ドン・デリーロ Don DeLillo
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ドン・デリーロ(Don DeLillo, 1936年11月20日 - ) Americana (1971) End Zone (1972) Great Jones Street (1973) Ratner's Star (1976) Players (1977) Running Dog (1978) Amazons (1980) The Names (1982) White Noise (1985) (『ホワイト・ノイズ』森川展男訳 集英社、1993) The Day Room olay (1986) (『白い部屋 デイルーム』吉田美枝訳 白水社、1991) Libra (1988) (『リブラ 時の秤』真野明裕訳 文藝春秋、1991) Mao II (1991) (『マオ2』渡辺克昭訳 本の友社、2000) Underworld (1997) (『アンダーワールド』上岡伸雄・高吉一郎訳 文藝春秋、2002) The Body Artist (2001) (『ボディ・アーティスト』上岡伸雄訳 新潮社、2002) Cosmopolis (2003) (『コズモポリス』上岡伸雄訳、新潮社、2004) Falling Man (2007) (『墜ちてゆく男』上岡伸雄訳、新潮社、2009) Point Omega (2010) 前スレ 現代アメリカ文学最大『アンダーワールド』 http://logsoku.com/thread/kamome.2ch.net/book/1029133601/ 確かにフランスの哲学者アランはバルザックとディケンズだけを繰り返し読んだらしい さすがに俺はもっと多くの作家に興味があるので、いろいろ読んでいて、再読までできない でもアランの読書法には憧れる それをくさす輩は下品極まりない 大昔に業績を残した人の方法論やエピソードに憧れて、全く環境も生活条件も異なる現在の自分だけの貴重な人生を食い潰す馬鹿はどこにでもいる これも一種の現実逃避ですな >>353 そんなに仕事、業績、年収が大事かね? お前とは価値観が違うから、どうせ議論しても無益だろう でもな、一回きりの人生なんだから、自分の好きなことを楽しむに限るぞ 世間体や周りの評価なんぞ虚しいだけだ 話し相手は匿名掲示板で煽ってくる人しかいない一回きりの人生か 「世間体や周りの評価なんぞ虚しいだけ」←こういう「いわゆるアーティスティック」なことを言う人は今の時代どこにでもいるけど(陽キャのヤンキーでも言っていそう)、この価値観の基にあるのはやることをやって成功した人たちだから ゴミがそのスタイルや姿勢、言葉だけ真似しても何にもならんよ(後世に名を残しているような過去の芸術家、文学者、ミュージシャン) 形だけ猿真似するしか能がないイナゴがいるから文学のような幻想も成り立つわけだが >>354 お前の書き込みをまとめると、 「もう若くはないから、世間や周りと無益な議論を交わすつもりはなく、仕事や収入を今更顧みても無駄なので、amazonレビューで読んだ本についてどんどんネタバレを書いていくぞ」 となる ただの廃人じゃん 同じ本100回読んだというやつ、どうせ星の王子様とかだろという気がする そうじゃなくても単純計算で何時間かかるんだよ せやな 他人を軽薄な精神性などと罵りながら数で自己主張しているアホでっせ 100回読もうが読むまいが、そんな年中暇そうな無能に対する周りから見た価値は一緒 ただの自己満や 新訳ホワイトノイズ 読みやすい。いい意味で肩透かしを食らった ただ解説で他の作品のネタバレをするのはいただけない どうも墜落男は人気ないようだなあ 面白いとおもうんだけどなあ 芭蕉の句の使い方なんかちょっとパズル的だけどチャンとハマってるし 落としたところがおかしな鳥ってところもニクい ニナのキャラともしっかり重なってるものなあ キースとフローレンスの初対面のシーンも あの小さなビスケットの不味さが 不必要に湿潤な口中に広がって苦しいくらいなのだけれど止められない 水の浸透力や温度や重さ、さらには親和力のようなものが 暗喩として二人の経験の中で機能してしまっているのだから仕方がないなあ そもそも壊れていたり壊れかけていることが人間関係の常態ではあるけれど そこにこの惨事でマイナスかけるマイナスになっていくのだろうか 事件から時間的にも空間的にも遠く離れた人間の心にも 十分に大きな何かを轟くように伝えてくれる小説だったなあ 外部と内部 他者と自己 無名性と固有性 暴力と癒し そしてこういった二項対立を宙吊りにしているものとは何なんだろう 永遠の問題にあらためて向き合わなければならない時というのはある ものを考えるには孤独はありがたい状態なんだなあ ということで墜落男はおしまい 次は誰かが推してくれていた白い部屋デイルームを読んでみようかな 演劇にはとんと疎いのだが たまにこういう戯曲を読むと これってセリフの言い方で大分話が違ってくるなあとか思って けっこう楽しく読めた 瞑想なのか妄想なのかよく分からないが バッジのtai chiで始まり終わる デリーロらしく形がきちんとしていて後味がいい あんた誰?ってのを役者は延々問われ続けなければならないのだが どこか洞窟のアレゴリーめいてくるところがデリーロなのかなあ ということでデイルームは終了 来来週はボディアーティストでもよもうかな お好きな方、よかったらご一緒に どうも俳句が好きみたいね、デリーロさんは 発句、といってもいいような蜘蛛からはじまる そうか、三番目の奥さんがボディアーチストなわけね こりゃ面白そうだな ボディーペインティングのことか。 あまりセクシーな人はやらんわなw まあ、お能だよなあ そして自分は何から出来てるのかってのを考えると 大体こんな風になって行くんかな 精神と肉体の二元論で考えた場合 鍛えりゃなんとかなると思いがちな肉体も 死という絶対的な掟があるからには精神以上にママならないわけで そうなると精神の方の働き掛けで注釈に奔るという ものすごく大昔からの話に帰着するしかないんだろうなあ ミスタータトル、なんだかよく分からんかったなあ 色即是空空即是色とかいってお茶を濁してボディアーチストは終了藁 素っ裸だが全然エロくないのがボディアート。 身体が良過ぎて、どうしてもエロになる女体の人はやってはいけないw つまみ食い的にポイントオメガ うーん、ますます俳句っぽくなっていくデリーロさんなのであったw←藁(^_-) サイコは好きな映画だけど この小説だけならいいとして ダグラス・ゴードンの24 hourを見てしまったら たぶんもう同じようには見れなくなるんだろうなあ この小説自体は十分に面白かったので 娘はいったいどこ行っちまったんだとか、そもそもあんた誰よとか そーゆーことは忘れてエゴのその先へと思いを馳せましょう サイレンスも読んでみたが まあ、淡々と進むしかないわなあ なにが起こったか分らないんだから いろいろと想像することはできるだろうが 互いにコンセンサスのとれた形の反応などしようがない めいめい仮説を立て というか妄想だろうが謬見だろうが何でもいいのだが とりあえずのフレームを作ってその中に自分を置いてみるしかないのだ そうした上での感情であり交感であり理解なのだ って普通に生きてるってことじゃんw 電気があろうがなかろうが昔からそうだったし 今後もそんな感じなんだろうなあ 米オハイオ州で化学物質を載せた120両の列車が脱線事故で大炎上して有毒物質が蔓延 『ホワイト・ノイズ』そっくりの状況で驚いた 5chですら誰にも相手されないゴミ 子供のときから皆に嫌われてたんだろうな ドストエフスキーの真夜中 雪の降り積もる冬期休暇中の大学図書館 アイダホに行ってしまう女の子もいいし 論理学の先生の癖の書き方とかも笑える アオハルだけどもっとアオよりのアオハル とっても咽喉越しがいいのであった まる ガリガリ女 ブロンクスのその先まで行く ふたりだけの女子トイレに入ってきた3人目って あれはいったい誰だったんだろうか 白さだけが記憶に残る しかし青山真治はすでにこの世になく デリーロのおっさんはまだ死なずに頑張ってるというのも なんだか不思議な感じではある おわり ゼロ・K 6月下旬発売 水声社 水声社はアマゾンで販売してないのか いいことだ コーマックマッカーシー 亡くなってしまいましたね、、、、 ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています
read.cgi ver 07.5.4 2024/05/19 Walang Kapalit ★ | Donguri System Team 5ちゃんねる