面倒だから確認しないけどね >面倒だから確認しないけどね 文学で重要なのはディティールだろ ちゃんと確認しろよボケ! 文学とか偉そうなものをぶっとばす下衆な小説、それがドン・キホーテと知れ ドン・キホーテを朝から晩まで貪り読んで、自分がドン・キホーテだという妄想に取り憑かれて 冒険の旅に出たヤシいる? >冒険の旅に出たヤシいる? 2チャンネル的にはずいぶん古い言い方だな。 あんた、いくつ? ドン・キホーテはアマディス・ガリアそのものには成り切ってないんだよなあ 1735年がセルバンテスの伝記が始めて書かれた年で、どの解説にも乗っているようにそれをスペインの王立図書館に依頼したのはイギリスのカーテレット卿 ハイドンやライプニッツと交流の深かったドイツ出身のジョージ二世妃キャロラインの文芸パトロンとしての一環 その時代にセルバンテスに熱中したのがイギリスの「近代小説の生みの親」たち 1742年に書かれたヘンリー・フィールディングの「ジョウゼフ・アンドリュース」 フィールディングの小説(ロマンス宣言)はまさにこの第一のセルバンテス・リバイバルに書かれた 純真な青年ジョウゼフと豪放磊落なアダムズ牧師の二人組みを描いた小説で、副題は「セルバンテスのひそみにならいて」 彼は18世紀イギリスにおけるセルバンティスタの代表例といってよい そこかしこに「ドン・キホーテ」へのオマージュがある ほぼ同時代のロレンス・スターンもまた、ドンキホーテの脱線や作者の介入などの要素を色濃く受け継いでいる 実際は文学において、ドン・キホーテのロマン主義的解釈(典型例はツルゲーネフ)よりも先に、「対話」と「脱線」、喜劇としての側面が再評価されている 卓抜な批評意識を持つ、「小説を透明な言語で書いていない」フィールディングはその序文で何が「滑稽」なのかについて熱弁をふるっている アリストテレスやホメロス、オヴィディウスに範をとり、散文による叙事詩的喜劇は可能か?リアリズムとモラリズムの混淆文体はまぎれもなくセルバンティスタといっていい 20世紀になってアウエルバッハがミメーシスを小説の一要素とするごとく、「ミメーシス・パロティア・アナロギア」を強調する フィールディングは「アナロギア」、批評的意識を強烈に持った作家だろう ヘンリー・フィールディングは小説を書き始める前、「イングランドに現れたドン・キホーテ」という劇を書いている 時はウォルポールの「腐敗選挙」のイングランドにドンキホーテ主従が現れ、面白がった旅籠の主人や僧侶、地主によって選挙に出馬させられる やたらと姫・王を連呼するので王党派、それもハノーヴァー朝でなくフランスに逃げたスチュアート朝の支持者だと危惧されるさまは面白い 「出馬するに当たって、お金を集めれば外国人でも狂っていても関係なく議員になれますよ」 「この国では騎士とはなるのにお金が必要なのかの?」 「ジョゼフ・アンドリューズ」のキホティズムあふれるアダムズ牧師といい、1740年代の小説の勃興期におけるセルバンテス的な融通無碍さはしかし、19世紀には消えていく ウォルポールが劇作の風刺に激怒し、劇場解散令を発していなければフィールディングは小説を書かなかったかもしれない フィールディングの小説処女作において、道化と喜劇の違い、筋と物語と人物と情緒と用語を分解し、用語(diction)は壮麗であっても、人物と情緒を卑俗に留めたと主張する 彼が「近代小説の父」とするならまさにアウエルバッハの二つの文体を混淆させることから小説はスタートしている リチャードソン・デフォーの「透明な言語で書かれた」作家たちの系譜が優位となる 彼らにおいては、情緒と用語と人物と筋と物語が一致しており、高い文体と低い文体が同居することはない フィールディングの最終作「アミーリア」に顕著に現れてくるように、小説はテーマとモラリズムに偏っていかざるをえない 立ち止まる人エラスムスではなく、前に進む人ルター・カルヴァンこそが「何かをするために」生まれた小説というジャンルでヘゲモニーを握る 19世紀のロマン主義と自然主義の前にあるバロック・リアリズムはベンヤミンが再評価するように騎士物語・ピカレスク物語・バロック演劇として抑圧されていた、「ドン・キホーテ」という作品に結実している源泉といえる たぶん大学で文献学でも専攻してるんだろうよ 俺は単純に娯楽小説として読んでるから文学云々は興味ない ペルシーレスも読んでみようかしら ドン・キホーテは現代人の素人のネット小説みたいな軽いノリが良い わかる かるいノリだからあんなハチャメチャができたんだろうな ポストモダンとかいちいちつまんないこといわずに 騎士道小説の読み過ぎの結果、 妄想で頭がおかしくなった老旦那と下男の遍歴 という設定がまず斬新 まあ、あの手の英雄譚を胡散臭く感じる視点はルネサンス期の思想家にもあって セルバンテスはそのノリで長大なを物語を書き上げたのだけど 一種のパロディ小説だから批評的視点が導入されているわけだ そこら辺がポストモダン的批評家の餌食になるのだけれど 当然のことながらセルバンテスはそんなことを考えてはいない 「グーグルは〜」「任天堂は〜」と成功者に擦り寄り あれこれと理屈をでっちあげる虎の威を借りる狐の三文文士は何処にでもいるけど 当人はそんなことどうでもいいと思ってるみたいな? 当時の小説は英雄譚の昔話スタイル(ドンキも)かシェイクスピアみたいな劇の脚本しかなくて ヨーロッパで今のような一人称・三人称の小説が出てくるのはもっと先になるのかな 1500年代の初めに書かれた 『ラサリーリョ・デ・トルメスの生涯』は一人称だよ。 