【天才】丹生谷貴志【にぶにゃん】
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単著 光の国 あるいはvoyage en vain 朝日出版社 1984年 天使と増殖 Ding an sich 朝日出版社 1985年(週刊本) 砂漠の小舟 筑摩書房(水星文庫) 1987年 死体は窓から投げ捨てよ 河出書房新社 1996年 ドゥルーズ・映画・フーコー 青土社 1996年 死者の挨拶で夜がはじまる 河出書房新社 1999年 天皇と倒錯 現代文学と共同体 青土社 1999年 女と男と帝国 グローバリゼーション下の哲学・芸術 青土社 2000年 家事と城砦 河出書房新社 2001年 三島由紀夫とフーコー〈不在〉の思考 青土社 2004年 共著 (四方田犬彦、松浦寿輝、柳瀬尚紀) 吉田健一頌 書肆風の薔薇 1990年 翻訳 原子と分身 ジル・ドゥルーズ 原田佳彦共訳 哲学書房 1986 自由の新たな空間 闘争機械 フェリックス・ガタリ、アントニオ・ネグリ 朝日出版社 1986 イタリア絵画史 ロベルト・ロンギ(it:Roberto Longhi) 和田忠彦・柱本元彦共訳 筑摩書房 1997 「……」(三点リーダー)を指して、蓮實重彦の川上未映子に告げて曰く。 「あれが許されるのは、歌謡曲の世界でしょう。あとは丹生谷貴志さんくらい。」 『WASEDA BUNGAKU FreePaper』vol.022_2011_spring p.6 1951 川村湊 高橋源一郎 1952 渡部直己 若島正 1953 四方田犬彦 井口時男 1954 丹生谷貴志 松浦寿輝 清水良典 1956 斎藤美奈子 1957 富岡幸一郎 90年代は輝いていた。あの不思議と説得的な文章に魅せられたなぁ〜 まだ隠居には早すぎるよ、にぶやん! >>19 東大での講演の趣旨で「現在刊行準備中の仕事」とあるね。 ひさびさ、新刊が出るのかぁ〜 というオメデタイ話題と講演の成功を願ってageるね。 映画芸術に掲載されてた蓮實重彦論みたいな文章が面白かった。 >>17 tttというのは2ch住人だそうだ。昔やたらしつこく絡まれた覚えがあるが、あいつだったか。 中沢に「ニブヤ君は早く狂っちゃえばいいのに」とか言われてた。 2011年9月1日(木)〜9月5日(月) 江戸糸あやつり人形座 創立7周年記念特別公演 『アルトー24時』 脚色・構成・演出:芥正彦 人形演出・結城一糸 原作脚本:鈴木創士 http://www.red-theater.net/article/14015287.html ttt消えたか、それはよかったことだ。あれはホークスは見てない、とか宣言していたほどの偽物だったからな。 tttが作成した丹生谷書誌、ところどろこ見落としがある 335 名前:名無しさん@お腹いっぱい。(チベット自治区) :2011/07/04(月) 11:02:39.76 ID:22rnq+MN0 たまされるなよ! 松本の発言なんてたいした問題じゃない。 こっちのニュース隠すための演出なんだから。 【政治】菅首相の資金管理団体、北の拉致容疑者親族所属政治団体から派生した政治団体「政権交代をめざす市民の会」に6250万円献金★24 http://raicho.2ch.net/test/read.cgi/newsplus/1309732853/ 政府に怒りをぶつけるならこっちの話題をもっともちあげろ! じゃあ補足 ●「空虚な現前の思考者 ブランショと「無神論」」、『ユリイカ』1985年4月号「特集=モーリス・ブランショ」 →改題「モネの花畑のように」、『砂漠の小船』所収 ●「恋する身体 2 映し身の都市」、感覚地理研究会『感覚地理の発想』、リブロポート、1990 →改題「ミシェル・フーコーと恋する身体」『女と男の帝国』所収 ●「ロラン・バルトと終わりのなき倦怠」、鈴村和成『現代思想の冒険者たち バルト テクストの快楽』付録、講談社、1996 →加筆して『女と男の帝国』所収 ●「砂浜の上に消えてゆく肖像」、ミシェル・フーコー『マネの絵画』、筑摩書房、2006 >>27 あれはtttではなかったか。まぁ微妙なやつだったよな。読まずに語る、ということを公言してて、あくまで書誌的情報ぐらいしか提示する事ができない奴だったからな。 奴が凄いとか言っているブログ見たがまぁ確かにボルヒェルトとか読んでるのは面白いとおもったが褒めるほどではない。 ●「小ささについて」、『d/sign 季刊デザイン』no.14「特集=小さな画面のデザイン」 @livre_a_venir 【書誌メモ】丹生谷貴志「敗走者の生と真理──大岡昇平をめぐって」、 『外国学研究』79号(「文化交流の視点からの「近代」再検討」)、神戸市外国語大学、2011年3月。 きょうのUTCP講演のきっかけとなった論考。青土社近刊の単行本に収録予定。 http://bit.ly/lienhn 約11時間前 webから 「野生の激怒」、『現代思想』1999年3月号、『ルネ・シャール全詩集』広告特設ページ(?) 〈真理〉への勇気 現代作家たちの闘いの轟き 丹生谷 貴志 著 201109刊/四六判/288頁 C1010 定価2520 円(本体2400 円) ISBN978-4-7917-6626-0 これがわれわれの希望でなければならない あらゆる人間的なものに激怒する 「天使」 たちと、望みなく敗走する者たち 、社会に内属できず 《外》 に生きる者たちのコンパッション。イーストウッ ドの 「陥没」、タランティーノの 「絶望」、大岡昇平の 「敗北」、フーコ ーの 「肉」 と 「真理」・・・・・・。世界とその崩壊の緩衝地帯に世界を生成す る線を引き続ける作家たちの営みを闘いとして肯定し、新たな 「生」 として 轟かせる闘争宣言。長篇書き下ろし論考収録。 何この盛り上がりのなさ、ageるぞなうエブリバディ 『死者の挨拶で夜がはじまる』を、どうしても新品で手に入れたいよう 川上 三点リーダ問題ですね。今は句点をみっつ、というのもありますが。。。 どちらも使うと雰囲気が出るんですよね……(笑)。 蓮實 その雰囲気は、散文のものではないんです。あれが許されるのは歌謡曲の世界でしょう。あとは丹生谷貴志さんくらい。 新刊出たのに寂しいスレ・・・ 読んだ猛者はおらんのかっ! 新刊出たのに寂しいスレ・・・ 読んだ猛者はおらんのかっ! 郊外造成地 イーストウッド ゴダール フーコー どうせそんな感じ tttって現代思想界の小谷野敦だな ゴシップとポジショントークしか語れない在野 しかし小説で芥川賞候補になったのには驚いた・・・ にぶやんも、小説書いてみたら? 案外ハマる予感。 「宗教音楽の異端児現る!」 文化祭の出し物の提案を、みんな面倒くさがっていたところに買って出た、 普段寡黙でにこにこして席に座っている彼の、思いがけない一面と演奏の素晴らしさに、 クラス全員がひっくり返って驚き、白け世代が慌てて書いた、 本気のキャッチコピーだ。 昭高祭2年G組の出物「丹生谷貴志、シタール演奏」 twitterキタ━━━━━(゚∀゚)━━━━━!!!!! 時代が変わったせいか、典型的なサブカル野郎に見える もし丹生谷を「サブカル野郎」に分類するなら 「典型」ではなく「究極」だろうよ 9.11はともかく3.11を超えられなかった、 いや3.11後を生き延びられなかった書き手 という評価に後々なりそうな感じ 唐突だが映画監督としては黒沢清あたりもそう 例えば今『死者の挨拶で夜がはじまる』とか『死体は窓から投げ捨てよ』とか読むと なんだか鼻白むというか、呑気というか、長閑ささえ覚える まだあの頃は曲がりなりにも幸福な時代だったんだなぁ・・・という望郷めいた嘆息が漏れてくる サブカルだと軽過ぎるから カウンターカルチャーと云って欲しいw 今から翻訳本の『映画を見に行く…』を読む 訳注を下段に設えた段組みがありがたい 丹生谷はカウンターカルチャー全盛期は何も書いていない カウンターの黄昏に飛ぶフクロウ 2ちゃんでサブカルチャーって云ってる奴は大体この言葉の意味が判ってない サブカルチャーってのは君らが好きなエロゲイの事だよ 東の守備範囲であって丹生谷が扱った事はない 丹生谷がやってるのはハイ・カルチャー(哲学や文学) また20世紀には映画がハイ・カルチャーの仲間入りを果たした 丹生谷はダーガーがあれば凡百のアーテイストはイラネと言っている これは>>73 がいうエロゲと近い作品だから、丹生谷はサブカル好き 元々シネフィルでもない イーストウッドが好きなだけ 哲学者については語るが哲学については語らない。 問題の周囲を旋回しているだけに見える。 悪くいえば、誰がどう言ったとか、誰と誰が親しいとか、そんな話ばかりのゴシップ屋。 ツイッター読んでそんな判断してやるなよw 著書ならともかくw 誰もツイッターでなんか本気モードの思想・哲学的考察なんか書かないだろw 最近のツイッターじゃ、浅田さんが電話を掛けてきたとか、柄谷さんが酒の席でどうだったとか、交友自慢みたいになってきた。 フーコーの図書館でのエピソードも何度も聞いたみんなが話している有名な話。何回同じ話をするんだっていう。 ツイッターはどうでもいいが光の国と砂漠の小舟復刊してくれ 出来れば文庫で ちくま文庫か平凡社ライブラリーあたり頼む 誰かツイッターで直接言えよw>光の国と砂漠の小舟復刊 死んだら忘れら去られるタイプだから、何か賞でも貰わない限り復刊はありえないのでは? 丹生谷のツイッターの面白さをみると あの……文体は失敗だったな やっぱり丹生谷は頭一つも二つも抜けてるな。 浅田もいるが書かないからな。 この二人は東世代(笑)とは格が違うわ。 ダーガー褒めてるけど、退屈さを恐れずアホみたいに延々と 物語を書き続けた同世代の栗本薫とかをどう思ってるんだろうね お話に全然興味はないけど、そういう存在がいたことにゾッとはする nibuya ?@cbfn 僕はいわゆる「サブカル」にさほど興味がない。理由は簡単で、僕はそれが 生成される現場の近くに居過ぎて(?)飽き果ててしまっているから・・・など と言えば顰蹙を買うだろうが。ともかく僕はそこに「周知のもの」ばかりを見 出す。良くも悪くも。 >>98 俺もそれは気になったw 「サブカル」がすでに死語なんだよなと思って。 ツイッターを読んでいると時々寂しくなる。 10年くらい前まではそれなりに時代と向き合ってたと思うんだが なんかいろんなものに背向けて閉じこもっちゃってるよなあ 3.11がまるでなかったかのように思考することがむしろ誠実とでも思ってるんだろうか 阪神大震災の直後、神戸の丹生谷さん、地震のことを知ってるのかな、ってギャグで友人達と笑った。 ……と書いてたのは澤野雅樹だっけか。 その後、丹生谷貴志が発表したのが「男が気を失うといふこと」とかの題で、相変らずだった、とのオチつき。 ましてや地元でもない東北の災害など、無かったも同然さ。 まあそれなりの人ではあるのだろう。だが、で? 感があることも確かか。 >>102 阪神大震災には何度か批評で触れてるけどね。 死体は窓から〜や死者の挨拶は〜で。 自分を襲った事件ですら、どこかひとごとみたいな書き振り。 離人症的デタッチメントが丹生谷の持ち味だろ。 何度も断ってるけど 自分のためのメモにすぎないんだったらホントにメモ帳に書いとけばいいのに わざわざツィッターに晒すってことは構ってほしいんだろうね あとはまぁ営業だな 俺を忘れないでくれ!っていう そもそも新刊が出てもろくに反応がないのが丹生谷の行き詰まりを表してるよ ある時期までは丹生谷なりに「時代と添い寝」すらしていて「順風満帆」でさえあったけど やっぱりある時代(00年代〜10年代)の決定的変化を超えられなかったんだと思うよ つまり丹生谷の言ってる(書いてる)ことが今ではどうしようもなく鈍感かつ古く、説得力が感じられなくなってしまった 丹生谷の文章って どんなに新しいことを書いていても 既視感があるよな。 以前のように読みたいと思わなくなった。 ほんとに不毛だ。不毛や反復そのものにすら 価値が無くなった不毛な反復。 >>107 その「決定的変化」って何さ? 何が変ったの。 >>102 これだな。 