>「尾崎翠をモチーフにしたある女性作家の一生を創作している」

二階堂奥歯は「私という物語を解釈して」と言ったが、「尾崎という物語」だと考えれば、それはそれで稲垣の解釈だ、となる。
勿論それで尾崎本人がその解釈をどう思うかわからない。尾崎の親族であろうとも尾崎本人ではない。
二階堂はこう言った。
「その読みが説得力を持つならば、私はそのような物語でありましょう。」

解釈と客観事実は別物だ。
ただし、学術的研究とは客観事実を根拠にしなければならないので、学術的な立場からはそこを批判して然るべき。

それだけの話じゃないか。