ピカレスクロマンの嚆矢だけど。 ドンキホーテが読んでいた本を、読みたい >>457 があげている、『ラサリーリョ・デ・トルメスの生涯』は『ドン・キホーテ』に出てくるよね ドン・キホーテはもういないよね。世界には。昔から 。 作中に作者が出てきてどうこう述べるのは「くぅ〜疲れましたw」コピペにあるように 一般的には拙く痛々しい手法なんだが、ドンキは時代のせいか許されてるね >>462 ドン・キホーテの作者は単に書き写してるだけって設定だよ あとホメロスの昔から詩人は作品の中に顔をだしてよくしゃべる 一般的にではなくて自然主義に「毒された」文学観ではくさみのある手法に見えるだけ >>466 まったくもって同意見。 リアリズムで考えすぎ。くぅ〜の有名なコピペが寒く見えるのはそのため。 けっして昔だから許されたって手法ではない。 騎士物語とは時代遅れだったのか? エリザベス女王は寵臣を騎士に扮装させ、自らをとらわれの姫とする催しを行っていた アマディス・デ・ガウラの二人の愛読者カール5世とフランソワ1世はなんとも古風な騎士ぶりを残している カール5世は宗教改革のさなかにあって「一騎打ちで決着をつけよう」とまで敵国に送っている フランソワ一世はイタリア戦役でよせばいいのに先頭に立って軍を率いて捕虜の憂き目をえてスペイン王女エレオノールを正室にさせられた それと同時にアマディス・デ・ガウラをイタリアで手に入れ、熱中し、フランス語訳を命じる アーサー王をチューダー王家の祖先と主張するヘンリー7世に半世紀遅れて、実在しないガウラ王国を「音が似ているから」という理由でフランス王家の祖先だと主張した ガウラ王国は架空の王国であり、ウェールズ近辺とされているにもかかわらず、アマディス一族を直接ヴァロワ朝の先祖と強弁しようとしたこと (そもそもスペイン人はイギリスの地理など無視してもいて、ヴァロワ家の領地ブルターニュ地方なのだ、と主張しても文句など出ない) フランソワ1世の息子アンリ二世もまた愛読者であり、馬上槍試合で槍をつきこまれて死ぬというおろかな最後を遂げる こうして生まれた(適宜改変された)フランス語訳アマディス・ド・「ゴール」はイギリスに渡る サー・フィリップ・シドニーとエドマンド・スペンサーは間違いなく犠牲者だろう フランドル戦役で、「一人の老兵に水を譲り、傷ついた若い一平卒に脛あてを譲り戦死した」シドニーは国葬の扱いを受けた 敵国の王フェリペ二世が「もっとも偉大な騎士を失った」と葬儀に伝令を送るという、なんとも笑うに笑えない「英雄物語」ごっこ スペンサーの「妖精の女王」はもうエリザベス女王そのままの仙女王のためにドラゴンを倒しに行く騎士物語そのもの 「完璧な騎士」アーサー王子はフィリップ・シドニーをモデルとしているとすらいわれ、「もちろん」その系譜はヘンリー・チューダーまで続くことになっている 「三銃士」でダルタニャンとミラディがイギリスに行ってバッキンガム公の死に関わる このバッキンガム公はイギリス一の騎士道物語狂いであって、その理想主義に反発したのが暗殺者フェルトンだった 1626年の暗殺、そして国王ルイ13世と枢機卿の銃士隊くらべなどという騎士道物語ごっこは英仏では騎士道物語熱が去ってなどいないことを教えてくれる セルバンテスが後編において、前編の成功によって騎士道物語は終止符を打たれた、と称し、実際に騎士道物語はまったく出版されなくなる これはあくまでスペインでの話、英雄に憧れるフェリペ2世から怠惰なフェリペ三世へという時代変化も大きい 常に発生源から距離を置くほどに、流行は後れて伝播する フランスではロンサールを始めとするプレイヤード派は騎士物語の主題を受け継ぎ、プレイヤード派と親交をもったエリザベス朝時代のイギリス文壇も例外ではない (メアリ1世時代のスペイン派は一掃されている) シェイクスピアの初期の血なまぐささは古典劇に、騎士物語のぽんぽん首が飛ぶ荒々しさを加えたもので、先行するマーロウの「タンバレイン大王」などの血しぶきが飛ぶ新しい演劇にならう それはスペインではセルバンテスが痛烈に攻撃し、贋作が作られるにいたった「自然の怪物」ローペ・デ・ベガ一派の新しい演劇とまったく軌を一にしている 世界中で古典(コスモポリタン)か個性派(ナショナリティ)かが争われた シェイクスピアがセルバンテスの反ー騎士物語を受け継いでいないとするなら アマディス・デ・ガウラはフランス人でオリアーナ姫がイギリス人(アーサー王の子孫)だっけ? オルランドもランスロットもフランス人、当時はイタリアが西欧の中心だろうに、不思議なものだ >>474 >アマディス・デ・ガウラはフランス人でオリアーナ姫がイギリス人(アーサー王の子孫)だっけ? そもそもアーサー王の時代から更に数百年前が舞台なんだけれど・・・ 現実に存在する地名と存在しない地名が混在している架空の世界 スコットランドで育つし、フランス人というとかなり語弊がある アーサー王はブルターニュで未来の王として言及される 「このようなむごい風習は善良にしてこれまで統治した王の中でも最も優れたアーサーがこの地にやってきて廃止するまで続いていた」 この風習が全物語を駆動する「未婚の女が子供をなした事が発覚したならば死刑となる」という風習で、これによってアマディスもその息子エスプランディアンもアマディスの異母兄弟もみんな名前を隠して捨てられて育てられる (騎士に惚れた王女が夜這いに来たりして子供を作りまくるのが原因で、プラトニックのかけらもない積極的な王女が多いし、騎士たちも助けた娘を躊躇なく自分のものにする) そして知らないで父や兄に騎士として儀式を受けたり、父や兄と決闘して正体があかされたり、窮地をそれと知らずに救ったりする しばしば実の兄弟がそれと知らずに決闘で殺しかけて血まみれになりながら「damsel」が止めに入り、正体を知って血と涙に塗れながら抱きしめる場面が出てくる 面白い小説だから興味があれば英訳ででも読んでみればよいと思う アマディス・デ・ガウラはアーサー王よりもだいぶ前の「キリストが降臨してそう遠くないころ」、紀元2世紀くらい ガウラ王国はアイルランド王に攻め込まれてスコットランドに救援求めたりgaula=gales(ウェールズ)から取られている想像上の国だけど明らかにイギリスの勢力圏内として書かれている ブルターニュを訪れたガウラ王国の王が姫と恋に落ちて、王がブルターニュを去った後密かに出産され、木箱(アーク)に入れ流されてスコットランドの騎士に海上で拾われ育てられる オリアーナはデンマーク生まれ、デンマーク王女の母と、イギリス王弟の父の間に生まれ10歳の頃、父がイギリス王位につく事になり、イギリスへ向かう スコットランドによったときに船酔いがひどいという理由で、親戚であるスコットランド宮廷に預けられて育てられる こうして「海の子供」(アマディス)とオリアーナは幼馴染として育つことになる(身分違いの主従として) 援軍を要請するためスコットランドに訪れたガウラ王は息子と知らずにアマディスに騎士への叙勲を行い、ガウラに侵攻するアイルランド王との戦いに参戦する このあたりから、大体ガウラ王国はウェールズということになっているが、そもそも「キリスト降臨後そんなに時間がたっていない頃にブルターニュにキリスト教の王がいた」という書き出しからわかるようにフィクショナルな設定で、ブルターニュ近辺でも矛盾はしない (ただし海辺でアイルランドに近いらしいので架空の地が正しい) ガウラ王は父をなくしたアマディスの母と正式に結婚し、弟ドン・ガラオールが生まれるが、彼は2歳半で巨人にさらわれる この巨人は「いい巨人」の分類で、さらった王子が後に自分のために別の巨人を倒して領地を回復してくれるという予言で攫う アマディスが後に冒険する「悪魔の島」にも「良い女巨人?」が登場するけれど善良の定義が分からなくなる ガウラ王の息子と言う正体が判明した後はこの同母兄弟の行方を探す旅に出ることになる ちなみに「悪魔の島」には女巨人の夫が近隣の巨人たちを束ねるほどに強く、残忍で「善良な」女巨人はキリスト教徒を彼の虐殺から見逃したりしていた 二人の間には美しい娘が生まれ、女巨人は娘を自分よりも愛していたが、美しく凶悪な娘は父親を誘惑し、籠絡して父親の子供を身ごもる 娘巨人は母親の女巨人をだまして井戸に突き落として溺れ死にさせる この魔性の娘とfather-husbandとの間に生まれたのが毛むくじゃらで鱗に覆われた「悪魔」で、アマディスに殺されるがアマディスも数か月起き上がれないほどに苦しめられる オリアーナの父、ブリテン王リスアルトはアーサー王を除けば最良の王とされるが、ローマ皇帝にオリアナとの結婚を求められ、アマディス最大の敵のひとりともなるが、正体を隠したアマディスに何度も救われる このローマ皇帝も戴冠する前には遍歴の騎士をやっていてウィンザーでオリアナに恋をし、アマディスに叩きのめされた過去がある さらにこの全世界に君臨するローマ皇帝とは別にコンスタンチノープルにも皇帝がいて、魔術に精通したアマディスの味方 帝位を譲った弟が死んで皇帝となる前は、賢者としてアマディスの支配することになった「イギリスからそう遠くない」「固い大地の島」を統治していた たまたま別の国の王女を助け出したことをきっかけにオリアーナに誤解から絶縁を言い渡され、出奔したアマディスは正体を隠し、ベルテンブロス(ハンサムな憂鬱)と呼ばれる 侍女を使わされて誤解が解けてオリアーナのもとに戻り、窮地に陥っていたリスアルト王を助け出した しかし今度は王に謀反を疑われて追放されることになり、出発の前夜、密かにオリアーナと密会し、その結果エスプランディアンが産まれることになる このエスプランディアンもまた密通の子なのでデンマークの修道院に送られて隠されようとするが途中でライオンに攫われ、メスライオンの乳で育つ 胸にはラテン文字とギリシャ文字のあざを持ち、後にオリアナは密かに自分の息子と知ることになる このエスプランディアンの最終的な正体暴露がイギリス全土、アイルランド王、ガウラ王、巨人たち、魔法使い、ローマ皇帝、ギリシャ皇帝を巻き込んだ大決戦の大団円につながり、オリアーナとアマディスが合法的にベッドに入るシーンで終わる >>475-478 紹介サンキュー。アーサー王の続きだと思ってたら逆なのね 肉欲を否定するキリスト教の騎士道伝説なのにエッチシーンで終わるとはスペインらしいぜw >>478 ティラン・ロ・ブランのような露骨なベッドシーンを期待してはいけないけれどね 肉欲と騎士物語がどの時点で絡み合って、どの時点で抑圧されていくかは長くなるお話 アマディスとティランにおいて違うのは「戦士は子孫を残さなくてはならないのです」という言葉にもよる セルバンテスが扱う誇張への不快感にも関わるけれど 青年エスプランディアンが正体を暴露するころには オリアーナさん完全に中年ババアじゃね?w なんというか、読んでない本を勝手に誤解するのが好きな人だね・・・ 語りたいなら読んでからにしたら? 