丹生谷貴志「男が気絶するということ」『新潮』一九九五年四月号「大震災――文学者の体験と考察」 http://ci.nii.ac.jp/naid/40001921768 >>109 ごくごく簡単に一言でいうと 「終わりなき日常」が終わったんだよ そのエポックメイキングが9.11と3.11であることは間違いない その間に格差社会の到来、リーマンショックによる金融資本主義の崩壊、グローバリズムの進展と頓挫(現在進行中)があった それらが暴いたことは「終わりなき日常」なんてのはまやかしだったということ ある特殊な前提や体制によって成り立っていたにすぎない上に、 それらの前提や体制を忘れることによって成り立っていただけのまったく呑気な幻想にすぎなかったということ しかし「終わりなき日常」が「絶望」の代名詞でさえあったとはな もちろんその前段階にオウムや阪神大震災、酒鬼薔薇事件とかもあったけど 日本人の多くは何ら覚醒することなくむしろこの後しばらく(少なくとも9.11までは)「終わりなき日常」は強化されさえした そして丹生谷の言説の多くが 「終わりなき日常」の退屈の上に成り立っていた その退屈をどう耐え、退屈の狂気をどう生きるか それが丹生谷の一大テーマだと言っていい しかし「終わりなき日常」は9.11によって終わり始め3.11によって完全に終わった だから丹生谷の言説に説得力がなくなり、彼の書く機会や媒体は徐々に減っていった むろん丹生谷自身は以上の自覚はあるに違いない しかし彼は3.11などなかったかのごとくに(内に篭り)それが彼の「思考の誠実」であるかのごとくに振舞う 「終わりなき日常」の終わりなど到来しなかったかのごとく、「終わりなき日常」は今だ尚も続いてるようにして書く でなければ丹生谷のこれまで書いてきたことがそれこそ無に帰しかねないからだ 「終わりなき日常」の御加護によってしか書けないからだ しかしツイッターなぞやりだして「世間との係わり」を求め、更に以上のようなポーズを取り続けるのは実に滑稽だ ちなみにいわゆるハイカルチャーに取り組んでいようが、サブカルチャーに取り組んでいようが、根本的な問題から目を逸らし回避し続ければそれはすべて「サブカル」だ >>111 >9.11によって終わり始め3.11によって完全に終わった この辺に全くリアリティを感じられない。 >その間に格差社会の到来、リーマンショックによる金融資本主義の崩壊、グローバリズムの進展と頓挫(現在進行中)があった こんな小見出しみたいな事柄を並べられても、これらによって「退屈」が喝破されたようなことはついに一度もないと思う。 情況と日常を果たして同一平面上で語るべきかということも気になる。 「文学的」な言説空間を信じすぎてるんじゃないの? 「根本的な問題」なんてあるのかね? まあたしかに「知識人」は「根本的な問題」やらと向き合わなければならないかもしれない。 でも「根本的な問題」と向き合う「知識人」はいつの時代にもいただろうし、 あんたの関心が変わったからいまそこから目を背けられないってだけなんじゃないのって思う。 丹生谷スレじゃなくて丹生谷を読んできたんだよ 断続的とはいえ『砂漠の小舟』からな 残念ながら『光の国』は未読だが でも俺はおまえみたいな単なる丹生谷ヲタではないからさ まぁ本人と同じように丹生谷の中に篭ってりゃいい >>113 その辺に全くリアリティを感じられないところが正に盲目 まさに丹生谷ヲタ それ以前の「旧時代の文学空間」の中に微睡んでる証よ 丹生谷自身も度々曖昧に否定的に(いや俺はそうじゃない、的に)言及してるけど こうやって丹生谷本人を見ても読者(数人のサンプルだけだが)を見ても やっぱりなんだかんだで丹生谷も「ポストモダン」の人なんだってつくづく思い入るわ まぁ今更だが >>114-116 何も言ってないに等しいような… まあとにかく中年のおっさんが息巻いてることだけは分かったよ。 長年生きてると色んなことをメルクマールとしたくなるんだろうね。 「世界」規模の出来事の渦中にいる一員としてせいぜい頑張って下さいよ。 まぁ中年といっても30代半ばだけどね 自分は丹生谷の他にその真逆と言ってもいい西部邁の断続的な読者だったけど 丹生谷がこうなるのは十分予想の範囲内だったので別に失望の程度も大したものじゃない でも西部に対するガッカリ感はハンパないな ここまで耄碌するものかと(というよりは元から「そういう人」だったのかも知れない) 西部は真正保守を長年自称してきたけどその「保守思想」は いつからか「何を保守すべきか」の核心がすっぽり抜け落ちて 「保守」の概念を弄り回すばかりの保守フェティシズムに堕していたから それは00年代半ばあたりから徐々に見えてきていて俺も疑問を感じていたが3.11以降完全に露呈した 彼は保守思想家(≠右翼)として「サヨク」と共に単なる「反左翼」をよく批判していたけど いつの間にか御自身が単なる反左翼の似非保守のサヨク(≒耄碌爺の右翼)になってしまった 9.11から3.11に至る中で それまで「ポストモダン」と「リアリズム」なる装いによって様々なものが覆い隠していた現実が露呈したにもかかわらず それでもなお「前時代の文学空間」の(価値観の)中に微睡み(「既得権」へしがみつき)続けてるという意味では 西部と丹生谷は同じ空気を深く吸い込んでると言っても過言ではない ではこのへんでノシ >>118 >様々なものが覆い隠していた現実が露呈した とか大上段に構えて言ってるけどさ、 いつだってそれが隠れてなんかいないと思っている奴は居るし 現実的な闘争を仕掛けていた連中は居るはずだよ。 それを「9.11から3.11に至る中で」見えてきたとしたいのなら、 結局あんたの怠慢なんだよ。 あるいは同時代的な言説に同調したいだけ、というか。 >>119 まるでアンタには「それ以前からすべて見えていた」とでも言いたげだねw すごいね そしてそれでいながらも丹生谷もアンタも前時代の空気のなかに今だなんとか微睡み続けたいようだ なら何も文句は言わん ご自由に そうそう、自由に微苦笑させてもらうよw まあテクストおたくの末路みたいなのは感じるにぶやん いつまでもポモやってる場合じゃないみたいのはそれこそ80年代末期のチェルノブイリ事故からの反原発ブームの頃から言われてたわけだし、いくらなんでも 歴史認識が雑過ぎるわ 何で西部邁が出てくるのかも意味不明 ttps://twitter.com/fjmt033/status/229992929077379073 「××は終った」。 これがどれだけ陳腐な紋切型で、退屈や面倒をご破算願って終らせたい欲望の現れでしかないか。 少なくとも蓮實重彦『物語批判序説』第二部を読んだことがあれば、軽々にそんなセリフは吐けなくなる筈。 とはいえ「××は終った」式のレトリックが陳腐なのは 蓮實を参照せずとも明らか。 ただし「××は終った」式のレトリックは、 そう述べることで逆説的に「xx」の延命装置になる っていうところが重要な論点。 蓮實は何が来ても「第二帝政」ですます 丹生谷は何が来ても「造成地が…」ですます >>129 これはいくらなんでもヒドいw >>118 以上の紋切型だろ。 「そう述べることで逆説的に」←但し書きであれ、 レトリックにレトリックで返すしかできないような馬鹿に名前を出されたら いくらなんでも今のハスミンがかわいそう。 >>132 終末論的なレトリックの構造の 意味がまったくわかってないようだな。 もう出てこなくていいよ。 やっぱり特定の作家に心酔して依拠しちゃうと こういう恥を晒すことになるんだよな しかも自覚がないのが痛すぎる 特定の作家って誰のこった? どちらにせよ、>>111 は自覚の無い恥さらしではある。 俺はまず「構造の意味」とやらがどういうものなのか知りたいですw 終末論が全く有効でないことが明らかなときに あえて「終末論的なレトリック」などというものを持ち出して 誰かを揶揄したところで同じ穴の狢でしかないわなw 猿真似も状況を見てやらんことにはサマになりませんぜ。 すまん。 「終末論的なレトリックの構造」などというものを暴露して、だね。 ××は終った、××は古い、で先導車に乗ったつもりになれるんだから楽なもんよな。 >>141 そういう発想のやつも、結局は「新しいと言われているけど古い」みたいな裏返しにしかならない あとは永遠を気取るか 丹生谷が期待しとるってことはそれに近い連中も期待し、俺も期待しとるから、それで十分さ。 ハスミン最後の大仕事だもんね。 あと一章でしょたしか。 蓮實から出た人には 吉田健一好きが結構いるが 丹生谷の視点が一番面白いと思う ツイッターで毎日作り話を書いてるけど、彼は作家に向いている。 最新の作り話の主人公もおそらくアンドレ・マルローのことだろうし。 なんか病的なものを感じるんだよなあ。 手の込んだ在野差別。 ホラ吹いてまでやることかねw マルローに匹敵する大著を書いてみればいいだろう。 丹生谷も在野みたいなものだが教師で給料もらってるからな ユリイカとかあんな雑誌のエッセイも「業績」になるの? いや、大学の教員紹介サイトの業績欄で全部「業績」として挙げられていたので驚いたのです。 しかも、他にアカデミックな論文は無さそうだった。 あと分野にもよるでしょう マンガあたりはユリイカと学会の区別がつかない アニメだって研究可能じゃね そういうところに嘲笑のポイントはないな いや、いや、大学紀要にアニメ絵は無いし、彼はアニメについては語らないでしょ。 アニメ絵の雑誌にフーコーについて書いてそれが業績になるのが面白いだけ。批判じゃない。 20年前はユリイカだけじゃなく、あの手の雑誌でアニメ絵はなかったような気がするが… アニメ絵はアニメ雑誌だけ。アニメージュとか。 良くも悪くも特殊な趣味人だけが近づくものだった。 そうなの?じゃ30年前にはもうダメだったんだ。 吉岡実なんかが投稿していた権威ある雑誌らしいが。 「吉岡実なんかが投稿していた権威ある雑誌らしいが」って言いまわし味わい深いな ある種の文芸趣味がクズだとわかるな 吉岡実好きのアニオタとか多そうだけど ttp://twitter.com/#!/fjmt033 >>171 こんなところで宣伝するな、ブサイクナルシスト野郎 http://twitter.com/cbfn/status/253431574375329793 nibuya@cbfn 作家としての彼は・・・大作家かどうかはこれから読み返すしかないが長篇『ガン病棟』『煉獄の中で』等を読む限り、 ロシア文学の正統を継いだ堂々とした閨秀作家であることは間違いないだろう。 もしもし? 閨秀作家って「女流」の意味ですが。アレクサンドル・ソルジェニーツィンは男ですよね? 桂冠詩人を小説家で言うとそうなるぐらいのショボイ連想かな こいつのシモンやベケットに対する思い込みが気持ち悪い シモンはフランスの核実験を擁護した保守だろ 自分に対する引導として ノーベル賞を拒否しなかったってアホか シモンやベケットは貧乏だからノーベル賞の賞金で助かった? 石川淳、大岡昇平、吉田健一贔屓 丹生谷と丸谷才一の共通点 丹生谷の一風変わった三島へのこだわり方は異様なものがある やはりプロでも言葉を間違えることはあるわけだなあ、ネットだといろいろ書けてしまうからな。 丹生谷『砂漠の小舟』所収の三島由紀夫論は、世にごまんとある三島論の中で一番面白かったなあ。 三島由紀夫本文に即くとそんなでもないんだけどね。 語弊はあるだろうが ツイッター見てると丹生谷はロマンチストなんだなぁとしみじみ思う ニューアカ世代なんだけど 自分がニューアカであることへの嫌悪と ニューアカに汚されてない70年代への憧れ バルトの『零度のエクリチュール』(1953) ドゥルーズの『ヒューム』(1953) フーコーの『狂気の歴史』(1955)のように 『丹生谷貴志』(1954)も作品である… つい最近この人の存在を知った20代後半ですが、この人は有名なの? 25年前は新進気鋭だった 15年ぐらい同じ事しか言ってない 内田樹はレヴィナスを有名にしたけど 何人の自分の読者をレヴィナスの著作に 向かわせたんだろうね まあつっこまれたのは消したツイートで言及した箇所ではないわけだが。 この人は一時、松浦ヒサキのライバルとして有名だった 内田樹がレヴィナスを有名にしたとは知らなかった。 それはそうと、丹生谷はテレビが無いとかポーズで書いてるけど、以前はテレビっ子で一日中付けっぱなしだと書いていたよね。 BSの美術番組がどうのこうのとかエッセイで書いていたはず。 朝ナマで憲法の話題が出たときはタイムリーに憲法に触れてたぞ。 どう見てもポーズです。 この人、家族はいないの? なんか悲惨な老後を想像してしまう。 もう読者もほとんどいないし。 作家にも学会にも読書界にも影響力は皆無。 団地か公務員住宅か知らないが、そんな貧乏くさい場所で超絶ポーズ取られてもなあ… 世間や時代から超絶sたポーズ取りつつツイッターで必死に営業w トランセンデンタリズムっぽいから超絶でも間違ってない 松浦寿輝と丹生谷貴志なぜ差が付いたか 慢心、環境の違い 丹生谷がここ10年くらいですっかり衰えてしまったのは確かでも 松浦なんてちっとも良いとは思わんね 凡俗の高踏だよありゃ 丹生谷が衰えた分、松浦ではなく、 佐々木中が丹生谷のポジションを獲得しつつある。 これに対して山中教授はにこやかな笑顔で「そういうことはできません。貴重なものなので」。きっぱり断った後、 「ノーベル賞はこれで私にとって過去のことになりました。大切な場所に保管してもう見ることもないと思います。 一科学者としてこれから、すべきことを粛々とやっていきたい」と語った。 90年代の丹生谷はドゥルーズ・フーコーだけど 80年代の丹生谷は分析哲学の方にも行けたかもしれない なぜ自転車ロードレース選手しかフォローしていないのかな。 そこにちょっとだけ尊大さを感じてしまう。 >まあ、扱われる作品が如何にもという顔ぶれなのはともかく、相変わらずの勉強ぶり、手つきの鮮やかさに感嘆。大学での講義ノートの詳細化なのかな。だとすれば面白い講義をしてるのだろうな、という感じ >新著といっても昨年か、の評判悪しと言ってもあれは大学の授業のメモだろうしそれとしてみれば立派なものだ ID検索で気づいたんだけど、 この人にツイッターでやや粘着してるオバさんいるよね 全著作集めるくらい好きだけど、「もちろん」「言うまでもなく」「つまらない思いつき」 といった言い回しを駆使しながら本当にしょうもないことを呟くのはさすがにどうかと…。 