11の続き
まだある。「第七官界彷徨」は同年の2月に「文學党員」という
雑誌に前半が掲載されているが、その時にあった、冒頭の一文
「私の生涯には、ひとつの模倣が偉きい力となつてはたらいてゐは
しないだろうか。」が、「新興芸術研究」では削られて無くなって
いるのだ。板垣夫婦が殊更に、「模倣」という言葉を嫌った理由は
何か?言葉というものを文字通り受け取ることしか知らない、板垣
夫妻では有り得ないはずなのだが。確かに、文字通りの「模倣」や
「代作」に関わった者にとっては、「模倣」は不吉な言葉以外の
何物でもないのだろうが。また、板垣鷹穂が尾崎に対して、強い
強制力を持っていたことも、これから伺える。
また、林達夫が三木清を庇ったのは板垣鷹穂の、代作ということに
余り躊躇しない性癖を見通していたからではないか?と私は推測する。
もし、それが板垣鷹穂の実像だったとすれば、彼が編集者として
関わった尾崎の「第七官界彷徨」も危うくなる。