色々ゆがんで認知してしまっているようだけれど、いちいち訂正するのもなぁ・・・ セルビア モンテネグロとか、現代世界文学なら、ボスニア ヘルチェゴビナとか そういう系譜になるんだろうな。ドン・キ・ホーテは。 ボヴァリー夫人がドン・キホーテのパロディっていうのは聞いたことあるけど、 日本の小説でドン・キホーテをオマージュしたような作品ってある? >ボヴァリー夫人がドン・キホーテのパロディっていうのは聞いたことあるけど、 誰から聞いたんだよ? そんなこと俺は聞いたことがないw 「ボヴァリー夫人は、女のドン・キホーテだ」チボーテ >>488 小説を読みすぎて現実を小説のように知覚してしまうボヴァリー夫人がドン・キホーテの影響を受けていることは有名 フローベールが恋人にあてた手紙の中で、「ボヴァリー夫人」を書きながら何度も「ドン・キホーテ」を読み返し、絶賛している 生涯で一番ドン・キホーテにのめりこんだのがデビュー小説を書いている長い時期だった 匂いと知覚の場面はオマージュに近いものがある たとえばジェイン・オースティンのノーサンガー・アビーもドン・キホーテの直系の小説処女作 ゴシック小説を読みすぎて古い屋敷に殺人事件の妄想をしてしまう女性 ドストエフスキーはドン・キホーテの影響を受けて白痴を書いたらしいが全然おもしろくない・・・ 風が吹けば桶屋が儲かると色々こじつけても意味がないんだな >>487 >日本の小説でドン・キホーテをオマージュしたような作品ってある? 矢作俊彦の「スズキさんの休息と遍歴」とか 大江健三郎の「憂い顔の童子」とか 高橋源一郎の「ゴーストバスターズ」もいちおう意識して書いたらしい そういえばニーチェはドン・キホーテを意識して ツァラトゥストラを書いたらしいが ぜんぜん似てないね 井上ひさしはドン・キホーテの影響を受けて『ひょっこりひょうたん島』を書いたらしいが全然おもしろい・・・ おまえら水声社の『ドンキホーテ』買ったか? なかなかいいぞ! さっさと買えよ! 長編を通読するのには解りやすいのがいちばん! 高価だから読んでいるのも少ないので優越感に浸れる。 ドンキホーテの文章は洗練されてないよな 無駄が多い >>488 >小説を読みすぎて現実を小説のように知覚してしまうボヴァリー夫人が >ドン・キホーテの影響を受けていることは有名 >フローベールが恋人にあてた手紙の中で、 >「エンマ・ボヴァリー」を書きながら何度も「ドン・キホーテ」を読み返し、絶賛している 現実と虚構の区別がつかなくなったというよりは 不快な現実に対する挑戦として 「スカートを穿いたドン・キホーテ」エンマ・ボヴァリーを作り出した ボヴァリー夫人が象徴的技法で書かれているのはそういう理由による ということをオルテガは「ドン・キホーテをめぐる省察」で述べている オルテガのドン・キホーテ解釈によると 新規臭い実在(ギリシア的理念主義)に対する意志に基づく闘争劇であり それゆえ死という敗北で終わるのだが この敗北劇は悲劇としてではなくアリストパネス喜劇を起源とする 哄笑なのだ、としている このあたりはハイネの評価に近い セルバンテスが友人に相談するドン・キホーテのプロローグを読む限り そんなあれこれこじつけて大層に語る小説でもないと思うが マルケスとかリョサとかラテンアメリカ文学に最初触れた時は「なんだこの作品群は? どこの世界の話だよ」と思ったけど、ドン・キホーテ読んでからだとそれほど突飛なものに見えなくなった ちゃんと伝統が受け継がれてるんだなと >>511 自分自身が面白いと思えた作品について語ることから始めたらどうかな 他人が面白がっている作品を理由をつくりあげて拒絶するのでなくて、さ 多分だけど、人生損するよ? >>511 >そんなあれこれこじつけて大層に語る小説でもないと思うが 19世紀の作家たちに再評価されるまでは忘れ去られた存在だった これはシェークスピアもにたようなもので 批評が多いのはそのため そういう批評無しで常識的に判断すれば単なる狂人の物語だよ ドン・キホーテがこんなふうに有名になるのは、やはり19世紀に入ってからが決定的なのですが、 ドイツ・ロマン派の哲学者・文学者を皮切りに、誰もが『ドン・キホーテ』を賛美し憧れるようになります。 ドストエフスキーも、たとえば『白痴』という小説は、ドン・キホーテとの影響関係を考えないですますわけにはいかない作品です。 「『ドン・キホーテ』は人間の天才によって創造されたあらゆる書物のなかで、最も偉大な最も憂鬱な書物だ」と ドストエフスキーは『作家の日記』の中に記しており、 これは、ドストエフスキーだけでなく、世界中の誰もが認めるところでしょう。 ツルゲーネフには「ハムレットとドン・キホーテ」という講演があります。 アメリカへ眼をやれば、マーク・トゥエインの『ハックルベリー・フィンの冒険』、 ハーマン・メルヴィルの『白鯨』など、ドン・キホーテを見据えた作品です。 夏目漱石は、ロンドンへ留学したとき(明治33年)さっそくにドン・キホーテの英訳を (当時2種類の英訳版があってその2種類共)購入し、一冊は克明に読んだようです。 『文学論』に引用もしているのは当然、『坊っちゃん』にはドン・キホーテの影響が濃く落ちています。 『我輩は猫である』のユーモアも、ドン・キホーテから学だといえましょう。 というより漱石が留学して手にした当時のイギリスの17世紀、18世紀の文豪たち、 デフォーもスモレットもスターンもフィールディングも、みんな『ドン・キホーテ』を文学の師と仰いで作品をつくっていた人でした。