>>714
尾崎翠の第七官界がsaturn=chronos=時間であり、第七官界彷徨とは
過去の時間の中を彷徨するという意味なのではないか?saturnの息子の
jupiterは未来を予測する第6官の象徴だ。
尾崎翠は五官を現在の視覚、嗅覚、聴覚、味覚、触覚とし、未来を予知する
能力を第6官、過去を追憶したり、無意識を拾う能力を第7官としたの
だろう。これが、saturn=chronos=time=pastのmysticismと一致する。
fiona macleodやyeatsが熱心だったカルト・クラブの
the hermetic order of the golden dawnの窮極の目的は
alchemy of consciousness(意識の錬金術)を達成することだったとすれば、
意識の流れを叙述するのがそれに相当すると言って良いのではないか。
yeatsのsong of wandering aengusはdream of wandering aengusが
その原型であり、意識の流れのプロトタイプとも言える。
joyceはceltic revivalの詩人達より自分の方が上だと主張したけど、
尾崎翠はyeatsやwilliam sharpの中にはっきりと、意識の流れに向かう
萌芽を見つけていたのだと思う。

第七官界彷徨の出た昭和6年の前年の5年から雑誌『詩・現実』で
ジョイスの『ユリシーズ』の連載が始まり、その前の4年には
土井光知の部分訳と解説も出てるし、川端は5年11月に
『針と硝子と霧』という、自ら認める、ジョイスの意識の流れの影響を
受けた作品を発表し、横光もそれに倣った作品を続いて発表したように、
当時は「意識の流れ」ブームだったんだな。

*メベッド・シェリフの論文「昭和初期における「意識の流れ」受容を
巡って ジェイムズ・ジョイスの『ユリシーズ』と川端康成の
「針と硝子と霧」」を参考にした。