角秋は「尾崎は20世紀初頭のドイツ表現主義の影響を受け・・・」とか、
言うんだが、違うと思うんだよな。むしろ、象徴主義からシュール
レアリズムへ動こうとする中途にあったと思う。あえてドイツで言えば
german dadaismか。尾崎の場合、それはyeatsらの
影響だと思うんだな。だが、イエーツらの 象徴主義からシュール
レアリズムへの動きを媒介したのはoccultismだった。
order of hermetic golden dawn というオカルト・クラブみたいなものに
当時のイギリスのインテリの多くが参加していたんだな。その中にwilliam
sharpやbutler yeatsもいた。オカルトの研究によって、民話への関心も
高まった。
william sharpのfiona macleodのペンネームが william sharpやbutler
yeatsが作品の題材を得たケルト民話に登場するfinn mac Cumhailかfinn
maccoolの女性形であることはほぼ、間違いないだろう。
(ちなみに、フィネガンズ・ウェイクのフィネガンはfiona againの
意味らしい。)
取り分け、sharpの場合はスコットランド西沖の小島イオナのカルディーの
歴史に深い思いを寄せていた。その一つが個人の内面での女性性と男性性の
合一によって、人間は再生することができるという思想なんだな。
カルディーはクムランの死海文書の書き手ではないかとして有名になった
essene派の流れを汲むとも言われてる。
sharpのfiona macleod誕生にはrinder wingateという若い女性ライターの
存在があったからだと言われてるが、性関係はなかったとも言われてる。
だが、fionaがペンネームであると同時に「隠し女」の意味が込められてる
ことを、尾崎は強く意識していたと思うんだな。「第七官界彷徨」での
彼女の一部の意図は「私こそfionaなのだ。」というのは当然であるとしても、そこでの尾崎の意図は「隠し女」というところに、「女流詩人」よりも大きなウエイトが置かれていたのではないか?
尾崎の良く使うモチーフに「盆踊りでの妹の影」、「地下室」、「屋根裏」
という言葉らに共通するのがカモフラージュであったり、「隠し場所」
なんだな。
一体、尾崎翠は誰の「隠し女」だったのか?