(註) 坪内逍遙にもドン・キホーテ論があり、内村鑑三だって論じています。 『ドン・キホーテ』は、日本近代の歩みに伴走した英雄でした。 http://kinoshitan.com/archives/archivesq.html >>513 いやいや、俺は客観的事実を述べてるだけだから セルバンテスも有名人の名前を羅列した虚仮威しをドン・キホーテの冒頭で嘲笑している はじめはつまらんよ 岩波文庫でいうなら二巻のはじめ辺り入っても面白くなかったら諦めよう 〇〇は面白いとされているけどつまらない これは客観的な意見なのかね その根拠が拾い読みした序文だけだったりする 面白さを見出している人間からすれば、ああ、楽しめなかったんだな、とほほえましくなる 自分が楽しめなかった作品を、『いや、お前らだって「本当は」楽しんでいないんだ』とかわめいているお子様は、楽しめる作品を探しなさい、と窘めたくなる 聞く耳など持たないことは知っていながら、ね 一度読んで楽しいと思えなくても、ハイネに導かれて読んで楽しめなくても、ジョン・バースに導かれて楽しく読めるかもしれない ジョン・クッツェーに導かれて楽しく読めるかもしれない 人生何度でも楽しめなかった本が楽しめるようになるきっかけなんていくらでも転がっている 乏しい読書経験で、作家を全否定してはいけない 俺は岩波少年少女文庫(永田寛定版)からだったなぁ。 読書経験乏しい頃で挫折しても情景がずっと残ってたりすんだよな 後日あっさり読めてあのときの俺もうちょい頑張れとか仕方ないかと思ったりする 他人の発言をねつ造したり関係ない人のレスと繋げて得意げに藁人形論法してる恥知らずがいるな 偉い人の名前をコピペするだけの読者が偉いとでも勘違いしてる正にリアル・ドン・キホーテだ 自転車で電柱に突撃すんなよ? 藁人形論法された!って言いたがる人間は「自分の言っていることをかっこよく解釈してくれなかった!」ってだけなんだよね 「俺は客観的事実しか書いていない」 「ドン・キホーテは大層に語る価値はない」 「俺は偉い人の名前に騙されない」 中二病のお子様は、なんで自分の書き込みが馬鹿にされるのかをいつか知ると思うよ あちゃー、客観的事実を突きつけられて発狂してる引きこもりがいるね >〇〇は面白いとされているけどつまらない 誰も書いてないことを捏造し、嘘の理由を作り上げ、その被害妄想を前提に風が吹けば桶屋が儲かると人格攻撃を書き綴るとはみっともないね 正にハイネの金魚の糞で、ジョン・バースの腰巾着、ジョン・クッツェーとママのスカートの中に隠れて威張る小物だな 羅列している名前の人たちは立派なのだろう。しかしコピペして悦に入るだけの君には何の価値もない 他人の受け売りを書き散らすだけの自分が偉いと勘違いしている中二病のお子様は なんで自分が馬鹿にされて笑われるのかを何時かではなくいま思い知らされたんだよ セルバンテスも有名人の名前を羅列した虚仮威しをドン・キホーテの冒頭で嘲笑している さあ現実と向き合えw ドン・キホーテは大層に語る価値はない これは否定しなくていいの? きみの尊敬するバースもクッツェーも創作姿勢の根幹としてドン・キホーテをそれは大層に語っている セルバンテスの序文をキンカギョクジョウの如く引用しておきながら、セルバンテスを讃える作家たちを尊敬するという で、ドン・キホーテは狂人のたわごと? もともと権威に弱いくせに、攻撃しているのは結局なんなのか? バースが、クッツェーが、数えきれない人びとが面白さを見いだしたドン・キホーテは、語る価値がないか? そんなにつまらない小説か? 序文だけを読んで、読まなくていいと判断していい小説か? 多分きみの人生において読む価値のない小説であろうことは否定しない 他人の人生に価値があるかは関係がない 君は今の時点で自分の人生に不要な小説と判断している、それは別にいいんでないの ただなぁ、やっぱり読む価値のある小説なんだよ なんでわざわざ語る価値のないと思う作家のスレに大層に語る価値がないとか書き込むのかなぁ 話は通じないだろうし、ずっと変わらないそういう人がずいぶんいるのはわかってるんだけど、なぁ ふわふわした言説、君は統合失調症の狂人かな? それとも自分には神様の声が聞こえるとか思い込みが激しい痛い人なのかな? いつもの被害妄想が爆発してるけど、盗聴されてるとか幻聴が聞こえるのかな? カッとなって書き込む前に、君は自分の恥ずかしいレスを声を出して読み返してみよう! >>529 >で、ドン・キホーテは狂人のたわごと? あの作品のテーマは根拠なき「理想」を掲げることは たとえ正義であっても狂気と紙一重になるということだろう まあ人間自体無根拠でその生にも大した意味はないけれど であるのなら人間の生は家畜のそれと変わらなくなる ドストエフスキーが これこそが人間の生であり人間そのものだ と激賞しているのはそういうことだと思うけど ドストエフスキーはセルバンテスに反駁する観念論者か 人生は暇つぶしであって、意味なんぞない それを『ドン・キホーテ』は描いた 将棋は生身の人間が1対1で間接的に相手の最重要物を奪い合おうとする競技だ。 同じ盤の上でも得意戦法や得意とする局面など各棋士の特徴や能力は様々に異なるからこそ、 有利不利が複雑に絡み合い、勝負の機微が生まれる。 それはすべて、「お互いの棋力をぶつけ合う」という前提あってこそである。 そこに電脳の力を持ち込むのは卑劣の一語でしかない。 