1954年 堀井雄二 松任谷由実 松浦寿輝 ジャッキー・チェン 大友克洋 マイケル・ムーア スティーブン・ピンカー 安倍晋三 カズオ・イシグロ 金原瑞人 古舘伊知郎 片岡鶴太郎 自己主張が気持ち悪いんですよ。しつこいHしそうですよね。 ツイッターでの旺盛(?)な書き込みを「健在ぶり」とみるか「痛々しい」ととるか・・・ >行くのやめました。 堀越は軍国主義者だったったってっいう断定を回避して堀タツヲと堀越を繋げる意義がわからんから観にいかなくていいよ 要するにヂブリ先生は特殊な天才だから原作小説をなんか凄い読めたんでしょう 厭味はともかく派手に惜しい 子供向けを意識して無難にまとめたのかもしれないけどでも子供騙しは軍国主義の始まりだし 油漏れが気に入ならいのならホンダかヤマハへ乗ればよい >>240 本人の口ぶりから判断すると、国産はないと思うよ。BMは高速がラクだとか。 油漏れは原因が製造工程に遡ぼるので販売店が「治す」ってっのは不可能なので 、分解して部品を取り替えて今度は漏れませんようにのように販売店と客は神様仏様に祈るしかない 空冷はーバーヒートしやすい→熱歪が派手に起こしやすいってのもあるわな nibuya @cbfn 10月10日 ヴィスコンティ、ロッセリーニ、フェリーニ亡き後のイタリア映画の異様な凋落・・・ 丹生谷にとってはオルミもスコラもベロッキオも存在してないのか エルマンノ・オルミ(Ermanno Olmi, 1931年7月24日 - ) http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%A8%E3%83%AB%E3%83%9E%E3%83%B3%E3%83%8E%E3%83%BB%E3%82%AA%E3%83%AB%E3%83%9F マルコ・ベロッキオ(Marco Bellocchio、1939年11月9日 - ) http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%9E%E3%83%AB%E3%82%B3%E3%83%BB%E3%83%99%E3%83%AD%E3%83%83%E3%82%AD%E3%82%AA エットーレ・スコラ(Ettore Scola、1931年5月10日 トレヴィーコ - ) http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%A8%E3%83%83%E3%83%88%E3%83%BC%E3%83%AC%E3%83%BB%E3%82%B9%E3%82%B3%E3%83%A9 1970年代終わりから1980年代半ばにかけて、イタリア映画界は長い停滞期に陥った。 この時期、「アート・フィルム」と呼ばれる作品は高い評価を得ていたが、イタリア映画界の中では主流から孤立した存在となっていった。 1980年代終わり以降、新しい世代の映画監督たちがイタリア映画の復興に一役買っている。 1990年、ジュゼッペ・トルナトーレの『ニュー・シネマ・パラダイス』が第63回アカデミー賞でアカデミー外国語映画賞を受賞。 1998年にはロベルト・ベニーニの『ライフ・イズ・ビューティフル』が第71回アカデミー賞でアカデミー外国語映画賞、主演男優賞、 第51回カンヌ国際映画祭でも審査員特別グランプリを受賞し、イタリア映画の復活は確実なものとなった。 2001年にはナンニ・モレッティの『息子の部屋』が第54回カンヌ国際映画祭でパルム・ドールを受賞した。 その他の目立った作品にはロベルト・ファエンツァの『鯨の中のヨナ』(1993年)、フランチェスカ・アルキブージの『かぼちゃ大王』(1993年)、 エルマンノ・オルミの『ジョヴァンニ』(2001年)、マルコ・ベロッキオの『母の微笑』(2002年)、 ジャンニ・アメリオの『小さな旅人』(1992年)や『家の鍵』(2004年)、フェルザン・オズペテクの『向かいの窓』(2003)、 クリスチナ・コメンチーニの『心の中の獣』などがある。 244の続き)オッサンはオイルシール(の劣化)のことを言ってるのかもしれない 文系だからサービスマンの説明を正確に聞き取る必要がないから聞き取れなかったとか サービスマン側もの説明を正確な説明を必要を感じなかったので正確な説明をしなかったとか 無頼気取っているうちにただの爺さんになってしまったな 何も知らないし言うことも繰り返しだ 本当にシリンダーヘッドガスケットが切れるのが想定の範囲内なら60年前のレベルに戻ったことになる 見てないんじゃなく、オルミもベロッキオもスコラも明らかにどうでもいいんじゃないかオッサンは。その意味で、存在してない。 フェリーニなんて81/2以降は微妙だけどなー オルミが出てきた時期は日本ではちょうどパゾリーニが持ち上げられていて あまり目立たなかったけど上手い 結局そこかと思うと感慨深いものがあるっていうか機械は単純化しやすいのでつきあいやすい(笑) 千葉雅也 Masaya CHIBA @masayachiba 7時間 @cbfn 丹生谷さん、はじめまして、千葉です。拙著には、「造成居住区の午後」の影響下で構想されている側面があります。ご笑覧いただけましたら幸いです。 小林 政広(1954年1月6日 - ) 大場 正明(1957年 -) 伊藤 俊治(1953年6月26日 - ) 湯浅 学(1957年1月4日 - ) 坪内 祐三(1958年5月8日 - ) 根本 敬(1958年6月28日 - ) 《私は二度と国へは帰らない。帰っても何にもない、あるのはただ父と母の墓ばかりだと告げた時、(略)お嬢さんは泣きました。私は話して好い事をしたと思いました。私は嬉しかったのです。》 《私は妻には何にも知らせたくないのです。妻が己れの過去に対してもつ記憶を、なるべく純白に保存しておいてやりたい》 たぶん夏目が書きながら設定を忘れたんじゃなくてメトル前/後の違いだと思います(フェニミストには面白くない話) 読書感想文の宿題を書くことがなくて困ってる人(中学生とか)は盗っていいよ(著作権フリー) 多崎を読んだ後にハピョウしよう思てた発見(笑)なのだが多崎を当分読なそうだから(笑) 中島 らも(1952年4月3日 - 2004年7月26日) 氷室 冴子(1957年1月11日 - 2008年6月6日) 見沢 知廉(1959年8月23日 - 2005年9月7日) このオッサンがどんな仕事をした人なのかを(笑)まったく関心なかった @麻生 太郎(1940年9月20日 - ) A小泉 純一郎(1942年1月8日 - ) B野田 佳彦(1957年5月20日 - ) C菅 義偉(1948年12月6日 - ) D橋下 徹(1969年6月29日 - ) E鳩山 由紀夫(1947年2月11日 - ) F菅 直人(1946年10月10日 - ) G石原 慎太郎(1932年9月30日 - ) H石破 茂(1957年2月4日 - ) I小沢 一郎(1942年5月24日 - ) J岸 信介(1896年11月13日 - 1987年8月7日) K岸田 文雄(1957年7月29日 – ) L福田 康夫(1936年7月16日 - ) M甘利 明(1949年8月27日 - ) N小野寺 五典(1960年5月5日 - ) Oバラク・フセイン・オバマ・ジュニア(1961年8月4日 - ) P安倍 昭恵(1962年6月10日 - ) Q朴 槿惠(パク・クネ、1952年2月2日 - ) Rウラジーミル・ウラジーミロヴィチ・プーチン(1952年10月7日 - ) カレン・カーペンター(1950年3月2日 - 1983年2月4日) 米原 万里(1950年4月29日 - 2006年5月25日) 鈴置 洋孝(1950年3月6日 - 2006年8月6日) イヴ・セジウィック(1950年5月2日 - 2009年4月12日) 森田 芳光(1950年1月25日 - 2011年12月20日) 今日も三島とか言ってしまうのだが「「仙洞御所」序文」でも読んどけ 文学青年調を採用する必然がないのに文学青年調を採用するのが石原の特徴じょないか(論拠なし) 東大で出でないことにコンプレックスが垣間見えるな。 芸大という普通の受験生がおよそ受けない、正体不明の大学出である(が故にどことも比較できない)ことで精神の均衡を保っているようだ。 nibuya @cbfn 19 時間 僕自身ハイデガーが凄いと思った事が全くない、 のはともかく例えばフーコーがトラック何台分 もノートを取ったという伝説は本当だとして、 フーコーにとってハイデガーは「診断対象」で あったに「過ぎなかった」のではないかと思っ ています。少なくともそれだけの意味はある哲 学者以上でも以下でもなく。 この人はやっぱ文学の人だよね 思想的ではなく感覚に頼る人 ハスミンやニブヤンを読んでる奴らは たいてい政治音痴のノンポリだよなあ 都知事選の投票率を見ると雪の影響が大きかったとはいえ 棄権組が圧倒的マジョリティを成している。 文学ヲタもそういうマジョリティを構成するだけの役立たずだ 特に若者で投票に行った人間はマイノリティで 宇都宮に入れた人間はマイノリティの中のマイノリティ。 映画監督には政治性を持った人間はいるが シネフィルには圧倒的にノンポリが多い それは映画というメディアが快楽主義を培養する 現実逃避のための装置になっているからではないか そんなやつ少ないだろ その定義だと「俺の好きな形で政治をやってないやつはファシズム予備軍だ」となるぞ 左翼にありがち シュミット『政治的ロマン主義』 ttp://www.msz.co.jp/book/detail/08353.html 「ロマン的なるもののすべては他のさまざまの非ロマン的なエネルギー に仕え、定義や決断に超然としているというその態度は一転して、 他者の力、他者の決断に屈従的にかしずくことになるのである。」 モラトリアム ピーターパン・シンドローム でもあるわな 丹生谷本人がどうこうとはともかく、なんでシュミットの政治ロマン主義上げてるんだよ 本当に読んでるのか? シュミットが批判してたのはフランス革命に熱狂しあたかも政治的言説を吹聴しながらも実際に政治の役職についてみると何も出来なかったという 後期ドイツロマン主義者の醜態だろ 現在の日本で言えばこれみよがしに自分は政治に参加してます、という身ぶりを掲げてそれっぽいパフォーマンスに終始してる人文系の連中 例えば佐々木とか國分なんかにあてはまりこそはすれ 丹生谷には関わらないだろ その二種類わける必要ないだろ 丹生谷全然たいしたことない >>295 いや丹生谷たいしたことなくてもいいけどノンポリ=政治的ロマン主義ってのは端的に間違いでしょ? わける必要がないって何見て言ってんの君 え?佐々木中世代と丹生谷の二種類の区別のこと そこが端的に間違い 要するにフランス思想をネタにした放談という意味で、 そいつら同等だから 佐々木はどうなのか知らんが 丹生谷の下地のほんの一部だぞ「おふらんす」は? ろくに知りもせずにそういう風に考えちゃうところが「おふらんす」に対するコンプレックスを感じさせますなぁ コンプに還元しちゃだめでしょ イタリアとかインドとか言いたいんだろうけどさ シュミットの政治的ロマン主義には ノンポリもリベサヨもネトウヨもすべて含まれる 丹生谷しかり佐々木しかり 丹生谷みたいなのしか読んでないと政治音痴になる 政治的ロマン主義者というのは優柔不断で決断できない奴だよ そういう輩は権力に屈従していくだけ シュミットの思想は右翼だけでなく左翼にも使われてるが アガンベンやネグリなどのイタリア思想に濃く引き継がれている イタリア思想をかじらないとだめだ どうせ政治って大西巨人すげーとかそんなんだろ 文学の世界の話なんだから シュミットは例の「決断主義」以降雑過ぎる解釈をされることが多過ぎて可哀想 「政治的ロマン主義」は今やネットで読めるのでインテリの皆さんは原文読んだ上で議論しましょう https://archive.org/details/politischeroman00schmgoog シュミットは著作権切れてないのに可哀想 まず法律を学ぶことから始めましょう 蓮實重彦:で、小林秀雄あたりからそれがおかしくなってきている。やっぱり小 林秀雄ってのは頭がよすぎて、そんなことを考えてたらば、早晩なんにも書く ことがなくなるということがかなり若いときからわかっていたんでしょう ここで政治がどうの言ってる奴は、 小林秀雄じゃなくて彼より評論で上位に立った宮本顕治を嫁と言いたいのでは 政治を語れない批評家はもちろん駄目なんだが どうも批評家は一度政治を語り始めるとそっちのほうばかりに傾き 他方の政治に見向きもしない批評家はいつまでたっても内に篭ってる あの人を思い浮かべながらそう思う しかし、あべ内閣は本当にだめ内閣になってきてるなあ こうさ>そくていごさ でなければ合否判定ができない 惰性でこのスレッドへ貼っただけでニベア先生へ当てこすりを言いたいではないよ >これで自分の幼時の記憶と思っていたものがほぼ消滅したことになる。 ある意味、快感でしょ? 