「まずは発掘」の段階だったんだよ。尾崎の著作の多くが知られていたわけでもないし、
まして稲垣が歿後早々に「悲運の作家」としての尾崎を描きはじめている。
資料不足、取材不足を、イマジネーションで補うか、それとも準備がととのうのを待つか
は、個々の判断としか云いようがない。
花田がもうすこし長命だったら、創樹社の『全集』辺りに、嫌でも関わらざるをえなかっ
たろう。でも彼に残されていた時間も少なかった。
ちゃんと年譜を読むか、自分で作成してみ。そういう努力を怠るから、奇妙な勘違いを起
こす。(以上、敬称略)