しかし もともと電脳の力を使ってる説最濃厚だった者が 仲間たちと共謀し 嫌ってた棋士を陥れ社会的に抹殺しようとしたのは 「卑劣を通り越したゲロ以下の匂いのする 吐き気を催すような邪悪な行為」である!! もし三浦の扱いが変更され、記録の上では「ダークグレー」から「冤罪」に変わったとしても、 その騒動で受けたダメージや、当時の挑戦者変更で感じさせられた絶望感、その他すべてが きれいになくなってしまうわけではない。 また卑劣な手を使って(その時は)成功した側も、 すべてが白日の下に晒されたら、地位とタイトルと賞金を返せばいい、処分を受ければいい、というものでもない。 それこそ棋士としての、人間としての根底の部分が問われなければならない問題だ。 今回の騒動に関しては、三浦に関しては最終結果が出たわけだから 連盟は三文芝居な藤井フィーバーなんぞ工作してないで 即刻、渡辺明と久保利明そして島朗を永久追放処分にすべきである。 セルバンテスも有名人の名前を羅列した虚仮威しをドン・キホーテの冒頭で嘲笑している 冒頭すら読んでない奴、冒頭すら理解できなかった奴は現実と向き合え 嵐が丘 月と六ペンス 怒りの葡萄 あたりがお薦めだけど。 生まれ故郷を後にする ランサローテに いやまして 淑女らの下にも置かぬ歓待を 受けし騎士は よもやあるまじ 清らかな乙女ら 騎士にかしずき 麗しき姫たちは そのロシーノに……! これは騎士に叙任される旅籠で水商売の姉ちゃんたちに聞かせたランサローテのロマンセだ 水戸社だと「麗しき姫〜」が「老女(家令)みずから馬の世話をしたよ」になっていて、おそらくこちらが正しい (後編でサンチョが公爵家で同じロマンセを引用して老女に驢馬の世話をさせようとする) でも水戸社によるここの翻訳は説明調で詩的な良さに欠けてると思った >>551 これそもそも引用間違えていない? 誰の訳? 「水戸社」じゃなくて「水声社」の該当箇所も老女とかないな ちょっと、きちんとページ数とか明記してもらえる? 植田祐次が訳しているドンキホーテは何という出版社から出ているの? >>555 ちゃうで〜 >>554 ちょっと違うな 書き写してきたからちょいと待ってて 岩波文庫 前編 牛島信明訳 「生まれた故郷をあとにした時のドン・キホーテにいやまして 淑女らの下にも置かぬ歓待を受けし騎士はよもやあるまじ 清らかな乙女ら騎士にかしずき麗しき姫たちはその乗り馬(ロシーノ)に……」 岩波文庫 前編 注釈 ランサローテのロマンセ 「ブルターニュより出で来し時のランサローテにいやまして 淑女らの下にも置かぬ歓待を受けし騎士はよもやあるまじ……」 水声社 後編 P307 サンチョとドニャ・ロドリゲスのやりとりにて 「ブルターニュよりきたるとき乙女ら騎士にかしずけば老女は馬の世話を焼く」 彩流社 P59 「お上臈方にかく慇懃にかしずかれ冥加に付きる果報者ドン・キホーテをおいてあるまじ 故郷を離れてまかり越し乙女らの手厚い介抱乗馬には姫君方」 水声社 セルバンテス全集 ドン・キホーテ P49 「生まれ故郷をいでしわれドン・キホーテを婦人らは下へも置かずもてなして痒きところへ手が届く。 腰元われにかいがいし。姫君たちは馬の世話」 新潮社 P52 これだけ会話文と繋がってる 「ドン・キホーテにあやかりたや、と後の世は歌いましょうぞ。 かのランスロットのごとく、故郷より出で来りて、恭しき女衆に傅かれ、 芳しき淑女に甲斐甲斐しくもてなされ、いと高き姫君のお手に先の廃馬ロシナンテを委ねおいたり。 さよう、我が愛馬の名はロシナンテ、かく申すみどもはドン・キホーテ・デ・ラマンチャ。 お二人のために赫赫たる功をなせば(略」 他にも種類があったが、もういいだろう。めんどうくさいし・・・ 老女がどうのというのはサンチョが改変した方だけだったわ >>560 やっぱり引用思いっきり間違っているよね おかしいと思った 苦言を二点 まず指摘した通り551は引用が間違っていた(文脈から「ドン・キホーテ」が入っていないと意味が通じない) 水声社の引用も間違っていて、二章ではいもしない老女を持ち出している >でも水戸社によるここの翻訳は説明調で詩的な良さに欠けてると思った これは違うものを比較したでたらめな感想でしかない 拾い読みで比較するのは自由だけれども、他人に見せようとするなら最低限もう少し気を配りましょう この場面はドン・キホーテが騎士になって最初の冒険で、せっかく考え付いた「ドン・キホーテ」(ついでにロシナンテ)と名乗りたい けれど騎士は軽々しく名乗ってはいけない だからつい「ランスロットの有名な歌に当てはめて」自分の名前をうっかり伝えてしまった(という体をとる) 自分が思いついた名前を披露したくて仕方がないドンキホーテの名前が出てこない551はあからさまにおかしいし、552はほかの場面と勘違いしている、と思ったわけ なるほど、騎士道小説の熱烈なファンとしてロマンセの再現をしたり自身を重ねたいわけではなく、自己陶酔で自分をアピールしたいのね 第一章で一週間もかけて名前を考えて、高揚しているところから直結している場面なんだけどな こんな自分の好みにぴったりした名前を馬につけてみると、今度は自分自身にも名前をつけたくなって、その思いにふけっているうちに、さらに一週間を過ごしたが、 ついにみずから『ドン・キホーテ』と名乗ることになった。 この名前はさきに己れみずからをはじめ己が持ちものにつけた一切の名前と同じように、彼としては音楽的で、変っていて、しかも含蓄の深い名前であった。 