【天才】丹生谷貴志【にぶにゃん】
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阪神大震災の直後、神戸の丹生谷さん、地震のことを知ってるのかな、ってギャグで友人達と笑った。
……と書いてたのは澤野雅樹だっけか。
その後、丹生谷貴志が発表したのが「男が気を失うといふこと」とかの題で、相変らずだった、とのオチつき。
ましてや地元でもない東北の災害など、無かったも同然さ。 まあそれなりの人ではあるのだろう。だが、で? 感があることも確かか。 >>102
阪神大震災には何度か批評で触れてるけどね。
死体は窓から〜や死者の挨拶は〜で。 自分を襲った事件ですら、どこかひとごとみたいな書き振り。
離人症的デタッチメントが丹生谷の持ち味だろ。 何度も断ってるけど
自分のためのメモにすぎないんだったらホントにメモ帳に書いとけばいいのに
わざわざツィッターに晒すってことは構ってほしいんだろうね
あとはまぁ営業だな
俺を忘れないでくれ!っていう そもそも新刊が出てもろくに反応がないのが丹生谷の行き詰まりを表してるよ
ある時期までは丹生谷なりに「時代と添い寝」すらしていて「順風満帆」でさえあったけど
やっぱりある時代(00年代〜10年代)の決定的変化を超えられなかったんだと思うよ
つまり丹生谷の言ってる(書いてる)ことが今ではどうしようもなく鈍感かつ古く、説得力が感じられなくなってしまった
丹生谷の文章って
どんなに新しいことを書いていても
既視感があるよな。
以前のように読みたいと思わなくなった。
ほんとに不毛だ。不毛や反復そのものにすら
価値が無くなった不毛な反復。 >>107
その「決定的変化」って何さ? 何が変ったの。 >>102 これだな。
丹生谷貴志「男が気絶するということ」『新潮』一九九五年四月号「大震災――文学者の体験と考察」
http://ci.nii.ac.jp/naid/40001921768 >>109
ごくごく簡単に一言でいうと
「終わりなき日常」が終わったんだよ
そのエポックメイキングが9.11と3.11であることは間違いない
その間に格差社会の到来、リーマンショックによる金融資本主義の崩壊、グローバリズムの進展と頓挫(現在進行中)があった
それらが暴いたことは「終わりなき日常」なんてのはまやかしだったということ
ある特殊な前提や体制によって成り立っていたにすぎない上に、
それらの前提や体制を忘れることによって成り立っていただけのまったく呑気な幻想にすぎなかったということ
しかし「終わりなき日常」が「絶望」の代名詞でさえあったとはな
もちろんその前段階にオウムや阪神大震災、酒鬼薔薇事件とかもあったけど
日本人の多くは何ら覚醒することなくむしろこの後しばらく(少なくとも9.11までは)「終わりなき日常」は強化されさえした
そして丹生谷の言説の多くが
「終わりなき日常」の退屈の上に成り立っていた
その退屈をどう耐え、退屈の狂気をどう生きるか
それが丹生谷の一大テーマだと言っていい
しかし「終わりなき日常」は9.11によって終わり始め3.11によって完全に終わった
だから丹生谷の言説に説得力がなくなり、彼の書く機会や媒体は徐々に減っていった
むろん丹生谷自身は以上の自覚はあるに違いない
しかし彼は3.11などなかったかのごとくに(内に篭り)それが彼の「思考の誠実」であるかのごとくに振舞う
「終わりなき日常」の終わりなど到来しなかったかのごとく、「終わりなき日常」は今だ尚も続いてるようにして書く
でなければ丹生谷のこれまで書いてきたことがそれこそ無に帰しかねないからだ
「終わりなき日常」の御加護によってしか書けないからだ
しかしツイッターなぞやりだして「世間との係わり」を求め、更に以上のようなポーズを取り続けるのは実に滑稽だ
ちなみにいわゆるハイカルチャーに取り組んでいようが、サブカルチャーに取り組んでいようが、根本的な問題から目を逸らし回避し続ければそれはすべて「サブカル」だ >>111
>9.11によって終わり始め3.11によって完全に終わった
この辺に全くリアリティを感じられない。
>その間に格差社会の到来、リーマンショックによる金融資本主義の崩壊、グローバリズムの進展と頓挫(現在進行中)があった
こんな小見出しみたいな事柄を並べられても、これらによって「退屈」が喝破されたようなことはついに一度もないと思う。
情況と日常を果たして同一平面上で語るべきかということも気になる。
「文学的」な言説空間を信じすぎてるんじゃないの?
「根本的な問題」なんてあるのかね?