快に感じなければ江藤ような終わり方になってしまう(釈迦に説法) 快に感じなければ江藤淳ような終わり方になってしまう(釈迦に説法) 江藤のエッセイからも「「本当の私」などありはしない」て定型句が見つか るけど江藤にとって言うは易く行うは難しだったらーしー。 前衛志向にある私が・・・」とか言ってる奴はバカだと思います(同調) 丹生谷先生はビミシンボとか1フロアーとか読まないで下さい(期待) Philosophy is the study of general and fundamental problems, such as those connected with reality, existence, knowledge, values, reason, mind, and language. Literature, in its broadest sense, is any written work; etymologically the term derives from Latin literatura/litteratura "writing formed with letters", although some definitions include spoken or sung texts. Art is a diverse range of human activities and the products of those activities; this article focuses primarily on the visual arts, which includes the creation of images or objects in fields including painting, sculpture, printmaking, photography, and other visual media. An author is broadly defined as "the person who originated or gave existence to anything" and whose authorship determines responsibility for what was created. www.kawade.co.jp/news/2014/05/-201411.html 「むさし野夫人」へ当時の文壇(古語)は失敗判定をして書いた人も認とめてなかったっけ? 。チキリンが5人いたり田島正樹が貴人扱いな世界では無知からしか始まれない いまのにぶやんもちょっと気持ち悪いから復帰してほしい 田島正樹先生は貴人枠でもいいや そこだけ訂正してお詫び申うし上げます フランス小説のモノマネならもっといいのがあるんじゃないか?(そぼくなぎもん) というかドイツ語読めないのにボルヘスの受け売りでハイデガーが悪文だと断定するのは普通に駄目だと思う 読めないってのは翻訳できるほどはできないという意味だと理解していたが 基地つながりの思いつき) 右側は三笠(イギリス製だけど)を飾ってるのに左側は砂川闘争を希少な勝利例と してモニュメント化しないのはなぜなんだせ? 全学連の手柄は中核派にとってアレ(うまい台詞を思い浮かばない)だからとか? twitter.com/gryphonjapan/status/470207457319329794 投稿者は終戦の年を戦後の数え方で6歳だから受け売りを実体験として語ること が求められるまた許される下限だな(日本語変) 乗り物に関する△△は▽▽でなければいけないみたいな美意識を一切持ってないわー などと還暦教授をイライラさせてみる。 fumin-iwatch.cocolog-nifty.com/blog/2014/05/post-2360.html そこらのミリオタより詳しい(笑) 自衛隊つう巨大組織の中で飛行器の運転がうますぎると却って自衛隊つう巨大組織の中で器用貧乏的に終 わらされてしまうかもしれない。 形から入ることになっている趣味(魚釣りがそうなのだが)に形から入りたい 気がしないのだが世の中にはプライド賭けて金掛ける人もいるらしいので数十 萬円の釣竿とか用意されているらしい。 他人のことだからよくわからんけどこう言っただけでプライド賭けて金掛ける 人はイライラさせられるのでしょうか。 twitter.com/eguchi2014/status/471550063856979968 全然簡単すぎて中卒脳(脳卒中と似ているけど違う)には理解できない。 そのeguchi2014先生(%%)の過去ツイートを遡ると人それぞれな香山憎悪を 軸にしてオッサン達が団結するとあっちの対応は決まっている(意味不明)の でぼ僕は香山憎悪を表へ出さないことにしている件について語ってしまうので 香山憎悪を表へ出したのと同じになってしまうのでそのeguchi2014先生(%%) の過去ツイートを遡らないことにする。 永井均先生は香山リカとかそれから川上未映子とかが好きみたいだし(ぼ僕はご両 人とも1寸アレです) 因みに多くの人々の烈憎激怒を買ってるらしい上野チヅ子がどんなデタラメを言っても僕くは脅か されたような気にならない。 鬱屈したアンチフェミって馬鹿の典型だから注意な 二度と書き込むなうぜえ オギウエチキ氏の脳内残像を脳内検索してみるけど何も出てこない(苦笑) チキ氏は昔は肩書きは「ブロガー」だったように記憶している(違っ たら御免な)今はとてもリアルが充実してるみたいなのでおめでとうござ いますとしか言いようがない どこかのBMWオーナーズクラブへ入会してサーキット走行会へ参加して安全 に時速二五〇キロmで疾走してみるとか。 それも金と時間の掛かるわりにすぐに飽きそうではある。 全裸で近所の小学校へ侵入して捕まってみるとか(こっちを先に言えばよかった) 【線で結ぶ問題】 柄谷 のりお 中村 よしお 永山 みつお ひきこもり30代後半で童貞で低収入イラストレーターやってるバカ発見。 足立区に住んでいるそうだ http://inumenken.blog.jp/archives/6580395.html d.hatena.ne.jp/desdel/20080328 ニベア先生と仲悪そう(仲悪くないな らないでいいですけど) 雑誌の中の人は大学の中の人の文章が欲しい。し、大学の中の人は雑誌の中の人と の繋がりを続けたいし。で無理をして疲れているのかもしれない(無職の空想) 忙しい大学教授が暇なフリーライターへ名義貸しするのが一般的になれば(それで実害無いし)みん な幸せになれるのとちがうか(無職の空想) そういうのは銭の配分で揉めるからやらないのかもしれない(労働経験からの類推) 顕名の仕事が認められないと満たされない。そういう自尊心の問題な 職人気質にとっちゃそこはどうでもいいのだが(もしかしたらここから哲学が 始まれるのかも。だけど面倒だからここで考えるのをやめてしまう) 顕名の人が無名の人の仕事を見ての感動を記したものは僕くの知るはツゲ義春とか坂口安 吾とかにある(それらも「風景の発見」なのだが) 猫飛ニャン助 @suga94491396 3.11以降の戦犯が吉増剛造(文化功労者)であることは先週土曜カフェラバ ンデリアのイベントで指摘したが、より根源悪は松浦寿輝(紫綬褒章)だろ う。松井らの師・ハスミは勲章拒否である。『ボヴァリー』だってうんざり で読むの躊躇するが、『明治の表象空間』まったく読む気にならない所以。 猫飛ニャン助 @suga94491396 7 時間 @suga94491396 松浦は若い時、川村二郎を揶揄して川村湊とどう違うかと言 ったか(それなりに的確な評)、近年(二郎晩年)では、川村二郎は日本の ジュネーブ学派だとか言ってもちあげていた。過去を知らぬふりしての、露 骨な擦り寄りが、紫綬褒章への道だろう。 スガは丸っきりの馬鹿でもないが、鋭さに欠ける。 東大出て、東大教授にまでなってれば、勲2等以上は 間違いない? 東大学長まで行けば、勲1等確実。 日本の勲章制度は官僚のために出来たんだから、 私学出身で私学教員のスガが妬んでもしょうがないw まったく、スガスガシクないw ↑これ、何を言いたいのか分からん。ニブさしか感じられない。 蓮実は勲章もらってないということだろう ↑常識ないね。 旧帝大の学長は確実に勲一等はもらえることになってるんだよ。 678 名前:考える名無しさん :2014/07/02(水) 02:05:44.05 0 nibuya @cbfn · 13 時間 メイヤスーなんて、パンク気取りのエコール・ノルマル・エリートの御用達思想家みたいな人、そのうち翻訳攻勢がかかるのか、翻訳なんて業績にも換算してくれない手間仕事、もう誰もやらないか。 679 名前:考える名無しさん :2014/07/02(水) 02:35:09.27 0 それ気になったけどスルーしてた 丹生谷はちょっと老害化しつつある 実感で物を語るところが良さだったが、年取って爺さんになってしまったか メイヤスーつながりで言えば、マラルメ・プロジェクトって、 渡辺守章が言い出しっぺで、それに浅田彰は付き合わされてる だけだろ。 twitter.com/yamtom/status/485086295790592000 [語り部」つう社会的成功者の地位に就けれる戦争被害者は極小水着もとい極小数で すけん。 中年期の川端康成(1つの例)なら「そこで文学ですよ」のような能天気なことを言っただろ う(論証なし)と思うたので文学板に書き込んでみました。 >>371 >>373 『ボヴァリー夫人』を最後まで読めば、蓮実は多分叙勲しないだろうというのは明らか >>379 売れないと分かってる本を無理矢理出版するのも、 虚栄においては叙勲と変わらない。 「彼は最近、勲章をもらった」(『ボヴァリー夫人』の最後の文) にぶやんの嫌いなもの 若手ブランショ研究者 メイヤスー katomasa00 @katomasa00 36秒 現代思想のグノーシス主義特集199202読んでたら。丹生谷 貴志の『「老い」 のグノーシス』というのがムカついた。こういう適当な事書くのムカつくわ。ドゥルーズとかフーコーとか研究してて、何でもかんでもそっちに引っ張ってく批評みたいな文章うんざりや死ねや。ヘーゲルの芸術論と一緒や。 1930年 ジャン=リュック・ゴダール 1931年 磯崎新 1932年 江藤淳 1933年 今上天皇 1934年 筒井康隆 1935年 大江健三郎 1936年 蓮實重彦 1937年 古井由吉 1938年 中平卓馬 1939年 フランシス・フォード・コッポラ >保坂和志の新著 威勢よく村上春樹の悪口を言ってからピンポイント共感芸をやって下さい。 漫画(家)ができることは多いけど主語を省いて語学派の人々をイラつかせ る芸当は小説(家)だけできた 例えば「伊豆の踊子」をキャラクター漫画へ書き換えてみるテストの場合の障 壁 「不自由感を実感できないので自由になろうとする足掻くを理解できない」っ てっ話なら理解できる。 私くしの鑑定に拠れば村上春樹 も 不自由感を実感していなさそう(そこが先 の二人と区別されるところなので春樹へノーベル賞はないと思われる) つうか基幹ストーリーの有無を問題にしていると仕事なくなるのとちがうか(苦笑) twitter.com/makotoaida/status/543250408194338816 切り取り固定欲が起こってから撮る人のよう。 古谷利裕のあれはなー(笑)見慣れてしまいたくないとだけ言っておこう(笑) twitter.com/ven12665/status/543342885177798656 専門学校より安いBMWっていうと二輪の単気筒モデル? あれ(どれでしょうか)は石原慎太郎批判かもしれない。 生麦事件ってっ西暦何年だっけ?みたいな質問は還暦教授に訊くよりそこらの受験 生に訊いたほうがいいの? やがて、不眠のおもたくのしかかる夜が訪れる。よく僕は夜半に窓をあけて 、凍えきった闇のいろを見た。かすかな星かげの下に、物象が身をこわばらし て佇んでいるのが認められた。 闇の濃さ冷たさも、僕にとつて似つかはしいものではなかつたか。さうした夜に は、生きてゐるものが好んで死んだふりをするし、また死んだものがよく生き てゐるふりをするのだ。 ……ひどく広々とした荒れ果てた野であつた。おぼつかない光が空に漂い、森に続いてゐる そりゃ医薬品医学工学(デパスとか)が発達したら文学(古語)は衰退するわな(憎まれ口) にぶやんついに、ドゥルーズは自分にとって美学に関する以外用なし。ときた。 キミフサの物体創造力がこくにとってたいして面白くないのでそのくどい物体描 写のところでふと我に返るのだった。 真宗は位牌を用いない。ただし高田派を除く。のような仏教知識をゥィックペディァか ら学んだ(現代人)。 派手に燃える貸し家へ119番も架けんとバケツへ汲んだ水をかけていた当時若かった当時一緒に住んでいた叔父は46歳で死んだの が20年前なのだった(私事) iup.2ch-library.com/i/i1413788-1428215603.jpg iup.2ch-library.com/i/i1413786-1428215547.jpg iup.2ch-library.com/i/i1413785-1428215468.jpg 葬儀屋に見えるわー(笑う) 東京農工大学の前身校の校長&教師がこの威厳なら帝國大學レベルは甲冑とか着ていたのでしょうか(歴史相談) twitter.com/atsukotamada/status/584958075691343872 時給800円をやっていれば空気になれるっていう甘い幻想を砕いた,乳バン ド見せるハラスメントこく事務員みたいな役割の御婦人が。 uproda11.2ch-library.com/e/e00111840-1431008880.jpg うえのはつのやこおれぇしゃおりたときから、(歌詞) nibuya 仕事柄?「入試問題に関わる機関はツウィッター等自粛を」という暗黙の了解で。まあ、いろいろ。 相変わらず意味なく不意に、フーコーの『狂気の歴史』原書やらがもっといい印字で出ればと、 妙な予感で、調べるとプレイアード叢書にフーコーが全2巻で近々出るのを発見。注文。今更ですがね 2015年10月22日 nibuya ニュースやら事件やら、しかし例えばフランスやイギリスの二倍の人口を持つ日本が 何か人口五十万人程度の町か市のようにしか感じられないのは自分の神経の鈍化なのか・・・何が多様性か。 とまあ、もうほとんど老人の繰り言。余談、フォークナーの登場人物が『ジル・ブラース』を読んでるのを見つける。 2015年10月28日 大江健三郎「懐かしい年への手紙」を読む! http://pocoapoco.way-nifty.com/mamego/2014/09/post-9709.html p.77「なにもかもがなくなってしまうよりは、苦しくてもまだ!」 「雨の木を聴く女たち」p.42のフォークナー「between grief and nothing, man will take grief always」 p.369「「ジル・ブラース」」ル・サージュ、ジル・ブラース物語? ...between grief and nothing, man will take grief always. http://oyatsu-nikki.blogspot.jp/2013/09/between-grief-and-nothing-man-will-take.html ...悲嘆と無であれば、ひとは常に悲嘆を選ぶ. フォークナーがVirginia大学で講義した際の発言で,野生の棕櫚の結びにもほぼ同じ文章がある、、と『雨の樹を聴く女たち』にあった。 The Adventures of Gil Blas Paperback - April 28, 2009 by Alain Rene Le Sage (Author) Read Faulkner's A Fable pp.48 - 50 to see the significance of this book. ハンナ・アーレント フォークナーの“A Fable(寓話)”が知覚の鋭さと明晰さの点でほとんどすべての第一次大戦文学を凌駕しているのは、 その主人公が無名戦士だからである。(『人間の条件』第5章活動 注5) https://fr.wikipedia.org/wiki/Cl%C3%A9mence_Ramnoux Clémence Ramnoux Bibliographie[modifier | modifier le code] Signature de Clémence Ramnoux, vers 1972 Héraclite, ou l'Homme entre les mots et les choses, Paris, Les Belles Lettres, 1959; réédition 1968. La Nuit et les enfants de la Nuit dans la tradition grecque, Paris, Flammarion, 1959, 275 p. ; réédition collection Champs, 1994. Mythologie, ou la Famille olympienne, Paris, Armand Colin, 1962. Études présocratiques, Paris, Klincsieck, 1970. Sur un monothéisme grec. 1984 Parménide et ses successeurs immédiats, Monaco, éditions du Rocher, 1979, 180 p. ; réédition 1991. Études présocratiques II, suivi de Études mythologiques, ou De la légende à la sagesse, Paris, Klincksieck, 1983. Le Grand Roi d'Irlande, Céret, L'Aphélie, 1991, 241 p. ニブヤンの若手への皮肉ツィートまとめ誰かやらないか まさに老害 若いころは年長者を皮肉ってた つまりただの俺様 私以外私じゃないの(通常盤) Single, Maxi ゲスの極み乙女。 CD (2015/4/22) エピローグ 単行本 - 2015/9/17 円城 塔 (著) 小川一水 「いま読め」ではちょっと動く気になれないが、 円城さんの「エピローグ」の帯にあった「僕たちはあらゆるものを失うことができる。」はちょっと来る言い回しだったし、 開けて読んだら本当にどんどん何もかもなくしていって、最後は誰が何を失ってるのかもわからなくなるような本だったので帯効果ある。 2015年10月22日 nibuya 周囲に「私は私以外の私じゃない」とか「僕たちはあらゆるものを失うことができる」といったキャッチ文字が読まれ、 誰もが分かるようにこれは「ぼんやりした独我論」の縁での典型的な発話で、 しかしここには徹底されない独我論の脆弱さが含まれていて、最悪、簡単に攻撃性に転化される不安の匂いもして 2015年11月23日 「ぼんやりした独裁」 nibuya 生涯全くに近く「小説」を読まなない者はいて、それに対して1日数冊読むなんて者もいる訳だが、 では後者より前者の方が「小説を読んでいない」という断言はできない。 脳は間断なく「造話」することを止めない以上、前者が生の全細部を「小説を読むように」読んでいると推定することは容易だから。 2015年12月6日 シネマキネマ 丹生谷貴志さんが『シネ砦』に寄せているイーストウッド論と 夏におこなった金井美恵子さんの文庫についてのインタビューは わしの中で 響きあうものがある・・・ 強く印象に残る取材、丹生谷先生、ありがとうございました。 https://soundcloud.com/sixty-fortyyy 2015年12月31日 nibuya どうでもいい話、ここ数十年、本気で笑う人というのを見ていない気がする。バタイユのどうのなんて話じゃない。 何かしれない薄ら笑いやら嘲笑の陰りを宿した笑はいくらでもあるが、本当に笑う者・・・まあ、自分の世界限定の話に過ぎないのでしょう・・・ 2016年1月15日 本気で笑う人をここ数十年見たことがないと語るなら、その前に 自分がここ数十年本気で笑ったことがあるのかないのか書くべきじゃないのかと 思うけどね nibuya バルトークがベニー・グッドマンとシゲティに献呈した『コントラスツ』の彼ら自身による三重奏・・・アメリカ亡命直後の1941年の録音。素晴らしい。 2016年1月20日 大江の芥川賞当たり年とか庄司の芥川賞当たり年とかを調べたい場合にぐーぐるの ではなく川端全集を拡げるのだった(石器時代)。 (427の続き) 半世紀離れてそうな印象だが11年しか離れていない(苦笑) キリスト教においてその中核をなす「言葉が肉になる」という問題は「現代思想」においても同 様に中心的な問題をなしてきた――二〇一一年刊行の丹生谷貴志『<真理>への勇気』(青土社) はこのことに改めてはっきり気づかせてくれる。 廣瀬 純『暴力階級とは何か――情勢下の政治哲学2011-2015』(航思社)168 あなたは40代ロサンゼルス府警作りですか?ドーハの悲劇「横浜衝撃イヤフォン」「横浜悪夢イヤフォン」ですか? それともいくつですか?huluさん? それともいくつですか?huluさん? それともいくつですか?huluさん? nibuya 余談。現象学的還元によってまっさきに還元されてしかるべき饒舌によって現象学的還元が語られるという居心地の悪さ・・・ 2016年1月30日 ここで主人公の神秘的な日本人青年矢吹駆は、「現象学的本質直観による推理」をかかげて登場する。 つまりあらゆる先入観を排除して犯罪の持つ意味、事件の本質を直観せよと説くのである。 その結果、作品の内容は文学・音楽・美術に始まり、 哲学・歴史・宗教にいたるまで絢爛(けんらん)たるペダントリーを全編にちりばめたアンチ・ミステリーの体裁をとることになる。 小泉 あと、丹生谷さんの砂漠のイメージだよね。丹生谷さんの資質も相まって、陰気なドゥルーズは貴重でした。 千葉 丹生谷さんの「造成居住区の午後へ」は魅力的ですね、領土化された男の世界とその外部との境界=造成居住区で、 女たちがいつ終わるとも知れぬ駄話を続けている。 そんな女たちと老人が弛緩した午後に徘徊している場面、それこそドゥルーズ的風景だと言っている。 小泉 早くから、ドゥルーズを老人の哲学者にしていたからね。 千葉 あの当時グローバルに見て、そういう負のドゥルーズ像にむしろ賭け金を置くというのは、珍しいものだったんじゃないでしょうか。 http://d.hatena.ne.jp/kingfish/20151208 オートバイのリアサス調整とか言ってバネの取り付け荷重を増やしたり減らしたりして も車高が変わるだけでバネが硬くなったり柔らかくなったりしないって習ったけど忘れました。 あちらの心理学者の好きなオーディオ趣味的に喩えるとスピーカーケーブルを変えると音が変わるって言ってるの と同じかと。 2015年末に、映画批評雑誌「シネ砦」を出版した。 ひとつの映画作品や特定の映画作家に注目し特集を組むわけでなく、あくまでわたしたちシネ砦集団の興味、 「この人のこの映画についての批評が読みたい」という思いだけで作った雑誌なため、一見するとまとまりのないものに見えるかもしれない。 しかし、現在に”映画批評”を目指したとき、こうなることは間違いでなかったと確信している。 東京では二月に稲川方人氏、佐々木敦氏、樋口泰人氏等をゲストに、シネ砦集団からは川口力、安井豊作が登壇し、 「映画批評と何か、とは何か……」というイベントを開催し、 そこでは「映画批評の場所としての雑誌、徒党としての批評と映画作家」について討論が交わされた。 今回、神戸では執筆者である丹生谷貴志氏をお迎えし、安井豊作が、自身の初監督作品『Rocks Off』と共に、 また別の角度から「シネ砦」を読み直していけたらと思う。 (編集長 渥美喜子) 4月16日(土)17:35〜(終了予定18:35) 参加無料(要当日の映画チケット半券) トーク 丹生谷貴志 × 安井豊作 × 青山真治(予定) http://kobe-eiga.net/program/2016/04/2068/ 丹生谷貴志「「私」を砕く文字 『プロローグ』−円城塔」(新潮社『新潮 2016年2月号』「本」) 2016-05-08 ■[読書備忘録]宮崎哲弥 呉智英 「知的唯仏論」 http://d.hatena.ne.jp/jmiyaza/20160508 宮崎氏:「ロレンスの「黙示録論」が吉本隆明の『マチウ書試論』の種本」「ロレンス「黙示録論」をジル・ドゥルーズが夫人とともに翻訳している」 これはともに知らなかったが、「知の欺瞞」などではなはだ評判の悪いドゥルーズであるが、 やはりどこか現代の問題を突いたひとだったのではないかという思いがわたくしにはある。 そして吉田健一とドウルーズがどこかで通底しているのではないかという思いがずっとある。 それはわたくしにもっとも説得的であった吉田健一論を書いた丹生谷貴志氏がドゥルーズ学者であるということからだけなのだが、 吉田健一の説いたことは存外ポストモダンのそれと近かったのではないかという仮定をすてきれないでいる。 わたくしが最初に触れた思想家が福田恆存なのだが、 それは吉本隆明が氏を「右の陣営」のなかのまともなひととして江藤淳とともにその名を挙げていたからである。 福田氏の神輿がロレンスであったことを考えると、なぜ若き日の吉本氏が福田の名をだしたのかが、ようやくこれを読んで腑に落ちた。 