物語はじまった冒頭なんだから、通り過ぎるのでなくてちゃんと文脈読まなきゃあ楽しめないと思うけれど、この面白さを全く理解しないで読み進めてもいいことない 涙ぐましい第一章の彼の苦労と対比して読まないとね 本屋とかで立ち読みしたのかと思うけれど、それはいいことなんだけれど、まずはしっかり腰を据えて「ドン・キホーテ」の面白さを読んでいくことがいいと思う ついでに言うと、二章の旅籠に付くまでの道でも、独り言を延々言っている こうやってわが成りたての冒険家は旅路をつづけながら、われとわが胸にひとりごとを言いつつ歩を進めて行った。 世にも名高き騎士ドン・キホーテ・デ・ラ・マンチャはものぐさの褥の羽毛を蹴りて、音に聞こえし乗馬なるロシナンテに打ちまたがり、名も古りたるモンティエールの野にぞさしかかる』と the famous knight Don Quixote of La Mancha, abandoning the downy bed of idleness, mounted his famous steed, Rocinante, and commenced to ride through the ancient and illustrious countryside of Montiel.’” 声に出して読みたい日本語、でなくて「自分の名前やロシナンテ」を口ずさみながら上機嫌で旅路を進むドン・キホーテ 原文で言うと famoso caballero don Quijote de la Mancha (名高き騎士のドン・キホーテ・デ・ラ・マンチャ) famoso caballo Rocinante(名高き騎馬のロシナンテ) ついつい、旅籠の人々に披露してみたくなってしまう可笑しみ ドン・キホーテが石を投げられて、大怪我をして、それを"愉快な話"として扱われてるのも、 彼が単なるコスプレオタクだからではなくて己惚れ屋だからか 七人のシェイクスピアとかいう漫画がなかなか面白いんだが セルバンテス本人も漫画にして面白そうな波乱万丈の人生だ ペルシーレスとシヒスムンダの冒険 (セルバンテス全集) ミゲル・デ セルバンテス (著), Miguel de Cervantes (原著), 荻内 勝之 (翻訳) 出版社: 水声社 (2017/12/22) 兄妹を名乗る美しい男女が数々の苦難に遭いながらも、極北の地から聖都ローマを目指す“魂の巡礼”の物語。 著者の死の四日前に完成した、全著作の最後を飾る一大冒険小説。 新訳か。 荻内勝之訳は国書刊行会の幻想文学大系でお世話になった。 贋作の魔法使いアルキーフェってアマディスシリーズかなにかの人物なんだろうか? フリストンと違って作中で全然説明されてないから謎すぎる わかった! 「ギリシャのドン・ベリアヌス」に出てくる魔法使いにして アマディスをサポートする女魔法使いウルガンダの旦那らしい>アルキーフェ ドンキホーテが中二病主人公として有名だけど ファウストも中二病主人公だよな むしろファウストのほうがメフィストを美少女や美少年にすればサブカルチャーとして親和性ありそう 哲学者ニーチェが後期の著作で、『ドン・キホーテ』を深さのある哲学的な考察を述べていた が、『ドン・キホーテ』はただの滑稽本ではないようだ。 >>577 何故だか手塚治虫がファウストに惹かれたしね ニーチェのドン・キホーテ評価聞きたいね マルクスが絶賛してたのは意外だった 8ヶ月も書き込みがないとはね 中途で放り出したままなので、そろそろ再開しようかな オルテガも評価しているし ナボコフもユーモアではなく人生の惨苦という側面で論じていたと記憶している この小説の登場人物皆饒舌な人ばかりだなあw 前編の後半の旅籠のエピソード,「愚かな物好きの話」を読むだけで どれぐらい時間がかかるんだろう >>34 スペイン語で韻を踏んでいる所を,日本語+スペイン語で 韻を踏ませている所かな? 牛島訳で「由良之助」(歌舞伎の仮名手本忠臣蔵)「鹿島立」とあえて江戸時代の言葉遣って訳してる所後半にあったよね その事かな 荒唐無稽を現実に持ち込むコメディとしての前篇と狂気ではありながら現実に違いないものを荒唐無稽を愛するという建前の下に愚弄し続けるもう一つの狂気を攻撃するサタイアとしての後篇 読者に対して現実とは何か、と問い続ける大傑作 後編のドン・キホーテは狂ってるんじゃなくて狂ったふりをしている ように思うことがあるなあ あと,公爵夫妻は酷すぎる >>591 正義を追求、履行しようとする事自体が狂気だと作者は訴えたかった と解釈した。 ドン・キホーテなりに世の中の不正を正そうとしたんだろうけど, 思い込みで行動したあげく逆に迷惑になってるところが悲しい 後編のどこをどう読んだら正義の追求は狂気みたいなしょうもない解釈が出てくるの?謎 岩波文庫版後編(二)の表紙は(二)に含まれない挿絵が表紙に使われている 小舟の冒険の挿絵とか,サンチョがドン・キホーテから祝福を受ける挿絵とか 使えばよかったのに >>34 後編で「~あるよ」と,中国人みたいな言い方してるところがあったな 一冊11000円で前後編二冊で22000円の辞書みたいなドン・キホーテを本屋で見かけたけど、スゴく欲しくなった ドンキは未読だけど、この本の訳文はマトモですか >>600 値段だけ言われても… (まぁイスパニヤ語が全く判らない俺ではどうにもならんが) 会田訳は本文は読みやすいんだが詩が古語を使うから何言ってるのか分からん 本田訳のラ・ガラテアも詩が古語つかうから意味が入ってこない 翻訳者は海外詩の翻訳で古語使うのいい加減やめてくれないかな 誰もが古文読めると思ったら大きな間違いだぞ >>602 オレもまだ前編しか読んでないけど 少なくとも前編はそんな大した小説じゃないと思った 話の語りが一本調子で抑揚がない さっき死ぬほどボコボコにされたばかりなのにまたボコられての繰り返しで時間の流れがわからん なぜこんな書き方をするのか? 