【グレート・ギャツビー】フィッツジェラルド
フィッツジェラルドの作品というのは俺の読んだ限りどれも定型があって 金を持った(または、一つの幸せをつかんでいた)一市民が己の性格の自堕落さや運命のために悲しみの中で凋落する それはペルエボックを生きた彼自身の生き方を投影するものでもあった フィッツジェラルドといえば「ジャズ・エイジ」じゃないの? あるいは“失われた世代”、または The Roaring Twenties。 ベル・エポックは定義からして、19世紀末から第一次大戦が始まる前まで(1914年)の、 パリを始めとするヨーロッパ社会が爛熟して文化が栄えた時期。 イメージとしてはプルーストの『失われた時を求めて』に描かれている社交界の雰囲気だな。 作家・フィッツジェラルドにとって第一次大戦が残していった爪痕というのは大きい。はず。 ああ、ごめん 知ったか入った誤認をしてたわ ラス一行は無しな 「グレート・ギャツビー」原書で読んだけどこれどう評価すればいいの? 表現の難しい作家だった ストーリーは簡単 ドストエフスキーみたいな思想を語るわけでもない 文章を読む作家なのかな? やたら表現が難しいんだよねこの作品 それ美味い比喩か?って突っ込みたくなるとこもあるんだけど as if he were related to one of those intricate machines that register earthquakes ten thousand miles away とか 直訳すると 「彼はまるで何千マイルも離れた地震を記録する複雑な機械の一つと関係があるようだった」 ギャツビーの敏感さを喩えるのに分かりずらいよ 全体的に簡単なことをやたら複雑な比喩や抽象的な言い回しで語っていて どうなんだ?と思ったんだけど 1 文章を味わう作家 2 テーマがすごい作家 3 ストーリーテリングがすごい作品 どれ? 結局1の作品ということでいいの? カテゴライズするのもどうかと思うけど私的には 4 世界観を味わう作家だと思うぞ 文学作品の価値とはなにか? たとえば『伊豆の踊り子』は文学として名作だと言われているけれど、 ストーリーは大したことが起こるわけじゃない。 旅芸人の一座の踊り子と、東京から来た一高生との心の交流がテーマ。 この交流によって一高生は「自分の性質が孤児根性で歪んでいる」ことを乗り越えて、 ようやく初めて社会や他人との和解・融和を成し遂げていく。 一高生が、最後に踊り子たちと別れたあとに流す涙は、単に別れによる寂しさではなく 「清々しい満足」の中にあることに注目すべきだろう。 こうした文学作品に現れる一つ一つの感情や情景の描写がなにかしら“人生の真実”を写し取っていると感じられるとき、 文学作品は「価値がある」と判断されるのじゃないかな。 いくら文章の技巧がすぐれていても、ストーリーテリングが上手くても、 そこに“真実らしさ”がなければ文学としての価値はないと思う 普通の文章で書いたらギャツビーも平凡な作品でしょう やはり文体の作家かなあ 貧乏人の金持ちの女性に対する憧れとか結構平凡じゃない? テーマとしては パーティを開いて女性を待っているという設定は秀逸だが 印象批評と曖昧感情論だけの劣った女性脳民族倭 きょうもかね勘定となりすまし風説の流布、風俗壊乱に余念がありません 勿論ほかの大作家と比べれば、雰囲気、主張等劣っているけど、あの時代の若者の生き方、雰囲気を甘美な文体で上手く表現してる小説は、他にないんじゃないの? あと分別のあるニックに三人称で語らせてある所とか読者の共感を誘って、構成に工夫がしてある。 What foul dust floated in the wake of his dreams that temporalily closed out my interest in the abortive sorrows and short winded elations of men こういう表現とか異常に抽象的で分かりずらい 幸せな生活に忍び込んで来る静かな闇が次第に人生を浸食して行くという類いの話が好きなんですよね。 「マイロストシティ」は本当に良く出来た小説だと思います。 村上春樹の約で読みました。私は村上という人を信用してなかったんですが、美しい訳だったので見直しました。 >>5 アメリカの作家なのに第一次大戦の爪痕が大きいとか、普通はありえません。 第一次大戦を契機にアメリカの黄金時代が始まるという意味での影響ならわかりますが。 金持の御曹司読んだ。 メリケンの金持ちは半端ないな read.cgi ver 07.5.5 2024/06/08 Walang Kapalit ★ | Donguri System Team 5ちゃんねる