季刊哲学 ars combinatoria 4号 AIの哲学――回路・汎智学・脳梁 哲学書房 1988年8月30日 本体1,900円 A5判並製246頁 ISBN4-88679-025-9 C1010 目次: 【延長する脳】 吉本隆明+養老孟司「イメージが脳梁を渡る――倫理と明晰さと論理について」 pp.196-221 【特別インタヴュー】 堤清二「回路を、一部閉ざす」 pp.54-62 荒俣宏「薔薇十字と叡智の交換可能主義」 pp.63-69 渡辺格「「生命界言語」の探求――バイオコンピュータのアルゴリズム発見の前提として」 pp.158-169 【本邦初訳原典】 ライムンドゥス・ルルス「アルス ブレウィス」山内志朗訳 pp.70-93 トマス・ホッブズ「計算ないし論理学――『哲学の原理』第一部「物体論」より」伊豆蔵好美訳 pp.94-109 G・W・ライプニッツ「普遍的記号言語――ゲルハルト版『ライプニッツ哲学著作集』第七巻より」山内志朗訳 pp.110-121 J・A・コメニウス「最新言語教授法」田中寿紀訳 pp.122-133 【コネクショニズムと計算】 甘利俊一+佐伯胖+黒崎政男「コグニティヴサイエンスは何を問うか――コネクショニズムと計算主義の対立を超えて」 pp.8-39 J・A・フォーダー+Z・W・ピリシン「コネクショニズム批判――あるいは認知のアーキテクチャー」黒崎政男訳 pp.40-53 中川祐志「人工知能における知識と計算」 pp.149-157 J・マッカーシー+P・ヘイズ「人工知能(AI)の観点から見た哲学的諸問題」三浦謙訳 pp.134-148 【AIと哲学】 廣松渉「AI問題についての偶感――完璧なロボットには意識は無用なのでは?」 pp.170-186 山崎正一「AIの意味論的考察――禅は具体的な真実を求める」 pp.187-193 【存在と眠り】 丹生谷貴志「サハラと〈存在〉の一義性――ブレッソン/スコトゥス1――中世への途上3」 pp.222-241 井辻朱美「眠り男の森」 pp.242-245 丹生谷貴志氏は、宗教による言語の否認について、言語が本質において「世界」と「真理」の不完全な所有だからであるとし、 「そこに『真理』、絶対的所有としての『沈黙』が要請される」(15)(丹生谷原文は、二重かぎ『』ではなく、強調の傍点を使用)のだとする。 (15) 丹生谷貴志「投げ捨てる土」(前掲『ユリイカ 特集・言語革命』6)一九七頁。 http://www.hdever.com/mypapersj.html 大見崇晴@『「テレビリアリティ」の時代』 ちなみに、三島由紀夫というひとを引用すると文学史がわかりやすいから、といって、 もう止めよう、もう止めようと言いながら引用を続けられるのが丹生谷貴志さんです。 2016年5月16日 季刊哲学 ars combinatoria 11号 オッカム――現代を闢ける 哲学書房 1990年6月30日 本体1,900円 A5判並製198頁 ISBN4-88679-040-2 C1010 目次: 【本邦初訳原典】 オッカムのウイリアム「神について知る可能性――明証認識と直覚/抽象認識(『自由党論集』第五巻より)」清水哲郎訳 pp.82-100 オッカムのウイリアム「概念について――『アリストテレス自然学問題集』第一問題―第六問題」渋谷克美訳 pp.102-125 ライプニッツ「オッカムの格率――M・ニゾリウス『似而非哲学者に抗する、哲学の真の原理』への序文より」山内志朗訳 pp.126-132 【形而上学へ】 稲垣良典+清水哲郎「認識の形而上学と論理学――オッカム、現代の源流としての」 pp.24-43 クラウス・リーゼンフーバー「神の全能と人間の自由――オッカム理解の試み」矢玉俊彦訳 pp.170-183 清水哲郎「元祖《オッカムの剃刀》――性能と使用法の分析」 pp.8-23 【薔薇と記号】 ウンベルト・エーコ「表意と表示――ボエティウスからオッカムへ」富松保文訳 pp.44-68 伊藤博明「世界の被造物はわれらを映す鏡――『薔薇の名前』とリールのアラヌス」 pp.142-156 【代表と形式】 G・プリースト+S・リード「オッカムの代表理論の形式化」金子洋介訳 pp.133-139 ヴィルヘルム・フォッセンクール「ウィリアム・オッカム――伝記的接近」加藤和哉訳 pp.69-76 【普遍と因果】 養老孟司「オッカムとダーウィン――スペキエスを切り落とす:臨床哲学5」 pp.184-189 丹生谷貴志「ディエゲネスの贋金――E・ブレイエ『ストア派における非物体の理論』の余白に:中世への途上6」 p.190-194 小林昌廣「病因論序説――医学的思考とは何か」 pp.157-169 「オッカム用語解説」 p.140-141 「オッカムのウイリアムの時代」 pp.80-81 「地図の上の〈オッカムの時代〉」 p.101 「既刊目次」 pp.196-197 「そして自分が社会-組織にすがりついている姿は、恐怖の午後を経過して自分のすがりつこうとしているこの者たちの身振りよりも さらに小心な恐怖のあらわれであるかもしれないことを感じ取るのである。 自分たちが毎朝会社-組織へと外出し、この地区を「ベッド・タウン」と呼ぼうとするのは、この地区が「人間」にとっては眠るための夜だけで出来ており、 したがってあの午後など存在しないかのように振る舞っているからではないだろうか? そしてついに、自分がすがりついている組織-秩序そのものが 居住区の午後の対する恐怖において形成され営まれているかもしれないという事実を感じ取るのである。 あの午後への小心でとめどない恐怖の総体・・・・・・。」 「「自然」にはそれ独自の組織-秩序が存在する。「人間」にもおそらく独自の組織-秩序が存在する。 しかし「自然」と「人間」の間に、「自然」と「人間」の双方の組織-秩序が破綻する場所がある。 ジル・ドゥルーズが大文字で「生 La Vie」と書く場所はおそらくそこにあるだろう。」 「その「場所」は、それ自体としては、哲学的概念の森林を彷徨ったり(!)、 内面や外界を複雑に周回しなければ見つからぬといったほどに難解な場所ではおそらくない。ちょっとした散歩で足りる。凡庸な場所。 たとえば、郊外の造成地を歩いていると、街の区画が途絶え、荒く削られた未整理の造成地帯に出ることがある。 (略)その曖昧な、街路が途絶えようとする境界区域にはさらに人間の気配がない。ドゥルーズの言う「生」の場所はおそらくそこに現れるのである。 (略)そこは「人間的」秩序が曖昧に破綻し、しかし未だ「自然」的秩序は始まっていない中間領域であるだろう。」 http://d.hatena.ne.jp/master2010/19990802 丹生谷貴志氏の吉田健一論である「獣としての人間」である。そこから一部引用すると、 『観念や理念を失うことにおいて人間は「人間」に戻る。本来の姿に戻ること、 吉田健一においてそれは文字通り「獣としての人間」に戻ることを意味すると言ってよい。 それは希望もないが絶望もない状態に生きることへ戻ることを意味する。 そしてその状態を、如何にも逆説的だが、吉田健一は「文明」と呼ぶのである。』 言うまでもなく、観念がなければ、当然、希望も絶望もないわけではあるが、 『「人間に戻る」とは自身の「運命」としての孤独、退屈、病、死等々といった「獣的属性」を如何なる希望もなしに引き受けることをも意味する』 のであるとも丹生谷氏は言っている。 http://members.jcom.home.ne.jp/j-miyaza/honn.htm ニー仏 前にも書いた気がするけど、いまはネット環境さえあれば動画サイトやらフリーゲームやらで、 一人でも無限に(湧いてくるコンテンツで)時間が潰せるからね。 「教養とは一人で時間を潰せる技術」という中島らもさんの定義は、とくに現代では当てはまりにくくなってるんじゃないかな。 「教養(Bildung)」の一つの意味は、他者性を己の内に選択的に取り込むことで自己形成することであると思うけど、 その観点からすれば、「一人での時間の潰し方」よりも、 むしろ「他者といかに共同するか」というところに教養は表れやすいようにも思う。コミュ力至上主義という意味ではないが。 2016年5月12日 ドゥルーズ・コレクション II 権力/芸術 ジル・ドゥルーズ著 宇野邦一監修 河出文庫 2015年6月 本体1,300円 344頁 ISBN978-4-309-46410-7 目次: 【フーコー】 知識人と権力 (フーコーとの対話、笹田恭史訳)8-24 欲望と快楽 (小沢秋広訳)25-41 ミシェル・フーコーの基本的概念について (宇野邦一訳)42-68 1 地層あるいは歴史的形成物、可視的なものと言表可能なもの(知) 2 戦略あるいは地層化されないもの(権力)、外の思考 装置とは何か (財津理訳)69-86 【シャトレ】 ペリクレスとヴェルディ――フランソワ・シャトレの哲学 (丹生谷貴志訳)88-110 【情況論・権力論】 集団の三つの問題 (杉村昌昭訳)112-134 『牧神たちの五月後』への序文 (笹田恭史訳)135-144 社会的なものの上昇 (ドンズロ『家族に介入する社会』へのあとがき、菅谷憲興訳)145-157 ヌーボー・フィロゾフ及びより一般的問題について (鈴木秀亘訳)158-170 哲学は数学者や音楽家にとって何の役に立ちうるのか (江川隆男訳)171-174 六八年五月[革命]は起こらなかった (ガタリ共著、杉村昌昭訳)175-180 ヤーセル・アラファトの偉大さ (笹田恭史訳)181-187 ディオニス・マスコロとの往復書簡 (マスコロ共著、宇野邦一訳)188-196 【作品論・映画論】 エレーヌ・シクスーあるいはストロボスコープのエクリチュール (稲村真実訳)197-203 冷たいものと熱いもの (松葉祥一訳)204-214 植樹者の技芸 (鈴木創士訳)215-219 プルーストを語る (バルトらとの討論、宮林寛訳)220-268 『女嫌い』について (宇野邦一訳)269-278 金持ちのユダヤ人 (宇野邦一訳)279-283 計算せずに占有する――ブーレーズ、プルーストと時間 (笠羽映子訳)284-298 リヴェットの三つの環 (守中高明訳)299-305 創造行為とは何か (廣瀬純訳)306-329 監修者あとがき (宇野邦一)330-339 映画を見に行く普通の男―映画の夜と戦争 (エートル叢書) ジャン・ルイ シェフェール (著), Jean‐Louis Schefer (原著), 丹生谷 貴志 (翻訳) 出版社: 現代思潮新社 (2012/06) シェフェール,ジャン・ルイ 1938年パリ生まれ。ナチス・ドイツのヨーロッパ拡張、パリ陥落の前年に生まれ、 パリ解放の45年6歳までの幼時のすべてを「奇妙な敗戦」下のフランスで過ごす。 69年にロラン・バルトの推薦で雑誌『テル・ケル』に画期的な絵画理論と目される『絵画のセノグラフィー』を発表し、 いわゆるポスト構造主義、ポスト記号論といった「新思潮」を纏った新鋭の美術理論家として注目される 和田忠彦先生 年譜・主要著作 http://www.ritsumei.ac.jp/ ~hidedoi/265_269_history.pdf nibuya 余談。知人はいわゆる訳アリ物件に居住している。幽霊云々ではなく小規模火事で先住家族が亡くなり改修した物件。 ・・先日、大分以前の卒業生が東京から逃げてきたと言う。 彼の感覚ではフクシマ以来東京以東全部が彼には訳アリ物件にしか思えないのだそうだ。訳アリ物件感覚の拡張が世界を覆うわけだ。 2016年6月2日 モハメド・アリ(Muhammad Ali、1942年1月17日 - 2016年6月3日) 「なぜ哲学するのか?」松葉祥一インタビュー http://kobe-eiga.net/webspecial/bookreview/2014/03/%E3%80%8C%E3%81%AA%E3%81%9C%E5%93%B2%E5%AD%A6%E3%81%99%E3%82%8B%E3%81%AE%E3%81%8B%EF%BC%9F%E3%80%8D%E6%9D%BE%E8%91%89%E7%A5%A5%E4%B8%80%E3%82%A4%E3%83%B3%E3%82%BF%E3%83%93%E3%83%A5%E3%83%BC/ 丹生谷さんは以前、神戸映画資料館のレクチャーで、 原体験として子供の頃にマルローの『人間の条件』の処刑の場面を読んで非常に衝撃を受けたと語っていらっしゃいました。 汽車の燃える罐のなかに人間が一人投げ込まれる度に汽笛が鳴る。まったく無駄な死で何の決着もない。 なぜこれほど無駄なものの上に、たとえば美術というものがあるんだという問いが原体験になっていると仰っていました。 実はリオタールは最晩年に2冊のマルロー論を書いているんですね。 丹生谷さんはリオタールの美学、特に『言説、形象(ディスクール、フィギュール)』(71)──彼の主著と言っていいと思いますが── などはある意味で古い、フロイトの図式に乗ってしまっているという読み方をなさると思いますし、私もそれは否めないと思います。 ですが、いま読む可能性、現代性が二つあるとも考えているんです。 一つはさきほども言った、ポストモダン概念というのは既に終わった古めかしい思想や相対主義ではないし、 彼の目指したところは『ポストモダンの条件』ではなく、中期後半の主著といえる『文の抗争』(83)にあるのではないかということ。 そのなかで「小さな物語」同士の抗争(ディフェラン)が起こったときにどのように調停するかを徹底的に考えています。 それはきわめて現代的な問題だと思うんです。 あの対談で出た丹生谷さんの「肉」の読み方は、僕にはたぶん出来ない。 「肉」に物体としての人間という意味で死の影がさしているわけで、その意味での丹生谷さんの解釈は間違ってないし、 まったくその通りなんですけど、僕には出来ないなという感じですね 「しかし、確かにそこには類稀な動物的無表情が現前する。つまりは『ランボー』 は特異な「動物映画」なのであり、たとえば『子猫物語』的な「人間主義的動物映 画」をあざ笑うようにして、われわれを「動物そのもの」の世界へと近づけてくれ るのである。」(丹生谷貴志「愚鈍の表情 『ランボー』とブレッソン」) 生きられねばならない人生などないように、読まれねばならない本などない。だからリストは無限だ しゼロでもある。ここに挙げるのはただ或る朝にランダムに思いついただけのもの。 文学は要するに「言葉」であるとすれば、まったくの無内容なのに言葉だけで読む者を陶然とさせる ものもある。例えば紀貫之『土佐日記』、コレット『青い麦』、ここからは海岸の白い鳥とグラスの氷し か残らないし、或いは吉田健一の『怪奇な話』からは幽霊犬の鼻の湿り気しか残らず、三島由紀夫の 『獣の戯れ』からは地方の港の夏の乾いた匂いだけが残る。無内容というには意味ありげだが、海と砂 漠の活気ということならカミュの『活気』のアルジェリアがあり、或いはフォークナー『八月の光』の アメリカ南部の砂の匂いがあり、デュラスの『ラホールの副領事』のカルカッタの匂いがあり、或いは 安部公房の『燃え尽きた地図』の六十年代末の東京の郊外の匂いもあり、ジュネの『泥棒日記』の黄昏 のヨーロッパがある。言葉の勢いだけ、と言うことならば石川淳の例えば『荒魂』でもいい。或いはま た、ジュリアン・グラックの『シルトの岸辺』の沈鬱な不安。乾いた疾風ということであれば、近代文 学ではないが『ギリシア悲劇全集』特にアイスキュロスとソフォクレスの巻。 近代文学の狂気(?)ということなら、カフカの『田舎の婚礼準備』の不思議な視線の乱調があり、 フーコーの『レーモン・ルーセル』の分析があり、シュレーバー判事の『ある神経病者の回想録』でも よく、或いはムージルの『特性のない男』。奇妙な反復ということでは中上健次の『枯木灘』もある。 或いは青土社版の『ミショー全集』第三巻の散文集、吉田健一の『金沢』。 ミニマムなもの、少数者への挺身……今のところどんなカルチュラル・スタディーズよりも繊細なロラ ン・バルトの『恋愛のディスクール』。死の匂いならばリルケの『マルテの手記』、或いはそれ以上にブ ロッホの『ウェルギリウスの死』。二十世紀の一つの現象面をなす「神秘主義」への傾斜なら、数えき れないが、ジュール・ロマンの『プシケ三部作』もある。絶望の活気ならフィッツジェラルドの短編集 『崩壊』、或いはラウリーの『活火山の下で』、ベケット『伴侶』その他その他……。(丹生谷貴志) 「問題なのは、どうしてそれ(存在論的暗渠)がサルトルにとって抑 え難い恐怖として記述されねばならなかったのかということだ。或る意味では単純で ある。世界を、それを構成する事物を主体的意志の自由の支配下に置こうとする試み をその事態は完全に無効にしてしまうからである。主体は無力と恐怖に怯え上がる。 逆に言えば、人間的主体が穏やかに(あるいは傲慢に?)自身の自由を確定し続ける ためには世界は処理自由なモノの集まりであってくれなければならないのだ。死体も またそうである。死体は死体として恐ろしいのではなく、死体はモノであることを拒 むが故に或る人々にとって恐ろしいものなのだ」 丹生谷貴志「死体はモノになってくれない」 「ともかく、自分としては今は以前よりも、空虚なら空虚を、絵画なら絵画を発生させたい。 文学でも映画でもいいから発生させたいし、実際に発生しているものがあれば、それを見る側にもわかってほしいと思っている」 母の背の小さな顔がくさめして 丹生谷剣多利 http://www.town.tabuse.lg.jp/www/contents/1297123025988/html/common/other/4d52252c011.pdf nibuya ・・・無想庵なんて名が浮かんだのは単に筑摩の文学大系の一冊が出てきてそこに数作載っていたからで、 その一冊には小川未明や田村俊子・・・そう田村俊子の名にしても、 祖母が弟子入りしていたことがあるなんていう真偽の怪しい家族の伝説だけでしか知らない名前・・・しかし・・・不思議な人々・・・ ・・・家系系図など微塵も興味がないので四方田犬彦みたいに調べる気は一切ありませんが、 会ったことのない祖父は和歌山出の露語堪能のジャーナリストだったらしく(?)、真偽の怪しい知己の名がズラリ、 三船十段・出口王仁三郎・南方熊楠・寺田寅彦・津田梅子etc・・・殆ど家族都市伝説です。 家族伝説ついで、父の本名(?)は剣多利というキテレツな名なのですが 家族伝説では祖父がケンタッキーに滞在していた時に出産の知らせを受け取ったからと言うのですがどう考えても眉唾で、 臍曲がりだったらしい祖父が「ペンは剣より強し」を皮肉って「剣は多く利する」とかでつけたと思ったりします。 2016年7月13日 この人自分の系図が嫌いと言いつつけっこうこだわってるよね Kawade道の手帖 吉田健一―生誕100年最後の文士 価格 \1,728(本体\1,600) 河出書房新社(2012/02発売) 目次 吉田暁子―父との時間 新発見論考 ヨオロツパの文學での無頼 未刊行資料 中村光夫宛書簡 小説 春の野原 対談 吉田健一が小説を書く時をめぐって(金井美恵子;丹生谷貴志) 食と吉田健一 論考 吉田健一キーワード事典 ノースレイク 夏の99冊 2016 http://www.northlakecafeandbooks.com/store/?p=1575 5. 中村 和久 (なかむら かずひさ) 本まっち柏スタッフ http://hon-match.org/about/index.html 「スピノザ―実践の哲学」 G.ドゥルーズ (平凡社) 「死体は窓から投げ捨てよ」 丹生谷 貴志 (河出書房新社) 「極太!!思想家列伝」 石川 忠司 (筑摩書房) nibuya ヒルデスハイマーの『詐欺師の楽園』をネット古書でさがしたらとんでもない値段になっている。 どうやら佐藤亜紀さんとい作家の推薦の余波?で高値の模様。 しかしドイツ原書はともかく翻訳があるのは日本語訳だけのようで、日本のドイツ語系の翻訳家の地味な努力にはときどき驚かされる。 2014年1月25日 Wolfgang Hildesheimer (9 December 1916 - 21 August 1991) 1953 Das Paradies der falschen Vögel <わたしたちの体は刻々と死んでゆく微細な組織、細胞(そして思考)の集合体に他ならない。 身体は死に抵抗する組織ではなく、速度の違う無数の死によって組織された「過程」に他ならない。> (丹生谷貴志『死体は窓から投げ捨てよ』) Ryoichi Tanaka シネマキネマ (2016.08.13) 金井美恵子・金井久美子さんインタビュー http://d.pr/a/1kKUv 13 Aug 2016 中西夏之 白く、強い、目前、へ 展 図録 東京都現代美術館 1997年 ソフトカバー 元パラフィン・別冊付 サイズ: 300×227mm 1997年に東京都現代美術館で開かれた中西夏之の展覧会カタログ。油彩の作品を中心に約50点のカラー図版を収録。 テクストは、種村季弘「共演する空間へー白く、強い、目前、へーのために」、谷川渥「中西夏之ー佇みの装置」、 丹生谷貴志「美しくあってはならぬと命じたのは誰か?」、南雄介「中西夏之と絵画」を収録。 アトリウムに展示された「紗幕孔穿」図版を別冊に掲載。 KAI + OUGI SAIGON そもそも批評家を目指す奴が多すぎるんだよ。僕が昔、編集者してた時、丹生谷貴志さんに 「(美術)批評で飯食ってくなら、最低3ヶ国語、できれば4ヶ国語話せないと」ってビシっと忠告されて、きっぱりやめましたもん。 まあ、必ずしもそうとは限らないけど、僕にとってはあの忠告は正しかったよ。 2012年7月3日 みどりん(midori) う〜ん、浅田彰は一冊しか読んだ事無いよ。ほとんどが四方田さんと丹生谷貴志さんの本だけど、 デリダとかドゥルーズとはバルトとか読んでわかったような気がしてた。だけど、今は全然覚えてない(笑) 丹生谷さんとは音楽の趣味が合って、四方田さんとよりも仲良くなれたよ。今は関西外語大の教授かな?偉くなっちゃったもんだ(笑) 30 Aug 2016 メンヘラについて考えるためのちょっとした用語集 http://hallucinyan.hatenablog.com/entry/2013/10/29/120029 自殺について論じた哲学者も多数いるが、『自殺について』を著したショーペンハウアーが有名である。 また、経験論で知られるデイヴィッド・ヒュームも自殺について論じており、 哲学者のジル・ドゥルーズがヒューム論である『経験論と主体性』において言及している。 ドゥルーズが自宅のアパルトマンから投身自殺したことはよく知られている。 批評家の丹生谷貴志の『死体は窓から投げ捨てよ』には、ドゥルーズの思想と自殺を巡る文章が収録されている。 はるしにゃん (id:hallucina) 愛知県立芸術大学 芸術学専攻 主に日本美術史のお知らせ・活動記録など http://weblogsagamine.blogspot.jp/2016/09/blog-post.html 2016年9月1日木曜日 集中講義がはじまります 今日から前期分の集中講義がはじまります。 芸術学専攻では以下の科目を開講します。 西洋美術史特講 高橋健一先生 日本美術史特講 橋爪節也先生 現代アート特講 杉田敦先生 現代文化特論 丹生谷貴志先生 近代彫刻史 小泉晋弥先生 色彩学 河本健一郎先生 文化財学概説 山崎隆之先生 文化財学特講(彫刻)牧野隆夫先生 文化財保存修復研究(油画)伊藤由美先生 文化財保存修復研究(日本画)大野恭子先生 今年は文化財関係の授業が充実していますね。 「ユリイカ 第35巻17号 12月臨時増刊号 総特集 ロラン・バルト」平成15年12月15日 無関心の恋 丹生谷貴志 http://shikki.blog.fc2.com/blog-entry-80.html >>467 ページを保存したので後でじっくり読もう ■□■市民社会フォーラム第75回映画鑑賞会のご案内■□■ 『スラヴォイ・ジジェクの倒錯的イデオロギーガイド』 日 時 12/17(土) 19:10の回上映 終了後トーク 会 場 元町映画館(トーク会場は2階) トーク 丹生谷貴志さん(文芸評論家・神戸市外国語大学教授) ※当日映画を観られた方対象、参加無料。 baphomet@ロイド•ヘルゲートZ世 アネマリー・モルの邦訳のページフェイス見ると、丹生谷貴志さんの「光の国」を思い出す^^ 15 Dec 2016 黒沢清 Part 25 [転載禁止]©2ch.net http://mint.2ch.net/test/read.cgi/cinema/1441508294/ 332 : 名無シネマ@上映中2016/01/27(水) 02:20:59.19 ID:lRo52xzD 黒沢清が一番脂が乗っていた時期は90年代後半だったんだけど それはまだポストモダン思想が有効な時代だった その時代に黒沢清は「終末的」な光景を描いていた その転機に「アカルイミライ」で 本来この作品は「テロリストの映画」として撮られたもので、黒澤自身もそれを公言していたのだが、 その直後に911が起きてその発言を撤回しなければならなくなった(同時にこの作品はかなり早い段階で非正規労働者を描いた作品でもある) つまりこの時点で黒沢映画の「終末感」を現実の「終末」が凌駕してしてしまったというわけ で、その後は「トウキョウソナタ」ではかつての「アカルイミライ」で見せたような先見の明は無くなり ただ現状を後追いしている作品になってしまった ユリイカ 2017年1月号 特集=アメリカ文化を読む ―カウンターカルチャーの新しい夜明け アメリカのカルチャーとはなにか、あるいはアメリカに投影されてきた文化的期待とはなんだったのか。 ボブ・ディランのノーベル文学賞受賞、ドナルド・トランプ氏の大統領就任と、大きな転換期をむかえつつある アメリカの文化のゆくえに豪華執筆陣が迫る! 【詩】 藤井貞和 【鼎談】 大和田俊之×磯部涼×吉田雅史 【エッセイ】 ブレイディみかこ/長谷川町蔵/渡辺由佳里/佐久間裕美子 【論考】 飯野友幸/堀内正規/松村正人/池田純一/リピット水田堯/丹生谷貴志/中村隆之/片岡大右/梶谷懐/ 諏訪部浩一/高村峰生/入江哲朗/大賀祐樹/吉本光宏/乗松亨平/堂本かおる/大山エンリコイサム/小林剛/ミヤギフトシ 山下 研 丹生谷貴志文体の出自の一つは宮川淳。 週に一度書ける部分まで書き、宮川的「書けなさ」に到達した原稿を集積してできたのが処女作『光の国 あるいは』。 #批評再生塾 11 Jan 2017 みどりん 丹生谷貴志さんに迷惑かけられてた私(笑)、保坂和志さん小説家デビュー前の乱雑な(?)年賀状。 I put a spell on you.という言葉に惚れました。 http://pbs.twimg.com/media/C2Dg3HeUkAAles7.jpg 2017年1月13日 丹生谷貴志×佐々木敦「『怪物の主題による変奏』 ――すでに誰が書いた文の文題か知る人も知らぬ人もいるだろうが、 ここではただこの『題』だけを借りて『自由に』それが展開されることを待つ。」 