まあたしかに「知識人」は「根本的な問題」やらと向き合わなければならないかもしれない。
でも「根本的な問題」と向き合う「知識人」はいつの時代にもいただろうし、
あんたの関心が変わったからいまそこから目を背けられないってだけなんじゃないのって思う。 丹生谷スレじゃなくて丹生谷を読んできたんだよ
断続的とはいえ『砂漠の小舟』からな
残念ながら『光の国』は未読だが
でも俺はおまえみたいな単なる丹生谷ヲタではないからさ
まぁ本人と同じように丹生谷の中に篭ってりゃいい >>113
その辺に全くリアリティを感じられないところが正に盲目
まさに丹生谷ヲタ
それ以前の「旧時代の文学空間」の中に微睡んでる証よ 丹生谷自身も度々曖昧に否定的に(いや俺はそうじゃない、的に)言及してるけど
こうやって丹生谷本人を見ても読者(数人のサンプルだけだが)を見ても
やっぱりなんだかんだで丹生谷も「ポストモダン」の人なんだってつくづく思い入るわ
まぁ今更だが >>114-116
何も言ってないに等しいような…
まあとにかく中年のおっさんが息巻いてることだけは分かったよ。
長年生きてると色んなことをメルクマールとしたくなるんだろうね。
「世界」規模の出来事の渦中にいる一員としてせいぜい頑張って下さいよ。 まぁ中年といっても30代半ばだけどね
自分は丹生谷の他にその真逆と言ってもいい西部邁の断続的な読者だったけど
丹生谷がこうなるのは十分予想の範囲内だったので別に失望の程度も大したものじゃない
でも西部に対するガッカリ感はハンパないな
ここまで耄碌するものかと(というよりは元から「そういう人」だったのかも知れない)
西部は真正保守を長年自称してきたけどその「保守思想」は
いつからか「何を保守すべきか」の核心がすっぽり抜け落ちて
「保守」の概念を弄り回すばかりの保守フェティシズムに堕していたから
それは00年代半ばあたりから徐々に見えてきていて俺も疑問を感じていたが3.11以降完全に露呈した
彼は保守思想家(≠右翼)として「サヨク」と共に単なる「反左翼」をよく批判していたけど
いつの間にか御自身が単なる反左翼の似非保守のサヨク(≒耄碌爺の右翼)になってしまった
9.11から3.11に至る中で
それまで「ポストモダン」と「リアリズム」なる装いによって様々なものが覆い隠していた現実が露呈したにもかかわらず
それでもなお「前時代の文学空間」の(価値観の)中に微睡み(「既得権」へしがみつき)続けてるという意味では
西部と丹生谷は同じ空気を深く吸い込んでると言っても過言ではない
ではこのへんでノシ >>118
>様々なものが覆い隠していた現実が露呈した
とか大上段に構えて言ってるけどさ、
いつだってそれが隠れてなんかいないと思っている奴は居るし
現実的な闘争を仕掛けていた連中は居るはずだよ。
それを「9.11から3.11に至る中で」見えてきたとしたいのなら、
結局あんたの怠慢なんだよ。
あるいは同時代的な言説に同調したいだけ、というか。 >>119
まるでアンタには「それ以前からすべて見えていた」とでも言いたげだねw
すごいね
そしてそれでいながらも丹生谷もアンタも前時代の空気のなかに今だなんとか微睡み続けたいようだ
なら何も文句は言わん
ご自由に
そうそう、自由に微苦笑させてもらうよw まあテクストおたくの末路みたいなのは感じるにぶやん いつまでもポモやってる場合じゃないみたいのはそれこそ80年代末期のチェルノブイリ事故からの反原発ブームの頃から言われてたわけだし、いくらなんでも
歴史認識が雑過ぎるわ
何で西部邁が出てくるのかも意味不明 ttps://twitter.com/fjmt033/status/229992929077379073
「××は終った」。
これがどれだけ陳腐な紋切型で、退屈や面倒をご破算願って終らせたい欲望の現れでしかないか。
少なくとも蓮實重彦『物語批判序説』第二部を読んだことがあれば、軽々にそんなセリフは吐けなくなる筈。 とはいえ「××は終った」式のレトリックが陳腐なのは
蓮實を参照せずとも明らか。
ただし「××は終った」式のレトリックは、
そう述べることで逆説的に「xx」の延命装置になる
っていうところが重要な論点。 蓮實は何が来ても「第二帝政」ですます
丹生谷は何が来ても「造成地が…」ですます >>129
これはいくらなんでもヒドいw
>>118以上の紋切型だろ。
「そう述べることで逆説的に」←但し書きであれ、
レトリックにレトリックで返すしかできないような馬鹿に名前を出されたら
いくらなんでも今のハスミンがかわいそう。 >>132
終末論的なレトリックの構造の
意味がまったくわかってないようだな。
もう出てこなくていいよ。 やっぱり特定の作家に心酔して依拠しちゃうと
こういう恥を晒すことになるんだよな
しかも自覚がないのが痛すぎる 特定の作家って誰のこった?