有名な作品だからきっと意図があるのだろうと思ってたけどガラテア読んで分かった 単純にセルバンテスが小説書くの下手くそなだけだわ >>603 でも原典も古語で書かれてる箇所なんじゃないの。それを現代語で訳すのは悪しき迎合なのでは >>606 ありがとう。ますます欲しくなりました。値段が値段だけに買う決心がつくかどうか >>606 の解説で訳者に永田寛定が挙げられてないのが悲しい… ハックルベリー・フィンの冒険に,ドン・キホーテ後編のライオンの冒険を思わせる 描写があったw ハックの頭の上にあった(パンの上の)バターが解けてきて, 「脳が溶けてきた」とか言われてるシーン 岩波文庫第4巻で中断して8年経つが、最近ようやく再開した ドンキホーテホールディングスの前社長が、不正に自社株の購入を勧めた金融商品取引法違反の疑いが固まったとして、 東京地検特捜部は、3日にも前社長を逮捕する方針を固めた。 ドンキホーテの前社長は、ドンキホーテとユニー・ファミリーマートホールディングスの間で実施されたTOB (株式公開買い付け)をめぐり、公表前の2018年9月、 知人に電話で複数回「ドンキの株を買えよ」と伝えるなどし、自社株の購入を勧めたという。 公表後、ドンキの株価は上昇し、株を購入した知人らが利益を得ていた。 証券等監視委員会が関係先を強制調査していて、特捜部は、前社長の行為は、金融商品取引法で禁じられている 「取引推奨」にあたるとみて、複数回任意聴取したが、前社長は「自分は関係ない」などと否認していたという。 特捜部は、容疑が固まったとして、前社長を3日にも逮捕する方針。 http://news.yahoo.co.jp/articles/27a23798476c4bf75295333ac3b2932067e24888 >>602 世界一というのは過大評価だね 数百年経っているから、骨董品としての価値が上乗せされている 「世界初のメタフィクション(多分)」だから世界一の小説と称えられるのかも ドン・キホーテが面白いからオリジナルの騎士道小説を読みたくなってティランロブランを買ってきた。これも楽しみだ アマディス・デ・ガウラを読みたいけど二冊で15000円程は高いなあ ティラン・ロ・ブラン読み終わった 延々と続くセリフに最初はうんざりしたけど途中からその理屈っぽさが無力に思えてきた 戦の場面と宮廷の場面とバランスがほどよかった。解説で荒唐無稽にみえる場面にも根拠となる出来事が資料で確認できるとあって驚いた ドン・キホーテ読む前に読んで良かった 再開して1年経つが、まだ5巻目の真ん中だ 読了まで相当時間がかかりそうだ セレスティーナは面白かった。人物が生々しい。スペインではドン・キホーテ、ドンファンと並んで有名だとか スペインの小説は日本で読まれてないよな。もっと流行れよ ラサリーリョ・デ・トルメスの生涯読了。古い小説なのに複雑な性格が描かれていておもしろかった ドン・キホーテにも影響があるんだってね ■『アリオスト 狂えるオルランド 新装版 上』 ■『アリオスト 狂えるオルランド 新装版 下』 【著者】ルドヴィコ・アリオスト 著 / 脇功 訳 【発行】名古屋大学出版会 【予価】各6,600円(税込み)※予価の為、価格変更の場合がございます。 【発送時期】2022/05/上旬 波瀾万丈、奇想天外、痛快無比! 本書は、爛熟するルネッサンスの想像力が生んだ驚嘆の一大「ベストセラー」 作品であり、悲劇的でありつつもコミカルで、抒情的でありながらも勇壮な -すべての要素をまとめ上げ、当時のヨーロッパ文学を完成の極致にまで高め た- めくるめく恋と冒険の物語である。 「アリオストの叙事詩は、あらゆる種類の、多様で、豊かな美に満ちており、 全編をすっかり読み終えたあと、またすぐに読み返したいと思うほどだ」 (ヴォルテール) 狂えるオルランド復刊いいね。オクで3万円超えて売りに出してるヤツがいて閉口してた ドンキホーテ自身は決して弱くないし、馬も駄馬ってレベルじゃなくてかなり高性能やが、そもそも生命じゃないものと戦ってボコられるのがめちゃめちゃ好き 狂えるオルランド買ってきた。読みごたえありそう。楽しみだ 志摩スペイン村にいってきたらドン・キホーテとサンチョがいっぱいで楽しかった。真面目にスペインを研究する博物館や映画も見られてスペイン好きドン・キホーテ好きなら一度は行くべき アマディス・デ・ガウラを読み始めたがおもしろい。ティラン・ロ・ブランよりファンタジー色が強い感じ。読んでいて楽しい。 国立西洋美術館のスペイン展で、ドン・キホーテ特集が設けられてるぞ なんかさ、笑わなきゃってプレッシャー感じることあるよね? 大正天皇 御大典記念 大正四年 初版 ◇ ドン・キホーテ 上下巻 ◇ ミゲル・デ・セルバンテス著 島村抱月・片上伸譯 植竹書院出版 サイズ:約23.5cm×約16.5cm read.cgi ver 07.5.0 2024/04/24 Walang Kapalit ★ | Donguri System Team 5ちゃんねる