【ゲンロン 佐々木敦 批評再生塾 第2期 #14】 #批評再生塾 https://togetter.com/li/1070019 絵画、記号に収まること、モノとの激しい亀裂。 アニメは記号、ヨーロッパは「似ていること」。 ヨーロッパは「神が世界を作った」 ヨーロッパでは「完璧な宇宙を人間が汚した」「真理が消えた」「真理を求める」 イスラムでは13世紀に真理の探求が消えた。 ヨーロッパは真理探求のタイムテーブル、1000、ノストラダムス。 フーコー「狂気の歴史」は1999年に世界が整理されることを前提としている。真理に向けて動いてきたヨーロッパの歴史をそのまま書いている。 吉本隆明はクロソウスキー「ニーチェと悪循環」を4回読んでも一言も分からなかったので、書評を書けなかった。 怪物は神と人間の中間にある。怪物は人間に問いかけをする。 怪物は突如として人間を神に戻す。 神に到達することは世界が消滅すること。 ドゥルーズ、フーコー、蓮實は神と人間を消して怪物のみを残す。 人間が神とのへりに到達したときに近代文学、近代絵画が生まれる。 我々にとって最も怪物的なものが「映画」 フローベール「感情教育」は鋏が4回出てくることを描いている。 この作品が何に向けて拒否しようとしているか。 近代文学とは世界を消させないという意地。 丹生谷貴志 @風の物語(ヨリス・イヴェンス) A時を数えて、砂漠に立つ(ジョナス・メカス) B次郎長三国志(マキノ雅弘) Cシテール島への船出 D軽蔑(ジャン=リュック・ゴダール) 私の好きな映画・ベスト5 (リテレール・ブックス) 安原 顕 (編集) 出版社: メタローグ (1994/06) Tetsuya Shibutani 今日はびっくりした。神戸映画資料館のストローブ=ユイレの上映が補助席立ち見の超満員になったこと。 セザンヌとバッハという取り合わせもあったかもしれないけど。 映画の新しい世紀が始まりつつあるかもという妄想的実感を持ちました。ホントに凄いですわ。 『ロートリンゲン!』の驚きは、ストローブ=ユイレが始めてドイツをカラーで撮影したこと。 タイトルもロレーヌ地方のドイツ語名。ドイツ国家の原曲(ハイドンの四重奏)も流れ、そこに軍事演習らしき砲声が被さる。 EU始まりの時代にこんな作品を発表する姿勢が面白い。 『セザンヌ』フィルム版の字幕は丹生谷貴志氏だった。味のある読みやすい日本語だったと思う。 次のストローブ=ユイレ上映の時にトークゲストでお呼びできないかな(次をいつやるかも問題だが)。 4 Feb 2017 2日経ってまだ興奮冷めやらずの神戸ストローブ=ユイレ。もちろん映画の組み合わせもよかった。 『セザンヌ』の言葉はそのまま彼らの映画作りの姿勢を伝えていた。 手法の用い方はミニマルだが、映像と音声は世界全方向に広がってゆく豊かさ、それを枠取り弁証法的に構成することで葛藤が生まれる。 5 Feb 2017 無責任なエレベーター。冬から春への変わり目ということもあって、一層不安になる。 まだあまり知られていないせいか、人も少ないし、 僕が中学生か高校生くらいのときの曲が(恐らくかなり意図的に選ばれて)かかっている-- たとえば手嶌葵のゲド戦記の主題歌とかミスターチルドレンの旅立ちの歌とか。 さらに、8階や9階なので、窓から見える歌舞伎町や新宿がだいぶ下にあって、喧騒がミュートになる-- 丹生谷貴志が吉田健一についての文章で、ちょうど飛行機の中の「奇妙な静けさとざわめきとひしめき」と書いたような。 外はものすごい轟音と速度であるはずなのに中は恐ろしく静かであること、のような不安。 http://d.hatena.ne.jp/ycks1971/20170305/1488712890 昔取ったコピーが出てきたんだけど、中沢新一と丹生谷の往復書簡&対談、「イコン論」というタイトルなんだけど、 何の雑誌に載ったやつか忘れちゃったので、知ってる方どなたか教えて下さいませんか? nibuya 余談。ヴェズレイ、モワサックからシャルトル、アミアンへ・・・は中世美術史の基礎なのだが、 要は「虚無に貼り付けられた覆い」のテンションに対する 「意識の変移」が可視的な造形として凝固してそこにあるという「意思造形」の権能の異様は・・・ と虚しい繰り言を図版を見つめて今更繰り返し・・・ 2017年3月6日 ヴェズレー(Vézelay)はフランス中部のブルゴーニュ地方、ヨンヌ県の古都である。 丘上にあり、マグダラのマリアの遺骸(頭蓋骨)を移送したと主張するサント=マドレーヌ大聖堂などがある。 モワサック (仏: Moissac)は、フランス、ミディ=ピレネー地域圏、タルヌ=エ=ガロンヌ県のコミューン。 サン=ピエール・ド・モワサック教会 - 修道院付属教会。ロマネスク様式彫刻の傑作とされる12世紀の門をもつ。 シャルトル(フランス語:Chartres)は、フランスの中部に位置する都市で、ウール=エ=ロワール県の県庁所在地である。 古くから司教座がおかれた古市であり、市中央部にあるノートルダム大聖堂(シャルトル大聖堂)はゴシック建築の傑作として知られる。 アミアン(Amiens)は、フランスの北部に位置するコミューン。 アミアンは、運河、『北の小さなヴェネツィア』と称される水上庭園(fr)、そしてアミアン大聖堂で有名である。 ユリイカ2017年3月号 特集=草間彌生 わたしの草間彌生 / 丹生谷貴志 『BB/PP』 松浦 寿輝 [著] 懐かしい遺体 丹生谷貴志 新潮 2016年9月号 http://www.bookbang.jp/review/article/519357 M ミシェル・トゥルニエ『フライデー、あるいは太平洋の冥界』を論じたドゥルーズの他者論、 『原子と分身 ルクレティウス/トゥルニエ』(原田佳彦+丹生谷貴志訳 哲学書房)として 企画訳出された本を30年ぶりに引っ張り出す。これを批判的に検討するというのもあり得るかもしれない。 http://pbs.twimg.com/media/C6DPqyyUwAQX1My.jpg 3 Mar 2017 twitter.com/1yagiryow5/status/858865630270767105 反抗のつもりでそっちの方向へ突っ走ったら札束を抱えた首相夫人が待っていた(わらしべ長者伝説) ニーチェは精神肉体負けしているぐらいきづついたテクストだよなあ。 ゆーま 丹生谷貴志さんの家事と城砦、復刊していただけないかなー 思想哲学は全然なのだけど、ただ丹生谷貴志さんの文章が好きで読んでいるだけなので、 内容に関してはほとんど分かっていない そういう読みもあるのだと思う 丹生谷貴志さんの本、ぼくが読んでも事実誤認が見つかりますが、そんなことはどうでもいいくらいの、 切迫の文章だと感じるので、細かいことはいいのだ、というスリリングな読書体験です、ぼくには。 10 Jun 2017 twitter.com/matsumoto0810/status/912644631170506752 www.youtube.com/watch?v=XnV7U2exUQs&t=135s 他人の心配へ自分の関心を被せてしまった(後悔を先に表す) twitter.com/1yagiryow5/status/913394063855960066 広い面積を放置している地主はだいたい統失(歌詞) っと言おうとした。 twitter.com/MAMAAAAU/status/913953348918710272 心理学者の指導監督のもとで看守役と囚人役とに分かれて演技をしていって欲しい。 www.youtube.com/watch?v=i8zDlmLqNZE&t=190s 墜落(震え声) 井関正昭 1928 - 2017 上村清雄 1952 - 2017 sabaehideki 今月にはいって、井関正昭氏、上村清雄氏が亡くなられた。 イタリア美術研究にとって両氏の仕事は大きかったとあらためて感じている。 少なくとも、イタリア美術(論)が日本語で読めるようこの地で届けられたのだから。 2017年10月21日 anond.hatelabo.jp/20171105024224 フンドシを締めたら神風が吹いたっと三島の霊が言ってた。 twitter.com/HK_SnowRabbit/status/931319092560068609 そこが騎兵隊占領区とインディアン占領区の境い目なんでしょ。 twitter.com/marxindo/status/933596789550096384 www.youtube.com/watch?v=iDiF5wRMcSU www.youtube.com/watch?v=VB_zLWpjuBA&t=2988s スクールバスは安全な乗り物(翻す) twitter.com/ycr_I/status/927706336694976512 色彩は持たない多崎を作ると、彼の聖地巡礼の年。 黄色い地へ黒い字で書いたほうが読まれやすいと思います(マジレス) 長谷正人 紀元節になると、昔千葉大学にいたとき、若桑みどりさんが紀元節反対集会として多木浩二さんの講演会を企画したことを思い出す。 しかし多木さんは聴衆が待てど暮らせどやって来ない。東京駅で特急に間違って乗って房総半島まで行ってしまったらしい。 結局中止になったかそこから記憶はない 丹生谷貴志さんは最初の本を読んで興奮し、 『哲学』の連載を愛読していたので自ら朝カルの授業を受けて直接お願いして千葉大学の授業に来て頂いたのだが、 若桑さんこそ丹生谷さんを中野幹隆に紹介した張本人だったのを聞かされたときの驚き。 四方田さんに紹介してもらったのも若桑研究室でだった。吉田喜重さんにも河内紀さんにも。 そして大室さんに大澤さんに立岩さんという豪華スタッフ。私の最終学歴は千葉大学かも。 2018年2月11日 aimai 丹生谷貴志は団塊の直後の世代には「実存の脱落」による「奇妙な透視の能力」があるとし、 それを「離人症の光学」と呼ぶが、自分が興味を持っている哲学者が全てその世代であることにふと気付く。 入不二基義(1958年)、三浦俊彦(1959年)、郡司ペギオ幸夫(1959年)。 そして秋元康も1959年生まれだ。 2018年2月12日 「早稲田文学 2018年春号」 発行:早稲田文学会 発売:筑摩書房 発売日:2018年3月27日 U 金井美恵子インタビュー 聞き手・丹生谷貴志 司会・吉野大地 アトレイデス 丹生谷貴志『死者の挨拶で夜がはじまる』、著者自身が「唐突だが」と断っているように、 この宮沢賢治スケッチに三島由紀夫が対立的な補助線として引かれてきたのは、 この章のみならず、本全体通してみてもかなり唐突で。 とはいえ、「銀河鉄道の夜」に、もう一つの天文学的なタイトル「豊饒の海」を… …とはいえ、「銀河鉄道の夜」に、月の地名をタイトルとする「豊饒の海」をぶつけてみることは、 たとえば賢治にも三島にも華厳経への関心が見られた、と言う一点においても、 単なる言葉遊びに留まりえないものを孕みえて。 問い立てとして受け取ってみることも在りだろうか、と。 丹生谷貴志が「同じ一つの銀河の無限の反復」を「想像すること」という、 「ループ系的な想像力」をもって宮沢賢治『銀河鉄道の夜』を読んでいることも興味深く。 『死者の挨拶で夜がはじまる』「河辺について」 2018年3月24日 「神は細部に宿る」は誰が言った言葉か。 この言葉の由来について論じている以下の文章が見つかりました。 【資料1】によると、はっきりとした結論はわからないようです。著者(丹生谷貴志氏)としては、 ミース・ファン・デル・ローエ → ヴァールブルク → エックハルト と辿ることができると考えているようです。 【資料1】丹生谷貴志著『三島由紀夫とフーコー 〈不在〉の思考』青土社2004.12(当該論文はp55-65) (1108633560) アルチュセール「L’avenir dure longtemps」 「僕は67歳、でも今に至って ようやく感じるのだ、自分から 愛することを知らなかった為に 愛されることもなかったから 僕は一度も若さというものを 持ったことがなかったけれど 、この年になって僕はかつてなく 自分が若いと感じるのだ、そう 遠くない将来に全てが終わって しまうにしても・・・」(丹生谷 貴志訳) ユリイカ2018年7月号 特集=バーチャルYouTuber(仮) 2018年6月27日 目次予定*【座談会】ばるぼら×さやわか×黒瀬陽平【マンガ】小林銅蟲/窓ハルカ 【エッセイ】届木ウカ/月ノ美兎/赤月ゆに/石楽えね/皇牙サキ 【論考】丹生谷貴志/松下哲也/谷島貫太/竹本竜都/久木田水生/木村すらいむ/原島大輔/猪口智広/黒嵜想… 【資料】バーチャルYouTuber名鑑(にゃるら) 言ってることはずっと同じなんだけど老害になってきたな あんだけ言説まみれの論理展開しかできないくせに 全ての言説はどうせ白紙還元されるだけとばかり言い続けている 陳腐だわ ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています
read.cgi ver 07.5.1 2024/04/28 Walang Kapalit ★ | Donguri System Team 5ちゃんねる