どちらにせよ、>>111は自覚の無い恥さらしではある。 俺はまず「構造の意味」とやらがどういうものなのか知りたいですw
終末論が全く有効でないことが明らかなときに
あえて「終末論的なレトリック」などというものを持ち出して
誰かを揶揄したところで同じ穴の狢でしかないわなw
猿真似も状況を見てやらんことにはサマになりませんぜ。 すまん。
「終末論的なレトリックの構造」などというものを暴露して、だね。 ××は終った、××は古い、で先導車に乗ったつもりになれるんだから楽なもんよな。 >>141
そういう発想のやつも、結局は「新しいと言われているけど古い」みたいな裏返しにしかならない
あとは永遠を気取るか 丹生谷が期待しとるってことはそれに近い連中も期待し、俺も期待しとるから、それで十分さ。 ハスミン最後の大仕事だもんね。
あと一章でしょたしか。 蓮實から出た人には
吉田健一好きが結構いるが
丹生谷の視点が一番面白いと思う ツイッターで毎日作り話を書いてるけど、彼は作家に向いている。
最新の作り話の主人公もおそらくアンドレ・マルローのことだろうし。
なんか病的なものを感じるんだよなあ。 手の込んだ在野差別。
ホラ吹いてまでやることかねw
マルローに匹敵する大著を書いてみればいいだろう。 丹生谷も在野みたいなものだが教師で給料もらってるからな ユリイカとかあんな雑誌のエッセイも「業績」になるの?
いや、大学の教員紹介サイトの業績欄で全部「業績」として挙げられていたので驚いたのです。
しかも、他にアカデミックな論文は無さそうだった。
あと分野にもよるでしょう
マンガあたりはユリイカと学会の区別がつかない アニメだって研究可能じゃね
そういうところに嘲笑のポイントはないな
いや、いや、大学紀要にアニメ絵は無いし、彼はアニメについては語らないでしょ。
アニメ絵の雑誌にフーコーについて書いてそれが業績になるのが面白いだけ。批判じゃない。
20年前はユリイカだけじゃなく、あの手の雑誌でアニメ絵はなかったような気がするが…
アニメ絵はアニメ雑誌だけ。アニメージュとか。
良くも悪くも特殊な趣味人だけが近づくものだった。
そうなの?じゃ30年前にはもうダメだったんだ。
吉岡実なんかが投稿していた権威ある雑誌らしいが。 「吉岡実なんかが投稿していた権威ある雑誌らしいが」って言いまわし味わい深いな ある種の文芸趣味がクズだとわかるな
吉岡実好きのアニオタとか多そうだけど ttp://twitter.com/#!/fjmt033 >>171
こんなところで宣伝するな、ブサイクナルシスト野郎 http://twitter.com/cbfn/status/253431574375329793
nibuya@cbfn
作家としての彼は・・・大作家かどうかはこれから読み返すしかないが長篇『ガン病棟』『煉獄の中で』等を読む限り、
ロシア文学の正統を継いだ堂々とした閨秀作家であることは間違いないだろう。
もしもし? 閨秀作家って「女流」の意味ですが。アレクサンドル・ソルジェニーツィンは男ですよね?
桂冠詩人を小説家で言うとそうなるぐらいのショボイ連想かな こいつのシモンやベケットに対する思い込みが気持ち悪い
シモンはフランスの核実験を擁護した保守だろ
自分に対する引導として
ノーベル賞を拒否しなかったってアホか
シモンやベケットは貧乏だからノーベル賞の賞金で助かった? 石川淳、大岡昇平、吉田健一贔屓
丹生谷と丸谷才一の共通点 丹生谷の一風変わった三島へのこだわり方は異様なものがある やはりプロでも言葉を間違えることはあるわけだなあ、ネットだといろいろ書けてしまうからな。 丹生谷『砂漠の小舟』所収の三島由紀夫論は、世にごまんとある三島論の中で一番面白かったなあ。
三島由紀夫本文に即くとそんなでもないんだけどね。 語弊はあるだろうが
ツイッター見てると丹生谷はロマンチストなんだなぁとしみじみ思う ニューアカ世代なんだけど
自分がニューアカであることへの嫌悪と
ニューアカに汚されてない70年代への憧れ バルトの『零度のエクリチュール』(1953)
ドゥルーズの『ヒューム』(1953)
フーコーの『狂気の歴史』(1955)のように
『丹生谷貴志』(1954)も作品である… つい最近この人の存在を知った20代後半ですが、この人は有名なの? 25年前は新進気鋭だった
15年ぐらい同じ事しか言ってない 内田樹はレヴィナスを有名にしたけど
何人の自分の読者をレヴィナスの著作に
向かわせたんだろうね まあつっこまれたのは消したツイートで言及した箇所ではないわけだが。 この人は一時、松浦ヒサキのライバルとして有名だった 内田樹がレヴィナスを有名にしたとは知らなかった。
それはそうと、丹生谷はテレビが無いとかポーズで書いてるけど、以前はテレビっ子で一日中付けっぱなしだと書いていたよね。
BSの美術番組がどうのこうのとかエッセイで書いていたはず。 朝ナマで憲法の話題が出たときはタイムリーに憲法に触れてたぞ。 どう見てもポーズです。
この人、家族はいないの?
なんか悲惨な老後を想像してしまう。
もう読者もほとんどいないし。
作家にも学会にも読書界にも影響力は皆無。 団地か公務員住宅か知らないが、そんな貧乏くさい場所で超絶ポーズ取られてもなあ… ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています